栗本薫作品の年表-判定理由(その2)
by 八巻大樹さん

---MLの成果1


というわけで、残りの作品についていきます。まずは長編から。


・魔女のソナタ−1990年1月
「仮面舞踏会」との時期的関係から

・優しい密室−1974年5〜6月
 さだまさしの名前が出てくるので、さだまさしがフォーク・デュオ 「グレープ」としてデビューした1973年12月以降、季節は5〜6 月ですから1974年以降、この時森カオル17歳ですから、森カ オル28歳の「鬼面の研究」は1985年以降になり、「天狼星」に 「鬼面の研究」についての記載があるので、「鬼面の研究」は 「天狼星」よりも前の話になり、1985年と特定できます。さらに 作中に「今日は13日の金曜日」と出てくるので、おそらく1985 年9月の事件と思われます。したがって「優しい密室」は1974 年5〜6月になります。



次に短編。山科さんの肩書きで分けます。


警部補−「殺された幽霊」
警部−「ガンクラブ・チェックを着た男」「袋小路の死神」「誰かを早死させる方法」
    「獅子は死んだ」「鬼の居ぬ間の殺人」「伊集院大介の一日」
警視−「伊集院大介の私生活」「星のない男」



山科さんの肩書きは「ぼくらの時代」「絃の聖域」で警部補、「ぼ くらの気持」「ぼくらの世界」で警部、「猫目石」〜「ヴァンパイ ア」まで警視、その直後に引退しているようですから、1981年 頃警部に昇進、1985年頃警視に昇進しているようですから、こ れらの短編は山科さんの肩書きによってこれらの時期に分けられま す。
さらに細かくみていくと、



・殺された幽霊−1981年2月
警部補でかつ「絃の聖域」よりあとの2月なので1981年2月。

・ガンクラブ・チェックを着た男−1981〜2年頃か?
探偵事務所を開いてまもなく、とのことなので

・袋小路の死神−1982年3月か?
伊集院大介がまだ山科さんの同僚にも知られて いないようなので、かなり早い時期の事件だと思われます。

・誰かを早死させる方法−1981〜2年頃
山科さんの大学時代の友人の榊が41歳で死んでいるので、山科 さんもそのくらいの年齢だと思われます。「ぼくらの時代」の時点で 山科さんは40歳という記述があるので、警部ということとあわせて 1981〜2年頃でしょう。

・鬼の居ぬ間の殺人−1984年3月
山科さん40代半ば、とあるので警部の肩 書きとあわせて1984年3月、と推定されます。

・獅子は死んだ−1981〜84年頃
肩書きの他に手がかりなし。

・伊集院大介の一日−1985年頃
警部の肩書きになっていますが、作中で「猫目石」にふれられて いるのでこれはおかしい。警視のあやまりと思われます。探偵事 務所開設後3〜4年、とあるので1985年頃でしょう。

・伊集院大介の私生活−1985年か
「天狼星」に「伊集院大介の私生活」を読んだ、という伊庭の台 詞があり、「天狼星」以前の事件と思われる。

・星のない男−85〜86、90〜93年
警視の他に手がかりなし。1985〜93年で大 介の所在がはっきりしている時期のどこかだと思います。



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