4)独裁政権を狙う?

<民主党案>
1)首相のリーダーシップを確立するために、「内閣強化法」制定。党の幹事長を内閣府無任所国務相、政調会長を官房長官に指名し、官邸と与党を一体化主要閣僚は官邸に常駐させ、官邸に結集した「政権チーム(=閣僚からなる政治チームとしての内閣)」が基本政策の企画立案を行う。霞ヶ関は細部の設計と、行政の執行に特化する。

2)政治家や民間人を各省庁の局長(約130名)に登用する「政治任用」の導入を目指す。
 政権獲得後、事務次官や主要局長を務める官僚には、いったん辞表を提出させ、新政権の基本政策や運営方針に賛同する官僚だけを再任する。 
 

 民主党はもともと「自民党一党独裁」批判(真に「独裁」といえるかは別として)を掲げ、国民の声を聞く内閣を志しているはずです。

 しかし、これを読む限りでは、実は民主党こそ独裁政権を目指しているように思えます。

 具体的には「内閣強化法」や「新政権の基本政策や運営方針に賛同する官僚だけを再任」という部分であり、これは非常に大きな問題をはらんでいます。

 民主党が政権を取るということはおそらく立法府において法律の可決に必要な数字を確保しているということでしょう。
 他方、行政府において国会議員たる総理が自らの力を強化し、自らの意にかなう高級官僚を役所の人事を無視して「自由に」任命できるということは、総理は、立法府と行政府双方に絶大な権力を得るということになります。

 これは「国民の信託」の名の下に、民主党の大臣や副大臣等政策担当者はすべて「癒着などは起こさないかつ政策の上で誤りを犯さない」というのを大前提としているわけです。しかし、これは立法・行政の支配可能な真の独裁への道を開くものであると言えます。

 不良官僚を更迭する権限は絶対に必要だと思います。しかし、最初に辞表を出させて踏み絵(?)を踏ませるというのは三権分立を侵すものといえます。

 さらに、組織論で考えてみますと、組織ですから上司の言うことに最後は従うにしてもその過程で反対意見も含む議論は当然あっても良いはずです。
 例えば、実現に向けた手法は全く語らずに理想のみを語る政治家に対し、「これは諫言せざるを得ない」という局長もいると思います。
 健全な議論があって初めて健全な組織になると思います。

 しかし、周囲にイエスマンしかいない場合は、暴走の危険性がでてくるわけです。
 「民主党の政策に賛成する者のみ登用する」とあるのはまさにそういうことです。それは逆に言うと、どこぞの特殊法人のように側近が茶坊主集団化し、総裁及びその側近が抵抗し組織が大混乱に陥る可能性があるわけです。
※ちなみにどこぞの特殊法人と違い、この場合責任は民主党に行くのでさらに「茶坊主役人天国」になると推測できます。

 「諫言する局長」には、その諫言がおかしければそれについて公表し、政策実現の障害になるようであれば正々堂々左遷すれば(あるいは首を飛ばせば)いい話で、最初からそういう気骨ある人材を排除した場合どうなるかは歴史が明らかにしていると思います。

 ここで、外務省などの例から「役人が居直るから後で左遷するなど理想論だ」というご意見もあるかと思います。

 しかし、明記されているように「最初に辞表の提出を求め」ることができるくらい力があるなら同じ事です。
 ここでいう「政治主導」は、反対する官僚が局長だとしても、大臣の力で押し切ることを前提に書かれているので、このご意見は、現実はともかく、民主党案の中では最初から否定されているということになります。

 だからこそ、「それだけの力がある」というのであれば、まずは話を聞いてみて(やらせてみて)「サボタージュしている」と判断した時点で首を飛ばすことはできるはずです。

 個人的には、よほど気骨のある人材以外は、「従います」と表面上言って、実際はサボタージュするというのが現実的に一番可能性があると思います。
 本気で改革を考えるのであれば、むしろこのサボタージュに対しどのように左遷させるか、を考えるべきだと思います。
 そのためには小手先の政治任用などではなく、「癒着構造」を改めることを優先すべきだと思います。

