森に帰ったしな乃
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        長野県歌 信濃の国


        シナノキンバイ 森にかえったしな乃
 信濃金梅(シナノキンバイ)


  長野県県歌  


2016年 2月 9日 朝日新聞記事信濃の国」歌えて当然

長野県歌 信濃の国


信濃の国は十州に 
境連なる国にして
(そび)ゆる山はいや高く
流れる川はいや速し
松本伊那佐久善光寺
四つの平らは()(よく)の地
海こそ無けれものさわに
(よろ)ず足らわぬことぞなき

()()に聳ゆる山々は
御岳乗鞍駒ヶ岳
浅間は(こと)に活火山     
何れも国の(しず)めなり
流れ淀まずゆく水は
北に(さい)川千曲川
南に木曽川天竜川
皆この国の固めなり



木曽の山には()()茂り
諏訪の海には魚多し
民の稼ぎも豊かにて
五穀の実らぬ里やある
しかのみならず桑とりて
()(がい)(わざ)のうちひらけ
細きよすがも軽るからぬ
国の命を繋ぐなり

訪ねまほしき園原や
旅の宿りの寝覚(ねざめ)ノ床
木曽の(かけはし)かけし世も
心してゆけ久米路橋
月の名にたつ(うば)(すて)
知るき名所と風雅(みやび)()
詩歌に詠みてぞ伝えたる      

旭将軍義仲も
仁科の五郎信盛も
春台太宰先生も
象山佐久間先生も
皆此の国の人にして
文武の誉れ(たぐい)無く
山と聳えて世に仰ぎ
川と流れて名は尽きず

吾妻はやとし大和(たけ)
嘆き給いし(うす)()
穿(うが)つトンネル二十六
夢にも越えゆる汽車の道  
道一筋に学びなば
昔の人にや劣るべき
古来山河の秀でたる
国は偉人のある習い


外部 LINK
長野県庁の公式サイトです

   

カワセミ 森にかえったしな乃 「信濃」は長野県の旧国名、略して「信州」とも呼びます。
 国名の由来はさだかではありませんが、長野県の北部山地に多い「しなの木」が語源だとも言われています。

 信州は南アルプス・中央アルプス・北アルプスと、日本の屋根を文字通り支える山国です。
 信州そばは今でこそ通の食べ物として有名ですが、昔はそば程度しか採れない貧しい国だったのでしょう。

 もうひとつの名物に、県歌「信濃の国」があります。明治の廃藩置県の嵐が過ぎ、当時2つに分割された「長野」と「筑摩」の合併を巡って、賛成・反対の両派が争いました。
 その裁判中、裁判所の周りを取り囲んだ県民が「信濃の国」を歌い始め、やがては反対派も唱和する大合唱になりました。ついには裁判官の気持ちを動かして、再度の合併が決まったそうです。

 長野は貧しさゆえに「ゲテモノ」食いで有名です。一方、貧しさから抜け出す唯一の手段としてだそうですが、「教育熱心」な県民性をもっています。    
 私が勉強に熱心でなかったのは、父親が長崎県の平戸市の出身であり、母親は一応長野県の出身となっていますが、明治の時代に新潟県から流れてきた異邦人だからということが言えます。
                    
アケビ 森にかえったしな乃  私は高校を卒業するまで長野の飯田という、田舎町で過ごしました。田舎が嫌いで、卒業後すぐに上京しましたが、年を経るに従って、信州が心をますます占拠していきます。
 そして末っ子につけた名前が、「しな乃」ということになりました。高校卒業25周年記念行事で、たくさんの懐かしい顔に出会いました。その中で、もっとも羨ましがられたのが、娘につけた「しな乃」という名前です。

 私は人に、娘とその名を自慢して歩きました。県歌「信濃の国」にあるよう、まさに自然しか誇ることがない国ではありますが、その自然の申し子のような「しな乃」、思いやりの深い性格が自慢の種でした。とくにその将来について大きな期待を寄せていただけに、私たち夫婦は、未だ立ち直ることができないでいます。
                
 娘が死んで6年余。ある日、そんなことも知らない級友に、バッタリと街で出遭いました。
 「よう、しな乃は元気か?大きくなったろう?」。私は目を伏せて、その場を走って逃げました。



      


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