考古学のおやつ

対決の敗者−黒塚古墳報道解禁1周年

萬維網考古夜話 第8話 12/Jan/1999

意外なことに、マニアックな内容の第7話に、この1週間で40ものアクセスがありました。一体どうなってるんでしょう。まさか、新羅緑釉陶器の専門家が日本に40人もいるのでしょうか。なんか、怖いですね。


あれから1年。黒塚古墳での三角縁神獣鏡大量出土が全国に報道されたのは、1998年1月9日(金)でした。三角縁神獣鏡自体は、1997年10月29日から出土し始めていたようです。業界には報道解禁前から情報が流れ、私は11月下旬に情報を得ました(業界の中では、遅い方だったかも知れません)。私たちも「KKKが発掘中のK塚古墳では……」と妙な伏せ字を使って情報をやりとりしたものでした。

この伏せ字チャット、奈良国立文化財研究所で研修中の全国の埋文担当者が覗いていて、爆笑だったそうです(未確認)。

奈良県では、1998年の「県政10大ニュース」1位になってましたね(県の機関の事業だから)。

ところで、昨年1月9日、報道解禁の日のニュースステーションテレビ朝日系)、ご覧になりましたでしょうか。あの、全然盛り上がらなかった“対決”を。今日はそのお話です。
なお、当日のビデオとかで確認したわけじゃないので、番組内のやりとりについては、私の記憶に頼っています。ひょっとすると、実際と違う部分があるかも知れません(特に、発言の言い回しとか)。ご了承ください。

あ、そうそう。言い忘れてました。今日のタイトルの対決の敗者ですが、別に、邪馬台国の所在地に決着をつけるとか、三角縁神獣鏡の産地を明らかにするという意味は、まったくありません。もし、そんな内容を期待されてここに入られたのであれば、あなたはまだ「考古学のおやつ」をわかっていない(^^。

この日、黒塚古墳の発掘を担当されたKKKのK上さんっっじゃなかった、橿原考古学研究所の河上邦彦さんは、各局の夜のニュースに出まくってました。さすがにすべてを見る余裕はありませんでしたが、ニュースステーションでは佐賀県の高島忠平さんと“対決”してましたね。

番組側の意図としては、邪馬台国畿内(きない)説と九州説が、三角縁神獣鏡というナマの考古資料をめぐって華々しく対決する予定だったのかも知れません。

久米宏さんとレポーターだけの興奮が高まる中、中継のスタジオに登場したスーツ姿の佐賀県教育次長は、平然と

「三角縁神獣鏡は卑弥呼と何の関係もありません。」

と言ってのけ、それを受けた、作業服姿の奈良県調査研究部長も、何食わぬ顔で

「三角縁神獣鏡で邪馬台国の位置は決まりません。」

と応じ、いきなり話が符合してしまいました。

困ったのは久米さんですね。

実は、以前ちょっとしたきっかけで覗いたことがあるんですが、ニュースステーションの中継の台本って、登場する人のあいさつやら、挿入するVTRのあらすじ以外は、久米さんのアドリブに任されてるんです。

久米さんって、こう言っては申し訳ないですが、考古学についてはまったく疎い人ですね(この点では、筑紫哲也さんも悲惨ですね)。もちろん、すべてを熟知する必要もないでしょうし、まして「ニュースの司会者」を自認する久米さんのことですから、出演者の発言をうまくさばいていけばよかったのです。

ところが、中継が始まっていきなり高島さんと河上さんの意見が一致してしまいました。邪馬台国の所在について、激しい議論どころか、両者とも三角縁神獣鏡と卑弥呼は関係ないなんて言うんですから。

「それじゃ、三角縁神獣鏡はどういう意味を持つものなんですか」

と言うような疑問を久米さんは発しました。ま、これは流れから言って当然ですね。大騒ぎの理由がわからなくなっちゃったわけですから。

でも、大騒ぎしてたのは久米さんとレポーターだけだから、最初っからクールに対応してる高島さんや河上さんに理由を聞いても仕方ないですよね(^^;。

またもや、中継先の2人の意見は一致しました。

「初期大和政権の政治構造を示すもの」

というような意味でした。ついでに高島さんは、三角縁神獣鏡がすべて棺外に副葬されているのに、画紋帯神獣鏡だけが棺内に副葬されていることを指摘し、こちらの鏡が三角縁神獣鏡よりも重要な鏡だったとも言ってましたね。

