考古学のおやつ

1998年11月の発見

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1998年11月29日(日)

広末さんの成績

タレントの広末涼子さんが,早稲田大学の入試に合格されました。おめでとうございます。\(^o^)/。

今回は,「今週の発見」に広末さん2度目の登場です。前回は看板の話でしたね。

やたらに報道が派手だったので,みなさんご存知のことと思いますが,合格発表の時には,広末さん本人は来なかったのに報道陣が大勢押しかけて,合格者の名簿が貼り出されるのをレポートする始末。騒ぎ過ぎですね。で,早稲田大学側が準備した合格者一覧の紙がまた,好対照にも小さいこと小さいこと。A3くらいの紙なんです。
学生さんや普通の受験生は,騒ぎに迷惑したことでしょう。

そういえば,広末さんが入学するなら留年してでも大学に残り,同じキャンパスで過ごしたい,という早稲田の4年生のことがスポーツ紙に載ってたそうですね。でも,早稲田みたいな大きな大学じゃ,同じキャンパスにいるからって,まず会えないと思いますよ。就職決まってんなら,卒業する方をお勧めします(大きなお世話ですが)。

早稲田じゃないですが,私の母校にだって,私の在学中に高田真由子さん(リンクしているのはご本人のページですが,もう2年以上も更新されてませんね(^^;ゞ)が同じキャンパスどころか同じ建物で授業受けてたはず(高田さんは西洋史学科)なのに,ついに一度も会えませんでした。
発掘現場で,他大学の学生さんと一緒になった時,よく聞かれたものです。

他大学の学生 > (目が輝いて)白井さん,高田真由子って,どんな人ですか。
白井 > (困惑)いや……,会ったことないんだよね。いるはずなんだけど。
他大学の学生 > (驚いて)え,白井さんって,モグリだったんですか?

なんで高田さんに会ってないだけでニセ学生呼ばわりされるんだか(苦笑)。

そういえば,史学概論の2単位をくださった(ただし,「優」はくれなかった)樺山紘一先生も西洋史学科でしたが,実物は授業で10回くらい,大教室の後ろの方からかすかにお見かけしただけなのに,TVではその何倍もの回数拝見しましたねぇ(西洋史学科って,TVの中にあったのか?)。大学の中での個々人の行動範囲なんて,たかが知れてますからね。

早稲田の人も,広末さんが入ってきたら,大変ですよ。広末さんに会ってないばっかりに,「あなた,ニセ早大生でしょ」とかよけいなこと言われるかも(この文も相当よけいな話ですが(^^;ゞ)。

どうして早稲田に行きたかったか謎だ,などと書いた新聞もありましたが,「地方出身だから」じゃないの? というのが,地方出身者の私の推測ですね。やっぱり,地方から見てると,よくわからない魅力がありますから(それがなぜか,と聞かれると,答えに窮するのですが)。私も西日本なんですが,なぜか関西の私立大学より関東(しかも都内)のそれへの憧れの方が強いみたいですね。それぞれの大学の実態を踏まえて,というわけじゃなくて,単にイメージとして。

で,私も何度か訪問したことがありますが,早稲田って,教授陣やら学生が何万人もいて,誰でもキャンパス内に自由に行き来できる大学ですよ。芸能人なんだから,もう少しガードの固そうなところに入るって手もあるでしょうに(私が事務所の社長だったら,そういうところを勧めるね)。それでも,何としても早稲田に行きたいってことは,本人の言葉通り,本気で勉強する気だってことでしょう。気合入ってますね。

ただ,大変とは思いますよ。100人しか登録していない授業に,3000人くらい押しかけるかもしれません。

ところで,報道の中には,高校から早稲田に送られた広末さんの調査書の成績まで載ってました。あんなこと,どうしてわかったんでしょうね。封をした状態で高校からもらって,出願の時に,封をしたままの状態で大学に送るものでしょ。高校の人がバラすか,早稲田の人(限られた人しか見てないはず)がバラすか,それとも本人でしょうか。たくさん大学を受けると言って調査書をよけいに発行してもらい,余りを開封するという方法もありますからね。いや,どの人にしても,目にしたからって,マスコミにしゃべるかなぁ。

