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考古学のおやつ おやつコラム ほえづらコラム

ほえづら

−1998年12月「文を書けない人々」

[11月|1月|編年表]
25/Dec/1998(Fri)

今月のほえづらコラム文を書けない人々,特に反応が返ってきたのは第1回の最後の方で書いた,よく似た文章についてでした。話全体の趣旨から少し外れる気もする(かなり特殊な個別事例ですからね)ので,ここだけ着目されるのもどうかなぁ。
ただ,この記述に注目した人たちが,いずれもプロの考古学者であることは,注意していいと思います。やはり,研究者は知的所有権に敏感でないといけませんし,他人の著作を大切にできない人に,責任ある文が書けるとも思えませんしね。何人かの考古学者からの感想を聞いて,日本の考古学業界,まだまだ捨てたもんじゃない(部分もある)なと思いました。

考古学のおやつも,著作権に配慮し,一部のファイルを削除しました。そうしないと,一貫性がありませんからね(^^;ゞ。

さて,前回まではネガティヴな話だったので,今度こそ建設的な話にしたいし,そろそろ自分のことも書かないと,バランスが悪いでしょう。今日は,卒論・修論に苦しむ学生さんのために,私の体験を少しお話します。ささやかなクリスマス・プレゼントです。ただし,これを読んでも,年明けの論文の締切には間に合いませんよ(^^;。

第4回 文を書けないつらさ

気恥ずかしい話ですが,一時,日記をつけていたことがありました。それ以前も何度か試みて,判で押したように三日坊主だったのですが,高校1年の秋に始めた日記は,大学1年の夏まで,4年間(浪人時代を含む)続きました。

(3/Jan/1998補足)この日記は,その後引っ越しに際し廃棄しました。捨てないで取っとけば,今ごろ,「考古学のおやつ」のネタに困らなかったろうに(^^;ゞ。

書き始めて気づいたのは,「書けない」ということです(なんだか,矛盾した言い方ですね)。一応,10行ぐらい書いたんですが,10行といっても全然ほめられたものじゃないんです。

午後,○○で△△した。

とかの,どーーっにもならない文が10個並んでるだけ。どれも1行だけで,その間のつながりとかストーリーは一切ないんです。もちろん,この出来事を書こうとしたからには,それにまつわる印象的なエピソードとか,そこから感じたこととか,関連して書きたいことはいっぱいあったはずなのに,頭の中の“話”が,どうしても文にならないんです。
日によっては,そんなネタさえ準備できないありさま。これには我ながら驚きました。自前の文章を書くって,大変なことだったんです。

普通はこの時点で“お約束”の三日坊主となりはてるわけですが,この時は,何とか書き続けていきました。表現にも凝ったりしましたが,はっきり言って,あまり効果はありませんでした。

こういう経験があるので,さまざまな文を書けない人々の安直な“工夫”が見破れるんですね。今度から,私が見てるとこでは気をつけた方がいいですよ(^^。>●●さん,△△さん,××さん

文章らしい文章が書けるようになるまで,かなりの時間が必要でした。だんだんと,考えていたことが書けるようになると,とりあえず表現だけ取り繕った文章なんて,醜悪で読み返してられなくなりました。また,以前はネタにしようと思わなかった内容でも,その重要性に気づいて拾い上げるようになりましたし,逆に,実は大したことないとわかって取り上げなくなったことがらもありました。

結局,大学に入って生活が大きく変わったころに,日記はやめてしまいましたが,あの時,“何か書く”ことを4年間続けたのは,貴重な経験だったと思います。
今でも,考えていることをうまく文にできないときはありますが,同世代の中ではとりあえず多作(内容を問われると,ちょっとつらい)でいられるのも,その経験があればこそです。頭の中にあっても,文にしてみないと気が済まない,安心ならない,と思うようになったのも,そのせいだと思います。

