3.すべてを国に管理される管理社会への第一歩
この手の話題はいつも取り上げられています。 特に反対派の新聞で恣意的なのが、「氏名、生年月日、性別、変更履歴などの個人情報」という書きぶりです。 ・・・それ以外には「住所」しかないんですけど(あともちろん住民票コード)。 しかも変更履歴は過去5年までのはずです。別に「その人の一生について、これを見ればわかる」というものではないのです。 このあたり、「など」とすればほかにいろいろあるのではないか、読者(市民)を疑心暗鬼にさせようという恣意的な画策がみえみえです。そういうのはマスコミはやめるべきです。 一方、日刊スポーツでは「将来、この番号で病歴、職歴、交通違反などが管理される可能性もあります」など、恐怖を煽っていました。 また週刊誌でも「あなたのプライバシーがすべて管理される」なんて吊り広告も見かけました。 しかし・・みなさんは病歴を近所の市役所や役場にいちいち申請していますか?職歴は?交通違反は? 少なくともすべての病歴や職歴など提出することはないはずです。交通違反も警察が他省に情報を提供することは普通ありません。 つまり、これは「妄想」の世界です。 事実、住民基本台帳法には、記載すべき事項が法定されています。何でもかんでも国が恣意的にできるわけではないのです。 (参考)住民基本台帳法 (住民票の記載事項) さて、少し目を転じますと、お医者さんのカルテはすなわち病歴となりますが、どのように対応しているのでしょうか。企業や官公庁は求人の際提出された履歴書の「賞罰」欄をどのように取り扱っているのでしょうか。 適切に取り扱っているはずです。 これらを「人間を管理するために」入手しているのか、業務上必要だから入手しているのかを考えれば、自ずと答えは出ます。 だからこそ、「住民基本台帳」の記載内容も住民の代表たる国会の審議が必要な法律に記載されているのです。
注意するとすれば13号の「政令で定める事項」を改めに行ったときですが、この場合もパブリックコメントをHP等で募集するとともに、閣議決定の二日前に記者発表をすることになりますので、まともなマスコミなら気づきます。
このようにみると、「不安」を煽って、「管理社会」を想像させる記事を書くのはまさに「すばらしい小説家」であって、国民全体に政策をきちんと伝えているということではありません。
さすが作家です。 きっと彼らは、学校の出席番号も「人に番号をつけ学校が物扱いして管理しようとする発想だ!」となり、銀行の口座番号も「銀行が個人の住所などの個人情報や貯金を管理し、悪用するに違いない」となり、レンタルビデオ店で会員番号をつけられるのも「レンタルビデオ店による管理だ!人格を無視している!」となるのでしょうか。 なにより、戦後は民主主義の下、公務員も国民です。これを強調したいと思います。共産主義国家などと違い特権階級ではないのです。
1.については、最近とみにひどいと思います。自分たちの主張なら堂々と言えばいいのです。国民の名前を借りる必要はありません。 2.についてはより深刻です。 なぜなら、国家がつける番号としては、国民年金受給者(ほとんどの労働者)はそっちの方でもう番号持ってます(基礎年金番号)から(笑)。 逆に言えば、本気で国民を管理するための情報を集めようとするなら、そっちである程度の情報はわかっているので、わざわざ寝た子を起こすようなまねをして住基ネットなんてやる必要ないのです。
もちろん人それぞれいろいろ考えるのは自由です。しかし、こういう空想による決めつけの意見を反対派の代表例の一つとして取り上げること自体恥ずかしいことだと思います。 マスコミの使命、「真実を国民に伝える」というプロ意識を思い出してほしいです。 認められないと思います。 まずは問題の条文を見てみたいと思います。 (都道府県知事への通知) つまり、市町村長は、都道府県知事に通知する「ものとする」となっているわけです。 おそらくはこの「ものとする」が「しなければならない」でないから義務ではない、と考えているのでしょう。 しかし、「ものとする」はまともに法律をやった者なら普通は「義務規定」と理解できるはずなのです。 ちょっとマニアックにご説明しますと、もともと「ものとする」は、義務なんだがそれを「しなければならない」にすると、他の行政官庁に対しきつすぎるので少し柔らかく書いたという場合に使用されます。 