私も,実は自分の調査書を開封して,中身を見ました。もちろん,必要な枚数以上に発行してもらったんですね。開封したのを願書につけて送ったって,無効ですもの。

1年浪人してましたから,出身高校で発行してもらったんですが,その時に,受けない大学の分も請求したんですね。先生の方は,

そうか,ここも受けるのか(^^。がんばってくれよ。

なんて感動してましたが,最初っから調査書を開封するのが目的だったんですね(悪人ですな)。大体,なんで気づかないんでしょうかねぇ。早稲田の政経なんて,通るわけが……なに? 早稲田!?

私が調査書を得る口実にした大学が,早稲田大学だったんですねぇ。何という縁の不思議(いや,こじつけてるだけで縁はないのですが(^^;ゞ)。あの時開封しないで,早稲田を受けて奇跡的に入学できてれば(ムリムリ),来春の私は広末の先輩だったかも……などと,私と同様のくだらない想像をしている人が,日本中に何百万人もいるんでしょうね(^^。

待てよ。私の前の職場には,早稲田出身の後輩がいたから,そのまた後輩になる広末さんは,後輩の後輩で,つまり私の後輩だ。おお,完璧な三段論法……などという情けないおやじギャグを飛ばしている人たちも,日本中に一千万人くらいいるでしょう。

今週の発見は,オチが決まらないぞ。(^^;ゞ

いえ,オチなくてもいいのです。来春から大学生活が始まる広末さんも,これから受験という日本中の受験生の皆さんも,健康に気をつけて,がんばってくださいね。まぁ,この時期に「考古学のおやつ」なんか見てるような受験生は,将来不安ですけど。(^^;ゞ

今週は,大学ネタの「メトロのひとこと」を準備していましたが,前置きに広末さんのことを書いていたら長くなったので,これだけで1回にしました。来週,よほどの大発見(といってもくだらないものでしょうが)でもない限り,「メトロのひとこと」をお送りします。

(1998年12月7日補足)結局翌週も「メトロのひとこと」じゃありませんでした。(^^;ゞ

1998年11月22日(日)

美女の下アゴ/女社長の庖丁/ナウい日本語/スラムダンクとテレタビーズ

今月の前半ほとんど更新できなかったのは,第22回韓国考古学全国大会に合わせて8日間韓国に行って来たからでした。今回は,この旅行からいくつかの話題をお送りします。

美女の下アゴ

この旅行の前,航空券を取るため,私がとある旅行代理店に行くと,女性職員が親切に応対してくれました。私の希望を聞いて,予約を取るための電話をかけてくれました。左(私から見ると右)にちょっと首を傾げて,すっきりした下アゴと細い肩との間に受話器を挟み,用件を片づけていく彼女。右手のボールペンで,ささっとメモも取っています。

「う〜ん。さすがプロ(感心)。」

しかし,この電話,ちょっと時間がかかりすぎました。電話の用件が終わり,私の方に向き直って予約内容の説明をしてくれた彼女。その下アゴの左半分には,受話器の送話口に刻まれた文様がしっかりついてました。うっ,ぷぷっ(^^。わ,笑っちゃ失礼ですよね。

え?美女の描写をもっとして欲しい,画像とかないのかって?ははぁ,やはりそういう目的でクリックされたんですね(^^。まぁ,そう怒らずに,つづきをどーぞ。

女社長の庖丁

11月5日,韓国に渡った私は,国立中央博物館で特別展「考古遺物で見た韓国古代国家の形成」を見た後,大田まで行き,そこで宿を取りました。ちょっと路地に入り込んだところにある,おんぼろ旅館ですが,宿の女社長は明るくて友好的な人でした。

