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2000/12/28, いとうくにお
伐られし銀杏並木さん、はじめまして。大江作品の題名は確かに印象的ですよね。この間、『大江健三郎とは誰か』という批判と称揚の割合が七三くらいの本を読んだのですが、題名のつけ方については誉めてましたよ。話がそれてしまいますが、筒井康隆の題名のつけ方も僕は好きです。
よかったら、また遊びに来てください。
2000/12/28, 伐られし銀杏並樹
 はじめまして。ネットの海の中の港のように、折々寄らせて戴いています。いとうさん、ありがとうございます。
 大江氏の小説はあまりは読んでいませんが、それ以外の文章は自然体で読んでいます。
 数ケ月前にどなたかここに書いておられましたが、私も若い頃は大江作品を前にすると、この作品が読めないのは自分が頭が悪いからではないかと思い、遅れるまいとして読んだところがありました。そのような動機はよくないと感じてからは、無理しないようにして推移しております。今一番好きなのは『恢復する家族』でしょうか。
 大江氏がつけるタイトルがとても好きです。それだけで様々な思いが拡がり、それ自体、詩のように感じます。この点、武満徹の曲名と似ていますね。生きていく上で理不尽・不可解なことに出会ったときなど、『我等の狂気を生き延びる道を教えよ』とか「この惑星の捨て子」(『静かな生活』)といった言葉が、耳の奥で鳴りだすことがよくあります。
 『恢復する家族』の読後感のうちから一つ。照月湖で光さんがなかなかボートから降りられずにいたとき、ボートを支えていた貸ボート屋の青年が唐突にその場を去ったエピソードがあります(p.74)。このエピソードを読みながら重なって浮かんできた情景がありました。同じ本の少し前にある、大江氏がまだ幼かった光さんを連れてデパートに行き、息子さんの強情さに腹を立てて少しの間別行動をとったという場面です(p.35)。質的に違う場面ですが、外面に表れた行動としては共通性を感じたことに対し、正しい読み方だったか戸惑いが残っています。自分にもこのように集中から不意に気持が離れる瞬間はあった筈で、遠い記憶をさぐる思いに誘われる印象的な場面でした。
2000/12/27, いとうくにお
あいさん、はじめまして。『個人的な体験』についての意見は、掲示板の中でときどき出ていたように思いますので、探してみてはいかがでしょうか。また、リンクコーナーの「評論・感想」に分類してあるサイトでも、感想や書評の書かれたものがいくつかありますのでご覧になってみてください。また、あいさんご自身の書評なり感想なりを投稿し、他の方のご意見を求めるというのもよいかもしれませんよ。
2000/12/27, あい
こんにちは
初めて掲示板に書かせてもらっています。
私は学生なのですが、今回、大江健三郎さんの「個人的な体験」の論文を書くことになり、いろいろな人の意見が聞きたいと思い掲示板に書かせていただきました。
もしよければ、「個人的な体験」の書評をお願いします。
2000/12/27, いとうくにお
Yeemarさん、ありがとうございます。大江さんの名前のでてくる回を見つけることができました。緒川たまき、確かによかったですね。まーちゃん役の佐伯ひなこのピュアな感じもよかったし、お母さん役の女優の落ち着きのある感じもよかった。などといっていると、女ならなんでもいいじゃないの? という声が飛んできそうですが…。
2000/12/27, Yeemar
いとうさん、レスポンスありがとうございます。はい、私のページでは大江氏のことを何度か取り上げました。もっとも、文芸の方面からではなく、ことばに注目したものですが。
 http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/kotoba0.htm
上記のページの「キーワード一覧」で「大江健三郎」をページ内検索していただきますと、今のところ3回取り上げているようです。拙い文ですが、お読みいただければ幸いです。
映画の「静かな生活」は、一般受けしない(はずの)作品をどうして伊丹監督が撮ったか、不思議でしたが、『取り替え子』を読んで、なんとなく納得できました。映画「静かな生活」自体は、とても気に入っています。緒川たまきさんが良かったです。変な感想ですみません。
2000/12/24, いとうくにお
その時期の劇場ででなければ体験できないことですね。僕は映画館で見た伊丹作品は『静かな生活』だけで、場内はがら空きだったのですが、それはそれで、観に来ている少数の人たちに親近感を覚えたりして印象に残っています。
2000/12/24, M・S-春
「静かな生活」は僕も別格あつかい(笑)
強く印象に残っているのは、やはり「ミンボーの女」かな。
あの襲撃事件のすぐ後に劇場に観にいったのですが、ものすごい満員で、劇場内がちょっと異様な雰囲気だったことを憶えています。
それ以来、もう義務のように、封切り直後に伊丹映画を観に行くようになりました。
2000/12/24, いとうくにお
M・S-春さん、はじめまして。難しいけれどもたまによく分かる・心に染み入ってくる部分に出会う、というのは言いえて妙ですね。確かにそうだなと僕も思いますよ。あながた死んでもまた産んであげるという言葉はすごく印象的ですよね。母親だけにしか言えないものだし、自信を持ってそういわれたら子供はなんだか安心するんじゃないかなあ。
「M/Tと森のフシギの物語」を紹介していないのは、まだ読んでいないからなんです…。文庫は入手してあるので、いずれは…。
伊丹映画では何がお好きですか? 僕の場合、静かな生活はちょっと特別の位置においとくとして、娯楽作品として心から楽しめる女シリーズも凄く好きですが、「お葬式」の瑞々しい感じが忘れられません。
2000/12/23, M・S-春
このようなHPを発見でき、大変嬉しくおもっています。
いままで大江健三郎の小説は20冊ぐらいは読んだでしょうか。
これだけ読んでいるのに、正直いって、難しくてよく分からないところがたくさんあります。
けれども、たまにすごくよく分かる、心に染み入ってくる部分に出会うので、いまだに読み続け、離れられないのでしょう。
「雨の木」の「泳ぐ男」で主人公の小説家が口ずさんでいる「親愛なる神よ、心からお祈りいたします。私が・・・・」というラウリーの言葉は、一時期、僕も記憶して、仕事をしている時などに自分を励ますため、口ずさんだりしていました。
今回の新作「取り替え子」の中にも、他の作品でも導入されていたこともある、病に臥せっている少年と、看病をしている母との会話、「――お母さん、僕はもう死ぬのだろうか。/ ――いいえ、・・・・あなたが死んでも、私がまた生んであげるから、大丈夫。」・・・・この挿話は、何度読んでも大好きです。(これは創作なのかと思っていたら、大江さんの少年時代の実話だったのですね。)

個人的に好きな作品は「『雨の木』を聴く女たち」「新しい人よ眼ざめよ」「M/Tと森のフシギの物語」「我等の狂気を生き延びる道を教えよ」などです。これらは何度読み返したでしょうか。
(ところで、いとうさんの作品レビューには「M/T」がありませんが、お嫌いですか)

僕は伊丹映画の大ファンでもあったので、2年前の12月に伊丹監督が亡くなった時には、ものすごく大きなショックを受けました。大江作品のなかの、伊丹氏をモデルにしていると思われるキャラクターの描き方から、どれほどこの義兄を敬愛していたか、それを思い、大江さんはこのニュースをどう受け止めたのだろうと、この2年間、他人事ではないように思っていました。
だから、「取り替え子」最後の台詞は、せつなくも心に染み入ります。

僕のまわりには、大江作品を読む人がいないので、これからも、ここをちょくちょく覗きにきます!
よろしくおねがいいたします。
2000/12/23, いとうくにお
Yeemarさん、はじめまして。じつはYeemarさんのサイトは文芸関係のサイトをいろいろ探したときに、一部ですが読ませてもらったことがあります。すごく面白かったので印象に残っていました。今回の愛媛方言のお話も面白いですね。確かほかにも大江さんの小説を材料に使った回があったと思うのですが、見つけられませんでした。どうやって探せばよいでしょうか。
2000/12/23, Yeemar
初めまして。大江健三郎氏の小説については文庫で出ているもののうち1/3ぐらいは読んだかというレベルの読者です。
今回の『取り替え子』は、例によって難しかったけれど面白く読みました。初めは、暴露本ふうの話かと思いましたが、やはり基本的には虚構であるのかと思います。最後に長江家を訪れる女性も含め、空想の産物なのでしょうね。虚構を、あたかも事実に基づくかのように描くのが――そして事実を超える真実を描き出すのが――大江作品の醍醐味だと思っていますが、芸能記者が読むと「おおっ」と驚くのではないかと思いました。
「大黄さん」の所での2日間を映画的に描写したあたりはたいへんな臨場感でした。自分がその場にいるようなビジュアル感覚を覚えました。
その2日間のエピソードが映画監督の死とどう結びつくのかずっと不安でしたが、最後に見事な神話的解釈を与えられ、納得できました。
私はホームページを持っておりまして、大江氏のつかう方言とからめて、感想文のようなものをそちらに書きました。よろしければお読みいただければと思います。
http://www.asahi-net.or.jp/~QM4H-IIM/k001219.htm
とりあえずご挨拶まで。
2000/12/22, いとうくにお
へべれけさんのリクエストにおこたえして、『我らの狂気〜』からの引用を入れてみました。もしかしたら、引用の森にストックをはじめる以前に一度載せたことがあったかもしれませんが、はっきり覚えてません。もっと自分の趣味を出したら、というお言葉、なんだか嬉しいです。
2000/12/22, へべれけ
こんばんわ、いとうさん。
>主人公が沖縄で泥酔するシーンがあるのですが、その描写はカットグラスのような美しさと硬質さとを備えており、僕は大いに感動しました。
ということを「作品紹介」に書かれていましたが、これって「引用の森」にははいらないのでしょうか?
ぼくとしては、いとうさん自身の趣味がもっと出てもいいのにな、と思っているので。
2000/12/21, いとうくにお
セブンティーンさん、こんにちは。「取り替え子」の出てきた練成道場の出来事は、僕の知る限りでは他の作品にはなかった話ですね。僕が大江さんの作品を読み出したのはもう30代になってからなので、例えば「セブンティーン」のような作品を10代で読んでいたらどんなふうに感じられたかなと思ったりします。そういう意味で、セブンティーンさんは僕のできなかった経験をされていて、ちょっと羨ましく思いますよ。
セブンティーンさんの投稿にあった「恐怖」ですが、いまの時代、17歳にとってしごくまっとうな恐怖という感じがします、変な言い方ですけども。僕が10代のころは、いまよりはノンビリした時代ではありましたけど、やはり僕はいろんな事件の報道を目にするたびに、自分が被害者になるよりは加害者の側になってしまうことの恐怖を感じていました。
たぶんセブンティーンさんと同じように先行きをキビシク感じる人は大勢いると思います。「穏やかに歳をとる」という道はなくて、それぞれが苦労しながらがんばっていくしかないはずですが、恐怖感や虚無感を人に表現したり共有したりするだけでも、ずいぶんと違うんじゃないかと思いますよ。
気が向いたら、また来てくださいね。
2000/12/21, セブンティーン
いとうさん、どもです。
えっと、来年大学受験控えた受験生の文字通りセヴンティーンな者す。
最近、大江さんと三島さんの作品を中心に読んでいます。
グイグイ惹き付けられるのと同時に時々催す吐気と闘いながら読んでいます。大江さんの作品を読むと、性欲が大きなテーマになっているように感じます。
そして、その中の登場人物の悩み/存在の不気味さを自己のものとして
引き受けなければいけないのかなあと漠然と考えてしまいます。
以前までは私も自分の未分化な全能性を信じて生きてこれたのですが、
自己の性欲の社会化(現状の社会で承認されるような遣り方での性欲の昇華法)を意識しなければならない年齢に到達したことを近頃意識するようになりました。
そして、性欲の社会化に失敗すれば、自分も少年事件の犯人やひきこもりや自殺者になったりするかもしれないという恐怖を感じずにはいられません。或いは、手近なハードルを乗り越えることに専念していれば、こういった恐怖や虚無感から眼を逸らして穏やかに歳をとることができるのでしょうか?
他者にロールモデルを探さずにもっと自分を信じて突き進んだ方がいいのかもしれませんが…
練成道場での出来事は、まだ読んでないのですが「万延元年フットボール」や「遅れてきた青年」でも語られているんでしょうか?
2000/12/20, いとうくにお
セブンティーンさん、こんにちは。大黄さんは確かに不思議な感じですね。アレというのは、道場で起きた一連の出来事のことではないでしょうか。既知の背景、というものではないと思います。
2000/12/20, セブンティーン
「取り替え子」を買って読んだのですが、その中で吾良の自殺の
遠因だと古義人考えている「アレ」という出来事がよく分かりません。
大黄さんの存在も何だか神秘的で気になります。
私は大江さんの作品をそれほど読んでいないのですが、
熱心な読者の方にはもしかすると既知の背景が有るのでしょうか?
気になって眠れません。
2000/12/19, いとうくにお
武奈彦さん、こんばんは。あの田んぼの虫のタガメを「田亀」と表記することを知らなかったので、僕はてっきり田亀というのは亀の一種かと思い込んでいましたよー。ほら、亀の甲羅のような形のヘッドフォンなら、イメージしやすいでしょう?(笑) おっしゃるとおりタガメ型というとちょっとヘッドフォンとしては細長すぎる感じですね。あるいは、ヘッドフォンのケーブル部分(または頭部を挟み込むためのプラスチックのアーム)をタガメの大きな二本の腕に見立てて、ということはないでしょうか?
2000/12/19, 武奈彦
しかし、かと言って「源五郎のルール」ではちょっとアレですが……
2000/12/19, 武奈彦
「取り替え子」の内容で、ひとつ非常に気に掛かっていることがあります。それは、タガメのようなかたちをしたヘッドフォンというものがあるか、ということです。タガメのようなヘッドフォンて見たことありますか?
 で、僕が想像しているのは、実は大江さんはタガメとゲンゴロウの名前を取り違えてしまっているのではないか、ということです。「ゲンゴロウのようなかたちのヘッドフォン」なら、分かる気がするのです。少年時代に捕まえたゲンゴロウの記憶のうち名辞の部分が、夜中に脳内に侵入したゴブリンによって、同じ水棲昆虫であるタガメの名前に取り替えられてしまった、なんてことはないでしょうかネ?
2000/12/16, いとうくにお
アリョーシャさん、はじめまして。メーリングリストのほうで教えてもらったのですが、大瀬小学校のとなりに「大江文学館」という施設があり、そこには小説世界の地図と実際の地図を比較した展示もあるそうですよ。出版物でもそういったものがあるかもしれませんね。クラブでの統一見解などはありません。ファンクラブとはいうものの、本当のクラブというものではなくて、掲示板やメーリングリストを利用してのごくごくゆるやかなつながりの集まりなのです。気が向いたときはいつでも遊びにきてください。
2000/12/16, アリョーシャ
初めて書き込みします。私は24歳の会社員です。
17で死者の奢りを読んで以来7年間、大江氏の作品を繰り返し読んできました。
ただ、周りには読んでいる人がいなかったので、他の人の感想など聞く機会はありませんでした。
このような場を管理運営なさっているいとうくにおさんに感謝します。
仕事が忙しく「チェンジリング」はまだページを開いておらず、今回はとりあえず挨拶だけと思ったのですが、
失礼ついでにもう少し書きます。
みなさん試みているでしょうが、谷間の地図って作ること可能なんでしょうか。
時代ごとに地形から変化しているし、作品によっては矛盾する表記もありますから、「記号化された場所」というのは無理だろうけど。
ありきたりの質問かもしれませんが、このクラブ内での統一見解みたいのってあるんですか。
ともかくも、また来ますので今後ともよろしく御願いします。御清聴有難うございました。
2000/12/16, いとうくにお
komさん、はじめまして。年譜によると、「万延」の単行本の刊行が1967年(昭和42年)の9月で、連載されたのもその年のようです。ですから、1967年の1月から9月までの号を調べられてはいかがでしょうか。
2000/12/16, kom
はじめまして。komといいます。
先日偶然「万延元年のフットボール」を読み非常に衝撃を受けてもっと大江さんの作品について知りたくなりここに来ました。
それで一つお聞きしたいことがあるのですが万延元年のフットボールに
群像のテキストに全面的な訂正をほどこしたというようなことが書かれているんですが、群像版はなにか大きな違いというようなものがあるのでしょうか?
あとあるとしたら実際に読んでみたいのでいつ頃に掲載されたか教えていただけないでしょうか?
はじめてきて質問ばかりで申し訳ないのですが他に聞ける知人もいないのでご存知の方が居りましたら御力を御貸しください。
長々とすみません。
2000/12/15, いとうくにお
山崎さん、バンド「遅れてきた青年」の情報ありがとうございます! いってみたいけど、月曜日だと無理かなあ。行かれた方のレポートを期待したいです。
2000/12/15, 山崎
ロックバンド「遅れてきた青年」のライブスケジュールが分かりました。昨年僕らのバンドと一緒に新宿のライブハウスに出た時に、アンケートに応えてもらっていまして、それに書かれていた住所にはがきを出してみたところ、電話にて返事を頂きました。
日時は結構間近であり、12月18日(月)、出演は19:30頃からだそうです。場所はJR高円寺駅側のペンギンハウスというライブハウスです。住所は杉並区高円寺北3-24-8(駅北口から純情商店街突き当たり左、ドトール地下)です。
大江健三郎の読者であり、かつロックにも興味があるという方には、是非観てみることをお勧めします。サウンドと詞世界のオリジナリティーについては、他に類を見ない水準のバンドだと、僕は思っております。
2000/12/13, いとうくにお
うーん、そうでしたか。朝日新聞によると、「契機になった出来事の性質」上、今回はインタビューなども断っているそうですから、サイン会もあまりやらないということなのかもしれませんね。
2000/12/13, ぶる
さっき問い合わせたら、今のところ関東では明日のリブロしかサイン会の予定はないそうです。知り合いの店員経由の作戦も、すでに他にたくさん頼まれているとかでちょっと無理、という返事が返ってきました。
まあ、本自体はリブロで買っちゃったし、この後他の店でサイン会があったとしても整理券は貰えないんですけどね。ダブリで買えるほどの余裕(経済的にも、保管場所の意味でも)はないし。
あとは、この前のTACのときみたいなチャンスを待つしかなさそうです。いつになることやら。しくしくしくしく。
2000/12/13, いとうくにお
ぶるさん、残念でしたねえ。でも、『宙返り』のときの例からいくと、何度かサイン会は行われるでしょうから、きっとまたチャンスはありますよ。
2000/12/13, ぶる
先日サイン会について速報を書きましたが、自分で書いておきながらなかなか
会場の書店に行けず、日曜日の朝にやっと時間ができたので行ったらもう整理
券がなくなっていました。追加もなし。悲しい。
その書店の店員に知り合いがひとりいるので頼んでみてはいますが・・・。
痛恨のきわみであります。しくしくしく。
2000/12/12, いとうくにお
nabsさん、はじめまして。気持ちの伝わってくる書き込みありがとうございます。大江さんの作品は多面体的といいますか、いろいろな読み込み方ができるように思うのですが、今回の作品は特にそれが強く感じられたように僕は思います。それでいまは再読を始めているところです。
2000/12/12, nabs
はじめまして!
昨日「チェンジリング」を書店で見かけて買って、読み出したら止まらずに夜が明けてしまったnabsと申します。
最近の作品はどうも面白いと感じられず、ファンということで惰性で買ったようなところもあったのですが、今回はとてもよかったです。
「魂のこと」に取り組まれて、色々書いて来られた部分が、監督の死という触媒を得て激しく化学反応を起こしたような気がします。ノーベル賞受賞後、ヘンに読者を慮ったコメントが多くて心配だったのですが、久々の大江節、粗削りな言葉の持つ凄みを感じて一気に読了しました。
作品中で「キラキラした言葉がある時期以降自作の中から失われた」という事を書かれていましたが、今回はかなりキラキラしていたと思います。スッポンて。イカス。
一読者としては生意気なことを書き連ねてしまいましたが、とにかく大江さんのファンでよかった、という気持ちでいっぱいです。未読のひとはゼヒ。ってこんなとこで俺に言われんでもええわ、って感じですね。
それでは。サイト運営大変でしょうが頑張って下さい。
2000/12/12, いとうくにお
morihさん、追悼フォーラムのURL、ありがとうございました。いろいろな意見があがってますね。しかし伊丹さんを心から追悼するメッセージも多く、彼が多くの人に愛され、尊敬されたということも伝わってきました。
2000/12/12, morih
いとうさん
早速の掲載とお返事を本当にありがとうございました。
ご質問の伊丹氏の追悼フォーラムは
http://www.nisiq.net/~marutai/cgi_bin/
です。
昨日から気になっていたので今少し読み返してみましたが、ネット上の発言なので、やはり根拠のない憶測や書き込み者同士の中傷も多いです。不快に思う方もいると思います。
その中から虚実をじぶんなりに判断する作業が必要のようです。
しかしそのようなところからしか、本当の事が見えてこない社会であるのかもしれませんよね。
2000/12/12, SlicedOnion
いとうさん、白石さん、文朗さん、どうもありがとうございました。
悩むより聞くべし・・・ですね。とても嬉しいです。
教えていただいた作品で、また大江氏のなつかしく、新しい世界に
入っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
2000/12/10, 文朗
SlicedOnionさん、白石さん
ご質問の件は
白石さんの書き込みの方が正解のようです。
「ブラジル風のポルトガル語」 は
新潮文庫の「空の怪物アグイー」に収録されていますので
そこで昔、お読みになったのでしょうか。
ちなみに「青年の汚名」では
エヒノコックスは島の風土病ということで
村が移動するという話ではありません。
2000/12/10, いとうくにお
文朗さん、はじめまして。包虫病の話はいくつかあるようですね。白石さんが挙げた「ブラジル風のポルトガル語」 、文朗さんの「青年の汚名」、このどちらかなのでしょう。有力な情報が得られてよかったですね。>SlicedOnion さん
morihさん、はじめまして。同じように大江作品を読んでいる人の話が聞けるのは、エキサイティングなことですよね。今後ともよろしく。それから、伊丹氏の追悼フォーラムのURL、よかったらお教えください。
2000/12/10, morih
はじめまして。
自分でも驚くほどあっという間に「取り替え子」を読み終えました。この小説は、向こう側の伊丹氏に「書かされて」いたのだろうか、と思うほど、何か熱を帯びたような迫力を感じたのですが..。
そのあとずーっとネットサーフィンを続けながら、いろいろな事が見えてきたように思いました。
伊丹氏への追悼フォーラムへのメッセージを読むうち、氏の悲劇的な最期が改めて複合的な背景を伴っていることを知りました。日本の右翼や、警察、それにつながる大企業の黒い部分を私たちはもっと知るべきなのではないでしょうか...
小説の主題とずれてしまったようで申し訳ありません。
大江氏の必ずしも熱心な読者ではありませんが、ファンの一人として同じ本を読んでいる人の存在を知ることができ、嬉しく思います。こんご皆様の投稿からも学ぶことができれば、と感じています。
2000/12/10, 文朗
はじめまして。時々このサイトをのぞかしていただいていました。
SlicedOnion さんの質問にある小説は
「青年の汚名」ではないかと思います。
北海道の孤島 「荒若」の風土病で
エヒノコックスという
包虫病が登場しています。
大江さんの連載長編小説第一作で
1959年8月から1960年3月 「文学界」連載だそうです。
私は文春文庫で持っています。
たぶん絶版でしょうが、
大江健三郎全作品(第一期)新潮社刊の3巻に収録されていますので、
図書館などで探されてはいかがでしょうか。
「取り替え子」、昨日買って、そのままやめらずに読了しました。
「芽むしり 仔撃ち」も大好きです。
2000/12/10, 白石
slicedonion さん
白石と申します。はじめまして。
お尋ねの エヒノコックス という 包虫 におかされた 病人が出て、番内という集落の 村民が 一斉に 窪地を抜け出して どこか遠いところへ 出発した 物語の タイトルは 「ブラジル風のポルトガル語」 です。
初期短編集に 載ってます。
ちなみに新潮社の 大江健三郎小説集 では 第一巻です。
2000/12/10, いとうくにお
SlicedOnionさん、はじめまして。エキノコックスかどうかはわかりませんが、伝染病が流行しだしたので、疎開でやってきた感化院の子供達を残して村人が村を逃げ出す、という小説ならありますよ。『芽むしり 仔撃ち』という作品です。ただ、代表作の一つですから、全集に載っていないことはないと思うのですが、これとは別の小説でしょうか? 「再」入門者におすすめの作品は?とのことですが、まずは刊行されたばかりの『取り替え子』で今の大江さんと再会するというのは、いかがでしょうか。
2000/12/9, SlicedOnion
はじめまして。
ずいぶん昔に大江氏の「空の怪物アグイー」を読み、その著作は私のフェイバリットとなっている、会社員です。
さいきん久しぶりに大江氏の「あいまいな日本の私」という新書の作品を手に取っています。これから再び氏の作品に親しんでいきたいと思っています。
御サイトの語情報を参考にさせていただきたく思っております。
ひとつ質問があるのですが、私が長い間大江健三郎氏の作品だと思っていたものなのですが、氏の全集などをめくっても見つからない物があります。
残念ながら題名は記憶していないのですが、内容はエキノコックスという包虫症の伝染病の話です。エキノコックス症にかかった子供を捨て、1つの村が移動するというものです。
失礼ですが、別役実作品か、大岡昇平作品の可能性も考えています。
大江氏の作品と思い込んでいたので、新たに氏の作品を読み始めるのにあたって、大江氏の作品の中にもしあれば、題名を確認したいと思っています。
もしご存知でしたらお教え下さると幸せです。宜しくお願いいたします。
また、「再」入門者におすすめの作品などございましたら、お教え下さるとうれしく思います。
2000/12/9, いとうくにお
マリンさん、はじめまして。もう読了されたとは、お早いですね! 僕はいま二章です。マリンさんの高い評価に、残りの分を読む楽しみが増えたように思います。
2000/12/9, マリン
はじめまして、僕は大江歴10年の22の学生です。取替え子 読みました。大江さんの魂に関する一つの金字塔だと感じました。伊丹監督のことを書けるほどの時間がたつたことをある意味でよく思います。いま連載されている童話もいいのですが、故渡辺先生が望まれていた歴史小説を書かれることを期待しています
2000/12/9, いとうくにお
ohsimaさん、励ましの言葉をありがとうございます。28年前からの読者ということでしたら、こうしてまた新作が発刊されるのは、感慨深いものがあるのではないでしょうか。「政治少年死す」が掲載されたのは、文学界ですね。年譜のコーナーをご覧になると、そのあたりのこともご覧いただけますよ。気が向いたら、またおいでください。
2000/12/9, shigeru ohshima
はじめまして、数日前このページを見つけて感激しています。大江文学との出会いは、高校3年の時ですから、かれこれ28年がたちます。
はじめは「われらの時代」からだったと思います。そのときの鮮烈な印象は、いまだに忘れられません。それから逆もどりして、デビュー作品からよみはじめました。あとはほぼリアルタイムに接してきたと思います。刊行されなかった「政治少年死す」は、学生時代、京都同志社大学の図書館で文芸誌(名前は忘れました)を見つけだし、コピーして下宿に持ち帰り、ドキドキしまがら読んだのをおもいだします。ちなみに私は、同志社の学生ではありませんでした。……とりとめもなく長々と書いてしまいました。このページを見つけて幸せな気持ちです。また機会があれば、メッセージ送ります。いとうくにおさん、ガンバッテください。ありがとう!!
2000/12/9, しげる
先日はご来園ありがとうございました。
「個人的な体験」には随分励まされたのと、アフリカの記述に驚いたのを覚えています。
2000/12/9, いとうくにお
山崎さん、こんにちは。いま第二章を読んでいるところです。伊丹映画がまた観たくなってきてしまいました。僕は「お葬式」がけっこう好きなんですよ。
ぶるさん、こんにちは。情報どうもです。大江さんのサイン会ですが、メーリングリストのほうでも情報をいただきました。12月14日(木)16:30〜池袋西武のリブロ です。
みゆきさん、こんにちは。先生でしたか。このサイトを中学生が見るなんて、嬉しいですね。なんだか不思議なような気もしますけども。
2000/12/8, みゆき
いとうさん、こんにちは。
私は渋谷幕張の兄弟校、渋谷教育学園渋谷中学高等学校の教師です。
当日は本校からも多数の生徒が参加しました。
このページを紹介しましたら、興味を持ち、何人かの生徒がクリックしたそうです。参加したメンバーに感想を書き込むよう促しています。
氏の言葉が中学生という年代にはどのように理解されているのか、受け止めたのか、ファンのみなさんにとっても興味深いと思います。現在感想文の添削中です。「文章を書き直すことは精神を鍛えることだ」という氏の言葉は、私どもにとって大変ありがたいお言葉で、生徒も今のところは嫌がらず書き直しをしています・・・。文集は今年度中に完成予定です。毎日赤ペンをもって添削の日々です・・・。みゆき
2000/12/8, ぶる
いとうさん、お久しぶりです。ところで『取り替え子(チェンジリング)』発刊記念のサイン会があるようです。東京では12月14日にリブロ池袋店だとか(時間は確認するのを忘れました。すみません)。現在のところ、他に名古屋でもやることが決まっているようです。
2000/12/8, 山崎
このサイトで『取り替え子』の店頭発売を知り、慌てて地元の書店に行き、手に入れてきました。いとうさんは、早速トップページの引用に取り入れられていて、その対応の早さに感服いたしました。もうかなり読み進められたのでしょうか?
わたしも、今読んでいる『雨の木』を、区切りのいいところで一旦中断して、早速『取り替え子』にかかりたいと思います。
大江健三郎作品の魅力に取付かれて、まだ若干1年余りですが、ファンになって初めてリアルタイムに接することの出来たこの本は、私にとっては記念すべき作品になります。そしてそれが、帯の著者自身による言葉にあるように、大江氏にとっても、「最も大切な三作のひとつ」であるということは、それはわたし個人にとっては、この上なく幸運なことです。
それはともかく、もし刊行記念のサイン会等が、どこか東京近辺で開催されるならば、是非足を運びたいと考えております。もしそのような情報を耳にした(目にした)方がいらっしゃれば、どうかお知らせ願いたいと思います。
なんて、読む前から盛り上がっている、わたしは何て阿呆者なのでしょう。でもいいのです、ははは。
2000/12/7, いとうくにお
ぶるさん、おひさしぶりです。僕も神田神保町に行く用事がありまして、昨日、書泉グランデで入手しました! yurikoさん、はじめまして。お子さんたちの誕生日、残念ながら僕は知りません。どなたかご存知ないでしょうか。
2000/12/6, yuriko
こんにちわ!ちょこちょこのぞいています。
ところで今日は質問なんですが、大江さんのお子さんの菜摘子さんと桜麻さんのお誕生日ってご存知の方おられますか?
もしよかったら教えていただけませんか?よろしくお願いします。
2000/12/6, ぶる
昨日、神田の三省堂に閉店間際に飛び込んだら、『取り替え子(チェ
ンジリング)』が積んであるのを発見しました。取り急ぎ報告まで。
2000/12/3, いとうくにお
みゆきさん、こんばんは。もしかして、渋谷幕張中学の生徒のご父兄もしくは先生でしょうか? ドイツでやったのと同じように、大江さんは今回も生徒たちの作文を添削し、戻してくれたんですね。文集の完成が楽しみですね。
2000/12/3, みゆき
幕張の講演に参加してきました。
生徒たちは、氏の話しに大いに感激し、たくさんのことを懸命に考えました。氏は事前に生徒たちの作文を添削して下さいました。そしてその添削済みの原稿用紙は再び生徒の手に戻されました。現在、記念文集の作成中です。講演後の感想文からは生徒たちの興奮が伝わってきます。
「つながっているということ」「速いコミュニケーションと深いコミュニケーション」これらの言葉は生徒たちの心に刻まれたようです。今現在、氏の話しのすべてが理解できなくても、これからじっくり考えていきたい。そんな感想もありました。みゆき
2000/11/29, いとうくにお
しげるさん、はじめまして。動物のイラスト、すごく面白いですね。特にトップページにあるコギャルパンダは気に入りました。アフリカの絵は、大江さんが見たら喜びそうですね。「アフリカ大陸は、うつむいた男の頭蓋骨の形に似ている」(『個人的な体験』)。
2000/11/29, しげる
初めまして。通りすがりのHP開設者です。動物イラストを展示するのがメインのページなのですが、「映画論」のコーナーで社会学というか文学論の真似事をしています。よろしければ御感想など頂ければ幸いです。それから、僕が大江さんの小説に出会う前に描いた、「アフリカの絵」も「個人的体験」を読まれた方には面白く感じて頂けるのと?思いますので、よろしかったら御覧下さい。URLは下記の通りです。
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/2384/
2000/11/26, いとうくにお
白石さんも詳しいご報告ありがとうございます。中学生との対話も、内容の濃いものだったようですね。
2000/11/26, 白石ヒロ
白石です。前田さんの 素晴らしい 第一部の講演要旨 の 後を受けてのバトンタッチ、 百点満点の 全力走者の あとの ヨタヨタの 転倒しそうな 心細い ランナーを ご寛容ください。
二部の パネラー ハロルド.クロートについて パンフレット の PROFILEによりますと
(英サセックス大学教授)
1939年、英ケンブリッジ州生まれ。英シェフィールド大学で博士号取得。85年から 英サセックス大学教授。それまで炭素原子の結晶構造はダイヤモンドなどの限られた種類しかないと考えられていたのに対し、60個の炭素原子が六角形と五角形の組み合わせで構成されるサッカーボール型に集まった新しい分子、カーボン60(C60)「フラーレン」を発見。新物質は新たな性質の化合物の合成にも繋がり、現在の大きさの100分の1のコンピューターや、10.000分の1の半導体を製造する可能性を生み出した。この分子の発見により96年ノーベル賞授賞。
とありますようにご自身が 発見されたフラーレンについて スクリーン に写しだされた原子構造図 を もとに 詳しく解説されました。私には チンプンカンプンでも 向学心旺盛な中学生には 興味深い講義だったと思います。
次に 私も、アインシュタインも普通の人と全く同じで決して特別の人間ではない。私が発見出来たのも、若い化学者たちと一緒にやったつまりチームで仕事をした結果だ。
このあと 4つの水素原子が 凝集されて炭素となり 星のなかで形成された炭素が地球に降ってきた、私達は星のくず ほこりをもっているなどの 原子のお話が続きました。
化学の発見は 一人でやれるものでなくチームの仕事です、21世紀は化学的 技術的に高度の発達を遂げる時代。一つのテーマだけに没頭してはつまらない、また 化学と芸術との融合ということもある、一人の人間の中に化学と芸術が存在することもあるといわれ ご自身が 書かれた イラストも ご披露されました。絵が好きだったら絵を捨てないで化学も勉強してください。とむずかしい注文をされました。
とにかく自分のもっているものを継続してくださいとも言われました。賞を取ろうなどと思わずに 興味を持ったら夢中になって下さい 好奇心が大切ですと。
私も地味なことに興味をもって地味な研究を地道に続けて大きな発見となり 賞につながった。誰も興味を持たない地味なことに興味を持って諦めず徹底的に研究する、これを 強調されました。
利口な人間がいいのではなく夢中になってやることが 大切です。
大江氏が 先生は生徒に答えを求めるのではなく質問を熟知し、疑問を明確にして本当の問いを見つけると問題解決となると 結ばれ、質疑となりました
質問者は 皆 中学生だけで かなり真孳な質問もあって 講演が 真剣に受け止められているのを 感じました。
他人の足をあげて、先生は障害者と健常者の間に理解出来ない壁がありますか? の質問に 他人の足は ともに障害があったため 最初友情が生まれていたのが、足がなおったことによって障害者との間がうまくいかなくなる話ですが、この小説を書いた時は 自分に障害のある子供が生まれ禹ことなど考えて無かった、障害児が 生まれてみて 家族の関係が深まった 私の学んだ 実存主義は 自分と他人との関係を考えることですが、人と人との関係は関係が生じることは 壁が 生じることなのです。その壁を乗り越えるともっと深いところへ進んでいく。お互いの関係を構築することが 大切 乗り越えの努力が 必要で、乗り越えると 前より少し上等の人間になります。
引きこもり いじめ が 問題になてますが 大江先生にも いじめが ありましたか? の 質問には
新制中学一年のとき 農業協同組合長になって 皆でヒナを飼い 一羽 30銭のヒナを 大きくして50銭で売り そのお金で 岩波文庫の ガレリオ.ガリレイの天文学の本を買って誰も読まず 組合長をやめさせられ いじめられた。野球部で 10円ずつ集めて野球ボール を買う案に 反対して殴られたともおっしゃい、ました。昔もいじめは あったが いじめに 反抗するものには みなが 応援してくれた。いじめられた人が屈服しない、勇気を持つ、またいじめられてる人を他の人が想像力を持って 助けてやる、それが 出発点です。
どんな質問だったかメモり損ないましたが、先生の 体験談として、村の公民館の図書約300冊を13か月で全部読み終わり、母に報告したら、着替えた母は 私を公民館に 同道して本の一節を読み 次は? と聞かれ 答えられないと 貴方は何の為に本をよむのですか? 忘れる力を訓練するためですか? と言われ それからは ノートを作って読みました。と答えられました。
小説家になった動機を尋ねられ 高校の友人が 君は小説家に向いていると言われたのでそれまで学者になろうと思っていたが 方向転換した。彼がいなかったら、小説家には ならなかったでしょう。
その友人の妹と結婚し彼は後に映画監督になったと申されました。
ノーベル賞を 欲しいと思っていましたか? の 質問には 貰いたいとは思わなかったが 貰って良かった、それまでは 銀行に50万以上の貯金が 無かったから、でももう大分使ってしまったと 笑われました。
21世紀の教育をどうみますか?の 質問には インターネットで世界と通信するようになれば 国と国の戦争は起こらなくなる、文学も 世界を結ぶ。20世紀の人間が科学の面で間違いを犯した、核兵器の発明製造です。20世紀の人間の責任として、核兵器を無くすようにしなければならない、これは大切なことであって 決して安全保障理事国になるのは 反対しなければならない。理事国は 武器を輸出しているが、これを止めさせることを日本人がすることが 大切で 理事国入りすることではない。
20世紀の過ちを 正したい。と締めくくられました。
この記事は 12月6日の読売朝刊に載るそうです。
なお この日の司会はNHKの ウイークディの朝7時からのニュース おはよう日本の キャスター 武内陶子アナでした。
2000/11/26, いとうくにお
前田さん、講演内容を教えていただきありがとうございます。いつもながらよいお話だったようですね。
2000/11/26, 前田K
『ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム「21世紀の創造」教育フォーラム
「君たちに伝えたい言葉」―ノーベル賞受賞者と中学生の対話」』
第一部 大江健三郎さんの講演要旨

