考古学のおやつ

解放の戒律・前篇−蓋杯vs提瓶

萬維網考古夜話 第74話 7/Oct/2002

尾野善裕氏の暦年代論を読んで,ようやく武寧王陵江田船山古墳との対比も大詰めに差し掛かりました。前話までで金工品の年代差の問題はお話しましたし,ほぼ決着はついている気もしますが,今回から須恵器のお話を……,え?須恵器だっけ?

尾野氏の中村説批判

江田船山古墳の副葬遺物を年代論に利用するとき,問題は追葬の可能性です。尾野氏は,金工品に想定される時期差にまったく触れず,須恵器に関する中村浩氏の見解だけを論評しています。しかし,金工品による追葬説と須恵器による追葬説は別個の論理によるものです。中村氏を批判しても,江田船山古墳の副葬品に対する認識にはほとんど影響を与えないはずでした。

それはともかく,まず,前回引用しながら少しも内容に踏み込まなかった部分を,もう一度引用します。江田船山古墳で1873年に出土した土器に関する部分です。

この資料(1873年の出土資料−引用者)に検討を加えた中村浩は、蓋杯をI型式1段階(≒TK73型式)、提瓶をII型式1段階(≒MT15型式)以降のものとし、江田船山古墳に複数次にわたる埋葬があったであろうことを主張した(中村1979)。しかし、この中村の時期比定には再検討の余地がある。〔尾野善裕1998:82〕

尾野氏は,蓋杯の類例として中村氏が挙げたという陶邑の「ON22号窯」について報告書の問題点を的確に指摘しています。

発掘調査報告(中村1976)によれば、3基の窯跡からI型式1段階(≒TK73型式)から同3段階(≒TK208型式)にわたる須恵器が出土しているというが、個々の遺物の出土位置・層位については明示されていない。したがって、報告書の範囲では問題となる蓋杯をI型式1段階(≒TK73型式)には限定できないのである。〔尾野善裕1998:82〕

尾野氏は蓋杯をTK73型式から解放し,「ON22号窯」の須恵器の時期幅(TK73型式〜TK208型式)を可能性の範囲とします。つまり,蓋杯の年代が新しくなる可能性を指摘しています。
では,尾野氏が指摘した報告書の問題点を検討しましょう。

報告書によると,「ON22号窯」と呼ばれているのは,実際にはON22-I,ON22-II,ON22-IIIという3基の窯で,このうちON22-II号窯とON22-III号窯は,完全に上下に重なっています。2つの窯の灰原(焼成の後に窯から掻き出された灰が広がっている範囲;焼き損じの土器片もここに捨てられる)も,やはり範囲が同じで,出土品もどちらの窯から掻き出されたか区別が難しいと明記されています〔中村浩(編)1976:56〕。
しかしON22-I号窯は,ON22-II号窯・ON22-III号窯と枝番号で区別されているだけですが,窯体は完全に別の場所にあります。また,ON22-II号窯・ON22-III号窯の灰原はON22-I号窯の上にも広がっていて,ON22-I号窯が廃棄された後にON22-II号窯・ON22-III号窯が営まれたことは明らかです。

このような発掘時の所見がありながら,尾野氏の指摘のとおり,個々の土器の出土地点は明記されてません。報告書によると,遺物の大半は灰原から出土し,どの窯の灰原か不明確な場合もあって,土器の「形式差」で所属の窯を推測することもあったといいます。
これに加えて,不幸な誤植もあったようです。第26図では窯の枝番号が誤っています〔中村浩(編)1976:52〕。図版編をみると,図版第二五には「ON22-I・II・III号窯出土遺物」,図版第二六には「ON22号窯出土遺物」とあります。これは,図版第二五で,個別の窯が弁別できるような図示を目指した痕跡ではないでしょうか。

尾野氏の指摘は,こうした報告書の不備を指しています。尾野氏以外の研究者も,「ON22号窯」について枝番号抜きで言及することがあるのは,同じ理由からでしょう。

それは手品

ところが,ですよ。これは一種の手品なのですよ。

尾野氏は中村氏の1979年の論文を批判するはずでした。1976年の報告書の不備を衝いても,それだけでは中村氏のはしごは外せません。実は,尾野氏は中村氏の論文から,あらかじめ3つの情報を伏せていました。つまり,3つのタネを仕掛けた上で,報告書の不備を衝いて,なんだか論文の方も批判したかのように見せてるだけなんです。

中村氏の論文を読んでみましょう。今回は初出論文が参照できなかったので,単行本に再録されたもの〔中村浩1985〕を見て行きます。本来は尾野氏が引いたのと同じ文献を参照すべきですが,今回は初出との異同すら検討できません。あしからず。