文の全体像を早くつかもうとするようにもなりましたね。もちろん,書いてみて「あれ,ちょっと違ったな」という間抜けなこともありますが,だからって書かないよりはるかにマシ。
「考古学のおやつ」も,1ヶ月でかつての卒論と同じ分量を書いてしまうペースですから,バタバタで書いてる時もありますが,実はけっこう全体の構成とか考えて,計画的にやってるつもりなんですけどね。

よく,思ったことをなかなか文章にしようとしない学生さんとか(見てるか? おまえのことだ!)がいますが,「資料を集めてから」とか「○○の本を読んでから」とか下手な言い訳(本心かもしれないけど実効上は“下手な言い訳”以上のものじゃありませんね)してないで,早よ書けよと思いますね。書いてみなければわからないこと,始まらないこともありますから。

これまで,経験・知識・思想がなければ文は書けないという意味のことを書いてきましたが,だからって,知識が一定量に達すると質の転換が起こって「文」になるとでも思ってるんだったら,甘い甘い。文にする経験のないまま,「あるかも知れない」と思っている程度の「知識」なんて,アテになりませんよ。

文章という“かたち”を得るのに,“かたち”の部品をかき集めたってダメ,ナマの知識でもダメ。求める“かたち”のために何が必要かを問い直しつつ,“かたち”と知識の両方を鍛えていかなければなりません。

そんなわけで,高校時代から図らずも文章の練習をしていた私ですが,実は,「考古学のおやつ」が始まった当初は,またもや文が書けずに苦労しました。書き慣れない内容の文だったので,初物に弱い私(ほんっと弱いんだ,これが)にはつらいものがありました。

苦労したもう一つの要因は,文章を会話文にしてしまったことでした。最初は深く考えず,「固くならないように」という気持ちでしたが,会話調で“書く”のは,これまでほとんど経験なかったし,うまく文にならなかったんです。何しろ,頭の中で文を構想する時は論文調の文で考え,書く時にこれを会話文に翻訳しながら書いていたのですから,気が変になりそうでした。

それでも最近は,さすがに半年にわたって書き続けてきただけあって,頭の中で最初から会話文が浮かんでいて,それを書き留めているので,文も長くなってきましたし,文体も以前よりは“生きた”雰囲気になったと思うのですが,いかがでしょうか(え?ダメ?(^^;ゞ)?

以前「須恵器甕の叩き出し丸底技法と在来土器伝統」(51kb)を短期間に無理やり書き上げた時,直後に「これ,慌てて書き飛ばしたでしょ」とバレてしまったのと同様に,先日の萬維網考古夜話第4話出口を模索する九州考古学会も,いまだに会話調になりきれてませんから,まだまだ修行が足らないようです。

卒論や修論書けずに苦労している人は,まず4年間日記でも付けたらどうですか……って,締切は年明けだろうから(もう提出した人もいるでしょうが),そうもいかないね(^^。

結論というにはあまりに手前味噌ですが,とりあえずこの話題はここまでということにします。

1月のテーマはまだ決めてません。どうしようかな(^^;ゞ?


18/Dec/1998(Fri)

昨日,短い原稿を一つ書き上げました。人のこと言っても,自分のことは大変ですね(^^;ゞ。

さて,今月は「文を書けない人々」をお送りしています。技術的な理由というよりも,思想がないために文が書けない,それでも書ける振りはしたい,そんな悲しい人たちの行動を追っています。

ところで,前回の末尾は,次のように終わりましたね。

次回からは,少し建設的な話に入りたいですね。(^^;ゞ

で,少しは建設的な話をと試みたのですが,書いてみたら,なんだか最終回みたいな内容になったので次回に回し,もう少し事例に触れることにします。

第1回 口先だけの人,第2回 失われたパラグラフと,文を書けないけどカッコはつけたい人に対する不快感を表明してきましたが,彼らにも一応立場というものはあるのでしょう。まして,文を書けて当然の職業に就いてしまった場合,「いやぁ,私,こんな仕事してますけど,文章書けないんで,へへ(笑)」なんて言ってたら仕事になりませんから,なんとかごまかさなきゃいけませんね。

