子供がようやく一人で用が足せるようになった頃、恐らくは大抵の子が自慢気に己の「放尿・排便の図」を「見てろ」とせがむのではないかと思う。ゆうたも御多分に漏れず、その時期トイレに行く毎に「ねぇ、ちゃんと見ててよ」とエラそうに要求していた。
「ああ、見ててやるともさ」と眺めていると、いつからなのか、終わるとおもむろにティッシュを引っ張りチンチンを拭いているのでないか。恐らくはちゅまか保母さんが教えたのだろう。もちろん拭いて悪い事はないが、いずれ男子トイレの小便器でするようになると紙など置いてはいないので「振り切る」ことを憶えなければならない。
であればここは父親の出番ということになるのだが、先の話とは逆に今度は「見てろヨ」言わねばならない。
「男はこうやって立ってするんだゾ」としたり顔でデモンストレーションをするものの、どうにも違和感が拭えない。なぜかというと私は自宅では小用は座ってするからで、ゆうたも日ごろから私の後を付回し、トイレも一緒に入っては私の「たった一人であるはずの」姿をじっくり観察して知っているからである。
(あー言っちゃった)ということで閑話休題。
私が座ってするようになったのは結婚してまもなくのこと。私がまだ「恐妻家」になる前の話である。
トイレ掃除をろくにしない私に業を煮やしたちゅまが「汚すのは専らあなたなんだから、少しは掃除してよ」と言うので、私は「掃除するくらいなら俺も座ってする」ということになったのである。
この話はちゅまが一番公表される事を嫌がるネタだったのだが、実は1年半ほど前に我が家の話が某A新聞で取り上げられたことがある。
最初は父親の育児参加に関する企画で、サンプルとなりそうなモデルを探していたA新聞の記者が当サイトを見てわざわざ自宅まで取材にやってきた。
アットホームな話を取り上げたいから、などと格好のいいことを言っていたが、実際に掲載されたのは「絶対に触れてくれるな」と念を押していた仕事に関する部分や、先の私が座ってする話(←これは記者から「どうして恐妻家を自称してるのか」と問われ、一つのエピソードとして話したもの。これもちゅまは「書かないで欲しい」と念を押していた。)、そしてほとんどが「我が家の事情」の「一人の夜は」からのほとんど盗作的引用であった。(おかげで一部当サイトのお客さんの中にも気づかれた方がいられるようだが・・)
しかも仕事の業績に関する数字はケタ違いで誤っており、実名で書かれたばかりにとんだ赤っ恥までかかされるというオマケもついた。
なんともお粗末な結果に、記事を読んだ友人たちからも慰めの言葉を頂戴したほどであった。
思うに、実際話しをしてみると私が記者の想像してたようなモデルではなく、かといって今更ボツに出来るほど時間的余裕もなかったので適当にあつらえた感じになったのだろうと思う。えー・・・、なんの話だったかしらん。
元に戻りそうもないので続編にして一気に戻すことにしよう。
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