考古学のおやつ

25000年問題−逆サバ全国区・前篇

萬維網考古夜話 第33話 6/Jul/1999,14/Jul/1999

(14/Jul/1999補足)おしまいの方に補足を入れています。

おがみ大五郎さんの南河内考古学研究所管理人覚書に覚書4 声の達人というのがあります。本文もぜひお読みいただきたいのですが,前置きの文に次のような表現がありました。

どこかのサイトの考古学コラムがコンスタントに新しい記事を提供し続けている

う〜ん。どこでしょう。やはりここのことでしょうか。いや,最近では島岡さんの宮崎モグラ通信が開設1ヶ月で1000アクセス以上と,勢いづいてるしなぁ。

もしここのことだったら,「コンスタント」ってのはちょっと違う気がします。むしろインスタントにって方がしっくりくるんですけどね。実際,お湯を注ぐだけみたいなもんですから。時にはうっかりしてお湯だけだったりしますし。

実を言うと,先ほど引用したおがみさんの文を読むときに,ついこのコラムのことだと思いこんで(思い上がって)読んでいたものだから,「コンスタント」を「インスタント」と思いっきり誤読して,「おー,わかってるじゃないですか」と夜中にひとりで感心してました。

それではさっそく,フタを開け,粉末スープをかけたらお湯を注ぎましょう。下の調理例も参考にしてくださいね(^^。


3月に第15話 考古学者,応答せよ−偏在する考古学情報きまぐれNEWSLINKのことをお話ししましたが,また別の角度から,考古学報道についてお話しするとしましょう。ただ,話が長いので,今回は,栃木市・向山遺跡のニュースの記事が混乱していた先日の事例をお話しします。常連の方にとってはすでによくわかっておられる話だと思いますが,しばらくすると,経緯がわかりにくくなると思いますので,1回分をこれに当てます。私の意見は主に後篇でお話しすることにします。

まず,最初の記事の引用から。

栃木
栃木市・向山(むこうやま)遺跡で縄文時代の石材採掘坑発見。チャートの岩脈を直接掘り抜く。あるいは後期旧石器時代に遡るか?栃木市教育委員会6/21発表。〔きまぐれNEWSLINK:6/21

この記事は,主に日本経済新聞を参考にしました。Webの原文は現在手元で確認できないので,翌22日の朝刊によりますと。「岩盤掘って石器作り/縄文後期の採掘坑跡/栃木の遺跡で発見」とあり,考古学的事実としては「縄文時代の石材採掘坑」だけです。後段の「あるいは後期旧石器時代に遡るか?」は,同じ石材が旧石器時代にも使われているし,付近に旧石器時代の遺跡もあるから,「その可能性もある(証拠はない)」というニュアンスだったはずです。

細かいことですが,22日の朝刊のうち,読売新聞は「石器の材料」または「石」を採掘したとしていますが,日本経済新聞は「石器」を採取した跡と言っています。岩盤からいきなり石器を採取するのは難しそうですね(^^。

ところが,6月26日のお昼前のTBSニュースで,この遺跡を「25000年前」と紹介していました。急だったので,聞き漏らしたかも知れないと思い,すぐにTBS NEWSiで確認したところ,(これも現在原文を確認できませんが)やはり石材採掘坑を25000年前としていたので,すぐに記事を追加しました。

栃木
6/21当コーナー掲載の栃木市・向山遺跡石器石材採掘坑,今日のTBSでは25000年前ということに。〔きまぐれNEWSLINK:6/26

ここで「TBSでは」とニュースソースを書いているのにはわけがあります。一つは,メディアによって情報が違い,どれかが事実から外れている可能性があると考えたときは,ソースを明記しているのです。この場合,わずか1週間の間に,可能性に留まっていたはずの「旧石器時代」の証拠が見つかるとは考えにくいし,前日TBSがネロの黄金宮殿の公開日を2日早く言っていたことも気になったので,やや距離を置いた表現にしておきました。ウラも取れないままでした。

なんか変と思っていたら,6月30日の夕方になって,おもいつきボードあのさんの書き込みがありました。

栃木市向山遺跡の25,000年前って、どういう報道だったんですか?
TBS飛んだら、更新された後だったのかしら。見つかりません。
ぢつは、5月末に見学させてもらったのですが、そんな資料は・・・・
縄文じゃないの、あれ?

