森に帰ったしな乃  

                               






                                                                       




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2003年12月14日(日) 南台湾 高雄の4日間の旅

 12月11日〜14日、台湾の南部都市「高雄」に行って来ました。目的は妻の食欲を回復させるためで、肥満気味の私には「ありがた迷惑」な話です。高雄に拠点をおいて、 12日は列車で台南へ、13日は列車とバスを乗り継いで、屏東から山奥に入った台湾先住民族の文化村に行って来ました。
  美しい仏教文化や自然のなかで、美味しい魚貝料理、屋台や市民の食堂などで、思いっきり中華を堪能し、私だけがまた一回り太って帰ってきました。


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2003年12月 6日(日) 遺族の会、恒例の忘年懇親会
   

 12月6日13:00〜、東京の箱崎エアシティーターミナルのVIPルームで全国交通事故遺族の会2003年忘年懇親会が開かれました。
 今年は、諸般の都合もあって、クラシック音楽会を併設出来なかったため、参会者は少なかったものの、遠くは宮崎県や兵庫県などから、約30名の会員が集まりました。
 美味しい中華料理を食べながら、どうにか生き抜いた喜びをみんなで語り合いました。 アトラクションは井手会長の胡弓(二胡)の演奏。出来映えは、イマサン位でしたが、未だ衰えぬ会長のチャレンジ魂に、全員が大喜び、大拍手が巻き起こりました。


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2003年11月27日(木) 2人目の孫が誕生、今度も男の子でした

 11月27日、長男のところに男の子が誕生しました。予定日は、来年早々だったのですが、およそ一ヶ月、予定を早めての出産でした。
 5日ほどの入院で、元気な二人になって戻ってきました。体重は約2600gと、やや少な目ですが、成長には影響はないそうです。
 細面で、目がパッチリと二重、口元はキリリ。どうも伝え聞く、我が家の系統が色濃い、好い男です。名前は「眞」と書いて、「なお」と読ませます。私は、この一年で2人の孫をもつ身になりました。


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2003年11月22日(土) 「全国犯罪被害者支援フォーラム」

 「全国犯罪被害者支援フォーラム2003」が22日、東京・霞が関の弁護士会館で開かれました。
 午後からの分科会「被害者の目から見た被害者支援のあり方を考える」に、全国交通事故遺族の会の井手会長がシンポジストとして参加して、交通事故遺族のおかれた立場から、捜査情報の早期開示などを訴えました。


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2003年11月19日(日) 遺族の会 秋の全国大会が開かれました
   

 10月19日(日)、東京エアシティーターミナル。青森から沖縄まで、およそ140名余の会員を集めて、全国交通事故遺族の会 全国大会が開催されました。午前中は二木雄作先生の活動報告など。そして今年新たに参加した新入会員の自己紹介がありました。 午後は6つの会場に分かれての、分科会が行われました。中でも事故から遠くなった会員のための「談話室」には20名近い会員が押しかけ大盛況でした。
 前日の18日は、恒例となった上野公園でもビラまき。今年のテーマは「交通死者にも人権がある」ということで、厳正な交通捜査と、捜査情報の早期公表の実現を訴えました。


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2003年 9月 7日(日) 遺族の会 関西グループの集いに参加
   

 9月7日(日)大阪の天満橋、エル大阪で「全国交通事故遺族の会 関西グループの集い」が開かれ、本部を代表して本田理事と参加しました。
 この集いは、名古屋以西の会員による地方集会で、当日は名古屋から福岡県までの、およそ50名の会員が集まりました。
 午前中、「私の事故および処理体験と、遺族の会」について話す時間をいただきました。午後は法律相談を中心に分科会が進められ、裁判関係では、グループ討議に中西先生、個別相談に長谷川先生など都合5人の弁護士が参加してくださいました。
 メンタルグループでは、遺族同士の心の支え合いに、みんな元気づけられました。
 閉会後も、参加者は立ち去りがたく話し込む会員が多く見られました。結局帰宅は11時半。疲労は残りましたが、充実した一日でした。


