考古学のおやつ

土器のDNA

萬維網考古夜話 第9話 19/Jan/1999

今日の本題とは別の話ですが、先週会員の元に届いた『考古学研究』第45巻第3号(1998、考古学研究会)の「埋蔵文化財の保護と発掘調査の円滑化等について(通知)」は意外な波紋を広げているようです。それも、内容についてではなく、この「平成10年9月29日」付けの文書を市町村レベルでは今回の『考古学研究』の記事で初めて知った人がいるという事実です。

青森遺跡探訪の相馬さんは、早速その全文をHTML化して公開されました。頭の下がる仕事です。

問題は多岐にわたるので、今回は深入りしませんが、もし日本に考古学研究会のような団体がなかったら、また、インターネットでの考古学者個々人の情報発信がなかったら、一体どうなっていたのでしょう。

さて、今回の話は、もともと第5話 ひとつしかないものと一連で、早くから原稿ができていたんですが、緊急に押し込んだ話題(第4話 出口を模索する九州考古学会)やら、年末年始用のネタ(第6話 1998年の新羅緑釉陶器研究・前篇、第7話 1998年の新羅緑釉陶器研究・後篇)のため、ここまでずれ込んでしまいました(^^;ゞ。

さらにいうと、第5話 ひとつしかないものよりも先に一通り原稿ができてまして、その時点では第4話の予定でした。草稿メモには、「万維網考古夜話の実質第1回」という記述も見られます。途中、考古学の定義のような話が出てくるのも、そのせいです。それが第5話の続篇という形に落ち着いた、というあたりも気にしつつ読んでいただけると、マニア(何の?)には面白いかも知れません。

と、もったいをつけたところで、こんなお遊びサイトですので、暇つぶしにいい加減な気分でご覧ください。


「型式学」は、何個かの遺物を比較してその前後関係などを論ずるためのものでした。それに対し、一つの遺物は、時間的にどのように変化したのか、を問う考え方もあり、考古資料を観察して得た考古学的事実を論理的に再構成するための手がかりとなります。この考え方を象徴するのが、「遺物の一生」という言葉です。

これは、私の恩師である藤本強先生(現在は新潟大学)がよく使われていた言葉です。著書にも出てきますね。

藤本強,1985,『考古学を考える』,東京,雄山閣出版,ISBN4-639-00457-5

不遜な話ですが、私は最初、この用語にいい印象を持っていませんでした。だって、まるで遺物を擬人化してるみたいに聞こえるでしょ。

藤本先生を直接に知らない人の中に、実際、「遺物を擬人化してる」と言ってこの本を嫌う人もいますね。まぁ、私も学生時代の頭では真意を読みきれなかったのですが(^^;ゞ。
それにしても「遺物の一生」って、藤本先生らしい比喩ですよね。私が命名すると、もっと難しくてめんどくさい名前になったことでしょう。

先に(「考古学のおやつ」には珍しく^^;)一般論を書いておきますと、考古学は物質文化から人類の過去を復元する学問ですが、物質資料そのものを擬人化してしまったら、そこから先に展開すべき分析や考察の途を閉ざしてしまうことになりかねません。

しかし、「遺物の一生」について繰り返し解説を聞き、また、私自身が遺物の観察と記述を当面の研究課題にするようになって、この概念は、そのいかにも擬人化してそうな言い回しとは裏腹に、重要な発想を含んでいると思うようになりました。私が誤解を解いて、その辺に思い至るまでの過程は、今後いろんなエピソードの中に織り交ぜて書くかも知れません(大して面白くないエピソードですけどね)。

とりあえず今回は、せっかくの親しみやすいメタファーを、私らしく、堅っ苦しい理屈に押し込んで、お話ししていきましょう。

「一生」という言葉を使っていても、土器やら石器やらを擬人化する文学的表現ではなく、それらが過去の人間によって作られ、使われ、そして捨てられ、土の中で朽ち果てて、さらに発掘によって発見されるまでの過程を復元しよう、また、そうした過程を経ていることを念頭に置きつつ観察を勧めようとする考え方です。