文章書けないのにその手の職に就くこと自体,どうかしてるんですけど,そういう人がなぜかいますね。

そこで,文が書けないことをいかにごまかすか,その涙ぐましいばかりの努力について,お話しましょう。といっても,「実は文が書けない」ことが私にばれちゃってる訳ですから,努力は報われてないんですけどね。(^^;

第3回 書けなきゃどーする

今回の主人公は,前回までのような研究者(頭に「自称」,とつけたいところ)ではなく,文章を書くことで生活してる,とある業種の人です。遠回しですみません(^^;ゞ。でも,一応ぼかしといた方がいいと思うので。小異は捨てて,とりあえずX記者と呼んでおきましょう。

最初は,直接お会いすることがあって,X記者から質問を受けたのです。

X記者 > (私を見据えて)頂いた資料では,○○についての詳細がわからないんですが。
白井 > (すこしビビッて)え,そうでしたか?
X記者 > これ,記事にしたいので,○○に関する資料もいただけませんか?
白井 > そうですか,せっかく記事にしていただけるのですから,近日中に取りまとめてFAXします。

まぁ,説明不足じゃ恥ずかしいし,記事になるのはいいことですから,さっそくFAXを送りました。

それからしばらくして,X記者から電話がありました。

X記者 > (一方的に)お送りしたFAXはご覧になりましたか?
白井 > いえ,拝見してませんが,いつごろお送りになったんですか?
X記者 > 先ほどですが。もう締め切りなんです。頂いた資料でも,どうしてもわからないところがあるものですから。
(そこへ,届いたばかりのFAXを別の人がデスクまで持ってきてくれる)
白井 > (FAXの送信時刻がわずか数分前であることを見遣りつつ)あ,今手元に来ました。

で,太い鉛筆で殴り書きされた質問FAXを見たら,ひどい内容でした。どれもこれも,いままで要求に応じて送った資料にあることばかりで,なぜ改めて電話をかけるのか,疑問でした。FAXしたり電話かけるより,こちらでまとめた(それには相応の労力を割いたのに)資料を見る方が早いんですけどね。
X記者は,「説明がなく,わからない」とかと,いかにも正当な要求で,私の側に答える義務があるかのような言い方なのですが,とっくに説明はあるんですよね。

ひょっとして,ホントは資料を全然読んでないのかなぁと,私も内心疑い出し,「資料のどこそこにある通りですので」などと嫌味な答え方になってきたころ,X記者は「資料の内容では読者にわかりにくい」と言い始めました。

X記者 > 難しい言葉を改めたいんですが。
白井 > そうしましょう。
X記者 > 中国の「湖北省」と言うのは読者にはわからないので,「黄河流域の湖北省」にしますので。
白井 > (内心あきれつつ)いえ,湖北省は長江流域ですから,「長江流域の湖北省」の方がよろしいと思います。
X記者 > (即座に)わかりました。では,「黄河・長江流域の湖北省」でよろしいですね。
白井 > (もっとあきれつつ)違います。湖北省は黄河流域ではないので,「長江流域」だけにしてください。
X記者 > (詰問調で)いけないんですか!?

みなさんも(おそらく)予想されている通り,湖北省(こほくしょう)が長江流域であることぐらい,資料にはっきり書いてあったわけですが,そうでなくても,湖北省の位置ぐらい,地図の一つも開けばわかるはずなんですね。X記者の読者に地図を見ろとは言わないけれど,X記者は,地図ぐらい見てほしい。いったい何をしてるんでしょう。しかも,どうして湖北省が黄河流域でないと怒るの??