 ハロルド・クロードさんは素晴らしい科学者であり、しかも若い人との
communicationに力を尽くされて来た方です。昨日の夕飯と今日の昼食を
一緒にしました。私は英語が下手ですが、英語が下手だということは自分
の迷惑にはならない。他の人の迷惑にはなるようですが、私はどんどん喋
りました。そうしたらクロードさんは自分のことを「ハリー」と呼んでも
良いと言われた。今日、ここに来ている中学生の皆さんは家に帰ったら、
二人の有名なイギリス人の「ハリー」を覚えている筈です。ハリー・ポター
という人とハリー・クロードさん。
 今日の講義の為に、翻訳料を安くする為に英語で書いて、ベルリンの新
聞に寄稿した文章を自分で日本語に訳したものを中学生のみなさんに読ん
で感想を書いて来て貰いました。
 文章を書き直す練習、と言うのは二つの重要な点があります。一つは他
人の文章が読みやすくなる。そしてもう一つは自分にとって良い文章にす
る。それは、スポーツにも似ています。自分の精神、心を鍛えるという点
で。私は40年も自分の小説を書き直して来た。少なくとも四回は直します。
そうすると、目の前にある文章は、誰の文章であっても直さずにはいられ
なくなる。
 朝起きてから食堂でパンを食べて寝る習慣があります。それで次男のオー
ちゃんが中学二年生の頃、朝食堂に降りてくるとオーちゃんの作文があっ
た。誤字脱字も訂正もない、非常に綺麗な作文でした。私は夢中になって
直して、最後に感想を書いた。魂とか宗教について書いてある部分がある
けれども、それはもっと年を取ってから考える問題です。それから良いこ
とをしたと思って二階に上がって寝たんです。目が覚めて下に降りて来る
と、結婚してから3度しか起こったことのない家内がかんかんに怒っていた。
「あなたはどうしてそういうことをするのか。オーちゃんは泣いていた」
「そんなに感動したのか」「違う。教科書の文章を清書する宿題を泣きな
がらしていた」その教科書の文章を書いていたのは湯川秀樹さんであった。
 
(ここで中学生の作文を例として3つ上げて文章の推敲に関して具体的な
文章に即して指摘された。「強い文章」「内容を入れる」「文章は出来る
だけまえに進むように、スムーズに」「皆さんの文章は改行が少な過ぎる」
等、様々な発言をされた。印象に残った言葉を二つ。「自分が学んだこと
を良く書いてあるけれども自分が学んでいるとは考えていないことも学ん
でいることに、こうして書き残すことで後で気付く筈です」「文章を書い
ていてしっくりしないなと思ったら平仮名に直してみると、スムーズに進
むことがある)ベルリンでの体験に較べて揃って皆さんが考え方を明快に
書くことが出来るのに驚きました。よく出来る生徒さんばかりなのか、そ
れともクラスでよく話し合ったのか。
 私は子供の頃から文章を直して来た。小説家になってからも。(ここで
大江さんは「自分の原稿の紙の第一ページをなくしてしまったので困って
いますと会場を沸かせた)子供の頃、私は大人になったら自分が変われる
と思っていた。昔は子供じゃなかったような大人、昔象だったんじゃない
かというような人もいますね。今の私には子供の頃のものが残っている、
続いている、そして続けようとして来たと思えます。
 本を読む。すると難しい本とよく分かる本がある。面白い、面白そうな
本をノートに取って、その本を読むことの出来る年齢、頭や経験がしっく
り来るまで待つ。この方法を子供の頃から50年以上続けた。家にむやみに
沢山の僕の書いたノートがあります。プラトン、という人を子供の頃誰か
に聞いて、大学生で読むようになった。プラトンの書き方というのは対話
編の形で、「メノン」について今日は話しますと、これはメノンとソクラ
テスの対話が中心です。ソクラテスが死ぬ3年前、ソクラテスは70歳で亡
くなっていますから、丁度今の僕の年齢です。ベルトゥース(人間の優れ
た徳)は教育することが出来るか。子供と教師との関係が問題になります。
召使(奴隷)の子をソクラテスが周りに呼んで話をするという展開になり
ます。子供は教えられないでも知恵を持っている。子供が知っていること
をハッキリさせてやるのが教師の役割であり、教育であるとソクラテスは
言います。生徒が先生に質問するよりも先生が生徒に質問することが多い
のは当たり前で、子供が疑問に思っていることが何かを発見してやるのが
重要なのです。(ここで大江さんは幾何の問題の例「或る正方形を2倍の
面積の正方形にするのに必要な辺の長さは幾らか」を引きます)子供は何故
自分の答えが違うのかを実際に計算してみると納得する。その後のソクラ
テスの言葉は非常に大切です。「君が長さを言葉で言えないならば指で示
してくれ」。(そこで大江さんは解法を示して、「ソクラテスはそれから
対角線ということを教えた」と仰言いました。手元にある「メノン」を見
てみますとこの幾何を巡るやり取りは丁度真ん中の辺りに出て来ます)自
分で発見することで新しく知る。学校で学ぶようなことは子供にはもう分
かっていることです。「何故人を殺してはいけないのか」という質問は間
違っている。分かっていること(「人を殺してはいけない」)に導いて行
くのが教師や大人の役割です。
 柳田国男という人がいます。昔の野球選手に「やなぎだ」という人がい
ましたが、「やなぎた」です。ハーヴァードではそう発音しなければ本を
出してくれません。彼は「学ぶ」というのはいい言葉じゃない、と言った。
「まねぶ=真似る」だからですね。次に「覚える」。自転車に乗ることを
覚える。覚えると忘れない、自分の心と身体で学ぶ、それが本当の教育で
す。或るインタビューでイチローが「バッティングとは何か」と大リーグ
の選手に訊いたと話していました。すると相手は「自転車に乗ることを覚
えるようなものだ」と言った。イチローもそれを聞いて取材していた記者
も意味が良く分かっていないようだった。それは、自分の身体で納得して
覚えるということだろうと思うんですね。最後に「悟る」。自分で発見し
ていく、本当の知恵を知るということです。
 僕も67歳に近い。自分の生きてきたやり方は間違っていたかと考える年
頃です。もし貴方がた(中学生に向かって)と同じ頃の自分に会ったらこ
う言いたい。大人と子供は続いている。子供は自分のやり方が間違ってい
るとしたらやり直すことが出来る。けれども、大抵の人はやり直す必要は
ない。「自分の中の人間」は子供の頃から年を取るまで続いて来て、それ
は日本人の歴史、そして世界へと連なっています。母親の言葉を思い出し
ますと、母は僕に「あなたは死んだ子供の代わりに生きているようなもの
だ」と言った。僕は過去の自分から続いている。君たちに最後に伝えたい
言葉があるとすれば「自分の中の人間」が将来の自分にも続いてると考え
て欲しい。自分が未来の日本、人類に繋がっている。どうか皆さん、今の
「自分の中の人間」を大切にして下さい。それは過去の歴史の中の人類、
自分の未来・将来の人類に続いているのですから。
2000/11/24, いとうくにお
あかつきさん、おひさしぶりです。立花姉弟の件は、「なぜ?」と思った人が多いようですね。読書会のときにもそういう声が多かったように思います。大江さんにうかがってみたい気もしますね。よかったら『燃えあがる〜』のほうも、読み終わったら感想を聞かせてください。あー、それにしても新作が楽しみです。
2000/11/24, あかつき
いとうさん、皆様こんにちは。「取り替え子(チェンジリング)」発売が延びて少し残念です。私はやっと「宙返り」を読み終えましたので感想などをちょっと。
大江さんが考える「魂のこと」とはとても現実感覚の溢れることなのではないか、と思いました。このサイトの「宙返りを巡って」の中の「信仰のない者の祈り」をとても興味深く読みましたが、その彼の宗教観(?)や、神の捉え方がダイレクトに伝わってきた作品だな、と感じました。
終章を読み、「新しい人」の教会がそれまでの教会の印象と随分変わったことがとても印象的でした。そして、宗教の有り方を考えた時に新興宗教だろうが古くからある宗教だろうが、健全な現実感覚のない宗教団体はもうこの先やっていけないんじゃないか・・・・、例えば教祖の霊的能力を基盤にしていたり俗っぽい言い方をすればオカルティックな要素を教義の基本としていてそれしかウリがない宗教はもう限界なんじゃないか・・・、と私自身感じました。
また、「新しい人」の教会をこれから引っぱっていく主要メンバーがちょっと厳選されすぎではないか、とひっかかりを感じました。「静かな女たち」は留まっていますが、古い人(とされている人)を多数死なせたり去らせるのではなくて、古い人も内面から変わりつつ「新しい人」となって教会に参加していくという終わり方にできないものだろうか、とちょっと思いました。理解力不足かもしれませんが個人的に立花姉弟の死は納得いかないものがあります。読んでいた電車の中で「なんでぇ〜????」と声を出しそうだった。
もっと他に色々思ったことがありますがこの辺で・・・。これから「燃え上がる緑の木」等読むのが楽しみです。
2000/11/23, いとうくにお
山崎さん、こんにちは。12月に延びたのですか。どうしてかなあ、大江さんの意向で印刷直前に変更が入ったりしたのかなあ。『「雨の木」を聴く女たち』は面白いですよ!
2000/11/22, 山崎
読売新聞22日付け朝刊に、「取り替え子(チェンジリング)」(1,900円)12月上旬発売との広告が載っていました。少し延びた様子です。明日新宿まで足を運ぶので、紀伊国屋にでも寄って、出版されていたら即、買おうと思っていたのに、残念。
著者のコメントとして、「一生の作品の中で、最も大切な3作品のひとつ」との言葉が添えられておりました。否が応でも期待が高まりますね。それにしても、他の2作品が何なのか、気になるところです。
年代順に大江作品を追っているわたしは今、大作「同時代ゲーム」をようやく読み終えたところです。それもあって、新刊出版のニュースを知り、とてもタイムリーだと楽しみに待ち受けていたのですが、仕方ありませんね(!?)。発売までの間次の「雨の木の女たち」に取り掛かることにします。
ところで、8月の初書込み以来、時々アマチュアロックバンド、「遅れてきた青年」の行方を追っかけてみるのですが(主にインターネット上にて)、なかなか見つかりません。東京近郊を拠点にしているバンドではないのかなあ?
2000/11/20, 野田 振一郎
 それなら、リエゾンして、マンネン ではどうですか?
マンエンでまんねん、なんちゃって。
2000/11/15, 前田
掲示板に書き込むのは本当に久し振りです。
今日は余裕があったので、過去の分から読んでいました。
神谷さんの質問(一月近く前ですが)ですが、いとうさんやちえさんが仰言っていたように、ノーベル賞受賞後の立花隆さんとの対談(NHK)での発言だと思います。大江さんと谷川さんはデビュー当時からの付き合い(武満徹という共通の友人)ですね。『万延元年のフットボール』の後半の方の賞のエピグラフに、谷川さんの「本当のことを云おうか」という詩が引用されていたのが印象深いです。その発言は以前にも何処かに書かれていた気がします。『厳粛な綱渡り』その他をもう一度確認してみます。
2000/11/6, いとうくにお
みゆきさん、はじめまして。子供達との対話がどういうふうに発展するのか、本当に楽しみですね。よかったら、フォーラムの感想などもお聞かせください。
2000/11/6, みゆき
初めてコメントします。
11月25日、千葉の渋谷幕張高校で行われる大江氏のノーベル賞フォーラムに出席します。「何故学校へいかなければならないのか」、生徒たちに氏がどのような言葉で語り掛けて下さるのか、楽しみにしています。
2000/10/30, いとうくにお
野田さん、こんばんは。スーパーマーケットの天皇、でしたっけ。大江作品には、個性的で印象に残る脇役が多いですよね。「万延」は、マンエンのようですよ。広辞苑によれば、「まんえん【万延】 孝明天皇朝の年号。(1860.3.18〜1861.2.19)」だそうです。ですから万延元年というのは1860のことになりますね。
2000/10/30, 野田 振一郎
「万延元年のフットボール」について。私はスーパー経営者の在日の人が印象に残りました。野心的に商売をする一方、一度標的にされると無抵抗になってしまうところが、大江氏の観察の鋭さだと思います。(大江氏はあまり 鋭い という形容は相応しくないかも・・・・。)
 ほとんど登場しなかった人物だけれど、活気を失った村の商店との対比が面白かった。
 ところで ばんえん ですか?まんえん ですか?
2000/10/25, いとうくにお
あかつきさん、はじめまして。文学との付き合い方もいろいろあると思いますが、おっしゃるとおり同時代の作家の作品を読むというのは、格別のものがありますよね。読者が生きているこの世界・時代についての見方を現役の作家は提示してくれますし、「次の作品はどんなのかな」と待っているのも単純に楽しいものですから。『宙返り』の感想、楽しみにしてますね。
2000/10/25, あかつき
はじめまして。こんな素晴らしいサイトがあったなんて!と感激しました。皆さんのメールを読んでいると、皆さんが本当に大江作品を愛し、深く掘り下げて楽しんでいらっしゃるなぁ、と感心しています。そんな深い意見は述べられませんが勇気を出してこのメッセージを書いてみます。
私は5年程前に「叫び声」を読み、これまで読書で得られたことないショックを受けて大江健三郎ファンとなりました。その後光さんが生まれる前の大江作品を(全てではないですが)むさぼり読みました。しかしその後なぜだか分かりませんが、ある時期からの作品、おそらく光さんが生まれてからの作品にはついていけなくなって暫く中断していました。(意図的に大江を避けていたのかもしれませんが。)そして今久しぶりに大江に帰ってきて「宙返り」を読んでいます。ものすごい力で引っ張られるように上巻は一気読みでした。オウム事件からも少なからず影響を受け、また自分なりに神、魂の存在等に関心をもちはじめていたこととリンクしていたのでおもしろかったのだと思います。また、こんな高飛車なことを言える立場ではありませんが、「叫び声」等を書いていたときよりも「魂レベル」で成長したのではないかと感じてしまいました。私をはじめとして周囲の文学愛好者の中に「大江はある時期からついていけない。あ、もう読めないと思った」という人もいるのですが、それは大江の「魂レベル」での成長についていけないのではないだろうかと思いました。上手く表現できませんが自分の場合は、大江が神や宗教を取り上げたり、魂の存在について問い掛けたりしたときからもう別世界の作家みたいに思って遠ざかっていたのかな、と思いました。とんちんかんな意見だったらすみません。
でも兎に角大江作品と再会し、ほぼリアルタイムで「宙返り」を読めることを幸福に感じます。読み終わったらまた感想を述べたいと思います。そして今まですっ飛ばしてしまっていた多くの大江文学を読んでゆきたいと思います。今後よろしくお願いします。
2000/10/22, いとうくにお
ちえさん、こんにちは。もし漱石と大江さんが同時代に生きていたら、というのは楽しい想像ですね。漱石の仕事はまさに「魂のことをする」という内容だと僕も思います。
2000/10/22, ちえ
こんにちは。
こちらには随分久しぶりです。
神谷さんのご質問ですが、立花隆さんが聞き手をなさっていたNHKの番組ではなかったでしょうか?青年の家でみせていただいたビデオの中で、そのようなことをおっしゃっていたような気がしますが。
さて、大江作品と夏目漱石作品から受ける印象が似ている、と言ういとうさんの感想は、わかるような気がします。わたしも漱石が好きで、しかし今まで大江さんとの類似については考えてみたことはありませんでした。
わたしの漱石の印象的なイメージは、「この世に生まれてきたからには何か(世の役に立つようなことを)しなければ」という言葉と、その言葉通り、明治時代の日本の苦悩を一身に背負っているかのように、神経を細らせるほど苦悩していたというものです。
一方大江さんも、驚くべき広い範囲に渡って、様々な問題に取り組み闘っている、という印象を受けます。
対象は違いますが、どちらも、大江さんの言葉を借りれば「魂のこと」をしている作家だと思うのです。
大江さんが漱石の言葉に強い反応を示すのは、何か似たものを抱えているからではないでしょうか。
もし漱石が同時代に生きていたとしたら、大江作品を評価していたかもしれないな、と思います。
「記憶してください。私はこんな風にして生きてきたのです。」
ドキッとさせられる言葉ですよね。わたしはこんなことを言えるほどまだ生きていないし、言えるような生き方もしてきていません。いつか言えるように、生きて行かなければなぁ、と思います。
2000/10/21, いとうくにお
amedioさん、神谷さん、はじめまして。amedioさんがご紹介くださった連載のことは、メーリングリストのほうでも話題になりました。amedioさんはまだ大江さんの他の小説は読まれてらっしゃらないようですが、大江作品は宝の山のようなものですから、ぜひご堪能を。
神谷さんのご質問の件ですが、僕もぼんやりとは覚えがあるものの、ソースははっきりしません。NHKの番組だったかなあ。ご存知の方、いらっしゃいましたらお教えください。
話し変わって、先日「青空文庫」から漱石の「こころ」を、仕事で使うサンプルデータとしてダウンロードしたのですが、ちらっと読み始めてしまったらとまらなくなって、忙しいのに最後まで読んでしまいました。勝手な感想なんですが、漱石を読むことと大江健三郎を読むことは、自分にとってよく似たことのような気がしたのでした。作風はずいぶん違いますから二人を並べて考えたことなどなかったのですが、読んでいるときの驚き、引き込まれ方、そういうのが同じように感じられたのでした。だからどうしたということはないんですが。
2000/10/20, 神谷
はじめまして。
知りたいことがあるのです。ノーベル賞受賞後のインタヴューかなにかで大江さんが「詩の分野には、すでに谷川俊太郎がいたから、自分は小説を書いた」という意味のことをおっしゃったらしいのです。もし、何かご存知のかたがおられたら、その発言の真偽・情報源など教えていただけると嬉しいです。
2000/10/17, amedio
はじめまして。
「週刊朝日」誌8月4日号に掲載された「子供はなぜ学校にいかねばならないのか」を読んで、初めて大江さんの一文に接し、大変感銘を受けました。
内容の素晴らしさもさることながら、大江さんの紡ぎ出す日本語の美しさにも大いに感動しました。
皆さんご存知のことと思いますが、同誌10月27日号より「『自分の木』の下で」の連載が始まりました。「子供は〜」への反響の大きさから連載が決定したのではないかと思います。
初めての書籍は貴HPの「作品紹介」を参考に、「恢復する家族」にしました。
夫人の美しい挿絵とともに毎頁、感銘を受けつつ今、読み進んでいます。
「朝日」誌の連載とともにこれから大江作品に接していくのが楽しみな今日此の頃です。
2000/10/7, いとうくにお
yskimさん、はじめまして。外国の方がこのように大江作品を読んでくれるというのは嬉しいです。『飼育』は大島渚監督が映画化していて、先日そのDVD版が発売されました。小説とはずいぶん違っていて、まったく別の作品であるといってもよいような内容でしたが、それはそれで面白かったです。
Tsugiさん、はじめまして。出張先からの投稿ありがとうございます。「泳ぐ男」のことだったかどうか記憶にないのですが、6月にあった東京アスレチッククラブの講演会で大江さんは、「あの登場人物は自分のことではないかと思われている方がこの中にいらっしゃるでしょう。そう、それはあなたのことです」というようなことをおっしゃってましたね。
2000/10/7, Tsugi
はじめて投稿します。宜しくお願いします。
学生の頃だったと思います、図書館で偶然手に取った本(題名忘れました。どくろが入った表紙だったような・・)にある言葉や表現に、ところどころに何かひっかかりというか、今までは感じたことのない異物に触れたような感覚があり、慌てて振り向いたようにして手にとったその作者の作品が、『芽むしり仔撃ち』でした。このあと一ヶ月間ほど、学校にもいかず、手近で入手可能な限りすべての作品と文章を読みまた。このときの興奮は今でも忘れられません。
 ごはんを掻き込むようなそんな読み方をしてしまったためか、リアルタイムに追いついて以降は、
そのときの気分にあわせ、未消化だったと思われるものの読み直しを行う、というのがここ数年の読み方です。

