考古学のおやつ

1998年7月の発見

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広末 1998年7月29日(水)

広末等身大看板の横で待つチャレンジャーな女性

今年の春から、Sという都市銀行のイメージキャラクターに広末涼子さんが起用されました。
S銀行には、彼女の等身大看板が置かれています(写真)。

あるとき、私は昼休みにS銀行に行きました。
昼休みの銀行は、以前ほどでないとはいえ、お客さんでにぎわっています。
そこで発見したのが、表題に掲げた「チャレンジャーな女性」。
番号札を取って順番を待っていたのでしょうが、“広末”の横に並んで立つとは、
よっぽど自信がおありなのでしょうか。

(1998年11月29日補足)この後、広末さんは11月29日の発見広末さんの成績に登場します。
また、これに合わせて上の文を少し書き換えました(敬称をつけた)。

1998年7月20日(月)

何日か前の新聞とわかっていても、なぜかまず最終面(ラ・テ欄)を見る。

新聞を取らなくなって、かなりたちます。
新聞が毎朝来なくても、特に不都合はありません。
あれを朝晩取ってる人がいると思うと、今となっては不思議なくらいです。
テレビやインターネットはいいですよー(^^。勧誘員とか来ないし、ゴミにならない。
(テレビの場合、テレビになったら粗大ゴミですが・・・)

それでも、喫茶店とかに新聞があると、つい見てしまいます。以前の習性が少し残っているようです。

仕事の関係で、何日か前の新聞が職場に送られてくることがあります。
掲載された、関係の記事だけをチェックすればいいだけのものなのですが、
なぜか、いきなり最終面を見てしまいます。
最終面って、つまりテレビ番組とかが書いてあるところ。
「あれ〜。この番組見たよなぁ・・・」と、しばらく考えてたりします。

そういえば、以前テレビ誌を毎週買っていたこともありましたが、
インターネットに加入してからはそれも必要なくなりました。
新聞って、(少なくとも、私にとっては)それだけのものだったってことですね。

別に新聞社に恨みはありませんよー。念のため(わざわざ言うと変?)。


1998年7月11日(土)

バイダー!?

「今週の発見」始まって以来、考古学と関係のある発見です。
いけださんの投稿。

いろいろ、あるんですねぇ・・・・。
私が学生の頃は、手バイダー指マコで実測だぁ、といってふざけていました。
実測が苦手な私にとって、「手バイダー」は非常に印象的な単語でした。
目ベルでも遊んだことがあります。レベルで高さを落としているとき、
数値を自分の目線にあわせておき、高さを当てる、という恐ろしい遊びをしていました。
図面上に数値を落とすこととは、全く関係のないただのお遊びですが、自分の目線の感覚
というものを鍛え直す必要を十二分に感じました。
©1998 いけだ

管理人著作集のコーナー名からの発見ですね。
コーナー名のうち、2つは私の創作で、「めバイダ」などの3つは学生時代以来、よく聞いたものでした。

(1999年11月29日)このコーナー名はとっくになくなってしまいました(^^;ゞ。

「指マコ」は、なんか聞いたような気もしますが、実は「手バイダー」は初めて聞きました。
「めバイダ」よりも正確そうですね(^^。

いけださんの「めベル遊び」の話を読んでいて思い出したのですが、
遺構の実測って、2人くらいで組になってやることがありますね。
相棒が計って、私が図面に記入しているとき、相棒がレベルやメジャーを読むより先に、
見た目で遺構の形やら数値を勝手に書き込んでおいて、相棒の読む数値を待ってたりしました。

数値があってても、一応聞いてから書き込む振りをして、
数値が違ってても、やっぱり書き込む振りだけして・・・。

あ、前の職場にバレるとまずいかも。ビクビク。


1998年7月4日(土)

以前持ってた白黒テレビは、時々殴るとになった。

もちろん、実は故障したカラーテレビ、というネタです。

もともと、ある大学教官が、ある学生から借金のカタ(漢字では「形」でいいそうです)に取ったテレビで、
テレビなし生活を送っていた当時(1990年か1991年)の私にくださったのでした。

福岡に住んでいた1996年初夏のころ、殴ってもカラーにならなくなりました。
願いをこめて殴りまくったのですが、手が痛くなっただけでした(暴力的な内容だな、今週は)。
フルタイム白黒テレビではちょっと悲しい。
ついに勇敢にも工具を取り出し、テレビのカバーを開けてみました(よい子は真似をしないでください)。
「ちょっと接触が悪いくらいなら、素人目にもすぐわかるだろう」というのは、やはり素人考え。
わけがわからないので、カバーを元に戻しました。

あきらめてスイッチを入れると、今度は白黒テレビではなく、テレビになっていました。
白黒テレビのうちは、何が映っているかわかったのですが、
今度は、一体画面で何が起こっているか、さっぱりわかりません。
事態は明らかに悪化していました。

当時、千葉への引っ越しを予定していた私は、このままテレビを捨てて、身軽になるのが得策と考えました。

ところが、その晩の「ボキャブラ天国(TNC)」が見たかったばっかりに(アホやね)、
ダイエー原店(早良区)に行ってしまいました。

そのとき買ったタイ製テレビに、今はビデオデッキも接続して、時々《The Video Compilation》を見ています。


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白井克也 Copyright © SHIRAI Katsuya 1998-1999. All rights reserved.