4.補助金はどこまで必要か

 私は補助金そのものは国策上やはり必要だと思います。
 しかし、確かに今のやりかたは時代遅れになっているのではないかと思います。

 それは、社会の成熟に従い、基本的には国家全体のインフラ整備が一段落する状況(ハードからソフトへ:箱ものからサービスへ)になったからであり、だからこその地方分権推進なのでしょう。

 国土全体の開発が一段落した以上、身近なインフラ整備や社会保障にシフトするのが当然だと思います。

 ですから、一部の大プロジェクトや大きな意味の社会保障、科学技術振興などについてはやはり国の責務として補助金で行うべきかと思いますが、身近なインフラ整備や社会保障といった部分はもはや国が査定するものではないのではないかと思います。

 そういった意味で三位一体改革というのは必要であり、特にソフト面については「身近」な地方自治体、具体的には市町村へ財源を委譲すべきだと思います。
 例えば小学校は県立でしょうか。立派なバイパスを造るより、安全な歩道などを市民は望んでいるのではないでしょうか。

 そして見逃せないのは、市町村からは法律によって定められる義務的経費については現行通り国がきちんと費用を確保せよという声も出ていることです。

 仮に補助金削減が義務的経費まで及ぶとそれが市町村への負担になります。これでは「改革」ではなく「改悪」です。

 しかも、改革派知事が言っているような、単に国から県へ財源委譲されるだけでは結局今とあまり変わらない上、「都道府県の自由度」という名目でタガがはずれれば市町村が必要な経費すら確保できない可能性もあります。

 これらを考えると、市町村としては「どこに行くか分からない財源委譲」より「市町村にとっての必要額の確保」が望まれるわけです。

 いずれにせよ道路と社会保障を一緒に議論すること自体無理があると思います。道路と違い、日本国全体で一定の水準を維持すべきものは、地元の自由を認める事はあり得るべきではありますが、やはり最低限の水準を確保することが必要だからです。

 「補助金」についての、単に縮減・廃止、あるいは必要な財源確保、税源委譲などの議論はもういいのではないでしょうか。むしろ国がきちんと確保し、交付すべきものは何か、どれを地方にまかせるべきか、そしてその業務は県が担当するのか、市町村が担当するのか。

 これらを現実を踏まえ、個別に具体的に整理すべきだと思います。

 よく言われる「箸の上げ下げ」「手続きが煩雑」などの問題は運用を改善することで解決可能です。

 ツールとしての補助金をすべて悪者として、全廃するのが本当によいのか、税や交付税の問題と併せてよく考える必要があると思います。
 

5.税そのものについてきちんと検討を

 いわゆる「財源委譲」の問題で、私は重要な点が十分議論されていないと思います。
 それは税というものは基本的に納税者が存在してはじめて成り立つという基本的な点です。

 税というものは納税者がいて始めて成り立つということは、税によっては地域差が激しくなるということであり、国がとりまとめて再配分する現行システムよりさらに格差が出るということになります。
 つまり「補助金相当額の税源委譲」など本当にできるのか、と私は思います。口で言うのは簡単ですが、その具体性についてきちんと考えているのか大いに疑問を感じます。

 例えば、酒税などは鳥取県などほとんどありません。一方で工場立地の都道府県はそれなりの額になります。ですから酒税を「税源」として委譲すると鳥取はゼロに近くなります。

 それは極端な例であるにしても、都市部と非都市部で人口の格差が大きいというのはみなさんご承知の通りです。

 委譲税源としてよく挙げられる地方消費税などにしても、「そこで消費している」から税として徴収できるわけです。
 「地方消費税」は納める人が全国にいるから「比較的」偏在性がない、といいますが、でもその「消費する人」の人数が根本的に不足していたら・・。

 例えば、鳥取県62万人、島根県76万人、高知県82万人に対し、東京都1200万人、大阪府860万人、神奈川県850万人・・大丈夫なのでしょうか?

 このような税の偏在性について十分な議論がないにも関わらず、「同額の」税源委譲という議論は結果として都市と非都市部での収入格差を拡大することとなり、今まで以上に交付税に頼ることになるのではないでしょうか。

 しかし、「分権」を主張しながら交付税頼みというのはおかしな事です。真に分権を目指すなら税の偏在性をどのように解決するのか。これは避けて通れない問題だと思います。それぞれの税を十分に比較検討するべきではないでしょうか。

 全国市長会では当面国税と地方税の比率を1:1とするなどの強い要請を出しておりますが、どの地方税を移管するかによってはこの偏在性の問題が大きくなり、「国:地方総合計=1:1」になったとしても非都市部は今まで以上に苦しむことになり、これまで以上に交付税に依存せざるを得なくなるのではないでしょうか。

