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1997/12/25, Taquereau
「悲嘆」という言葉は、大江健三郎の文章によく見かける言葉で、かなり重要な 言葉だと思います。この言葉をおそらくは、フォークナーの「野生の棕櫚」にある 有名な一節、「悲嘆と無の間にあって俺は悲嘆の方を選ぼう」から、特別な言葉と して意識して使うようになったのではないかと思います。安易に死を選ぶよりも、 悲嘆とともに生きるべきだというようなことだと。この一節は「雨の木」のどこかに引用されてもいるはずです。 フォークナーは次のように言っています。 「私は人間の終焉というようなことを容認することはできない。ただ生殖し生存していくという理由だけで人間が不滅だというのではない、人間は魂を、すなわち同情し、犠牲となり、忍耐しうる精神を持っているからこそ不滅なのである。詩人の、そして作家の義務は、こうしたことについて書くことである」 イーヨーにとっての「悲嘆」は、父(大江健三郎)の不在の間、不安の中で初めて 自己自身に気づいたこと、「パパは死んでしまいました」と叫びながら、それでも 自分は生きていかなければならないということ、父に依存することなく、自分自身で生きていかなければならないこと、こうしたことを引き受けたことからくるものだと思います。 「無垢の歌、経験の歌」に引用されたブレイクの3つの詩。一つ目はまだ父に依存する子ども、二つ目は、自我に目覚め、そのことに戸惑いながら自己以外のもの全てを否定しようとする少年、三つ目は、他者の悲しみを放ってはおけない人間(そして神)がそれぞれうたわれています。これらを少し悪乗りして無理矢理サルトルの即自−対自−対他の関係に対応させることもできなくはないかなと思ったりしました。 無垢な少年が汚辱に満ちた現実へ投げ出され、そして、全てを引き受けるというの は、大江健三郎の作品が積み重ねてきた過程だと思います。 立場や考え方の違う人間が互いに傷つけあいながらも尊重しあい理解しあえるために辞書のように一義的ではない言葉の定義集が必要なのでしょうし、このことは、「小説は世界のモデルを作ることだ」という発言にもつながるのだと思います。文学がそうした機能を現代において持ちうるのかというのは、大きな問題ですが、小説家大江健三郎としては持ちうると言わざるを得ないでしょう。 以上、sakiさんの質問に答える形で私見を述べさせていただきました。うまくまと まっていませんね。
1997/12/24, Taquereau
高校生の時に「飼育」や「芽むしり仔撃ち」を読んだときは、難解だけれども みずみずしい文体に魅了されました。それから何年かは大江健三郎は特別な 作家でしたが、今では、好きな作家の一人といった感じです。「新しい人よ めざめよ」以降のスタイルはいささか金太郎飴のように思います。読みはじ めればイーヨーの会話の部分とか、無垢な心そのものといった感じでいいと 思いますが。 誰かも書いてましたが、私も大江健三郎から外国のいろんな文学を知りました。 ラブレーとかダンテとか、世界史の授業でなんとなく存在のみ知っていた文学 者の書いたものが、今読んでも面白いことを教えてくれたのでした。日本の作 家で世界の文学につなげて小説を書いている人はあまりいないと思うのですが。 戦後派におけるドストエフスキーとか、そのくらいかと。 だからというわけではないですが、大江健三郎がノーベル文学賞をとったのは 当然だという気がします。ここ数年の受賞者と比べても、決して見劣りしない 作品を書いていますし。 本多勝一との論争についてはよく知らないのですが、発言と行動が一致しない 人間の書いたものは駄目だとか、そういう議論なのだとしたら、犯罪者の書い たものは駄目なものに決まっているとか、そういうことになってしまうような 気がします。結局は読み手の判断。それを言ったらおしまいでしょうけれども。
1997/12/22, partyman
大江氏の義理の兄である伊丹十三さんの突然の訃報の大変ショックを受けています。この事件が大江氏の創作とどのように関わっていくのか、非常に不謹慎なことだとは思いますが、気にせずにはいられません。
1997/11/3, saki
大江健三郎「新しい人よ目覚めよ」を、「無垢の歌、経験の歌」だけ読みました。 ブレイクの詩が難解で、特に最後のイーヨーの「悲嘆」の内容がわかりにくかった。 この「無垢の歌、経験の歌」を理解している人、私にこの伝言板で説明していただけませんか?
