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ほえづら

−1999年2月「ちっぽけな宇宙−おやつ新聞論」

[1月|3月|編年表]
29/Mar/1999(Mon)

1999年2月はちっぽけな宇宙−おやつ新聞論を3回お送りしましたが、2月は忙しすぎて、今思うと書き足らないところが多いのです。そこで、あと2回ばかり内容を補足しましょう。

第4回 馬子にも衣装

露骨に不満ばかりぶちまけていてもおもしろくないので、ちょっと軽い話題を追加しておきましょう。

と言うつもりで書き始めたんですけど、結局「考古学のおやつ」にありがちな話になります。あらかじめお断りしておきましょう。

ある新聞記者さんにあったことがあります。インタビューってヤツですね。時間をかけてお話ししたんですが、その中で何度か、記者さんが

「それはどういう意味ですか」

と、切り込むような言い方をされました。

(おお、なかなか鋭いな)と思って一生懸命(^^;説明しました……ふう(^^。。

「では……という意味ですね。」
「え、ええ。そうです(^^;ゞ。」

(う〜ん。ちょっと違う気するけど、まぁ、そんなとこかな)

こんなやりとりの繰り返しでしたが、結局私も言いたいこと言ったし、記者さんも満足されたみたいだし、まぁ、いっかぁ。
と思いながら記事ができるのを待ちました……何だこりゃ??

話の変なところが強調されてたり、記者さんが勝手に作った話が載ってたり(何のために取材したの?)、無茶な要約で意味が変わってたり。いや、すごいのは、「これこれは違う」と強く否定したところがよっぽど印象に残ったのか、間違ったまんまで載っていたり……。

それに比べれば日本テレビの井田由美さんは……というのは新聞の話から外れるので、また別の機会に。

取材の時は話がつながった気がしたことも、記事に書き起こすときに取材メモのバラバラな情報をゼロから組み立てたとしか思えません。

あ、たぬぼり展覧会も同じか(^^;ゞ。

でも、あんなに鋭い質問してたのに、あの記者さん。

いや、待てよ。この鋭いってのは虚像なんじゃないかな?

よ〜く思い出してみると、「それはどういう意味ですか」とかの質問をしてるだけで、「鋭い質問」はしていないんです。こういう風に聞かれる瞬間って、私が少し考えてから話したり、言いよどんだりしたところなんです。こういうのは、「この話はむずかしいからやめた方がいいかな」とか、「適当な表現はないかな」と考えてる部分なんですが、記者さんはこういういかにもなんかありそうな部分に反応してるだけだったんですね。
で、私が適当になんか言うと、今度は納得した風に反応してるだけだったんです。

そうか、こちらは「話」をしてるつもりでも、向こうは「反応」してるだけだったんだ。

もちろん、ちゃんと話の通じる記者さんもいらっしゃいますけど。

でも、単に反応して問いつめるというパターンだけ身につけておくと、その場では一応記者らしく見えるのも事実ですね。そうだ、こんどどうでもいいところで言いよどんで、記者さんのレベルを試してみようかな。

でも、よその業界の心配してる場合じゃないです。

考古学の学生さんも、こういう反応して問いただすだけの行動パターンを身につければ、鋭い学生さんになれますものね。まぁ、現場とかじゃ正体ばれますから、研究会とかで活躍できるかも。そうそう、いるいる。そういうクワセモノの学生。

え?学生だけじゃなくてプロの考古学者にもいます?

う〜ん。考古学業界の方が悲惨か。

あと1回追加の予定です。


25/Feb/1999(Thu)

今月はちっぽけな宇宙−おやつ新聞論をお送りしています。予想はしていましたが、全然書く暇がありません(^^;ゞ。

10年前、1989年はすごい年でした。東欧の変革が起き、ベルリンの壁は壊れるし、チャウシェスクは死刑になるし。

そのしばらく後、岩波新書の『五つの共産主義』を読んだら、チャウシェスクが登場してるんですよね。もちろん、東欧変革のずっと前に出た本です。彼の処刑後に読むと、とても妙な気分でした。興味のある人は読んでみてください。なかなか見つからないとは思いますが(^^;ゞ(私の持っていた本もなぜか行方不明になりました)。

忘れもしない6月3日、イラン・イスラーム革命の指導者ホメイニ師が死去したんですが、その夜不気味な移動を始めた人民解放軍の動きによって、ホメイニ師のニュースはかき消されてしまいました。

