考古学のおやつ

ショッカーくんはタコじゃない

萬維網考古夜話 第27話 25/May/1999

行って来ました。考古学協会。多くの人にお会いして,いっぱい情報をいただきましたので,過去のお話とか,追加情報を入れたり,内容を訂正したい部分も出てきたのですが,その作業をしている暇がとれません。少しずつ改訂していこうと思います。

久しぶりに土器の製作技法の話を……と思ったのですが,関連情報(?)にします。とっくにお気づきとは思いますが,ネタがなくなると土器の出番です(ば……,ばらすな(^^;)。このコーナーも始まって半年経っちゃいましたし,台所事情がちょっとね(^^;ゞ(ばらすなってば)


1個体の遺物の履歴を追究する研究,それは重要性が認識されながらも,研究方法としては確立されていないのでは?……というところから始まった話です(第17話)。

さて,1点の遺物を観察して,その履歴に何か重大な事実を発見したとします。それを論文などで表現するには,どうしたらいいのでしょうか。文章でずらずら書くという手もありますし,私もそうしてますが(^^;ゞ,あまりうまい方法じゃありません。また,その場合にも安心して使える用語が,まだ充分に整備されているとは言い難いようです(これも第17話)。

実測図に表現するという方法があります。関連部分の拓本や写真とともに提示すれば,なおいいでしょう。しかし,実測図自体の「文法」もいまだ充分に確立されているとは言い難いのに,それぞれ勝手に個体の履歴を実測図に書き込んでいけば,混乱を呼ぶだけでしょう。

このあたりは,自分のことを棚に上げて言ってます。

実測図を見た後で実物を見る……ということが,よくありますが,そうすると,実測図では個体の個性が消されていると思うことがあります。私が思うには,それは,実測図が個性を表現するよりも,むしろ個体差を捨象して「型式差」を表現することを目的としているためだろうと思います。あ〜,やっぱり話が固くなってしまいました。とりあえず,実測図については,別の機会に回すことにしましょう(この調子で,いったいいくつの話題を先送りすれば気が済むのでしょうか(^^;?)

上の文,実は,「型式」とは何か,という重大な問題に絡むかも知れませんね。その辺の事情もあって,やっぱり先送りしますm(_ _)m。

それじゃあ,どうすりゃいいんでしょう。知り合いに面と向かっての話なら,「工人がこんな風に作ったみたいだよ」って,身振り手振りででも……,なに,身振り手振り?それだ。

そんなわけで,人と話すとき自分の体を動かして表現したいた部分を,論文では絵で表現することにしました。以下,彼(または彼女)の活躍を振り返ってみましょう。なお,リンク先に行っても画像はないので,彼(または彼女)には会えません。悪しからずm(_ _)m。

彼(または彼女)のデビューは1995年でした。

このとき,第2図〔白井1995a:231〕に,「ヘラ角度から推定される透窓穿孔時に土器を支える左手」として,左手だけが黒塗りで出演したのでした。それにしても,今気づいたのですが,「透」なのに「穿」ってのも変ですね(^^;ゞ。
左手だけとはいえ,これ以前には彼(または彼女)の持っていたヘラの先だけがかろうじて出演していた〔白井1993:184〕のですから,体の一部が出ただけでも大進歩でした。

1995年の初夏にデビューした彼(または彼女)は,この年の冬にも出演してもらうことになりました。

このときは,印花紋を施すときの姿勢を復元し,それによって施紋順序を説明しようとする意図がありましたので,Fig.6で腰から上の出演となりました〔白井1995b:79〕。これは,1個体の製作途中にロクロの回転方向はほかの事情に沿って変わりうることを示そうとした図でもありましたので,彼(または彼女)の果たしてくれた役割は重大です(第18話)。

そして,このときの図案を作ったとき,全身が真っ黒に塗りつぶされたさまから,彼(または彼女)は,初めてショッカーくんという名前を得たのです。ただ,実際には黒塗りのショッカーくんは周囲の評判が悪く,しかたなく私は白抜きのショッカーくんを急造して出演させましたが。

1995年の内に,芸名も決まり,「手だけ」から「腰から上」へと,図版への露出が増えたショッカーくんですが,このころから私は,「いつか,ショッカーくんの全身を登場させよう」と思うようになりました。その機会は,意外に早くめぐってきました。しかも,私にとって初めての巻頭論文でもありました。

このときは,タタキ技法の説明のため,Fig.5「底面叩きの作業態勢」にショッカーくんが出演しています。2方向から,ついに全身が出たのですが,このときは時間がなくて描き飛ばしたので,絵の出来が悪すぎます〔白井1996a:12〕。もっと別に,活躍の機会を設けたいところです。

初めて須恵器に挑戦したショッカーくんですが,同じ年の秋には弥生土器にも挑みました。

実は,この報告書,完成品が私の手元にないのでページ数が示せないのですが,この中で,前期の壺の肩に紋様を刻むショッカーくんが出演しています。

(8/Jun/1999補足)この報告書のゲラが手元にあることがわかりました。それによると,ショッカーくんの登場は15ページのFig.16です。

その後,ショッカーくんは以前の私の誤った復元〔白井1995a:231〕を改めるため,1997年に再び新羅土器の高杯を手に持って出演しました。黒塗りのころの誤りを白抜きになって正したことになります。

こうしてみると,ショッカーくんの活躍の場は九州ばかりとわかります。秘密のアジトでもあるのかも知れません。

(24/Jul/1999補足)那珂八幡古墳のあたりだろうか。

1997年以来,ショッカーくんは印刷物の方のお仕事がありません。私としては,もっとショッカーくんに活躍して欲しいと思っているのですが。

でも,去年から「考古学のおやつ」に色つきショッカーくんとして出演し,私を助けてくれています。よく,ショッカーくんのことを「タコ」と表現する人がいますが,タコではありません。ショッカーくんです。覚えても何の得にもなりませんが,覚えておきましょう。


[第26話 下野の渡来人|第28話 手打ちの味|編年表]
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