考古学のおやつ

2006年3月のさるよい日記―新着情報と更新履歴


2006年3月31日(金)

現説編年表展覧会編年表研究会編年表に情報を追加しました。


2006年3月29日(水)

午前中,観光は諦めて郵便局へ……。しかし大きな郵便局はいつまでたっても開かず,通りがかりの女性に聞いてみると,「ここはもう閉まったんですよ。駅に郵便局があります。」と教えてくれました。今度は駅へ。花屋の裏に窓口を見つけて,この旅3度目の小包を発送しました。

ここから帰路に。アーランダ空港からコペンハーゲンまで飛び,ここで乗り換え。早めに手続きを済ませようと,出国審査をしてしまったのですが,そのために免税店などのあるところに戻れなくなってしまいましたToT。


2006年3月28日(火)

2度目のテーゲル空港。今度は平日なので道が混んでいました。搭乗したのはなんと双発のプロペラ機。これに乗ってベルト海を渡り,ストックホルムのアーランダ空港まで行きました。飛行機が小さいだけでなく,ベルリン―ストックホルム間は便数も少なく,あまり利用されない路線のようです。

ストックホルムの外は雪が積もっています。来るんじゃなかった……と思わなくもないですが,とても便利なアーランダ・エクスプレスでストックホルム中央駅までたった20分です。ホテルまで歩いてみると,気温は低くても意外に過ごせそうな感じです。

ホテルから歩いて歴史博物館へ。無料の上,展示も新しく,解説も豊富ですが,ヴァイキングの展示以外では英語はありませんでした。

先史時代の展示では,見覚えのある青銅器や石器があり,地下の金製品展示室は,先史時代以来の金の装飾品がこれでもかとたくさん展示されていました。

売店で図書を見ると,やはりここでもヴァイキング関係の本が多かったのですが,中に1冊だけ,モンテリウスが20世紀の初めに執筆した図録がありました。この博物館はまさにモンテリウスが活躍した場所。図録は遺物の図(石器は特に美しい)とともに,モンテリウスによるスウェーデン語の解説が載せられたものでした。この図録やこの博物館の展示を見ると,モンテリウスがなぜ型式学を打ち立てなければならなかったのか,わかるような気がします。スウェーデンで出土する(モンテリウスが仕事で日常的に取り扱う)金属製品は,地中海沿岸の先進地域のものからすっかり変容を遂げたものだったので,モンテリウスはそれらの間の変化を説明する理論を必要としていたのでしょう。などと考えつつ,迷わずこの図録を買いました。

さらに歩いて霧雨の中を北方民族博物館へ。吹き抜けの中央ホールの周りに現代を含めた多数の展示がありました。

このあたりで,私の旅行予定に大きな問題のあることがわかりました。スウェーデンでは博物館などの開館時間が11時以降だったりするのです。冬の間は夜が長いためなのでしょうが,明日は昼ごろ飛行機に乗るので,明日は観光になりません。もう少し考えて計画を立てておくべきだったと今頃後悔。


2006年3月27日(月)

この旅2度目の郵便。英語が充分通じるベルリンで,なぜか郵便局員が英語通じずToT。

ベルリン3日目の夕方,初めてブランデンブルク門を見ました。


2006年3月26日(日)

今朝からサマータイムが実施されています。今日は,ポーランドのワルシャワに日帰りするつもり。昨夜調べたところでは,テーゲル空港からワルシャワ空港(ショパン空港)までは,ポーランド航空とルフトハンザ航空の共同運航便が1日1往復だけしています。しかし,これで往復するとワルシャワではほとんどどこにもいけません。とはいえ国際特急ではワルシャワからベルリンまで6時間ぐらいかかります。そこで,早朝の飛行機でワルシャワに飛び,帰りは国際特急で戻ってくることにしました。

まずは早起きしてホテル前からタクシーへ。霧の中を15分ほど走りました。行き先によって停車位置が違うらしく,運転手さんが「どこに行きますか?」と聞いてきたので,「ポーランドのワルシャワです」と答えると。さっきまでおとなしかった運転手さんはいきなり満面笑顔で私のほうに振り返ると,「え,ポーランドに行くんですか?私,ポーランド人なんですよ」と一気にまくし立てました。

ルフトハンザ航空のカウンターで,予約もチケットもなくクレジットカードだけで8時40分の便を予約。まるで乙葉と結婚する前の藤井隆のような真似ですが,とりあえずビジネスクラスが空いていました。あまり大きな飛行機ではないですが(機体はポーランド航空),1時間の飛行時間の間に機内食も出ました。器が磁器でナイフとフォークが金属でした。

ポーランドは雪が降っていました。とりあえずバスに乗ってワルシャワ中央駅まで行き,とりあえずベルリンに帰る4時25分の国際特急を予約しました。6時過ぎの便もありましたが,これだとベルリンが深夜になるので,市内観光には5時間も確保すれば充分と考えて,少し早めにしておきました。ワルシャワの駅には,どういうわけか個人旅行の日本人5人もいました。そのうち女性2人はグループで,ほかは1人ずつの旅行なのに偶然居合わせたのです。なぜワルシャワで?

