第3章 完走して
私が向地さんの伴走を引き受けたのは、さくら道を伴走する事で得る物が大きいのではないかと思ったからです。
月間150キロしか走っていない、51歳の全盲ランナーが余裕でさくら道を完走してしまった事に視覚障害者のパワーを感じるものが有ります。
一人で走ると眠くなったりするが、伴走を通し、命を預る重大さで2日間1回も眠くならなかったことは大収穫でした。

向地さんは琵琶湖1周マラニックで160キロ辺りでぎっくり腰になりさくら道を完走したいが為、頑張った根性も凄いと感じました。

多くのランナーがさくら道に挑み、途中で破れてしまう。

しかし月間150キロしか走らないランナーが時間内完走してしまう事実を知ってもらいたいと思います。
スタート時から下痢、吐き気に悩まされ、途中から食事が取れなくなり、転倒し顔を切り、それでもゴールしてしまった向地さんには、ただ脱帽物であります。

スタート時は"完走出来るかな"と言う気持ち、残り200キロを切った時、"200キロ、24時間走なら24時間で走れる距離だ"と激を飛ばしたら腹を立てた向地さんがゴールに近くなったら"時速5キロで歩いても2時間以上余りが有る""今度は狙うレースと遊ぶレースを分ける"とか余裕の言葉を言うようになりました。
46時間一緒に走る事で、向地さんは何倍にも大きくなり、心に余裕が持てるようになったのではないかなと思うと、非常に嬉しく思えます。

ルネスではリタイアして懇親会に出ず帰った仲間がいました。
一昨年私がリタイアした時、海宝さんに"ゴールを見ていろ"と言われました。
ゴールを見ていると時間外でもゴールする人が眩しく思えました。
次回は絶対に完走する。
時間外でも完走する。
悔しい思いがバネになり完走できのでした。

月間150キロしか走らない視覚障害者が時間内ゴールをしてしまった現状を見て、
リタイアして懇親会に参加せず帰ってしまったしまった仲間達に"来年こそは自分も完走するぞ"と言う気持ちを持ってもらいたいと思うのは私だけだろうか....





後記
向地さんの評判を多くの方から聞かされました。
"我侭だと""好きな事を言ってくる"とか
ゴール後も"伴走大変だったでしょう"言われました。

一緒に走って思えた事は、
"向地さんは皆が思うほど我侭な人ではないの"という事です。
なぜ皆が我侭に思えたか、それは障害者が持っている精神力の強さが健常者には伝わらないからこそ我侭に思えるのではないかと思うのです。
対等に付き合い、喧嘩し、腹のそこから話し合い、信頼しあえたからこそ思うのです。

さくら道をステップにもっともっと強くなると思います。
記録を伸ばし、ネイチャーランにも参加したいと言っていました。
ネイチャーランやスパルタを目指せるランナーになってもらいたいとも思うのです。
視覚障害者のウルトラマラソン第一人者になってもらいたいと思います。

世界レベルの視覚障害者ウルトラランナーになってもらえれば良いなとも思っております。
(視覚障害者、それもB1(全盲)で200キロ以上のウルトラマラソンを時間内完走した唯一のランナーだから、世界に誇れるかもしれませんね)







追記
今回、向地さんと最初から喧嘩する戦略に賛否両論がありました。
最初から喧嘩を考えているのは人間的に問題があるのではないかと思われる方もいらっしゃると思います。
好んで喧嘩をした訳ではありません。
喧嘩は辛いです。恨まれます。憎まれます。
しかし必要な時は行わなければ行けないと思っているのです。

今回の様に短期間(今回前日が初顔合わせ)それも灰汁の強いと言う噂の人と信頼関係を結ぶのに一番早い方法だと思ったからです。
何度も伴走をしており、信頼関係が結ばれている物同士なら喧嘩の必要もないと思います。

しかしさくら道のような長距離、伴走相手とは前日に始めて会う。
悪評があり、灰汁の強い人であるとの評判と
そして走って信頼していないと言うことが感じ取られたからです。

喧嘩する事で本当の向地さんを知ることができました。
互いに信頼関係が結ばれ、この人の為に命を張れると思えたのです。

向地さんは喧嘩した事で私の事を信用してくれ、夜は眠くて横になりたいのを我慢し、一言も我侭を言わず、私に付いて来てくれました。
信頼関係が無ければ、白鳥やひるがので仮眠をし、時間内完走は無理だったと思います。

