2.戦国時代の経済
戦国時代は、銭を必要としました。すなわち、武器を購入するには銭がないとそれもできないからです。兵糧も足りなければ買わなければなりませんでした。 そこで大名はまず銭を税として納めさせようとしました。いわゆる「貫高制」です。このため、農民は農作物等を売る必要が生じました。 しかしこれは苛酷です。銭がない状態ですから、相対的に物価が低いわけです(デフレです)。
また、デフレ状態では、貨幣の価値が高いわけですから、結局は貨幣を領内に集めた者の勝ちです。そしてそれは、大名自身が関銭などの税金として集める必要がなくて(逆にそんなことしたら嫌われて商人がどっかいってしまいます)、領内に潤沢な貨幣と確立された流通圏があれば、それはいずれ領主のもとに集まってくるわけです。 よって、銭が流入してくるようなしくみ、または有力貴金属を持った者が勝者となりうるのです。 戦国時代に急に経済が発展したように見えるのはそういうことです。 残念ながら織田信長は軍事的には支配者ではありましたが、経済的には既存の畿内流通圏の上に立つもので、そういう背景のもと、単に一大経済圏を掌握したにすぎませんでした。しかし、経済を理解し、いち早く関所を撤廃し、商品流通を促進したのはやはり(当時としては)天才的といえましょう。 ちなみに有名な「楽市楽座」も実は一部のみで、実際には既存の座を保護する方向で収入を得ていました。つまり自分に敵対する座(特に敵対寺社関係)は容赦なく潰しましたが、そうでないものは利用するということです。 しかし、これも実際には家臣がそれぞれ居城を持ち、また大名自身が貨幣が発行できず、さらには家臣の大半が生産者であるという織田家以外のほとんどの大名については、室町時代の流通体制の域を越えないといえます。また織田家についても支配地が増えれば増えるほど室町時代的経済がみられます。 そういった意味では、織田信長という人物の急逝は残念な反面、後継者秀吉の登場により経済的には改革が早く進められたともいえます。個人的には信長はどうするつもりだったのか非常に気になります。 楽市楽座も完全なる流通の自由化まではいっていないですが、「流通」を優先に大名はおそらく織田信長ただ一人ではないでしょうか。 |
<コラム:座とは> 座というのは、今で言えば公認カルテルのようなものです。「寡占」の特権を認める代わりに政府に上納金を納める、ということです。 価格のつり上げ等が見られるので、よほど政府がしっかり監視しないと一般に消費者にとっては不利な結果をもたらします。 |
おもしろ狂歌・落首その2 「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」 定説では、頭でっかちで、冷血な官僚と扱われがちな石田三成。 小説や時代劇などでは「絵になる」の観点で武闘派ばかりもてはやされますが、「兵站」こそが戦争で最も重要なことなのです。 |
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