チェックインの後,外に食事に行って,戻ってきた私は,部屋の鍵を開けてくれるよう,女社長に頼みました。

ここで,韓国の宿についてちょっと解説しておきましょう。部屋を留守にするときは,ドアの内側のノブ中央にあるボタンを押してから,ドアを閉めると,鍵がかかります。戻ってきたらフロントに頼んで鍵を開けてもらいます。最近では違ったやり方のところもありますし,大きなホテルは,また違いますけどね。

さて,鍵を開けるように頼まれた女社長は困っていました。探しても鍵がない(らしい)のです。私が泊まった部屋は,ここしばらく客がなかったのでしょうか。女社長は,引き出しの中から何本かの鍵を選び出し,これを持って私の泊まっている部屋の前まで行き,1本1本,試してみました。しかし,最初の5本くらいは,鍵穴にさえ入りません。やっと鍵穴に入ったものも,右にも左にも動かず,結局女社長が持ってきた鍵は,全部ダメだったのです。

「ちょっと待ってて。」

と言って消えた女社長,戻ってきたときは,妙な笑みを浮かべながら,後ろ手に何かを持っているようでした。「ふふふ」と笑いながら見せてくれたそのものとは,刃渡り30センチを越える大きな庖丁(!)。げ。一巻の終わりか(@_@)?

女社長は,庖丁を壁とドアの間の隙間に差し込むと,右手でこちょこちょと庖丁を動かしながら,左手でドアのノブを回しました。

ガチャ。(擬音)

あ,開いた。女社長の庖丁は,この宿のマスターキーなのでした。

そんな宿から通った,今年の考古学大会。会場の国立中央科学館は,大田EXPOの会場だったところです。いろいろな科学技術を開設した建物の中には,インターネットのコーナーもあって,私は韓国語Windowsの端末から韓国語Communicatorで考古学のおやつへアクセスを試みましたが,何と不正落ちしました。ToT
図らずも,韓国語Windowsの不正落ち画面を見ることになったのですが,そこには「このプログラムは誤った演算を試みましたので……」。そ,そうですか……。
そうこうしているところを西谷正先生に何度も目撃されてしまい,

「白井くんはそこが好きなんですね(^^。」

と言われてしまいました(恐縮(^^;ゞ)。

大会では,タイトルの「3〜5世紀錦江流域の考古学」の通り,錦江流域の最近の発掘成果を中心に,多くの興味深い見解が述べられてました。

ナウい日本語

大会後の11月9日,国立清州博物館で特別展「我らが虎」を見た後,釜山に行きました。ここでは念願の,鍵がまともに開く部屋に泊まることができました(笑)。で,さっそく釜山の町を散策したんですが,まぁ,私の散策といえば,だいたい書店に行くと相場が決まっています。地下鉄で西面に行って,今回は辞書とかを見てまわった(結局買いませんでした)のですが,そこで目に入ったのが表題のナウい日本語

これ,実は日本語教材の書名なんですよ。古臭そうな日本語を教える教材なんでしょうか。これだったら,「光源氏の日本語」とか「徒然草の日本語」とかの方が,格調高くてよさそうですね。

もし,一昔か二昔前の日本語を話す妙な韓国人留学生とかに会ったら,聞いてみるといいですよ。

あのぅ……,ひょっとして,『ナウい日本語』で勉強したの?

あ〜〜っ。ダメだこりゃ。失敗,失敗。だって,こんな質問,恥ずかしくてできないもの。

スラムダンクとテレタビーズ

映画や歌謡曲などについて,日本文化の解禁が言われている韓国ですが,コミックとかアニメの分野では,とっくに日本製のそれが入り込んでること,有名ですね。1995年に,とある大学の現場に行った時,宿舎で学生さんが読んでいる漫画を見せてもらったら,なんか見覚えがあるんです。会社みたいな場面で,OLが上司を呼ぶんです。