第3回 ちっぽけな宇宙

以前TBSで活躍されて、今は大学教授をされている田畑光永さんという方がいます。中国を中心に、アジアに強いジャーナリストで、最近ではやじうまワイドにも出演されてます。

10年前、ちょうど中国で胡耀邦元総書記の死去をきっかけに民主化運動が高まったころ、私が通っていた大学に田畑さんが来られました。どこかの研究室だか、サークルだかがお招きしたようでした。私は友人たちとともに、最新の中国情勢を聞こうと、会場となった教室に行きました。別に、ポスターとかで宣伝したわけでもないのに、50人くらいの学生が集まっていました。

実は、学生時代にその後1度だけ、田畑さんをお見かけしたことがありました。営団地下鉄の赤坂見附駅(TBSの近くですね)で、丸の内線から銀座線だったか、その逆だったか、乗り換えようとしたときに、ホームに仁王立ちのおじさんにぶつかりそうになりました。見ると、怖ーい表情で遠方をにらみつけている田畑さんがいたのです。何かの待ち合わせだったのでしょうか。それにしても、怖かった(^^;。

もう記憶が曖昧で、6月4日の以前だったか以後だったか覚えていませんが、そのときのお話は、ジャーナリストとしての活動の内幕などについても言及され、面白いものでした。

農村から人口が都市に流入することを中国では「盲流」と言うが、この言葉をマスコミで使用していいかどうか、まだ結論ができていないので使っていない、とか、

実際に「盲流」がマスコミで使われ始めたのはこの話の半年ほど後でした。

●●●●から「○○の○○○○のニュースは流すな。◎◎◎はこちらの要求に応じたぞ」と脅迫めいたことを言われたが、確かに最近◎◎◎の番組では○○の○○○○に触れる発言がないようだ、とか、

わかんないよね(^^;ゞ。

最新の中国事情と、それらがどのように「報道」の形になるか、また、報道からだけでは見えない日本政府の動き、マスコミの動き、一つ一つが興味深い話でした。私の友人たちが、最新の中国情勢について矢継ぎ早に(陳腐な表現(^^;)質問しても、田畑さんはそれらに丁寧に答えてくださいました。

ところが、時々気の抜けるような質問をする学生がいます。

新聞社に入るには、どんな本を読んでおけばいいですか?
やっぱり●●学科を出た方が有利ですか?
◎◎の授業は、出ておいた方がいいですか?

ここは就職相談会か?

どうもこの集まりにはマスコミ志望の学生がたくさん来ていて、この人たちは、最新情勢とかよりも、「ジャーナリスト」というブランドをいかにして身にまとうか、ということしか頭になかったのです。

主催した学生たちには、最初っから就職相談会的な意図があったのかも知れませんね。というのが10年たって少し客観的になった私の理解です。

こいつらが「ジャーナリスト」になるのか……。私は壇上の中央にいる有名なジャーナリストと、集まっている「未来のジャーナリスト」たちを見比べて、いや〜な気分になってました。

いや、中には「ジャーナリスト」になってから考えがしっかりする人もいるかも知れません。そんな人もいて欲しいですよね。でも、やっぱりそうでもなさそうだな、と言うのが、前回お話ししたような事例です。

残念ながら「ジャーナリスト」のブランド自慢みたいな人がいて、ブランドの価値を認めない相手には「知る権利」や「速報性」という呪文を使って、「ペンの脅し」をかける、そんな人が実際にいます。
いえ、誤解していただきたくないんですが、国民に知る権利が合って当然で、報道の速報性に期待するところも大きいのです。それは決して否定しないのですが、それが彼らの「ジャーナリスト」小宇宙の重力法則を満たすのため「ペンの脅し」になっている(少なくとも、なりうる)ことが問題なのです。

10年前のジャーナリスト志望の学生、彼らが今日のニュースの原稿を書いたのかな?彼らは彼らのブランド志向を満たすさまざまな呪文を覚えて、大活躍してるかも知れません。


今月は、借り物の話でなく、自分の体験を書いているので、ちょっと内容に偏りがあるかも知れません。また、言い足りないこともあり、まとめも書いていないのですが、相変わらず時間がとれないので、事例だけを書いたところで、ひとまず終わりとします。

3月はこのコーナー、お休みしてるかも知れません。ネタが尽きてきたし、時間がないもので(^^;ゞ。


15/Feb/1999(Mon)

