考古学のおやつ 著作一覧

九州大学考古学研究室所蔵古新羅土器II

−追加資料の提示と回転技法に関する考察−

出典:『古文化談叢』第38集(1997)

当時,新羅土器の壺の底部成形技法に着目しており,1996年の「須恵器甕の叩き出し丸底技法と在来土器伝統」が叩き技法篇であるのに対し,本稿を回転技法篇と位置づけていた。全体に,これまでの資料紹介で気づきながら工程復元に役立てていなかった属性を拾い集めた内容である。(18/Apr/2002)

目次

  • 1.再論に当たって
  • 2.資料
  • 3.考察−三国時代土器製作工程における回転技法−
  • 4.おわりに
  • 【前稿・本稿の掲載資料】
  • 【写真・図の目次と出典】
  • 【文献】

  • 1.再論に当たって

    九州大学考古学研究室に所蔵されている由来不明の新羅陶質土器4点をすでに報告し,若干の考察を加えた〔白井1995a(以下,前稿)〕。しかしその後,さらに数点の由来不明の三国時代土器が所蔵されていることを知った。筆者の調査の杜撰さを示すものであり,恥ずかしい限りである。資料のなかには,これまで筆者が着目してきたいくつかの技法が観察されるものもある。本稿ではこれらの資料を提示するとともに,回転技法に関する考察を行うこととする。

    本稿で紹介する資料は,必ずしもすべて新羅土器というわけではないが,内容的に前稿を補足・継承するものなので,上記の表題とした。新たに紹介する資料には,前稿との対応上,8から始まる番号を与えた。1〜7の番号で示した資料は,前稿に同番号で掲載したものである。


    2.資料

    1) 用語

    亜段階 別稿で解説している〔白井1995b:84;1996a:5〕。供膳器種の製作工程は,共通形態に成形される「原形杯亜段階」と,各器種として完成される「杯亜段階」・「蓋亜段階」がある。

    作業態勢 土器と工人の位置関係や,工人が工具・備品を用いる用い方など,工人の動作に関わる姿勢や位置関係である。

    成形台・回転台 山田邦和に従う〔1991〕。詳しくは後に触れる。

    回転 回転惰力を利用した定軸回転にのみ用いる。詳しくは後に触れる。

    腰部 土器の胴部のうち,底部に接する部分のみ形態上区分できる場合に適用する。本稿では胴部外面下端のケズリ部分に用いている。

    位置関係 土器の使用時の置き方を「正位」,その逆を「逆位」とし,製作中の器体を正位に置くことを「正置」,「逆位」に置くことを「倒置」とする。土器における上下左右は,正置された土器に相対して見た位置関係をいう。「水平」は成形時の回転軸に垂直な面または方向をいう。時計回りを「右回り」,逆を「左回り」とし,正置した土器を上からみた回転方向をいう。

    記号 技法の順は[ナデ→ケズリ],同一技法どうしの間の順序は{右回り},行為の方向は(右→左),時間的変化などの漸移的変化は〈A式→B式〉のように,それぞれ記号を用いて表現する場合がある。

    2) 資料の記述

    蓋8(新羅) ラベル・注記などはみられない。完形完存で,器高57mm,口径106mm,稜径112〜113mm,つまみ最大径38mm。白色粒子を少量含む精良な胎土を用い,硬質に焼成しているが,自然釉はみられない。外面青灰色,内面明灰色であり,断口色調は不明である。

    天井部は擂鉢状で器壁が薄く,ミズビキ成形,口縁部は基部内面にシワが生じ,オリコミ技法である。外面上半回転ケズリ,外面下半および内面回転ナデがなされる。紋様はない。

    倒脚形つまみは別に作ってなでつけている。外面に直立部を持つが内面が擂鉢状になり,新しい要素である。3方向方形透窓を右回り順に透窓a,b,cとすると,いずれも外側は方形だが,内側はa,b,cの順に方形から円形に近くなり,切開順[a→b→c]が推定できる。各辺切開順は透窓a・cで[左辺→上辺]である。透窓c上辺は(右→左)方向,透窓b左辺は(上内→下外)方向に切る。透窓a・b・cとも右辺と下辺を1画で切っており,上下辺・左右辺の切開方向が一定なら,(右上→右下→左下)と針状工具を動かしたことになる。上下辺切開方向(右→左)は透窓切開順[a→b→c]と一致し,妥当であろう。総合すると,各辺切開方向は上辺(右→左),左辺(上→下),右下辺(右上→右下→左下)となる。各辺切開順は[右下辺→左辺→上辺],[左辺→右下辺→上辺],[左辺→上辺→右下辺]の3案が考えられる。

    高杯9(新羅) ラベル・注記などはない。完形で,器高103mm,口径89〜92mm,稜径108mm,脚径81〜86mm。黒色物質が噴き出した胎土で,硬質に焼成され,杯部内面に自然釉による光沢がある。外面灰青色,杯内面は中央が黄灰色,三日月状に黝黒色,その外側が灰青色である。

