考古学のおやつ

鐙があった!−新羅土偶物語・続篇

萬維網考古夜話 第65話 20/Jul/2002,25/Aug/2002

前話は去年の8月だったんですか?う〜ん,なかなかうまくいかないものですね。

相変わらず不毛なウイルスはたくさん来るし,ニュースの収集はしてるし,新コーナーも準備しているし……,あ,この公開されない「新コーナー」の話も,いいかげん狼少年ですね。

実のところ,4年も続けていると,誤字の修正とかリンクの追加・訂正だけでもけっこうな作業になって,新しい文を書いているヒマというのは,ほとんどないんですね。だから,というわけではないんですが,今夜のお話も,以前このサイトに載せたお話の修正です。


このコーナーが始まって間もないころ,第12話第13話新羅土偶物語というお話をしました。土偶にはルールがあって,作り方や表現にそれがあらわれていくこと,新羅の社会発展によって土偶が消え去ってしまうこと,などのお話しでした。何の話だったか覚えていない人(私も忘れてました)は,まずそちらをお読みください。

特に,第13話では騎馬人物土器のお話をして,慶州金鈴塚の作例を取り上げました。

ここで出土した騎馬人物形土器は2点あり,主人と従者であることは,そのときにお話しました。まず,そのときの全文。

慶州市の金鈴塚は慶州の新羅古墳のうちでも王族の墓と考えられていますが,ここで有名な騎馬人物形土器(国立中央博物館所蔵)が出土しています。これは,単独で出土したのでなく,主人と従者の2つの騎馬人物形土器が一緒に出土しています。どちらも手の込んだ作りで,表現が似ているので,同じ作者の作品でしょう。主人と従者の表現に違いがあり,身分による服装や馬具の差がわかるという点でも重要資料です。
主人の馬具には大作りな鏡板(かがみいた)・雲珠(うず)・辻金具(つじかなぐ)を使っているのに,従者の方はそれらが目立ちません。主人の方は,面繋に角のような装飾品,胸繋に鈴,尻繋に杏葉を下げ,鞍から輪鐙が下がっていますが,従者の方はそれらがありません。
主人は大きめで裾を絞ったズボンのような物をはき,足にはつま先の反り返った履(くつ)をはいてますが,従者は細い感じのズボンで,履のつま先はまっすぐです。従者は右手に何かを持っており,背中に荷物の包みをくくりつけています。また,主人も従者も帽子をかぶっていますが,主人の帽子は烏帽子形で,当時の金属製の冠帽に形が似ています。主人は左の腰に何かぶら下げていますが,上のところが輪になっているので,環頭大刀かも知れません。従者は馬のお尻のところに丸い玉のような表現がありますが,これも荷物でしょうか。
この主従の騎馬人物形土器から,これらの土器が実際の身分による馬具や服装の違いを意識して作られていると考えて,差し支えなさそうです。

このときの趣旨から外れるのでお話しなかった点を補足しておきましょう。
写真や展示などでは,主人が前に,従者が後について並ぶように配置することが多いのですが,出土状況の写真(国立中央博物館に行くと,展示室の壁に貼ってあります)をみると,従者を先に,主人を後に並べています。“露払い”だったというわけですね。

さて,趣旨はタイトルですでにばらしているので,結論を急ぎましょう。

主人の方は,(中略)鞍から輪鐙が下がっていますが,従者の方はそれらがありません。

という部分が誤りなんですね。従者の馬にも鐙があったんです。


さて,以前のお話が間違っていたと気づいたのは,つい最近です。実は,この騎馬人物形土器のうち,従者の方が日本に来ました。先日までなにわ歴博(大阪歴史博物館)で開催されていた「韓国の名宝」で展示されていたんですね。

「おい,先日っていつだよ」と思った方,そうなんです。この文は5月12日(大阪展が終わった少し後)に書いたんですね。どうしてこの程度の文を書き上げてから2ヶ月も放置するのか,我ながら呆れます。

このときの展示をみて,第13話の内容に間違いがあると気づいたわけですが,幸いまだ指摘のメールはいただいていないので,間違いが声高に指摘される前に,白状してしまおうというわけです。

わかりやすいのは,従者の右側です。

今回のお話では,騎馬人物形土器の部分を説明するとき,騎馬人物の立場から見た前後左右で表現します。その方が何かと便利で紛れがないので。

鞍(くら)の前輪(まえわ)のあたりをよくみると,タテ方向に貼り付けた粘土紐がつけね近くで近くでちぎれていることがわかります。この位置に,こんな風に表現されるものといえば,鐙を吊るすベルト以外には考えられません。この騎馬人物土器は,服装や馬装の特徴を,その構造まで含めて再現しようとしているので,実際の馬具に無関係なもののはずがない,というわけですね。鞖(しおで)金具なんて,細かいのなんのって……。

