森に帰ったしな乃
森にかえったしな乃 交通事故のない社会を目指して

        森にかえったしな乃 プロローグ


  レンゲショウマ
蓮華升麻(レンゲショウマ)



  森にかえったしな乃

  あの、暑い夏の日、
  わたしたちの前から突如いなくなってしまった、しな乃。
  君はいったい、どこへいってしまったのか。
  わずかばかりの思い出だけを残して、
  君はどこへ、いってしまったのか。

  そんなある日、
  風が君の消息をつたえてくれた。
  やっぱり、しな乃は森へかえっていったと。
  明るく、豊かな奥多摩や道志の山々。
  あたたかい腐葉土と苔におおわれた、奥秩父や蓼科の山。
  毎日が、君のためにある森で、
  春は朝寝ぼうの花を起こしてまわり、
  夏は高い木の枝で唄い、
  秋には来年のために、どんぐりの種を埋めてあるく。
  しな乃は大好きな森に遊び、
  大好きな森をつくっているんだと、
  風は、そう教えてくれた。

  いつか君がいたころのように、
  山歩きを再会する日が訪れたら、
  森のほの暗いやぶ陰に咲く、蓮華升麻のうす紫に、
  そんなしな乃の姿を、見ることができそうな、
  予感がします。



   

  ホームページ森にかえったしな乃の作成にあたって

シラネアオイ  「森にかえった しな乃」は、交通事故によりたった9歳で、その人生を終わらなければならなかった、わたしたち の最愛の娘、しな乃を悼んで上梓した追悼本の名前です。
 「しな乃」という名前から想像された方もいるかと思います。「しな乃」は父親であるわたしの出身地、長野県の旧地名「信濃」を無断で借用したものです。

 1993年、その年の夏の天候は、ことのほか天候が不順でした。この影響で、お米の出来が全国的に悪く、やがて食べつけない外国米が入ってきた年でもあります。
 山に海にと、楽しい思い出を積み上げる季節のはずが、長雨で寒い夏だったため、子供たちの顔は一様に白いままでした。

 9月1日、この日は長い夏休みが終わっての2学期の始まりの日でしたが、夏休み明けの、華やいだ雰囲気とは言い難い、静かな新学期の始まりでした。
 始業式を終えて、午前中で帰宅したしな乃とわたしは、当時高校生だった兄、孝一郎と一緒に、冷凍ピザを温めただけの簡単な昼食をとりました。これが文字どおり、しな乃にとっての最期の食事になりました。
 しばらくして友達からの電話があって、呼び出されたしな乃は、自転車ででかけていきました。
 自宅からほんの5〜60メートル、多摩川に沿った遊歩道に出ようとしていたしな乃に、猛スピードの乗用車が襲いかかりました。午後1時38分、まさにこの瞬間、しな乃の命は絶ちきられたのです。
キノコ  加害者Nは、近所に住む20歳になったばかりの専門学校生、そして暴走族でした。慣れからくるスピードの出し過ぎと、脇見運転が原因だったと思われます。
 搬送されていく救急車のなかで、左の手足を何度か激しく動かしたのを最期に、やがてしな乃はピクリとも動かなくなりました。懸命な治療と家族の呼びかけにも応えず、翌2日朝9時すぎ、9歳と7ヶ月間動き続けたしな乃の鼓動は、2度と打つことはありませんでした。

 元気だった家族が、突然にいなくなってしまうということは、簡単には理解も納得もいきません。わたしたちは娘が死んだというよりも、どこかへ行ってしまったようにしか思えませんでした。
 しな乃は、自然の申し子のような子供でした。花や昆虫があれば、玩具なんか目もくれません。 ハイキングに行った時などは、まったく別人のようにキラキラした目で、自然にとけ込んでいました。
 そんなしな乃を見るたび、わたしは思ったものです。この子はきっと、「森」からやって来たんだろうなって。
 そしてしな乃は、森にかえっていきました。わたしたちに残ったものといえば、しな乃の片鱗を写し取った追悼本「森にかえったしな乃」だけです。

ジョロウグモ わたしは、しな乃を奪った交通事故が憎くてなりません。現在のように発達した車中心の交通社会を、昔のような不便な形に戻すことはできないでしょう。しかし子供や老人など、交通弱者といわれる歩行者が、むざむざ犠牲になり続けていくことは容認できません。
 しな乃はもう、わたしたちのもとには決して戻ってくることはありません。わたしたち限られた家族を除いて、やがて多くの人たちの記憶からしな乃は消え去っていくことでしょう。
 わたしは、しな乃が生まれ、そして生きたあかしを残さなければならない、遺家族としての義務を負っています。
 ひとつには「森にかえった しな乃」があります。もう一つは交通事故犠牲者に、光を当てることです。
 このホームページは、こんな目的で作りました。

                                                           追悼本 森にかえったしな乃



      


森に帰ったしな乃