 ここで、「なにいってるんだ、官僚は族議員と結託して「政官業の癒着」をしているではないか」という批判が出てくると思います。

 しかし、癒着が生じる根本は「権力者が明確に分かり、一定期間変わらない」ことです。
 はっきり言えば「癒着する先(コネを作る先)が容易に分かる」のはキャリア制度及び局・省採用制度です。
 しかし、民主党案はこれを引き続き維持するわけですから、癒着の根本的解決にはならないでしょう。
 さらに将来民主党が選挙で敗北し、自民党政権に戻ったときに、この政治任用のせいでより強い形での癒着の危険性すら高まるわけです。

 ですから、キャリア制度の改革なくして政治任用をやるということは、むしろ危険な方向に進む可能性があるというわけです。

 ちなみに理路整然として、各省とのもめ事についても副大臣と協力して率先して掛け合ってくれ、またその政策への「反対勢力」(市民団体等も含む)の矢面になってきちんと説明してくれる大臣等なら、いかなる政策でも各省は大歓迎のように思えます。

 つまり、最初に辞表を出させる等のここでいう政治任用は不要ですし、逆に将来悪用される危険性もあるため、導入する意味がほとんどないと思います。
 
5)人材登用−コネ採用?

<民主党案>
3)官僚機構の年功序列を見直し、改革派官僚を年齢性別に関わらず登用。また公募により意欲・能力・実績を有する職員を登用。一般公務員の天下りは禁止するが、民間人の政治任用をしやすくするため、任用した局長級以上については再就職を認めるなど、公務員制度改革。 
 

 この公約の最大の問題は「改革派」を民主党が知っているかということです。また、「官僚」ということはキャリアを対象とするのでしょうが、それでも全省庁を合わせると、それなりの人数になります。

 副大臣や政務官などが就任してから一人一人面接するという方法もありますが、そういうのは事実上(時間的に)不可能でしょう。

 特に、「改革派」の話で言えば、現場や現実を無視して、耳障りの良い空理空論を言う(だけの)「改革派」がマスコミに出ていたり、もてはやされていました(もてはやされています(?))。
 そういう人たちが「登用」されたらどうなるでしょうか。

 おそらくはできもしないことを安請け合いして部下に押しつけ、しかもこういう人に限って、ややこしいこと(要するにそれに反対すると思われる人たちの説得・調整など)を軽く見る(自分でやらない)のです。

 役人の本領は、派手なパフォーマンスや「新政策のぶちあげ」ではなく実務をきちんとこなすところなのですが。

 真の改革派とは、マスコミの前にはほとんど出ずに、本など書く暇もなく、まじめに朝から晩まで業務に取り組んでいる多くの人を指すものだと私は思います。

 はっきりいえば、マスコミに重宝された「お役所の掟」や「さらば外務省」なの著者などは、典型的なダメキャリアであり、改革派でも何でもありません。「彼らが残っていれば」などの評価が一部で出ていることが、やはり「改革派」のイメージがマスコミと実際の実務では大きく異なる証といえます。
 そのあたりの「実務能力の見分け」を民主党がどのようにやるのか、全く不明確です。

 さらにその方法に問題があります。「公募」といいますが、公募に手を挙げた人が真に能力があるかどうか分かりませんし、激務や危険な業界調整を必要とする部署には果たして応募者がいるかどうか

 そうすると、結局各省庁秘書課の推薦になるか、あるいは民主党の「つて」を頼りにすることになってしまうと思います(例えば厚生省なら菅代表が大臣時代の記憶を、通産省は岡田幹事長のつてとか)。
 これでは、ほとんど今と変わらないか、数年前の記憶や個人の交友にしか頼っていないという民主党長妻氏が批判する「コネ採用」になってしまいます。
 

 なにより、この「登用」の場合の根本問題は、「公務員社会には人事評価制度の明確な基準がない」「人事管理機能が大きく欠けている」ということを理解できていない点です。

 例えば、キャリアでも、キャリア事務官グループとキャリア技官グループは歴然とコースが別れています。またノンキャリアも2種事務官と2種技官、そして3種に別れ、それぞれコースが別れています。
 旧建設省などは技官の中でも道路局と河川局の技官グループはそれぞれ独自のコースということになります。旧厚生省の医官グループも同じです。
 ましてやこれらが合併した省庁は例えば国土交通省はこれらが更に、旧建設、旧運輸、旧国土、旧北海道にわかれており、省全体として「統一された」人事評価などは最高幹部以外は行われていません。