今月はちっぽけな宇宙−おやつ新聞論をお送りしています。ちょっと一方的な話になりますが、こういう事例もある、と言うことで。

第2回 ペンの影にて

前回は、ちょっと新聞論とは遠い話、と思われたかも知れません。前回みたいなのは営業上の問題で、その新聞の記事とは関係ない気がしますね。もちろん、そうであればいいのですが、そんなに単純でもなさそうです。残念ながら。

新聞記者さんにも何人かお会いしたことがあります。勤務形態とか、考え方が違うので、戸惑うことも多いのですが、なかなかに多士済々のようです。そういえば、以前もとある記者さんの話をしましたね。

記者さんたちのの中には、ごく一部ではありますが、どうにも変な人たちがいます。一番呆れるのは、無茶な要求を平気でして、こちらが事情を説明して断っても、自分の要求がおかしいとは全然思わない人。

どうしてダメなんですか?欲しいんですよ!!

う〜ん。理由をそれしか言えんのか?こんな人に記事が、いや文章が書けるんだろうか……と思っていると、できあがった記事はそれなりに整った文章だったりするんですね。文は書けてもしゃべりはダメなのかな。やっぱりほかの人に書かせてたりして
事情を聞かされても「欲しい」を繰り返すだけの、こういう記者さんは、日常生活もこの調子なんでしょうか。家族は大変でしょうね。大学の時、不可つけられても「どうしてダメなんですか?欲しいんですよ!!」で教授から単位もぎ取って新聞社に就職した筋金入りだったりして。

新聞記者の賃上げ闘争はすごいでしょうね。あ、それで給料いいのか。なるほど。

私も何度か不毛な押し問答しましたけど、怖かったー(^^;。前回X新聞の勧誘と同じくらいでした(マジ)。あ、その中には当のX新聞の記者もいましたね。そういや、あの人が一番ひどかったな。いえいえ、偶然だと思いたいですけど。

押し問答して、埒があかないとなると、彼らの次の手段は「相手の名前を聞く」と言うこと、そして、取材メモを大きなモーション(それはもう、盗塁したくなるくらい)で取り出し、メモして見せるんですね。パフォーマンスなんです。新聞記者じゃなくても、自分の要求に応じない相手にこの手のパフォーマンスをする人は多いですね。一部の企業にも、こればっかりのところがあります。

私の名前もいくつかのマスコミ(新聞社のほか、テレビ局なども)の取材メモに記されていることでしょう。まぁ、わざわざ名前を聞く会社は、それだけ傍若無人の会社ですから、こちらも向こうの社名は忘れませんけど。おっと、これを書いてて気づいた。人の名前だけ聞いて、自分の名前は名乗らないなんて、フェアじゃないですね。●●●(地方の某放送局)のディレクターさん。

まぁ、こう言うのは遠回しな脅迫なわけです。で、脅迫ぎりぎりの方法で要求を実現しようとするんですけど、中にはうっかりホントの脅迫をしてしまうお茶目な新聞社があります。

全社を挙げてオマエを潰してやる!

ぉおー。おっそろしいですねー。私はこんなこと直接言われた経験ないですが、言われたらびびるだろーなー。でも、ここまで言えば、明らかな脅迫ですよね。

新聞社が個々の記者にとって都合の悪い人をいちいち「全社を挙げて」潰してたら、大変でしょうけど。特に大新聞。でも、こういうこと言うのは大新聞の記者です。ミニコミ誌が「全社を挙げて潰す」なんて言っても効き目ないんですから。

こんなにまでして得ようとする情報って、いったい何なんでしょう。実は、その辺について、どうも私には彼らの考えがよくわからないんですよね。言葉の無駄遣いというか、そんなに怒ったり罵ったり脅したりして、狙っているものは大した情報じゃないんだけど。わからんなー。

「知る権利」とか「速報性」とかと教科書的なことでも言うのなら、それが個々の事例で正しいかどうか個別に検討が必要とはいえ、まだわかるんですけど、何だか、個人的な願望を周囲に押しつけるだけ、みたいな人がいるのはかないませんね。

陳腐な表現かも知れませんが、「ペンは剣よりも強し」という言葉があります。彼らの脅迫ぎりぎりの態度に接するとき、この言葉の恐ろしさを感じます。特にメディアが発達して、私たちの接する情報のほとんどすべてがマスコミ経由という今は。でも、この言葉、こんなことのためにあるんじゃないはず。どうしてこんなことになったのかな?

