滑川(なめりがわ)上流

ここからは、一般道路を歩いていきます。橋を見つけるためには道路から外れて遠回りしてください。
車も多くなるので安全には十分注意してください。

戻り橋
鎌倉市十二所字佐小路
金沢街道から少し入ったところにあり、静かな雰囲気がある。
光触寺橋
鎌倉市十二所字佐小路
十二所バス停から少し入ったところにあり、橋の欄干が雰囲気を出している。
茅葺きの民家が印象的である。光触寺(こうそくじ)境内には塩嘗地蔵がある。昔六浦の塩売りが鎌倉に出入りするたびに、商いの初穂として、朝比奈峠を越える時、塩をこのお地蔵様に供えたのですが、帰りにはなくなっていたのでお地蔵様が嘗めたのだろうというのでこの名が起こったと言われている。
明石橋
鎌倉市十二所明石
金沢街道から逗子ハイランドへ入る交差点になっている。
交通量も増えてきた。

二つ橋

鎌倉市十二所二ツ橋
明王院の入り口にあり、周囲は静かな住宅街である。
この付近一帯に二ツ橋という地名がついている。
この写真の正面が五大堂明王院である。将軍頼経が建立し昔は立派な寺であった。五大尊(中心に不動、東に降三世、西に大威徳、南に軍茶利、北に金剛夜叉の五大明王)をまつっていたが、寛永年間の火事のために、不動明王一体だけを残して焼けてしまった。
泉水橋
鎌倉市浄明寺5丁目
金沢街道に架かる橋で、右手が十二所で手前が浄明寺である。
ここからいくつかの橋がそうであるが、橋の名前を書いた欄干部分にガードレールが密着して、見にくい。
西泉水橋
鎌倉市浄明寺5丁目
金沢街道から少し入ったところにある。
虹の橋
鎌倉市浄明寺5丁目
名前は、きれいだが・・・
由来は後日調査をしてみたい。
この橋の近くに、足利公方屋敷跡があります。この辺一体は、室町時代の鎌倉公方の足利氏の住んでいたところで、足利公方屋敷跡と呼ばれている。

青砥橋
鎌倉市浄明寺5丁目
五代執権北条時頼に仕えていた青砥藤綱という武士がこの近辺に館を持っていたのでこの名がついたとか?
青砥藤綱については、有名な話があるが、もう少し下流の東勝寺橋のところで触れよう。
この橋の左側奥に浄妙寺があります。寄ってみて下さい。

華の橋

鎌倉市浄明寺2丁目
金沢街道から竹林で有名な報国寺へつながる橋である。
大きな桜の木が橋の雰囲気を盛り上げている。