1997/10/30, 人
大江光のページがでないとこまるっ!!
1997/10/19, おれ
大江さんは私にとって全く新しい病原体であり血中に免疫ができていないので多大な影響をうけた。
1997/8/10, 音田 亘
初めて投稿いたします。以前から気にはなっていた本多勝一さんの大江批判をこのたび週間金曜日のサイトで初めて読ませてもらっていろいろ考えさせられております。 本多さんの批判はわかりやすく、僕も大江さんがこの批判に対してなんとかよい弁解をしていただけたらと思わずにはいられませんでした。 本多さんの批判については大江批判以外にも、日本という国の「あいまいな」体質を見事に指摘されていて共感させるものがありました。以前、日高六郎さんの「戦後思想を考える」という本を夢中になって読んだことを思い出しました。日高さんはロッキード事件を例に引いて、決して内部から告発されることの無い日本の「馴れ合い」の体質を批判されていたのでした。私は、自分の有り様にも照らし合わせて、日本人がその性質として持っている「曖昧さ」を嫌悪しましたし、そのことで親を含めた自分たちより上の世代を 批判いたしました。(別に親と喧嘩したわけではありませんが。) また、(現在もインドネシアに駐在しているわけですが)アジア各国のいろいろな人たちの魅力に触れるにつき、日本が過去に犯したことをどのように捕らえて彼らとつきあっていくのが良いのだろうといろいろ考えさせられてまいりました。 私は「新しい人よめざめよ」や「雨の樹を聴く女たち」から大江健三郎さんのファンになってきたものです。振り返って自分が大江小説のどこに魅力を感じてきたかと考えてみればそれは小説の中は様々に描き出されているいびつでグロテスクな人間たち(作家の投影としての語り手も含めて)が、これまた不思議な有り様で人生の様々な苦難に立向かっていくそのストーリーにいつも不思議に励まされてきたのでした。イーヨーとその家族はもちろんその代表格でしょうが、レインツリーの高安かっちゃんとペニー、ギー兄さん、人生の親戚のまりえさん等無数の忘れられないキャラクターとストーリーが思い出されます。大江さんの小説は、モデルになるような素材があってそれを展開していくようなタイプとは違って、きっと小説家の頭の中で一から作り上げられたものではないかと感じ、最初の頃は言葉をこねくりまわしているようで読みづらいと思ったこともよくありました。でも今は、作者がその人物なり状況をよりリアリスティックに創造するために言葉を尽くしていると感じ、本当はどんなことを描こうとしていたのかを何辺も読んでまた発見したりして、楽しみがつきません。大江健三郎さんは一番好きな作家の一人ですが、自分にとって大江さんがオピニオンリーダーであったことはあまり意識しませんでした。確かに大江さんは多くの同時代評論も手がけているわけだけど、私は、障害児が生まれてショックを受けた作家が広島の取材から生きていく力を取り戻したというような作家の記録、告白を読みこそすれ、それ以上の評論には良い読者ではありませんでした。私のイメージの中では、やはり現実の大江さんも小説の中に 描き出されているひとりのいびつな人間のイメージが強くて、もとからオピニオンリーダーを大江さんに求めていなかったということなのかもしれません。 大江さん批判の問題を考えるとき、芸術家は美しいものを作ることだけ考えていればいいとか、芸術家の評価はその作品によってのみなされるべきだとか、そういうことをいいきってはいけないとも感じさせられます。ただ自分のことを考えるとき、「潔い」ということだけで、自分が大江さんのファンになっていたとは思えません。
