「沖縄サミットとは何であったのか−その形骸化と限界を問う」

 

今回のサミットでとりわけ重要であったのは、開催地である沖縄からの平和のメッセージである。現職の米大統領が沖縄を訪れるのは、本土復帰後初めてのことであった。沖縄では、サミット開催前に米兵による少女わいせつ事件が起きて「緊急県民総決起大会」が7月15日に開催されたばかりでなく、サミット開催前日の7月20日に基地の島・沖縄を軍事拠点から平和発信の拠点に変えていくために、米軍嘉手納基地を2万5000人の「人間の鎖」で包囲する基地反対運動が行われた。しかし、こうした県民の願いに反して、普天間基地問題に象徴される「沖縄問題」は、従来路線の確認のみで何ら「前進」することなく基本的に棚上げされた。クリントン大統領の「平和の礎」での演説(21日)は、よく練られた表面上の言葉(沖縄の過重負担への形だけの「配慮」)とは裏腹に、米軍基地の役割の重要性(アジア太平洋地域での「力による平和と安定」への貢献・意義)を再確認して「善き隣人」として米軍が今後も長期にわたって沖縄に駐留する権利を強調するものであった。この点は、22日の森喜朗首相との日米首脳会談でも、基本的に変わらずじまいであった。というのは、日米同盟の重要性が確認されただけで、森首相からは沖縄県民が望む普天間代替基地受け入れの前提条件としての「15年の期限」への言及はほとんどなかった。また、クリントン大統領からは米兵による少女わいせつ事件に対する「謝罪」があったと当初報道されたが、その後米国内では「遺憾」の表明にすぎなかったという違った説明がなされていたことが判明した。そして、サミット期間中に、長崎・広島両市が主催した原爆展や沖縄戦の戦跡を訪れた要人はいなかった。沖縄からの平和のメッセージは、残念ながら世界の首脳には届かなかった。

 

こうした中で、21世紀の展望を切り開くものとして希望を与えてくれたのが、沖縄・日本ばかりでなく世界各地から参集したNGO・市民グループの存在であった。NGO・市民グループによって沖縄サミット開催前から様々な行事・試みが行われたが、特に、女性や子どもの視点から安全保障を問い直そうとした「国際女性サミット」公開シンポジウム(6月25日)や「国家の安全保障」ではなく「民衆の視点」から安全保障のあり方を考える取り組みを提起した「民衆の安全保障・沖縄国際フォーラム」や米軍基地による環境被害を解決するための厳格な環境基準の設定と「米軍が駐留する国の権利」の国際規約化ばかりでなく普天間移設中止をも求めた「国際環境NGOフォーラム」(7月13日から17日)、過去の援助による重い債務に苦しんでいるアフリカなどの国々の債務帳消しを求めるキャンペーン「ジュビリー2000」による沖縄国際会議(7月19日から21日)などは、「もう一つの世界(人類)サミット」として位置づけられるものであった。(これらとの関連で、私も参加し6月17/18日に沖縄国際大学で開催された日本平和学会九州・沖縄地区平和研究集会で出された大会宣言「基地なき民衆の安全保障を求めて」が注目される)。

 

今回の沖縄サミットの主要な議題は、「繁栄」(経済問題)、「安定」(政治問題)に新たに「安寧」(社会問題)が加えられて3本柱となり、それぞれIT(情報技術)革命や重債務貧困国の救済、感染症の撲滅や遺伝子組み替え、紛争予防や北朝鮮・NMD問題などが中心に取り上げられた。しかし、サミットは結局、事前に官僚が用意した宣言案をとりまとめるだけの単なる政治ショ−・イベントに終わり、こうした世界的な課題についていずれも決定的な対策を打ち出すことができなかった。今回の会議で目立ったのは、サミットに参加する直前に北朝鮮・中国両国を訪問してアジア太平洋でのロシアの存在感を高めたプーチン大統領とそれとは対照的に、サミットの議長役をただ無難にこなすことをだけを考え一度として自分の言葉で語りかけることのなかった日本の森首相の影の薄さであった。サミットの形骸化は、オルブライト国務長官が中東和平交渉を優先させて宮崎での外相会談を直前にキャンセルしたばかりでなく、クリントン大統領までが(日米首脳会談を一方的に延期した上で)ぎりぎりに来日しスケジュールをあわただしくこなしただけで早々に離日したことにも端的にあらわれていた。

 

今回のサミット全体を通じて言えることは、先進国(大国)と政府(国家)の限界が露呈し、それと反対に開発途上国(小国)とNGO(非政府組織=市民)の存在感が結果的にクローズアップしたことである。このことは、G8・先進国首脳会議がすでにこうした世界的課題を検討する場としては機能しておらず、21世紀の新しい国際秩序の構築を担うものではないことを示している。20世紀最後のサミットが私たちに残した課題は、米国主導のグローバリゼーションの持つ弱者切り捨て・環境破壊などの負の側面とNATOによるユーゴ空爆で示された軍事的一極支配を克服して21世紀のあるべき世界秩序を形成・確立しなければならないということである。そのためには、先進工業国と発展途上国、政府代表と市民(NGO)代表が平等な立場で参加する新しい形の南北サミットや政府・NGOサミットが必要であることは明らかであり、日本にはその実現に向けての外交努力・イニシアティブこそが強く求められているといえよう。

 

                        インデックス(平和コラム・バックナンバー)へ木村朗国際関係論研究室平和問題ゼミナール