耳を澄ますと,なんだか電話の向こうからキーボードの音が聞こえてくるんです。ほかの記者が仕事してるのかなと思ったら,私がX記者に何か答えた直後の数秒間だけタイプ音がするんですね。ご丁寧にもX記者は,私の発言をゆっくりと繰り返すんですが,その時にタイプ音がするんです。
つまり,私がしゃべった内容をそのまま原稿にしているんです。でも,それを認めようとはしなくて,いかにも,“自分で原稿を書いたけど資料が不備で成稿に至らないから疑問点を質している”というスタンスなんですね。

もし自分ですでに原稿を書きかけているのなら,自分なりの理解や咀嚼の形跡がありそうなものですが,全くそんな気配はなく,それどころか,渡した資料の内容をほとんど知らないんですから,よくそれで自信満々に詰問してくださるものです。

最初のころに渡した資料の中にプレスリリースがありました。多くの同業他社は,このプレスリリースをそのまま,あるいは要約して記事にしており,それでも問題は生じていませんでした。補足説明を求めていたところも,もちろんありましたが,何もかも聞き直したわけではありません。X記者は,この件に関してほかに例のない反応をしているわけです

X記者のやり方は参考になりますね。書けなきゃ人に書かせりゃいいんです。そのときも,「あなたのせいでよくわからない,あなたには答える義務がある」というスタンスで自信満々に聞けばいいんです。

記者さんって,人ごとに個性的ですが,優秀な人も変な人も,その辺の行動様式だけは共通してますね。面白いもんです。

(15/Feb/1999補足)新聞記者さんについては,1999年2月のほえづらコラム「ちっぽけな宇宙−おやつ新聞論」の第2回「ペンの影にて」でも触れています。

読解力がなかったり,資料を見るのもイヤだけど,文章だけは書きたい,という人は,この方法がいいですよ。

今回は,文を書けない人々に学ぼうという,視点を変えた企画でした……え? 結局前回までと同じじゃないかって? あ,よくわかりましたね(^^;ゞ(わかるっつーの)。次回は気恥ずかしくも私自身のことを書いて,この話題の締めくくりとします。それではまた。


11/Dec/1998(Fri)

口先でごまかす人は,文を書かせるとボロが出ます。でも,自分にハクをつけるには“著作”が欲しい。そこでまた一人増えるのが,今月のテーマ,「文を書けない人々」。

口先だけでごまかす人の,もう一つの興味深い習性に,「英語ができる」ことを印象づけようとする,というのがあります。
もちろん,英語ができて優秀な人もいるし,英語ができなくて日本語オンリーの口先だけの人もいますが。

で,口先だけの人で,かつ,英語力を自慢している人について言いますと(但し書きがめんどくさいな(^^;ゞ),なぜか,ほかの人の部屋に行って英語の電話を大声でかけたりします(周囲に聞かせたいわけですね)。迷惑だから向こうへ行って,と思うんですけどね。それに,完全には理解できないけど,大した話してないですね。「Yes.」とか「Thank you.」以外の言葉も言ってね(^^。

まぁ,共通一次試験の英語で失敗して1年浪人した私から見れば,英語ができるのは正直うらやましいし,自分にももっと英語力があったら,と思います。でも,「英語ができる」ことになっている人が,みんな相応の才能を持っているとは言い切れないあたり,難しいというか,奥が深いというか。いずれにせよ。カッコつけて世間を騙そうったって,文章書けば馬脚が顕れます。

第2回 失われたパラグラフ

英文和訳を見る機会がありました。ご本人はものすごく自信ありげです。ところが訳文を見せられてビックリ。文になってないんです。英語どうこうより,日本語ができてないじゃないか,と思いつつ,私がいくらか手直しすることになりました。

そうして読み返すと,いゃ〜〜,ひどいひどい。中学生の試験の答案みたいなんですよ。訳だけ読んでて,原文がどんな構文使ってるかわかるんだもの。また,訳語も,辞書引いて最初に出てくるのを無批判に使ったかのようでした。どうみても,単語の意味を取り違えてるとしか思えないところもありました。いや,しかし,書き上げた文を読み返せば,まったく意味をなさない文になっていることぐらい,気づきそうなものです。

で,周囲の人に相談しながら,文を修正していったのですが,いかんせん,もとの英文が参照できないので,できることには限りがあります。そこで,いろいろと理由をつけて,原文を見せてもらうことにしました。