 因みに現在私は出張中で、今回の読み直し用に持ってきたのは『静かな生活』と『万延元年』。
で、いまのところ読み終えたのは前者。後者を後回しにしているのは、一気に読みはじめ読み終えるにはエネルギーが不足している(年か?)からなのか・・・
 『万延』についてについてに色々な見方あるみたいですね。かなりあやふやな記憶なのですが、誰
かが『万延』の冒頭をあげて名文・名作であると評論していませんでしたっけ?

 個人的に好きなのは『同時代ゲーム』。「森の怪物フシギ」の生態に興味があります。人間に関する暗澹たるニュースを耳にするたびにこれを思い出してしまうんです。
 『泳ぐ男』の一連の作品も好きなのですが、モデルの方が講演にきていたというのは本当ですか?

長くなって済みません。
大江作品について再び思いをめぐらすきっかとなった、いとうさんと、いとうさんのこの労作に、
心より感謝申し上げます。
2000/10/4, yskim
http://my.netian.com/~yskts

韓国人で、日本文学趣味サイト運営者です。
10月には小江さんを勉強しています。遊びに来て下さい。
 
「飼育を読んで」

 
1. 飼育と文明

静かな村にも戦争は尋ねて来た。

<<町>>と括弧をした、文明化した所と「村」とは隔離されている。町の人々はこの村の人々を賎民扱いにしているし、この村の住民も町の人には敵意を感じるだけ、2個所は大変 ’違う’ 所である。文明に恵まれていないので、先頭というものも知らず生きている村の人々である。更に大洪水で橋は倒れて、2個所を結ぶ交通は殆ど切れている。只郵便配達と’書記’(’書’は文明である)といわれる人行政区域上のここを管理する為にたまに偽足を歩かせて尋ねてくるだけである。

 
作者は子供を話者にし、橋まで切れてしまい、もっと文明から隔離させた、この村にある日米軍飛行機を墜落させ、黒人兵一人を落下傘で下ろす。白人でなく、アフリカの自然性に近い人間、黒人が選ばれた。

村の人に捕らえられた黒人兵は ’敵’ではあるが、村人には’敵’という実感よりはイタチか山羊のような一つの「獲物」として’飼育’されるようになる。
最初の場面でこの’飼育’の前兆が現れる。それはミツクチが野犬を捕らえて来て、すぐ馴染める場面である。「’俺にすっきり馴れてしまったとミツクチは言った」(83ページ)放しても山へ帰らないと自慢している時、空では飛行機が現れた。本論の’飼育’を始めさせるために。

黒人兵は倉庫で’飼われる’ようになった。子供たちは退屈な日常に大きな波紋を起こすこの’事件’に興奮しないわけにはいかない。火事の見物みたいに堪らない。心が固まっている大人とは違って、外部の事件を吸収するに忙しい子供らには黒人兵は新しい、ぴりっとする人生の経験になったわけである。

食料を配達しながら、子供の純粋さで近寄った’僕’は黒人兵温順な家畜みたいな感じを持つようになり、この感じは村の大人たひにも伝染され、上手く馴染まれた家畜として黒人兵は村の人々(主に子供たち、大人はそう簡単に動かない)と付き合うようになる。

黒人兵との付き合いが、泉でのセクス遊びで頂点になり、彼らは最高の喜びを味わう。しかし、「それは何時までも終りなく続いて、決して終らないように感じられてくる」(125ページ)瞬間にアイロニカルに関係の終りを読者は予感するようになる。

その日の夕方、頂点のエクスタシーの余韻のように雨が降り、黒人兵は歌を歌う。「黒人兵の歌の声の広がり、その海のように重々しく長蔵な歌、、」(126ページ)

しかし、歌は止んで、雨も止んだ。 ’書記’が現れた。
書記と村の大人たちとの会議が始り、黒人兵の顔の微笑は消えてしまった。黒人兵を「町」に送ることとするという話しを聞いて僕は驚きを失望、その以後にくる空虚感で黒人へを見つめるだけだが、黒人兵は死を予感し、いきなり僕を捕まえて倉庫に閉じ込む。

最初捕まえられて来た時のように、荒い、馴染まれない、敵、動物に帰られたのだ。結局父と村の大人は強制に倉庫も扉を開いて入り、斧で黒人兵を殺す。黒人兵の防御壁であった僕は手が叩き潰されて失神する。

僕は何日間の失神状態からさめて、父がくれる山羊の乳が飲めず’吐気’を感じる。それは「父さんを含めて、全ての大人が僕には耐えられぬ存在であった。斧を振るい僕に襲い掛かった大人たち、それらは、、僕の理解を拒否し、嘔気を感じさせる」(135ページ)

黒人兵をの関係は’自然’の中の人間、動物との関係とも同じである。 飼って、飼われる(馴染ませて、馴染まれる)関係作りでお互いが愛情を持つようになる。 ’星の王子様’(little price)での王子と狐の’馴染ませること(飼い慣らすが正しい表現か?)’という言葉が思い出される。馴染ませるということは貴方は僕に或る一つの意味を持って存在するようになるということである。現代人がペットに執着する傾向は、人間社会での’人間飼育’に対する渇きによる補償意識からであると思われる。元々’食う物、餌’を確保するために動物の飼育を始めたと思うが、人間は飼育の喜び(対象が動物でも人間でも)を楽しむ存在でもある。原始人には飼育した動物を殺して食うのはごく自然の事である。 人間社会では飼育した・された人はその関係を永遠なものにしたくて、同伴自殺するか、相手を殺す(希な)場合も生じる。

しかし、こういう関係を戦争という’文明’は君と僕を敵の関係に回す。
「戦争もこうしたらすごいものだ、子供の手まで叩き、、、、と書記が言った」(139ページ)
(’町’に住んでいる書記もやはり文明により、既に村の僕より遥かに先に、足を奪われて偽足をした、傷ついた者である)

2。子供と大人

そして僕は「古い桐の軒に立って子供の遊びを眺める](139ページ)ようになる、子供の遊びにこれ以上興味を感じられない’大人’になったのだ 「もう僕は子供ではない」(138ページ)僕は’事件’の衝撃で’考え’始めた’大人’になってしまったのだ。

所が、ここで’僕は既に子供ではない’というのは何を意味しているのか? 種子のような子供が外部の衝撃(戦争)で表皮を破って出て来て、 ’戦争と人間’が何なのかを考えるようになたということか?

書記は急に子供になりたかったのか「俺に橇を持て来て」(140ページ)橇に乗ったが、岩にぶつかって死んでしまうが、「両手を開いた書記が横になって’微笑んで’」(141ページ)子供の状態に帰って死んたことと書かれているのを見ると、大人になるということは不幸の始りを言っているのではないだろうか。

この ’子供ではない’という部分は作者が急に、余りにも’僕’に介入してしまって、必要以上の話しを必要以上に(2ページに渡って)言わせた感じもする。
「’僕’は 事件の後に僕もよく分からない感じで、子供の遊びを眺めるだけで、直ぐ更に平常心に帰って「弟を探しに行く」(最後の行)と描くのが作品の完成度の側面から、より自然な処理ではないだろうかとも思われる。しかし、私は評論家ではないのでそれはどうでもいい。

テキストは <死者の奢り,飼育>新潮社 文庫
20001002 master
2000/10/2, 張景子
拝啓
はじめて貴倶楽部のホームページを拝見いたしました。一つの歴史資料として、今回大江健三郎氏の中国訪問をいち早く報道した在日中国人情報誌--日本僑報電子週刊をご案内いたします。
4月19日に発行された同誌の目録を送りいたしますが、詳しくは下記ホームページをご覧下さい。http://jazz.tegami.com/backnumber/frame.cgi?id=0000005117
5月号の日本僑報は大江氏の取材記事と写真の頁、合わせてまる2頁を掲載されたこともお知らせいたします。
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            日本僑報電子版(週刊)No:73
 ID0000005117 発行日:2000/04/19(水曜日発行)編集長:段躍中
     問い合わせや情報提供の受付は duan@muj.biglobe.ne.jp
        講読無料・バックナンバー閲覧(第29号〜):
 http://bigbeat.tegami.com/~mgsearch/frame.cgi?id=0000005117

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◆目 録◆
 ● 独家報道★ノーベル文学賞受賞者大江健三郎が9月に中国訪問
 ● 受賞動態★日籍華人東強在東京獲大奨
 ● 団体動態★美国華人社会最新動態報告会通知(中文版・講師増加)
 ● 団体動態★埼玉華僑交流会4月15日に開催
 ● 人物動態★朱建栄TBSテレビで舌戦旅日台独人士
 ● 人物動態★中華日本学会副会長賈萱教授が来日研究
 ● 人物動態★中国華東師範大学教授陳永明徐敏民来日
 ● 人物動態★王曙光 拓殖大学国際開発学部教授に
 ● 人物動態★黄世明獲創価大学名誉博士称号
 ● 新刊動態★羅紅光『黒龍潭』出版
 ● 媒体動態★人民日報新しいホームページスタート

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2000/10/1, 大森一樹
 往時、学生生協で立ち読みの時の文体が、そぎ落とされたように清明でスッと自己同化したのをきっかけに、新潮社「大江健三郎全作品」(6巻)を読み切っては購入し半年ぐらいで読了しましたか。それからは、新刊が刊行されると即読み上げました。学友たちの間にも私の大江好きは有名で、影響を与え「洪水はわが魂に及び」が出たときには、まわりも一斉に読んでいました。「洪水」は学生時代にもっとも感動した一冊です。
 岩波書店刊「治療塔惑星」までリアル・タイムでないにしろ、漏らさず楽しみで読んできましたが、社会人としての雑事に追われ、また重なっている書籍の量も減らずで、しばらく大江氏には無沙汰をしてしまいました。最近ちょっとした切っ掛けで、「宙返り」を読み出し1ヶ月ほどでようやく読了したところです。
 さて「宙返り」は大江健三郎氏の作品の中でも難解に感じました。書いてあることは理解できるし、ストーリーは明快ですが、作家の伝えたい本当の所がどこまで解ったか… 宗教・信仰という魂の所をテーマにされていて、しかもノーベル賞受賞後小説は休止・スピノザなどを好きなだけ読むと言われた後の作品です。われわれの踏み込んでいない知というか積み重なった教養というかが、意識的にも・無意識的にも作品のベースに存在するような雰囲気があって、ある種の「神学的な」難解さをカンジました。しかし、旧約聖書のヨナの物語を手懸かりにしていくと大江氏の主題が浮かび上がるようで、あらためて導入部のダンサー(子供時代の)の舞台上のタタラ固まり状態から、最後の一文「教会という言葉は、私らの定義で、魂の事をする場所のことです。」に持っていく氏の小説の構成力には舌を巻く凄さを(したたかさもあり)認識させられました。西欧の教会建築や交響曲の終楽章の天上的な解放にも似たような。
 魂の永遠性についての認識は、この頃私自身も考え始めており現状では、人々の心(想い)の連続性というところにいます。そうなると魂の共有としての「教会」になりますね。しかし教会は組織の自己防衛・自己増殖に傾く場合も多く問題化する芽も内包し続けている。人間は一人で生まれてきて一人でなくなっていくわけですが、一人では生きていけない。難しいですね、しかし、魂の事をみんなでする事が人間の救いではあると思います。大江氏の「宙返り」は今この時代のテーマであると同時に、私自身の年齢的な関心の方向性にも強く示唆的でした。
2000/9/28, いとうくにお
王さん、情報ありがとうございます。先日、メーリングリストのメンバーで集まって、大江さんの家の近くにある中華レストランで北京ダックを食べたのですが、大江さんは北京では何を食べたのかなー。
2000/9/28, 王志庚
大江さんは北京にきています。
私は昨日大江の講演を聞きに行きした。
とても情熱の溢れたお話で感動しました。
中国語の参考サイトは以下です、皆さんご覧になってください。

http://www.chineseall.com/qihua/dajiang/index.htm

2000/9/21, しのぶ
再びきてしまいました。『万延元年のフットボール』について。yoshiumiさんの感じ方に僕は基本的に似た感触を持ちました。ただ、厳密にいうと、蜜が能動的に鷹の行動を認識しているのではなくて、あくまで受動的なものとしてそうしている、と僕は感じたのですが。(だからこそ、読者に能動性が望まれている。)ところで、皆さんに質問があります。僕は現在28歳で、安保闘争だとか大学紛争というのを経験していない。そうしたことを経験した側から何かご教示してもらえないか、僕はそれを尋ねたい。幾人かの作家や批評家の名前だけでそうした人物がいるのではないかという勝手な想像に基づくものであるけど。僕は、文章を読めば解ることだけど、頭悪いので何とか平易に説明してください。
町田さんか...。僕は文藝春秋に掲載された宮本輝の感想と同じ読後感をもちました。
皆さんすごいなぁ。本当によく本を読まれる方ばかりだ。それではまた。いとうさん、僕のエールが届けば嬉しい。
2000/9/9, yoshiumi 
 こんにちは。『万延元年のフットボール』について、皆さんの意見、大変参考になりました。下手な質問で、すいません。凄くありがたいです。
  僕は頭が余りよくないから、ちょっといい方が下手ですね。 率直にいっちゃうと、僕、この作品読んでから色々調べてみたんですけど、この作品誉めている人はいても、けなしている人っていないんですね。何故かなあ、と。
  僕も関さんと一緒で、これ最初に読んだとき、正直いって、よくわからなかったです。難しかった。ただ時間を置いて、何度か読み返していくと、何だかそこに書かれてある読みにくさが、読み手を撹乱≠オているような気がしてきたんです。
  関さんがおっしゃるように、大江さんの文章は能動的 な態度を要求するもので、生々しい情景を強く喚起するものがありますね。でも、この作品に限っては、どうかな、と。
  この作品は見かけほど、決して難しい話じゃないですよね。 何かの言葉で片付けてしまうことのできない地獄≠所有 してしまった人間が、過去の史実によってそれを説明づけた い、という逼迫した衝動に駆られている、その複雑な暴力性≠フ表出と葛藤≠描いている。
  この小説では、再び明治の頃に時代が戻ったかのような、 新たな小説の誕生≠ェ告げられていますね。KIHARA さんがいわれる、ゴシック建築だと思ったら、サラダ・ファ ミリアだった≠チて、ちょっと面白いですね。的確のような 気がする。
 えーと、うまくへべれけさんの質問に答えられるかどうかわからないんですけど、大江さんの文章を批判される方は、そこに現れる観念の肥大さ≠批判しているんだと思うんですけど―「飼育」でさえ、このわけのわからん文章は、っていわれてたみたいですから―でも、何故かこの作品に限っては批判している文章って、ないんです。評論家の方の文章とか読むと、『万延』が皆いちばん点数が高いんですね。大 西巨人さんくらいだったかな、『芽毟り 仔撃ち』のほうがいいっていってたのは。 『万延』は、認識の小説だと思うんです。兄の蜜三郎が、弟鷹四の不可解な行動を、常に認識していくっていうような。
  ただ僕個人の感想としては、この作品で、小説がもし認識の代行のような役割を担うものとしてあるなら、これはその限界を示したような気がして、仕方なかった。面白いけれど も―ホント、面白いですけど―同時に、でもちょっとショックだった。小説っていうものが、終っちゃった、みたいな。
 それで、大江さんの読者の方々って、どう思ってらっしゃ るのかなあって、これはいい機会だから、ちょっと聞いてみ たい、って思ったんですけど、そんな風にも思う人って、で も、誰もいないみたいですね。皆さんの意見を参考にして、 またもう少し時間を置いて、読んでみることにします。
 僕は紛れもなく大江文学のファンです。でも何故か、皆さ んがいうほど、この作品が好きになれない。ちょっと悔しい 気もします。でも、こんな意見に惑わされないように、未読 の方は是非読んでみてください。傑作ですから。
2000/9/9, いとうくにお
木原さん、しのぶさん、ようこそいらっしゃいました。このサイトが大江文学に改めて向かい合うきっかけになったのでしたら僕としてもすごく嬉しいです。
関さん、こんにちは。大江文学に出会うまで、いろいろと曲折があったのですね。僕もそんな感じでした。何度かトライして、はじき返されて、、、どういう状況でどの本を読んだかによって、スムーズに入っていけるかどうか、また、その作品にどういう印象をもつかが、ずいぶん違うのだと思います。僕がはじめて大江さんの作品をちゃんと読んだのは、『個人的な体験』でしたが、僕自身がバードのように「若い父親」(それほど若くはなかったのですが)だったのと、不安定な立場だったのとが影響してか、すごく作品世界にフィットできたような気がします。
2000/9/9, しのぶ
初めての伝言。オーケンについてこのようなサイトがあることにまず驚きを覚え、多少の疑心も持ち合わせつつ、このようにして僕は伝言を残そうとしている。僕はまず、「懐かしい年への手紙」を読んだ。僕が読書をはじめたのは皆さんと違って二十代になってからということもあり、その作品がノーベル賞作家のものと知ったのもつい二、三年前というほどに文学にはまったくの無知であったという理由も加わって、しかしそうしたことは、たいていの場合僕にとってよい方向へ働いた。「懐かしい年への手紙」は僕に大きな影響を与えた。それはとてつもない喚起力をもち、僕は人生の方向付けをその本によって為されたということができる。「万延元年のフットボール」も読んだ、が僕にとってもっとも大きな作品をいとうくにおさんにならってふたつあげるなら、それらは「同時代ゲーム」と「懐かしい年への手紙」ということになる。ただ好きな作品がどうあれ、オーケンの作品を通じて僕が勝ち得たもの、それは「慰め」ではなく「励まし」というものだ。独りの人間が結局は否応のない理不尽とも言える仕方で自らの道を決定せざるを得ないということ。僕はたとえば「懐かしい年への手紙」に出てくる登場人物たちそれぞれにそうした強いメッセージを見出しつつ、しかしそれをネガティブなものでないユマニスムと結びつけて吸収するように作品を読んだから。
このようなサイトがあることに、繰り返しになるが、驚きを覚えながら、同時に伊藤さんにエールを送りたい。僕は今オーケンから少しはなれている、つまりは彼の作品を読んでいないのだけれども、先に述べたような事情からオーケン(といううより彼の作品、あるいは文体)は僕と文学作品とのミディウムとして定着しているので、再び帰っていく場所であり、常に意識せざるをえないものでもあるが、それを明確に再認識するには、何かきっかけというようなものが必要なときがある。僕は伊藤さんから、今まさに、そうしたきっかけを与えられたのだ。「燃え上がる緑の木」を読み返そうという決意を述べて、この拙文を終える。それではまた。
2000/9/9, へべれけ
こんちは。半年ぶりです。会社って忙しいんだなあって、入ってはじめて知りました。学生時代が懐かしい。
いや、まあそれはいいんですけどね。あの、YOSHIUMIさんの投稿についてです。まず、シンボリカルとアレゴリカル。書かれている内容は理解できたんですが、それが「万延元年のフットボール」にあてはまるかどうかが、良く分からなかったです。そう言われればそういうような気もするし・・・・、ってとこ。それから認識の問題ですが、「作家自身も認識していないこと」を書いた方が面白い、つうことでしょうか?書いてる本人もなんかわからんけど、とにかく凄いんだ、みたいな。で、作者自身が何書いてるか分からんから、読む方も勝手に想像できる、と、そういうことですか?作者の意図や情報が正確に普遍的に伝達することができるのが、近代的な枠組みになるんでしょうか?
なんか、疑問符だらけの投稿ですね。半年ぶりだというのに。文学部卒のくせに専門的なトレーニングをうけていないので、良く分からないんですよ。で、そういう話しは結構好きなので、ちょっと聞いてみました。ちなみにぼくは「万延〜」は一雨来そうな雰囲気が持続しているへんが気に入っているんですけどね。あと、民俗学好きだし。
あ、関良男さん。「万延〜」の会話って、ぼくすごく好きなんですよ。「大蒜入りちまき」のあたりで、相槌を打つとき「確かに!確かに!」っていうのがあって、それの実生活での使われなさ加減が、なんていうか、奇妙に良いのです。
2000/9/7, 関良男
 「万延元年のフットボール」を初めて買ったのは、講談社文庫が発刊された年でした。理由は、シンボルのドボニマークがとても新鮮に思った事と、「新聞書評」に「大江健三郎の”万延元年のフットボール”、司馬遼太郎”歳月”、松本清張”草の陰刻”、丹羽文雄”一路”」はおそらく今後も他の文庫では読めないだろうと言う一文でした。僕が中学2年生か、それとも3年生の時でした。(ちなみにこれらの作品は、やはり他の文庫にはまだ入っていません。書評の推定は当たっていました!)
ところが「歳月」「一路」「草の陰刻」の3冊は読み終えたのでしたが、大江のこの小説だけは”まったく意味不明”で、筋を追って行けないのです。それは、けっして日本語が解らないために”解らない”のではなくて、導入部分からしてそれまでに読んでいた小説とはまったく違っていたために、先がまったく見えなかったからです。どうして「尻の穴にキュウリを突っ込んで穴の中で自殺する場面」が最初に出てこなければならないのか」とか、子供も老人も全ての登場人物が例外なしに哲学的に会話をしているとか・・・・
 しかし、それでも僕は「死者にみちびかれて」「本当の事を言おうか」と言った小節のタイトルに魅力を感じ、何回も何回もページを開いては断念し、2,3年が経過したかと思います。要するに読めなかったのでした。この間、気分転換を兼ねて、僕は同じ文庫を2,3回買い直したように思います。しかし、結局は読破できませんでした。
 転機があったのは、高校3年になって、ある演劇好きの一人の同級生が新潮社版「安部公房全作品」を読んでいるのを知ったからです。  〜この間脈絡は不明なのですが〜  早速僕は親に参考書を買うからという理由でお金を貰い新潮社版「大江健三郎全作品」を買ってしまったのです。勿論、この「第T期」には、「個人的な体験」までで、「フットボール」はその後の「U期」にならないと入ってこないのですが、「月報」に大岡昇平だったか平野謙だったかの書評があって「万延元年のフットボール」をべたほめなのです。僕はなぜか非常に興奮して「よし今度こそは読んでやろう」を思い、またまた親を騙し、今度はハードカバーの「フットボール」を買い求め、挑戦したのでした。
そしてとうとう読めました。