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2003年 8月28日(木) 8月28日、転居しました

 今年3月から、自宅の工事をしていましたが、ようやく完成。8月28日家族で引っ越ししました。
 前の家は、およそ30年前、公団の賃貸住宅から移った初めての持家で、子供もそこで生まれ、育ちました。そしてしな乃の、悲しい思い出の地でもあります。新居は、同じ日野市内にあり、閑静な住宅地にあります。
 荷解きもまだまだ済んでいませんが、徐々に落ち着いた新生活が始まろうとしています。子供夫婦と、いわゆる2所帯住宅ということになります。息子たち、そしてその孫は、ここで新しい歴史を刻んでいくことでしょう。
 写真は長野から応援に駆けつけてくれた、息子の嫁のご両親、Y夫婦


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2003年 7月27日(日) 信州大鹿村で、妻の転地治療

 妻は5月に胃潰瘍のため、東京都府中病院に入院(ファイバースコープでの手術)して以来、拒食症のように食が進まず、ガリガリに痩せてしまいました。体調が十分に快復しないところへ、仕事からくるストレスが溜まったものと考えられます。
 どうしたものかと困り果てていたころ、長野県大鹿村に住む遺族の会の会員、Nさんのお誘いにあまえて、1週間ほど転地治療することになりました。
 大鹿村は南アルプスに抱かれた辺境の地です。しかし溢れんばかりの緑と、温かい人情があります。
 7月19日から27日まで、Nさんたちとの生活、三度三度の食事で、わずかずつですが、しかし確実に体力を回復して来ました。27日迎えに行ったおり聞いた、妻の元気な声に驚かされました。秘湯「鹿塩温泉」で、お孫さんを連れたNさんご夫婦、と妻(左端)


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2003年 7月13日(日) 遺族の会、拡大理事会を東京事務所で開催

 7月13日(日)、遺族の会東京事務所で、全国の地方連絡所の代表者を集めて拡大理事会が開催されました。
 仙台・新潟・静岡・愛知・三重・大阪・山口・高知・鹿児島の9地区から合計10名の代表者が遠路参加され、さしもの事務所も熱気でつつまれ、手狭な感じです。
 地区ごとの特性や、それに伴う様々な活動が報告され、在京理事も交えて活発な意見交換を行われました。
 また同じ仲間たちの活動が、他の地区にとってのモデルや励ましになって、今後ますます地域活動は活発化していくでしょう。


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2003年 6月 9日(月) 山中湖とシナノキ(科の木)
  

 6月9日、富士五湖のひとつ「山中湖」へ出かけました。この日、九州南部が梅雨入りしたとかで、薄曇りの肌寒い一日でした。
 訪れたロッジの周辺には自然の林が残されていて、シナノキの若葉が風にそよいでいます。そして、そこで珍しいものを見ました。昨冬、暖房用に保存しておいた薪。よく見るとシナノキです。何ヶ月も前に伐りだしたはずの枯れきった木肌から、なんとシナノキの新芽が、元気に吹き出していました。
 シナノキは「信濃」の語源で、しな乃命名の由来です。人のしな乃は、なぜこうした逞しい生命力をもたなかったのでしょうか。ひとしきり流れた涙で、私の心も梅雨入りです。薪から芽吹いたシナノキの新芽


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2003年 6月 2日(月) 街角の、小さな交通事故の現場から

 6月2日、午後2時半頃、京王線の仙川駅前広場の歩行者専用通路を通りかかったとき、人だかりの中に若い女子大生のような娘さんが(外傷はありませんが)意識不明状態で倒れていました。
 その傍らで、心配そうに見守る友人らしき二人、駅の駐在所のお巡りさんが3人も取り囲んでいました。しかし、お巡りさんにも緊張感がなく、なんとなく手持ちぶさたの感。救急車が到着したのはそれから15分後でした。
 原因はスピードを出した自転車が接触して倒れたらしいのですが、これも交通事故。ノンビリした関係者と、無関心な通行人たち。身の回りに起きた交通事故の典型をかい間見た思いです。加害者は逃げてしまったようです。救われないのは、かわいそうな娘さんです。


