考古学のおやつ

出口を模索する九州考古学会

万維網考古夜話 第4話 15/Dec/1998

わからないもので、見切り発車したこのコーナーができて以来、閲覧者がすこし増えました。最近は、考古学者で「考古学のおやつ、見てます」とcoming out(笑)される方もいらっしゃいます。嬉しい限りです。

感想もいくつかお聞きします。「なんちゅ〜ふざけたネーミングや」とか(^^;。その中で、「もっとも辛口な考古学サイト」という声もありました。自覚はないんですが(その方が危険ですね)。

前々話にも述べましたが、このサイトは、私の立場も手伝って、情報の発信よりも消費に重点がありますので、その中で好き勝手なコメントを述べています。私は現状の考古学業界を、実態に反して貶めたり、あるいは美化したりする気はなくて、できるだけ、私が思ったとおりの現状を書いているつもりです(認識の偏りはあるでしょうが)。その一方で、考古学業界はこうなって欲しいとか、あるいは、自分はこうしたいといった理想も、照れ隠ししながら忍ばせてます。その結果が「辛口」になって顕れているのかも知れませんね。

さて、今回は「型式学」というとっても固い話題を用意していたのですが、いずれ書こうと思っていた内容に関連した話題が別に見つかりましたので、そちらをお送りします。ただし、やっぱり固い話題です。

なお、今回は一般向けというよりも業界内向けの話が中心となります。一般の方にとっては(また、業界の方にとっても)「何言ってんだ?」という部分はあるかもしれませんが、“万人に媚びる”ような物言いは私の性に合いませんので、思ったままを書いていくことにします。
そう、今回はしっかり自覚するほど辛口です。

12月13日の九州考古学会の総会で、会則の改正が議決されました。学会内に、埋蔵文化財保護対策委員会を設置することになったのです。最近、九州考古学会はにわかに能動的になり、いくつかの遺跡について保存要望書を出していますが、今回、学会の運営委員とは別の委員を設置して対応することになったのです。

運営委員からの趣旨説明には、高倉洋彰先生が当たられました。先生特有のソフトな語り口の中に、私はいくつかの重要な言葉を聞きました。まず、学会員の多数を占めるのは行政機関で埋蔵文化財を担当する人たちであることを明言されるとともに、彼らの活躍の場が九州全土に及ぶことを、「九州考古学会は、福岡県考古学会ではありません」という言葉で表現されました。

当たり前のことが確認されたわけですが、ここまでこれが必ずしも当たり前という気がしていませんでした。以前の総会では、「九州考古学会は福岡の辺だけでやっているのではないか」とか「九州大学だけでやっているのではないか」という会員からの不満の声が上がることもありました。

もちろん、九州考古学会はその事務局を九州大学においていますし、歴代の九州大学関係者の努力によって維持されてきたという事実はありますが。

最近、学会が出した保存要望書がいずれも福岡県内の遺跡に関係したものであることは、高倉先生も指摘された通りですし、また、要望書の提出や関連の学会活動に関連して、学会員の間にわだかまりを生じたこともあったようです。

これらは個別の事例に関する問題であり、一般化することはできませんが。

そんな状況で、上に書いたような会員からの不満がまたも噴出した……のではなく、それどころか、最近はそういった声さえも出てこないようになっており、一部には学会の将来を悲観する見方もありました(過去形……この部分、時系列が交錯しているので、念のため書き添えておきます……ちょっと悪文ですね、今回(^^;ゞ)。

しかし今回、運営委員側から、学会の主たる基盤が九州前後の埋蔵文化財担当者である旨の認識が示されたことは、評価すべきであろうと思います。また、即日選出された埋蔵文化財保護対策委員には、沖縄県の委員もいますが、沖縄からも委員を出すことについては、全国的にも話題になっている基地返還後の再開発で埋蔵文化財がクローズアップされるだろうと見通したための配慮のようです。
今後の委員の活動に期待されます。

一学会の動向について、少々立ち入った話を書いたのは、たまたまこの総会に私も会員として参加し、また、いくつかの補足的な情報に恵まれたということもありますが、もう一つ、最近気になっている問題と関連すると考えたからです。

考古学に関わる学会はいくつかありますが、最近の動向を見ていて気になるのは、会の基盤がどこにあるのかを忘れてしまったのではないか、と思わせるような会があることです。考古学関係の多くの学会の会員は、自治体の埋蔵文化財担当者ですが、どうも運営する側はその単純な事実を認識していないのではないか、ということがあります。これは、単に個別の会の問題というよりも、考古学業界がかかえる問題点ともからむように感じられます。

バブルのころ、考古学業界は非常に多忙で過酷な日々を強いられました。しかし、バブルのおかげで考古学業界もまた、成長・肥大してきたのです。そのとき以後、考古学業界は、事実として成長・肥大して存在してしまった自分自身を、一体何者であるか、位置づける必要があったのです。しかし、残念ながら、個別の努力はあったにしても、全体に見れば、行政機関との関係、大学など専門研究機関との関係、そして何よりも市民生活との関係について、みずからを正しく位置づけ、それを理論化する作業を怠っていたのではないかと思えてなりません。
また、埋文行政以外の場にいる考古学者の側にも、埋文担当者として苦労している考古学者とみずからとの関係を良好な形で構築できていなかった(自分の都合のいい時だけ埋文行政を利用するような)一面があったように思えます。

個々の担当者の努力があったことを軽視しているわけではありません。というよりも、こうした努力があまりにも個々人にゆだねられ過ぎたように思うのですが。

辛辣すぎる言い方になるかも知れませんが、現在の考古学業界は、「既成事実として存在している」のと紙一重といえるでしょう。まして、こんな時に自分一人の保身に走ったり、埋文行政草創期の英雄時代を夢想しているようでは、末端の担当者たちの努力は報われません。その結果、現在の経済危機の中、考古学業界はまさに「首の回らない」事態に陥ったのです。

理想論に過ぎるかも知れませんし、もはやそんな悠長なことは言っていられないと知りつつも、日本中で活躍している埋文担当者たちと、その過酷な仕事の成果を、私たちの属する考古学業界自体が正しく受け止め、その位置づけを理論化していくような努力が求められていると思いますが、いかがでしょうか。

私も自治体で埋文行政の末端にいましたので、全部自分に跳ね返ってくるのは承知の上ですが(わが身を省みれば、エラソーなことは言えない(^^;ゞ)。

数年間のさまざまな経験と、現状を正しく見据えようとする真摯な論議の末、自らの基盤となる会員を再認識し、一つの委員会を産み出した九州考古学会とその運営委員は、考古学業界の「首の回らない」現状からの出口を模索し始めていると、理解したいと思っています。

今回は、ネタを料理してる余裕もなかった上に、白色矮星並みに固く重い話だったので、冗談交じりに軽くお話するわけにはいきませんでした。そのわりには、今一つ話がまとまってませんね(^^;ゞ。専門家にも、専門外の方にも、それぞれにご不満の多い内容だったかも知れません。
次回は、今回流れた「型式学」について、できるだけ軽いノリでお話しようと思います。


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白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 1998-2005. All rights reserved.