6)接待文化のジェネレーションギャップ

 ここで視点を変えてみます。
 我々の世代がまだしかるべき職務(キャリアなら管理職、ノンキャリなら課長補佐)に就いたことがないからかもしれませんが、よく言われる「接待」については、正直ジェネレーションギャップがあります。

 そのジェネレーションギャップとは、昔、日本全体に流れていた「接待文化」の感覚です。

 今の偉くなっている方は官民問わず、取引先とは接待も含め仕事であるという考え方の人が多いのではないでしょうか。
 もちろん夜の席が相手の本音を聞くなど、仕事の一部として非常に重要なのは今も変わらないと思いますが、根本的な違いは「人の金で飲むことを要求するか」どうかだと思います。

 当たり前ですが自分の金ならそんな贅沢なところへはいけませんし、回数もこなせません。
 結果としていわゆる「接待」や「供応」にはなりにくいと思います。

 更に接待を受けた場合、相手に対し「貸し」を作ることになり、国の政策の公平性の問題が生じると思えます。

 もちろん「交際費」は否定すべきものではないと思います。必要なものもあります 
 しかし、やはり役人が「要求するもの」は絶対おかしいと思います。

 さらに、民間との根本的な違いは、会社の金を使った接待は結果として契約など会社のために返ってくるのに対し、役人の場合は税金には返ってくることはなく、接待を受けた役人個人へのみにしか返ってこないことです。

 その結果が
1989年 加藤元労働事務次官(リクルート事件)
            高石前文部事務次官(リクルート事件)
1995年 中島大蔵主計局次長処分(信用組合過剰接待問題)
1996年 岡光前厚生事務次官逮捕(特養ホーム贈賄)
      牧野通産事務次官処分(石油商会過剰接待問題)
1998年 長野証券局長処分(過剰接待)
など、最高幹部の逮捕や処分が相次ぐというわけのわからんことになっているのではないかと思います。

 これらは国家公務員に対する信用を失墜させるという大きな罪を犯しましたが、個人としてもある程度社会的制裁を受けています。
 しかし、それでもこういった接待を受けたがる人がなぜいるかというのはやはり、「接待文化」が大きいのではないかと思います。

 「当たり前」だからおかしいと思っていないのではないか・・と。

 こうしてみると、国家公務員倫理法ができたことは真面目に働く多くの人たちにとってはよいことであり、倫理法は「接待文化」を撲滅し、「節度ある交際文化」への移行し、数年くらい経てば「ジェネレーションギャップ」もなくなるのではないかと思います。
 そして引き続き「こういうご時世ですから」という葵の御紋もばんばん使っていきたいものです。

 もちろん国家公務員倫理法など必要ない方が本当は良いのですが・・。

 ちなみに一般的なケースは民間より厳しい部分もあると思います。
 当然ながら歓送会は自腹です。例えば大イベントを成功させた後打ち上げをどこもやると思います。役所の場合はこれもまず間違いなく自腹です。
 法律の打ち上げなどで局長室などで乾杯します。そのときの酒は課金です。そして大臣など幹部から自腹の差し入れがある、とまあそんな感じなのです。
 課内旅行(がある課は)、これも給料から天引きの自腹です。

 多くの普通の国家公務員の実態はそんなものです。

 ちなみに、誤解を恐れずに言えば、私は高級幹部は人件費を上げるべきだと思います。

 こういうことを書くと、「公務員は恵まれている」等の反論が出ると思います。
 国会議員の給与は事務次官より上です。しかし、業務上は事務次官会見などに象徴されるように、非常に重要な位置を占めており、ヒラの国会議員よりよほど仕事をしています。
 ならばそれに見合う報酬を支払うべきだと思います。
 現役時代にそれができないからと言って、そのツケを天下り後に政府関係機関等に回す方がもっと良くないと思います。

 官舎の問題にしても、民間と同等の額を払わせないとだめという意見はあるでしょう。だとするとやはり大企業の課長や取締役などと同等の給与とした上で、相応額の家賃を支払わせるべきだと思います。
 そして、その増額分は「役職の臨時賞与」として退職金に反映させない、とすればよいと思います。

 その代わり、行政の不作為など明確な善管義務違反をしたり、ましてや不当な接待や賄賂などを受けた場合は腹を切ってもらう(懲戒免職+5年間の公民権停止など)をする。
 また、国家公務員に限り終生にわたって賄賂が発覚した際は退職金を全額返上させる。

 こういう信賞必罰なら給与を増やしても、そしてうまくいけば結果として政府関係機関の人件費を削減することとなりますから、国民の理解は得られるのではないかと思います。

 実際、ほとんどの真面目で優秀なキャリアにとってはそれでも何ら問題はない(今と変わらない)と思います。
 そしてその方が、有為な人材が残るのではないでしょうか。

※ちなみに、責任の明確化という観点では、公共事業への無駄遣い批判を踏まえ、国土交通省では担当公共事業について課長の名前を明記した評価書を出すようになっているはずです。そういった点は評価すべきだと思います。