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2003年 5月11日(日) 2003年、遺族の会定期総会が開催されました

 5月11日(日)、東京中央区のT−CATで、全国交通事故遺族の会2003年度定期総会が全国から150名の会員を集めて開かれました。
 昨年度の事業報告では、役員ばかりでなく多くの一般会員が、事故の悲惨さを訴えるために様々な行事に参加したこと、事務所の運営などのボランティアに参加したことなどが報告されました。
 今回は役員改選も行われ、新しい気持ちで新年度に踏み出しました。午後は11グループに分かれての分科会が開かれました。
 なお前日の10日(土)は、上野公園で事故防止を訴えた街頭宣伝、そして事務所での懇親会を行いました。


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2003年 3月24日(月) 安曇野のまだ浅い春を探訪してきました
  

 3月23日〜24日、妻と、遺族の会のMさん夫婦で、長野県の安曇野に小旅行を楽しみました。
 暖かな日和に恵まれましが、宿泊先の「泉郷プラザホテル安曇野」の周りはまだ一面の雪景色。温泉につかって夜の更けるまで子供を失った悲しみを語り合いました。
 翌日は碌山美術館、大王わさび園などを散策、充実の2日間でした。写真右がご一緒した三苫ご夫妻


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2003年 3月15日(土) 3月1日、猫のコマチ(小町)逝く
 14年間家族として暮らした猫の「コマチ」が病死しました。コマチは顔に腫瘍が出来たため、昨年末除去手術をしました。その効果もなく腫瘍は再発、最後はやせ細っての、可哀想な姿でした。
 痛いとも、苦しいとも言うことなく、最後まで猫のプライドを保ったままの悲しい別れでした。娘が4歳の時にもらわれてきたコマチは、娘が交通事故で死んだ後は、その代役となって、私たちの心を慰めてくれました。
  あれから10年、結局コマチは、娘よりも長生きしたことになります。今コマチは天国のしな乃に追いつこうと、一所懸命後天を駆けているはずです。


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2003年 2月23日(日) 熱海温泉と、河津桜の伊豆旅行
  

 2月22日〜23日の2日間、全国交通事故遺族の会の有志、およそ30名で、早春の伊豆旅行に行ってきました。22日の宿泊は、熱海の「水葉亭」で多様な温泉三昧。
 懇親会では遠く、名古屋からの参加者などを交え、楽しい一時を過ごしました。「遺された親たち」の著者である佐藤光房先生も参加され、会の創立の頃の話を聞かせていただきました。
 翌日は、約20名で伊豆の河津まで脚を伸ばしました。河津では「河津桜」という早咲きの桜が満開。一足お先のお花見を堪能しました。案内してくれたKさんのご推薦のおソバも最高でした。
  遺族だけのこうした旅行は、日頃の鬱屈した気分を転換させてくれる、大事なイベントです。写真右が10年前を述懐される、佐藤光房先生


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2003年 1月29日(水) 阿部とも子議員の出版記念パーティーに出席

 1月29日、社民党の衆議院議員、阿部知子さんの新著「痛み癒される社会へ」(ゆみる出版 )の発刊記念パーティーが、東京四谷で開かれました。
 この本は阿部さんと、池田香代子(「世界がもし100人の村だったら」翻訳者)など話題の人との対談集で、阿部さんの小児科医として、議員としての姿勢が具体的に書かれた素晴らしい本です。
 当日は社民党の土井党首ほか、多くの議員や、日本全国から様々な分野で活躍するお医者さんたち、そして阿部さんを支える市民サポーターが多数駆けつけ、会場は大盛況でした。


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2003年 1月18日(土) 初孫が生まれました

 1月18日、息子夫婦に初めての子供が産まれました。3200グラムの元気な男の子です。
 名前は、二人が前から考えていたようで、「慧」(ケイ)ちゃんと命名されました。私にとっては、初孫ということになります。そう考えるせいでもあるのでしょうが、私によく似た、見目麗しさです。アレアレ、早くも「爺ちゃんボケ」が始まりまっています。


      


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