森に帰ったしな乃

                               






                                                                       




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2002年12月16日(日) 恒例の音楽会と、忘年懇親会
   

 遺族の会では、毎年恒例のクラシック音楽の鑑賞会と、忘年懇親会を東京港区の和彊館で開きました。今年はピアノとフルートの演奏で、映画音楽とフルートのための音楽を中心に一時間を楽しみました。プログラムの終わりには、中島みゆきの「時代」を合唱して、亡き家族を偲びました。
 懇親会では、井手会長のクラリネットなども披露され、和気あいあいの雰囲気で、おしゃべりを楽しみました。
 なお、2年ぶりに佐藤光房先生が見えました。すこしスリムになられましたが、お元気そうで安心しました。


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2002年12月11日(水) 高速道路2人乗りバイクの解禁に反対運動
 超党派の国会議員、約70名が加入する「交通事故問題を考える国会議員の会」の総会が12月11日(水曜日)衆議院第一議員会館で開かれました。
 参加議員は、代理人参加も含めておよそ30名くらい、ちょっと寂しいという感じ。総会では、分離信号の長谷智喜さんの講演、「イギリスにおける分離信号の実状」などがありました。
 遺族の会では、事故防止WGのメンバーを中心に13人参加し、熱心に傍聴しました。今国会では、高速道路への2人乗りバイクを解禁しようとする動きがありました。
 事故防止と、暴走族の高速道路への侵入を理由に、遺族の会として「反対」のビラを配布し、むやみに規制緩和をしないよう訴えました。


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2002年12月 7日(土) 事故防止ワーキングと、打ち上げ会

 事故防止ワーキンググループ(WG)が12月7日東京事務所で開かれました。警察庁ほか自動車のメーカーなどへ事故防止を働きかけるという目標は実現までには至りませんでしたが、遺族ならではの様々な防止策が検討されてきました。
 10月の総会時には、上野公園で事故防止の街頭宣伝活動を行いました。WGでは本年の総括と、目標の再確認、新たなテーマの検討などがおこなわれました。夜はWGメンバーを中心に、「さくら水産」で打ち上げ会を行い、一年間の努力を労り合いました。


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2002年11月10日(日) 昇仙峡へ紅葉狩りに。自治会懇親旅行会

 地域住民自治会の役員の仕事が、8年に一度巡ってきます。今年最大の行事は、秋の懇親旅行でした。11月10日(日)、山梨県の昇仙峡へ紅葉狩りのバス旅行に参加しました。参加者は36名。昇仙峡はちょうど紅葉の真っ盛りです。真っ赤に色づいた渓谷美を堪能しました。
 昼食は勝沼のブドウ園でバーベキュー。そしてメルシャンのワイン工場を見学して、最後は河口湖の「オルゴール館」へ。慌ただしい日程でしたが、天気にも恵まれ、楽しい一日でした。


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2002年11月 4日(月) 息子の結婚披露宴を、故郷の飯田で
   

 息子、孝一郎はこの春フランスで2人だけの結婚式を挙げてきました。しかし新妻の実家の 強い要望もあって、この2日、故郷飯田で披露宴を開催しました。
式場はマリエール飯田といい、私の生まれ故郷、鼎町にあります。こんな所での挙式に、何かの縁を感じます。
 披露宴は新妻の親戚を中心に大勢のお祝い客に囲まれて、盛大に行われました。私の親戚は少人数でしたが、死んだ娘のこともあり、あまり大げさに出来ない事情もあり、致し方ないことです。
 それでも幸せそうな息子夫婦を見て、ほっと一息です。これからも仲良くやって欲しいと、念ずるばかりです。


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2002年10月13日(日) 遺族の会、秋の大会が開かれました

 10月13日(日)全国交通事故遺族の会の秋の大会が開催されました。山形・宮城から岡山・宮崎県まで、およそ180人の参加者で、広い会場も立ち見席がでるほどの盛況ぶりでした。
 今回も、新しく入会した会員の自己紹介があり、涙を誘うことしきり。恒例の講演は、二木雄策先生が「交通死、その後・・」というタイトルで、自らの体験を交えながら、遺族の直面する賠償問題についてお話いただきました。
 午後はグループに分かれての分科会で、メンタルケア・刑事裁判(2)・民事裁判(5)・遺族の会の運営と、拡大事故防止WGが開かれました。
 分科会に協力いただける弁護士が増え、被害者の権利回復が実現しつつあります。なお、前日の12日(土)は、上野公園で「事故防止」を呼びかける街頭宣伝活動を行い、夜は遠来の宿泊者を交えて懇親会をもちました。


