4.スタート
7時にJR東海バス名古屋営業所をスタート
向地さんには最後尾からスタートしようと伝える。
最後尾からスタートするのは、はやる気持ちを抑えるのと、何人追い越したかがよくわかるからである。
昨年、飲み仲間のウルトラランナー後藤君から"最後尾からスタートすると良いよ"教わった。

後藤君の昨年のさくら道は、二日酔い状態での参加であった。
初日は吐きながら走ったとのことだが、荘川さくらで美人の奥さんに励まされ、すっかり元気を取り戻した彼は、白川郷の手前で猛スピードで抜いていき、かなり良いタイムでゴールしたみたいだった。
彼はアルコールで動くロボットのような人で、今年のさくら道では一番ビールを飲んだランナーと噂されている。


山田さんと向地さんと、3人でノンビリスタート。
最後尾は走っているのか、歩いているのかぐらいの速度であった。

一緒に走ってくれた山田さんは、向地さんのお友達で、向地さんと一緒に来て、わざわざ宿の手配までしてくれた、やさしいおじさん。

スタートしたら八重樫さんに応援される。
久しぶりに八重樫さんに合えて、笑顔で応援され嬉しい次第である。
八重樫さんは名古屋在住のウルトラランナー
台湾で行われたIAU ASIA 24 HOUR CHAMPIONSHIPで初めてお会いした。
レース中は腰が痛いと言いながら、211キロ走ってしまった凄いランナー。
八重樫さんのように強いランナーになりたいと思っている。



5.名古屋まで
スタート後、少しずつランナーを抜きながら名古屋駅に到着。
向地さんは大会の緊張からか、トイレに行きたいと言い出す。
名古屋城手前のコンビニに立ち寄ることにした。
コンビニのトイレでは、先客(ランナー)が入っており、大分待たされた。
くさい臭いを嗅がされるのは嫌なので、小用だけの私と山田さんが先に入る事にした。
しかし、先客も大きい方だったので、先客の残り香を嗅ぐようになってしまった。
先に入っても意味が無かったのである。

先客がいた分で(先客の所要時間が長かった)大幅に時間を取られ、コンビニを出たときには本当に最後尾となっていた。

名古屋で最後尾になってしまった私たちは、少しずつランナーを抜きながら一宮裁判所を目指すことになる。



左から 向地さん、私、山田さん

6.一宮裁判所まで
スタートから2時間半、お腹がすいてきた。
向地さんが"トイレに行きたい"と言ってきたので、サークルKに寄ることにした。(28日 9時30分)
トイレを済ませ、パンとビールを購入、ビールは向地さんと山田さん3人で、回し飲みをした。
向地さんはレース中にビールを飲むのは初めてと言っていた。
ここで向地さんを悪の道に一歩踏み入れさせる事になる。

サークルKを出発して約10分、向地さんがまたもよおしてきてしまった。(28日 9時40分)
左側にGSを発見したので寄ることにした。
このGSは開店前か休日だったのか、誰も人がいないので、勝手にトイレを拝借した。
トイレを済まし、一宮裁判所を目指した。

10時12分に、一宮裁判所に到着、コンビニに寄っていたので、エードは少しだけ休憩し、すぐに出発。


7.笠松まで
裁判所を出発してまもなく(一宮駅前)、向地さんがまたもよおしてきた。
デパートがあったので、デパートのトイレを借りる事にする。(10時15分〜25分)
昨日山田さんは老眼鏡を無くしてしまったので、ここで購入する。

トイレを済まし、3人で出発。

走り始めて3時間以上過ぎたが、伴走がしっくりこないので
"私が命を預かっているので私のことをもっと信用してくれ"と言う。
これは向地さんへの最初の挑発である。

一宮駅を出発して1時間以上たち木曽川を渡り、笠松に到着。
ローソンを発見、ここで昼飯する。

向地さんのトイレを済ませ、弁当とビールを購入。
ここでも3人でビールを回し飲みする。
今まで抜いてきた多くのランナーにここで抜かれてしまう。

タッチンや春井さん達にも抜かれる。
タッチンと春井さんは私達と同じ伴走チーム
タッチンの伴走をしている春井さんは、私がリタイアした一昨年も、去年も、連続して伴走をしている凄い人。
さくら道では伴走経験が一番多い人で、200キロ以上のウルトラマラソンでの伴走時間を計算したら世界一の人だと思う。
背が高くて、優しい人。


食事をして、出発する。(11時40分〜12時)


8.美濃市役所まで
ローソンを出発して1.5キロぐらいで国道のガード下をくぐる。
そこには今年もエードがあった。
立ち寄り、美味しい果物など頂き、出発。

金園町を右に曲がり、市電と平行しながら関市に向かう。
約1時間走り右側のコンビニに立ち寄る。
一昨年・昨年と、食事をした場所。
ビールとアクエリアス、ソーセージを購入し、休憩する(13時00分〜13時12分)
向地さんは最初ビールを飲む量が少しだったが、この時点から量が増えてくる。
出発前に向地さんがトイレに行きたいとの事で、トイレを済ませ出発。

少し走ったら、私の靴にごみが入ったので、山田さんに伴走をしてもらい、先に行ってもらう。
直ぐに追いつき、伴走を変わる。

この先から上り下りが出始める。
向地さんの呼吸音を聞きながらペースを変えて走る。
息が上がったらペースを下げ、息が上がらないようにする。

向地さんから"遅くしてくれ"と言って来たので、私なりのペース修正を行なった。
この事が後の喧嘩に繋がるのである。
この上り下りで山田さんとの距離が離れてくる。
"山田さん先行ってごめんね、いままで一緒に走ってくれてありがとうございました"