 大江文学の魅力は、一言で言えば、「極めてアクチャルで、鮮烈なイメージ」と言う事ではないでしょうか。特に「フットボール」「洪水は我が魂に及び」の2作品はこの特徴が良く出ているように思います。(但し、後者は現在あまり高い評価が成されていないようですが、僕は彼の作品の中では一番好きです)「悪文の典型」だと言う人がいるくらいに確かに読みにくいですが、それだけ傾注して読まなければならないために非常に良く情景が見えます。「万延元年のフットボール」に関して言えば、既に読んで20年近くたっているのにも関わらず、今でも鮮烈なのは、前述した「キュウリを尻に入れて自殺した友人」「四国の目的地に着く直前に森の中で飲む目的で手ですくった水」「弟鷹四が蜜三郎の妻と寝た事を告白する」場面等々です。
 実は川端康成の「雪国」を読んだ時にも感じたのですが、僕には大江の作品を寝ころんだり、飛ばしたりすると直ちに意味不明になってくるために緊張し、しかも”能動的に”読もうとしなければ読み続ける事ができません。(大江のエッセーに「受け身は良くない」と言うのがあって、このエッセーを読んだ時に、大江は自分の小説を敢えて読みにくくする事によってイメージ増幅の効果をあげているのではないかとさえ思ったことがあります。)ここが大江文学の特徴の一つだと思います。大江文学は、読み手に緊張を与える文学だと言えます。
 一応かなり長くなったので、この辺でやめておきます。
2000/9/6, KIHARA,Takeshi
昨夜初めてこのサイトを発見しました。はじめまして。いとうさんに、まさに「みちびかれて」、『万延元年』を書棚から引っぱり出しまし初めて読んだ頃を思い出しました。読み手として『万延元年』の面白さは陶然となって異空間に投げ出されるような圧倒的な読後感に尽きるんではないでしょうか。うまい例えが浮かびませんが、ゆがんだ構造物の奇妙なズレを直しながら進んでゆく、ひょっとするとこれはゴシック建築みたいなものかな、などと思っていると目の前に現れたのは、サグラダ・ファミリアみたいな、私たちが学習したこれまでの体系からは予想もつかない建物だった。しかしそれにはデジャヴのような原初の風景がついてまわっている。興奮でいつの間にか夜が明けていた30年近くまえのある日を覚えています。
2000/9/5, いとうくにお
yoshiumiさん、こんばんは。『万延』のどこが面白いかですが、僕はうまく言い表わせないなあ。ただ読んでいて(おおおお)と声にならない感嘆を覚えましたよ。
エマさん、はじめまして。いい先生に出会われたようですね。エマさんの好きな作品はどれですか?
2000/9/5, エマ
今日はじめてここに来ました!
ほんと〜に良い所ですね。
あんまり嬉しかったのでカキコしてます。
私が大江さんに初めて触れたのは、
高校3年の時でした。
その時に好きだった、文学オタクの先生に影響されたのが
キッカケでした。
それからというもの、大江さんの作品には感動、感激!
の連発!(笑)
そして、しかもこのホームページ!!
また大江さんが大好きになりました!
また度々来るので宜しく!(笑)
2000/9/5, yoshiumi 
 こんにちは。2度目です。
 えーとですね、前にも書いたんですけど、『万延元年のフ ットボール』って、何処がそんなに面白いんですか。誰か教 えてくれないでしょうか。皆、面白いって、いうんですよね。 何か、自分だけ頭悪いような気がしてきて、不安です。(笑)
 
  僕が気になっているポイントは、大江文学にある認識 の問題です。
  個人的に解釈するに、大江文学っていうのは、一貫してモラトリアムの小説だと思います。彼の小説は、認識するものしか、認識しないんですね。ただ自分の頭の中で解釈できる範囲は、徹底している、そこは確かに凄いんだけれども、どうも僕には、大江が認識できないものが、気になります。 『個人的な体験』もそうだけれども、あらゆる可能性を徹底して考え、地獄巡りをしていく過程は、凄まじいですけど、障害児である我が子を引き受けていく、というのが、やはり認識によって落とし前がつけられていて、いささか小説的には突飛な印象を与えます。
  例えば、子供の問題であるのに、もう片方の親、つまり母親の心理が書かれていないんですね。『万延』でも、最初は凄く面白いのに、結末、自堕落的な告白的な場面に落ちついていってしまうのが、ちょっと納得いかないんです。
 
 柄谷行人氏が、『終焉をめぐって』で、大江論を書いてますよね。そこで『万延』を、アレゴリカルな小説だとして論じているんですけど、これ、面白いんだけど、基本的に間違 っているんじゃないかって思えて仕方ないです。大江は一貫 して、シンボリックに小説を書いてきた人で、つまり近代小説の枠組みの中で言葉を綴ってきた人で、アレゴリカル(神話的空間)を捏造しながら、そのシンボリックの枠組みを突き破れずに、シンボリックの可能性ではなく、限界性を見極めてしまったのが『万延』だ、という気がするんですけど。 これ、どう思われます?
  そこが大江が、三島よりは優れているけれど、大岡昇平や小島信夫なんかの、大江以前の戦後派の作家に敵わない、その部分なのじゃないかな。
 
  他の作家についても、ちょっと書きます。
  町田康は昔の作家、近松秋江とか、石川淳とか、余りに似すぎていて、ちょっとどうかなって、印象です。いわゆるコ ピー作家ですね。ただ芥川賞の選考委員の意見聞いてると、ちょっとないんじゃないかっていう風にも思います。一部で過大評価され過ぎていて、一部では理解されていない、そん な作家のような気がします。
  保坂和志は、町田康同様、一般に誤解されていると思います。保坂氏を今正当に評価しているのは、多分福田和也氏だけです。80年代に村上春樹を酷評していた批評家が、保坂和志を誉めだしたんですよね。皆小説や文学のことではなく、自分≠フことしか考えていないんです。  辻仁成は、出た頃、凄いバカにされていたけど、随分成長 したんじゃないでしょうか(余計なお世話か)。でも、今彼が脚本を書いて、TVでやっているドラマ、主題歌もかなり ヒットしてますけど、ちょっとこれはないんじゃないでしょ うか。
  菅野美穂の魅力が、今ひとつ発揮されていないのは遺憾です。聴覚障害者を演じた『君の手がささやいている』の菅野美穂は、とても素晴らしかったのにって、関係ないか。
  長々と失礼しました。
2000/9/2, ぶる
町田康、僕は好きですねえ。言語感覚が天才的としか言いよう
がない。とくに、リズムがすごく独特。本人はパンクロッカー
ですが、あの感じはむしろジャズっぽいですね。しかも、何や
ら得体の知れぬ迫力が全篇に漲っている。その力の出し方がど
んどんよくなってきています。僕にとっても、最近出てきた人
の中では一押しですね。ちなみに僕、町田康名義になってから
の本はすべて持っています(しかも全部サインをいただいてい
たりして^^;)。
2000/9/1, なつを
柄谷さんも町田康氏、推しているんですか?タイムリーなことに
自分のHPで町田氏に付いて色々書いてみたのでよければ遊びに来てください。
http://page.freett.com/natuwo/index.html
ここに書くにはちょっと長いような気もするので
辻氏は『白仏』で評価上げました、僕の中で。
『海峡の光』とかは未消化な感じを受けていましたが
保坂和志の最新刊『生きる歓び』は今までのなかで一番好きかも
2000/8/31, いとうくにお
土星さん、こんにちは。いやあ「いちおし」しているわけではないですよ。辻仁成は函館つながりで親近感はありますが、1、2冊読んだくらいで、、、。町田康は、新聞のコラムみたいなのに書いた文章を読んだだけですが、思考の流れをそのまま言葉にしたようなあの調子で小説も書いているのだとしたら、すごいですね。面白いかどうかは別として。
2000/8/31, 土星
お久しぶりです。いとうさん。辻と町田って最近のいちおしなのかな、柄谷氏、石原氏、筒井氏絶賛ですけど、、。大江サンに比べるとキツイなァ・・。あと星野智幸でしたっけ わかんないですねえ最近の文学・・。僕としてはなつをさんいちおしの保坂氏や玄月氏の文学がスキなんですけど、、、、。僕、アタマかたいみたいですね。町田のどこが面白いのかなあ・・・・・・。
2000/8/31, いとうくにお
山崎さん、調べてくださったんですね。ありがとうございます。「遅れてきた青年」の情報、なにかわかりましたらよろしくお願いします。
それにしてもいまは文学とロックは、なかなか相性がよいようですね。辻さんとか町田さんとか、ミュージシャン出身の作家もいますし。山崎さんがやっているロックバンドはどういう曲をやっているのでしょうか。
2000/8/31, 山崎
いとうさん、早速のご回答どうもありがとうございました。『状況へ』、今度図書館に行った時に探してみます。
ロックバンド「遅れてきた青年」のライブについては、web上でライブハウスのスケジュールなどを探してみましたが、見つけられませんでした。
活動歴は10年と言っていましたが、有象無象のバンドが次々と結成されては消えていくアマチュアバンドの世界で、10年も続けていると言うことは、驚異的な持続力だと思います。したがって、そう簡単には消えることはないでしょうから、きっと現在もどこかで活動中のことと思います。気長に探してみますので、見付次第この場所で報告いたします。
ちなみに去年の9月に彼らと一緒に出演したのは、新宿JAMというライブハウスでした。また、ボーカル氏は自費出版で、神戸の酒鬼薔薇事件について本を出しているとのことでした。以上参考まで。
2000/8/27, いとうくにお
 yoshiumiさん、はじめまして。このページのことを誉めてくださってありがとうございます。光さんが大江さんを救ったというご意見に僕も賛成です。いま大江さんの作品を振り返ってみてみれば、大江文学が発展していくのに光さんの存在は不可欠だったといえると思います。
 山崎さん、はじめまして。ロックバンド「遅れてきた青年」ですか! 聞いてみたいなあ。そのバンドのライブ情報などご存知でしたら、教えていただけないでしょうか。ご質問の件ですが、破壊者ウルトラマンの話のほうは、たまたまメーリングリストのほうで先日話題になってました。『状況へ』(岩波書店,1974)という本に収録されているそうですよ。オンライン書店のbk1で検索したらヒットしましたので、購入も可能なのではないでしょうか。
2000/8/27, 山崎
はじめまして。
偶然このページを見つけて、なぜもっと早く探さなかったのだろうかと思うくらい、夢中になって拝見しました。
わたしは大江健三郎の小説を読み始めてまだ1年足らずの駆け出し読者です。以前から関心はあったものの、難解で読むのに骨が折れるんじゃないかなと言うような先入観があって、長年手をつけかねていました。それがひょんなことから、「万延元年のフットボール」を手にすることになり、読み終わって、回復不可能なくらいの衝撃を被ったのでした。
以来、大江健三郎作品を初期の頃から年代順に追い続けております。はじめは単行本を買ったり図書館で借りたりしながら読んでいましたが、効率的に洩れなく読んでいくには全集だと思い、今では図書館で全集を借りて読んでいます。今ようやく「万延元年のフットボール」の年代を追い越したところです。
ところで、わたしはアマチュアロックバンドをやっておりますが、去年の9月に新宿でライブをした時に「遅れてきた青年」というグループ名のバンドが対バンで出演しました。その頃わたしはまだ大江作品にはまる前で、恥ずかしい話グループ名が大江作品のタイトルと同じであることすら知らなかったのですが、叩き出される音のオリジナリティーと、力強い演奏に圧倒されてしまいました。大江読者の先輩になる我がメンバーによると、歌われる歌詞にも「キルプの軍団」などの大江キーワードがところどころにちりばめられていたそうです。もちろんそんな予備知識がなくとも、独特な言葉世界を持つ歌詞は、十分説得力がありました。
さて、初めての書込みでありながら、厚かましさを承知の上で、皆様にご教示願いたいことがあります。ひとつは、かつて大江健三郎氏が筒井康隆氏の断筆宣言に際して、批判的な見解を述べたそうですが、その文章は現在読むことが出来るのかということ、もうひとつは、大江氏がウルトラマン(初代の)を批判して、もう30年以上も前に書かれたエッセイ、「破壊者ウルトラマン」は、やはり、現在読むことが出来るのかということです。どちらも、ワンサイドからの反批判若しくは感想しか知らないので、どうしても「原本」に当たってみたいのです。もし知っている方がいらっしゃいましたら、教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。
2000/8/27, yoshiumi
 はじめまして。今まで一方的な読者の立場だったんですけど、思いきって自分でも書き込みすることにしてみました。
 このページは本当に素敵ですね。大江健三郎の小説に対する愛が皆さんの言葉に溢れていて、ホームページって、結構変なものが多いのだけれど、ここに来ると、何だか変に安心してしまいます。
 僕の大江初体験は、18歳のときの『死者の奢り・飼育』です。それから文庫になっている作品はほとんど読みましたけれど、今でもこれがベスト1です。ただ『万延元年のフットボール』は、よくわからないです。巷では、これが大江の最高傑作だという意見を訊くのですけれど、僕はそれほど感心しないんです。確かに力のある作品だと思うんですけれど、ここに現れているのは、小説の限界、だと思えて仕方ないです。これを読んだとき、ああ、もう小説はダメか、と思いました。
 けれども80年代の大江作品は、素晴らしいです。やっぱり光さんが、大江健三郎というひとりの人間を救ったのではないのでしょうか。
 僕の中では、大江健三郎とは、初恋の文学なんです。最初に小説というものを読んで、ショックを受けたのが、大江健三郎でした。でも、何で、大江さんの小説っていうのは、傑作でも、失敗作でも、人を惹きつけて止まないんでしょうね? 不思議な文学です。
 また、寄らせてもらいます。
2000/8/24, 野田
前衛党と全学連の対立ですか・・。思いもよらなかった。共産党の幹部が島にやってきてエリート風ふかして嫌われるシーンは、面白かったけど・・・。キルプの冒険でも学生運動みたいな人が出てくるけど、魅力的だけど、私にとっては現実感がない。虚構として楽しんでます。
2000/8/20, 泳ぐ男
 『青年の汚名』というのは、確か舞台が礼文島でしたね。アイヌの青年が長老支配と闘う物語だったと記憶します。初めて読んだときは、前衛党と全学連との対立を描いたものだと思ったものでした。
 大江には珍しい舞台設定ですし、なかなか波乱万丈でスケールの大きい佳作だと感じています。
2000/8/20, 性的人間J
はじめまして。読者歴4年くらいの22歳大学生男子です。
大江さんは笑えますよね。「同時代ゲーム」の「バハッ」っていうところとか
大好きです。今は「遅れてきた青年」を読んでいます。
大江さんがいうところの「新しい人」になるべく、これからも彼の作品を読んでいきたいです。
2000/8/19, 関場
 今年の一月から『日本文学の革命』というホームページを立ち上げました。これはその名の通り現在の日本文学の現状に革命を起こそうとする文学運動です。
第一弾として『夏目漱石の継承』という評論作品を掲載しています。これは本にすると一千ページを超えるもので、江藤淳の漱石論を超える画期的なものになると自負しています。その他にも、戦後不当に蔑視されてきた私小説を復権させるための論文『戦前のリアリズム文学』や、戦後の文学界を支配してきた「なになに賞」「かにかに賞」といった“賞”の正体を明らかにしてそこから日本文学を解放するための論文『賞取りシステムの弊害』なども掲載してゆくつもりです。また文学作品も掲載してゆきます。
「日本文学の革命」は今なんとしても起こさなければなりません。興味をお持ちの方は是非下記のアドレスまでアクセスしてみてください。