    1段透窓高杯であるが,口縁部がたわみ,脚部も大きく歪んでいる。

    杯部は擂鉢状で薄く,ミズビキ成形であろう。口縁部はオリコミ技法で,直線的に内傾する。回転ナデ後,口縁端部(半周は外面側,半周は内面側)に素地が付着しており,素地のついた成形台上で,伏せた杯部を平行移動したためと考えられる。この行為は,杯亜段階当初,原形杯を回転台上に伏せ置いて原形杯と回転台の軸を合わせる「心出し」とみるのが妥当である。口縁部のたわみと素地付着位置も対応する。口縁部回転ナデは原形杯亜段階で完了したことがわかる。

    脚部は基部で外れかけ,接合沈線が観察される。脚基部内面は狭く,外面は明確に界線をなし,ナデツケがみられない。原形杯に紐状素地を巻き上げる付加巻上成形によったことがわかる。内外面回転ナデ後,1段4方向長方形透窓が切開されており,透窓上辺を切る際の傷が杯底部外面にみられる。内面側に素地の粒がみられる。透窓を右回り順にa,b,c,dとすると,透窓a・bは工具の動きに無駄がないが,透窓c・dは工具の行き過ぎなどが目立つ。透窓切開順[a・b→c・d]である。透窓d左辺下端では,行き過ぎた工具を右に動かそうとした痕跡の直下に指痕がある。この指痕は異例のものであり,おそらくは行き詰まった工具を抜き取るために器面を押さえたのであろう。この透窓dの反対側の透窓b付近で脚部が大きく歪んでいるが,これを透窓dでの工具抜き取りの際のものとすれば,回転台上に倒置した土器を左手で押さえて工具を抜き取ったと考えられる(Fig.1下)。透窓a・bは脚部湾曲以前に切開されているが,透窓cは脚部湾曲後に切開されているので,切開順[a・b→d→c]である。切開方向が一定ならば,[b→a→d→c]と,回転台上に伏せて右回り順に切開したことになり,蓋8つまみの透窓切開順と合致する。

    把手付鉢10(加耶) 体部の亀裂を補修しているが,完形品で摩滅もない。内面に黄灰色の泥が付着していることと考え併せると,石室墓や石槨墓の副葬品で,浸水を被ったものと思われる。器高99mm,口径116〜118mm,胴径125mm,底径54〜60mm,把手長18mm。器壁は薄く,軽い。精良な胎土であるが,把手を除く体部には白色粒子が多く含まれている。硬質に焼成されているが,自然釉はみられない。外面灰青色,内面暗青色である。

    底部内面は中央が高く,周辺が低いので,円板巻上成形の可能性がある。内外面とも回転ナデ整面されているが,胴部外面下端はヨコ方向ケズリで腰部をなし,底部外面も削られている。[腰部ケズリ→底部外面ケズリ]の順である。回転台からの切り離しよりも底部外面ケズリが後であることは明らかだが,腰部ケズリと切り離しの先後関係は即断できない。腰部ケズリの単位はヨコに連なってみえるが,ひとつのケズリ単位の終点と次の単位の始点は一致せず,いわゆる連続ヘラケズリではない〔前稿:229〕。腰部ケズリ下縁が上縁と平行すると考えれば,下縁は現状の底部より下を通る。底部外面ケズリを薄く想定すれば,切り離し前の腰部ケズリは不可能と考えられ,[切り離し→腰部ケズリ→底部外面ケズリ]の順であるが,底部外面ケズリを厚く想定すれば,[腰部ケズリ→切り離し→底部外面ケズリ]の順も不可能ではない。後者の可能性も排除せずにおきたい。この技法には次節で再び触れる。

    把手は紐状素地を二つ折りにし,開端を器体になでつけ,閉端を把手の先端部としている。紐状素地は基本的に断面円形だが,成形行為により,いくぶん角張った断面形を示す部分が多い。把手の貼りつけられた時点では体部側面の整面は終了していたようである。

    底部付近の整面や把手の成形法から,加耶地域の土器と考えられる。

    把手付鉢11(新羅または加耶) 体部外面に新しい時期の墨書「楽浪土器」があるが,器形からみて楽浪土器とは考えがたい。墨書より新しい時期の破損を合成接着剤で補修している。体部はほぼ完形だが,把手は基部に近い部分で切損している。器高84mm,口径92mm,胴径116mm,底径57mm。白色砂粒を含むが精良な胎土で,酸化焔焼成する。内外面・断口とも赤褐色である。

    体部は円板巻上成形されたと筆者は考える。腰部に器表がはがれたようにみえる部分があるが,円板から巻上素地がはがれたのか,あるいは砂粒の脱落だろうか。胴部は全体に回転ナデ整面が行われている。底部内面回転ナデが胴部内面回転ナデを切るように観察される。底部外面はナデ,あるいは無整面である。胴部外面下端は右回り回転ヘラケズリによって腰部をなす。ケズリ下縁の状況から,回転台に正置された状態でのケズリと考えられる。この技法には次節で再び触れる。

