考古学のおやつ

共伴の戒律−陶邑vs神明遺跡

萬維網考古夜話 第66話 27/Jul/2002

ハードディスクの中に書きかけのコラムがいくつも……。しかし,2年前に聴きに行ったシンポジウムの批評を今さらしても仕方ない。この積み重ねでここまで来てしまいました。やれやれ。そろそろ何とかしなきゃ。

とか何とか言いながら,数年後に陽の目を見るかもしれませんけどね(きまぐれ)。

土曜考古

先日,土曜考古学研究会で報告しました。

(^o^)/ 土曜考古学研究会7月例会 白井克也「陶質土器からみた古墳時代須恵器実年代論」
2002年7月6日(土)13:30:さいたま文学館講座室/埼玉県桶川市(26/May/2002,23/Jun/2002)

去年,硯の報告をしたら,全然人が集まらなくて,その後の原稿も滞っていたところ,救済措置で今回の発表となりました。そのために,関係者が聞きに来たくなるようなタイトルをとりあえず考えてみたのでした。何とかその責は果たしたようです。

お話した内容をサイトに公開しようと思ったのですが,今回は原稿というものを事前に作成しなかったので,内容を組替えて,少し補足もしながらコラムの形でお届けすることにしました。

目次はこうです。

ご覧のとおり,全体が2部に分かれています。前半は,尾野善裕氏の最近の研究を一つ一つ挙げて,内容を検討した部分です。後半は,韓国の各地の編年と日本の須恵器編年がどのように対応するかを論じたものです。前半を80分,後半を70分かけて話し,その後50分の討論がありました(それでも準備していた内容をいくつか省略しました)。内容は,オリジナルの部分もありましたが,ほかの人の研究を引用した部分が多く,特に前半は学史の評論が主になります。

というのも,既存の研究でほとんど論じ尽くされていて,今さら改めて論じなければいけないような問題はほとんどないんですよね。あ,このシリーズの結論を言ってしまったかも(^^;ゞ。

今回から数回かけて,特に発表の前半の部分を中心にお話しします。回数が何回になるかわかりませんが,5回くらいですかねぇ。話は多岐にわたりますが,このコラムの通例に従って,煩わしくてもできるだけ典拠を示し,閲覧者の皆さんにも検証できるように進めていこうと思います。登場人物が多いので,歴史上の人物以外は敬称を「氏」に統一します。

私のオリジナルの見解も含めたものは,いずれ印刷物になると思いますので,コラムでは既存の資料や研究で明らかになっている部分の話にとどめます。たまに口が滑らない限りは。

関係論文の提示

このお話の,当面の課題は,最近盛んに古墳時代の暦年代を論じている尾野氏の研究の検証です。ここで主に検討する尾野氏の論文を列挙しておきましょう。これ以外にも,話のついでにほかの論文も取り上げますが,主に取り上げるのは3つです。

この3篇のうち,最初の2篇はほぼ同じ内容の再論です。最後のものは,前2篇への批判に答えつつ,新たな内容を書いています。ここでは,発行年によって1998年論文とか2001年論文と呼ぶことにしましょう。

ここで,お断りが必要です。尾野氏の研究は,猿投窯系須恵器の編年と陶邑編年との対比や暦年代観が主なテーマとなっています。ですから,須恵器の時期を表現するときに,尾野氏は猿投編年の用語で表現しています。これは,尾野氏の研究の立場からは当然のことなのですが,今回のお話では,原文を直接引用する場合を除いて,尾野氏の年代観を,尾野氏の提示する並行案に従い,陶邑編年の型式名に置き換えて表現します。
尾野氏の並行案を尊重しているとはいえ,表現を変えることで尾野氏の意図を損なう危険を冒していることは,肝に銘じておかねばなりません。

1998年論文の検討

1998年の「中・後期古墳時代暦年代観の再検討」を検討するうえで,障害となるのは,この論文の校正ミスの多さです。その原因は知るよしもありませんが,内容を検討するのに不自由します。どこかに正誤表が公開されているのかもしれませんが,不幸にして私は見たことがありません。もし,ご存知の方はお教えください。ここはできるだけ著者に好意的に解釈するとともに,場合によっては1999年論文と対比して補うことにします。

1998年論文の目次は次のとおりです。

「I 猿投窯と陶邑窯の並行関係」では,「愛知県豊田市にある神明遺跡からは、多くの猿投窯系の須恵器に混じって、少量ではあるが陶邑窯製品と共通した特徴をもつ須恵器が出土している。」と指摘し,神明遺跡で共伴する須恵器を証拠に挙げて,並行関係を論じています〔p.76〕。

ここで尾野氏の考え方がよくわかる部分を引用しましょう。

問題は、猿投窯系II期新段階以降の並行関係だが、これについては今のところ良好な共伴資料を見出していない。したがって、いわゆる型式学的検討によって並行関係を推測するしかないのだが、須恵器の地域性を考慮すると、一概に表面的な形態の類似性だけで並行関係を論ずることには躊躇せざるをえない面がある。〔p.77〕

言い回しが長めですが,内容は明確です。形態の類似よりも共伴資料を重視する尾野氏の戒律は,厳しくはありますが正当です。

その後,猿投窯系II期新段階に起きる蓋杯の大型化をMT15型式と対比して,「畿内で新たに出現した要素が、東海地方にも影響を与えたと見るべきだろう。」〔p.77〕という判断から,猿投窯系II期新段階とMT15型式を対比させるわけで,結局は形態(のうち,特に法量)の類似性を根拠にしているような気もしますが,判断基準の優先順位は明示しています。

つまり,形態の類似性よりも共伴関係を重視しています。また,共伴資料を根拠に,相対編年案どうしの並行関係を論じている,という点にも着目しておきましょう。

ここまでの論理はわかりやすく,ひとまず筋道が通っていると言っていいでしょう。

さて,「II 研究史・これまでの5・6世紀年代観の根拠」で,尾野氏は,古墳時代中・後期の暦年代比定の根拠は4つに集約でき,どれも根拠不十分だと主張します。(つづく


[第65話 鐙があった!−新羅土偶物語・続篇|第67話 集約の戒律・前篇−初期馬具vs須恵器出現|編年表]
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