英語下手の白井 > (謙虚なつもりで)あのぅ,先日の訳なんですけど,謝礼の計算と手続きの都合がありまして,原文が必要なんですけど。コピーをFAXしてもらえませんか。
自称英語上手さん > (笑って)ははは。白井くん。謝礼なんか要らないよ。
白井 > (わざと役人らしくして)でも,決まりですから。そうしないと,私の落ち度になるし。何とかなりませんか?
英語上手さん > それがね。あれって,かなり意訳してるんだ。だから,ちょっとねぇ。

この会話を延々書いてもトラフィックのムダなのでやめますが,どうしてもその人は原文を見せようとはしませんでした。意訳だからと言って。でも,「意訳」って,訳文を日本語としてこなれたものにし,読者に理解しやすくすることでしょ。日本語としてまったく通じていないのにどうして“意訳”なんでしょ(関係代名詞をわかってないことなんて,訳文からでもバレバレだったけど)。

で,押し問答してても時間切れで,私がいくらか手を入れた文が完成しました。

英語上手さん > (妙に明るく)いやぁ,白井くん。文章を直してくれて,ありがとう。なかなかうまいね。

あなたに誉められたくないよ。才能を信じて仕事してもらってるんだから,いい仕事してよ。と,口では言えませんでしたが,気持ちが顔に出る私のことですから,本心は見破られていたことでしょう。

まぁ,これだけのことなら,ひょっとすると何かの事情が,と考えなくもなかったのです。実際,原文(読んでないからわからないですが)が妙なのかも知れないし。それから,ひょっとすると本人ではなく学生か何かにレポート替わりに訳させたものの流用で,その事実を言い出しにくかったのかも,と,かなりひねった弁護も考えたものでした。しかし,実は弁護など考える必要もなかったのです。

再び,同じ人物の手になる翻訳に接する機会がありました。私は気が進まなくて,周囲に「あの人の訳にはつきあいたくない」と漏らしたのですが,そうもいきません。本人は今回もやる気満々のようでした。

英語上手さん > (またも気色悪いほど明るく)白井くん。今回はね,ぼくってすごいんだよ。ちゃんと一通り訳してみたんだ。

どこがすごいの? 「ちゃんと」訳してあたりまえじゃない。やっぱり前回はいい加減にやってたんだな。馬脚を顕わしたぞ。と,これまた私の顔に書いてあったことでしょう。(^^;ゞ

英語上手さん > (まじめそうに)それでね。原文がねぇぇ,ちょっと長過ぎなんだ。縮めてはみたんだけど,それでも長かったら,連絡してね。もう少し減らせるとこ考えるから。

と,立派なお言葉とともに届いた訳文は,信じられないくらい短かったのです。こりゃ,縮め過ぎじゃないか。

それでも今回は原文があるので,訳文と比較できました。そしたら出るわ,出るわ,誤訳の数々。単語の訳が間違っていたり,文法が把握できてなかったり,指示語の対象が理解できてなかったり,……なんで私にすぐわかるのに,英語上手さんにはわからないの(怒怒(--#)? この辺で,私は「この人,本当は英語ができない」と思い始めました。実際,いくつかの句や節は,訳を放棄したのか,まったく訳されていませんでした。その部分がなくなると文章が通じなくなるような,重要なところもです(その重要性を理解するほどの英語力もなかったのでしょう)。

英語上手さんの訳だか,白井の訳だかわからなくなってきたころ,作業は壁にぶつかりました。あるパラグラフ(段落)が,訳されないままなのです。どうも原文に比べて訳が短いと思った。この部分の原文を読んでみますと,なかなか興味深いことが書いてあります。この文でよく出るキーワードは,すべてこのパラグラフで,重要な役割を与えられています。そう,この失われたパラグラフこそ,この文の要点だったのです。ほかの部分のように,私が訳を補おうかと考えました。しかし,これは英語上手さんの訳ということになっています。ちょっとした(という範囲はとっくに超過していましたが)修正ならともかく,1パラグラフもの訳を書き足すのは,私のすることではありません。

