剛の最期5日間の記録 -5-

記録者:父

| 表紙へ | 5月30日 | 5月31日 | 6月1日 | 6月2日 | 6月3日 |

平成9年6月3日(火)曇り

午前7時起床。脈拍:100血圧:80/45 尿量:少量

午前9時頃、朝食のため妻と共に外出。ホテル前の喫茶『珈琲館』でモーニングサービスを注文。

午前10時頃、姉が来てくれる。

剛の病室へ入る際の規制が昨日から厳しくなった。両親のみの入室でも1階の受付を通すよう指示される。

11時半、剛の身体を洗うのを手伝わせてくれるというので入室する。看護婦さん二人と姉と私の共同作業で行った。

まず手の平に泡状の石鹸を乗せ、身体に塗り込むように胸から腕、背中、足へと順番に洗っていく。

剛の身体は、改めて全身をながめてみると思った以上にがっしりとしており、筋肉質でたくましく感じられた。

多少のむくみが出てはいるものの胸のあたりや、尻からふとももにかけては特に引き締まっている。

右手の指はかなり腫れがきている。左手の指はギブスをしているためか、紫色に変色し 右手と比べかなり冷たくなっている。

そこで看護婦さんに頼んでギブスをはずしてもらい、包帯だけの状態にしてやる。包帯に付いた血の後が痛々しかったが、これで少しは楽になったであろう。

看護婦さんが大便を拭き取ってくれたが、その時の便の臭いは普通の人と全く同じであり、「まだ生きているんだな」と実感する。

足の甲も全体にむくみがひどくなっているようだ。

足の指を洗ってやっている時に左足の中指に水虫を一つ発見する。そう言えば、剛はお世辞にも清潔な男とは言えず、足が臭かったことを思い出す。

おチンチンの毛が結構生え揃ってきていた。剛と最期に一緒に風呂に入ったのはいつだったか。小さい頃、洋輔と三人で風呂に入って遊んでいたことをふと思い出した。

あと、腋毛も短いのが2本ほど生えてきていた。

その後、看護婦さんの指示に従ってシーツの取り替えをした。右へ左へと寝返りさせながら取り替えをしていく。かなりの重労働である。

看護婦さんに頼んで身長と体重を計ってもらうことにした。

身長は巻尺を使い、体重は特別の装置で全身をハンモックに乗せて、それをつり上げるようにして測定した。

6月3日現在の身長:163cm 体重:64.9kgであった。

12時現在の脈拍:95 血圧:85/45 尿量は若干多くなったように感じた。

しばらくして、妻が父と共に入室してきたので今見た剛の身体のことをいろいろと説明する。

それから間もなくO医師が見回りに来てくれる。

現状から判断すると、やはり昨日の説明通り、今日1日がヤマであろうとのこと。

そこで自宅に電話を入れ、洋輔と早苗を早退させ、全員で病院へ向かうよう指示する。

午後1時頃、2階待合室で待機していると妻と姉が昼食に出かけるため退出してきた。その時点の状況で、計器画面の心拍曲線がたまに幅広くなることがあるという報告を受ける。

徐々に最期の時が近づいているのであろうか。

午後2時頃より不整脈が起こりだす。

午後2時半、母と洋輔、早苗、栗原の母が到着。

その間、剛の右手をずっと握りしめていると、不思議な現象が起こり始めた。

突然右肩から腕にかけて、剛が手をピクッと動かしたのである。そして、何度も握ったり緩めたりを繰り返すと、それに連動するように何度も動くようになった。一時は何もしないのに怪我をしている左腕を上の方へ勝手に持ち上げて2〜3秒の間静止するようなこともあった。

一瞬、意識が蘇ったのかと思い、皆が「たけし、たけし」と懸命に声をかけた。

しかし、その声に対する反応はやはり無かった。

医師に聞いてみると、それは脊髄の反応とのことであった。つまり、脳は死んでいるが脊髄は依然生きているため、ツボに触れると反応するのだそうだ。

しかし、何となく釈然としない。昨日までは全く反応が無かったのに・・・・・

午後5時頃、部長夫妻と副部長が見舞いに訪れる。

部長より、病院治療に関して、あきらめること無く尽くす手を尽くすべきである。

そのために病院の転移を考えてみる気はないか、との提案をいただく。

現状において既に脳死状態であり、病院を変えることによる改善の可能性は望めないと答えるが、それでも「やれることはやってみよう」ということで医科大の著名な医師に連絡をしてくれることとなった。

というのは、M救命救急センターは元々その医科大系の病院であったらしく、医大の先生から当病院のO医師へ連絡してもらい、確認をしたうえで一分の望みでもあれば移送を検討するという話となった次第である。

結果的にその医師と部長との間で連絡がとれたのは午後8時頃であり、その時刻には全てが終わっていたという皮肉な結末となったが、本当に親身になって心配し、かつ行動行動してくれたことに対して感謝の気持ちで一杯である。

その後、病室にもどるが剛の様子は悪化の一途であった。

相変わらず人工呼吸器の規則正しい反復に連動して心臓は脈を打っているものの、計器の曲線はいよいよ不規則になってきた。

午後5時半頃、会社の同僚3人が見舞いに来てくれるが、もう病室に案内できる状況ではなくなっていたので、事情を話し、御礼を述べたうえでそのまま帰ってもらう。

折り返し病室に戻り、しばらくすると剛の身体から異臭が立ち込め始める。

看護婦さんを呼び、見てもらうと案の定シーツの上に大量の軟便を放出していた。

午後6時頃のことであった。

看護婦さんの指示に従い、身体をきれいに洗う間、全員が一旦退出し部屋の扉前で待機することになる。

看護婦さんからの呼びかけで再び入室したのは午後6時20分過ぎ。

直ぐに計器に目をやったが、その時には既に、曲線が一本の横線に変わってしまっていた。

看護婦さんが直ちにO医師を呼びに走る。ほどなくO医師が駆けつけ、何度が心臓マッサージを試みる。

しかし、再び一本線が曲線にもどることは無かった。

その後、O医師は剛の骨折した左手首を持ち上げ脈を確認した。

そして数秒後「ご臨終です」の最期の言葉が言い渡された。

平成9年6月3日午後6時24分。

剛の15年間の短い人生が終了した。

 

<<< 表紙へ