8)慢性的人員不足と有能キャリアへのしわ寄せ

 こう書くと、公務員は暇で人が多すぎる、というご批判があると思いますが、現実問題としては、霞ヶ関においては人員が不足しています。
 それは「実働部隊」が十分ではないということです。
 例えば係長や場合によっては補佐で部下なしであったり、係長や補佐がいくつも職務を兼任しているケースもあるわけです。
 私はこれまでおおむね3つくらいの係長の併任が当たり前でした。

 そう言った問題もさることながら、最近はそれにさらに拍車をかける問題が生じています。

 一つは延々と続く「改革」や最近の様々な事件頻発による規制強化といったものに加え、情報公開や政策評価など最近重視されるようになった分野も増えている問題です。人員がほとんど変わらず、案件が増えるということは個々人の負担が増えるということです。

 次に、国会待機や政治家案件など、「今日来たものを今日中に全て処理しろ」という突発案件が多いのも大きな原因です。
 いくら仕事の計画を立てても、それを押しつぶす「最優先事項」があればあるほど多忙になってしまうのです。
 もちろん、ここ数年の長妻昭氏、中根康浩氏といった立法と関係ない「質問主意書の乱発」も純粋な業務量増です。
注)社会保険庁の問題は簡便な「資料要求」でも十分糾弾できます。質問主意書にする必要性はありません。

 3つ目は、前章で書きました「問題管理職」による「人災」による問題もあります(これは官民限らずどこの組織でも大きくなればなるほど生じてしまう問題なのですが)。

 そして最も問題と考えるのが主にこれらの原因による、「有能」と言われているキャリアの辞職やモチベーション低下の問題です。これについてはなかなかわかりにくい部分なので、ここで少し書きたいと思います。

 一般に、重要な仕事(例えば法案作成の司令塔など)というのはやはり有能な人間にしか任せられません。キャリアが全員有能で人数がそろっていれば問題ないのですが、現実的にはそうはいきません。

 有能な人間が限られているにもかかわらず、重要な仕事が増えるということは、有能なキャリアにしわ寄せが行くか、全体のパフォーマンスが下がるということです。
 更にこういった現状に見切りをつけた有能な若手キャリアの早期退職もこの「しわよせ」問題に拍車をかけています。
 その結果、激務のあと普通のポストで「休む」(要は体力を回復する)ということもできなくなりつつあるのです。

 国の将来を考えた場合、有能なキャリア(幹部候補生)を(甘やかすのではなく)大切に育てる必要があります。
 しかし、そういう人は2人分の働きをしますから、このような状況では、その2人分は非常に重要になります。
 結果、優秀であればあるほど忙しい部署に回され、にもかかわらず若いうちは(キャリアといえども同期横並びですから)労働の質・量に関係なく給料はあまり変わらないということになります。
 そして、フラストレーションを抱え、辞職(あるいは体を壊す)やモチベーションの低下という悪循環が進みつつあるのです。

 さらにそのしわ寄せはノンキャリアにも波及します。
 以前はキャリアだったポストがノンキャリアになってきたりしているのです(総務課総括係長ポストなど)。

 これまで霞ヶ関では課全体をマネージメントする総務的ポストである総括補佐(首席)や総括係長ポストはキャリア、各個別案件担当はノンキャリアというのが原則の考え方でした。
 キャリアは総括的ポストで幹部候補生として課や局のとりまとめなどを勉強するのです。
 もちろん総括は個別案件担当と比較して忙しいケースが多いですが、出世(給料)や留学、研修をはじめ多大な差をノンキャリアと付けられているわけですから、ある意味当然です。また幹部候補生としての経験の必要性という意味である程度は納得してやることが出来るわけです。

 しかし、ノンキャリアはキャリア以上に出世も給料も労働と関係なくほとんど変わりません。将来の出世も限られており、こういった経験が役に立つのかすら全くわかりません。

 特に問題なのは、キャリアについては○年で係長、○年で補佐、○年で管理職といったキャリアパスがある程度明確に示されています。しかし、今回のノンキャリア登用では「中級幹部候補」「地方局の幹部候補」など実に曖昧です。
 単ににんじん(?)ぶら下げられるだけで結局こき使われて使い捨てでは?と考えるのは当たり前のことだと思います。 
(もちろんそれに耐えられる強靱な精神と肉体をお持ちの方には頑張って欲しいものですが)