このような考え方が必要になるのは、

  1. まず、単純な理由として、現在観察できる遺物は、過去(この場合は、考古学者の勝手な都合で復元しようと狙っている過去の一時点)とまったく同じ姿をしているという保証はなく、変貌していたり、一部の特徴が失われている可能性が高いからです。使っているうちに壊れたり、地中で腐ったり、というさまざまな過酷な条件をくぐり抜けて考古学者の目に触れた不完全な姿から、それらが作られ、使われた時点の姿を復元するには、途中の過程、すなわち「遺物の一生」という配列を念頭に置いて、後から付け加わった「属性」を論理の上で取り除いていくしかありません(これは、まともな考古学者なら、理屈を言うまでもなく、経験的に実行していることでもあります)。
  2. そして、藤本先生はこちらのほうを強く意識しておられるようですが、遺構・遺物を作ったり、使ったり、捨てたりするのは、すべて過去の人間ですから、「遺物の一生」の主要な部分は、実は、それらに関わった人間の行為の過程であるということになります。藤本先生は、遺物のさまざまな特徴(属性/atribute)を表現するときに、製作時の属性使用時の属性廃棄時の属性という用語を用いておられますが、これらは、遺物の一生という過程の復元を基本にして、遺物のさまざまな特徴に人間の行為(の痕跡)を読みとっておられるからです。
  3. もう一つ、これは私が以前特に気にしていたことですが(あ、今もですよ)、個体間、器種間、型式間で遺物を比較する時の手がかりを保証してくれる考え方と言えます。

第2の点について補足すると、「遺物の一生」は藤本先生なりの「属性分析」に対する考え方と不可分の発想のように思えます。

第5話で大まかな話にとどめていたことにも顕れていますが、考古学の多くの概念がそうであるように、「属性」や「属性分析」というのも、決して一義的には思えません。困ったことに、ある言葉を覚えても、別の人の文章では異なる意味に使われていたりします。(それでも「学問」なのか、というツッコミは、今回は控えておきましょう)

「遺物の一生」の言葉とともに用いられる「属性」概念(製作時/使用時/廃棄時の属性)は、その背景に過去の人間の行為を強く想定するところに特徴があります。つまり「遺物の一生」は、それぞれの「属性」としての行為の記録でもあるのです。

これは藤本先生の研究態度の特徴でもあります。遺物(に限らず、考古資料)の背景に、極めて具体的に人間の姿を想定し、その姿を捉えようとする目的意識のもとに、遺物を観察されているのです。

さらに、第3の点を見ていきます。実は、ここからが今回の本題です。

考古学の初歩の勉強の中で、遺物を比較するときに、「相同」(homology)と「相似」(analogy)という言葉を習うと思います。釈迦に説法かも知れませんが、一応解説しておきますと、これらはもともと生物の器官について言う言葉ですね。ヒトの手とクジラのヒレは、形も機能も全然違いますが骨格の基本構造は同じ、これは進化の過程で同じ起源から発するからで、これが相同。一方、コウモリの翼とハトの翼は形や機能が似ていますが、構造は違っていて、単に共通する機能が共通の形を求めたというだけ、これが相似です(他人の空似ともいいますね)。

遺物を個体間/器種間/型式間で比較するとき、比較のために取りあげるする属性が相同か相似か弁えなさい、というのは、若き考古学者へのありがちなアドヴァイスです。そうしないと、ある属性が「似ている」ことの意味がわからないからです。

と、これはいわば公式見解です。もちろん、属性どうしが比較してよいものかどうか検討するのは重要なのですが、かといって、遺物が時代によって形を変えて製作されることと、生物進化との間に、完全なアナロジーは成立していないのですから、実は遺物について相同と相似のけじめなど単純につくはずはないのです。

「遺物の一生」という考え方は、遺物に見られる属性が遺物の一生のうち、どの時点での人間の行為によるものか、また、行為の順序はいかようであったかを問う考え方ですから、(極めて乱暴に縮めて言うと、)その行為の時点を比較することで、個体間/器種間/型式間で属性を対比することの有効性を、相同/相似の概念に頼らずに検査できるのです。(う〜ん。乱暴すぎる(^^;ゞ)

しかし、こうした「型式学」との対比の上だけでなく、もっと「遺物の一生」を積極的に捉え、遺物に残された人間の行為の痕跡、特に土器の製作時の属性を観察し、これを属性の背景にある行為を時系列でならべる、つまり遺物の製作工程を復元し、工人の行為と、その際の舞台装置(道具や設備、工人の組織や社会的地位など)までも復元しようと目下考え中(^^)なのが、(手前味噌ですが)私が仮に工房の風景と呼んでいる考え方ですが、もうファイルサイズが10000バイト越えちゃいましたので、これについては、また別の機会に(前置きだけで終わっちゃった(^^;)。


今回、遺物についてお話ししましたが、これはお話がしやすいからでして(^^;ゞ、遺構でもほぼ同様のことが言えます。というより、今回お話ししたような点について、遺構の分析の方がはるかに進んだ分野だと(希望的に)思いますが、私はどちらかというと遺物が専門なもので(^^;ゞ。


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