1.教育の問題
 日本の教育は危機に瀕していると言えます。なぜか。
 それは、高校受験や大学受験が、実際の生活にはほとんど役に立たない、と言われているからです。
 しかしそれは本当なのでしょうか。「学校」の教育は本当に無駄なのでしょうか。

 一方で、塾優先主義で、昼は学校、夜は塾。子供は疲れきっており、また、「受験戦争」などともいわれます。これは本当なのでしょうか。

 また、学級崩壊とともいわれ、教師の能力が疑問視されています。これでは日本の将来はどうなるのでしょうか。この点について、述べたいと思います。

 なお、ここでは、複雑な事情で勉強や技術を磨きたくてもできない方は除かせて下さい。そういった方はもっと問題が複雑で、私が勉強不足で、偉そうなことはとても言えないからです(すみません)

2.本当に学校の勉強は何も役に立たないか

 個人的には、今後の状況を考えた場合、2つくらいの専門的技能または知識が必要だと思います。

 それを前提として、まず小中学校のあり方です。

 まず問題は、子供にとって、「好きなこと」はわかっても「得意なこと」について、なかなか理解できないものです(もちろん「好きこそものの上手なれ」ですが)。逆に、秘められていたものもあるかもしれません。
 そういった意味で、小中学校で、全分野の科目を勉強することは決して損ではありません。むしろ、いろいろなことを勉強するべきです。

 ここで、塾に行くほど苦労して、外で遊ぶ時間もないじゃないか、というおきまりの批判が出てきますが、実際、私の塾講師の経験だと塾はそれなりの社交場と化していますし、仮に塾行かなかったら部屋でゲームをやっているばかりではないでしょうか?塾に行かないスポーツに才能のある子はそういったグループと今も昔と変わらぬ練習をやっています。
 実際は「塾が子供たちのゆとりを奪っている」というステレオタイプの批判とは逆に、塾やスポーツクラブなどに行かない閉じこもった子供が問題を起こしているのが現実です。
 ただ、中学校できちんといろいろなことを教えているか、むしろそちらの方が問題です。これは教師の側の問題がありますので後述します。

 さらに、問題は小学校はいざ知らず、中学校で自分が将来何をやりたいか考え、そして何に特性があるのかチャレンジする機会が少ないことです。

 そういった意味では、特に現在の高校は、例えば高専や一部の私立学校でない限り、オールラウンドかつ細かい内容の勉強にとどまり、正直今後は厳しいのかな、という気がします。
 個人的には、高校においてはある程度選択制にして特性のないものの勉強の負担を減らし特性のあるものの能力を伸ばす方向にカリキュラムを変更しても良いのではないかと思います。

 かくいう私も理科(特に物理)が全然わからず、落第の危機に陥ったこともあります。
他方理数系が得意な人は古典や歴史で同様の目に遭っていたようです。

 今後、いよいよ世界が複雑化していくと、全てを把握するのは不可能ですし、将来を考えると、一般常識は中学までとし、高校においてはそれなりに科目を選択制にする必要があるのではないかと思います。

 では中学校も、という意見もありますが、やはり常識がない場合、結局社会に出てから苦労するだけであり、現行の中学程度はかじっておいて損はないはずです。意外なところで役立つ場合もありますから

 ちなみに高校受験に際し、ついていくのが難しいという方は、さまざまな学問を必要としないもの、すなわち特定の学問を生かす方面または肉体的な特長を生かす方面へ進むべきです。そうでないと、いざ社会に出てその人自身が困ることになるからです。

 学問ができないからといっても他の一芸に優れ、かつ人間的に立派な方であれば、それは勉強しかできない人より遙かに上ですから(ちなみにスポーツに優れた者には推薦もありますね)。
 仮にそういう意志が無くて、力をしないでいるのならば、当然それなりの結果が待っています。
 将来を夢見て一生懸命勉強したり肉体を磨いてきた人と、毎日町で楽しく遊んでいた人と差が出るのは当然です

 大学はさらに問題あります。まじめに勉強しようとする場合、ちょうど高校の部活をイメージするとわかりやすいかもしれませんが、通常の大学の講義だけでは不可能なのです。これなら、大学の講義って一体なんだ、ということになります。これが「単に大学に入って遊ぶ事が目的」という学生の気質を助長することになるのです。

 しかし私自身勉強サークルで研究はしましたが、他方それなりに遊んで、いろいろな経験をさせてもらい、人間的な勉強もさせてもらったつもりです。ですから大学での勉強以外の活動を全て否定するのは誤りでしょう。

 ただ、このことはきちんと表明すべきではないでしょうか。「大学で本当に遊んでばかりいた者は社会に出て、あるいは社会に出るときに苦労する」ということを。
 よく就職氷河期といいますが、目的意識を持って大学時代を過ごした人はきちんと就職しています(男女の差はありますが・・その点は少しずれますのでここでは省かせていただきます、すみません)。ですから、大学時代遊んでばかりいた人が就職できないという至極当然の状況であるにすぎません。
 
 このように、自分の進む道を見つけるためには学校の勉強が全く役に立たないと言うことはないと思います。また、見つけたあとはその道に必要であれば行くものであり、あるいは迷っているうちはその道のためのそれを探すためのツールであるといえましょう。

 そういった目でマスコミの教育関係の記事を見ているといかに本質を外しているかがわかると思います。 

                                                                                                                次のページへ→

←メニューに戻ります?
←外のコンテンツを見ます?