    把手は断面円形の太い紐状素地1本を用い,体部にほぞ接合されている。体部の器壁に孔を貫通させ,ここに把手基部の突起を差し込み,外面は周囲の器面になでつけ,内面はほぞ孔周囲を指で押さえたようである。把手は大半が欠損しているが,端部が上方に折れ曲がる形態だろうか。

    形態からみて,新羅または加耶地域の赤褐色軟質土器と考えられるが,地域の限定は保留したい。酸化焔焼成ではあるが,墳墓の副葬品として頻繁にみられる器種である。古い破損は把手の折損だけであり,遺存の良いところからみても,副葬品であった可能性が高い。

    墨書注記が古美術品取引などのための造作とすれば,墳墓の副葬品が古美術商などを通じて,いずれの時にか九州帝國大學あるいは九州大学の所蔵に帰したこととなろう。


    3.考察−三国時代土器製作工程における回転技法−

    三国時代土器の製作には回転台が多用される。回転利用は土器製作に多くの利点を保証する一方,底部近くの整面を制約する。回転台の利用は必然的に素地の回転台への着脱という行為を要する。切り離しにより,土器は回転台上に固定された状態から,固定されない状態になる。切り離しは,回転という利点,作業態勢の固定という難点からの解放を意味する。回転台からの切り離しと,切り離し後の再整面は,成品の外観にもその影響を残す。回転利用は,三国時代土器の製作工程に作用する主要な技術的規制のひとつである。今回の紹介資料には回転技法に関する重要な情報がみられるので,本節で回転技法について考察する。

    以下,回転惰力を利用した定軸回転のみ「回転」と呼び,回転台ごと器体を旋回させて向きを変えただけでは回転とは呼ばない。また,回転台上に設置されていた器体が回転台から解放されることを「分離」,分離のための具体的な工人の行為を「切り離し」と呼び分けることにする。

    なお,回転台に関しては先人に学ぶところが多かったが,資料紹介の付論という性格上,学史は割愛せざるをえなかった。文末の文献目録に関係諸論を挙げるにとどめたことを寛恕されたい〔佐原1959;伊藤1970・1973;阿部1971;川西1978;中村1982;佐藤1989;一瀬1992〕。

    1) 土器の運動状態

    土器の運動状態は,いかなる成形台に素地を設置し,いかなる運動を与えるかによって,差を生ずると考えられるので,回転台の使用を中心に,土器に与えられた運動状態を分類する。

    まず,成形台に関する山田邦和の分類をまとめると,次のようになる〔1991:89〕。

    このうち,回転台の中心軸の有無は,成品の外観に顕著な差を生ずる。一方,無軸回転台を旋回させる場合は,回転不可能な成形台の周囲を工人がめぐる場合と,成品上で弁別しにくいと考える。したがって,本稿では「回転不可能な成形台」と「中心軸のない回転台」を「無軸成形台」とまとめ,成形台は無軸成形台と有軸回転台に2大別して考えることにする。

    素地の設置状態には,成形台を用いない場合,すなわち手や工具のみによって器体を支える場合も考えられる。したがって,設置状態は成形台を用いない場合,無軸成形台に設置する場合,有軸回転台に設置する場合の3様があることになる。成形台を用いない場合や無軸成形台の場合,回転は不可能であり,常に非回転である。有軸回転台の場合,回転・非回転の両方が可能となる。

    土器の整面のうち,非回転状態の3者を成品観察により相互弁別できれば,器体が回転台上にある時点と回転台から離れた時点を分けることができよう。

    2) 腰部ケズリの問題−平底壺3・把手付鉢10・把手付鉢11

    筆者はこれまで2篇にわたり,平底壺の腰部ケズリが,切り離し後の再整面ではなく回転台から分離以前のものである例を指摘した〔1993;1995a〕。しかし,回転台上での腰部ケズリの製作工程上の意義を充分解明していなかった。本項では回転台上での腰部ケズリの実例をさらに加え,その意義を考察する。まず,腰部ケズリを,工程上の位置と運動状態により分類,さらに実例によって細分し,これを通じて腰部ケズリの意義を考察する。その際,回転技法を成形・切り離し・再整面の有機的関係の中で捉えた伊藤博幸の所論が参考となる〔1970:78〕。

    (1)腰部ケズリの分類

    まず,腰部ケズリを,回転台から器体が分離する以前に行われた「未分離ケズリ」と,分離以後に再整面として行われた「再整面ケズリ」とに2大別する。

    分離後の器体は,逆さまにして再び何らかの成形台に設置することも考えられるので,器体の運動状態(設置状態・回転如何)には,上にみた第1,第2,第3,第4状態がすべて想定できる。再整面腰部ケズリも対応する4種に細分できる。これを運動状態に対応させ,分離後第1状態でのケズリを「再整面1種ケズリ」のように呼ぶと,再整面1種,2種,3種ケズリは「手持ちヘラケズリ」,再整面4種ケズリは「回転ヘラケズリ」に相当するであろう。ただし,本稿では特定の作業態勢を連想させる「手持ち」という言葉は避け,1種,2種,3種ケズリは「非回転ケズリ」と表現することとする。後述するように,回転台上に設置したまま行われた非回転ケズリ(いわゆる「手持ちヘラケズリ」)が存在すると考えるからである。

