考古学のおやつ

2000年10月の発見

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2000年10月18日(水)

「今週の」と銘打ちながら,すっかり不定期になってしまいました(^^;。

単語登録もほどほどに

今日,管理人著作集に私の最新作をタイトルのみ掲載しました。外字が多い上に,図なしでは辛い事実記載ばかりなので,本文の公開にはちょっと躊躇しています。

それよりも,同じ掲載誌に載った次の論文の方が面白そうですよ。

さて,ともかく私の著作も一つ増えました。このために,腰砕けの苦労もしたなぁ……などと,ページをめくっていたところ……,あ,今,何か気になるところが。

それは,文中で吉田恵二先生による硯の硯面形態の分類を紹介している部分。

a種は硯面部が平坦なもの
(中略)
g種は海陸の境が明確な稜をなし、六部中央が窪むもの[p.29]

はて,六部???これは古新羅の政治体制の論文じゃないぞ。どうしてこんなこと書いたんだろう。

悩むこと数秒。これ,陸部(硯面の盛り上がっている部分;直前に「海陸」の表現もありますね)の間違いじゃないですか。恥ずかし〜〜(*^^*)(赤面)。しかも,よりによって吉田先生の先行研究を紹介したところで間違えるとは,何と失礼な(しかも,校正で気づかないとは)。吉田先生,ごめんなさいm(_ _;m(でも,覚えてらっしゃらないかも)。

吉田先生の硯研究は1985年と1992年の両論文が主に引用されますが,なぜか1985年の硯面形態3分類ばかりが引用されて,1992年の硯面形態7分類は(論文自体は引用しているから知っているはずなのに)あまり引用されません。7分類の方が,硯面形態の変化に対する吉田先生の考え方がよく現れているのに。
でも,それを強調しようとして,かえって誤変換してしまう私も情けないですね(^^;ゞ。

六部に「りくぶ」などという読みで単語登録したのは,中国の「三省六部」あたりを出すためでしょうか。そんな言葉,ほとんど使った記憶がないのですが。ちなみに,自宅のATOKには「りくぶ」で六部を登録してはいません。職場のMS-IMEに誰かが登録したのでしょうか。

腰砕けの時に,同音異義語の変換ミスを「なんとかなりそうな話」などと切り捨てていた私ですが,何とかなっちゃいませんねー(^^;。これまで,やたらにいろいろと単語登録してきましたが,めったに使わない単語の登録もほどほどにしておいた方がいいようです。

最近の関係論文や,集成で漏らした例など,もっと学問的な面で言うべきことは多いのですが,それはまたの機会に。


2000年10月3日(火)

無計画・後篇

金沢を松江に喩えるなら,小松は出雲……といっても,ほんの一部の人にしかわからないでしょう。これで行くと,松任が宍道で津幡が東出雲なのかも知れませんが,今のところ確認しておりません。

それはともかく,9月16日(土)の無計画な旅の続きです。

電車に乗って,昼寝半分に小松まで行きました。もう1時半くらいになっていました。しかし,この街はどうして人がいないんでしょうか。駅には人がいましたし,駅前には少しクルマが走っていましたが,すぐに寂しくなってしまいました。ひょっとして,とんでもない方向に歩き出してしまったのでしょうか。

あ,人影が!

と思ってみると,そこは●●●の地元事務所。●●●の巨大ポスターを至近距離で目の当たりにしてしまいました。ぎええーー。

ショックを受けつつも負けずに道を進むと,市の施設が集中している場所にたどり着きました。ここが今回の目的地,小松市立博物館です。ここで開催中(当時)の「小松の窯業史展」が,実はこの旅最大の目的,特に戸水C遺跡の獣脚付円面硯が,ほとんど唯一のお目当てと言って過言ではなかったのです。

展覧会編年表を編集していて,「あ,南加賀窯跡群の調査成果の展示がもうすぐ終わるじゃないか。早く行かなきゃ」と,急遽決めた旅でした。「南加賀窯跡群がテーマなら,きっと戸水C遺跡の硯も出るはずだ」という根拠のないヤマ勘に頼った無計画な旅も,ついにここまでやってきました。

おお,着いた〜〜\(^^)/,とばかりに自動ドアの前へ……自動ドアの……。(^^;……。あの,これ,自動ドアじゃないんですか(^^;?

なぜか開かないドア。ガラス越しに見る館内は,真昼なのに漆黒の闇。まさか,これはひょっとして,休館日?

そう。地元の方なら前篇ですでにお察しの通り,小松市立博物館は,祝日の翌日が休館なのです。この日は9月16日。前日の9月15日が敬老の日で祝日だったので,当然この日は休館日だったのです。が〜〜ん。

こんなことなら,観法寺遺跡(かんぽうじいせき)の現説に行っとけばよかったToT。しかし,今から金沢に戻っても,飛行機に間に合わなくなるだけです。それに,このために今日の土曜考古をサボったんでしたToT。無計画のために失ったものが多すぎる……。


この情けない旅の後,「小松の窯業史展」は9月24日(日)まで開催していました。私はこの最終日に賭けることにしました。前日(9月23日)から,周囲に「明日は小松に行くんですよ〜(^^)」などと吹聴していたことは,一部によく知られているところです。

前回は祝日の翌日で失敗したんだったなぁ……などと思いだしたときに,背筋が凍ってしまいました。この,機嫌よく「明日は小松」と吹聴していた9月23日(土)は秋分の日。9月24日(日)は,祝日の翌日ではないですか。いや,いくらなんでも,展覧会の最終日と広報されている日が休館日なはずはあるまい……と思いつつも,不安は拭えません。

翌朝,雷鳥号に乗って小松に向かいました。2度目に訪れた小松市立博物館は……開館していました\(^^)/(当たり前なのに,とても嬉しい)。

もう,戸水C遺跡の硯を見る見る……。●●●の●●●●●を考える際にこの硯を考慮する必要があるかどうか,が重要テーマだったのですから,しっかりメモとって来ました。

それから,額見町遺跡でも筆立て付きの円面硯が出ていることを知りました。無計画によるうれしい誤算……。こうしてまた,無計画を反省しないんだろうな(^^;ゞ。


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