さて,ワルシャワの市内観光の時間です。地図を見て,まずは考古学博物館まで歩き,そこから観光しつつ駅まで戻ってくることにしました。

ところが,歩いてみるとなかなか考古学博物館に着きません。道路がやたら広く,ワンブロックも大きく,それぞれの建物も異様に大きいので,地図では近くに見えても実際はものすごく遠いのでした。ここが旧共産圏だと実感させられました。

そうこうしつつ,考古学博物館やワルシャワ歴史博物館(Muzeum Historyczne miasta stołecznego Warszawy)を見て回りましたが,どちらも興味深い展示品ながら,英語の表示がほとんどなかったのが残念でした。なお,ワルシャワ歴史博物館では市内の発掘に基づく近世・近代史に関する特別展をやっていて,これは英語も多く,内容も面白いものでした。

ワルシャワ歴史博物館の方は,中世の雰囲気を残す旧市街の中にあります。日曜日とあって,市民が繰り出しています。広場では絵画を売る人や,音楽を演奏する人もいます。せっかくなので,次の目的地に行く前にここで食事をすることにしました。旧市街の広場に面したレストランで,店頭のメニューを見ると,ポーランド語の下に英語で説明が書いてあります。ここからなんとかなるかもと思って入りました。しかし英語で説明があってもやっぱりよくわからず,説明の中に「ポーランド風」とあるスープと肉料理を頼んでみました。これがけっこう美味。しかも量が多くてたっぷり楽しめました。おかげで時間かかりすぎ。午後の日程が厳しくなりました。

旧市街から,王宮前の通りを南へ進みました。午前中に北上した共産主義的な道路とは違い,こちらは建物も美しく,通りには市民がたくさん歩いていました。

地図を頼りに路地を曲がって民族学博物館へ。外観からはなんだかよくわからない建物でしたが,展示は充実していて,ポーランドのみならず世界の民族資料が展示されていました。東洋染織のコレクションが充実していたのは驚きでしたが,由来を知ろうにも英語がないので手も足も出ませんでした。出版物も面白そうだったのに売店は日曜日で休み。消化不良です。

これですっかり時間が足りなくなったので,あわてて国立博物館を訪れました。ここは美術品や工芸品が主のようでした。それにしてもワルシャワの博物館はどこも床がきしむようです。

あわててワルシャワ中央駅まで走り(途中で午前中の日本人観光客にまたもや偶然再会),予約した国際特急にぎりぎりで乗り込みました。同じコンパートメントの男たちのうち少なくとも何人かはベラルーシ人で,表紙に3言語(ベラルーシ語・ロシア語・英語)が表記されたパスポートを持っていました。ここでは列車内での出入国審査を始めて経験。ポーランドとドイツの係官が仲良くやってきて,なにやら面白そうに会話しながら次々にパスポートにスタンプを押していきました。

こうして,早朝から深夜までのワルシャワ日帰りの旅は終了しました。疲れた。


2006年3月25日(土)

前日が夜遅かったので,すっかり体が現地時間になってしまったようです。ベルリン初日の今日は有名な博物館島を訪れました。

ペルガモン博物館と旧ナショナルギャラリー,旧博物館を回った後,ナウムブルク大聖堂を見にいくことにしました。とりあえず駅のコーヒースタンドで一服してからと思い,下手なドイツ語を試そうとしたのですが,コーヒースタンドなのにコーヒーを切らしていたために立ち往生。しかも店のおばさんは英語もできないので(英語ができても事態は大して変わらないが)あえなく撃沈。

乾燥で唇が荒れて仕方ないので,スーパーでリップクリームを買って使ってみました。なんだか甘い味がするので変だなと思いましたが,効果覿面。ウソのように唇の荒れが治ってしまいました。

ナウムブルクは小さな町でした。駅前から,ガイドブックのとおりに少し歩くと,ようやく大聖堂への行き先標示が見つかりました。そこから先は石畳の曲がった道で,周囲の建物とともにまさに中世の雰囲気。民家の向こうに大聖堂の塔が見えます。