1997/7/22, 山下@After the Rain
私は大江氏のオールドファンで、初期〜中期の作品を同時代のものとして、読み続ける青春期を過ごしました。 一時自分の文章が、大江氏のあえて難解に綴る長文に似てきて困ったものです(^ ^;; 時代背景が変り、既存の権威に対する文学的抵抗者としての役割よりも、文壇の重心としての役割を多く果たさなくてはならなくなった頃から、彼の作品を自分の感性で読めなくなり、少しづつ離れてしまいましたが、 今になって、読み残した作品を手にしてみようかなと、思いはじめています。今なら、当時と違うゆったりとした読み方が出来そうな気がしますものね。
1997/7/14, 紅茶
 はじめまして。こんにちわ。 紅茶と申します。 突然で大変恐縮ですが、私のホームページで、7月末を〆切として、好きな作家(日本人編)の投票を行ってます。(まったくの私的興味です) http://www.ocjp.com/cgi-local/vote.pl までアクセスしてみてください。 お一人10票まで投票が可能です。 同じ作家への複数回の投票もOKです。 もしよろしければご投票ください。 この投票で1位になった作家の方は、私のページで末永く称えられます。 ( 何も出ませんのであしからず・・(^^; )
1997/7/4, nethopper
 言葉が過ぎたようですね。ごめんなさい。 僕のいう「キ**イ」は、悪態をつくときのそれではなく、想像力のバランス感覚が狂っている人、というぐらいにとってください。 それからもう一つ付け加えたいのは、これでも僕は大江さんを尊敬してるんです、ということです。本当ですよ(笑)。
ホームページオーナーより:了解です。ただ、ぼくの敬愛する大江さんがここを読んだとき(ありえない話ではないと思う)、楽しんでもらえるかどうか、、、。
1997/6/11, nethopper
 僕は大江さんを「神聖」だとも「陛下」だとも思っていません。あの人は“珍獣”なんですよ。もっとわかりやくいえばキ**イなんですよね。そこに僕は惹かれるわけです。女性の描き方にしても、決して差別的な書き方というのはしないでしょうが、必ず正統的な解釈(フェミニズム?)、それから本人が意図しているらしい地点からズレたものを書いてしまいます。なにを書かせてもそうですね。そんなとき読者は笑うしかありません。そう、笑いながら読むことが大江さんの作品に対するもっとも礼にかなった態度ではないんでしょうか。キ**イに“批判”なんかしても無駄だと思うんですけどね。 反論、異論、誹謗中傷、いたずらメールなんでもかまいません。お便り待っています。 こちらまでnethoppers@ppp01.infopper.or.jp
ホームページオーナーより:勢いでこういう書き方になっているのだとは思いますが、もう少し穏やかにやりましょうよ。掲載を躊躇してしまいました。大江氏は同時代に生きる、同じ地面に立つ一人の人間なのですから、極端な比喩には僕としては抵抗を感じます(立場的には僕はnethopperさんに近いのですけど)。
1997/6/1, nono
 大江作品を基本的には高く評価した上での私の*大江批判*に、異論・反論が出るのは嬉しいですが、「神聖ニシテ不可侵ナル大江陛下ニ意見スル不逞ノ輩ハ....」と言わんばかりの書き込みには、唖然としました。近年の大江作品は、むしろこういう*ファン*を引きつけている、とはいくらなんでも思いたくないのですが。ただ、1997/2/16の私の書き込みでは、このあたりはむしろマクラで、本当に書きたかったのは「大江作品における女性の描かれ方」についてなのですが、この件についての皆様のご意見はいかがでしょうか?