 このように、今の霞ヶ関はまじめにやればやるほど損をする、率直に言えば同じ給料なのに健康を損ない、自由時間を引き替えにするのは損というモラルハザードが生じるのが当たり前と言っても過言ではない状況なのです。
※新聞でよく批判される「若いとき苦労しても天下りなど将来は期待できるから」などについては、今の世の中でそんな風に思っている40歳代以下の職員がいたらただのアホでしょう。

 激務と言われる部署で体調を崩すものが出てきたら、それをフォローする者の口から「体壊したと言って休んだ者勝ちなのか・・」という会話が出るのは恐ろしいことだと思います。

 こうしてある意味消耗戦を続けている組織は長くは持たないのではないかと思います。
 そのような中でも頑張っている「意欲ある職員の正義感、責任感」という個人的なものに頼っている現状は、長くは続かないと思います。

 だからこそ、今のうちに頑張っているキャリアに対し、霞ヶ関に残ってもらえ、また能力を十二分に発揮してもらえるような策を打つべきではないか、と強く考えています。

9)人材確保のために・・


 さて、これらの問題の改善にはどうしたらいいのか。
 私は次のように考えます。

 まず個々人の負担軽減についてです、

 これは本当は人材を雇用できればいいのですが、現在続いている改革はいずれ終了するでしょう。
 そうした場合、公務員の「問題ある人以外は本人の意に反して辞めさせられない」が大きな足かせとなり、仕事が減ってもその量に関係なく無駄な人員を雇用せざるを得ないという極めて非合理な問題が生じます。

 ですから今忙しいと言っても単純に雇用を増やす、ということはできません。

 しかし、民間と同様に派遣社員のような形は出来るのではないかと思います。
 現状は実は地方自治体などから「行政研修員」という形で協力を求めている実態もあります。それを一歩進めて、臨時公務員の雇用を進めるという方法です。

 これはいわゆるバイトというより派遣会社の社員のイメージです。仕事はやはり連続性や基本的理解というものが必要で、一定期間、場合によっては深夜まで一緒にやってくれる人材が必要だからです。
 結局人手が足りずにアウトソーシングし、その相手が「安かろう悪かろう」で役人の仕事量が増えるなら、最初から一緒にやってくれる人が一人でも多い方が良いと思います。
 予算要求の際にも国際会議などは「アウトソーシング」する要求をせざるを得ないのですが、人件費として必要な臨時職員の要求を柔軟にできないものでしょうか。
 人件費増額はタブーかもしれませんが、臨時職員の人件費はそんな莫大な額ではないと思います。

 また、個々人の意欲向上という観点では、誰もが嫌がる激務ポストは、そのポストでは給料を一時的に上げるという現代版「足高の制」を採用したり、あるいは次の人事の希望をある程度はかなえるなど、業務の中で「苦労が報われる」形にすべきだと思います。

 ちなみに「留学」がこれに該当する場合がありますが、しかし、一般的には留学を「これまでの苦労の対価」としてとらえられているのが現実です。ですから、例えば、留学後「借りはない」と解釈してすぐ辞職して民間へ行く人が増えている問題が起こっているのだと思います。

 そういう「ご褒美」ではなく、職員の残留意欲につながる業務の中の適切な処遇にすべきだと思います。特に、タコ部屋等経験後の精神面や体調の不安を主張する職員は極力次は普通のポストに配属すべきです。


 続いて、これが本命なのですが、やはり残業の大きな要因である「今日中案件」を減少させる必要があります。

 このためには、やはり国会業務を筆頭に政治家の意識改革が必要です。

 「役人は公僕」→「一方政治家は国民の代表」→「よって役人は政治家の下僕」と言う三段論法を振りかざす一部の政治家のせいで無駄な仕事が増えていることは間違いありません。

 具体的には、まず国会の質問通告をルール通り2日前にきちっとやるべきです。

 この点、前述の「三段論法政治家」の意識の低さが露骨に出ます。

 例えば「公務員にサービス残業させてかわいそう」なんて言っている民主党の長妻氏は例えば前日の21時に質問内容の通告を平気でしたりします(通告時間が既に業務時間外で全省庁待機)。
 自分で最初から3時間残業を課しているのですから、残業をなくすことなど不可能です。「かわいそう」の意味が全く分かりませんね。