白井 > (またも必死に謙虚なつもりで)今回もらった訳なんですけど……。
英語上手さん > (一方的に)あぁ,長かったでしょ。あの原文書いた人,調子に乗って延々書くんだから。じゃぁ,文を減らそう。どこ削ろうか?
白井 > いえ,実はあの訳だと,短いんですね。かなり短か過ぎるんです。
英語上手さん > え,あ,そう? それは困ったね。あれでも長ったらしいなぁと思ったんだけど。紙面の方は大丈夫なの? 困るよね。
白井 > 原文の方を見ますと,3番目のパラグラフが,訳されないで,省略されてるんですね。
英語上手さん > (思考停止した感じで)は?
白井 > で,まぁ,けっこう重要な内容も書かれているようですし,お忙しいところ,まことにお手数とは思いますが,この部分を訳していただけると,ちょうどいい分量ではないかと……。
英語上手さん > (困惑して)何言ってるの?
白井 > (やばい,怒らせたかなと思って)……。誠に恐縮ですが……。
英語上手さん > 3番目の? パ,パラ? 何?
白井 > ……。

この件では,数日にわたって一人で怒ったり呆れたりを繰り返していた私ですが,このときは凍りつきました。英語上手さんは,パラグラフ(paragraph)という言葉を知らなかったのです。それじゃぁ,正しい訳ができないはず。会話はできるにしても,日本語も英語もろくに書けないはずの人だったのです。

まぁ,今回挙げたのはかなり特殊な例と言うか,特殊すぎる例かも知れませんね。しかし,この人も文章書かなければここまで決定的に“才能”が知れることもなかったでしょうから,口先だけの人と文章との関わり,という関心から言えば,かなり興味深い事例ではないでしょうか。

妙な事例を書き連ねるのも不毛なので,次回からは,少し建設的な話に入りたいですね。(^^;ゞ


7/Dec/1998(Mon)

番外編 都出比呂志先生にお会いしました

今月は文を書けない人々を書いていますが,第1回も,次に予定している第2回も,実は「口先だけで周囲を騙してる人も,文章を書かせれば中身の薄さが露呈するよ。考えのしっかりしている人は,それが言葉に顕れるよ。」というのが趣旨なんですね。で,悪い例ばかり書くのも恐縮だなぁ,いい例も書きたいなぁ,と思ってたら,おととい(12月5日),とある懇親会で大阪大学の都出比呂志先生にお会いする機会がありましたので,今日はそのことを少し書きます。

都出先生とごあいさつしてお話まですることは,実は私にとっては初めてだったんですね。何度かお見かけしたことはあったんですが。
数年前,某研究会の懇親会で,やはり遠目にお見かけしたとき,当時大阪大学に留学されていた朴天秀さん(今は母校の慶北大学校におられます)が,私のことを「彼は白井といって,こういう研究をしてますよ」と都出先生に話してくださったらしいのですが,直接お話ししたことはありませんでした。都出先生もそのときのことはお忘れかも知れません。

で,初めてお話しした都出先生は,やはりすごい方でした。まず,私がどういう経歴・身分かがわかると,即座にそれに合わせた話題をぶつけてこられました。しかも,ご自身の体験や信条,最近の活動まで,さまざまな話題と関連づけて,それらの裏付けを踏まえて話されるんですね。その上言葉にムダがない。さすがにすごい人だと思いました。

やはり,それなりの思想や主張があって研究活動を進めておられる人は,言葉も違います。これまでの,論文などの文章を通じての学恩だけでしたが,わずか数分の会話は,非常に有意義でした。

ただ,一つだけ困った効果がありました。あまりの緊張にすっかりアルコールが醒めてしまった私は,つい2次会にも行ってしまいました。あ,別に都出先生のせいじゃないんですけどね。(^^;ゞ


4/Dec/1998(Fri)

文を書けない人々

12月に入り,いつもに増して忙しくなりました。抽象的な意味でも,極めて具体的というか物理的な意味でもかたづけなきゃいけないことがたくさんありまして,困ったもんです。