1997/5/31, 小野塚
 四、五年前、彼のサイン会に行った。自分は「われらの時代」の文庫本を持っていってそれにサインしてもらったのだが、そしたら、「ぼくはこの本で、自殺するのが一番いい、と書いたけど、やっぱり自殺はしない方がいいと 思います」と言われた。「いいと思います」って言われたってアンタ……、 と内心苦笑いしてしまった。きっとウブそうな学生の将来を気づかったんだろうが、ふつう自殺なんかしないっつーの。でも、結構気分が軽くなったような気がして嬉しかった。しかし、ああいう仕事をしていると、他にも取り消したい発言とかたくさんあるんだろうなぁと思った。
1997/5/30, Y.M
 このページに載った、本多勝一による大江批判、並びにその反論について意見を述べさせていただきます。前提として書いておきたいのは、僕が大江氏の人間性について興味がないことで、人間性に関係なく優れた芸術作品が生まれるのが表現の不可思議さであり魅力であるからです。 但し、大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもっていることです。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。例えば、ある評論家がノーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるのも、その程度の作家性しか持たないせいだろう。 いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかったノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
1997/5/29, 中平和人
 最初にこのページを見たときは時間もなく走り読みしただけで、正直言ってあまりいい印象はなかったのですが、このホームページオーナーご自身が「本多氏との論争もふまえて、なおかつ大江ファン(正しくは大江作品のファン)」ということをお書きになっているということで、大変共感を抱いています。小生は都立立川高校1年生のとき(1975年頃)から、姉の影響で熱狂的な大江健三郎作品中毒となり、あまりの面白さと素晴らしさにずっと心酔し続けてきました。特に好きな作品はしつこいくらい繰り返し繰り返し読みふけったものです。つい最近まで固定読者でした。でも「静かな生活」が映画化されるに及んで、やや嫌気がさしているのも事実です。今でも初期・中期から後期中盤までの作品は大好きなのですが。ホームページオーナーご自身が「政治少年死す」を探されたように小生も必死になって探し、ようやく大学生になって手に入れたあまりきれいとは言えないコピーを今も大切にしています。ただ、「セヴンティーン」のほうが結局小生にとっては面白かったけどね。 さて高校3年ころ(1977年頃)から、これまた姉貴の本棚にあった「事実とは何か」をきっかけに本多勝一に完全にはまりました。本多氏の著作を麻薬中毒の患者のように総なめにして買い求め続け、苦労してだいたい買えるものを買い尽くしたのちは新刊をひたすら待つ完全な固定読者となりました。当時は今と違って文庫になっているのもほとんどなくて、いちいち高い単行本なんですが、値段なんて関係なく近所の本屋に本多勝一をひたすら注文し続けるんですよ。読めば読むほど止められなくなる、完全なジャンキーです。当然ですが「金曜日」創刊からの固定読者でもあります。「噂の真相」などでは本多勝一ファンのことを「ホンカツ教の信者」などと揶揄していたりしますが、こういう具合にオーエもホンカツもいまだに非常に大好きだという人は小生以外にもきっと多いはずです。ホームページオーナーご自身がまずまちがいなくそうですしね(ついでに小生は岡留安則氏も好きなもんで「噂の真相」の固定読者でもあるんですけど)。もし違ったらごめんなさい。でもホームページつくりなんて、凄いエネルギーですね。たいしたものだと思います。 で、皆さんもご存じのあの「本多/大江論争」です。まったくまともな議論にもならず大江氏が完全に論破され、こそこそと逃げだしてしまいました。この件で大江健三郎が完全に敗北したのは明白です。本多勝一は徹底的にやったと思いますし、大江健三郎は逆に徹底的にやられ、プライドを維持するためにはもう黙殺するしかないと正直に思ったのではないでしょうか。 小生はどちらのファンでもありますから、大江氏には自分が曖昧だった点を認める潔さをわずかに期待していたのですが、やはり駄目でした。作品は確かに最高です。