    分離前の器体は当然有軸回転台に設置されているから,運動状態は第3,第4状態が考えられ,ケズリには「未分離3種ケズリ」「未分離4種ケズリ」の2種がある。

    したがって,腰部ケズリは都合6種に分けられる。

    (2)未分離腰部ケズリの実例

    分離後の再整面としてのケズリに関しては,須恵器の蓋杯などで馴染み深く,学史も豊富なので,挙論するまでもあるまい。以下,未分離ケズリと筆者が考える実例を列挙する。筆者が実測しえた資料に限定しているので,地域・器種・年代に偏りがあるが,このほかにも観察例があることを付言しておく。また,出土状況や細かい属性は割愛し,所蔵機関などの情報は文末にまとめておいた。一部については別稿で挙論することもあろう。

    平底壺6(百済) 腰部は回転台上に土器を乗せたまま工具を差し入れて回転状態で削っており,工具を抜いた痕や,ヨコに張り出した素地がみられる。未分離4種ケズリである。

    底部内面は中央が高く,周縁が低い。底部内面周縁から胴部下半内面にかけて強い回転ナデが加えられており,回転台に素地を圧着したり胴部素地を積む際,回転状態で押さえたことを示す。円板巻上成形である。底部外面は無整面で平坦である〔白井1993:184〕。

    瓶12(百済) 古墳の副葬品である。腰部ケズリはいくつかの単位に分かれるが,砂粒移動が単位を越えて続いており,前稿の「連続ヘラケズリ」に当たる。また,砂粒移動からみたケズリの動きは水平であるから,回転台から分離する以前のケズリである。未分離3種ケズリである。

    補修されているため,成形技法は判断できなかったが,報告書の実測図に示された断面形によれば,円板巻上成形と考えられる。底部外面は無整面である。

    平底壺3(新羅) おもに新羅地域に分布する器種である。腰部は非回転のヨコ方向ケズリを,1単位の終点を次の単位の始点とするように,工具を離さず連続的に2周程度(2周目は1周目より下側を狙う)行っている(連続ヘラケズリ)。回転台からの分離以前に行ったことが観察される。未分離3種ケズリである。

    底部内面は中央が高く,周辺が低い。円板巻上成形の可能性がある。底部外面は無整面である。

    杯13(昌寧) ヘラ記号も含めて,昌寧地域の様相に近い。腰部ケズリは「手持ちヘラケズリ」と考えられているが,ケズリ単位が底面より下に抜けず,最下段は底部外縁に沿っているので,回転台上に固定されたまま行われたと考えられる。未分離3種ケズリである。ケズリ単位が細かく分かれ,斜方向の単位が多い点が特徴である。

    底部器壁が薄く,体部素地が底部に乗った様相を示す。これは円板巻上成形であることを示している。底部外面は方形の凹部があり,回転台のゲタ痕と考えられる。器面の状態から見ても,分離後無整面であろう。

    把手付直口壺14(金海) 腰部はケズリ単位が水平で,2段からなり,未分離3種ケズリである。連続ヘラケズリに相当する。

    底部内面は平坦であるが,内面の底部・胴部境界に素地を積んださまが窺われ,円板巻上成形と考えられる。底部外面は無整面である。

    椀15(新羅) 住居址出土例である。腰部ケズリは底部・体部界に届いておらず,回転台から分離後の再整面とは考えられない。回転台に設置したまま行った未分離4種ケズリである。口縁部回転ナデと腰部ケズリの方向が一致することも,分離前のケズリという想定に都合が良さそうであるが,回転方向を一定と前提することはできず,有利な状況証拠のひとつにとどまる。

    体部内面に素地の接目がみられるので,円板巻上成形と考えられる。底部外面無整面である。

    この種の椀は,朝鮮半島での既報告例によれば,6世紀後半の新羅領域のものと考えられるが,生活遺構の出土例が増加すれば,この限りではない。

    把手付鉢16(咸安) 腰部ケズリ単位は2段あり,水平と斜方向のケズリ単位があるが,水平のものが低い位置にあり,斜方向のものを切る。未分離3種ケズリである。

    底部内面に爪痕形の圧痕がみられる。底部に側面の素地が乗り,圧痕は側面巻上に先行するので,円板素地を回転台に圧着させた痕跡と考えられる。大きさから見て,人の爪ではなく何らかの工具であろう。すなわち円板巻上成形である。底部外面は無整面である。

    小型鉢17(咸安) ケズリ単位は1段であり,水平である。未分離3種ケズリである。

    底部に対して腰部が厚く,底部は内面非回転ナデ,外面無整面なので,円板巻上成形であろう。

    把手付鉢18(加耶または初期須恵器) この資料をはじめとする吉武遺跡群出土土器の製作地を加耶地域,陶邑,早良平野のいずれとみるかによって,早良平野の古墳時代像は大きく変わってくる。未報告という事情もあり,本稿では系譜論を保留する。