 こういう指摘をすると、政治家は「国会で紛糾している場合など、翌日国会審議をやるかわからない。だから通告などしようがない」という言い訳をすると思います。
 しかし、質問者さえ決めてしまえば、仮に紛糾して翌日流れても翌々日などに同じ質問でスライドすればいいだけの話です。
 関心事項(質問内容)はそうそう変わるものではないのですから、十分可能だと思います。
 事実、与野党問わず、前回時間切れで質問しきれなかったことを次の機会に流用する議員も実は結構いるのですから。
 こういう常識的な立派な議員についてもしっかりと報道して欲しいものです。

 マスコミの前では正義の味方っぽいことを言っておいて、現実的にはめちゃくちゃなことをやっている人物を持ち上げるのはやめて欲しいものです。
 政治家はテレビや新聞の記事になるために対して仕事をしているわけではありません。
 常識的なセンスを持ち、地道な立派な仕事をしている国会議員は与野党限らず沢山います。
 そういう人たちを取り上げることが、政治主導の世の中への最短距離だと思います。


 話がそれました。

 その他にも、「明日会議をやるので資料くれ」「支持者から聞かれてるので明日説明に来い」なども極力避けて欲しいです。

 電話の説明で済まないような案件だとしたら資料を作成する必要があるわけですから。
 会議の資料作成や問い合わせの回答を1〜2日だけ猶予もらうだけでだいぶ変わります。
 また「既存の資料で説明してくれ」の一言で業務量は大きく減ります。現状でも当然参考資料などは既存の資料をなるべく使用していますが、最初に簡単に説明する一枚紙を作るだけでも時間は使います。

 国会議員が業務時間内に質問通告をし、急な発注をやめるだけで残業やタクシー代などの大幅な改善になります。
 役人の自助努力ももちろん大切ですが、現実には国会議員の協力こそが今一番求められていると思います。

 国会議員は、仕事を命じた場合、それが業務時間外や「今日中」であれば税金(特にタクシー代)に直結する可能性が高いということを常に認識して欲しいと思います。
 
 自分の事務所で税金の無駄遣いなどしてないと胸を張っている人がこういったかたちで間接的に無駄遣いをさせていることなど、正しい行動なのでしょうか。

 そうしてみると、マスコミを中心に「行政改革」を叫んでいる「正義派」国会議員を霞ヶ関の役人がどういう思いで見ているか、ご理解いただけるのではないかと思います。


 3つ目は、どこでもある話ですが、個人として仕事は出来るのかもしれませんが、管理職として全く失格の人物、例えば、
・部下を怒鳴りつけることでしか使えない人物(よって部下が十分に発注が理解できず悪循環となる)
・無駄な仕事を次々と発注し、業務量過多で部下を潰す人物
・自分の仕事のためなら税金を湯水のように使う(コスト意識ゼロ)
という問題管理職が時々存在し、それがキャリア制度に基づく年功序列で偉くなる事に起因する業務量増加があります。
 率直に言えば、こういう人物はノンキャリアであるべきで、人を使うことが期待されるキャリアであるべきではないと思います。

 こういった問題人物に対する適正な評価のため、外部から、職員の人事評価、苦情受け付けのための監察官を登用(あるいは評価を外部に委託)し、特命で問題ある上司や管理職をきっちり評価できるようにするのも一つの方法ではないかと思います。
 江戸時代にも不良代官をチェックする巡検使などもいましたから・

 実際、そういう問題人物に限って「自分は優秀」→「自分のやっていることは正しい」→「必要な費用は使う」と、主観的な判断のもと税金を結果として無駄遣いする例もあるからです。
 
 また、複数の職員を1週間の欠勤などに追い込んだり、最悪辞職に追い込んだ人物は降格させ、管理職にすべきではないと思います。
 明らかに管理職として不適切です。
 それは「辞職」する人物の中に見切りを付けた有能な人物や、まじめな人が多いからです。これは大きな損失だと思います。

 いずれにせよ、各省で部局単位なら20〜30名程度で足りますから、問題ある人物が明らかになり、まじめに働いている者が報われ、結果としてコスト意識の上昇による税金の節約にもなりますから、良いことだと思います。

 ちなみに、残業ばかりしているのであればその残業代を一人の雇用に回せというご意見をよく見かけますが、現実問題としてその大半がサービス残業である以上、それは「理論上」のものであり、現実には不可能です。
 ワークはシェアできても賃金がシェアできないのではどうしようもありません。

 では、これらの費用はどうするのか。
 私は、こういったことに必要な資金は、人件費が1時間あたり万単位もかかる大手コンサル(○○総研など)への委託額を減らしたり、公益法人あての委託を抑制すれば出るのではないかと思います。