いまだに大好きです。でも「ノーベル賞」にはガックリもきましたね。あれで大江氏が話題になるという現象にもガックリきました。いままで大江健三郎など読んでもいなかった人達がノーベル賞をきっかけに読み始めるなんて。本屋はこれをチャンスとばかりに大江コーナーを作ってベタ積みするしね。サルトルみたいにノーベル賞など相手にしないで返上する方がよほどカッコイイと思うのですが、大江氏はどうもそういう価値観ではなかったようです。文春にも違和感なさそうだし。大江氏と文春は本多氏が言うようなドライな関係には絶対になり得ないことは確かでしょうね。 学生時代には嬉々として友人たちを誘って大江健三郎の講演会に行ったりもしたのですが(なつかしいなー。大江健三郎が京都に講演にきたのは1984年頃かな?)、もう今では仮に講演会があっても行く気がしなくなっています。作品は今でも限りなく魅力的ですが本人に魅力を感じられなくなってしまった。こんなことってあるんだろうか。だからすごく悲しいのです。ただ、これほどまでに人を引きつける創作は、大江健三郎以前にはなかったように思います。安部公房にもはまりましたが、ここまで麻薬じゃなかったし。実際、大江健三郎作品ほどスリリングな小説はないと思います。後期はちょいとほのぼのしすぎて、スリリングとはちょっと言えないけど、光さんをはじめ大江氏のお子さんたちは作中で確かに魅力的ではあります。ここまで描くかあー?という気がちょいとせんでもないけど。まあ、現在の大江氏の生き方がどうであれ、いまだに大江健三郎作品が小生にとって無視できない偉大なる存在であることもまた事実なのです。 話はでんでん変わりますが、小生は筒井康隆の熱烈な固定読者でもあり、筒井氏と大江氏がどうもお互いにファンらしいということがまた大変嬉しくもありました。いまでもそうだと信じていますが。 またまた話はでんでん違いますが、初期のころ大嫌いだった村上春樹は最近うってかわってすごく面白い。嫌いだけど固定読者って、そういうのあるでしょ?ねじ巻き鳥は読ませてくれました。大江氏は村上春樹をこき下ろしたそうだけど、近年の村上春樹がメチャ面白いというのはでったいに心の中で認めてると思うな。 ながながとおじゃま様。それではこの辺で。
1997/5/13, nethopper
しかし大江さんてのは短編も巧いねえ。『雨の木』にしても『新しい人』にしても、巧い!としかいいようがない。その巧さにしても山田詠美的な小賢しさとはぜんぜん違う。やっぱりこういうのを才能ていうでしょうね。
1997/5/6, 柏木 良三
このページをご覧になっている皆さん、およびホームページのオーナーの方、始めまして。私は大江さんのファンというより単なる読書ずきというだけの人間ですが、その立場からすればいわゆる「イーヨーばなし」よりも「万延元年のフットボール」や「性的人間」あたりの方がネタにとらわれていないので、大江さんの小説の本質に近くおもえて楽しめました。 あと本多勝一ネタについてですが、まず一つには、小説家個人の行動などは(それが小説の内容に影響を与えることはあっても)小説の評価とはまったく別次元の話ではないのでしょうか?大江さん個人のファンであればまたすこしはなしも違ってきますが、大江さんの小説が好きな人間からすれば本多のことなんて些末なことだと思います。 二つ目には、別に論破した(された)からといって、それが必ずしも正しい(間違っている)とは限らないということは押さえておく必要があると思います。正しい例えといえるか自信がありませんが、O.J.シンプソンの裁判例などはそのことを示しているんではないでしょうか。 まあただ戦後の平和運動については(大江さんがそうだというわけではないですけど)それが正しいことだということを前提として、疑うことをしなさ過ぎたという問題はあると思いますけど。(だから最近の反動的勢力?の動きにきちんと抵抗しきれないんだと思いますよ) 追伸:私はまだ大学生になったばかりの青二才なので、コメントに対する反論、批判は歓迎いたしますが、あまりいきり立っていじめたりしないでください。
1997/4/29, HIRO
 大江氏を含め熱心に小説を読んだのは20年くらい前までだと思いますが、その後現在まで、小説そのものを読みたいという気持ちは余りありません。今日的な問題へのアプローチの手段としてはルポルタージュのほうが遙かに有効ではないですか?。そのような手段としての意味を小説が持っていた時代は既に過去のものになり、当時その代表選手の一人であった大江氏も今は普通のおじさんの一人でしか無いと思います。ですからミットもないことを平気でやってしまうのですが過去の栄光の残滓で批判することを憚る人が多いのでは無いか?。遠慮ない批判があってもいいのではないかと思います、立派な人が死ぬまでずっと立派な人のままであるとは限らないのですから。