この戦略は学生時代の山岳部で学びました。(2年制の専門学校だったので、信頼関係を作る方法としての手段でした。4年制だったら違ったかもしれません)
山では自分が死んでも仲間を守ると言う考えが必要です。
遭難した時、ザイルパートナーには死んでもらいたくないのが山男の美学です。
その為の手段として信頼関係を作るためにも、後輩や灰汁の強い仲間とはぶつかり、喧嘩して、信頼関係を築きます。

この戦略を今回取り入れてみたのでした。
向地さんに挑発し、喧嘩した事について、向地さんには悪いことをしたと思っている。
本人を傷つかせなかったか、ウルトラは厳しい、2度とやりたくないと思ってしまわなかったか、城定と言うやつは生意気で、嫌な奴だ、2度と伴走を頼まない、と思わなかったか心配しています。
向地さんに"挑発して悪かったね、ごめんなさいね"と謝りたいなとも思っています。



今回は、障害者とは対等な立場でエントリーしました。
伴走は依頼されましたが、交通費やエントリー代は全て自腹です。
自分で払う事で、"貴方も完走を目指すかもしれないが、俺も完走を目指すよ。"
"お互いに楽しもう"と言う気持ちで走るからです。
交通費やエントリー代を伴走者に任せてしまうと、完走請負人になってしまうと思ったからです。
障害者にも甘えやおごりの気持ちが出ると思ったからです。
長い距離を我慢しながら走る事で、お互いにストレスも溜まったと思います。
対等で無いからだと思うのです。
今回は、お互いが対等であったからこそ、走るパートナーとして、時間内完走を目指すことが出来たのだと思っております。


伴走を行う上で信頼関係を築く方法として、"こんな方法で完走できたんだ"と言う事を知ってもらいたいと思い、
完走記を作成させてもらいました。





最後に
今回、さくら道で学んだ多くの戦法は今後が生かされると思います。
喧嘩しないで伴走する自信もあります。(多少のいざこざはあるかも)
時間内完走を目指し、色々な戦略を考え、行動に移せるさくら道の伴走は、さくら道を10倍100倍も楽しめる
究極のウルトラマラソンではないだろうかと思えます。





来年について
完走記を作成した時、来年も伴走で参加するぞと思っていました。
しかし来年は海宝さんが走るので、"本部経験のSTAFFが足りない"との事を耳にしました。
そこでSTAFFに廻る事にしました。
レース前、"来年はネイチャーに申し込んで、さくら道はSTAFFでも良いかな"と考えていた事も要因の一つであります。
STAFFにまわり、レース中にリタイアを頭に浮かべた仲間たちの尻を、ムチで叩き完走に導きたいと思います。
仕掛け人の”藤枝梅安”から、鬼平犯科帳の"鬼の平蔵"こと、"長谷川平蔵"に化けたいと思います。

"仲間たちよ、来年は覚悟しておけ...."
と一言付け加えたいと思います。

今までとは違う形で参加出きるので、楽しみです。



<お礼>
今回、完走記を作成するにあたり、多くの方のアドバイスを頂きました。
文章の訂正個所を指摘してくれた、"前田君(ちび黒)"、面白く書かせてもらい、快く許可してくれた、そして相談にものってくれた"マッチャン &Wanda"、感想聞かせてくれた"加来さん"、感想聞かせてくれたり、相談にのってくれた"関家君"、真剣に内容を指摘してくれた"福原君"、そして福原君と話をしてくれた"向地さん"、色々な相談にのってくれた"Kadoさん"、"海宝さん"、文章の校正方法など色々と教えてくれた"まばしさん"、校正してくれた”羽倉さん”、他、沢山の方々がお手伝いしてくれたおかげで完走記を作成することが出来ました。

ありがとうございました。


またこの長文を読んで下さいましたみなさま

ありがとうございました。




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2001年 さくら道270kmウルトラマラソンの完走記はこちらをクリック

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多くの方が伴走に興味を示し、理解してもらいたいのと、
さくら道や200キロ以上の大会では完走できず悩んでいる方へのヒントになれば
幸いだと思っております。


http://www.ops.dti.ne.jp/~unyanyan/kaiho/report/2002sakura/sakura.htm

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