 http://www5a.biglobe.ne.jp/~rjltof/

2000/8/15, 野田振一郎
 テツオ=ナジタ との対話の山片蕃桃(?)の言葉として「日本人すべてに科学教育を」というのがありましたが、日本人は本当に科学的思考を軽視していると思う。自己を客観視できないところなんかそうだ。
2000/8/13, 中村桂子
はじめまして、大学のゼミで影響を与え会った健三郎とドイツのギュンターグラスの作品を比較研究してます。
何か、参考になる作品や、資料がありましたら、教えていただきたいです。
2000/8/12, いとうくにお
関さん、いつも情報ありがとうございます。『青年の汚名』はまだ読んでませんでした。大江さんの本は『日本現代のユマニスト 渡辺一夫を読む』でいま進行が止まってしまっています。
2000/8/11,  関良男
「荒若様」が出てくるのは、「青年の汚名」と言う作品です。彼は理由は不明だが、「自選全集」版には、入れませんでした。前回は、中上健次との対談を記憶違いで間違ってしまったので、今度は初出を確認の上で書いています。
 「青年の汚名」:「文学界」1959年8月号から1960年3月号
今、僕が確認している書籍は、新潮社版「大江健三郎全作品 3」(T期)です。新潮文庫には僕が学生時代にはありましたが、今はあるかどうか・・・・・?
2000/8/11, いとうくにお
野田さん、こんにちは。連続で何通か同様の内容の投稿を野田さんからいただきましたが、一番長い最初の投稿を掲載させてもらいました。この掲示板、上のほうに書いてありますが、手動で更新しているものですから、投稿してもすぐには掲載されません。1、2日ほどかかることがありますので、その点、ご留意のほどを。
さて、理系と文系のお話ですが、両者をつなぐ領域の学問をやりたいというのは素敵な希望ですね。学問ではありませんが、僕の仕事はやはり両方に関係するものです。ただしどちらの知識も中途半端でいつも苦労しているしだいです。
「荒若様」の小説は僕は読んでいないかもしれません。北海道の漁場が出てくる小説を大江さんが書いているのですね?
2000/8/11, 野田
 この前、朝日賞の公演で「理系と文系をつなぐ言葉の創出」ということおっ しゃっていましたが、本当に興味あることです。
  私は公務員で、今は図書館にいやいや勤めていますが、そのような経験を踏まえ て、いつか理系と文系をつなぐ領域の学問をやってみたいと切望しております。 
 小説では名前は忘れましたが、「荒若様」が出てくる北海道の漁場のやつと、同時代ゲームが好きです。(だいたい何でも好きなのですが、特に好きと言う意味です。)
2000/8/8, いとうくにお
泳ぐ男さん、はじめまして。二十年ぶりの大江文学体験はさぞやエキサイティングだったことでしょうね。また気が向いたら、お話しきかせてください。
2000/8/8, 泳ぐ男
 はじめまして。実は去年の引越しの際、「超整理法」を実践しまして、本という本を片っ端から古本屋に売ってしまい、今手元にある大江氏の作品ときたらなぜか売り忘れた『雨の木を聴く女たち』の文庫本一冊のみです。うろ覚えで変なことを述べるかもしれませんが、よろしくお願いいたします。
 『万延元年のフットボール』を感動を持って読み終えて、それで大江文学を「卒業」した気になって二十年。氏のノーベル賞受賞で『宙返り」をしまして、とにかく手に入る全作品を揃えて読了しました。いやはや驚きました。傑作ぞろい! 特に『同時代ゲーム』は、日本にこのような文学があるということ自体が「奇跡」のような気持ちでした。正確な引用はできませんが、冒頭の「四国の村」の紹介の表現の美しさは、「世に棲む」糧の一つになっています。
 今日はこのへんで。
2000/8/6, いとうくにお
関さん、情報ありがとうございます。対談は「新潮」のほうでしたか。「國文学」のほうの小論文も面白そうですね。
2000/8/6, 関良男
中上健次と大江健三郎との対談を探しました。
人の記憶とはいかにいい加減なものかをつくづく感じた次第です。
「文学界」だと思っていたのが実は「新潮」でした。7月7日の「りきまる」さんの
メールにしたがって手持ちの「群像日本の作家 大江健三郎23」の写真で確認しつ
つ調べていったら「新潮」の昭和55年新年特大号の198ページから234ページのかけ
て出ていました。
ついでに探している途中で、別の雑誌に中上健次の大江健三郎に関する小論文が載っ
ていたので、紹介しておきます。大江健三郎の特集を組んでいたので買ったもので
す。
 雑誌名:「國文学」(學燈社発行 昭和58年6月号)P16〜19
 タイトル名:「ジン=イーヨーの変容 大江健三郎ノート」
2000/7/23, いとうくにお
トオルさん、はじめまして。大江作品はタイトルがすごくいいですよね。たとえば「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」なんかもタイトルとして大好きです。また気が向いたら投稿してみてください。
2000/7/23, トオル
はじめまして。いつも、何故か、嬉しい気持で読ませてもらっています。
僕が大江作品を読み始めたのは6年前位です。「夏の読書.......」という催し物で「個人的な体験」が本屋に並んでいました。ひねた性格のボクは、コレ以外を買おう!と思い「見るまえに跳べ」を購入しました。所謂タイトル買いです。
しかし!読んでみたら面白い、なんだこれは.....と。今でも一番好きですねぇ。
そこいらへんの冒険小説以上の興奮がありました。興奮の種類違いますが。
その後は初期作品から貪るように読み進めました。
少しズレるかも知れませんが、大江作品には引用が多いですよね。
すると必然的に僕の読書もスライドしていくわけです。
サルトル読んでみたり、イェーツ読んだり........
オーデン詩集見つけたときは嬉しかったです。小説の世界に近づけたような錯覚。
欲しかった本を見つけたときの嬉しさ、存在を知らなかった本を見つけたときの興奮。
本って良いですよね〜。
僕は「文学」してないんですけど、とても大江健三郎は好きです。
長々とスミマセン。
また、いつか。
2000/7/22, いとうくにお
なつをさん、ご覧になりましたか。僕なりの言葉でいうと、なんとも”切ない”物語ということになります。ディアハンターはマイケル・チミノ監督作品ですが、マーチン・スコセッシ監督とデ・ニーロが組んだタクシードライバーとレイジングブルの2本も、これまたいいんだなあ。ヘビイですが、おすすめです。
2000/7/22, なつを
”ディアハンター”は忘れることができない作品となりました。
なんて書けばいいのかわからないぐらいにただ”辛い”
2000/7/17, いとうくにお
王さん、「未来向けて」の「下」のほうは、翌日だったような記憶があります。いずれにしても、そんなに間は開いていなかったはず。
なつをさん、ディア・ハンター、どうでしたか? 僕にとっては一生忘れられない映画の一つです。
うりこさん、情報ありがとうございます。『大江健三郎文学事典』、古本でも見つけたら買おうかな。
さくら考房さん、はじめまして。ホームページも少しだけですが、拝見しました。『個人的な体験』の書評もありましたね。エンディングについては先日の読書会でも意見の分かれた部分です。また気が向いたらご投稿願います。
2000/7/17, さくら考房
伊藤さん初めまして。
貴殿がテクニカルライターで熱心な大江ファンであること、
面白く思いました。
それは、自分も何となく近い立場にあるからです。
このHPを読ませていただき、自分ももう少し大江世界を掘り下げて
みようかという気になりました。
最近、『個人的体験』を読み返しました。
書評、暇であれば、遊びに来て下さい。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/sakra/sakra.htm
2000/7/17, うりこ
お探しの対談ではないと思いますが、中上さんと大江さん、山口昌男さんに草野妙子さんの座談会「パンソリのコスモロジー」が『海』という雑誌の1981年(昭和56年)12月号にのっていました。韓国のパンソリについての話のようです。あまり深く読んでないのでご参考までに・・・。
高橋源一郎さんとの対談「現代文学への通路」は『新潮』1990年(平成2年)9月号にあるようです。←これはまだ未確認ですが。
どちらも雑誌なので、図書館でバックナンバーを探すか、文献複写を頼むとかしてみるとよいのではないでしょうか。
ちなみに篠原茂さんの『大江健三郎文学事典』(1998年)の大江年譜を使って探しました。これは高いですけど、便利です。
2000/7/14, なつを
お久しぶりです。
話しがずれてしまうのですが、以前紹介していただいた
「ディア・ハンター」がレンタルショップにあったので借りたのです。
観てから報告しようかなと思ったけど他にもカキコミしたくて・・・
中上健次さんって読んだことなのですが何かお勧めありますか?
大江さんとの対談で読んでみたいのは高橋源一郎氏との対談。
どこかで読むことできないでしょうか?
最近は保坂和志がもっと評価されてもいいのにとか思っています。
なつをのHPアドレス載せてあるので遊びに来てくださいな
http://page.freett.com/natuwo/index.html
2000/7/13, 王志庚
2000年3月9日の朝日新聞には「未来向けて」(鄭義氏から大江健三郎氏へ(上))が掲載されました。
私はその続き読みたいのですが、何日に(その下)が掲載されたのですか。
2000/7/9, いとうくにお
王さん、こんにちは。オコフクは『懐かしい年への手紙』にも、かつての一揆の指導者としてその名前が出てくるんですが、それにこめられた意味は僕は知りません。ただ、ふつうの日本人が「オコフク」という名前を聞いて共通して連想するような意味は、ないように思います。あるとしたら、なんとなく、かわいらしさとめでたさが共存したような印象かなあ。どなたかご存知ないでしょうか。
10年以上も前、北京の夏を数日経験しました。確かに暑かったですが、東京や上海よりはだいぶ過ごしやすかった覚えがあります。
2000/7/9, 王 志庚
大江さんの「私という小説家の作り方」(1998年、新潮社)を読んでいる王@暑い北京です。
さて、質問ですが、その第一章の2の部分=ページ13に『オコフク』という人名が出てきました。それを中国語に訳すのに困っています。どうしても、その意味が分からなくて、何か特別な意味をもつ片仮名ではないでしょうか。
2000/7/8, natsu
こんばんは
わたしも、大江×中上対談が読みたくなって、今日、ほかの調べもので行った図書館で、関良男さんの教えてくださった「文学界」S.59前後を調べてみました、が、残念ながら、みつけだせませんでした。もうちょっと昔なのかな。
対談は探し出せなかったけれど、15年近く前の何年か分の「文学界」をぱらぱら捲って、掲載されているいろんな作品や書評やいろんな人の若い!写真など見て、なんだか楽しいひとときでした。大江さんのめがねも四角かった。
中上の路地は大江の四国の森だ、とよく言われるけど、そうなのかなあ....
2000/7/7, 関良男
7月5日付けでメールの件ですが、今日(7月7日)に書庫にある「文学界」の中の「大江・中上」対談を探してみたのですが、残念ながら見つかりませんでした。もう少し、探してみますが、僕の記憶違いかもしれません。但し、対談をおこなったことは事実ですので、他の雑誌も探してみます。出てきたら、報告します。
2000/7/7, いとうくにお
関さん、りきまるさん、情報ありがとうございます。何度か対談している、ということのようですね。
2000/7/7, りきまる
中上健次さんとの対談について、少し情報を。
昭和54年6月21日に新潮社の企画で対談をしたようです。
『群像 日本の作家23 大江健三郎』にその際の
写真の図版が載っていましたので。
半端な情報ですけれど、参考までに。
2000/7/5, 関良男
大江健三郎と中上健次の対談ですが、16〜18年前の「文学界」に掲載されてい
るはずです。おそらく僕は書庫に持っていると思います。
2000/7/3, 土星
ちゃまんさん貴重な情報ありがとうございました。中上と柄谷氏はデビュー前から親交があり、お互い大江サンの影響をうけたと思われます。対談の内容はわかりませんが、酒がなければ紳士な中上なのでハイレベルな文学論が交わされたのでしょう。先月の講演会で耳にしましたけど大江サンもけんかっぱやいとのことなんで少し気になりますけど・・・。
2000/6/30, いとうくにお
りきまるさん、はじめまして。「家内が自立」というのは、たぶん小説の中での話という意味だと思います。しかしサイン会で語った一言であって、大江さんがおおやけに発表したものではありません。文言も正確ではないかもしれません。そういわけで、もしこのことを論文の参考にするおつもりでしたら、それは現時点ではやめておいたほうがいいと思いますよ。
それはともかくとして、よい論文ができるといいですね。
2000/6/30, りきまる
初めて書き込みさせていただきます。学生で大江健三郎さんの作品を
題材に卒業論文を書こうと考えているものです。
質問させていただきたいのですが、ホームページのオフ会レポートの中で
「光と家内と伊丹十三の小説を書くつもりです。家内が僕から自立するのです」
と大江さんがおっしゃっていたと書かれていますが、少し意味を取りかねています。
意味としては「光と家内と伊丹十三に関する小説を書く。(そのように小説中の人物として対象化することによって)家内が僕から自立する」
ということなのでしょうか。違う風にも読めると思いますので。
教えていただきたいです。
長々と書いてしまい申し訳ありませんでしたが、どうぞよろしくお願いします。
2000/6/30, ちゃまん
土星さんへ
時期、掲載誌ともに失念しており、全く役に立たないかと思いますが、一度は対談してますよ。中上氏が大江さんのブッキッシュな面を批判していた頃で、「同時代ゲーム」よりは後でしょうか。冒頭で中上氏が「大江さんの書物への興味は単にブッキッシュなものを超えている」と語っていて、あれっとと思いましたから。また、中上氏が大江さんの印象を「明るいんですね。もっと暗い人かと思っていた。」と意外そうに漏らしていたのを覚えています。中上氏と柄谷行人氏はかなり大江さんんを批判もしてますが、大江さんに対する思い入れの深さも相当なものだと思うのですが。
2000/6/27, いとうくにお
ひろこさん、ぜひ写真は持ってきてくださいね。僕も持っていくつもりですので、自慢しあいましょう。(笑)
2000/6/27, ひろこ
こんばんは。私、前回名前の欄に投稿の見出しを書いてしまいましたね。伊藤さんすみません(笑)。
だいぶ前ですが、マンガ喫茶で暇つぶしをしている時「チャイルド・プラネット」というマンガを見つけました。
これは設定が「芽むしり仔撃ち」に大変良く似ているのですが、
マンガだけあって結構気持ちわるいです。
「芽むしり〜」よりかなりスケールでかいし、結末はまた違いますが、マンガ喫茶で暇をつぶす機会が会ったら読んでみてください。なかなか面白いですよ。
このマンガの作者も大江ファンなのかな、と思いました。
ちえさんの投稿の拝見して思ったのですが、私もサイン会の時は大江さんから話し掛けていただいたし、どうやら大江さんはファンと交流することが好きなようですね。とても素敵なことですね!!
そしてちえさん、うらやましいでしょ!私と健三郎さんのラブラブ密着写真はオフ会で自慢させてもらおうかな(笑)。
2000/6/25, いとうくにお
王さん、こんにちは。『個人的な体験』はA Personal Matterで、『万延元年のフットボール』はThe Silent Cryです。ミニ事典の「は」のところに、いくつか英語訳の書名があげてありますので、よろしければご覧ください。
2000/6/25, 王 志庚
大江様著書の『個人的な体験』と『万延元年のフットボール』の英語書名を教えていただけますか。
2000/6/24, いとうくにお
大江・中上対談ですか。大江さんか何かのインタビューか対談で、中上健次のことに触れていたのは読んだことがありますが、二人の対談については僕は知りません。どなたか、ご存知ないでしょうか?
2000/6/24, 土星
いとうさん中途半端なものを送信してすいませんでした。ちえさん御返事ありがとうございました。安ウィスキィー{ボトル910円}アオッテ送信した記憶もなくて、、、石原慎太郎兄弟ほど酒豪じゃないんですけど・・ご迷惑おかけしました。ちえさんへ「見るまえに跳べ」がベストかなァ・・、跳べもしない青年達の短編集・・「下降生活者」はちょっと違うけど。
みなさんにお聞きしたいんですけど中上健次と大江サンの対談ってあるんですかねえ。中上健次発言集成で大江サンに嫉妬まじりの批判をしてますが、1990年にドイツで日本ブックフェアには二人で参加したらしいですね。大江サンあっての中上、中上あっての中上紀サン・・・・・。
2000/6/24, いとうくにお
MGはイギリスの自動車メーカーのようですよ。ここにMGのウェブサイトがあります。若い人には初期の作品がいいみたいですね。それが書かれたときの作者の年齢と近いから入りやすいということもありそうですね。
2000/6/24, アルベル
こんばんは。
いとうさん、そうですねぇ、私の周りでも大江さんの読者はいますね。特に初期作品が人気のようですね。例えば『飼育』とか『性的人間』ですね。
『芽むしり仔撃ち』は私も好きです。皆さんお好きなようですね。また読んでみようっと。
お聞きしたいことがあるのですが、『個人的な体験』にでてくる車で、MGってなんでしょうか?
2000/6/23, いとうくにお
髭を剃ってしまって、いまはジョリジョリの状態です。ですから、しいていうなら「無精髭の人」ですな。土星さん、お会いする機会はこれからもきっとあると思います。そのときはよろしくどうぞ。
2000/6/23, ちえ
土星さん、それはそれは大変失礼いたしました。
土星さんはメーリングリストには加わっていらっしゃらないのですか?メーリングリストの方では、前もってだいたいどなたが行かれるのか、わかっていたのですが。掲示板でもアピールしておけばよかったですね。
『芽むしり仔撃ち』お好きとのこと、うれしいです。そうですね、平野兼さん、江藤淳さん、絶賛されてますね。『われらの時代』が11位ということは、土星さんの”好きな作品順位”ってどんなかんじでしょう?わたしは順位をつけられるほどは読んでいませんが、とりあえず『芽むしり・・・』は1位ですね。
それから、「ヒゲの人」はとても素敵な方です。もちろん、他のみなさんも素敵な方ばかりですよ。
2000/6/23, 土星
こんばんは。18日みなさん来てたんですね。TACの方だけだと思ってましたよ。「ヒゲの人」に会いたかったです、、、。ちえさん僕視力いいし寒がりなんですよ。「芽むしり 仔撃ち」は文庫本解説の平野謙、故江籐淳が絶賛する作品です、僕の中でもベスト10にはいりますね。「われらの時代」は11位かな、、。みなさんにお聞きしたいんですけど大江サンと中上健次の対談って出版されてんですかねぇ。中上の発言集成三冊持ってんですよ。。ttp。
2000/6/21, いとうくにお
アルベルさん、はじめまして。このサイトを気に入っていただけて嬉しいです。メーリングリストもありますので、もし気が向いたらご参加ください。それにしても最近、若い読者の方が増えているような感じがします。アルベルさんの周りではどうでしょうか? TACの講演会にも若い方がずいぶんいらしてましたしね。−−−「髭の人」より
2000/6/21, アルベル
はじめまして。こんにちは。つい先日インターネットをはじめてこのサイトを見つけ、本当に驚いています、というのも、内容の充実と作っていらっしゃる方(いとうさんのことですか?)の情熱がひしひしと伝わってきて、即座に「お気に入り」に追加しました。
申し遅れましたが、私は大江歴一年くらいの大学生です。特に最近になって私の大江さんに対する熱がでてきて、特に今月は私の中で大江健三郎月間として小説を読んでいます。今は「ピンチランナー調書」を読んでいます。大江作品を読むときには、私の場合、想像力を使って読まないと意味不明ということになりかねないので、想像力を使うんです。疲れたり、時間がかかったりするのですが、それもまた魅力のうちかなとか思っています。
6月18日の講演会は実は私も行ってまいりました。オフ会レポートをみたのですが、そこの写真にうつっている方(いとうさんかな?「髭の人」?)もお見かけしました。
2000/6/21, いとうくにお
あきさん、はじめまして。投稿が少し文字化けしていたので、こちらで直しておきました。もし直し方が違っていたらご指摘願います。大江作品の評論のあるサイトをお探しとのことですが、このサイトのリンクのところはご覧になりましたか。いくつか参考になるものはあると思いますよ。
2000/6/21, あき
アメリカの大学に通っています。大江健三郎さんの”広島ノート”について論文を書くつもりでいるのですが、なかなか評論文とかをみつけるのが困難で困っています。もしいいサイトを知っている方がいらっしゃたら教えて下さい。
2000/6/21, いとうくにお
はなびさん、おひさしぶりです。僕も一人だったら講演だけで帰ってしまったかもしれません。大江さんが水とともに飲み込んでしまった作家って、失楽園の人でしょうか?
2000/6/21, はなび
こんにちは。
私も皆様と同じく、18日の講演会に行きました。
このHPを通じて、講演会のことを知ったので、
情報を下さった土星さんに、
まずお礼を申し上げたいと思います。
有り難うございました。
講演会の内容も興味深かったですが、
皆さん、サイン会、撮影会までいらしたのですねぇ。
私は、なんだか恥ずかしくて、講演会が終わると、
そそくさと帰ってしまいました。
ごった返していたし、TACの方々ばかりだろう、と思ったので。
それに昨年、『宙返り』にサインをしていただいてたし。
でも、皆さんのメールを読んで、ちょっと後悔です。
撮影会+サイン会なんて、なんだかアイドルっぽくていいですね。
今度、モーリス・センダックの本、読んでみよう、と思いながら帰りました。
水をごくりと飲んで、ポルノ小説家(?)の実名を挙げるのを止めてらっしゃいましたが、
また、「あの人」の名前が出るかな?とちょっとドキドキしました。
2000/6/21, いとうくにお
ちえさん、こんばんは。大江さんとのほのぼのとした会話、いいですねえ。
僕もあの日は、駅で話し掛け、撮影のときに写真のホームページ掲載の了解をとり、サイン会ではオックステイルシチューのことを話し、という具合に三回も言葉をかわさせてもらったので、大満足です。
2000/6/21, ちえ
みなさん、こんにちは。
そうでしたか、ここに出入りなさっている方、たくさんいらしたんですね、あのなかに。わたしも、「まだ会ったことのない、わたしの知っている人がいるかも。」ときょろきょろしてみましたが、わかるわけありませんよね、会ったことないんだから。
そうか、ひろこさん、いいなぁ。わたしも”触りたかった”です。でもできませんでした。握手を求めるのも忘れてしまって。残念でした。
それから、いとうさん、ちゃんと覚えてらっしゃるじゃありませんか。よかったですね!何だかわたしもうれしいです。「覚えてらっしゃらないみたい。」と、ちょっと寂し気にいとうさん話してらしたから。
ええと、わたしがサインをいただく時に交わした言葉をご報告しますね。
私「『芽むしり仔撃ち』が一番好きなんです。」
大江さん「そうですか。ありがとう。  ギュンター・グラスという人がいるでしょう?去年ノーベル文学賞を受賞した。彼がね去年会った時に、君の書いた中では『芽むしり仔撃ち』が一番よくできてるね、と言ったんです。僕はそれで腹を立てましてね。他にもよくできているのがあるだろう!と。(笑)でも、僕も好きです。」
私「(初めて大江作品をよんでいる妹をさして)彼女はこれが(『個人的な体験』)はじめてなのですが、」
妹「次は何を読んだらいいでしょう?」
大江さん「『芽むしり仔撃ち』がいいとおもいますよ!(笑)」
と、このような具合でした。
この後握手もしてもらおう、というのがわたしと妹の計画でしたが、二人とも緊張してしまって・・・。
ところで、違ったらごめんなさい、土星さんて、ジーンズに紺のTシャツ、メガネをかけた方ではなかったですか?
2000/6/20, いとうくにお
おお、ぶるさんもいらしてましたか。ベストスイマー賞のときは、吉永さん、橋田さんとともに大江さんが水着で登場するかも…。そんなことはないでしょうね。「さっきいとうさんがいたよ、髭のひと」と大江さんがおっしゃっていたのですか! 覚えてくれているんだなあ、嬉しいなあ。(さっき髭は剃ってしまいましたが)
2000/6/20, ぶる
お久しぶりです。妻と一緒に千駄ヶ谷に行ってきました。
大江さんの話は硬軟織り交ぜて幅が広く、面白かったですね。
いつもその内容と、どこかすっとぼけたような語り口とには
魅了されます。
写真撮影会では、妻と僕で大江さんを挟むような格好で撮っ
ていただきました。・・・実は申し込みの時「写真撮影会」
があると聞いて、僕は「まさか大江さんが水着姿で出てくる
のでは」などとひとりで馬鹿なことを考えていたのですが、
そんなことはありませんでしたね(笑)。
サイン会では、持ち込んだ『同時代ゲーム』『洪水はわが魂
に及び(上巻)』『私という小説家の作り方』にサインを頂
きました。「インターネットのファンクラブにたまに出入り
している者です」とご挨拶すると「さっきいとうさんがいた
よ、髭のひと」などと言われてましたよ。
そんなこんなで、妻とふたりで気分よく帰宅したのでした。
しかし売店が休みで何も飲めなかったのが、ちょっとしん
どかったかな・・・。
2000/6/20, いとうくにお
おやまあ! あれはひろこさんでしたか。ひろこさんは、あの会場で大江さんに一番近づいた人(密着した人?)、ということになりそうですね。
2000/6/20, ひろこ
書き忘れてしまいましたが、講演の最初のほうで、「雨の木」を聴く女たちの中の「泳ぐ男」のモデルとなった方が来ていると話していらっしゃいましたが、あれは玉利君のこと?その方が誰かちょっと気になってしまいました。誰かその人を確認した人いますか?
2000/6/20, ひろこ
伊藤さん、皆さんこんばんは、ひろこです。
私も昨日の講演会に行ってまいりました。多少聞き逃してしまったところがあったので伊藤さんのレポートとてもありがたかったです。
記念撮影の時、思い切って健三郎さんに「手をつないで撮ってもらってもいいですか?」とたずねました。すると「はい、いいですよ。」と私の肩に手を回してくださったのです。図々しくも抱きついて写真を撮ってもらいました。レポートにある、元気のよい若い女性のファンとは私のことです。私は舞い上がってしまったし、会場からは笑い声がするし、もう耳まで真っ赤でした。サインをいただいてる時には緊張しながらも話し掛けると、ちゃんと顔を上げて聞いてくださいました。何とすばらしい!!ちなみに私は読みふるした「ゆるやかな絆」を持っていきました。それと自立した人はラテン語だそうですよ。
