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廃止となる2年前位の妻沼駅の1コマです。廃止反対という看板がありました。 (1981年頃撮影:jiuliuさん提供) |
廃止18年後の妻沼駅跡です。線路は道路となり、当時の面影を残しているのは写真左のソテツと石のモニュメント(安全緑十字)、写真中央の防風林だけです。 (2001年5月6日撮影) |
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ソテツと石のモニュメント(安全緑十字)のアップ写真です。 (2001年5月6日撮影) |
大幡駅からバスで妻沼駅に行き、駅に入線する2両編成のキハ2000を撮影しました。この撮影時に運用されていたのは3編成あるキハ2000形(2001〜2003)の内のキハ2002(上り方)とキハ2003(下り方)でした。 (1983年5月26日撮影) 右の写真をクリックすると妻沼駅で撮影したキハ2000形の他の写真が見られます。 |
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構図に縦横の違いがありますが、上記の写真の現在の様子です。樹木だけが当時の面影を残しています。 (2001年5月6日撮影) |
妻沼駅の先には車庫・機関庫・給水塔などがあり、そこまで線路が延びていました。この写真は、これらの先にある熊谷線の終端部方向を撮影したもので、遠くに利根川の土手が見えます。 (1981年頃撮影:jiuliuさん提供) 右の写真をクリックするとjiuliuさんが構内で撮影されたキハ2001〜2003の写真が見られます。 |
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jiuliuさんが撮影された妻沼駅にあった“安全第一の塔”です。 〔右〕キハ2000系のものと思われるピストンに付いたプロペラ風のものに「S.56.7.11 → ∞、これからも頑張ろう」と書かれています。 〔左〕右の写真の下の部分です。東武鉄道の社章が刻まれた石の上に緑十字とピストンがのっています。 (1981年頃撮影:jiuliuさん提供) この塔はどういったものか、お分かりになる方がおりましたら連絡を頂けませんでしょうか?jiuliuさんも私を困っておりますので宜しくお願いします。 |
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妻沼駅跡のすぐ近くにある妻沼町中央公民館(展示館・妻沼町立図書館)にキハ2002が静態保存されています。なお、他の熊谷線を紹介しているサイトで違う場所に屋根もなく展示されている写真がありますが、それは現在の場所に移動する前のもので、この写真の右後方になります。私も現在の姿になる前のものを見ていますが、残念ながら写真は撮っていませんでした(-_-;) (2001年5月6日撮影) この車両は展示館の事務所に頼むと中に入ることが出来ます(無料です)。車内等の写真をご覧になりたい方は右の写真をクリックしてください。 |
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キハ2000形の説明が書かれています。メーターは120キロありますが、そんなには必要なかったことが分かります。 (2001年5月6日撮影) |
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