■“第三の喇叭”の真相――?
ここで、どうしても疑問に突き当たらざるを得ない。
何故、“黒い天使核”の持ち主、すなわち“救世主候補”とその介添人たちは、“第三の喇叭”と呼ばれる統一帝国の滅亡前後から生まれているのか?
アンナ・Oからアクシアが受け継いだ、あるいは1950年代に結晶化したと思われる、ヴィヴリオの所持する“黒い天使核”――。“仮面計画”の産物だろうそれらが、“第三の喇叭”後の黒い天使核と物語上の立場を違えているのは何故か?
そもそも“第三の喇叭”は、ほんとうに合衆国十字軍が下した鉄槌なのか? よくよく考えれば――。
そもそも、1986年の統一帝国滅亡……すなわち“第三の喇叭”については、驚くほど40年戦役の戦訓が活かされていない。
1stから引用すると――。
「かの街に集った生き残りの人間戦車乗り、機械化兵はすべて歴戦の猛者であり、天使兵数体ならば撃破できるだけの実力と、そして死を覚悟した者だけが持つ実力以上の力を発揮する意志を持っていた」
こんな最後の最精鋭たちが、戦力を集中したことが仇になり、一方的に蹂躙される結果に終わった帝都グラズヘイムの二の舞を踏む籠城戦など選ぶはずがない、と考えるのは不自然だろうか?
如何に天使兵の攻勢が激しかろうと、その裏を突くことで戦線を構築できることは、ヤシマが太平洋戦線で実践してみせたことである。また、統一帝国滅亡後も、ゲリラ戦で“緑の聖母”は戦いを継続しえた。
であれば、貴重な戦力たる銀十字軍の生き残り――それこそ単身で天使兵数体を撃破しうる精鋭中の精鋭、最強の敗残兵たちが、戦訓を度外視して“連邦”西端の小さな街に結集したのは、単に絶望から最後の決戦を望んだ故なのか――?
私は、この考えに断固として否(Nein)と答える。
彼らは絶望して戦いを挑んだのではない。
未来に希望を繋ぐため、捨て石となる覚悟を以って、かの街に集ったのだ。
“第三の喇叭”以降、救世主候補たるギアドライバーたちが産まれ、介添人たるナビゲーターたちが産まれたのは偶然ではない。
彼らがかの地に集ったからこそなのだ、と。
ここで鍵となるのは、セラピアの母親であるエクリシアが、かの時彼の地へ姿を見せたと思われること(GF誌9期1号の記事で、この事件以降、消息を絶ったという記述があることから確度は高い)。そして――“第一の喇叭”により、救世主の黒い天使核とされる黒い巨石(シュヴァルツ・メガグレイス)が、ノルトラントから失われたという事実である。
仮に、ではあるが。
ノルトラントから失われた黒い巨石が、彼の地にて再び発見(もしくは密かに搬入)されたとしたら? 絶望的な40年戦役に終止符を打つため、“仮面計画”の再現が行なわれたとしたら? “第三の喇叭”はまさしく“第一の喇叭”の再現であり、それが成功であったか失敗であったか、統一帝国の意図したものか合衆国天使十字軍の鉄槌だったかはともかく、結果として“黒い天使核”を持つ救世主候補(ギアドライバー)たち、その介添人(ナビゲーター)たちが産み出されることになったのだとしたら。
ギアドライバーの持つ“黒い天使核”こそ、黒い巨石の陶片(シャード)であり、またナビゲーターの持つ“黒い天使核”も、それに等しきものである――と、考えることはできないだろうか?
彼ら彼女らは、まさに“第三の喇叭”により産み出されし者である――。
そして、その視点に立った時。
ナビゲーターたちもまた、救世主候補たるギアドライバーに匹敵しうる存在者であることに気付くのだ。 |