1997/4/24, nethopper
 僕は『洪水――』で大江健三郎が終わったとは思いません。『万延元年――』が最高傑作だったという人もよくいますが、一番最近のやつでも人をして傑作と呼ばしめないような良さがあると思います。なんか屁理屈みたいですね‥‥‥。本多勝一に関していえば、「本多? 誰やねん、それ?」と言っておけば済むことだと思います。書いてることと行動が違ってても別にいいじゃないですか。皆さんは社会主義的リアリズム派でもなんでもないんだから。大江さんがスエーデン大使館の守衛になったとしても、僕はぜんぜん平気です。
1997/2/16, nono
私は、作家・大江健三郎は『洪水はわが魂に及び』までで終わったと思っているので、彼の作品と行動に「矛盾」は感じていません。『ヒロシマ・ノート』や『みずからわが涙をぬぐいたまう日』の作家と、「障害児との心の交流」を売り物にしてスウェーデン大使館におさんどんを繰り返していた作家は、私の意識の上では別人です。本多氏言うところの*文春との癒着*はこれ以降の出来事だし、*一流出版社以外は相手にしない姿勢*はそれ以前からですが、これは別に大江氏に限ったことではないでしょう。 ガルシア・マルケスが、1967年の『百年の孤独』と1975年の『族長の秋』で1982年にはノーベル文学賞を受賞したのだから、『個人的な体験』を1964年、『万延元年のフットボール』を1967年に発表していた大江氏は、不合理な地域別持ち回り制さえなければ、同賞を1975年頃に受賞していてもおかしくはなかったと思うし、そうなっていればその後の彼の創作活動は全然違うものになっていたかもしれないので、残念です。 私が大江氏の作品に感じる「疑問」は、むしろ女性の描き方です。情けない男性主人公と活動的な女性が登場することで、なぜかフェミニストには受けのいい大江作品ですが、冷静に最後まで読んでいくと、結局女性は挫折し、主人公のペニスに征服される存在としてしか描かれてこなかったように感じられます。むしろ、*マッチョ的作家*としてフェミニストの多くには評判の悪い中上健次氏の方が、オリュウノオバのような、部族の全ての記憶を担った存在感のある女性像を描いてきました。この「問題点」は、その後の大江作品においても、*光くんとパパの聖家族*に、本来なら対等に参与しているはずの「ママ」が殆んど登場しないことに、端的に表れているように感じられます。 そういう意味で、『人生の親戚』が出た時は、大江氏が新しい方向に歩み始めたのではないかと期待したのですが、結局これ1作限りだったみたいですね。
ホームページオーナーより:nonoさん、投稿ありがとうございます。大江作品のファンとしてのご意見ですが、作家から距離を置いた冷静さを感じました。それにしても、だんだんと難しい投稿が増えてきたので、いずれミーハーファンの僕の理解を超える議論が交わされるようになるかもしれないという気がしてきました・・・。
1997/1/23, gaku
このメッセージをご覧になっておられるみなさん、こんにちは。 このホームページは本多勝一氏のホームページからリンクされているにも関わらず大江氏に対して批判的な意見がありませんね。どうしてなんでしょう?大江氏のファンの方々でしたら彼が本多氏に完全に論破(ご存じない方もいらっしゃるかもしれないと思いますので、一応説明させていただきますと、本多氏は彼に論駁したわけではなく完全に論破しました。)されたことをご存じだと思うのですが。 またファンの方々は、あの大江氏のいい加減な生き方をどう思っておられるのでしょうか?いい加減で曖昧な彼自身の身の置き方をどう思っておられるのでしょうか? 私自身、彼の著作をいくつか読ませていただきましたが、首を捻るばかりです。書いていることと行動があまりに違うとは思いませんか? 以上私の素朴な疑問でした。不愉快に思う方がいましたら(当然いるでしょうね)申し訳ありません。無視されても結構です。それでは、また。
ホームページオーナーより:gakuさん、投稿ありがとうございます。僕自身は本多氏との論争もふまえて、なおかつ大江ファン(正しくは大江作品のファン)でいるのですが、ほかの方はどうなんでしょう。

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