この辺までで、手に負えなくなった“ニュースの司会者”さんは、必死に高島さんに問いかけました。

「高島さんも、初期大和政権が大和にあったことは、お認めになるんですね!」

久米さ〜ん、そりゃぁ、同義反復ですよ。テレビの前で転びそうになっちゃったじゃないですか。ホントに何にも知らないんですね。ほうら、高島さんが平然と肯定しちゃって、話が進まなくなったでしょ。

ここで久米さんは、苦し紛れなのか、当時まだニュースステーションのレギュラーだった小宮悦子さんに発言を求めました。

この対決、思い返して面白いのは、高島さんが冷静さとともに、いくつかの命題を自分の方から投げかけて、河上さんに同意させちゃうあたりですね。役者ですねー。経験豊富と言ったところでしょう。

一方、河上さんの動じない態度もよかったですね。やはり研究者としての盤石なものをお持ちなのでしょう。もし、これが橿考研でなく、河上さんじゃなかったら……。

若手の考古学者だったら、自分の“発見”に翻弄されてしまいかねないし、“発見”に押し潰され、食い殺されることだってあるでしょう。いや、(胸に手を当てて)私も自信ないですよ。今後、三角縁神獣鏡を掘り出す可能性のある人は、ホールインワン保険にでもお入りになることをお勧めします。

橿考研の人が、「騒ぎの中で、誰が何を言ってるのか、何が公式見解か、自分たちでもわからなくなった」と述懐しておられましたけど、あの現地見学の群衆、すごかったですね。パンダが出土したような騒ぎでした(何それ?)。

1998年5月の日本考古学協会での河上さんの発表も、青山学院大学の会場でお聞きしました(会場は満員でした)が、自らの発見に動じない、この話題の研究者に、「これがあの発見に立ち会った人なのか」と驚いたものです。

河上邦彦・泉武・宮原晋一・卜部行弘・岡林孝作・今津節生,1998,「奈良県天理市黒塚古墳の調査」,『日本考古学協会第64回総会研究発表要旨』,東京,日本考古学協会,24-26

さて、ニュースステーションの“対決”に話を戻しましょう。三角縁神獣鏡を肴にした邪馬台国所在論争は繰り広げられることなく、高島さんと河上さんの見解の一致ばかりが印象づけられたこの“対決”、果たしてその敗者は?

やはり、三角縁神獣鏡をめぐる考古学業界の動向を、あまりにも単純化して捉え、また、出演する考古学者の主張を読み切れていなかった番組側こそ、この対決の敗者なのでしょうか。

でも、ここは「考古学のおやつ」ですから、ひねくって考えてみましょう。

黒塚古墳で三角縁神獣鏡が最初に確認されたのは1997年10月です。遅くとも11月のうちにはマスコミにも知られ、じきに奈良県側はマスコミに発見の内容を伝えるとともに、報道にいわゆる“しばり”をかけました(このあたりの経過は未確認)。今回の黒塚古墳1周年は、報道“解禁”1周年なんですよね。ですから、主要マスコミは、報道解禁時の番組作りについて考える時間が十分あったはずです。高島さんと河上さんの“対決”の顛末を予想するだけの予習期間もあったはずなんですね。

もし、テレビで放送された“対決”が、制作側の予定通りのものだったとしたら、テレビの画面で一番割を食った人こそが、この“対決”の敗者にほかなりません。え?そうすると敗者は久米さんで勝者は制作側?

スタッフ側が意地悪して久米さんに恥かかせたってこと?う〜ん。自分で導き出した結論だけど、ウソっぽいですね(^^;ゞ。


次回は、第5話 ひとつしかないものの続篇を準備中です。


[第7話 1998年の新羅緑釉陶器研究・後篇|第9話 土器のDNA|編年表]
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