考古学のおやつ

冷蔵庫サタデー−間の悪い三部作

萬維網考古夜話 第38話 31/Aug/1999,1/Sep/1999

(1/Sep/1999補足)途中に長文の補足を加え,一部内容を組み替えました。

なぜあのとき埴輪の話になったのか,どうしても思い出せません。酔っぱらって忘れてしまったのではなく,あの時点で,話の必然性がよくわからなくなっていました。

ここは,とりあえず怒っとくところかな,くらいのことは思ったような気が。なぜ?

怒るのはほかに上手な人もいるけどね。

だいたい,懇親会のころを見計らったはずが,それから1時間待ってしまったあたりから間が悪かった(^^;ゞ。


8月21日土曜日に『福岡考古』第18号が発刊されました。この雑誌としては3年ぶりの発刊となるようです。

ご覧になるとおわかりのように,資料紹介を主体に,数ページずつの文が載っていますが,ひとりだけ,異様に長いページ数を占めている人がいます。何て間の悪いヤツでしょう。そう,実は私なんです。

白井克也,1999,大野城市出土新羅土器の再検討−須恵器との並行関係ならびに流入の背景−,福岡考古第18号,福岡考古懇話会,21-36

投稿規定では6ページが上限だったらしいんですが,実際に雑誌が出るまで,誰もそんな重要なことを教えてくれないんだもの(^^;。しかし,バランス崩してるなー。

で,副題を見ていただいてもわかるように,須恵器との並行関係について,例によって不遜な発言をしているのですが,発売日早々にお買いあげいただいた尾野善裕さんからは,

「今どきこんなこと書くなんて,勇気あるなぁ(^^と思ったら,脱稿が2年前ですね。」

とか言われてしまいました……って,誰のせいでこうなったんですか,尾野さん(尾野さんに言わせれば,山村さんのせいらしいが……直接にはそうでしょうね)。

今回出たのは,昨年まで寄り道していた(これまで寄り道以外のことをした記憶はあまりないが)7世紀三部作の完結編,と言いつつ最初に書いたものです。後の2本は,このコーナーで話題にしたこともある次のものです。

この2本を書くときは,当然今回の大野城の話を前提にしていたわけで,例えば緑釉陶器の紹介で土器編年に図がないのも,この大野城の紹介に載る予定だったからでした。また,高句麗土器の話と比べていただければ,高句麗土器に関連して勉強する以前の,そのきっかけとなった認識がバレてしまいます(^^;ゞ。校正でもほとんど直さなかった(新羅土器の編年のうち印花紋の絡む部分はいくぶん補正した)ので,ほぼ2年前の文のままです。あー恥ずかしい。

やっぱり恥ずかしいのは編年の部分で,今まで内容の伏せられていた編年が公になって,「なんだ,白井って編年できないんじゃん」とバレたんじゃないかな,ってあたりです。

それでも,上の方で出てきた尾野さんの発言は,そう言うところじゃなくて,もっとこの論文の核心に近いところの話です。つまり,須恵器の編年と実年代の部分です。

ここ数年,須恵器の実年代観を修正しようという動きがあって,最近は尾野さんに会うたびにその話だったわけです。そんな中で,九州のIV期がどうの,V期がどうのと実年代込みで書いているわけですから,まぁ,勇気があるというかなんというか。

先ほどちらっと名前の出た山村信榮さんは,次のような論文を発表されています。

北部九州の須恵器の実年代観に再考を迫る内容で,読むと頭を抱えてしまいます。今,このページを見て頭を抱えている人もいることでしょう。こういう動きがある中で7世紀三部作(山村さんに言わせると,「7世紀から一部8世紀の三部作」だったりして(^^;ゞ←シャレになってない)を書いてしまったわけです。

確かに,九州のV期の須恵器って集落ではよくわからないので,ひょっとして墳墓にしか良好なセットがないんじゃないか,ぐらいの気持ちはあって,それで高句麗土器や緑釉陶器の話では少しぼかしてるんですけど,よりによって一番無批判なヤツが最後に公になってしまいました。

そんなわけで,尾野さんとはすっかり不倶戴天の仲になって,「抜刷を神社の鳥居に五寸釘で打ちつける」とか「新月の夜は出歩かない方がいい」とかと会話を交わしているのでした(第三者には楽しげに談笑しているように見えるらしいが)。

なぜか山村さんとはそういう仲にならない。

でも,尾野さんの論文には第三者の文章を経由して私の文が紛れ込んで足りするんですね,これが。

−−ここから1/Sep/1999補足−−

と言うのは,尾野さんが昨年発表されたこの論文です(これも頭が痛い(^^;ゞ)。

この文の冒頭,次の記述があります。

既に指摘があるように,<古墳>の初現に連動させて,中・後期古墳の暦年代を引き上げるのは,一つの解釈に過ぎないのであって,各時期ごとに暦年代比定を詰める作業が重要であることは間違いない(久住1998)。〔尾野1998:75〕

ここで登場する「久住1998」というのは,素人のたわごとの仮説今週の発見)で登場した彼が史学雑誌の「回顧と展望」に書いたものです。