栗本薫作品の年表-判定理由(その3)
by 八巻大樹さん

---MLの成果1


次にそのほかの短編のうち、「絃の聖域」以前の事件を除いたもの について。


・ごく平凡な殺人−1982年頃
稔と大介が知り合って2、3年後、稔が中学 生の時に、3年前の事件として語られているので。

・事実より奇なり−1988〜89年頃か?
大介が住所を転々としていた頃の事件。大介 の知名度からいって「蝶の墓」後の行方不明期間

・奇妙な果実−1987〜8年頃
山科さん退職時をさかのぼる5年前の事件。大介 がフランスにいっていた頃、ということなので。

・盗癖のある女−1990年以降
田宮伶がパリから一時帰国してのファッション ショーでの事件。大介も落ち着いているようなので1990年以降 ではないでしょうか。

・ピクニック−事件:1982以降 伊集院大介との出会い:1997年以降
まったく手がかりなし。ただ、ファミコンがでて くるのでファミコン発売以降の事件と思われます。



次にその他の関連作品について。


・ワン・ウェイ・チケット−1980年9月
信と薫のバンド名が「ソルジャーブ ルー」なので「ぼくらの時代」より後。「ぼくらの気持」ではすで にバンドは解散しているから。

・ネフェルティティの微笑−1981年5月
大介の大学時代の同級生、森岡達郎 の弟、秋生が主役の長編。作中のアル・フセイン・モスクの祭りは 栗本さん(作者の方(^^)がエジプトへの取材旅行で遭遇したとい う祭りでしょうから、1981年5月の事件なのでしょう。

・公園通り探偵団−1982〜84年頃
薫の肩書きがミステリー作家なので「ぼくら の世界」より後。「自分にロリコンの気を感じたことはない」とい っているので「猫目石」以前(^^)。

・猫目石−新日本久戸留綺譚−1983年
印南薫14歳の事件。印南薫は「魔境遊撃隊」で16歳だった から。

・ハード・ラック・ウーマン−1986年12月
石森信33歳。作品中に「1999年には46歳になっているはず」とあるので。



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