剛の最期5日間の記録 -4-

記録者:父

| 表紙へ | 5月30日 | 5月31日 | 6月1日 | 6月2日 | 6月3日 |

平成9年6月2日(月)曇り時々雨

午前6時10分病院1階ロビーにて起床。

直ぐに剛の様子を見に行く。脈拍:128血圧:82/48(6時半現在)

看護婦さんの話によると、本未明(午前1時〜午前6時)に下痢をしたとのことで、それ以降、導便装置が設置されていた。

午前6時40分病院を出発、会社へ出勤のため一旦自宅へ向かう。8時15分自宅着。朝食後、通常の時刻に出社する。

出社後まもなく、部長が来られたので直ぐに現状報告を行う。

部長は親身になって、よりベターな病院への転移のアドバイス・紹介、あるいは妻の身に対する配慮の言葉をかけてくれた。

また、副部長、同僚の課長、さらに部下達からも暖かい言葉をもらい、先日来からの妻の友達の応援と言い、仲間・友人というものは本当にありがたいものだとつくづく感じた。

取り敢えず、今週1週間のスケジュールの調整と打ち合わせを終えた後11時半頃退社する。

その後、自宅へ一旦戻り昼食を済ませた後、父と共に病院へ向かう。到着後早速病室へ入り様子に変化が無いことを確認。父に留守番を頼み妻と昼食に出かけ、その後JR駅前の銭湯へ行き久しぶりの湯につかる。

午後5時頃、再び病室へ戻ると、O医師がICU室に来ており、先程行ったという脳波検査の結果報告を受けた。

結果の内容は、予想通り全ての波線が一本線の全くフラットな状態であった。

この事は、脳幹を含めた全ての脳の機能停止を意味しており、即ち最終的な脳死の宣告であった。

予め予告を受けており、覚悟もしていたことなので、この時は大きなショックは無かった。妻も同様の様子であった。

また、O医師より改めて尿量と末期の関係を伝えられ、この状態が続くと明日の昼頃に心臓が止まる可能性が大であると告げられた。

いよいよ「来るべきものが来るのか」と心の中でつぶやく。

さらに折角の機会なので、O医師に対しいくつかの質問をぶつけてみた。

Q1

脳死と植物人間状態とはどう違うのか?
A1 根本的に大きな違いがある。日本の場合、脳幹を含めた全ての脳機能が消滅した状態を脳死と規定している。植物状態の場合、脳幹は生きている。従って脳死の場合と違って自力呼吸ができているのである。


Q2 今回、剛が脳死に至った直接の原因は何か?
A2 電解質のバランスがくずれたことにより、脳が肥大化し、肥大したことによって脳へ血液が回らなくなったことが原因である。電解質のバランスがくずれたのは脱水状態により、ナトリウム・カリウム等の正常関係が著しく損なわれたためである。


Q3 もし、二男の洋輔に同様の事が発生した場合の対応は?
A3 取り敢えず、私(O医師)へ連絡をしてほしい。今回の治療において、鼻から胃へ直接管を通し、水分を直接体内へ流し込む方法が功を奏した。点滴で直接水を血管に送ることは赤血球の破壊につながるので不可能。かと言って、今回の例で分かったようにナトリウム・カリウム・ブドウ糖配合の点滴では排尿量と必要な摂取量のバランスを保つことが極めて困難である。


Q4 A3の治療方法について文書でマニュアル化することはできないのか?
A4 それは無理である。なぜなら自分自身も100%の確信を持っているわけではないので連絡を受けた時にアドバイスをするという範囲に止めざるを得ない。また医者というのは、それぞれが職人気質なのでそれぞれ自分流の経験とノウハウに基づく方法で治療をしている。他人のマニュアルを参考にするとは考え難い。


午後6時頃、同期のY課長とK支社長が見舞いに来てくれる。また同じ頃Mさん一家も見舞いに訪れる。

午後9時半頃より妻と夕食に出かける。今日は駅近くの寿司屋でにぎり寿司とあんこう鍋を食べる。

午後11時半頃、病院に戻り様子を見に行く。

現在の数値は脈拍:105血圧:70/40血圧が低くなってきた。

尿の量は相変わらず少ない。色の濃さも増してきたように思われる。

いよいよ明日運命の日がやってくるのか。なかなか眠れそうにない。

午前3時現在の数値。脈拍:113血圧:75/35尿量:少量

午前3時半、2階の長椅子をベッド代わりにして横になる。

>>> 6月3日へ