    腰部ケズリは幅広い水平な1段からなるが,破片のため単位の長さや隣接単位との接続は不明である。未分離3種ケズリである。

    底部が平坦であり,底部内面は不整方向ナデ,内面の底部・胴部境界はヨコナデ,内面下位は斜方向のナデが観察されるので,円板巻上成形と考えられる。底部外面は不整方向ケズリを施す。

    小型壺19(高霊または初期須恵器) 充分な類例に恵まれたわけではないが,高霊地域に系譜を想定したい。腰部ケズリはわかりにくいが,水平な2段からなり,回転台からの分離に先行するとみる。未分離3種ケズリと考えられる。

    円板巻上成形であり,底部内面には,円板素地に側面用の素地を接着したナデが認められる。底部外面にはケズリが行われている。

    把手付鉢10(加耶) 前節参照。未分離3種ケズリである。

    鉢20(朝鮮系軟質土器) 腰部ケズリは水平である。断面図にみるように,腰部は胴部とほぼ平行し,腰部と底部との境界が明瞭なので,腰部ケズリは未分離4種ケズリであろう。

    円板素地上に素地を巻き上げて成形しているらしく,底部から胴部への移行部や外面数カ所に素地の接目が観察できる。底部は周辺のみが薄く,円板素地の回転台への圧着や,胴部素地接着によると考えられる。胴部外面格子タタキの後,口縁部を回転ナデで外反させ,端部はやや凹面をなす。胴部外面下端は回転台に乗せたまま回転ヘラケズリを施している。胴部内面は当て具痕を残さず平滑であり,なで消したと考えられる。胴部内面下端近くは(上→下)方向になでよせられた素地がしわを生じている。底部外面は平坦でなく中央がいくぶん膨らみ,なでられている。

    把手付鉢11(軟質) 前節参照。未分離4種(回転)ケズリである。

    杯21(軟質・高霊) 金海地域の出土例であるが,系譜は高霊地域に求められる。腰部ケズリは回転を利用している。腰部に素地が浮き上がった様相を示すが,ケズリ工具の角度が回転中に変化したため,1周目と2周目の間の浮き上がった素地が残っていると考えられる。器体を回転台から分離した後のケズリでかかる現象は起こりにくいと考えられるので,腰部ケズリは回転台に設置されたまま行われたと考えられる。未分離4種(回転)ケズリである。

    内面の平坦部と傾斜部の境界が明瞭であるから,円板巻上成形と考えられる。底部外面に残る平行タタキメは,円板素地を成形する際,素地をひっくり返しつつ叩いたためであろう。この,基本成形技法に関する観察と解釈は,すでに朴天秀が示したものとほぼ一致する〔1990:12-14〕。

    また,腰部の未分離4種(回転)ケズリは,観察される限りでは成形段階最終整面である。すなわち底部外面無整面である。

    (3)腰部ケズリの細分とその意義

    細分 前掲諸例の未分離3種ケズリは,ケズリの段数や方向に顕著な差があるので,これを手がかりに5つに細分する(対応する資料番号を併記する)。ただし,この細分案は腰部の未分離3種ケズリに限って適用される。

    このうち,3d種,3e種には,ケズリ単位が短いものに「連続ヘラケズリ」技法が観察されるという法則性がある。

    相対序列の想定 未分離4種(回転)ケズリを未分離ケズリの完成形と仮定すれば,細分各種の間に〈3a→3b→3c→3d→3e→4〉の序列が想定できる。

    しかし,前掲諸例のうち年代の推定できる少数例さえもこの順に並んでおらず,時期差とは考えにくい。また,細分各種ケズリが系統差とも考えがたいことは,一目瞭然であろう。

    時期・系統にかかわらぬとすれば,考えられるのは製作上の技術的な要因と,土器の用途に関わる要因である。

    工具角度の検討 分離前の器体では,器面の角度が作業の行いやすさにかかわると想定できる。そこで,ケズリ面と回転面がなす角(=工具と回転台がなす角,以下,「工具角度」とする)と,未分離ケズリ細分各種との相関を調べよう。回転面は,底部再整面が行われていなければ底部平面と一致するが,底部再整面が行われた場合は口縁部平面で代替する(Fig.5)。

    未分離3種ケズリ 細分各種の工具角度は互いに重なりつつ相関する。工具を操りにくい浅い工具角度ではケズリ単位の多い3a種が,工具を操りやすい深い工具角度では整った3e種が分布するから,〈3a→3b→3c→3d→3e〉の序列は,器面の角度によるケズリの難易の結果と理解できる。逆にこのことは,前掲諸例が未分離ケズリであることを傍証するであろう。したがって,未分離3種ケズリの様相差は技術的な要因によるものである。

    未分離4種ケズリ また,未分離4種ケズリの工具角度は,未分離3種ケズリ細分各種のそれを包括する分布を示すので,3種細分各種の延長上に4種を位置づけることは適当でない。