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2002年 9月26日(木) メンタルの会と、ボランティア懇親会
 

 9月26日(木)、全国交通事故遺族の会の東京事務所で、「メンタルの会」と「ボランティア懇親会」が開かれました。
 メンタルの会は、遺族の会でも歴史のあるサークルで、毎月一回、同じ悲しみをもった者どうしが、家族の死を語ることによっていやし合う、一種の集団カウンセリングです。 進行と指導は、武蔵野女子大の木村先生が、毎回あたってくれています。さらに今回は、茨城大学の学生Mさんが、被害者の実態を知ろうと、特別聴講されました。
  もう一つは、事務所で電話相談の当番を引き受けている、遺族の会のボランティア会員の懇親会です。メンタルの会の参加者と、ボランティアメンバーが重複することが多く、同日に開催されました。電話相談対応の質を均質にするためと、「ご苦労様」の慰労が目的です。
 両会とも、男性陣の参加が少なく、元気な女性陣の圧倒された私は、早々に引き上げました。


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2002年 9月16日(月) 幻のラーメン「三苫軒」、年に一度の開店

 横浜市に住む三苫さんは、毎年息子さんの命日にラーメンを作って、焼香に訪れる人に振る舞っています。真心には全力で応えたいと腕を振るうそのラーメンは、数日前から仕込みに入るほどの超本格派です。
 9月16日、遺族の会の仲間たちが集まって、幻のラーメンを堪能させてもらいました。ラーメンは、愛と悲しみの出汁が利いていて、極め付きのご馳走でした。たかがラーメン、されど命のラーメン。


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2002年 8月21日(水) 後楽園で野球観戦

 8月21日、遺族の会会員Tさんらと誘い合わせて、後楽園ドームに巨人vs横浜戦を見に行きました。
 内野二階席ということで、迫力はいまいちでしたが、試合の方は熱のこもった投手戦の末、延長戦となった10回には、巨人の目の覚めるような劇的なサヨナラ勝ちに終わりました。 
 野球観戦など10年ぶりになります。かつては、こんな時代もあったんだなあ、との感慨を味わいました。


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2002年 8月 8日(木) イタリアに行って来ました
   

 7月27日から9日間、勤務先の永年勤続賞としてですが、妻と2人でイタリアに旅行しました。
 現地6日間をベネティア・フィレンツチェ・ローマをかく2日ずつでまわる、比較的ゆっくりした日程です。3都市は、いずれもイタリアの古都で、今も歴史と同居している所です。6つの美術館、2つの博物館をまわり、ルネッサンス絵画を堪能しました。また古代ローマの遺跡を半日かけ、ゆっくり散策しました。
 イタリア料理にも大満足。終わってみれば、短い「ローマの休日」でした。


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2002年 7月21日(日) 遺族の会、拡大理事会が開かれました

 7月21日(日)、遺族の会東京事務所において拡大理事会が開催されました。これは毎月行われる理事会に、地方連絡所の責任者を招いて行っているもので、今回は山形・茨城・静岡・名古屋・三重・大阪・山口から、各地の責任者たちが遠路をいとわず参加してくれました。
 参加者からは、各地の様々な活動が報告されるとともに、活動上の問題点や、本部に対する各種要望などが出されました。
 また懇親会やミニ旅行など、地方ならではの交流も、それぞれの参考になったと思います。


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2002年 7月13日(土) 「浜夕」の花
   

 娘の遺品である夥しい絵画類を本にまとめようとしていたとき、この花の絵を見て、てっきり「ウバユリ」かと思ってしまいました。その後、この花が「ハマユウ」という優雅な名前の花だと知りましたが、時すでに遅し、となってしまいました。
 今年の春植えたハマユウが、見事な花をつけました。その清楚な花を見て、私の不明を娘に詫びながら、在りし日の姿を偲びます。今年もまた、暑い夏がやってきます。