2000/6/19, いとうくにお
ああ、土星さんもいかれたのですか。メーリングリストの参加者も大勢参加されたんですよ。僕もです。土星さんの情報のおかげですね。ありがとうございました。ハンコのHPSは、ホモピアソルの略で、自立した人の意味だという説明がありましたね。フランス語でしょうか?
2000/6/19, 土星
18日講演会いってきました。「宙返り」って水泳のクイックターンからなんですね。サイン会では大多数の方は当日販売された「宙返り」片手に大江サンにはなしかけてました。僕は何度も読み返した持込の「万延元年フットボール」。肉体が硬直して無言のなんちゃって文学青年に大江サンは「懐かしい本だねえ。」と、噂のハンコと署名いただきました。僕の「ありがとうございました。」の音波は大江サンに送信できたのかなァ、、。講演内容は「新しい文学のために」、「個人的な体験」なのかなァ。「本当の事を言おうか、安ウィスキィーで今酔っ払ってます。」、、、失礼しました。
2000/6/14, いとうくにお
うりこさん、どういたしまして。何を根拠に堀田善衛だと思ったのか、調べてみました。『小説のたくらみ、知の楽しみ』という大江さんの本に堀田善衛宛ての手紙の形式をとった文章が収録されており、そこにこういう文章があります。「堀田善衛さん 僕はあたなとベナレスへ飛び、かつはアルマアタのヒースの茂る山腹を歩いた思い出を持つ者です」ベナレスといえばインドですよね。『新しい人よ眼ざめよ』のHさんと大江さんはインドへ行ってますので、Hさんは堀田善衛じゃないかと思ったのでしょうね。
2000/6/13, うりこ
いとうさん、回答ありがとうございました!
堀田さんかー!!!即答でびっくりです。ちょっと調べてみますね。すごく助かりました☆ホントに有難うございました!またきまーす☆
2000/6/13, いとうくにお
うりこさん、こんにちは。なんとなく記憶があるのですが、Hさんは堀田善衛ではないでしょうか?
2000/6/13, うりこ
こんにちわ☆ときどき遊びにきているものです。
今日は質問があって書きこみしようと思いたちました!
私は大学で大江の「新しい人よ眼ざめよ」の研究をしていまして、その1話目に出てくる「Hさん」が誰かというのがよくわからなくて悩んでいました。
もしもこの人物ではないか?と思う人がいたら、まちがっててもかまわないので教えていただけませんか?
よろしくお願いします☆
2000/6/10, 海の怪物ゲラッパ
いとうさん、ありがとうございます。何か連作っぽい小説に書かれていたとは思ったのですが、『河馬…』でしたか。今手元にないので探して読みたいと思います。(期待した通りの内容かどうかは多少記憶が定かではないのですが...)
2000/6/9, いとうくにお
ゲラッパさん、こんにちは。いま探して見つけました。「死に先立つ苦痛について」は『河馬に噛まれる』に収められていました。
2000/6/9, 海の怪物ゲラッパ
以前に読んだのですが、「死に先立つ苦痛について」といった内容が書いてあるのは何でしたっけ?ちょっと探してみたのですが見つかりません。御存知の方、教えて下さい。
2000/5/20, いとうくにお
白石さん、詳しいレポート、ありがとうございます。「あなたが死んでもまた生んであげる」というのは、実際に大江さんがお母さんから言われたことなんですねえ。
2000/5/20, 白石
昨日講演会に 行ってきた白石です。
ファンクラブ宛に戴いた招待券ですので、ご報告する義務ありと 必死でメモ取ってきましたが 今回の 「知をめぐって」 の講演は 今までより 相対的にむずかしかったように 私には思えました。話される内容は分かり易く全部お伝えしたいことばかりで、さて要旨を 書き出すとなると その取捨選択に苦しむ状態で 私には 荷が重すぎると思いました。
前回は たなかさんが 誠に 簡潔に要を得て レポートくださったので、ああ今回も たなかさんにお願いできたら、と 恨めしかったです。
毎回 まず会場を笑わせ緊張をほぐされる お母様の エピソード(私が一番期待している) は ベルリンでの 元女性記者 が お母様の大江小石さんにインタビューされたカセットについてでした。
敗戦直後 教師の180度の 転換に 失望された大江少年が 不登校になり 植物図鑑を持って山に入り 大雨にあって 鳳の木の根方で眠り 三っ日目に助け出され 、死の恐怖にあった僕を 大丈夫貴方が死んでもまた私が生んであげると、おっしゃったお母様。もう父は亡くなっていたのだから 変な話ですが、生まれた新しい子供を貴方が考えたように育て貴方と同じことをするように育てるからと、言われ 安心されたそうです。これは 同時代ゲーム、M/T森のふしぎ、 罪の許しの あお草、 他に 天狗のかげま として何回も出てきますがその ネタが割れて面白かったです。
さて本題に入ります。
現代の チャートブック式知識となっている 「知 」 から 情、意、を含み込んだ 知 を望みたい。和魂洋才の 才は 知 で日本の魂を ヨーロッパの 知 で活かしていきたい。才は知識 特にテクノロジーという意味に使われていて、日本人は 知 の応用テクノロジーにだけ 優れているが、世界に向けて 知 の枠組を磨いて行きたい。
今は 魂の代わりに アイディンティテイ という言葉が使われているが、日本人の魂 アイディンティテイを考えるのでなく、自分の(私)を考え 私という自分がどのような identity を持つか、魂を 持つか、自分の魂を磨けば 新しい日本の identity が出来てくる。
また 理科系の知 と 文科系の知 の 融和 に触れ 共感するものが大きかったです。ギリシャ、ルネッサンスの頃は この二つの 知 が 同じところ、に存在して 文化を型どっていた。ミケランジェロ(この名前が思い出されなくて 年をとると名前を度忘れするほら 詩人で彫刻家)…爆笑…デカルト、スピノザなども 理科 文科両方の 知性 があった。この二つがバランスを保って居た時代があった。今はこの両者が 二つに別れ 乖離してしまった。
核兵器を開発する…理科的知 に 対して 人間の悲惨も栄光も描ける文学…核兵器に匹敵する文化的バランスが必要だ.文科的側面と理科的側面が バランスを失って、デコボコになりつつある。このバランスを取り戻すべきだ。二つを結び付けるにはどうすれば、いいか?
渡辺一夫 林達夫 大岡昇平 丸山真男 武満徹 中野重治 …これらの人が 生き方のモデルを示してくれた。これらの人を思い浮かべて行けばいい。簡単に要約するとこんなところでしょうか? どうも私の役不足です。私の他に 行かれた方 是非 私の聞き違いや 足りないところを フォローして下さい。
次に安藤忠雄氏は 受験戦争に備えて知識を詰め込まれて来た、今の学生には物を考え、悩み、苦しむ時間が無い。これでは魂の成長はない。
多田氏は 自発的な力を持っている者が少ない、パラダイムの展開面で育っていない。
それを教育したのは 誰だ?と 河合氏が応酬して 笑い。変わった考えは認められない、東大に入れないのが 現状。知識と行為が一致しない。
アメリカの小学校では 今日一日、人に気づかいをしたか?、公正に生活したか?を毎日反省させるそうです。日本では 無責任な自由が横行し、頭でっかちな秀才を作った。と安藤氏。
多田氏は 遺伝学の見地から、親が身を持って子供を育てているか?
遺伝子は 子供の時にその働きを最大限に引き出さねば、開発されない、幼少時に基礎を育てることと、言われ 親として 耳が痛いご意見でした。私は特に 理科系と文科系の融和ということに 共感を覚えます。
今理科系学部も 最初の二年の教養課程がなくなって 最初から専門教育が 行われていますが こうした 知識偏重の 教育が 人間的教養を 疎外し アンバランスな 人を作っているのではないかと 思っているからです。
2000/5/20, 白石
白石です 武奈彦さん お心の篭もった お返事 有難うございました。
噛んで含めるような という 形容 ピッタリの ご説明(解説といった方がいいかしら?)心から 納得致しました。
そして自分が如何に 表面的に 薄っぺらな 読み方をしていたか 赤面の至りです。花田記者 を 笑うどころでは、ありません
そして なるほど 本というものは このように 深い洞察力と 底に 秘めたものを感じとらなければ いけないと いうことを 教えられました。エセ読者 エセファン の 頭を一撃されたような 衝撃でした。
確か 哄笑とユーモアで 恐怖をも 笑い飛ばそうと いうのが 大江文学のコンセプト ですものね。
おっしゃるように 本多さんを からかうような描写も、オーバーな哄笑を誘われる思惑と 意図 が おありになったのでしょうね。
そうでなかったら 先生ともあろう方が 単に 私情 私恨 で からかわれる 筈がないですものね そこに 思いが 至らなかった 自分の不明を 恥ずかしく思います。
先生が 敢えて モデルが 本多氏と分かるように記述されたのも、或は 本多氏の かつての 批判も 正面から 論争するような 問題ではないという 思惑があっての 本多氏への メッセージ も 含まれていたのかしら? とも 気がつきましたがこれは 考え過ぎでしょうか? 私はすぐ 感化され影響されてしまいます
ので。 批判された 文芸春秋の 問題は そういう本多氏自身、禄を食んでいた 朝日新聞だって 原子力発電の 広告を 一面抜きで 出したりしてるのですから 目クソ 鼻クソを笑うの 類(汚い表現でごめんなさい) だと思いますし、先生は 表面切って 論争される気も ないというメッセージ? も おありになった
のでしょうか?
また 語り手サッチャンが、充分な内面を持たされて居ないため花田記者の 果たしている役割までもが、薄っぺらになってしまっているとの ご指摘 言われてみるとまったく 同感です。
昨今 学校の 授業崩壊が 叫ばれてますが、武奈彦さんの 今回の メールのような 講義、授業が おこなわれれば、学生は 目を輝かせて 聞き入るのではないでしょうか? ということは 先生の 力不足という面もあるのでは? 勿論学生側にも 問題は多いのでしょうが。
2000/5/18, 武奈彦
白石さん、みなさん、こんにちは。武奈彦です。
 僕も気になっていたことなので、勢いこんで長々書いてしまいました。出そうかどうしようか迷ったんですが、やっぱり出すことにします。まあこんな見方もあるということで読み飛ばしてください。
 花田記者の描写が一面的で薄っぺらで、おまけに作者である大江さんの私情が入り込んでいるように見えてしまうのは、いとうさんや白石さんのおっしゃるとおりだと思います。作者である大江さんがどのような「私情」を持っていても構わないと思いますが、そのような「私情」が小説の表側に露出してしまうのはマズイですよね。
 一応ちょっと大江さんの弁護をすると、作者大江さんとしては、「花田記者」の役割は重要だし──「そうした品性の人間なりに役割りを果たしている」とは両義的な台詞であると思います──、本多さんをからかうような描写も、オーバーな・哄笑を誘う表現として受け入れられるのではないか、なんて思惑があったかもしれません。(僕は、どっちかというとそんな風に受けとめていました。)
 でも冷静に見るとやっぱり「私情」が滲み出しているのは否定できませんね。それに、(ある意味では、「私情」云々以上にマズイことだと思うのですが) 花田記者の描写が一面的すぎるために、小説の構成上で「花田記者」の果たしている役割までもが薄っぺらになってしまっているのではないかと思います。
 僕は、これは、大江さんが「燃えあがる緑の木」の語り手をサッチャンにしてしまったため──あるいは、サッチャンが語り手として充分な内面を持たされていないため──であると思っています。「私情」を持っているのは作者大江さんなんだけれども、それが小説に露われてしまうか否かは、その描写を原稿用紙に書き付けている作者の、その時点での思惑だけでは済まないような気がします。このような大長編ではいちど走り出したら停まらないという面もあるし、また、サッチャンの眼にうつるものをサッチャンの言葉で語らせる以上、そしてサッチャンの人格をそのように作ってしまった以上、ああいう立場の人物を描写させるとああいう風になってしまうのは、モウ、ドウニモトメラレナイ!のではなかったかしら、なんて思うのです。
 ちょっと想像していただきたいのですが、「燃えあがる緑の木」の語り手として、「宙返り」の木津のような幅のある・あるいは荻青年のような奥行きのある人物を設定していたら、花田記者の描写は、あんなふうに薄っぺらにはならなかったと思いませんか? 作者が「私情」を挟もうとしても、内面を持つ語り手の存在がそれを許さない、というようなことがありうるのではないでしょうか?
 僕は、この《語り手としてのサッチャンの力不足》が、「燃えあがる緑の木」の唯一不満な点だなあ、と最近になって(とくに「宙返り」を読んでから)思うようになってきました──それは、単に花田記者の描写だけでなく、小説全体の感想に関係しています──。語り手の役割から離れれば、サッチャン自身は充分にアヤシゲで魅力的な人物なんですが、大江さん自身が最後までサッチャンの内面を掴みかねているというか、そんな気がするのです。
2000/5/17, 白石
白石です. 燃えあがる緑の木 の 花田記者についてのご感想が 取り上げられていましたが 日頃この本を読む度に感じていた私の疑問を書かせていただきます。
武奈彦さんのおっしゃる通り 物語の構成上 この 花田記者の 登場は 大事な 役割を果たしていると、思います。それの存在理由を踏まえた上で 敢えて言わせていただきますと、その花田記者が テレビ漫画の 近視のマグーに似ているは、まあいいですが、小説のストーリーと何ら関係のない 、角ばった濃いサングラス…大新聞社の硬派週刊誌…暁新報をめでたく定年まで勤め上げた後、さらに嘱託として残った…といった いかにも 本多勝一氏を連想させる 表現に私はここまで書く必然性があるのかしらと、違和感 と 疑問を感じます。さらにもともと持っていた資質を大新聞の規模で夜郎自大化したジャーナリストはそうした品性の人間なりに役割りを果たしているのです。…この大物ジャーナリストの書いてくる記事には、ここだけの話デスクが苦労すると若い社会部記者は打ち明けた…こうなると 先生の 私恨 さえ感じてしまうのは 私だけでしょうか?
先生の主だった本の あらかたを読みましたが このように悪意さえ感じられるような 登場人物には 他ではお目に掛かっていません。
それだけに奇異に感じてしまいます。
頭のてっぺんから、足の先まで 大好きで敬愛している先生だけに この点だけ は 唯一の弱点、しみのようで 残念に思っています。
できれば これが私の 偏見 錯覚であることを 説得してくださる ご意見お待ちしています。
2000/5/16, ノンノン
いとうくにおさん、こんばんわ。
先日、ここの書き込み(土星さんの)を読んで、早速TACに行って、6/18のチケットを購入しました!
私は大江さんの講演はもちろんのこと、御本人に会うのもはじめてなので、とっても嬉しいです!!
夫と楽しみにしています。
6月は講演づいていて、6/4は鶴見俊輔さんと赤瀬川原平さんの対談会に行ってきます。鶴見さんは大江さんとも親しくて、大江さんに「本拠地」という言葉を送った哲学屋さんです。(今では大江さんの小説にたくさん「本拠地」という言葉がでてきますよね。)
それでは、また。
2000/5/16, いとうくにお
メルトダウンさん、はじめまして。『芽むしり仔撃ち』や『個人的な体験』あたり、読まれてはいかがでしょうか。引用の森にある文章で心惹かれるものがあれば、それを読んでみる、というのもいいかもしれませんよ。そんなふうにあれが役立つことがあれば、嬉しいのですが。
鰐子さん、こんにちは。『懐かしい年への手紙』は僕も大好きな作品です。ぜひ『燃えあがる緑の木』三部作とセットで読みたい本ですね。
2000/5/16, 鰐子
お久しぶりです。
”懐かしい年への手紙”を昨日読み終わりました。
”燃え上がる緑の木”の前編にあたる物語でした。それなのに今まで
この作品を読まずにいたなんて、恐ろしいことです。
”燃え上がる緑の木”は断筆宣言直前の作ということもあって
か、大江健三郎自身の手で大江健三郎論文を書く、というような固さが
あって、私には少し読みにくかったのですが、懐かしい年への手紙
にはそれはありませんでした。
もう少し書かせていただくと、断筆宣言後に発表した”宙返り”は
大江健三郎作品に、若々しさ、初々しさ、潔さ、が復活しているように思います。
そういう意味でも、大江健三郎作品は本当におもしろい、と感じます。
2000/5/15, メルトダウン
 みなさんはじめまして。大江氏の「見る前に跳べ」を読んで、投稿するものです。大江氏の作品はまだそんなに読んではいないのですが、面白い作品があったら、紹介お願いします。
2000/5/13, いとうくにお
武奈彦さん、こんにちは。おっしゃるとおりかもしれませんね。実証的なご意見、すごく説得力があります。「プロジェクト Oの記念日」のデータがここでも役に立っているわけですね。
2000/5/12, 武奈彦
こんにちは。
「暁新報の花田記者」の件ですが、あれはおちょくっていたんでしょうかねえ……。まあ、確かにただの邪魔者として描かれているようにも見えるんですが、物語の進行上は、終わりの方で花田記者にかなり決定的な役割が与えられていたんじゃありませんでしたか? そんなあたりに大江さんから本多さんへの暗黙のメッセージがこめられているようにも思ったんですが。
ところで、本多さんの大江さん「批判」の最大のポイントは、大江さんが、文芸春秋から本を出すことにあったと思うので、ちょっと、大江著文芸春秋(含 新社)発行の単行本リストをつくってみました。
  死者の奢り    1958年 3月10日(23歳) 文芸春秋新社
  青年の汚名    1960年 6月30日(25歳) 文芸春秋新社
  日常生活の冒険  1964年 4月21日(29歳) 文芸春秋新社
□ 厳粛な綱渡り   1965年 3月 1日(30歳) 文芸春秋新社
□ 持続する志    1968年10月30日(33歳) 文芸春秋
□ 鯨の死滅する日  1972年 2月10日(37歳) 文芸春秋
  いかに木を殺すか 1984年12月20日(49歳) 文芸春秋
  河馬に噛まれる  1985年12月15日(50歳) 文芸春秋
20代で小説3作を出したあとは、例の硬派エッセイ集3作を30代に出版しています。その後12年の空白を経て、「いかに木を殺すか」と「河馬に噛まれる」の2作が続けて発行されていますね。その後はありません。
初期の3作はともかく、エッセイ集3作、連作集2作の選び方には、なんか意図が感じられますねえ。大江さんは本多さんの「批判」にまともに答えていないことになっていますが、こうやって見ると、大江さんも本多「批判」の内容を相当に意識しているし、それなりの仕方で、きちんと筋を通しているように見えると思いますが、いかがでしょうか。
2000/5/11, いとうくにお
なつをさん、かわいいホームページですね。ディア・ハンターは名作ですから、機会があったらご覧になってみてください。
2000/5/10, なつを
お久しぶりです。
近所に「ディアハンター」置いてなかったのです、残念。
デニ―ロのコーナーにあるのかなぁ
ささやかながらHP作りましたのでアドレスを紹介します。
http://page.freett.com/natuwo/index.html
遊びに来てください。
2000/5/10, いとうくにお
ぺネロープさん、そういうことでしたか。それは、なんとなくわかる気がする。簡単に言ってしまえば、いさぎよくないということでしょう? 本多勝一氏がモデルと思われる人物を登場させておちょくるというのも、ちょっとオトナゲナイ感じがしないでもないですね。なんて話を大江さんが聞いたら、気分を害されるかなあ。それでも、そんなことをマイナスしたぐらいでは全然微動だにしないものを大江さんは創り出しつづけてきたと僕は思っています。
2000/5/10, ペネロープ
こんにちは。僕が言い訳をしていると言ったのは、作者自身がということです。人生には誰にでも後悔はあると思います。そして足りなかった言葉をそこにつけたしたいと思うことも多々あります。彼はその足りなかった言葉(または足りなかった行動)を登場人物に語らせて、それを公表して自らの心のわだかまりを溶いているような気がします。では何処がいけないのかとなると何も見つからないのですが。ただ、僕は初期の作品を読んでいきなり燃え上がる緑の木を読んだ為、その変貌に驚いたのでしょう。だって、遅れてきた青年や芽むしり子撃ち、日常生活の冒険などの初期の作品には、そんなものはみじんも感じられないのですから。でもその代わりに彼が得たもっともっと大きなものに心を洗われている僕もいるわけなのですが。
2000/5/9, いとうくにお
ノンノンさん、こんばんは。読書家なんですね。スピノザは、大江さんが『宙返り』を書く前の何年か集中して読んだという人ですね。うーん、難しそうだなあ。気が向いたら感想などお聞かせいただけると嬉しいです。
最近はインターネットのオンラインショッピングが大流行ですから、キコウ本の入手も以前より簡単になっているかもしれません。先日、大江光さんの楽譜集を「本屋さん」で買いましたが、注文に10分もかかりませんでしたよ。届くのには何日かかかりましたけども。
2000/5/9, ノンノン
いとうくにおさん、こんばんわ!
私が行った場所は内子よりさらに山に入るところで、地名を忘れましたので、後で調べておきます。
あと、先日やっとスピノザの「エチカ」を購入しました!!!
スピノザ事体あまり古本屋でも置いている店は少なかったのでスゴク嬉しいです。
同じく、マヤコフスキー全集も破格で購入できました。
大江文学は、本の読み方やその他、文中に本の紹介があり、そう言う意味でもとても好きです。
2000/5/8, いとうくにお
ことばさん、はじめまして。このサイトで少しでも楽しんでもらえれば、作った甲斐があります。大江文学との出会いは、僕も同じような感じです。最初に読もうとしたときは挫折。ノーベル賞以後に再挑戦したらはまりました。僕の場合は、ある程度の成熟がなければ大江文学を受容できなかったのかもしれません。
ぺネロープさん、こんにちは。理想化の件、やはりそのように感じられましたか。「自分の言い訳」というのは、作者の言い訳ということでしょうか。それともその登場人物自身についての言い訳ということでしょうか。批評的なことも遠慮なく書いてくださっていいのですよ。
ノンノンさん、こんにちは。ノンノンさんは”森の中の村”へ行かれたんですね。ゴールデンウィークを利用されたのかな。ミーハー心からですが、僕も一度は行ってみたいと思っています。あと広島も。
2000/5/8, ノンノン
こんにちわ大江さんの小説に導かれ、大江さんのや、さらに奥深い森にも行ってきました。
確かに見渡す限り緑と空です。
テン窪もあります。
けれど、やはり小説とは違いました。
自分の目でみて感じたことは大江さんのエネルギーです。
それは、言葉。世界観。想像力......。
大江さんの小説に魅了されている方、是非行ってみて下さい!
大江さんの通われていた小学校のすぐ横に、とても安い宿もあります。
少し足をのばして、坂本竜馬の脱藩の道もオススメです!!
2000/5/8, ペネロープ
こんにちは。4月29日のいとうくにおさんの「後期の作品は、インテリで裕福で善良で理想化されすぎているかもしれない」という意見に共感を覚えます。宙返りはまだ読んでいませんが、燃え上がる緑の木はとくにそう感じました。皆がみな本当にそういうかんじなのでなにかひっかかるところがあります。三兄弟が連れてきた、三人の女性が実はそろって音大の出身だったなどというところではううむ、となってしまいました。また、登場人物全てに自分の言い訳を語らせている気もします。ただこれは批評でもなんでもないので気になさらないで下さい。そういった事を超えたもっと大きな存在も感覚的にですが、感じとっているつもりですから。まだ若い者には、分かりづらいのです。われらの時代や叫び声に胸を高鳴らせている若造ですから。
2000/5/7, ことば
  みなさん、はじめまして。初めて投稿します。まずこのサイトを作られた、いとうくにおさんに、感謝をいたします。
  私が、最初に読んだ大江作品は、「孤独な青年の休暇」という単行本でした。それは、たまたま父親の本棚にあり、題名に引かれて読み始めたのですが、どうしても作品に入って行けず、途中で、投げ出しました。そのため、それ以後数年にわたり、私の大江 健三郎に対する印象は、非常に悪いものでした。
  その後、大江 健三郎がノーベル賞を受賞し、もう一度、彼にチャンスを上げようと考え、彼の代表作といわれていた「万延元年のフットボール」を読みました。私は、かつて感じたことのない興奮を覚え、それ以来この作家から離れることが出来ず、今にいたっています。「同時代ゲーム」が、とても好きです。
  このゴールデンウィークには、彼がしばしば名前を挙げるミハイル バフチンの、「フランソワ ラブレーの作品と中世ルネッサンスの民衆文化」を読み、大江文学はもとより、文学全般に対しての理解が、深まったように思います。私は、「寅さん」がとても好きで、只、どうしてすきか、ずっとわからなかったのですが、この本を読み、寅次郎の、文学的な意味が、ずっとはっきりした気がします。また、この本の中に「宙返り」ということばも出てきて、大江の「宙返り」という題名はここから取られたのではないかと、勝手に考えています。 
  まだお読みでない方には、ぜひお勧めします。
  なお、「孤独な青年の休暇」は、いまだにそのままです。
2000/5/6, いとうくにお
武奈彦さんの、「個人的な体験」はフランス映画風というお話、いわれてみれば確かにそうですね。大江さんにとっても、わが意を得たりってところかも。
2000/5/6, 武奈彦
 黄金週間に映画の話題とはなんと似つかわしい!(もう明日で終わりですが) 大江ファンの好きな映画といえば、以前どなたか、スタンリー・キューブリックが好きだという方もいましたよね。
 「個人的な体験」の話題がでてきてふと思い出したのですが、「個人的な体験」の雰囲気(という言い方がいいのかな)って、なんか昔(といっても大昔ではなくて、1960年前後)のフランス映画ふうじゃないですか。実は僕は、「個人的な体験」を読むと「死刑台のエレベーター」を思い出してしまうのです。
 具体的にどこがどう似ているというわけでもないのですが、なんとなく、盛り場をさまよう鳥の描写とジャンヌ・モローの姿が、だぶってきたりするんです。小説を読んでいて、トランペットのBGMが聴こえてくるような気がしたりとか。
2000/5/3, いとうくにお