 ちなみに委託ものについては、全て競争入札にすればよいとの考えもあるでしょうが、人員不足で入札手続きを追加的に一人の担当者がやることになるため、少額のものについて、手続き・選定など煩雑な手続きを何本もやる余裕がないという実態もあります。
 何より、競争の結果「安かろう悪かろう」のケースもままあるという現実もあります。

 結果として実績のある(というか多少無理が利く)相手との随意契約が多くなってしまいます。このあたり、理想と現実のギャップがあります。

 公益法人については、委託が減ってもその分役員や理事長などの報酬を引き下げれば何とかなると思います。

 すでに書きましたが、公益法人の役員の給与や退職金は高すぎるところが多いです(逆に言うと役員給与が高いままだと削られて苦しむのは現場の職員ばかりなので、「役員給与・退職金の削減」が最優先事項だと思います)。

 「古い考え」をもつ役人OBが「小遣い銭」稼ぎのために居座っているのを排除するだけでも大きく変わります。過去の例で言えば、役人最高幹部OBが会長の団体で、「必要だから」と言ってタクシー代を年間160万も使うなど異常としか言いようがありません。
 少なくとも70歳を越えた役人OBは公益関係の職業はいかなる職であるとも無給にすべきだと思います。年金が十分もらえるはずですから。

 また公益法人で役人からの天下り常勤役員に退職金があるのは理解不能です。役所を退官したときにもらっているはずだからです。
 公益法人においては、20年以上勤務した人(つまりプロパー)を除き、公益法人の役員退職金を禁止すべきです。
※これは技術的には簡単で、そういう規程を持つ公益法人を認可しない、とすれば良いだけです。
※ちなみに公益法人関係の書類は各公益法人で閲覧できるので、国会議員の「調査費」「歳費」の範囲内で公益法人に直接問い合わせてください(要は質問主意書はやめてくださいということです)。これまで書いてきたようなまじめに働く職員がまたもや業務をかぶることになります。

 いくつか自分なりに改善点できそうなことを書いてみました。
 しかしこのように見てみますと、霞ヶ関も中身は実は崩壊寸前のように思えます。

 しかし、誤解を恐れずにストレートに言わせていただければ、議員立法が単なる「ビジョン」的な法律(例えば「○○基本法」など)や、「バイク高速道路二人乗り解禁法」のようにちょっと変えるだけなのにあたかも立派な法律のごとく称しているなどがほとんどで、大きな枠組みを作る法律の実行に当たっての様々な問題点を加味して規定を書くことまで言っていない以上、立法府に期待は出来ません。

 だとしたら、行政府がいわゆる「閣法」でやるしかなく、そのためには霞ヶ関の一定レベルの人材の確保は現状では「現時点では」必要なことだと思います。

 ですから、私は単なるお題目だけの「改革」ではなく、具体的な人材確保策を取るべきだと思います。
 問題ある人物は出世させず、信賞必罰を行う。そして国会議員が意識改革をする。そういった「あたりまえのこと」ができないでしょうか?

 「国家公務員改革」など大上段に制度の問題を言う前にこういった足下からの地道な「カイゼン」こそ本当は求められていることだと思います。

10)まとめ

 こうしてみると、癒着や天下り等、よくテレビで取り上げられる問題の解決の必要なのはキャリア制度という国家公務員の制度設計そのものの抜本的見直しと公益法人制度改革であるといえます。

 公務員の人員削減、行政改革(”小さな政府”)にしても、突き詰めれば管理職ポストの削減ということであり、これを実行するにはキャリア制度の抜本的改革しかないからです。
 また、現行のキャリアに対しての改革のみならず、過去のキャリア官僚、すなわち公益法人でしぶとくしがみつく一部キャリアOBを引退させるには公益法人改革しかないからです。
 「国家公務員制度改革」は行うが、「キャリア制度の抜本改革」は行わない今の国家公務員改革は現実にはあまり効果はないと思います。

 「公益法人改革」なども、大臣の承認ならいいとか内閣の承認ならいとかそう言うレベルの話ではありません。
 本来引退すべき良い年齢に達した人物が、多額の報酬を受け取りつつ居残っていることが問題なのです。

 こういった根本論について議論が無く、「天下り」批判や「キャリ制度批判」などを行っている政治家はインチキ政治家だと断言できます。
 「批判」というだけでマスコミに取り上げられていい気になっているだけで、本当に改革する気がないのです。そういう政治家を私は憎みます。
 まじめに働く多くの者が十把一絡げであらぬ中傷を世の中から受けるからです。