7)プライドだけ無能キャリアの問題

 選民思想的なプライドの固まり(だけ)の人はキャリア即ち指導者層としては適切ではありません。国策を誤るからです。

 はっきりいいますと、天下りに固執し、天下り先でバカなことをやるキャリアというのはこういう人が多いです。それは位が事務次官だろうが、関係ありません。
 率直に行って何十年前のバカな「元」○○局長とかのせいで迷惑を被っている人も多いと思います。
 しかしそういう人に限って、外面は良く、「名士」としてマスコミは持ち上げるんですね・・。そういうのをやめて欲しいと思います。

 このような意識を持つ具体例としては、かの元外務省天木大使が挙げられるでしょう。
 「キャリアの試験を受けなかった(あるいは落ちた)ノンキャリアはその時点で敗北者だ。」「合格した自分は勝利者だ」という主旨の記述が著書「さらば!外務省」にありました。そういった感覚です。

 この論理で行くと、大学で一流企業の試験に落ちたり受けなかった人は皆敗北者となります。そんなはずはありません。

 優秀な人材であれば、そもそもノンキャリアと比べることすらしないし、それぞれの生き方として尊重し、うまくやっていくものです。
 しかし彼は、わざわざ他者と比較し、その他者をおとしめないといけないほど、自分の能力に不安(問題)があるわけです。そうして小さなプライドを守るわけです。

 特に天木大使は大使1ポスト、公使3ポストの経験者ですから、彼が著書で言うところの「甘い汁」を相当吸ってきているわけです。その国では大使様、公使様と現地の日本人会のトップに位置し、公邸があって、運転手付黒塗り車で・。
 そして収入も相当な額です。また、依願退職のようですから退職金も相当な額をもらっているはずです。全然「大使の職をなげうって」いません(失笑

 そういう人がゆがんだエリート意識と出世競争に負けた屈辱を元に書いた本が「さらば!外務省」です。マスコミはこのことをきちんと書くべきです。彼は正義の味方でもないし、官僚の鏡でも何でもありません。むしろ逆です。

 汚職で逮捕された小林氏の反省の著書中わずか2名の「キャリアで逮捕されるべき人物」と評されていることを考えると、マスコミがつくりあげた正義の味方とその実態が大きく異なっているであろうことが容易に推察されます。

 なにより、こういった選民意識を持つ人間が、「普通の国民のため」に「国民の目線」で政策をきちんと考えてくれるかどうかはいうまでもありません。同じ職場のノンキャリアを見下しているわけですから、国民も同様に「下々」と思っているのが見え見えです。

 このような「選ばれた私は何をやっても良い」という勘違いこそが天下り先での問題の一つなのです。

 「私のような人物が役員を務めるのだから専属秘書や個室は当たり前」「私のような人物なのだからある程度立派な昼食会や夕食会は当然だ」「たとえ目の前にある省庁でも歩くのは下っ端のやること、車による送迎が当然だ」などなど、よく言われる非常識はそういう劣等感の裏返しであるといえます。

 そして、そういう人物に限って、やたら「個人名で講演」をしたがったり、マスコミ関係者には愛想良く振る舞います。
 本音は、儲かる上に自己顕示欲も満足できる「評論家」になりたいのですから。
 
 「在職中講演回数○回」とか「出張回数○回」とかいうことを誇っている人物がその代表例です。講演料をもらってるんじゃないだろうねぇ(国家公務員倫理法違反)・・と疑いたくなりますが(笑

 そういった意味では、天木大使はこういう問題人物群の中の成功例であるといえます。天下り問題の観点で言えば、逆説的ですが、マスコミ界に転出してもらって不良天下りOBが一人減って良かったというわけです。

 さて、一般的な、選民意識を持つ人の行動でよくあるパターンとしては、自分が要領を得ない発注をしておいて、「できが悪い」と相手をどなりつけるパターンです。
 つまり、優秀な自分はミスをするはずがない。よって理解しない相手が悪いんだ、という発想です。

 これが、(相手には気の毒ですが)例えば部下や委託契約などの委託先で止まっていればまだましです。それが国の政策であった場合どうなるでしょうか。
 そして、そういう人物は「(優秀な私に対する)接待は当然」という低い倫理観の持ち主であるケースが非常に多いのです。

 天下りで問題を引き起こすのは、そういう選民思想を持ちながら、実は無能で、それが故に自分を大きく見せるためにふんぞり返る人物である面を見逃すことは出来ません。
 自分ができもしないくせに現状批判で大きいことを言うわけです。

 でもそういう人物の方がマスコミから見ると「論客」であり、ましてや政府批判すれば正義の味方なのです。
 本当の公務員は、地道に頑張るものであり、例えば講演や出張は業務上の一つのやり方にすぎず、誇るべきものではないことは明らかなのですが・・なかなか世の中にうまく伝わらないのが残念です。

 いずれにせよ、誤った選民意識を持つ人物を排除する方法、これが必要です。
 ちなみにそういう人物は非常に狡猾で、上司には歯の浮くようなお世辞や揉み手で自分を良く見せます。さらに進むと、マスコミを利用して、自分をあたかも正義の味方に見せかけ、そういう本質的な問題部分を指摘されないようにします。
 
 この点、よく留意すべきだと思います。

 論語「子曰ハク 巧言令色鮮シ仁」
 このことは間違いないと思います。


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