土星さん、こんにちは。神楽坂は雰囲気のいい街ですね。詳しいことは知らないのですが、確か島田雅彦は大江さんのファンだったんじゃないかな。自分の発表したものが大江さんに読んでもらえるのは嬉しいと、なんかのインタビューか対談で語っていたと思います。
昨夜、『個人的な体験』の冒頭部分を少し読み返してみました。四週間連続で酔っ払い続けたバードの話が出てくるのですが、、、、土星さんも今日から四週間、ウィスキーを飲みつづける?
natsuさん、ご返事遅くなってすみません。natsuさんが『ディア・ハンター』をご覧になったのは面白い偶然ですね。あれは確かに「重い気持ち」にさせられる映画ですよね。重いのですが、しかし感動も覚えます。登場人物の名前はもう忘れてしまいましたが、デニーロがベトナムを再訪してクリストファー・ウォーケン扮するかつての戦友と再会したときのエピソードは、なんとも言えず切ないです。まだ若いころのメリル・ストリープも出てて、その美しさもファンとしては見所なのですが…。
2000/5/3, 土星
オフ会レポート拝見しました。神楽坂といえばテキト−に通った我母校がなつかしいです。ところで大江の影響を受けた作家って多いと思うんですよ。中上の「灰色のコカコーラ」村上龍の「限りなく透明・・」島田雅彦の「優しいサヨク・・」は、「われらの時代」っぽいですし、村上春樹の主人公「僕」ってのも大江っぽいと思います。そこで大江ファンのみなさんに作家志望の方っていらっしゃるのかな。見栄張っていうと僕がそうなんですけど・・・・。昼間っからウィスキイーに酔いながら投稿しました。失礼しました。大江の影響・・・?
2000/4/30, natsu
こんばんは。
ずっと観たかった「ディア・ハンター」を、たった今、見終わったところです。重い気持ちに一息つくつもりでページを開いたら、掲示板に、「ディア・ハンター」の文字があって、妙な気がして、まとまらないままこれを書いています。
「人間」というものが、いつもにまして得体の知れない不気味なもののように感じられて、「人間」てなんなんだろう、と素朴な疑問を思ったりする。圧倒的な悪とか絶望の意味って、なんだろう、、、
なつをさんは、「ディア・ハンター」もうご覧になりましたか?
いとうさんは、どのような感想を持たれたのですか?
natsu
2000/4/30, むらかみ
 こんにちは。ちょうど連休中に映画をヴィデオでまとめて観ようかと思っていたところなので、便乗して、面白い作品があればぜひお勧めを、と紹介を請うのと同時に、僕も推奨銘柄をいくつかと。
 『勝手にしやがれ』とか『気狂いピエロ』は、これは僕も必見だと思います。北野武作品は僕も好きで、『HANA−BI』などみて、シビれてしまったのですが、同時に、ゴダールの撮り方と似た点があるのかなとも思いました。北野作品が、興行的には芳しからぬのは、いったいどういうわけ? といつも訝しく思っています。あと、最近すっかり有名になりましたが、イランのアッバス・キアロスタミの『友だちのうちはどこ?』に始まる、いわゆる「ジグザグ道三部作(?)」とか、台湾のホウ・シャオシェンの一連の作品は、素直にいいなあと思います。もっとも、同じアジアの田舎(ホウ・シャオシェンは猥雑な台北の街も加わりますが)とはいえ、大江さんの「四国の森」とはちょっと違う世界ですから、大江ファンが好む映像であるかは保証の限りにあらずです。
 それにしても、以前、いとうさんが、『宙返り』を映画化したらという仮定で、キャスト一覧表なるものを作ってましたが、あの「四国の森」を映像化する試みはあってもいいかなという気はします。あるいは、そういう試みはこれまでにあったのでしょうか? しばし前に、中上健次の『日輪の翼』をテレヴィ化して放送していた(原作とだいぶ違っていましたが)のをみて、あの作品ですら映像化できるのだから、『宙返り』もやろうと思えばできるのではないかと思いました。
2000/4/29, いとうくにお
なつをさん、こんばんは。タルコフスキーの話はこれまでも何度か出てますから、それ以外のもので、お勧めのやつをご紹介しましょう。
万人向けではありませんが、ロバート・デ・ニーロの主演するシリアスな映画は、見ごたえがありますよ。ディア・ハンター、タクシー・ドライバー、レイジング・ブルなどです。ロマンチックなのではモナリザという映画が僕は忘れられません。これは確かイギリス映画です。ゴダールの「勝手にしやがれ」や「気狂いピエロ」は、もし見てないなら一度は見ておいて損はないと思います。
2000/4/29, なつを
お久しぶりです。
大江氏と関係ないのですが皆さんの好きな映画教えてもらえませんか?
大江文学が好きな人はどのような映画を好んでいらっしゃるのか、G.Wを使って観たいので教えてください。
僕は今日、北野武「あの夏、いちばん静かな海。」を観て涙が溢れ出ました。あと、ビデオでもレンタル開始した「運動靴と赤い金魚」は1999年にみた映画で一番好きです。機会があれば是非。
2000/4/29, いとうくにお
アイコさん、はじめまして。文学部で勉強されているのですか?
お友達が言っているのとは違う意味かもしれませんが、後期の作品(宙返りや、燃えあがる緑の木三部作など)を読むと、どちらかというとインテリで裕福で善良で、という人ばかりが出てくる感じで、描かれている世界がちょっと理想化されすぎているかなという気はします。うーん、きっと意味が違うだろうなあ。
2000/4/28, アイコ
初めて書き込みします。大江は高校のときなんとなく手にとって以来はまってしまいました。
こんなに大江健三郎のファンがいたとは正直驚きました。私の趣味がもともと同世代の女の子たちとかなりずれているもので、大学に入ってからも同じ本を読んだといってくれる子がいなくて寂しい・・・
このサイトは資料としても凄いですが、ファンの熱さにも圧倒されます。いつか大学では大江で卒論を書きたいと思っているので(難しいですが・・)、また参考にさせてください。
ちなみに、私が一番すきなのは「叫び声」と「鳩」です。大江健三郎の小説はやや理想主義的な感じがすると友人が言うのですが(私はそれを不愉快には感じないのですが)いとうさんはどう思われますか?
2000/4/27, 土星
いとうさんどうもありがとうございました。大江以外のことまで調べて頂いて。また投稿させていただきます。おやすみなさい。
2000/4/27, いとうくにお
土星さん、こんばんは。”一九六○年一二月号の『中央公論』が、深沢七郎の小説「風流夢譚」を掲載した”とあるサイトに記載されていました。中央公論のバックナンバーを探せば、読めるかもしれませんね。「政治少年死す」のことはこの掲示板でも何度か出ているのですが、1961年2月の文学界に掲載されていますので、図書館などでバックナンバーを探せば読むことができます。
2000/4/27, 土星
作品紹介拝見しました。なんと、あの幻の「政治少年死す」を読まれているとはおどろきました。神田の古書店街にもないといわれているのに・・・・。あと出版されてないと思うんですけど、深沢七郎の「風流・・」題名忘れましたけど、確か右翼少年のテロを引き起こしたとされる作品なんですけど、どなたか何か知っている方いませんかねえ。
2000/4/27, いとうくにお
『全身小説家』には埴谷雄高も出てきてましたよ。井上光晴を論じたサイトを見つけました。もしよかったら、ご覧になってみてください。
2000/4/27, さがみ
色々な所で情報を収集したりしているんですが、やはりあまり情報を集められません。『ゆきゆきて、軍人』有名ですね。『全身小説家』は名前だけは知ってて、以前から見たいみたいと思って、これもホウボウで探しまわってるんですが、いかんせんものがものなだけに、レンタルや等では一向に見かけません。何方か入手情報お知りの方は教えて頂けると幸いです。(そういえば 埴谷雄高氏も井上氏を称して”全身小説家”なんて言ってましたね。引き続き井上光晴氏の入門書オススメの書の情報もお待ちしております。宜しくお願いします。
2000/4/26, いとうくにお
土星さん、講演会の情報ありがとうございます。大江さんは水泳をやっている関係で、クラブの理事をにもなっているんでしょうね。記念撮影は、水着姿でだったりして、、、。
2000/4/26, 土星
東京アスレティッククラブ創立30周記念講演・・演題 21世紀の人たちへ・・「地球に優しい身体」ということ 6月18日 13:00から16:00 場所 津田ホール・JR総武線千駄ヶ谷駅駅前 料金 500円税別 申し込み TAC・・・東京アスレテックの略なんですけど・・フロント迄 TEL 0120-846045 つながりにくい場合はTEL 03−3384−2132 なんでも大江先生がここのクラブ理事やられてるそうで、、、いとうさんこれからもよろしくおねがいします。
2000/4/26, いとうくにお
土星さん、ようこそいらっしゃいました。よろしくお願いします。現代の日本文学を幅広く楽しんでらっしゃいますね。6月18日の講演会はどちらで行われるのでしょうか?
2000/4/26, 土星
投稿初心者なのでよろしくお願いします。大江のファンです。ほかは中上健次、村上春樹、龍、島田雅彦等好んで読んでます。6月18日に大江の講演会に行く予定です。サイン会や記念撮影もあるので楽しみです。僕の読んだ中では万延元年・・やわれらの狂気を生き延びる・・もスキですが初期の頃の死者の奢り、芽むしり 仔撃ち、見るまえに跳べ等アイデンティティークライシスっぽいのスキです。宙返りはまだ読んでません。みなさん、いろいろ文学のこと教えて下さい。失礼しました。
2000/4/26, いとうくにお
ぺネロープさん、こんにちは。そうかもしれませんね。僕も大江さんの声は、耳に心地よく聞こえます。じつは僕は卒論で脳波を取り上げたので、アルファ波と聞くとすごく懐かしいです。自分の頭に電極をつけて、何度も脳波を採取したものでした。
2000/4/26, ペネロープ
 あの、大江さんの声ってα波でてると思いません?ヒーリングヴォイスだと思うんですけど。だから僕は、講演など聞いてもその声に身を任すだけになってしまいます。まあ、難しいっていうのもあるけど。だからあのテープは絶対癒し系のコーナーにおかれるべきです!
2000/4/26, いとうくにお
さがみさん、こんにちは。井上光晴の情報はあまりないようですね。僕も読んだことがないんです。その名前で思い出すのは映画『全身小説家』です。ご覧になりましたか? 晩年の井上光晴の生活を5年かけて撮ったドキュメンタリなんですが、けっこう面白いです。監督は『ゆきゆきて、神軍』というこれまた異色のドキュメンタリを撮った原一男です。
2000/4/22, さがみ
いま、井上光晴の作品を読もうか、と思ってるんですがどうも何から手をつけて良いのやら、迷っています。検索しても、このサイトのようなものは出てきませんし。同時代の作家ということで、直接関係ないかもしれませんがこの書き込みを見た方の中で、この作品から読むと良い、とか、大江氏の作品のように、彼のものも年代順を追って読んでいった方が良い、とか、読まれた方、助言宜しくお願いします。
2000/4/21, いとうくにお
なつをさん、幅広いですね。「本を読まなくなった若者」みたいなタイトルの記事がときどき新聞や雑誌に出ることがありますが、読む人はたくさん読んでいるんでしょうね。
2000/4/21, なつを
好きな作家は、ヘッセ、サンペグデュぺリ、芥川竜之介、高橋源一郎・・・とか漫画もいっぱい読みます松本大洋、業田良家、岡崎京子
映画も好きです。とにかく雑食でミーハ―なんです。
「万延元年のフットボール」もきちんと読みなおさないと解かってないなぁとか思いながら「蝿の王」ウィリアム・ゴールディングとか本棚から取り出している今日この頃です。
2000/4/20, いとうくにお
なつをさん、はじめまして。僕も読み始めたのはノーベル賞以降なんですよね。ほかにはどういう作家がお好きですか?
2000/4/20, なつを
はじめまして、なつをです。
高校生の頃にノーベル賞を受賞されたのがきっかけにその存在を知ったミーハ―です。当時書店に行き『性的人間』と言うタイトルだけで「えぇ〜こんなの読んでいいのかぁ、いや、純文学ってこう言うことか?」とかまあ、当時の性的な関心を持ち出す年代だった僕は手に取ることなく最近になって「万延元年のフットボール」を読んでみて、また好きな作家が一人増えました。
素人ですがヨロシク
2000/4/20, いとうくにお
鰐子さん、はじめまして。ホームページ拝見しましたよ。対談には、笑いました。それぞれのキャラクタの特徴的な部分が上手に捉えられていて、面白かったですし、「言われてみればそうだなあ」と納得もしました。
2000/4/20, 鰐子
高校時代に大江健三郎を知り、はや3年がたとうとしています。
何度も読み返すのは”月の男””万延元年のフットボール””壊れものとしての人間”です。
引用の森、人物、車、食べ物、楽しく読ませていただきました。
私のHPで、同じく大江健三郎作品好きの友達と対談したものが載っているのでよかったら見てください。こんなに真面目じゃないですが。
はっきり言って怒られそうなのですが。
これからも大江健三郎作品を読みつづけると思います。大江健三郎が生きていて、そして今も現役で書きつづけていてくれていることに拍手です。
http://www11.freeweb.ne.jp/art/waniko/
2000/4/13, いとうくにお
ゴードンさん、はじめまして。『万延元年のフットボール』は講談社の文芸文庫として出ています(ISBN-コード4-06-196014-8)。文庫ですが1500円とちょっと値段は高めです。ハードカバーでは、新潮社から出ている全集の第三巻「大江健三郎小説3」(ISBN-コード4-10-640823-6)に収録されているようです。こちらは値段は5000円近いようです。
どちらも大きな本屋じゃないと置いてないかもしれませんね。ただ、小さい本屋でも注文すれば取り寄せてくれると思いますよ。あと、安く入手するなら、古本屋ですね。
インターネットで買うという手もあります。実は昨日、僕も「本屋さん」というページでいくつか本を注文しました。僕の仕事用のページの「道具箱」コーナーで、オンラインで本が買える店をいろいろ紹介してますのでよかったら参考にしてください。
2000/4/13, ゴードン
はじめまして。
いま、万延元年のフットボールを、何とか読みたいと思っているのですが、本が手に入りません。僕の父親が言うには、昔はうちにも在ったらしいのですが、友達に貸したまま帰ってこないそうです。また、友達が言うには、文庫サイズは無い。ハードカバーしかないけど、今はもう出版されてないでしょ、といっています。図書館とかには在るのですが、自分のものにして読みたいです。
どこに行けば、いくらくらいで買えるのかどなたかおしえてください。
2000/4/10, いとうくにお
ITTENさん、おひさしぶり。大瀬での神秘体験って、どういうのでしょうか。
ミニ事典を掲示板方式というご提案ありがとうございます。当面はいまのスタイルでいきたいと思いますが、投稿による項目追加はいつでも大歓迎です。
2000/4/8, ちゃまん
HI-ROさん、ちえさん、はじめまして。
『洪水』は僕も好きな作品です。『万延元年』とかに比べると濃密さというか多層性には欠けるかもしれませんが、その分、劇的な構成ですっきりしていて、読み物として面白いと思います。(悪い意味ではありません。)ドナルド・キーン氏でしたか定かではありませんが、三島由紀夫の『奔馬』との構成の近似性を指摘してた人がいらしたと思います。
登場人物も「縮む男」、「赤面」、「ボオイ」などユニークですよね。
僕などはこの作品を読んで『カラマーゾフの兄弟』に魅力を感じ、それまで敬遠していたドストエフスキーを初めて読みました。
そういえば、この間文庫版で読んだ柳田邦男氏の『犠牲(サクリファイス)−わが息子・脳死の11日』に、亡くなった御子息が、心の病と戦う中で大江作品を愛読し、この『洪水』について少年らしい読後感を述べているくだりが印象的でした。
2000/4/8, ITTEN
お久し振りです。大瀬で神秘体験をしたのでなかなか現実世界に戻れないでおりました。「ミニ事典」に歓心す。掲示板方式で「大事典」にしては如何でしょう。またここに訪れる日が楽しみです。
2000/4/8, いとうくにお
あー、ちえさん、ごめんなさい。4月4日の投稿、掲載するのを忘れてました。いま掲載しておきました。
参加したのに、「楽しそう」と思えてしまうのは、僕もいっしょです。オフ会レポートは、僕の主観が反映されていますから、まあ一種のフィクションとなっているかもしれませぬ。
2000/4/7, ちえ
みなさん、こんにちは。
HI−ROさん、はじめまして。『洪水』のことですが、評価、高くなかったでしたっけ?うろ覚えで、確かな資料もみあたりませんが、もしそうだとしたら最後の勇魚な行動ゆえかもしれません。どこかでそのことを批判しているのを読んだり聴いたりしたような気がします。あとは、評価が低いというよりは、当時あった事件をモデルにしているか、予言してしまったかだったと思うのですが、その事件との関係においてだと思います。いい加減な情報でごめんなさい。でも、ここにいらっしゃる方々の評価は高いですよ、この作品について。わたしも好きですし。
それから、もしまだ『個人的な体験』をお読みでないのなら、お勧めします。ぜひ読んでみてください。よかったら、具体的に作品についての感想もお聞かせください。
いとうさん、先日一度投稿したのですが、掲載されないということは、届いていなかったのでしょうか?いえ、大したことではなくて、オフ会レポートがすてきですね!と言いたかっただけなのですが。参加したにもかかわらず、「楽しそうー。わたしも参加したいー。」と思えてしまいます。
2000/4/6, いとうくにお
HI-ROさん、はじめまして。『洪水』ですが、この掲示板をさかのぼってご覧になると、この作品についての意見が出てくると思います。好きな人はけっこういるんじゃないかなあ。
2000/4/6, HI-RO
はじめまして。大江健三郎の小説は「われらの時代」「芽むしり仔撃ち」「万延元年のフットボール」と読み,今日,「洪水は我が魂に及び」を読み終えました。大江さんの小説はどれも好きで,かなり気に入ってます。他になにかお勧めとかあったら教えてください。それから,「洪水〜」ってあまり評価高く無いようですが,どの部分が評価を低くする点だったのでしょうか?それもよければ教えてくれたらなと思います。それじゃ,また来ますね〜。
2000/4/6, 武奈彦
武奈彦です。丸山さん、はじめまして。
 「夜よゆるやかに歩め」は僕も探しているんですが、全集にも収められていないようで、なかなか見つかりません。丸山さんのお住まいがどちらかわかりませんが、僕の近所では、奈良県立図書館にあるらしいという情報を最近入手したので、そのうち奈良に行ったら寄って見ようかなんて考えています。
 それから、この小説は、1959年1月〜6月の「婦人公論」に連載されたそうなので、大きな図書館でそっちを探すほうが早いかもしれませんね。
2000/4/5, いとうくにお
丸山さん、はじめまして。「夜よゆるやかに歩め」という大江さんの本が1959年に中央公論から出版されているようですね。情報ソースは、武奈彦さんの「プロジェクト Oの記念日」です。
ちゃまんさん、はじめまして。掲示板の感想、ありがとうございます。楽しんでいただければ僕としても嬉しいです。井上ひさしさんの黄金変化という表現には、なるほどなあと思いました。確かに大江文学のそういうものによって僕は励ましを感じてきたと思います。
2000/4/5, ちゃまん
はじめまして。
いとうさんはじめ、投稿されている方々の真摯な人柄が感じられ、いつも楽しく掲示板を拝見しています。(いい意味で、今はやりの癒し系ですね。)
最近では文学について本気で考えるといった機会も少なくなり、大江作品はじめ好きな文学について語り合える仲間は身近には少ないなと実感していたので、おじゃました次第です。
皆さんの大江論に自分がかつて感じた感想が蘇って来たり、また新たな視点に感心するばかりなのですが、自分にとっては、たとえば次の二人の作家の言葉に大江作品に感じて来た魅力がかなり正確に捉えられていると感じたことがあります。
ひとつは井上ひさしさんが多分「万延元年のフットボール」についてだと思うんですが、次のように語っていた点です。(のっけから汚い話で恐縮ですが、)「奥さんがトイレで吐くシーンがあるのですが、便器にこびりついた吐物が、大江表現では柑橘(かんきつ)類の筋のように、きれいに反転する。そして奥さんを同志として捉える愛がわき上がる。そのイメージの黄金変化が読者をはげまします。翻訳されてもそこなわれないのは、このイメージの美しさであり、強さであり、この黄金変化です。」
もうひとつは川本三郎さんの「大江さんは、一人で世界に放り出されている“子供”の恐怖や脅えにすごく敏感だった。それまでの日本の作家が書いてきたような現実的な人間関係や社会問題なんかを飛び越えて“子供”を通して一気に宇宙論的な世界まで到達してしまう。それが光さんが生まれたことで倍加されていったんだと思います。」という批評にも同感しました。
硬い言葉で言えば価値転倒というのでしょうか、子供を含めて弱いものがパワーを回復する、汚いものが浄化されるといったイメージの見事さが大江さんの真骨頂ではないかと思うのですが……
いずれ自分の言葉でもっと整理して話すべきことと思いますが、今日のところは雑感を取り止めもなく書いてしまいました。
2000/4/4, ちえ
こんにちは。
いとうさん、オフ会レポート、すてきです。実際以上に(実際もすごくすごくたのしかったですけれど)楽しそうですよね。
今日はとても眠たかったです。飲み過ぎたかもしれません。(とはいえ、わたしのまわりの人がきいたら「いつものことでしょ!」と言われてしまいそうですが。)しかし、楽しい気分が残っていて、何度も思い出し笑いをしそうになりました。(していたかもしれません。)
早くまたみなさんとお会いしたいので、何か良いテーマはないかと考えています。
2000/4/3, 丸山
はじめまして はるか昔に読んだ作品を 探しています、 ご存知の方が おいででしたら連絡ください。
作品名 夜の馬よゆるやかに歩め
あるいは
夜の馬よフォスタスよ ゆるやかに歩め
2000/4/3, いとうくにお
麗子さん、ご投稿ありがとうございます。解釈は人それぞれですね。yukaさんにも参考になったのではないでしょうか。
2000/4/3, 麗子
「人生の親戚」に関連して、ちょっと一言。人生における悲劇(もしくはその可能性)はどこにでも誰にでもあって(だって核状況下だもん)だから誰もが苦しいんだよねってことで、例えば飢餓に苦しむ難民も日本人もみーんな同じ。不幸を特権化しないの。ということを大江は言ってるんじゃないかなー。悲観的じゃないのでは??違うかな???
2000/3/30, いとうくにお
yukaさん、はじめまして。『人生の親戚』はとても重たい物語ですよね。大江さんは自分でも悲観主義者だと語ってますから、最悪の出来事に遭遇したとき人間はどうやって再生していけるのかということを考えたかったのかもしれませんね。
オックステイルシチューは、どこの料理でしょうねえ。『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という本の「父よ、あなたはどこへ行くのか?」で出てきますし、他の作品でもときどき登場しますよ。
初心者(っていうのも変ですが)向けのお勧め作品ですが、人によって違うと思いますが僕は『個人的な体験』と『日常生活の冒険』をあげておきます。文章も読みやすいし、ストーリー展開も面白いですから、いいと思いますよ。
2000/3/30, yuka
はじめまして。yukaと申します。
たったいま、「人生の親戚」を読み終わったところです。
文庫本で、裏に概略として「魂の癒しをさぐり、生きることへの
励ましに満ちた感動的な長編小説」とありました。
読み終わってみて、しかし自分としては、「生きることへの励まし」と
いうよりは「生きることの苦しみ・悲しみ」というものをより強く
感じてしまったように思います。
  降ってわいた災難のような出来事を、どのような位置づけのもの
として認識するか。自分なりにでも消化して、前進するための
エネルギーに変えてゆくことは、非常に体力のいることだと思います。
しかもそれが、徹底的に自分をうちのめすような出来事だったと
したら・・・・。
 人生にそういうことはつきものなのかも知れませんし、ごく近い
他人の事として目撃した経験はあります。しかし、それが自分の
人生のうえで起こってくるとするならば・・・正直言ってシンドイな、
と思ってしまいました。いっそ新興宗教やなにかでメカクシをされて
しまえば楽なのか・・・・?なんて。
 もうちょっと年齢と経験を重ねて、人生の哀歓もひととおり経験
して、それから読むべき作品だったのでしょうか?
(ちなみにわたしは、30目前の主婦(?)です。)
もっとポジティブな読み方をされた方、いらっしゃたらぜひお聞き
したいです。
それから、オックステイルシチューって、作品に出てくるのですか?
もしかして、アフリカの料理ですか?
大江作品はまだこれで2作目です。
もっと読みたいのですが海外にすんでいるのでなかなか・・・。
若者(??)の初心者向けオススメなぞあったら教えてください。
長々と失礼いたしました。
2000/3/30, いとうくにお
ひろこさん、こんにちは。オフ会のほう、こちらこそよろしくお願いします。桜はまだのようですが、大江ファンどうしお話しするだけでも楽しいと思いますよ。
2000/3/30, ひろこ
こんばんは。今度のオフ会よろしくお願いしますね。
カナダに行った時、図書館に行って、真っ先に大江の作品を探しましたよ。「快復する家族」なんかは、日本版とは表紙が違って健三郎さんと光さんの写真なんですよ。ゆかりさんの絵の表紙も好きですが、その写真もとても素敵ですよ。
私は英語専攻なので、勉強のために英訳版を買いました。海外のファンの方の感想も聞いてみたいですね。
2000/3/28, いとうくにお
しほさん、こんにちは。僕もまだ全部読んだわけではないんですが、大江作品は初期、中期、後期と時期によって作風がかなり変わってきますので、そのあたりも意識されるといっそう面白いかもしれませんよ。気に入った作品がありましたら、感想など書いていただけると嬉しいです。
2000/3/28, しほ
最近 大江健三郎さんのファンになったものです。
阿刀田高さんの「日曜日の読書」という本で大江健三郎さんの「飼育」が紹介されていて、おもしろそうだなーとおもって読み始めたらはまってしましました。
まだ4冊しか読んでないのですがこれからどんどん読んでいくつもりですがちょっと期待でどきどきしています。
2000/3/26, いとうくにお
おねむりパーシーさん、こんにちは。本の画像のほうは、けっこう手間がかかるので、しばらくはあのままでいくと思います。
オフ会、機会があったらぜひご参加くださいね。