ガイドブックでは,3月の土曜日の観覧時間は5時までと書いてありました。もう少しで大聖堂に着くというところで,大聖堂から鐘の音が。もう間に合わないかなと思ったのですが,観覧車の入り口に行ってみると,6時までとなっています。入ってみると,堂内の彫刻を解説した日本語の解説シートを受付の女性(この人は英語も日本語も話さない)がくれました。

ナウムブルク大聖堂(der Naumburger Dom)は,13世紀に建てられた初期ゴシック様式の大聖堂で,西内陣と内陣障壁に当時の優れた彫刻が配置されていることで有名です。今回,地方都市のナウムブルクまで来たのは,ここの彫刻を見たかったからでした。

薄暗い堂内で,1人でしばらく彫刻を見ていると,バッグを持った1人の男性が現れ,パイプオルガンのところへ行きました。修理でもするのかと思っていると,彼はパイプオルガンを弾き始めました。オルガン奏者だったのです。あまりのことに,感動を新たにしながら大聖堂を出ると,いつの間にか外は激しい雨になっていました。


2006年3月24日(金)

今日の目標はリンホルム遺跡。オールボーの駅前から市内バスに乗ったところまでは昨日と同じですが,今回は途中で降りる停留所を確実に見分けなければいけないという問題があります。とりあえず駅前の路線図をよく見て,遺跡より先までいくバスに乗りました。

曇っていて肌寒い日ですが,雪は降っていません。バスが郊外に行くと,バス停の標示が小さくなり,停留所の名前は時刻表の最上段に小さく書かれているだけになりました。バスが止まるたびに目を凝らして時刻表をにらみつけ,かろうじてリンホルム遺跡前で降りることができました。ここから標示に沿って博物館まで行くと,扉が閉まっていて人気がありません。デンマーク語の張り紙があって,どうやら冬の間は限られた曜日しか開館しないようです。ガイドブックでは3月19日までになっていましたが,後で確認したところでは,今年(2006年)は4月9日までが冬時間だったようです。

遺跡だけは,歩くことができました。なだらかな丘の上に,ゲルマンからヴァイキングにかけての墳墓が営まれています。ところどころにイラスト入りの表示板があって,墳墓の造営方法のほか,考古学者が遺構をどのように認識するのか,ということまで親切に書かれています(英語併記)。丘のふもとには,ヴァイキングが耕作した畑の遺構も見つかったそうです。海で活躍した印象の強いヴァイキングも,地元では農業で生活を支えていたんですね。

遺跡から帰って,電車までの時間を利用してオールボーの歴史博物館を訪れました。ここは近代のオールボーの生活など,興味深い展示がいくつもあったのですが,残念ながら英語がほとんどなく,意味がよくわかりませんでした。

オーフスまで戻って,ここから国際特急に乗り,ドイツのハンブルクまで行きました。今日1日でユラン(ユトランド)半島のかなりの部分を縦断したことになります。途中でドイツ国境を越えましたが実感はまったくありませんでした。

ハンブルクに着いたのは夜7時過ぎ。ここからベルリン行きの特急に乗り換えたのですが,デンマークに比べて人は多いし駅は大きいし,券売機の仕様も違っているので相当に戸惑いました。ようやく買った切符は出発時間が2分後!日本だったらこんなぎりぎりの切符は販売しないでしょう。あわてて走り回って特急に飛び乗りました。

ベルリンで宿に着いたのは10時過ぎ。ようやく落ち着いて,夕食でもと近くのお店に入ったら,コペンハーゲンに続いてなぜかイタリアン。先日のよりパスタが細くて固めの気がしますが,どっちが正しいのかは,イタリアに行って確認するしかないですね。

お待たせしました。現説編年表展覧会編年表研究会編年表に情報を追加しました。


2006年3月23日(木)

予定通り,朝からインター・シティー・リュンに乗って出発。車内でようやく落ちついいて前後の日程を考えることができました。昨日コペンハーゲンでロイヤルキャストミュージアムに行っておけばよかった,ということも含めて(^^;ゞ。

電車はシェラン島のコペンハーゲンからフュン島を経て,昼前にデンマーク第二の都市オーフス(Århus)に付きました。ここで明日のオーフス発ハンブルク(Humburg)行きのユーロシティを予約し,昼食後に,今回初の市内バス体験をすることに。