「シマ課長!」

出張先も,時計台の絵の横に「サッポロ」だって。こりゃ『課長島耕作』じゃないか。で,設定とかもいじってなくて,作者や登場人物が日本人だとか,舞台が日本だとか,全然隠してないんですね。タイトルも『シマ課長』。そのまんま。コミックの世界では,とっくに日本文化解禁されてたんですね。『クレヨンしんちゃん』だって,駅の売店で売られてるし。それとも,地下出版のヤバい本?(まさかね)

アニメの方は,一応日本製を隠してはあります。でも,明示しないだけで,見る人は気づいてるのかもしれませんけどね。

10年前くらいは『キャプテンフューチャー』とか『超電磁ロボ コン・バトラーV』とかをやってました。手塚治虫さんが亡くなった直後ころに韓国に行った時も,『ジャングル大帝』(現地でのタイトルは『密林の王者レオ』)を放送しているのを見て,「手塚作品はまだ生きている」の思いを新たにしたものです。4年前には『鉄腕アトム(カラー版)』や『科学忍者隊ガッチャマン』,前回訪韓の時(今年の春)にはついに『美少女戦士セーラームーン』(現地でのタイトルは『月の妖精セーラームーン』……だったと思う)をやってました。『セーラームーン』に至っては,主題歌まで歌詞を入れ替えただけで転用してましたね(従来は,独自の主題歌をつけていた)。

どうでもいいけど,MS-IME97って,「セーラームーン」が一発で変換できるんですね。マイクロソフト日本法人の人,セーラームーンのファンなの?
MS-IME95やATOK11でも,一発で変換しました。JUSTSYSTEMの人も,そうなの?

で,今回は『スラムダンク』を放送してたというわけです。設定も韓国の高校ということにして,画面に日本語が出てくるところも全て修正してありますが,多分バレバレでしょうね(修正がはっきりわかるし)。声優もできるだけオリジナルと似た声の人が担当してます。ただ,主人公の桜木花道の声だけが,日本版と雰囲気違ってて,惜しいんですが(流川楓なんかは,絶対オリジナルを意識してるね)。

で,上に列挙した歴代の輸出アニメのタイトルを見て,変わったなぁ,と思いませんか? え,思わない? では解説しましょう。

以前放送していたアニメって,時代とか場所とかが,よくわからないものが多かったんですね。『キャプテンフューチャー』なんて,原作が外国のSFだし,ほかのも,近未来が舞台だったりします。だから,韓国でもあまり違和感なく,「そういう世界」として見ていられたわけです(気づく人もいたでしょうが)。ところが,『セーラームーン』や『スラムダンク』となると,デフォルメされているとはいえ,舞台は明らかに現代の日本。これを放送できるってことは,韓国社会の変化も背景にあるわけです(あと,日本製とバレバレでもかまわない,という意識の変化もあるかも)。それから,学校に制服が採用されたことも大きいですね。これで,「学校生活では,ある決められたデザインの制服を着用する」という設定に,違和感があまりなくなったのでしょう。晴れて,セーラームーンや桜木花道も韓国で活躍できるようになったわけです。

あ,そうそう。韓国では毎朝テレタビーズ(BBCの公式サイトが重い場合は,エリンさんのテレタビーズページをお試しください)を放送していました。やっぱり面白くてかわいいですね。早く日本でも放送してくれないかな。イギリスのBBCが制作した子供番組なのですが,大人もけっこうハマると思いますよ。テレタビーズ。

さて,軽めのネタから始めて,最後にちょっと堅くなった今週の発見,いかがだったでしょうか。まぁ,オチがないのは勘弁してやってください。(^^;ゞそれではまた。


1998年11月14日(土)