例えて言えば日常会話にすると同僚や部下に対し「掃除しなきゃダメだからな」はちょっときついので「掃除しておくように」としたようなものなんです。 この例ですと、「掃除しておくように」といったら、「掃除しなくてはならない」でないから「掃除しなくても良いんだな」と思うでしょうか。 そういうことなのです。 もちろん「しなければならない」と書いてないわけですから、「義務規定ではない」という解釈の余地はあります。しかし、立法者(総務省)が「趣旨は選択制を認めない」としている以上あとは裁判所に持ち込むしかありません。 横浜市などはこれをどういう考えで選択制と考えたのか。特に国会議員という「立法府」の経験者が首長の市でこういうことが起こるのは驚きです。 中田市長は国会議員の期間中法律の細かい解釈など立法技術を全く知らずに「議員立法」をしようとしていたのでしょうか。
幸い最近の報道では「選択制」と言っていないと軌道修正したようです。 この点、同じ元国会議員でも「法の読み込みが足りない」と一喝した石原東京都知事とは法律の知識も含め格が違うと言うことでしょう。
ですから「総務省の解釈はおかしく、県と協議する余地があると思う」というのは論外です。
繰り返しになりますが、前述のように「法律」の所管は国です。ですから法の解釈の権限は国にあるわけです。
誤解を恐れずに言えば、私は経験上、県や市の法令の理解度は大きくばらつきがあるな、と認識しています。 国も異動の頻繁さから時期的な問題(異動したての時など)や能力的な問題で理解度の低い人がおりますが、地方自治体の場合は組織的に(例えば課単位で)精鋭(国以上)の部分とそうでない部分の差が激しいように思えます。 実際、私は法律に明るい都道府県や市町村のベテラン職員の方に相当助けていただきました反面、全くの間違いを大声で主張する方(大声出せば主張が通ると思っているのでしょうか?)には閉口したものです。 例えば・・「全国市長会の要望」、というと、当然みなさんは「市長の集まりが要望するんだからそれまでに内容は十分チェックされており、間違いなどあるはずない」とお思いになると思います。 私もそう思っていました。 しかし、現実には「地方自治法で定める都市(いわゆる政令指定都市)」と、個別法で定める「政令で定める都市」の区別すらできてないものもありました。 これは、簡単に言いますと、A法でその法律の特例を与える都市があるとします。この場合のA法で特例を認める「政令(この場合はA法施行令など)で定める都市」と、世間一般で言う京都市、福岡市などの政令指定都市は当然関係ありません。 そういう基本的なことについて法律を施行する責任者が理解せず、「要望」を出しているわけです。 そのときは正直、驚きました(と同時に怒りでいっぱいでした)。なぜなら、法律担当者が、「これは間違っている」といっても「市長さんが言っていることだからとりあえずそのままにしておいてよ」というばかげたことになったからです。 何考えてるんだ?市長の体面の方が市民に対する法の曲解より重要なのか?
話がそれました。それはさておき・・。 本件でさらに問題なのは仮に「選択制」などといっても、横浜市には「市民自身が受け取りを拒否した」はずの住民票コードがインプットされているのです。 受け取り拒否したからといって住民票コードがつかない(「返上」した)わけではないのです。
最後になりますが、仮に解釈の余地があるとして選択制を認めるとなると、横浜市は住民基本台帳の制度そのものを崩壊させることに気づいていないようです。まずは下の条文を見てみます。 (住民基本台帳の備付け) 第七条とは、前にも出ていますが、「名前」など、住民基本台帳に記載すべきものが載っている規定です。これがもし「でなければならない」ではない(義務規定ではない)とその市町村が解釈した場合、恐ろしいことが生じます。 そうです。 その論理ですと、記載内容がすべて選択制になってしまうのです。
そんなはずはないでしょう。 こういった点でも横浜市はもう少し法律をきちんとチェックすべきではないでしょうか。
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