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2002年 6月 9日(日) 富士山麓の小旅行

 6月8日、9日の2日間、山梨県上九一色村にある遺族の会S氏の山荘に、同じく会の仲間6人と小旅行をしました。
 この山荘は、息子さんの賠償金を充てて作ったもので、他に子供のいないS氏にとって、ひそかな涙の捨て場所です。
 快晴に恵まれて、富士山の雄姿も堪能できました。夜は山菜の天ぷらなど、私の料理自慢を披露して、遅くまで語り明かしました。


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2002年 5月19日(日) 息子の孝一郎が結婚しました

 相手は同じ勤務先の礼子さんといいます。二人はGWを利用して、ヨーロッパで二人だけの結婚式を挙げてきました。
 我が家の新しい一員となった彼女は、奇しくも信州は飯田の出身であり、私の高校の後輩でもあります。
 孝一郎は妹の死という異常時から抜け出し、ようやく幸福をつかんでくれました。妻は二人の写真を見ながら、サメザメと泣いていました。新婦の晴れ姿に、しな乃の花嫁姿をダブらせたに違いありません。


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2002年 5月12日(日) 遺族の会、平成14年度定例総会
   

  5月12日、東京中央区の労働スクエアで、全国交通事故遺族の会平成14年度定例総会が開催されました。約170名の会員が参加、大盛況でした。定例総会ということで、事業報告・決算が中心でしたが、午後は分科会になり、私は「会について考える」に参加しました。
 その他に「メンタルケア」と「裁判」の分科会がありましたが、特に裁判については、参加者も多く、応援の弁護士も7名参加という大規模なものでした。なお前日は、上野公園で事故防止を訴える街頭行動、夜は会の事務所で盛大な懇親会が開かれました。


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2002年 4月24日(水) 情報公開について法務省と懇談会

 昨年末に「悪質運転致死傷罪」が刑法の一部に加えられ、はや1/3年が過ぎました。これまで全国で30件余の法適用(既起訴)があります。しかし一向に無くならない悪質運転を見るにつけ、法の効力を疑わざるを得ません。
 4月24日、全国交通事故遺族の会の井手会長ほか5名のメンバーで、法務省刑事局刑事課、および同総務課の担当者とこの問題について懇談会をもちました。その場ではまた、被害者にたいする情報公開を強く求めました。


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2002年 4月 3日(水) 春を追いかけて
     

  冬が行ってみれば、今年は稀にみる暖冬だったようです。桜も例年より2週間も早く、3月中には東京を駆け抜けて行ってしまいました。3月の末には、高幡不動の駅にツバメが帰ってきました。4月3日は、気温26度の夏日を記録しました。
  あまりの目まぐるしい季節の変化は、何やらこの身が追い立てられるかの気がします。郊外のお寺で、六地蔵尊を見つけました。地蔵の後ろには、きっと悲しい思いをした「人の親」がいます。他人に隠れて花を生ける姿が、目に映るようです。


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2002年 2月24日(日) 遺族の会、有志による韓国旅行

 2月22日〜24日の3日間、遺族の会有志による韓国旅行が行われました。気温も思っていたほど寒くはなく、好天続きでした。
 今回は男女8人の小グループ。それなりに小回りが利いて、アットホームな旅でした。市内見学は昌徳宮や骨董品の町、仁寺洞など。それとワールドカップを間近にしたサッカー場の見学。なによりのお目当ては韓定食、焼き肉やサムゲタンなどの美味しく豪華な食事。そしてやはり磁器やブランド物の買い物です。遺族どおしの、ささやかな心の癒し旅行でした。


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2002年 1月17日(木) 自賠責審議会が開かれました

  1月17日金融庁が入る合同4号庁舎で、第117回自動車損害賠償責任保険審議会が開催されました。テーマは来年度の保険料の改訂で、今年とほとんど変わらない料率で決定、答申されることになりました。
 この審議の中で井手会長は、軽微業過の減免化という刑法の改正で、結果として事故が増加するのではないか、という危惧を表明しました。そして被害者対策の更なる充実と、運用益などの充当を求める意見を陳べました。


      


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