    ところで,未分離4種ケズリの5例中3例(11,20,21)までが軟質土器であり,また,椀15は還元焔焼成だがやや甘く,出土状況から日常土器とみられる。軟質土器や日常土器で未分離4種ケズリがみられることが偶然でないならば,それらでは製作工程の簡略化のため回転を利用したということだろうか。なお,平底壺6(百済)のみ硬質土器であり,副葬器種の可能性がある。

    以上の想定は,筆者が観察・実測しえた限られた資料によるものであり,確定的ではない。

    (4)腰部未分離ケズリの工程上の位置−西弘海の見解とその再検討

    なぜ回転台からの分離前に腰部ケズリを行うのだろうか。単なる習慣に帰することも不可能ではないが,製作工程上で何らかの意義を有している可能性を追究しておく必要があろう。

    技法の特徴 腰部未分離ケズリの前掲諸例に共通する特徴を3点指摘できる。円板巻上成形, 腰部ケズリが分離前の最終整面であること,底部外面に切り離し痕跡をとどめないこと,である。

    円板巻上成形は,判断を保留した瓶12を除くすべてでほぼ確認される。

    腰部ケズリは,底部外面無整面の場合は成形段階の最終整面にさえなっている。

    底部外面の切り離し痕は,分離後無整面の例(3,6,12,13,14,15,16,17,21)にさえもみられず,未分離ケズリが施された土器の分離法(切り離し技法)が問題となろう。

    西弘海の所論 これについて,西弘海は須恵器における腰部ケズリの実例を挙げ,重要な指摘をしている〔1986〕。筆者は須恵器における実例に接する機会を得ていないので,これを補う意味も兼ねて,少し長くなるが,以下に西の観察と論理を引用する(原文縦書き,原註略)。

    西はTK85,TK73両窯の出土須恵器を示し,次のように述べている。

    「両者に共通する点は底部の「見込み」(底部内面)には、ほとんどロクロ目が無いという事でして、おそらくそれは、底全体を一枚の粘土板で作ったことによると思われます。そして、粘土板には最初に調整した際の凸凹の面が、かなり明瞭に残っています。」〔1986:168〕

    「底部と体部の境には、接合の際に押さえた痕跡が非常に明瞭に見てとることができます。底部の外面を見ますとTK85号窯の杯は、不調整でありまして、粘土板製作時の凹凸を、そのまま残しております。」〔1986:168-169〕

    「TK73号窯の小型の鉢の底面にも、ロクロによる撫でがまったくございません。そして底部の外面には、いわゆるロクロの下駄跡と呼ばれる二条の朴歯の下駄で踏んづけた様な跡が残っております。」〔1986:169〕

    この下駄痕が回転台自体に限らず,カメ板のものである可能性をも示した上で,

    「初期須恵器の杯・鉢といった平底の器形は、はじめから底部の切り離しを考慮せずに製作されてるという事が指摘できると思います。」〔1986:171〕

    とする。「底部の切り離しを考慮せず」とは,ヘラ切りや糸切りを行わないという意味らしい。

    飛鳥IV期の平底鉢については,次のような観察を披瀝している。

    「底部の外周の部分は、回転ヘラ削りによりまして外周を削っておりますが、これは底部の外面には及んでいません。よく観察致しますと、この須恵器自体は右廻りのロクロで成形されております。また、底部の外周のヘラ削りにも、右廻りのロクロが使われています。底部のヘラ削り、底部の外周のヘラ削りですが、仮にこの須恵器を逆転して削るとしますと、削りの痕跡は左回転のロクロで削られた事になります。」〔1986:171〕

    「底部の外周が鈍く突線状に飛び出しております。例えば、伏せた形でヘラ削りすると致しますと、この突線を作る事が困難であります。」「体部を成形した後に、動かさず、そのままの状態で底部の外周の粘土をかき取って成形したと考えた方が良いと思います。」〔1986:172〕

    以上の観察は,筆者が挙げた腰部ケズリの例と一致する。すでに西は,三国時代土器に同様の事例のありうることも指摘している〔1986:173〕。さらに,腰部ケズリを次のように解釈する。

    「粘土板を置き、それから、その上に粘土ひもで体部を巻き上げていく際、底部の外周を指で押す事によってロクロ、あるいは亀板に圧着するという作業があるんだろうと思います。その為に、その余分な部分を削る必要があったと思います。その状態で乾燥致しますと当然、土器は亀板、あるいはロクロから容易に手で持って離す事ができます。」〔1986:172〕

    つまり,基本成形技法,腰部ケズリ,回転台からの分離が,技術的に密接に結びついていることを明確に説いているのである。西はこの技法を「板起し技法」と仮称し〔1986:174〕,初期須恵器に「板起し技法」がみられるがTK208ごろから回転ヘラ切り技法が登場し,古い三国時代土器には回転ヘラ切り技法がみられぬことから,須恵器量産化の過程で回転ヘラ切り技法が登場したと考えた〔1986:174-175〕。回転ヘラ切りについては暫く措くとして,腰部ケズリに関しては西の観察と論理で一定の成果が得られており,須恵器に腰部未分離ケズリが存在したことは,一応認めて良かろう。筆者の腰部ケズリに関する見解も,西の諸説を参考にしている。

