■カフカス戦争
統一帝国の滅亡とヤシマの鎖国によって、1980年代後半から1990年代前半の世界は、40年戦役の終結に伴う体制再編の時期となっていた。この時期、合衆国の支援を受けた“天使同盟”に与するイスカンダルと隣国パルティアが停戦し、1989年にはパルティアでも政権交代が起こっている。
1990年の“連邦共和国”樹立は統一帝国の完全な滅亡を世界に知らしめることとなり、同年に統一帝国の残存部隊が敢行したガミラス湾奥カージマでのクーデターも、翌1991年にはあっさりと殲滅された。この年には“連邦”でも政権交代が発生し、反天使同盟を掲げる勢力への弾圧が強まっていくとともに、旧法王領の対岸域やアウルム東部でも残存勢力の掃討が継続されていた。
そして1994年。ついに“連邦”は“緑の聖母”残党をかくまうとしてカフカス地方への武力侵攻を決議。もともとこの地方はユーラシアの要衝であり、かつ豊富な天然資源を巡って、長年“連邦”との諍いが絶えなかった地域である。
世界大戦の折には統一帝国の支援を受けて“連邦”と戦い、40年戦役を通じて反天使同盟の根拠地となったゆえに――彼の地は再び、戦場となったのだ。
(余談ながら、この同じ1994年、それまで貴重な古の血を引くとして命脈を保っていた北欧の小国“黄金の森”も、合衆国の手によって滅ぼされている)
この地域で過ごした7年が、アンナ・Oに脱出の道を選ばせなかったとするのは間違った見方である。このカフカス戦争においては、どういうわけか天使兵は投入されず、通常戦力のみでの衝突となったのだ。
天使兵を投入させなかった理由こそ――セラピア・パルマコンの存在である。合衆国は何らかの理由で(“総統”の血縁であるからか?)セラピアの確保をも目的とし、無差別に都市を粉砕する天使兵は投入されなかったと考えられている。
(ごく一部の神秘学者には、セラピアの存在そのものを恐れ、天使兵は介入できなかったとする説を唱える者もいる)
ともあれ、アンナ・Oは軍事顧問として現地政府に協力を余儀なくされる。セラピアの存在が天使兵の介入を防いでいるのだとすれば、彼女が居なくなればそれで戦いは終わるのだ。――“決戦”を成し得なかったアンナ・Oにとって、これは望んだ戦いであったのか。バーミヤン地方から参じた“赤狼隊”を中核に、カフカス軍は“連邦”侵攻部隊に対して苛烈な反撃を加えていく。
そして、伸び伸びと育った8歳のセラピアの前に投げ出されたのは、人と人とが殺し合い、死んで逝く過酷な現実であった。首都は何度も空爆に曝され何千もの市民が殺され、各地での“連邦”正規軍と“緑の聖母”を母体としたゲリラ組織との戦闘は、血で血を洗う凄惨さに満ちてゆく。
ふわふわした性格の奥に、何よりも“生き延びること”への執着を持つセラピアの根源は、このカフカス戦争に求められるのかも知れない。
戦いは2年ほど続き――1996年1月、“連邦”政府の要請でついに合衆国の天使核兵器(フーファイターの試作型もあったと言われる)が投入されてから、あっさりと決着がつく。カフカス全土への総攻撃は20万人以上の犠牲者を出し、戦線を支え続けた“赤狼隊”も、合衆国の天使核兵器群の物量に力尽き壊滅。8月の停戦合意という名の降伏を受け、11月に“連邦”軍は撤退する。
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