東武熊谷線



ここにある写真は1983年5月31日をもって廃止となった東武熊谷線を撮影したものを展示しています。なお、以下の5つの時期の写真があります。
  1. 廃止2年前の昭和56年(1981年)8月10日〔jiuliuさん撮影〕
  2. 廃止5日前の昭和58年(1983年)5月26日
  3. 廃止5年後の昭和62年(1988年)11月3日〔ERCさん撮影〕
  4. 廃止18年後の平成13年(2001年)5月6日
  5. 廃止18年後の平成13年(2001年)6月3日
熊谷線の駅は以下の4つであり、全て埼玉県内にあります。

熊谷→上熊谷(秩父鉄道と共有)→大幡→妻沼

●東武熊谷線とは●

東武熊谷線とは昭和17年2月に太平洋戦争の軍需路線として現在の埼玉県熊谷市と群馬県大泉町を結ぶ延長13kmの鉄道として計画されたものです。戦時中の為に資材不足に陥りその解決策として当時複線化されていた東武日光線の一部を単線化(日光線はその後、昭和48年に複線に戻りました)し、その余った資材を利用して建設が行われ昭和18年12月5日に熊谷〜妻沼間10.1kmの部分営業を開始しました。その後、利根川橋梁建設に入りましたが、昭和20年8月15日の終戦を迎えることになり工事は治水上の安全を図るために橋脚を完成させた後、昭和22年7月に工事中止となりました。昭和29年2月より蒸気機関車に変わってキハ2000形ディーゼルカー(写真のもの)が走り始めましたが、営業が振るわず昭和49年に未開通部分の廃止許可を行い、未完のまま昭和58年5月31日に熊谷〜妻沼間の営業廃止を迎えました。(参考文献 東武鉄道100年史)

キハ2000形の配色は就役当時、上半分が白系、下半分が青系でしたが、写真撮影の時はセージクリームになっていました。これは、当時の東武鉄道が塗装工程を短縮させるために行ったことであり、優等列車の除く車両は全てこの色になっていました。(現在も走っている8000系も白地にブルーのラインとなる以前はこの1色で全体が塗られていました)


西小泉駅 路線地図

路線図
(1/50,000地形図を元に編集)
切符など
西小泉〜妻沼間
西小泉駅 西小泉〜妻沼間
妻沼駅付近 妻沼〜大幡間
妻沼駅付近 妻沼〜大幡間
大幡駅付近 大幡〜上熊谷間
大幡駅付近 大幡〜上熊谷間
上熊谷駅付近 熊谷駅
上熊谷駅付近 熊谷駅

●後日談●

ネガに写っていても普通に写真を焼いてもらうと周りがカットされてプリントされることを撮影当時には知らずに車両をアップでとってしまいサービス版では車両が切れてしまいました。これでは、納得行かないので社会人となってお金に余裕が出来たので撮影当時に諦めたこれらの写真を手焼きで焼き直してもらいすべてをプリントする手段をとりました。この例が今回の写真”キハ2000形の全景”です。写真を撮影するときは気を付けないといけませんね。

平成に入って2度ほど妻沼に行くことがあり、たまたま路線跡?(地図上で正確にどこを走っていたのか一度も確認していないので)と平行に走る道を車で通ることが出来き、橋の跡や路盤らしいものがまだ一部残っているのが分かりました。なお、キハ2000形は妻沼町の町立中央公民館(町立図書館)に静態保存されています。

廃止18年後の平成13年(2001年)に写真仲間と再び熊谷線へ・・・。いろいろ残っているだろうと思って期待していたが、ほとんどが道路と公園となってしまい路線が残っているのは秩父鉄道と平行している部分だけでした。あまりの変わり様にビックリするとともに廃止からの今日までの長い年月を思い知らされました。

あるメディアで、熊谷〜太田間に鉄道を・・・。という話がある事を数年前に知りました。そこには、鉄道跡を再利用しようという話もありました。今どうなっているか分かりませんが、もし、熊谷線が残っていればひょっとすると今頃は全線開通し、幹線とまでは行かないまでも地方交通の要にはなっていたのではないかと・・・。なんとも因果なことですね。

最後に文章ばかりですが、見に来てくださった皆さんありがとうございます。


2000年1月15日開設
2001年5月31日全面改装
2001年12月12日TOPページを改装

2003年5月25日一部改装