 このような状況下での統一的な人事評価というのは非常に難しいと思います。
 評価が難しい以上、能力主義の人事も現実的には非常に難しいわけです。

 このように、年功序列の打破や「登用」をやるなら、最低限人事機能の大幅強化(又は民主党政権がキャリアだけでもきちんと人を見る)が必要だと思います。

 そういうことを無視して単に「改革派登用」などと言っても抜本的改革にはならず、単なるパフォーマンスに終わる上に、先ほどのような「改革派」により政策が全く立ちゆかなくなるという危険も孕んでいるのです。

 改革派登用のためにはそれ以前に、何をもって改革派というのか、また意欲や能力とはどういったものを指すのか基準を明確にすべきでしょう。
 例えば、法律の専門家が欲しければ「○本以上の法改正事務経験者」や、ある政策の専門家が欲しければ「○法に明るい人材について各省から推薦」などはできるでしょうが、「改革派」というのは定義がなかなか難しいと思います。

 そのあたり、民主党がどのように判断するのか。今回の主張を見る限り、言葉が上滑りしているように思えます。
 もう少し、具体的な「欲しい人材」を明確にすべきだと思います。(民主党案では30日しかないのですから

 また、民間の登用も考えているようですが、まずは幹部候補生のキャリアから登用すべきです。もし多くが民間であるなら、キャリア制度の存在意義が問われるからです。
 キャリア制度を潰すことを考えているなら話は別ですが・・。
 

6)各省調整を政治家がやる?

<民主党案>
4)閣議にかかる法案などを事前に審査しているとされる現在の事務次官会議は廃止し、省庁間の調整は政治家による副大臣会議に委ねる。
 

 まず、最初に疑問なのは、菅代表は厚生大臣を務めたので「事務次官等会議」の内容は知っているはずなのですが、よく分からないことを書いていることです。

 それは事務次官等会議について、「閣議にかかる法案などを事前に審査しているとされる」のくだりです。

 はっきり言って、事務次官等会議に上がった時点で調整している法案はまずないと思います(内閣法制局による職権修正はあり)。
 
 「公務員はこんなもん」の法律のところにも書きましたが、法律は法律案が閣議にかかる2週間前に設定される「各省協議」で原則として決着をつけるのが霞ヶ関の基本的ルールだからです。
 各省庁で調整が付かなかったらどうなるか?それは閣議提出日時を延期することで対応します。

 ですから、「事務次官等会議」は事務方の最終「確認」の場であり、(はっきり言ってしまえば)「法案の事前審査」などたいそうなものでもないわけです。
 

 また、新たなやり方として提案している、「省庁間の調整は副大臣会議で調整」というのも実にいい加減だと思います。

 というのも、法律案は内閣総理大臣あてに担当省の大臣が決済後の案を提出するわけです。ということは各省で若干でも関係ある場合は、内容がしかるべきところに上がって了承されていますし、相当関係ある場合は「共同請議」となり大臣まで決済が上がるからです。

 つまり、事務次官等会議前に必要な省庁の必要な政治家(大臣、副大臣、政務官)は決済をしているのです。言い換えれば調整は済んで、各省庁とも納得しているのです。それでないと、閣議請議はできません。

 副大臣どころか、大臣まで調整が済んでいるのをなぜ副大臣会議で改めて調整しなければならないのでしょう?

 これは、不当に事務次官等会議のイメージを悪くすることで、「官僚支配」という幻想をマスコミを通じて国民に植え付けようといえます。
 政権取ったことないならともかく、大臣経験者が党首で、幹事長が元キャリア官僚なのですから、まさに確信犯だといえます。
※岡田幹事長がキャリアにも関わらずそういった業務に関わっていないなら別ですが(毒)。

 国民に間違ったことを言ってまで役人を悪者にし、自らを正義の味方にしたいのかなぁ、と思います。
 国民に対する確信犯の嘘というのは政治家として許されない行為ではないでしょうか。

 ちなみに、各省協議を取りやめて副大臣が相手の官庁への質問状を手に法律の詰めを副大臣同士で直接交渉してくれるということなら、こんな楽なことはないのですが?もちろん大賛成です
(そのためには副大臣及びそのスタッフは法案の案文の逐条についての理解が必要であるため、かなり負担がかかると思います)

 霞が関のルールを潰す、というのは構いません。しかし、でしたら「新しいルール」をきちっと民主党で作ってもらえないと、事務が停滞するばかりです。

 

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