1998年 8月20日 木曜日
*
忙しさについて考えて、
*
私には、ときどき、
憑きものが憑くことがある。
その働きで、
いくつかのかべを、
*
他人ではなくても、、
結局、自分とは無関係な、
そんな憑きものが、
何年かに一度ずつ、
これまではやってきて、
*
人生の1/3たる、
四半世紀を、
かように、生きてきた、
*
現在の自分の存在は、
自分を育てるためにいきている、
何かになるために、
何になるかを
見極めるために、
*
多くの人間には与えられない、
貴重な機会を、
憑きもの自体にではなく、
私に与えられている、
*
憑きものの宿主として、
ここまで生きてきた、
履歴は、宿主、
1年前の自分は、
現在の自分とは、本質的に
何の関係もなくて、
*
人格の核、が
自分自身ではない、
*
現在の自分は、
現在の自分の役にたっていない、
いわんや、誰かの役に、
将来の自分に役に立つことを、
使命として納得できるのならば、
それは、
しあわせなこと、
*
何らかの忙しさにつつまれていれば、
わたしは、その人格中枢の欠落を、
忘れていることができた、
*
他人のことを理解すること、
自分のことを理解すること、
どちらも、決して簡単なことではなく、
されど、
、、、
いままでの、いくつもの、
決心してきた、こと、
決意してきた、こと、
を、押しのけて、
現在でも意識の表層に存在している目標が、
他人のことを理解する、こと、
であり、
その「応用」として、
自分のことを理解することである、
ならば、それは、
私の象徴的課題であろうに、
肝に彫り込まれた、
テーマだろうに、
ならば、
*
現今の課題は、
自明なり、
*
自分の欠陥を覆い隠すための
隠蔽材としての、忙しさではなく、
知的部分のうち、理屈ではない、
真のアタマの働きの部分を、
忙しく、
*
憑きものを自分の中枢のものとして、
取り込むことを目指すのか、
それとも、
空隙に、現在の人格を、
僅かずつ浸透させていくのか、
*
忙しき精神、
もどる。
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