 それで「分権」なのでしょうか。
 

6.補助金よりも交付税をしっかりと見直すべき

 今回の三位一体改革で色々声が挙がってますが、よく見ると補助金ばかりが悪者で、交付税についてはさほど指摘を受けていません。

 補助金との関係で言いますと、いわゆる「奨励的補助金」が無くなった場合非都市部は税以外の収入の手段は交付税ということになります。

 税収増の自信があるなら別ですが、一般論としては人口減に悩む非都市部は良くて現状維持、おそらくは税収先細りとなり、税源委譲時の収入より減少していくと考えられるからです。

 その結果として、交付税依存が高まると考えられます。

 これが分かっているからこそほとんどの知事は地方交付税の改革についてはあまり声を出さないのです。

 例えば長野県が提唱している改革案についても地方交付税の見直しについては、「財政調整機能、財源補償機能は維持するとともに・・格差を適切に調整します」としか言及していません。

 地方公共団体としては国策に協力させられ、査定などがある補助金より自由に(好きに)使える交付税が増え、これに頼る方が望ましいのです。

 しかし、これは地方自治体のモラルハザードの問題を解決しない限り、よりいっそう浪費し、後世に負担を残すこととなると断言できます。

 この「モラルハザード」について、例を挙げてご紹介します。

 例えば・・道路を造ります。道路は補助金ですから、半分(程度)は地方が負担します(裏負担)。
 しかし、お金がないので、裏負担を地方債などで負担します。

 そうなるとどうなるか・・なんとその地方債の多くは交付税で肩代わりすることとなり、結局国民全体の借金となっているのです。

 というのも、交付税の算定に当たって「基準財政需要額」というのを出しますが、その中に「○○債償還費」というのがいくつもあるのです(詳しくお知りになりたい方は地方交付税法第12条をご覧下さい)

 交付税はこれらを含んだ基準財政需要額と基準財政収入額(標準的な税収入等)の差額で交付基準額(財源不足額)を算定します。

 ですから、地方債償還費を「財政需要額」にカウントすることで交付税に負担させることにより実質的な地方公共団体の負担額が少なくなっているのです。
 だから多少無駄でも、「あった方が良ければ」金を使うのです。

 ここで思い起こしていただきたいのは、「補助金が県の財源になれば無駄な道路は造りません」という主張です。
 しかし、そうはならないことがおわかりいただけると思います。
 あった方が良い程度のものでも、その財源として地方債をばんばん発行して交付税に肩代わりしてもらえばいいのですから。

 現在のような交付税のシステム、具体的には財政難の自治体ほど手厚いというシステムが変わらないと無駄遣いを減らすこと困難だと思います。

 以前、こういう話を本で読んだことがあります。ある地方交付税不交付団体(T市)の財政当局担当者が各課に倹約を要請し、厳しい査定をしていた。しかし交付団体になったとたん、数十億の追加予算が降ってきて一気に財政当局の節約論が悪者になった(「倹約して無理する必要ないじゃない」)というモラルハザードの例です。

 「節約しても損」という補助金に対する指摘は交付税に対しても同じことがいえるのです。

 誤解を恐れずに言えば、東京のような「良いところ」を目指して、本来無くても良いはずの「あればよい」程度の事業を「地方と都市の均衡」の名の下実施しているせいで財政が窮乏している側面もあるのです。

 確かに過疎地域はそのような議論では成り立たない地域もあって、難しいですが、これはむしろ特別法などで措置すべき事で、地方交付税や補助金など全国一律の考え方で行うものとは異質の考え方だと思います。

 この地方債を交付税にツケ回しするモラルハザードの問題、真剣に検討すべきことだと思いますがなぜ地方交付税法の見直しの声が上がらないのか不思議です(具体的には「基準財政需要」の「需要」は本当に「需要」か)。

 これは、交付税体系維持は結局それを所管する総務省(旧自治省)の影響力が大きいのでは、という疑いを抱きます。
 地方税においても総務省は法改正の権限を握っていますから、補助金が無くなれば総務省の権力は相対的にも一層高まるでしょう。

 事実、総務省の片山大臣は補助金削減ばかりやり玉に挙げていて、肝心の交付税についてはきちんと整理していません
 役人の世界でよくあるパターンは現職や若手が「志」を持っていても○○によって圧力を受けることです。

 このあたり、地方分権委の委員になっている石川県知事が自治省出身東芝不買まで大騒ぎしていた片山知事も自治省出身、片山総務大臣も自治省出身、県の幹部に自治省キャリア多数出向という現実を念頭に発言を見なけれなばらないと思います(ちなみに全国の知事のうち3割が自治省出身)。

 いうまでもないですが、様々な権限を持っておりかつ出身母体であれば、相手が不利になるような喧嘩をふっかけるというような人はまずいないと思います。むしろ自分の現組織だけうまくいくよう考えるでしょう。

 こういった可能性はあまり報じられていない点であり、「改革派」であろうとなんだろうとよくその発言の裏を見る必要があると思います。
 

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