そう考えて,改めて従者の右脚をみると,これまでの疑問が解けます。従者の鐙にかけられていない(と私が思い込んでいた)脚は,なぜ馬体から離れた位置にぴんと伸ばしているのか……。実は,粘土紐で作った鐙が足先に巻きつけてあったので,足を馬体にぴったりつけた形には表現できなかったんですね。

なるほど……と,さらに右の足先を見ると,

ぁあ!見える!今までないと思っていた鐙が見えるではないですか。

従者右足の甲から土踏まずにかけて,器面の色の違う部分が帯状に足を巡っています。これは,もともと(少なくとも土器を窯で焼く時には)右足に粘土紐が緩く接着されていた証拠です。それは輪鐙の表現そのものです。

そんなわけで,金鈴塚では主人も従者も輪鐙を使っていた,というのが事実だとわかりました。従者には鐙がないだとか,それが当時の身分ごとの馬装の違いを表しているだとかという話は,大きな勘違いでした。

今にして思うと,主人と従者の馬装の違いといっても,鐙以外は,馬装の機能を損なわない程度に各部分の有無・大小があったわけです。それらに比べると,鐙の有無というのは違いが大きすぎますね。

そうすると次に問題となるのは,従者が左足も鐙にかけていたかどうか,です。こちらでは,鐙を吊るベルトも足の色の違いもありません。従者は右側だけに鐙があったのです。

片方だけ鐙があるときは左側にあるはず,と漠然と思っていたのですが,どうなんでしょうね。


このほかにも,障泥(あおり)の表現は,粘土板を馬体に被せて,馬体の上でヘラで余計な部分を切り取っているとか,従者が頭に被っているのは実は鳥帽子とは違う構造だとか,よく見ると(マニア好みですが)おもしろいですよ。

この騎馬人物形土器は,後1週間は東京で展示されています。やれやれ,なんとか公開中に記事が間に合った(^^;ゞ。

次回(いつだ?)からは実年代シリーズの予定です。


2002年8月25日の補足

さて,今これを書いている8月25日というのは,戒律シリーズの合間です。論文の読み比べというのも,いろいろと発見があっておもしろいのですが,やや後ろ向きな話題になってしまうところに辛いものがあります。やはり,遺跡や遺物を対象にした話がしたいものです。

本篇が取材中でお休みの戒律シリーズからちょっと寄り道をして,騎馬人物形容器の話をまた少し補足しましょう。

とはいえ,こんな感じで話が始まれば,もうネタはバレバレなので,今日もさっさと話を進めます。
この第65話は,騎馬人物形容器の従者のほうも,右側に鐙があったというお話だったんですが,要するに,左側にも鐙があったんだと言いたいわけですね。

本当に,以前は何を見てたんでしょうか。いえ,見るたびに発見があるのが実物の醍醐味なんですよ(^^;(言い訳)。


馬の左側には鐙を吊るベルトがあり,右側にはない……これはお話しました。ここでいったん鐙の話を離れて,障泥のことを考えましょう。障泥は鞍の両側に吊るされるものです。この騎馬人物形容器でも,そうなっています。ところが,よくみると,馬の右側では,障泥の上の方,真中くらいに,障泥を吊る帯と思われる幅広で短いものが粘土で薄く貼り付けられています。おや,と思って馬の左側を見ると,馬の左側の障泥は,鞍の下の端に接しているだけで,障泥を吊る帯がありません。これは,そのような馬装を表現したわけではなく,障泥を吊る帯が表面から剥がれ落ちてしまったのでしょう。

さて,障泥を吊る帯が失われていることがわかった,騎馬人物形容器の左側というのは,この容器が出土したときに下側になっていた部分で,かなり破損しています。表面に貼り付けた粘土部品が剥離することもあるのでしょう。

さて,障泥を吊る帯が剥離してしまうのであれば,鐙も剥離したかもしれません。右側のように,途中で折れるのではなく,完全に剥離したとすると……という目で,改めて騎馬人物形容器の左側を見ると,鐙のあるべきところは,微妙にくぼんでいて,周囲よりも少し色が青い感じです。この部分を下に辿ると,鞍の端に刻まれた文様がかすれています。これって,縦長の粘土紐が剥がれた跡ですよね。

とすると,騎馬人物形土器の従者の方も左右に鐙が揃っていたことになります。前の話は何だったんでしょ(^^;ゞ。

しかし,私が見るたびに鐙が増えるなら,あと10回見ると,一体どんな馬装になるのやら……。


[第64話 氷見 VS 小杉〜図書館でネット考古学〜|第66話 共伴の戒律−陶邑vs神明遺跡|編年表]
白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 2002. All rights reserved.