    西は製作工程における腰部ケズリの時点を述べていないが,おそらく,「板起し技法」の用語自体に解釈が含意されているのであろう。板起こしとは,円板素地の周縁のみ回転台に圧着させて成形し,周辺の素地のみを切って器体を回転台から分離する技法だからである〔阿部1971:23〕。

    三国時代土器の板起こし技法 筆者の結論は次の通りである。三国時代土器の未分離腰部ケズリは分離の手続き,すなわち切り離し技法そのものであると考える。この技法が採用されたことは,円板巻上成形と無関係ではなく,底部無整面もこれにより解釈可能と思われる。

    この技法は,回転を利用する場合があることを除けば,板起こし技法に当たると考える。

    端的な例として,再び杯21をみると,円板素地の周縁に素地を巻上成形した後,未分離4種ケズリで平坦部・傾斜部の双方から多くの素地を切っているが,この部分は可塑性の多く残る素地が回転台と接しており,この部分を切ることによって器体を分離することが可能だったのである。

    なお,ケズリ後再整面された例は,分布が高霊地域を中心とする加耶に偏るように見受けられ,注意を要する。高霊池山洞古墳群出土有蓋把手付鉢なども参考となろう〔定森・白井1992〕。

    (5)未分離腰部ケズリと周辺地域

    前掲諸例は朝鮮南部の三国時代土器であった。それらの成立に影響を与えたと考えられる楽浪土器や,三国時代の朝鮮北部に分布した高句麗土器についても,腰部未分離ケズリの例をみよう。

    壺22(楽浪) 腰部ケズリは複数回行われているが,整ったケズリ面から,回転台上に設置された状態で行った未分離3種ケズリとみられる。腰部ケズリと分離との前後関係は切り合いからでは決しがたいが,ケズリの方向が底面と平行なので,未分離3種ケズリの可能性はある。ただし,壺22の切り離し技法は静止糸切りであることが明らかである上,糸切り後に底部外面周縁で非回転のケズリが行われている。たとえ腰部ケズリが未分離3種ケズリであったとしても,朝鮮南部諸例とは同一視できない。なお,東京大学考古学研究室所蔵の楽浪土器にも未分離ケズリと疑われる例がある〔谷1984〕。筆者も観察の機会を得たが,解釈が難しく,結論は保留する。

    壺23(高句麗) かつて5世紀と考えられていた〔柳沢ほか1985:10,15〕が,筆者は7世紀後半ごろのものとみている〔1996b〕。詳細は別稿で論ずる。腰部ケズリは2段あり,{上→下}順,右回り(右→左)である。下段下端は底面よりやや高い位置にあり,ケズリ面と胴部器面が平行なので,腰部ケズリは回転台から分離する以前の行為と思われる。未分離4種ケズリである。

    底部・胴部の移行部分の剥離を擬口縁とすれば,円板巻上成形ということになる。底部外面無整面である。朝鮮南部のあり方に近いが,高句麗土器は破片1点のみの観察なので,確言できない。

    現時点で,腰部ケズリについて楽浪や高句麗と比較することは困難である。しかし,類似の技法が存在しうることは否定できない。また,類似の技法が存在したとして,これを技術系譜論の中に合理化してしまうか,あるいは土器製作技法の法則性の発露とみなすか,議論の余地はあろう。

    3) 高杯亜段階と回転台の問題−高杯9

    (1)新羅供膳器種の製作工程と亜段階

    新羅高杯の成形段階は,「原形杯亜段階」と「杯亜段階」からなる〔白井1995b:84〕が,これは器体と回転台の設置・分離という関係の変化から,工程上の不可逆的な単位として設定したものである。すなわち,原形杯亜段階では器体が成品と対比して正位となるように成形した後,切り離し行為によって器体は回転台から分離する。高杯亜段階では原形杯を回転台に伏せるように設置し,底部や脚部に関する成形・整面行為を施す。

    新羅供膳器種の蓋も,高杯と対応する「原形杯亜段階」と「蓋亜段階」からなっており,同様の製作工程で作られている。

    (2)心出し痕

    回転台から分離した器体を逆さまに回転台上に再設置し,再び回転を利用しようとするなら,2度の回転台設置の回転軸を一致させる必要がある。この行為が「心出し」である。本稿では高杯9において心出し時の素地の付着を認識した。これを仮に「心出し痕」と呼ぼう。心出し痕は,回転台に再設置し,その後口縁部を整面しなかった高杯や蓋であれば,生ずる可能性がある。逆に,心出し痕の存在が,製作工程に関する重要な手がかりともなりうるのである。

    筆者は,これまで心出し痕の実例をいくつか認識した。以下,まず,原形杯の口縁部が直接回転台に接していた証拠を提示し,次に高杯9と同様の心出し痕の実例を掲げよう。

    蓋24(新羅) 口縁端面には焼成以前に素地が付着している。素地の付着した場所に器体を置いたためとみられるが,これは蓋亜段階で器体を伏せたときであろう。

    蓋25・高杯26(加耶または初期須恵器) 高杯26の口縁端部には,半周は内面寄り,半周は外面寄りに素地が付着しており,心出し痕と考えられる。回転台に付着していた素地はかなり可塑性が残っていたようである。蓋25と高杯26は,廃棄時にセットであった可能性はあるが,自然釉などに相違がみられる。