雪がチラつくのを車内から見ながらモースゴーに向かい,オーフスでの見学先,モースゴー先史博物館に行きました。ここは北西ヨーロッパによくある沼地の拷問遺体(bog body)の展示を中心とした博物館で,デンマークの先史時代に関する展示は,やや古いものの時代の変遷や石器の使用法などを丁寧に解説しています。ただ,デンマーク語に比べるとここでも英語が少なくて悲しい。

この日はさらにインター・シティ・リュンでオールボーまで北上し,ここで宿泊。市内を歩いてみましたが,地方都市とあってさらに英語が少ないようです。ただ,市民はみんな英語が通じますが。


2006年3月22日(水)

ホテルの朝食では,これでもかといろんなパンが出ていました。菓子パンのことをデニッシュと呼ぶだけのことはあります。

「朝から菓子パンなんて食べてられないよ」と思ったのですが,これが美味い。いろいろな種類を試したので,朝から食べすぎです。名にし負うデニッシュというところでしょうか。

今日はコペンハーゲンの市内観光です。時間が余れば鉄道でスウェーデンのマルメまで行こうかと思ってたんですがそれは中止。

博物館は10時からなので,それまでの時間,中央駅で明日のオーフス(Århus)までの切符を購入したのち,歩いてまずは人魚姫の像まで行きました。アメリエンボー宮殿(Amalienborg Slot)では衛兵がゆったりと行き来していましたが,私が石段に荷物を置いてメモを取ったりしていると,石段に荷物を置くなと衛兵にしかられました。

途中で有名デパートマガシン・ドュ・ノルド(Magasin du Nord)があるので,日用品のコーナーに行くと,いきなりロイヤル・コペンハーゲンが。日用品……なのか?

ようやく国立博物館(Nationalmuseet)に着きました。水曜日なので無料観覧なのですが,なんと先史時代とバイキングの展示は2008年までの予定で改装中(ルーン碑文の展示だけ,通り道なので観覧できた)。そのむかしトムセンが三時代法(利器の材質によって人類が石器時代・青銅器時代・鉄器時代を順に過ごしたとする時代区分法。記録のない時代の編年の枠組みを作った)を展示で表現したというコペンハーゲンの国立博物館。そのままの展示ではないにせよ,一目見たかったのに……ToT。しかしこの博物館はそれだけじゃない。世界の民族資料の展示も充実しています。

それにしてもコペンハーゲンは物価が高い。ちょっと勘弁してほしいぐらいですよ。ユーロ以外の現金をあまり持ちたくないので(しかもカード社会が発達しているので)クローネは最低限にしていたんですが,郵便局に荷物の郵送を頼みに行ったら(初日から本を買いすぎたので),高額の上に現金以外ダメ。あわてて両替に行ったりして,大変でした。

今日の夕食はなぜかイタリアン(釈然としませんが,ほかの店は込んでいたので(^^;ゞ)。デンマーク人は大半が英語できるし親切なのでうれしいなぁ,と思いつつ。にわか勉強したデンマーク語にまったく出番がないことが気になりました。発音がひたすら難しくて,言ってもなかなか通じないし,聞いてもさっぱりわかりません。でも,お礼の「Tak.」ぐらいは簡単だから言えそう。食事を運んできたウェイターに「Tak.」と言ってみたら通じた!……んですが返ってきた答えが「You are welcome.」sそりゃ英語だろ。


2006年3月21日(火)

少年漫画のような劇的な展開となったWBCですが,決勝戦の初回の途中経過をチラッと見ただけで飛行機に搭乗。北欧へと出発しました。東京では桜が咲こうかというのに,旅行の日程をこの時期にしか決めようがなかったので,仕方がありません。なお,試合の結果(日本がキューバに勝利し優勝)は機内放送で流れました。

考えてみると,初めて行く国にまるっきり一人旅というのは初めてです。韓国(1984)やバルト三国(2005)は団体旅行だったし,台湾(2002)は案内人が待っていてくれたし,ニュージーランド(2004)は上司のお供でした。飛行機に乗ってからとんでもないことに気づいてしまった……かなり不安です。

コペンハーゲンの空港から中央駅まで電車に乗りましたが,中央駅に着く直前まで車内放送がなく,静かなものでした。電車が込んでいるとか遅れたとか風が強い打とかでいちいち放送で謝罪すらする日本の鉄道の方が,考えてみると異様ですね。

今夜はデンマークの傳統料理フリッカデーラ(frikadella)をいただいて,とりあえず眠いので休みます。


2006年3月11日(土)

現説編年表展覧会編年表研究会編年表に情報を追加しました。


2006年3月4日(土)

現説編年表展覧会編年表研究会編年表に情報を追加しました。



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