旧石器の調査地点は、採掘跡と別だって
(その後、新事実が出てたのだったらごめんなさい)

これに対する私の答え(同日)は,上の方で私がお話しした経緯と同じです。ちょっと付け加えた話もありましたが,それは第35話で。
さて,あのさんからは折り返し次の書き込みが。

2,3年前(忘れた)の速報展では、当時「最大の環状ブロック群」と報道された、後期旧石器時代、佐野市上林遺跡出土のチャート製接合資料と向山遺跡の関連が(予測的に)示されてました。可否はともかく、向山KP(鹿沼軽石)上層の石器群と上林遺跡の編年的な関係は、「かなり近いところ」というのがおおむねの共通(?)見解でしょう。
けれども、繰り返しになりますが、向山の旧石器出土地点(山裾)と採掘跡(山のてっぺん)は、別物でしたよ。
それに、25,000年って、どこからきた数字なのかしら?
(後略)

これは1997年(2年前)の速報展でした。「最古の石器製作場と消費地」として,両遺跡が登場しています。向山遺跡に関しては山頂部の露頭のことが触れられており,旧石器時代にここからチャートを得たであろうと推定されています。露頭にはハンマーで叩いた跡もあると指摘されています。しかし,「旧石器時代の石材採掘坑」があったわけではありませんね,確かに。

そうしたところ,情報提供のメールをくださった方がいましたm(_ _)m。

 6月26日に、栃木市向山遺跡の現地説明会を見てきました。
 山頂に発掘調査区で遺構として確認されたのは縄文時代の石材採掘跡で、縄文土器
は出土していませんが、採掘時に使ったと思われる分銅形打製石斧が出土しています。
 旧石器時代については、
「斜面中腹の調査区において、2万5千年前に堆積した黒
色帯及びそれより上の層で石器類が出土することから、縄文時代同様に山頂部のチャ
ート露頭から石材を採掘していたと推定できます。出土した石器類には、石器製作用
の敲石や台石、石器素材剥片およびその母材(石核)などがあります。」
と現地説明
会資料に記載されているように、遺構として採掘坑が確認されたわけではなくて、旧
石器時代にも縄文時代と同様に採掘していただろうという推定によるものです。

考古学的事実としては,6月21日の最初の報道や,あのさんの指摘が正しかったようです。つまり,石材採掘坑はやはり縄文時代だったわけです(私が横着しないで栃木市に直接問い合わせておけば,こんな面倒くさい経緯にならずにすんだんですけどね(^^;)。

また,現地説明会資料の内容が,TBSの手にした報道発表資料と同様のものと仮定しますと,今回得られた文面によって,25000年前報道の理由が推定できます。資料にいくつかの推測が付記されていたのを,TBS側が混同して,今回の縄文時代の石材採掘坑自体も25000年前と誤解した,という経緯が推測できますね(^^。そそっかしいなぁ。ただ,素人がいきなり読んだら誤解するかも。

(14/Jul/1999補足)補足が遅れましたが,メールをくださった方は,栃木市教育委員会発行の「現地説明会資料」も送ってくださいました。ありがとうございましたm(_ _)m。
《調査結果》「1.旧石器時代・縄文時代の石材採掘跡」は〈縄文時代の石材採掘跡〉と〈旧石器時代の石材採掘跡〉に分かれており,石材採掘坑の説明は前者に,上のメールで引用されていた部分は後者にあります。ですから,TBSはやっぱりそそっかしかったようですね(^^。
人のことは言えないけど(^^;ゞ。

付け加えたい話はありますし,ご覧になった方も,いろいろとツッコミを入れたいことでしょうが,第35話に譲りますm(_ _)m。

このページをuploadする直前に,arc-netでのin-sider氏の発言を知りました。それによると,朝日新聞が東京都・西台後藤田遺跡・第1地点のCD-ROM版報告書について触れた記事(きまぐれNEWSLINKでは6/29)に誤りが多いとし,in-sider氏の朝日新聞に対する質問状にもリンクしています。コメントは,できれば次回(すでに原稿はできている)に追加したいと思います。取り急ぎ付言。


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