宜野湾のヤギ吐き男

T氏,S氏の協力による発見

前回の発見から実に2週間が経ってしまいました。このコーナー,遅れたことはあっても落としたのは先週が初めてです。実は11月5日から12日まで留守にしてまして,そのため11月5日にこの「発見」を載せようと,その前々回から前倒しで「発見」を載せていたのですが,実際は異様に忙しくなってしまい,このありさまです。申し訳ないです。
2週間ぶりの「発見」は,先月の考古学協会の大会を聴くために沖縄に行った話の続きです。先月もこの旅について少しだけお話ししましたので,まだお読みでない方,内容をお忘れの方は,ぜひ先にそちらをお読みの上,ここに戻って来てください。

この間は,首里城を訪れたところまでお話ししました。首里城を降りた私は,近くの沖縄県立博物館を訪れましたが,ここでは見覚えのある本土の考古学者たちがウヨウヨしていました。
その後,私は大会の会場である宜野湾市の沖縄国際大学に行きました。初日(10月17日)ですから,高宮廣衛先生と藤本強先生の公開講演会がありました。藤本先生のお話は,私が学生時代に聞いた授業内容の再現のようで,懐かしいものでした。藤本先生によると,かつての教え子が会場にいると,ことのほか喋りにくいそうですが。

さて,ここからが今回の本題なのですが,タイトルでおわかりのように,あまりきれいな話ではありません。そこで,お食事中の方などは,この話を飛ばして今回のエピローグまで飛ぶか,以前の発見を読みに行くか,あるいはトップページまで戻るか,ここでお選びください。

それでも読みたい,という怖いもの見たさで一杯の方々だけになりましたでしょうか(笑)?後で私を恨まないでくださいね。ここで登場人物を紹介します。まず,この発見の主人公,氷室氏(仮名・40代)です。Y氏とかでもよかったのですが,やはり主役はカッコいい名前がいいですものね。Cool!な名前で,インターネット向きでしょ。それから,証言者のT氏(仮名・20代)とS氏(仮名・30代)です(登場順)。実は,今回の発見がほぼ1ヶ月遅れの掲載となるのは,これら証言者の話を集めて,主人公・氷室氏(仮名)に確認を取り,さらに「考古学のおやつ」に載せてよいという許可を取るのに時間を要したためもありました。

10月17日夕方の懇親会,氷室氏(仮名)は泡盛を飲みまくってました。会場では学生さんが水割りを作ってくれていたのですが,「水はいらん,ロックでくれ」とか言って,泡盛のロックを何杯も飲み,「泡盛はうまい! 二日酔いもせんし。」などと大喜びでした。懇親会の終わるころ,氷室氏(仮名)はもうヘロヘロ。まっすぐ歩けないほどでした。

それでも氷室氏(仮名)や私は,とある考古学者に誘われるまま,那覇市内にヤギ料理を食べに行くことになりました。タクシーの運転手さんにヤギ料理の店を聞くと,運転手さんは車内の無線を使ったり,通りがかった別のタクシーの運転手さんに聞いたりして,安くてうまいと評判の店に案内してくれました。

台風10号が四国で暴れ回っているというのに,さまざまに調理されたヤギ料理を堪能しつつ,ここでも泡盛2合を飲んだのですが,すでに懇親会で飲みまくっている一同は,すっかりできあがっていて,お店のママさんから「この人たちったら,たった2合で酔っぱらって……。」とすっかり呆れられてしまいました。

ここまでで,この話のオチは見えたようなものですが,それでも,と言う方は続けてお読みください。

氷室氏(仮名)と宿が別の私は,翌朝(10月18日),浦添市に行きました。前日の首里城や県立博物館で,琉球漆器の独特の表現に興味を覚えていたので,大会2日目午前中は完全にさぼって,浦添市美術館に行ったのです。市民会館の脇から奥に入った,ちょっと変わった建物で,午前中をゆっくり過ごしたのでした。

タクシーで国際大学に再び乗りつけたころには,もうお昼近く。このとき,氷室氏(仮名)と同室に泊まったというT氏(仮名・20代)に会い,氷室氏(仮名)が二日酔いしていると聞きました。二日酔いしないって言ってたのに! では,T氏の証言によって,前夜以降の氷室氏(仮名)の行動を再現してみましょう。