さて,今月の「ほえづら」ですが,いやぁ,見直してみると,なかなか強烈なタイトルですね。最初,12月のネタを計画してたときは,「文を書くということ」なんて,穏当だけど煮え切らないタイトルを考えてたんですが,ちょっとは刺激があった方が面白いかな,と思ったまでです。もちろん,キツいこと書いたら自分に跳ね返ってくるでしょうから,それなりに気をつけては書きますけど。

でも,刺激の強いこと書いた方が,反応が返ってきて,けっこうやりがいがあったりするんですよね(^^。もちろん,やりすぎは慎むべきですが。(^^;ゞ

別に,「文を書けないことは,いけないことだ」なんて主張するつもりはないんですね。まぁ,趣旨は今月ずっと読んでいただければ伝わるとは思うんですが,「世間を騙しちゃダメよ」(これもけっこう強烈な表現でしたね(^^;ゞ)と言うことです。

で,当然事例が出て来ますが,登場人物を責めたってしかたないので(個人攻撃は今回の趣旨じゃないし),名前は全部伏せて,状況もぼかします。たとえば,2人の人を1人のように表現したり,時系列をずらしたり,場面設定を少し脚色したりします。舞台は全部「職場」と表現しますが,私は今まで複数の「職場」を経験してますからね。ただし,できごとそのものは,実際あったとおりです。

お察しの通り,登場人物をぼかすためだけじゃなく,自分の立場を守るためでもあります。(^^;ゞ

第1回 口先だけの人

口先で仕事をする人がいます。いえ,「口先で仕事をする」と言ったら,ちょっと違いますね。仕事は実はほかの人にさせてたり,ほとんどしてないけど,自分が仕事をしているように見せる人。今日はそういう人のお話。

社会人になると,思いの外,文を書く機会が多いものです。職種にもよるでしょうが,オフィスでは特にそうなんじゃないでしょうか。学生時代のレポートは,何か書いとけばいいやといい加減に書きますが,オフィスではそんなことではすみません。文書が,行った先で何かの効力を生じますからね。一方,卒論みたいに,一世一代のものと錯覚している暇もありません。どんどん文書が必要になるので,ダメなら来年珠玉の一作を書こうって訳にもいきませんから。

私も考古学業界にいますので,文章を目にすることが多いのですが,人による文章の癖がよくわかります。とりとめもなく書いているようでいて,最後に意外なオチを持ってきて,巧みに全体をまとめ,なるほど,この文章はすべてこのオチに向かって集約されていたのかと感心させる文章。いくつも面白い話題を並べておいて,いきなり終わりごろにまじめな文章になり,このままそつなく終わらせると思わせて最強のオチを準備している文章。このような文章を見ると,「またやってくれたな(^^。」と感心します。

で,やたらに一般化するのはどうかとも思いますが,先ほどの「口先で仕事をする」人たちって,文章書けない人でもあったりするんですよね。その場で相手を自分のペースに載せる話術というか,ハッタリとか,しぐさ,表情は効果を生んでても,「文章」では馬脚が現れるんです。で,そういう人たちの「話」を,改めてよく聞いてみると,実は会話がかみ合ってなかったり,話をそらしてたり,ただ不快感を露わにして相手に話題を変えさせたりしてるだけで,全然建設的な会話じゃなかった,そもそも会話として成り立ってなかった,なんてことがあります。

こういう人と仕事でつきあわなきゃいけないときは,いい迷惑ですね。というのも,上の説明でおわかりのとおり,こういう人たちって,根本的に無責任なんです。無責任だけど,手柄とか名誉は欲しいわけです。あぁ,みなさんも,うちの同僚にいる,とか,うちの上司がそうだ,とか,オレもそうだよ,とか,声に出して言いたいかも知れませんね。

で,こういう人は,普段は文章なんて書きたがらないんです。口に出して「書きたくない」なんて言わないけど,何とか避けようとするんですね。発言を証拠に残さない,という意味もあるのかも。ところが,急に立候補して書きたがるときがあるんです。ふだんその人たちの話術にすっかり乗せられている人は,「えぇ?! 書いてくださるんですか? ありがとうございますぅ(^^。」なんて,喜ぶんですが,不安ですねー。