    (3)透窓切開時の作業態勢

    筆者は前稿の高杯2を紹介する際,透窓切開時の工具角度を考慮し,手に高杯を逆さに持って透窓を切開するように,作業態勢の一案を示した。しかし,この想定は問題を残していた。

    まず,透窓切開時の工具角度を論ずる一方で,工具の弾性に言及していたが,作業態勢の復元の際は工具の弾性を考慮していなかった。

    次に,一方で脚部に杯部よりも可塑性が残ることを脚端の歪みによって主張しつつ,その脚部を持って高杯を持ち上げたと考えたことは,不合理であった。

    また,可塑性の問題とも絡んで,筆者は脚端の跳ね上がりを倒置乾燥によると考え,高杯亜段階における原形杯の倒置以来,乾燥まで倒置していたと考えていたのに,途中に手で器体を持ち上げて透窓を切開したと主張するなど,矛盾していた。

    今回,高杯9に接し,透窓切開時の作業態勢を復元した。脚部の歪みや各種の痕跡を整合的に解釈する透窓切開時作業態勢を復元したが,それは,器体を回転台に倒置固定したまま透窓を切開したとするものであった。この想定を高杯2に適用しても特に矛盾することはない。上記の問題もある程度解消されるものと考える。


    おわりに

    本稿では,九州大学考古学研究室所蔵の新羅土器・加耶土器を紹介し,若干の考察を試みた。

    考察として回転台の問題を挙げたが,筆者が新たに解明しえた部分は少なく,むしろ先学の業績に導かれるところが多かった。

    須恵器の回転台技法に関する研究は,1960年代から1970年代にかけて盛んに行われていた。須恵器杯の成形技法や切り離し技法に関しては論争が起こり,決着がついていなかったように見受けられる。しかし,そこで展開された先学の議論,おもに土器製作の原則や,観察の精度,観察を解釈に組み上げていく論理が,高い完成度を誇り,また,論者の間で驚くほど一致していることを,蛇足ながら指摘しておきたい。

    かかる先学の業績の前に,筆者の非力をもっては何らの新地平も開きえないが,地域を越えた土器製作工程の比較検討のため,研究材料(考古学的事実)を共有化することが本稿をはじめとする筆者の資料紹介の本旨であり,その責はある程度果たしえたと考える。参考資料にも,これまで利用されてこなかった資料を用いたり,筆者が観察から得た新たな所見を盛り込むようにした。

    本稿紹介の資料が土器研究の進展になにがしか寄与しうるならば,望外の幸せである。


    本稿を草するに当たり,貴重な所蔵資料の調査・使用を許可され,あるいはさまざまな協力を惜しまれなかった各機関・諸氏の芳名を記し,感謝いたします。

    金ミンス,金榮珉,金宰賢,朴天秀,徐姈男,安順天,尹美淑,李陥錘,李相均,李準浩,全玉年,鄭澄元,鄭漢徳,崔鐘赫(以上カナダラ順),安斎正人,石木秀啓,石山道子,犬木努,井上繭子,今村啓爾,榎本義嗣,大塚達朗,大塚紀宜,大貫静夫,岡田裕之,岡村秀典,小田富士雄,片岡宏二,亀田修一,岸本圭,清田純一,小寺律,早乙女雅博,酒井清治,定森秀夫,重藤輝行,篠原(鮫島)和大,島津義昭,周藤芳幸,高久健二,田口みどり,武末純一,田多井用章,田中良之,谷豊信,俵寛司,常松幹雄,寺井誠,中島達也,中園聡,長家伸,新美倫子,西谷正,樋口公美子,藤本強,舟山良一,古谷毅,松浦史浩,松藤暢邦,松本直子,溝口孝司,宮田剛,宮本一夫,森井啓次,柳沢一男,山崎純男,余語琢磨,横山邦継,吉井秀夫,吉留秀敏(以上五十音順),九州大学考古学研究室,東京大学考古学研究室,東京国立博物館,福岡市教育委員会,福岡市博物館,大野城市教育委員会,釜山大學校博物館,九州大学六本松地区図書館,九州大学大学院比較社会文化研究科基層構造講座,小郡市教育委員会,熊本県教育庁,城南町教育委員会(以上関連資料番号順)


    【前稿・本稿の掲載資料】

    *凡例:a)器種,b)系統,c)出土地,d)調査主体・旧蔵者,e)所蔵機関・登録番号,f)文献
    *機関名略語(登場順):九大考古(九州大学考古学研究室),東大考古(東京大学考古学研究室),教委(教育委員会),釜大博(釜山大學校博物館),玉泉館資料(九州大学六本松地区図書館玉泉館資料)


    【写真・図の目次と出典】


    【文献】


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