飛行機のパイオニアたち
ジョージ・ケイリー卿(イギリス)
はばたき機に否定的であったイギリスのケイリー卿は、風を受けて上昇する凧に注目し、 1804年に凧を翼として利用した模型飛行機を作りました。 その後半部には風車の風見安定板が付いており、飛行中の安定性に役立つはずでした。 ケイリー卿の模型飛行機は、はじめから飛行機の基本レイアウトの大半を備えた完成度の高いもので、 それを使った実験を通じて、飛行の原理が明らかになりました。
ケイリー卿の非凡さは、すでに実用化され、 一定の効果を期待できる平凡なアイテムを、適切に組み合わせた点にあります。 1809年の「空中航行論」に記した飛行の原理は、その後の飛行機開発の礎となり、 今日では「航空の父」と呼ばれております。
オットー・リリエンタール(ドイツ)
しかし1896年8月9日のテスト飛行中、突風にあおられ姿勢を崩したグライダーは地面に激突し、 リリエンタールは亡くなってしまいました。 彼が考案したパイロットの体重移動による姿勢制御では、 突風のような乱気流に対し、安定性と操縦性が不十分だったのです。 この事故は、将来エンジンを搭載するため大型化しつつあった機体において、 パイロットの体重移動による姿勢制御に限界があることを示していました。
リリエンタールは、問題を分析して解決する知恵と、 危険に身をさらして実証する勇気を兼ね備えた、偉大な鳥人でした。 しばしば新聞で紹介されたグライダーと彼の勇姿は、 全世界に飛行機の実現が近いことを強く印象付けました。
ライト兄弟(アメリカ)
第一はリリエンタールの事故死で限界が明らかとなった パイロットの体重移動に代わる方法を探り、操縦性を向上させることでした。 ライト兄弟は鳥の飛行中の姿勢制御に注目し、1900年に「たわみ翼」を開発します。 主翼をひねって左右の揚力のバランスを自在に調整することで、 パイロットは鳥と同じように姿勢制御ができるようになりました。 ちなみに紙飛行機の操縦も「たわみ翼」方式によるものです。
第二は十分な推進力を得ることです。 ライト兄弟は少年時代にヘリコプターのおもちゃで遊んだことがありました。 ヘリコプターは上昇するためにプロペラを回しますが、 横に向きを変えれば、前に進む力として利用できることに気付きました。 当時のわずか12馬力のエンジンでも飛べるようにと、 ライト兄弟はプロペラの風洞実験を繰り返し、その効率を高めました。
1903年12月17日、ノースカロライナ州キティーホークの砂浜で、 ライト兄弟は人類初の動力飛行に成功しました。 ケイリー卿の模型飛行機から100年、 リリエンタールのグライダー事故死から7年後のことです。 ライト兄弟が短期間で成功した理由は、まず自分たちの技術的な位置を確認し、 目的達成までの最短ルートと障害を把握した上で、開発コンセプトを決定したからです。 危険なグライダーや動力飛行を敢行する前に、 風洞実験や凧によるシミュレーションを繰り返すなど、 効率と安全面に配慮した開発プロセスも優れていました。