これを読んだ閲覧者のみなさん、さっそく、「考古学のおやつ」のこのページを疑うことから始めましょうね……って、なんかパラドックスか?


7/Feb/1999(Sun)

ちっぽけな宇宙−おやつ新聞論

以前お話ししましたが、私は新聞を購読していません。学生時代、発掘現場にこもっていて、新聞もテレビもない生活を1ヶ月続けたことがあり、それで、新聞なんかなくても大丈夫と気づいたのです。

よく、「新聞って、読まないうちに溜まるよね」などと言っている人がいますが、読まないんなら取らなきゃいいと思うんですけど、どうして気づかないんでしょう。せめて夕刊はやめるとか。

そうそう、夕刊だけやめられることを知らない人もいますよね。私の田舎には「夕刊」なんてありませんでしたから、「朝刊」という言葉も存在しませんでした(不必要な概念だから)。どこだかのテレビ局に「日曜夕刊」とかってニュース番組がありましたが(今もあるのかな?)、子供のころ、番組名の意味が分かりませんでした。

大学生になって東京に出てきたとき、実物の夕刊に接したのですが、それでも必要性がわかりませんでした。

おっと、今月は夕刊の話じゃないんだった。

今月は、新聞に関していくつかの私的な話題を書き繋いでいくことにします。一方的な内容ですから、関係の業界の人には不服の点もおありでしょうが、登場する出来事はすべて体験に基づく事実ですので、私のせいじゃないですよ。

第1回 ドアを開けたら

その当時、大学院生だった私は埼玉県の住宅街にある古いアパートに住んでいました。

電気などの公共料金は全部銀行引き落としにしていたし、郵便もめったに来ない我が家はいたって静かで、私はオタク少年のように『夢村土城』の実測図をひねくり回していました。

そんなある日、ドアを叩く音がしました。誰だろう。

ここでドアを開けたのが間違いでした。めったにドアをノックされない私は、知らない相手にドアを開けてはいけないという鉄則を忘れていたのです。ノックした黒い影は、すぐさま左足でドアを閉まらぬように押さえ、さらにごつい左手でドアをがしっとつかんだのです。黒い革ジャンを着た、顔に傷のあるその大柄な男は、いきなり用件を言いました。

X新聞、とらない?

この、たった一言の用件を断るまでの時間が長い長い。もちろんドアを閉めようとしましたが、この男の腕っ節にはかないません。新聞は取らないというと、

近頃の学生はダメだな。新聞ぐらい読めよ。

なんてのは序の口で、

どうせ学校なんかいかないで、女と●●●●●●●●●、●●●●●●●●●●●●●●●●●。(絶対書けません!!)

とか何とか、えんえん罵られ、脅されました。

この男には自転車に載った相棒がいて、どこそこの家は今Q新聞を取ってる、どこは取ってない、とこの男に情報を与えていました。この手でいくつもの家を回っているのでした。

結局日が暮れるまでこの状態が続き、男は諦めて去って行きました。X新聞はとらなくてすみましたが、数日間は不愉快な気分が続きました。

この時以来、悪名高いX新聞の勧誘はこういうものだったかと実感した私は、新聞の勧誘は相手をしないことに決めました。すでに、新聞など私に必要ないことはわかっていましたし。もちろん、知らない客にドア開けるなどもっての外。

その後、福岡に引っ越した私は、少し広くなった新たなアパートで新しい生活を始めました。もちろん、新聞の勧誘は断ると心に決めていました。

ドンドンドンドン

ある日、いきなりドアを連打されました。

「白井さん、書留です。」
「あ。はいはい。」

あわてて印鑑を取り出し、ドアを開けると、

X新聞です。

うわーーーーっ!!
すぐにガーンとすごい音を立てて、ドアを閉めて部屋の奥に逃げ込みました。一瞬見えた男の姿は、絶対に郵便配達の身なりではありませんでした。

埼玉のときの記憶からさほど隔たっていなかったその時の私は、しばらく息も止めるくらいおとなしくしてて、男がいなくなったころを見計らうと、外からは「白井」の住居とわからないように、表札を外しました。よりによって、またもX新聞とは。

いや、これは販売店の個別の問題で、X新聞自体は関係ない……という人もいるかも知れません。でも、これに限らず、こんなことするのがX新聞ばかりなのは、これを容認するか、あるいは促すような雰囲気がX新聞にあるような気がします。

ま、まだ第1回ですから、とりあえず灰色のまま、次回に続く……。


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