前夜,宿に戻った氷室氏(仮名)は,別行動だったルームメートのT氏(仮名)に対し,「茶流彩彩ゴーヤー茶が飲みたい,飲みたい〜〜。ジタバタ,ジタバタ。」と,子供のようにせがんだそうです。T氏(仮名)は,仕方なく茶流彩彩ゴーヤー茶を探しに出かけました。ホテル内の自動販売機に見当たらなかったので,ホテルを出て国際通りまで行き,夜の街をさまよったそうです。確かに,茶流彩彩ゴーヤー茶を置いている自動販売機は台数が少ないのです。T氏(仮名)は何台目かで目的の品を見つけ,氷室氏(仮名)のもとに舞い戻りましたが,氷室氏(仮名)はとっくにグースカ寝ていたそうです。
翌朝,氷室氏(仮名)はT氏(仮名)が運転するレンタカーで国際大学に向かったのですが,酔いが残っていて気分が悪く,「薬局があったら寄ってくれ……」などと言い,実際,途中の薬局でソ●マックを2本買ったそうです。
国際大学の駐車場でも,「トイレの近くに駐めてくれ……」と言ったらしいのですが,駐車場は詰まっていて,とりあえず空いたところに駐めると,氷室氏は車外に出るなり,
めぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛゛゛゛…………
と音がしたかどうか定かではありませんが,その場の地面に吐いたのでした。昨夜食べたヤギを

私は,T氏(仮名)の案内で,氷室氏(仮名)がヤギを吐いた地点を見せてもらいました。この奇怪な痕跡の周囲は,ほかの車がついに駐まらなかったそうです。

「泡盛は 二日酔いもせんし」と言いつつ,宜野湾のヤギ吐き男となった氷室氏(仮名)。しかし,これには後日談があります。
氷室氏(仮名)と同じ職場のS氏(仮名・30代)の証言によると,

協会も終わった月曜日(10月19日)の朝,氷室氏はなかなか現場に出勤せず,10時ごろになって死にそうな声で電話してきたそうです。

そうか,三日酔いだからいいんですね(^^。

話を,10月18日(日曜日)に戻しましょう。途中の話を飛ばされた方も,ここで合流されたことと思います。

考古学協会の大会を口実にしたみたいで恐縮ですが,こうして私の初めての沖縄旅行は終わろうとしていました。台風10号の本土での猛威はすさまじく,那覇空港から飛ぶ飛行機も,機材遅れなどで思うにまかせないようでした。
伊丹空港に飛ぶはずの便は,伊丹への到着時刻の関係で,関西空港に降りるかも知れないとか。宝塚の辺に住んでる人は,夜中に関空に降りても困ったでしょうね。
東京行きのJALも,私が乗った便の一つ前の便が,機材遅れでついに欠航したようです。

さて,JALの機内誌『ウインズ』(ウインドウズじゃないですよ)ってありますよね。これ,いつも斜め読みしかしてなくて,今回も来る途中はちらっと覗いただけでした。帰りの便にも同じ号の『ウインズ』が置いてあって,パラパラめくってたら,岩壁画の写真が目に入ったんです。

あれ,こんな記事もあったんだ。北イタリア特集の一部か。

で,横の説明文に目をやると,な〜んか見慣れた文体。え?執筆者は,昨日と今日お会いした藤本先生でした。JALの機内誌とかにも執筆されてるんですね。でも,この記事のこと,なぜか目次にも載ってないんですけど。なぜでしょう。
もう11月になってしまったので,JALに載ってもこの号の機内誌は見られません。

藤本強,1998,「世界遺産」カモニカ渓谷の岩壁画,ウインズ第38巻第10号,33ページ

2週間ぶりとなり,長文でお送りした今週の発見,いかがだったでしょうか。これからも週1回ペースでお送りしますので,よろしくお願いします。m(_ _)m


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