 話がそれました。この辺は現場のノンキャリアとしては、どうしても少し感情的になってしまいます・・。

 さて、しかし、そのような抜本的改革までやらなくても、これまで書いてきたように、一部の改正で簡単に出来る改革はいくらでもあります。

 既得権益に対する「官僚の抵抗」という話をよく政治家は言いますが、本当でしょうか。
 「テレビタックル」などで批判する国会議員は、「実態を踏まえて、ある程度実現可能性のある」改正法案や改正策を提示し、さらにその実現に向けて政治的に動いたことがあるのでしょうか。
 
ないのであれば、政治家として何ら仕事をしていないということです。評論家として正義の味方扱いされて満足しているだけだと思います。

 ですから、私は「国家公務員叩き」をやっている長妻昭氏や山根康浩氏などは、自己顕示欲が強いだけで、本当は改革する気がないのだと思います。
 マスコミに取り上げられればいい、という愚かな政治家だと断言できます。

 そういった政治家ばかりだからこそ、今、必要な国家公務員改革が全く進まないのだと思います。

 さて、本稿では癒着を切り口に天下りと国家公務員制度(キャリア制度)の問題について書いてきました。
 これらは私は水にたとえられると思います。

 現行考えられている天下り規制は結局出口をふさぐだけで、どんどんたまっていく水(ポスト待ちの人間)の問題について考慮がなされていません。
 そのままではたまった水はどこからかしみ出すだけです。それが独立行政法人や公益法人という出口です。

 きちんと水を流すためには水の量を減らす(キャリアの採用削減)か、水の行き場を作る(国会議員の政策補助としての出向など)か、古い水をどんどん流す(昔のOBの独法・公益法人の役員の定年制による引退強制)などが必要だと考えられます。
 実際、公益法人によっては役員に定年制を敷いているところはあります。これを強制的に全法人にさせるのです。

 NPOなど市民団体は今や特定の政治勢力ではなくなりましたから、役所の経験豊富な人のいくらでも活躍の場があります。少なくとも指定職までいった人なら能力もあるでしょうから、公益法人や官製NPOを食い物にして生きていく必要はないと思います。
 勲章という観点ならば、勲章を70歳からとしているのがいけないわけで、65歳くらいで差し上げて、その代わりもう役所関係の業務からすっぱり引退してもらう。

 逆に、公益法人等の理事を有給でやっていた場合、辞職後10年間は勲章はあげない、というふうにすればいいと思います。
 退き際の悪い人が多い現状では、強制的な制度を作るしかありません。

 高潔なキャリア官僚で、引退し、年金をもらいつつ無報酬でNPOの世話役をやっている立派な方もいくらでもいます。
 本来、公務員というのはそういう人が大切にされ、勲章を受けとっていただく方だと思います。

 さらに癒着の問題は水が一つところに留まって濁っているということです。
 現行考えられているのは濁った水を捨てて新しい水を入れるだけです。これではいつかまた濁っていくだけだと思います。
 これを改善するには水を動かすことで滞留しないようにする(職員の人事の流動化)か、浄水器をつける(監視制度・監視者の導入)などが必要であると考えられます。

 改革には批判や抵抗がつきものです。しかし政治家が批判するならなおさら、批判者自らが動くべきではないでしょうか。
 小手先やパフォーマンスの批判ではなく、実効ある国民のための国家公務員改革の実現のため、政策立案や関係者の調整を政治家自らの手でぜひともやって頂きたいものです。

 そして何より重要なのは、
 この類の改革に反対するのは、多くの意欲ある者ではなく、一部の既得権益にあぐらをかく問題のある人物たち
です。

 政治家やマスコミが批判すべきはそういう層であって、「公務員」という大きなくくりでなく、批判すべき対象を的確に批判していただきたいです。

 個人的には、それができないほど「既得権益に取り込まれている」から、社会保険庁の問題にしても「構造の問題」ではなく、一部組合員のプロ野球観戦数万円に対する批判など、まさしく些末な議論で、「公務員は悪い」というだけの、本質を大きく外れた批判しかできないのではないかまでと疑ってしまいます。

 公務員制度の構造改革のため、枝葉末節の「無駄遣い」議論ではなく、構造的な根本的な議論を政治家、マスコミに強く期待します。

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