いくつかパターンがありまして,引き受けると(って言っても,本人から立候補したんですけど)ものすごく早く書き上げ,しかも,校正とかもあっという間に返す人がいます。上の方で書いた文章のうまい人にも,こういう「速筆さん」がいるんですが,中身は全然違います。文のうまい「速筆さん」は,早いだけでなく,もともと筆の先から無駄なく文が流れ出しているような人で,しかも一字一句に吟味が行き届いているんですね。ところが,文が書けない方の(口先だけの)「速筆さん」は,吟味なんか全然なく,「言い回し」を並べるだけで,校正の時もろくに見ちゃいないんです。だから間違いもそのまま。私が肩代わりしてコチョコチョ誤字やら修正してるんですけど,完成しても完成品を読み返さないらしくて,修正に気づかないんですね,文章下手の「速筆さん」は。次の執筆機会に,私がこっそり修正した文章をそのまま書き写してきたこともありました。自分で考えたことがなかったってことかな(^^;?

あるとき,「速筆さん」が「●●」という用語のことで,同僚の用語法の間違いを得意げに指摘してました。私が「速筆さん」に,「あなたも●●の用語が間違ってるの,毎回私が直してるんですけど,いい加減,修正してくれませんか」と言ったら,うろたえてました(その人の上司や同僚が勢揃いした場だったし)。でも,その後もやっぱり直してませんね(^^;ゞ。

別のパターンでは,納豆のように粘りけがありそうな,しつこい敬語体の文章とか。この場合は,私と同僚で,「こんな文章,むしろ失礼じゃないかなぁ。」と,これまたびみょ〜に修正しました。で,このパターンの人は,恐ろしいことに,人の文章にケチつけるのが好きだったりするんですね。まぁ,たまにはいいことも言うから,ちゃんと聞きますけど。(^^;ゞ

一番すごかったのをお話ししましょうね。ある人の原稿を目にしたら,次のような文があったんです。

Aである。
次に2はBである。
また,3はCである。
さらに4はDであり,
5はEと言える。

これ,具体的に原文を引用すると,もっと話がわかりやすいんですけど,そうすると,誰がいつどこに書いた文章かわかってしまうので,こんなので我慢してくださいm(_ _)m。

で,こんな風に抽象化すると,そんなに珍妙でもない(そ,そうか?)んですけど,原文では,最初に「1は」が抜けてるのがすごく不自然だったんです。「1は」と書いてないと絶対導き出せないような感じで「Aである」が出てきてたんですね。で,これは本人に確認して「1は」を補いました。ほかの所にも,「言い回し」だけ連ねたような部分やら,言葉の用法が間違ってる部分やら,すごく妙だったんです。

この文が世に出てから,この文とそっくりな文がすでに存在することを知りました。書いたのは別の人です。読み比べたら,先日の文章は,こちらの文章を縮めたものだったんですね。しかも,ところどころの(要点ではなく)「言い回し」を抜き書きして並べたものだったんです(剽窃と言うかもしれませんね,こういうの)。意味が通じてなかったところや,なんか不自然だったところは,もとの文を理解せず言葉だけ取りだしたせいだったんです。もとの文は,著者の長年の研究や,その思想がさまざまなところに表現されていて,非常にいい文章だったのにね。あんまりひどいんで呆れてしまいました。

それでも,原著論文として出した訳じゃなく,概説的なものだったので,まぁ,こんな風にほかの人の最新の成果を利用するという手もあるのかな,と弁護できなくもなかったのですが,その人,このオリジナリティのない文のこと,事情を知らない人に自慢してたんです。「ボクはこういうこと,ちゃんとしてるから」などと言って。な,なにぃ?! (--#

内容も言い回しも借り物で,あとは口先で何も知らない人を言いくるめるつもりとは。呆れた話です。

ちょっとまとまりがないですが,このまままとめずに,次回も別の例を紹介しますね。


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