またこの区間で、向地さんが"気持ちが悪く吐きそうだ"と言ってきたが吐かないように我慢してもらい、若干ペースを下げ、そのまま走る。

関のエードに到着。
入り口の車止めに向地さんがつまずいてしまい、転ばせてしまう。
怪我は無いようで良かった。
ここで補給をして、出発する。

関市から左に曲がる。
"ここからがさくら道の面白いところだ"と向地さんに伝える。

ここから美濃市役所まで、以外と遠い。
美濃市役所に15時50分に到着。
ここで中江さんに合う。
中江さん、今年は調子良さそうである。

中江さんは60歳を過ぎても、ウルトラで頑張っているスーパーウーマンである。
2年連続でトランスエゾを完走している。
"今年は時間内完走出来ると良いね、頑張ってね!!"



美濃市役所までの道は歩道がしっかりしているが、かえって走り難かった。
一人で走っていると気付かないが伴走ではよくわかった。
笠松までは向地さんには歩道を走らせ、私が車道を走る場所もかなり有った。

突然歩道に標識がはみ出ているたりする、はみ出ている標識に手をぶつけたり足をぶつけたりして、向地さんも私も細かい傷を負った。(向地さんの方が多かった)


100キロ程度のウルトラの伴走では、追いついたランナーには大声で"伴走が来ます道あけて下さい"と言い退かすが、さくら道では難しい。
また道を譲ってくれないランナーが目に付いた。距離も長いし、抜く方が避けていくのが常識かもしれないが、交通規制も無い、交通量の多い一般道での伴走、前のランナーを避けて行くのは至難の技、道を譲ってもらえないで転びそうになったりつまずいたりもした。
前に人がいると緊張した。


さくら道の場合、話をしながら走るのが普通であるかもしれない。
しかし伴走している人や障害者に話しかけられ、話し込まれると、注意力が散漫になり、転びそうになる(実際に転んだ)、トラブルが発生しやすくなる。
このような行為も注意してもらいたいのである。



また、今思うと、向地さんは怖がりであったのかなという気がする。
私に腕をくっつけてきた。
今までに無い経験だった、腕を付けられると、走りにくいのとお互いの汗が擦れ、長い距離では走れ無いと思い、離れてもらう様に言った。
これは手を繋いで走れば良かったのだなと終わってから気付く。
不安感が、行った行動だったとも思われる。

岐阜市辺りまでは、自然まかせての小用は出来ないが、岐阜市から先は自然に任せての小用が可能になる。
ここから小用はほとんど外で済ました。
二人並んで連れションは爽快感があり楽しい一時である(女性の皆様ごめんなさい)

逆にコンビニが少なくなるので、下痢に悩んだ障害者の伴走する時は、コンビニを見たらこまめに情報を入れ、トイレに行くか判断してもらう必要がある。


9.郡上八幡へ、そしてついに向地さんが切れ喧嘩する
美濃市役所を過ぎ、郡上八幡を目指す。
市役所を出てすぐ、浅井さんの奥さんがエードを行っていた。
一昨年、去年は柴本さんがエードをやっていた、その柴本さんは今年選手で参加しているため期待していなかったが有ったので嬉しかった。
立ち寄り二人でトイレを済ます。

ビールを飲み、出発する。

浅井さんの奥さんは、旦那の大会に何時もついてきて献身的にサポートしている人。
何度もサポートをしてもらった事が有り、優しい奥さんである。
旦那さんは今年トランスアメリカに出場するので、無事に完走出来るように応援したいと思っている。


美並の道の駅を過ぎ、80kmあたりでモミさん達のエードに立ち寄る。
小休止ををして出発。

モミさん達のエードを過ぎ、5キロぐらい過ぎたところ

私から向地さんに
"皆から向地さんの事を我侭だとか色々と話を聞いていたが、聞いた話とは違う様な気がする"と言い出した。
この事が原因か、向地さんが切れてしまい、
"城定さんには優しさが無い""プライドがありすぎるのではないか??""人を見下していないか"とか色々と言って来た。
スタート前から喧嘩を覚悟していたし、喧嘩を吹っかけるようなことも言っていたので、やっと訪れたと思った。
向地さんのようなランナーとは、喧嘩する事で御互い信頼できるようになると思っていたからである。
これは絶好のチャンスと思い、向地さんの主張を聞くようにする。

この喧嘩で初めて、向地さんから琵琶湖1周マラニックでぎっくり腰なったことを聞かされる。
遠慮して私に隠していたのだった。
琵琶湖1周マラニックの時、160キロでぎっくり腰になったがさくら道を完走したいが為、杖を付きながら残り40キロを歩いたとの事である。
健常者ならとっくにリタイアしているのを完走してしまった向地さん、
視覚障害者の精神的な強さを知らない健常者なら確かに我侭に思えるのだろう。

伴走をやると視覚障害者の精神的な強さを教えてもらえる。
ここでも向地さんの精神的な強さを教えてもらう。

この話を聞き、ゴールは確実であることが見えてきた。
また向地さんが私に遠慮していて、しっくりこなかった原因もわかった。

向地さんが切れ、腹の虫が治まらない、ここで最終手段を出す。
"ここで止める?やめたら私は一人でゴールを目指すよ。私は向地さんを時間内完走させたいから引き受けたので止めるのだったら意味無いから"と言い放った。
向地さんも完走が目標であり、二人の気持ちがどうにかここで一つになり始めてきた。
二人でゴールを目指す事にする。

郡上八幡に20時02分到着。

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