尾野氏は蓋杯について「中村も指摘しているように、類品が陶邑窯のON22号窯にある」と言っています〔尾野善裕1998:82〕が,不正確です。中村氏は,「ON22号窯」ではなく,3基の中で明らかに古いというON22-I号窯と対比しているのです。中村氏は,報告書に載っていない知見に基づいてON22-I号窯の出土遺物を何度か提示したことがあります。
中村氏以外の研究者が検証不能であることに変わりはありませんが,かといって,中村氏による資料の提示を無視して枝番号を外した「ON22号窯」だけを引き,これによって報告書批判を論文批判に摩り替えるという尾野氏のやり方が正しいことにはなりません。

枝番号を外した「ON22号窯」は,窯の名前とはいえません。ある地点の名前です。こうした状況を報告書で確認しながら,枝番号を決して書かないことによって,尾野氏は蓋杯の年代を下げる可能性を留保できるというわけです。これが手品の第1のタネです。

手品の第2のタネは,中村氏がON22-I号窯を持ち出す過程を,尾野氏が伏せていることです。それは,「船山古墳出土蓋杯の型式としては、I型式1段階が想定され、その生産窯は限られた数となる。」〔中村浩1985:35〕という部分です。中村氏はON22-I号窯の類例によって初めて蓋杯を「I型式1段階」と考えたのではなく,船山の蓋杯は須恵器とすれば最古に近いものだという須恵器研究者の共通認識に基づいて類例を探し出したのです。

提瓶と高橋・小林説

手品の第3のタネは次回に触れるとして,尾野氏の論文に戻ります。提瓶の話を見ましょう。
尾野氏は,中村氏の年代観は提瓶の上限の問題であると考え,「近年調査されたTK13号窯からは、I型式2段階(≒TK216型式)の蓋杯・高杯・甕などに伴って、明らかな提瓶が出土しており(図12)、従来考えられていた時期よりも、提瓶の出現が大きく遡ることが明らかとなっている。」〔尾野善裕1998:83〕と指摘します。ここまでは,いいでしょう。
そして尾野氏は江田船山古墳の提瓶を改めて眺め,その口縁部は,先にみたON22号窯の壺に類例があるといっています〔尾野善裕1998:83〕。

したがって、江田船山古墳出土須恵器のうち、東京国立博物館所蔵分については、蓋杯・提瓶ともI型式2〜3段階(≒TK216〜TK208型式)頃のもの(「と」が脱字らしい−引用者)理解すれば、両者に大きな時期差を想定する必要はない。〔尾野善裕1998:83〕

「ON22号窯」に期待される可能性をあらかじめ解放しておいたので,こうして提瓶の年代観も受け止めることができました。ただ,その根拠は報告書の不備にあった,ということは覚えておいてください。

尾野氏は中村論文しか引いてませんが,1873年出土土器には,これまでも系譜と時期をめぐっていくつかの見解が提示されてきました。蓋杯と提瓶に時期差を認めない見解も,尾野氏より以前から存在します。たとえば,高橋徹小林昭彦両氏の検討があります〔高橋徹・小林昭彦1991〕。
尾野氏が先行研究に触れないのも問題ですが,高橋・小林両氏の業績について,尾野論文では別のミスがあります。第67話で紹介した尾野氏の第3項目,岩戸山古墳の須恵器について通説を批判するとき,尾野氏は高橋・小林両氏の別の論文〔1990〕によることを明記しています〔尾野善裕1998:80〕が,その論文名は参考文献リストに漏れています。九州の須恵器研究に恨みでもあるのでしょうか。今回のコラムの末尾に論文名を挙げておきました。

話を戻しましょう。ここで気をつけたいのは,高橋・小林両氏の説は,結論が尾野氏と似た部分はあっても,論理がまったく違うということです。高橋・小林両氏は報告の不備に頼るのではなく,まず蓋杯と提瓶を同時期と考えたうえで,提瓶の型式変化を整理し,さらに韓国の慶州で出土したという類例を指摘して,江田船山古墳の提瓶は,MT15型式以降の須恵器提瓶よりも伝慶州出土例の方に似ていることから,江田船山古墳の提瓶はMT15型式よりも古いと考えています。そして,結論に到達します。

我々は,船山古墳石棺出土の坏,提瓶を一括と見る田辺の立場に賛成であり,しかも提瓶の型式学的検討からみてこれらがMT15式以前に遡り,かつ墳丘出土遺物(須恵器,土師器,埴輪等)の時期に整合すると考えたい。〔高橋徹・小林昭彦1991:83〕

中村氏と高橋・小林両氏の説は対立していますが,その論理には共通の特徴があります。それは……。

尽きない土器の話題

今回,9月17日にできていた原稿を直前に組みなおしていたら,膨大な分量になってしまいました。
もともと,須恵器の話をあっさり1回で終わらせて,閲覧者の予想を裏切ろう,などと考えていたのですが,うまくいかないものです(笑)。

島田塚古墳の話を,早くしたいんですけど,ずれ込みそうですね。(つづく


今回登場した文献


[第73話 分離の戒律−龍文vs亀甲文|第75話 解放の戒律・後篇−須恵器vs陶質土器|編年表]
白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 2002. All rights reserved.