メーリングリストにご参加いただいてない方はご存知なかったかと思いますが、4月2日に花見をやる予定なのです。人数が少ないときは掲示板でも参加者を募集しようと思っていたのですが、メーリングリストのほうだけで10名以上集まりました。オフ会にも出てみたいという方は、ぜひメーリングリストにご参加ください。
2000/3/25, おねむりパーシー(THE LAST PARADISE)
 いとうさん、リンク有難うございます。
TOPの文が、宙返りになっていましたね。しかし、上の本の画像に「大いなる日」が残ってあったので密かに感動しておりました。
 英語ページを作ると海外の人から反応があるんですね。英語は苦手なものでうらやましい限りです。やはり、海外でも大江文学は広く知られているんでしょうねぇ〜。)^o^(
 オフ会の案内、読ませていただきましたが、5月.6月に上京する用事が出来てしまったもので、今回も見送りです。(T_T)皆様によろしくお伝えください。(私が上京するときにオフ会が重なったならば、勿論参加したいです。)
 本当にオフ会に出たいなぁ〜。上京する予定が決まったらここに書き込んでおこう。(笑)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/3183/
2000/3/21, いとうくにお
真春さん、こんにちは。開高健が井伏鱒二と話すシーン、僕もテレビで見た覚えがあります。確かに開高さんは、赤ちゃんみたいな顔でニコニコしてましたね。井伏鱒二に対する尊敬も感じられました。
昨年の読売のフォーラムについては、掲示板の1999.10-11のところにレポートや感想が投稿されてますので、よかったらご覧ください。
2000/3/21, 真春
こんにちは、二人の健ちゃんのこと、あ、同じだと思いました。オーパ、や、最後の晩餐、など息抜きで何とかしのいできたことがありました。井伏鱒二とのテレビの時の開高さん、無邪気な感じが私は好きでした。二人共に頭の良い人だなぁと感心しながら笑って終い、それで、また自分の今することに取り組む力になりました。
昨年の、読売ノーベル賞フォーラムの時の感想をどなたか教えて下さいませんか。
2000/3/18, いとうくにお
小樹さん、広島レポートありがとうございます。小樹さんにとってとても実りの多い旅だったようですね。キョウチクトウは夏に咲くもののようですね。ちょっとウェブで調べてみたら、長崎でも原爆と結びついて記憶されているようです。お好み焼きのお話も、いいですね。今度食べるときは、しっかり味わってみようと思います。
2000/3/18, 小樹
こんにちは。広島から帰ってきました。広島はさっぱりしていて、大きな町だと思いました。一泊だと、往復の時間もとてもかかるので、思ったより時間が取れなかったのですが、いろいろな考えさせられて、行ってよかったと思いました。平和記念公園には思っていたより沢山の人がいました。半分くらいが、外国人の方で、みんな熱心に資料館を巡っていました。いとうさん、「来館者の声」は、今来館した人が書く分、つまり、1ヶ月分くらいしか、見ることが出来なかったのです。が、ローマ法 王、マザーテレサ、とならんで大江さんの記帳が展示されていたのでした!(以下引 用)6 Dec 95 私はたびたびこの記念館に参りました。今日世界の優れた知性たちとあらためておとずれ、自分の生き方を考えなおすようでした。(引用終わり)
自分の生き方を考え直す。私も自分の生き方に「ヤスリをかけること」がすこしは出 来たと思います。まず私が感じたことは、自分の着ている洋服が恥ずかしかったので した。(豊かな生活に溺れているシンボルのような。) それにしても、怖くて恐ろ しかったです。
ちっきが一番感動したのは、資料館で買った、平和記念資料館が編集している「ヒロシマを世界に」という、とてもすばらしい「図録」の付録に、「被爆樹木ガイドブッ ク」なるものがあったことです。二日目の広島では、被爆樹木を訪ねて、歩き回ることで夢中でした。
「ヒロシマ・ノート」でも、資料館でも、感動したのは、「それでも生きる」広島の人々の威厳とか、したたかさ、でありましたが、それと同時に、爆心地から1kmく らいのところで被爆したアオギリが、その傷を幹が包み込むようにして、育ち、枝を 伸ばしているように、広島の人々と同じように、植物もしたたかにいきていることにも感動したのでした。そんな植物は、また、広島の人々に沢山の力を与えたのでしょ うね。そして、同じ図録を開くと、まず、キョウチクトウの真っ赤な花の大きな写真 がでてきます。キョウチクトウは、「原爆により70年間草木も生えないと言われた焦土」にいち早く咲いた花で、それが、広島の市の花となったのだそうです。それと、話は変わるのですが、広島と言ったら「お好み焼きだ!」と思って、美味し いお好み焼きを食べてきたのですが、ちょうどそこに、お好み焼き屋のおばちゃんに、修学旅行の中学生の10人くらいのグループが、「広島のお好み焼き」について 「インタビュー」に来たのでした。私はしっかりと耳をダンボにして聞いていたのですが、「どうして、広島はお好み焼きなのか」のこたえが、食料のない焼けた土地で、人々が食べていたのが、「メリケン粉を水で溶いて、クレープのように薄く焼い た生地にネギをまぶしたもの」であってそれが広島の生きる元気のシンボルとなっ た、ということでした。
なるほど!とおもいました。どうりでおいしいわけでした!^^
2000/3/16, いとうくにお
THE LAST PARADISEさん、こんにちは。英語のページは、一応自分で書きましたが、書こうと思うことを書いたのではなく、書ける英文だけで構成した、という感じです。たぶんかなりめちゃくちゃな英語のはずです。それでも、英語ページを設けたおかげで海外の人からメールが届くこともあるのですよね。
2000/3/16, THE LAST PARADISE
こんにちは、MLはいつも読ませてもらっておりますが、なかなか書くまでに 至りません。(もう少し、落ち着いてから一筆書きたいと思います) このページも着実に内容を膨らませているようでうらやましい限りです。なに しろ、インターネットを始めた頃の思い出の一ページですから。 ところで、英語版のページはいとうさんが訳されているのですか?
2000/2/16, ぶる
お久しぶりです。
「多元宇宙」と言えば昔からSFの重要なテーマのひとつですね。僕もまだそれほどSFを読んでいないので詳しくないのですが(本腰を入れて読みはじめたのは5、6年前から)、多元宇宙はタイム・トラベルとセットにして使われることが多いようです。過去あるいは未来のある1点を分岐点としてさまざまな世界が枝分かれし、すべてが同時に存在していて、登場人物が何らかの方法でその分岐点を突き止めてそこに辿り着き、別の世界へと入り込むというパターンですね。
ポール・アンダーソンというアメリカのSF作家に『タイム・パトロール』という古典的作品がありますが、これは多元宇宙+タイム・トラベルに関しての楷書のお手本のような作品なので、一読をお勧めします。たぶんハヤカワ文庫に入ってると思います(僕は古書店で銀背のポケットブック版を買って読みました)。
むらかみさんが言及している『5分後の世界』も、一種のSFと言っていいでしょうね。・・・ずっと前にも書いたかも知れませんが、現代の先端をゆく小説には多かれ少なかれ、何らかのSF的要素が入っていることが多いように思います。大江さんの作品にもそういう要素がけっこうあるし、それこそはっきりと「SF小説」と銘打った作品もあるし。実際、大江さんもけっこうSFを読んでいたらしく、晩年の江戸川乱歩氏が編集していた『宝石』というミステリ・SF専門誌(現在の光文社版『宝石』とは無関係)も購読していたようで、同人誌からその雑誌に転載(昭和35年8月
号)された筒井康隆さんのデビュー作「お助け」をリアルタイムで読んでいたとご自分で書いています(たしか『筒井康隆全集』のどれかの巻の解説だった)。僕は25歳を過ぎてからSFの重要さを悟り、本腰を入れてSF小説を読むようになったのです。まあ、ある程度選んではいますが・・・。
多元宇宙に対する少し変わったアプローチとしては、前述の筒井康隆さんが『夢の木坂分岐点』(新潮文庫)という作品で、心理学を応用して多元宇宙を構築するという実験をおこなっています。また、筒井さんの最初期の(30年以上前に発表された)作品である有名な『時をかける少女』は、オーソドックスなSF的多元宇宙の例です。
2000/2/15, ちえ
みなさん、こんにちは。
さて、スキーで転んだ父の、二本の肋骨にひびがはいっていました。しばらくはゴルフに行くどころか練習もできず、かわいそうなことです。まぁ、ひびくらいでよかったです。
さて、「多元的宇宙」の話を読んで思ったことです。
一つは、あきこさんの「読み方」にとても共感、好感を覚えたこと。「この読み方は間違っているかもしれないけれど、わたしにはこう読める。」という読み方をいつもわたしは心掛けていますし、そうして読むべきだとも思います。
もう一つは、わたしも「多元的宇宙」を体験しているな、ということ。考えてみると現状に何らかの不満のある時、「こうなっていたら」の世界が暴走をはじめます。わたしの場合不思議なのは、不満があるからみるのでしょうが、もう一つの世界が必ずしも現状より良くないということです。現状からの単なる逃げなのかもしれませんね。「ああだったら」「こうだったら」のどれもが今よりひどい状態へ進んでいきます。
もしかしたら数多くの「最悪の事態」をみて、現状にしかたなく満足するのかもしれません。
これこそ「多元的宇宙」とはかけ離れていますね・・・。
でも、結局は自分の想像力なのでしょうが、自分でもびっくりしたりゾッとしたりする結末を迎えるので、なんとなく「想像の世界」や「白昼夢」というよりは「多元的宇宙」なのかな、と思います。
2000/2/14, むらかみ
 こんにちは、むらかみです。こちらの掲示板に書くのはひさびさです。メーリングリストは相変わらず大にぎわいだし、ちょっとこちらにも顔を出してみようかと思いました。それにしても、ミニ事典、充実してきましたね。
  あきこさんのおっしゃるような「多元的宇宙」というか、どんどん世界が枝分かれしていくという現象は、僕もなぜか夢のなかでよく出てきますね。どうも量子力学か何かの仮説でそういうのがあるというのを読んで強烈な印象を受け、それが刷り込まれてしまったようです。あと、量子力学では、「シュレーディンガーの猫のパラドックス」の話を読んでからは、生きている状態と死んでいる状態をあわせ持つ猫が夢に登場したりとか。猫ではほかに、笑い顔を残して猫だけ立ち去るという「不思議の国のアリス」バージョンもありますが。まあ、それはともかく、パラレルワールドの話っていうのは、村上龍の『5分後の世界』などありますが、大江さんの小説は、あくまで「唯一の」「この」世界に踏みとどまるというものですよね。『個人的な体験』などは特にそうだし、実存主義とはこういうことを言うのかと、以前思った記憶があります。
  ルソーっていうと、だいぶ前に、『エミール』を読んだことがあるのですが、人間は本来善良で幸福な存在であり、悪徳は社会に由来する、よって、こどもはちゃんと教育して、その本来性を伸ばしてやらないといけない、というようなことが麗しいトーンで書かれていた記憶があります。このへんは大江さんの言っている「ユマニスム」と共通する部分があるのかなと思います。ただ、ルソーって、私生活がメチャメチャで、女中を愛人にして5人も子供を産ませて、しかも、みんな捨てちゃったりとかして、言ってることとやってることがちょっと違うような気がするんですが(笑)。大江さんは、小説世界は結構、凄いですが、実生活は、倫理的に送ってらっしゃるようですし。まあ、ルソーに関しては、僕の偏見が入っていますから、あんまりアテになる話ではありませんが。
2000/2/14, いとうくにお
ちえさん、スキーに行ってたんですね。転ぶときのあの人間には制御できない強大な力でもって顔面から積雪に叩き込まれる瞬間、僕はなんだか心が解放されるような気がしますよ。あれもまたスキーの醍醐味だというのが僕の持論です。もう二十年近くも滑ってませんけどね。
オックステイルシチューは、そりゃあもうおいしゅうございましたよ。(笑)
ご興味のある方はオフ会レポートをご覧ください。
2000/2/13, ちえ
みなさん、こんにちは。
あきこさん!!本当に大丈夫ですか!?何ともないのにこしたことはありませんが、あとからくることもあるので、しばらくは気をつけていたほうがいいですよ。でも、ひょっとするとあきこさんは受け身で転べるのかもしれませんね?わたしの父は、この連休一緒にスキー旅行へ行ったのですが、どうやって転んだのか自分でも不思議だそうでスキーをはいていながら顔面から転んだそうです。そしてその時(これまた不思議なのですが)ストックを握った自分の手を左脇腹で下敷きにして、その左脇腹が痛むようなので明日は病院へ行ってもらおうと思っています。
ところで!!オックステイルシチュー、おいしそうですね〜!!重ね重ね残念でなりません。しかも、読んでいるだけでお腹いっぱいになりそうなフルコース!(おまけに映画のデザート付き!)うらやましい・・・。いとうさん、詳しいレポートありがとうございます。掲示板、メーリングリストで話題になった”大江小説料理”が勢揃いだったわけですね。また新たな料理が話題になって、こんなオフ会が再び開かれるといいのに。
とりあえず、次回オフ会を心待ちにしています。
2000/2/13, あきこ
みなさんこんにちは。
何だか皆さんのご心配をおかけするような投稿をしてすみませんでした。(笑)
右腰の方は自分でも不思議なくらい何ともありません。
きっとあの時着ていた厚手のコートが良かったのだろう、と父にも言われました。
ですから、ご心配なさらないで下さい!!
2000/2/13, いとうくにお
ひろこさん、投稿ありがとうございます。『万延元年のフットボール』は僕も好きな作品です。ああいうのは、ある程度いっきに読んだほうがより楽しめるかもしれません。
あきこさん、「多元的宇宙」でしたね。思い出しました。それにしても、本当にお体は大丈夫でしょうか。
2000/2/13, たなか
このところ多忙でご無沙汰していました。
F.OGAWAさん、僕も大江さんのエッセイは小説と同じくらい好きです。
へべれけさん、卒論完成おめでとうございます。一種の通過儀礼のようなものかもしれないのですが、一つの仕事をやり終えたという感慨は今も忘れることが出来ませんです。
ひろこさん、交通事故に遭われたのですね。後遺症とか大丈夫ですか? シャボン玉の中のもう一つの世界といえば、大江さんが小学生の頃に書いた詩を連想します。『私という小説家の作り方』の冒頭に引用されているものです。
  雨のしずくに
  景色が映っている
  しずくの中に
  別の世界がある
今、娘が小学校の国語の時間に詩のことを勉強しているのですが、「これは大江健三郎さんが小学生の頃に書いた詩だよ」というと、「すごいね」と感動していました。大江・ルソーの類似についてはよくわからないのですが、どんな点が似ているのでしょうか?
2000/2/12, あきこ
みなさんこんにちは。いとうくにおさん、ちえさん、お返事有難うございます!恥ずかしながらお言葉に甘えて(笑)感想を書かせて頂きます!
いとうくにおさんと同じシーンなのですが、火見子の言う「多元的な宇宙」が頭にガクンッときました。
私は今まで、「自分に近い人(本当の意味で)の死」に出合ったことがありません。というのも、家族は少なくとも今迄元気そうですし(実際昨日少し言い合いをしたのでそれを憎しみ(笑)を込めて確認しましたし)、
祖父の死は、2歳ほどの私がその距離のためもあってか(?)(神奈川と長野の)、「もういないんだ」で解決してしまった節がありますし、
けれども、ついこの間(前回この掲示板に書かせていただいた翌日頃)
私自身が生まれて始めて車に轢かれて(!!)
その状況を説明しますと(何だか長くなりそうですみません)
交差点を渡る時に、白い普通自動車のフロントが
私の右腰にドーン、と。
「ドーン」というより、右腰を横軸にガクッ、と上下半身が折りたたまれた、そんな感じです。
私がコンクリートにザザーッと横滑りしている間、
その白い車の運転席にいる30代くらいの女性が
「やってしまった」という顔をしているのを見て、不謹慎ですが妙に可笑しくて
と同時に、後部席からきっと今までは楽しそうにお母さんと、身を乗り出して話していただろう小さい女の子の、びっくりした顔つきに
何だか申し訳なくて・・・と、
「走馬灯のように・・・」というのはありませんでした。
けれども、そのあと、私は無傷でした(笑)。
何だか事故にあったのが恥ずかしくて、急いで立ち上がって、
「すみません」とその女性に一礼して
向かっていた駅のほうに、大またで歩き出し、
事故の様子を見ていた周りの大勢の人が
「あんた、ほんとに大丈夫なの!?」というか
「もっと事故らしくしなくていいの!?」といった顔つきで
私の姿を視線で追うのが、また恥ずかしくて可笑しくて
電車に乗った後、
私は本当は今ごろ白いフロントを汚すほど、血にまみれて
あの幼い少女の心を一生傷つける死に方で
あの横断歩道に倒れているのじゃないか、と、
その時「多元的宇宙」が、自分が枝分かれして行く様子が
また、ガクンッときた感じでした。
生死だけでなく、毎日の選択にもこの「多元的宇宙」の広がりがあるのでしょうか。
そうすると、枝分かれよりも、こう、シャボン玉を吹くときの
あの一つ一つの丸い小さい空間の中のほうが、
私にはピンと来ます。
もしピアノをやめずに続けていれば、とピアノを華麗に弾く姿であったり
もしもう一回り大きいテーブルをあの時購入していれば、と
家族で優雅にお皿をたくさん並べて食卓を囲んでいる姿であったり、
などが
シャボン玉の中で虹色に反射しながらもうひとつの世界を作っている。
「多元的な宇宙」という言葉には見合わない、
せせこましいものですが。(笑)
何だか、長々と、幼い感想ですみません!
小説をただ読んだ、という達成感だけでなく、
自分の中で消化して、深層の部分を動かす読み方の大切さを
心がけていきたいです!
2000/2/12, ひろこ
いとうさんこんにちは!
ホームページは入れました。ありがとうございました。
本当に忙しくこちらにお邪魔する機会も、健三郎さんの作品を読む機会も失っておりました。しかし今やっと「万延元年のフットボール」を読んでいます。代表作なのにずっと手をつけることがなかったので。やっと大江を知る事が出来る、というところでしょうか。(まだまだかな)
私の日本文学の講師をしている友人が、大江とルソーは似ているというのですが、皆さんはどう思われますか?良かったらご意見を聞かせてください。私には、どうも良く分かりません。
2000/2/10, natsu
へべれけさん、みなさま、こんばんは。
急な用事で、しばらくページを開くことができませんでした。
へべれけさん、卒論完成、おめでとうございます!!大きな仕事をした後の充実感や開放感は、なんとも言えませんね。
さて、遅ればせながら、へべれけさんが書き込まれた文章から、また、少し「センチメンタル」について考えてみました。
わたしは、先に、「センチメンタルにならず」というのは、単に、「感情に流されず」というのと意味が違うように思う、と、書きました。そのことの根拠は、「センチメンタル」「自己本位」という言葉には、それらを同時に立ち上がらせているところの共通の土台になっている、人の生にとっては大きな意味をもつものがある、と感じられるからです。その土台とは、つまり、「人は、主観の中に閉じられている」ということです。人は、決して客観には届くことができない、わたしは「わたしの現実」をしか生きることができない。そういう存在のあり方が、「センチメンタル」とか「自己本位」という言葉を強い力で立ち上げている、と思うのです。
「センチメンタルにならず」とか「自己本位」ということを、モラルの問題として考えればよいのか、質の問題として考えればよいのか、わたしには、よくわからなくなるけれど、ともあれ、わたしにとって、ひとつだけ確かなことは、「人は主観のうちに閉じられている」という徹底した独我論のあり方が、わたしにとっては、あらゆるものの起点なのだな、ということなのです。そこからのみ、「センチメンタル」という情緒の切実さも熟された時間というもののありようも、「自己本位」という生き方の態度のその聡明さへの尊敬も生まれてくるような気がします。
ところで、へべれけさん、お名前から察するところ、お酒がお好きなのですか?
今、ページを開いたら、掲示板のいとうさんのメッセージに、「ワインを飲みながら」とあって、実は、今、わたしもこんな夜更けに「ワインを飲みながら」だったので、あらあら、と、苦笑したところです。
『永遠の仔』は、もう読まれましたか?
わたしも、読まなければならないのだけれど、これを読んで、元気になれるかな・・・と思うと、うーん、つい後込みしてしまいます。。。
また、感想を聞かせていただけたら、うれしいです。
2000/2/9, いとうくにお
ちえさん、こんばんは。今夜は、コンビニで買った安ワインを飲みながら書きます。ええ、確かに女性ファンが増えるのはちょっと嬉しいですねえ。きっと大江さんも喜ばれるのではないでしょうか。リジョイス!とか言って。でも、男性ファンが増えるのは嬉しくないということではないですよ!
僕が『個人的な体験』で好きなところはいろいろあるのですが、いま思い出すのは、ヒミコがバードに問われてパラレルワールド(並行して存在するいくつもの宇宙)について説明するシーンですね。僕にとっては、ああいう女性像は魅力的だし、なんだか妙にリアルな感じがするんですよ。
2000/2/9, ちえ
あきこさん、みなさん、こんばんは。
今日はメールが一通もきていなかったので、こちらにきてみました。
わたしも大学生になってはじめて、しかも課題として指定されて、はじめて大江作品を読みました。それいらいハマっていますが。あきこさん、これからです。(とはいえ、わたしももっと早く出会わなかったことを悔やみましたよ。)
それより、若い女性ファンが増えて、うれしいですね!?、いとうさん。
わたしもうれしいです。
作中人物と同年代のときに作品を読むと、確かに、その年齢を離れて読むのとはまた違った効果があるかもしれませんね。(『ノルウェイの森』を社会人になってから読むと少し色褪せてみえるように。)それに、学生時代はたくさんの本を読むことのできるまたとない機会だと思います。時間はたっぷりあるし、(わたしは好きでない講議の間は読書の時間でした。)大学図書館も使い放題。何より、とーっても感動できる最後の時期かもしれません。大いに読んで、大いに感動してください。(わたしももっと読んでおけばよかったー。)
わたしは同年代の作中人物に感情移入するというよりは、同年代の時にその作品を書いた大江さんの才能に嫉妬していました。さらに、精神年齢が低いのかもしれません、少年主人公に感情移入しては興奮していました。
どうぞこれからたくさんお読みになって、たくさん感想おきかせくださいませ。
『個人的な体験』の感想もよかったら教えてください。感想はあくまで感想ですので、難しく考えることはありません。あきこさんはどこが気に入って、どこはきらい、とか。
わたしは実はお酒を飲むシーンの描写が好きでした。たくさん、お酒を飲みますよね?あの小説。「おいしそーだなー」などとおもいつつ。いえいえそれだけではなくて、<記号>として上手く使われていたと思うし。「鳥」はいつもお酒によってだめになりますよね?・・・そろそろ記憶の危うさが露呈しそうなのでやめます。
いつもいつも長くなってしまってごめんなさい。
では、あきこさん、これからどうぞよろしく。
2000/2/6, いとうくにお
あきこさん、はじめまして。『個人的な体験』はいかがでしたか? メーリングリストのほうで少し話題にあがっていたのですが、大江さんの作品には二十歳とか十代とかの年代を描いたものがけっこうあって、作中人物と同じような年代のときにその作品を読むとインパクトが強いかもしれません。あきこさん、それができるのはいまのうちですから、バンバン読まれることをお勧めしますよ。
2000/2/6, あきこ
いとうくにおさんを始め皆さん、はじめまして。
今年の始めにパソコンを購入し、家族でその奪い合いをする中(笑)(といってもそれは最初のうちだけなんですね。)
このHPと出会うことが出来ました。
私はこの長い春休みを終えた後、大学2年次となりますが、今までの貴重な学生の時間で、大江文学に触れることは殆どありませんでした。
「殆ど」というのは、母の本棚から借りて読んだ講演著「あいまいな日本人」の1冊が「全くではない」と自分に言い聞かせているのだと思いますが、
そのように思っていた自分にも、今では恥ずかしさが、こう、喉元まで、きている感じが、します。(笑)
このHPの「大江健三郎のすすめ」に沿って、「個人的な体験」を読みました。私がここで感想を書いてしまうと、大江文学の表面も解していない、ありきたりな事を連ねそうで、本当に怖いのです。
ですから今は、1冊でも多くの大江文学に触れて、皆さんの理解、考え、思い入れの足跡をゆっくり追うことが出来れば、と思っています。
長々と失礼しました。毎日寒いですが、(神奈川では)皆さん、風邪などひかぬよう、お体に気をつけてくださいね!私はすでにひき始めです。(笑)
2000/1/30, へべれけ
みなさんこんにちは.というか,「久しぶり」と言った方が良いくらいご無沙汰しとりました.内容の是非はこの際問わないとして,ともかく卒論は提出できたのですが,その後卒業旅行(伊豆!)やらなんやらで,かなり長い間ここには書き込んでいませんでした.また,これから就職なんかもあるので,頻繁に書き込めるかはよく分からないです.
 で,ちょうどnatsuさんがセンチメンタルについて言及していましたが,それはぼくとしても最近よく考えていたことなので,ちょっと書き込みたくなったのです.
 最近はセンチメンタル=悪という主張が支配的ですが,その理由がぼくにはよく分からなかったのです.また「同情(=センチメンタル?)」と「共感」はほとんど同じなのに,なぜ「共感」だけが良いイメージを持っているのだろう,と.後者の回答をぼくはまだ発見していませんが,それでもセンチメンタルが人恋しさに由来するというのは斬新で,納得のいくものでした.
 ただ「他者を求めたい(他者の気持ちにそうようでありたい)」という気持ちと、「自分自身の気持ち(欲望)のままであろう」という自己本位は、本当に対立するものなのかなあとも思ったのです.後者は,前者の一部分に過ぎないんじゃないかと.
 ごめんなさい.うまくまとまらないです.また,気が向いたらお話を聞かせて(というか,書き込んで)下されば嬉しいです.
 なお,昔々書き込んだ通り「燃え上がる緑の木」は卒論提出後に読み終えましたが,様々な都合により「永遠の仔(天童荒太)」を読まなくてはならないため,「宙返り」はまだまだ先です.四月までには,と思っているのですが.
2000/1/29, いとうくにお
OGAWAさん、はじめまして。このページをお褒めいただきうれしいです。大江文学の魅力と、それに魅せられてここにきてくださる方々のおかげで、ここも少しずつ成長してきたように思います。いつでも遊びにいらしてください。
2000/1/29, F.OGAWA
新聞記事で、このページをみつけ、早速アクセスさせていただきました。
すばらしいです。
個人でよくこれだけまとめられたと感心させられます。 専門なので当然なのかも知れませんが、ホームページの構成が、とてもシンプルでわかりやすくよくまとまっていて、すばらしいと思います。私の見つけた個人のホームページでは出色のできだと思います。
私は、大江ファンだったのは、学生時代で、今から20年も昔の話です。
大江文学をどこまで、理解していたかは疑問(今でもそうですが)ですが、大好きな作家の一人で、当時の作品はほとんど読みました。
今は、情けないことに大江作品どころか、文学作品をそれほど読むこともなくなってしまいました。
当時、純文学の理解度は低くても、「ヒロシマノート」などのエッセイは大好きでした。戦争体験と、同世代の戦後文学の作家について語るエッセイには、感動した作品がいくつかあります。自分や同僚たちの文学にかける情熱を過剰なまでに訴える大江さんの姿勢に感銘をうけました。
伊藤さんは、私が感じたあの頃の感動をずーと持ちつづけてきたんだろうと察せられます。
青春時代の大江体験を再体験させていただきたく、これからも閲覧させていただきますので、よろしくお願いします。
2000/1/27, マツオカ
いとうくにおさん、お返事有難うございます。早速「年譜」を拝見してみたところ、とても詳しくて助かりました。
只今受験を控えておりまして、あまり時間をかけた検索ができませんがこれからも引き続き探してみます。
2000/1/27, いとうくにお
 マツオカさん、はじめまして。たまたま先日、大江さん関係の情報のあるところを探したのですが、「詳細な著作リスト」と言えるものは見当たりませんでした。このサイトの「年譜」は、著作がかなりカバーしていると思いますが、個々の著作についての詳しい情報は記載していません。もしよいサイトが見つかったら教えていただければと思います。
2000/1/27, マツオカ
はじめまして。今回はうかがいたい事があって投稿いたしました。
Web上の大江健三郎のできるだけ詳細な著作リストを探しているのですが、ご存知の方はお教え頂けないでしょうか?
中上健次についても探しているので、どなたかご存知の方がいたらよろしくお願いします。
2000/1/27, いとうくにお
 アキラさん、投稿ありがとうございます。気が向いたときはいつでもメッセージを送ってください。記憶の抜け落ちや、そのふとしたことでの蘇生というのは、多くの人が経験することのようですね。それと、試験、がんばってください。そのあとで、思う存分、大江作品を読みまくりましょう。
 ちえさん、こんにちは。「娯楽」のとらえかたが僕と同じだということがわかりました。大江さんの本を読むことは娯楽か、それとも魂のことか(あのときは「人生を深く考えるようなこと」みたいな言い方をしたんだっけかな)という僕の質問のしかたがずれてましたねえ。それらは相反するものではなかった。ちえさんが「”娯楽か研究対象か”という選択肢は、二分するものではない」と書いてますが、それと同じで、一冊の本を読むことが大いなる娯楽であり、かつまた”魂のことをする”ことでもある、というケースはあり得ると思います。特に大江文学においては。
 話し変わって、先日、牛のスネ肉(大江さんもそれでシチューを作ることがあるという)を食べる機会があったのですが、けっこう大きなカタマリだったので意外でした。自分の足のスネを触ると皮のしたにすぐ骨があって、だからこそぶつけると痛いわけですが、そんなところから肉をこそげとっても薄いものにしかならない。牛といえどもそこにそんなに肉があるわけないだろうと、そういうふうにイメージしてたんですね。
2000/1/27, アキラ
 半年位前からこのサイトをブックマークして見続けてきたのだけれども、去年「宙返り」の出版以後ずっとその話題ばかりだったので、まだ「緑の木」を読んでなかったし「宙返り」を読む時間のなかった僕は、皆さんが熱心に作品について議論したり、また純粋に楽しんでいるのを横目で見ながら、羨ましく、少々さびしい気持ちだった。
 けれどあと2週間ほどで試験も本番を迎え、これでやっとその両方を読み始める事ができるので嬉しくて仕方ない。だからと言って気は抜けないのだけれど・・・・
 そして書き込みをしたのは、ちえさんやいとうさんが書いてた「辛い時の記憶が無くなる」という体験を読んで、自分もそのような経験(記憶喪失みたいな大袈裟なものではなく、ただ単にポッカリ記憶が抜けただけなんだけど)を見て、自分にもそのような経験があり、最近このサイトと共通の話題から無縁だった僕が、激しい親近感に動かされて書いただけであって、要は「あるあるそういうこと」というだけです。
 しかし、たしか「叫び声」では自分が行った強姦殺人を夢のような無意味なことを感じてそれを忘れ、夢の中だけそれを何度も繰り返すことがあったと思う。
 勿論僕は人を殺したわけじゃないけど、その辛かった時分に憎んでいた人を夢の中で酷い目にあわす、ということが何度かあって(僕は自覚している限り極めて温厚な人間で、普段はそんなことを考えることすらない)、結局その夢によって自分が辛かったこと、彼を憎んでいたことを思い出したのです。
 で、まとまってないんだけど、大江文学はやはり人間の精神の根源に触れる「ハイカロリー」な文学であって、そのような精神を肥らす文学を共感してくれる人たちが他にいることだけで、僕は喜ばしいのです。
2000/1/26, ちえ
こんにちは。
いとうさんの「娯楽」のとらえかたは、わたしの中の意味付けと近いと思います。
”娯楽か研究対象か”という選択肢は、二分するものではないですよね?わたしは、ただ自分が楽しんで、それについて深く考えたりはしないものを”娯楽”、<文学的に>解剖してみたり、解明を試みたりする(この作業は、興味を持っていなければできないとは思いますが、好きだとかえってできない時もあります。)、さらにそれを人に向けて発表したりするものを”研究対象”としていました。どちらもわたしが心惹かれるものであることにかわりはありません。いづれにしても「娯楽」ですね。
わたしも「娯楽小説」ってどんなものを指すのかさえもわからないほどで、かなり偏食なのですが、ミステリー、ホラー、サスペンスと呼ばれるものは、何度かチャレンジしましたが受け付けません。それより、大江健三郎や村上春樹、ほかには川端康成や夏目漱石、谷崎潤一郎、三島由紀夫(すごい名前ばかりがならびましたが)などが、わたしにとっては興味深く、”面白い””楽しい”ものです。わたしにとっては、これらの作家と並ぶ位置に、大江さんはいます。特に、わたしの勝手な思い込みですが、「きっとこの人とわたしはどこかに同じカタチのものを持っている」と思えるのが、大江さん。(と、春樹さん。)
常々思うことですが、言葉ってむづかしいですよね?一つの言葉でも、人によってはとらえ方が違ってしまう。わたしもよく「おもしろい」という言葉を使うのですが、それで誤解を招きそうになる時があります。例えば『プライベート・ライアン』って映画がありましたよね?あれは、「戦争をリアルに描いた悲惨な映画」なのですが、わたしにとっては、映像はみごとだし、ストーリーや人物描写も細かくて、観ていて痛かったり悲しかったり、ほっとしたり笑ったりと盛り沢山で、映画作品としてとても「おもしろい」ものでした。でもここでこの言葉を使うと、「え?あれが”おもしろい”の?」とちょっと顰蹙を買うことがあります。
その点いとうさんの、「アートに感動したり心を癒されたりということも含む」のは、わたしの「娯楽」ととても近いです。
話があちらこちらにそれましたが、わたしの大江文学のとらえ方はこんな感じです。
2000/1/26, natsu
いとうさん、みなさま、おはようございます
いとうさん、さっそく教えてくださってありがとうございます。『燃えあがる緑の木』のstoryをだいぶ忘れてしまっていたのですが、そうそう、と少しずつ思い出しながら、p.110周辺を読んでみたりしたところです。
ここでいうセンチメンタルにならず、というのは、つまり、感情に流されず(同情せず)、というほどの意味なのでしょうか。でも、単に、感情に流される、ということと、センチメンタルになる、ということとは、ちょっと違うような感じがします。
センチメンタルというと、それは、懐かしさの感じにつながっていて、関係の中で言えば、孤独や寂しさを慰めてくれる、人のぬくもりの遠い記憶、みたいに、存在の底にある普遍的な人恋しさの感じを持っているから、その人恋しさをベースにした「他者を求めたい(他者の気持ちにそうようでありたい)」という気持ちと、「自分自身の気持ち(欲望)のままであろう」という自己本位、ということとが、たぶん、対をなすように、使われているのでしょうね。そう考えると、この場面での、「センチメンタルにならず」というのは、サッちゃんの微妙な気持ちの襞をとらえた選ばれた言葉だという感じがします。
ちえさんの文章やいとうさんの昔話を読んでいて、わたしも、「覚えていない時間」を、思います。動物って、疵を負うと、自分の巣穴の中にじっとうずくまってしまうでしょう。じっと動かない時間を呼吸しているんだろうなあ、っておもいます。
『芽むしり 仔撃ち』について、ちえさんやみなさまに尋ねてみたいことがあるのですけれど、これから、野蛮な運転のたたった免許証の更新に行かなければならなので。
いとうさん、お答えありがとうございました。
2000/1/26, いとうくにお
 ちえさん、こんにちは。苦しい時期にこのサイトが多少なりともちえさんのお役に立てたのでしたら、僕としてはとてもうれしいです。
 お話しにあったような質問を僕がしたのは、サイトの運営方針について僕が考えていた時期でしたので、年代の若い人にとって大江さんの文学がどのように読まれているのか聞いてみたかったからなんです。僕は「文学は娯楽だ」という考えなんですが、それでいいのだろうかとちょっと気になっていた。しかしまあ個人運営のサイトは結局「あくまでも自己本位に考えてくれ」というスタンスでなければ続けていけないだろうと思うので、いまは迷いはありません。
 僕が「娯楽」というときにはいつも補足しなくちゃと思うのですが、自分にとっては娯楽というのは、アートに感動したり心を癒されたりということも含むものです。いわゆる「娯楽小説」は自分にとって必ずしも娯楽ではないです(楽しくない・面白くない)。結局、自分にとって楽しい小説というのは、”魂のことをする”というようなことにつながる作品をも含んだものなんだろうなと思います。その中に大江文学も含まれていると。
 話はちょっと変わりますが、ちえさんの投稿の中に、絶望していた時期の記憶がなくなっていたというお話がありましたが、僕も似たような経験があります。僕は高校のころと二十歳のころにちょっと苦しかった時期があったんですが、高校のときのことは、ずいぶん長い間、忘れていました。それが十年くらいたってから急に記憶がよみがえってきたのでした。思い出してみると、蛾がいるからという理由で自分の部屋に寄り付かなかったり、本のあるページに違和感を感じて、その違和感の原因がわからず何時間もページを見つめていたりとかしてましたから、まあ精神のバランスがかなりおかしくなっていたんでしょうね。二十歳のころのときは、開高健の『フィッシュオン』と海外旅行のガイドブック各種を読むことでひたすら心を慰めてその時期をやり過ごしました。
 昔話をしてしまいましたね。いま気がつきましたが、大江さんも開高さんも、「ケンちゃん」だなあ。僕は二人の健ちゃんに、大いに慰められ楽しませてもらいもしてきた、というわけですね。
2000/1/25, ちえ
こんにちは。
わたしも久々にこちらに来てみました。掲示板はさびしくなりましたが、他は充実してきているのですね。
「宙返り」を巡って をみました。それで、”魂のこと”をするということについて、あらためて考えてみました。
前回オフ会の時に、いとうさんに「大江作品を読むのは、娯楽かもしくは”魂のこと”としてか」という質問を受けて、わたしは「娯楽ではない」としか答えられませんでした。以前までわたしの読書は、娯楽か研究対象か、でしたので、”魂のこと”という選択肢はその時なかったのです。
しかし今でも、大江作品を読むこと自体が”魂のこと”をしているとは思いません。でも、全く無関係ではなく、”魂のこと”をする「道具」、もしくはきっかけとなっていると思います。そしてそこには、このファン倶楽部でのみなさんのご意見も加わって。メールで書きましたが、「それでも生きていかなくっちゃいけないんだな!」という気持ちを抱かせられるということに気付いたのは、ツクヨミさんのエピソードのおかげですし、何より『宙返り』を読破できたのは、みなさんの話に入っていきたかったからだし。
大江さんが仰る意味での”魂のこと”は宗教という枠組みにははまらないものだと、強く感じます。わたしは信仰をもっていて、それは子供の時からのもので、些細なことで思い悩んではばかみたいに絶望してばかみたいなことを考えていた時期に、支えになったのは信仰でした。そういう経緯があって、今でも、(ちっとも熱心ではないのですが)信仰しつづけています。
でも、大学で、哲学科の教授が「信仰とか、宗教とか、神というものは、みな人間が必要として、自らつくりだしたものなのです。」と仰った、その言葉を忘れることができません。その通りだと思うからです。わたしは日々平穏に生きていくために、生きることに挫けそうになる時よりかかれるように、わたしの神を信仰しているのだ、と思うからです。もしかしたら、間違った信仰の仕方かもしれませんが、わたしにとってはそれを認識することも、平穏を保つためには必要と感じます。
去年、久々にというか、初めてと言うか、深ーい絶望に捕われました。もう、何に捕まって抜け出したらよいのかわからないくらいでした。ですから、信仰に頼るということも忘れていたくらいです。記憶もほとんどありません。都合のいい頭ですね。そのきっかけとなったショックを受けた時の衝撃は忘れることはできませんが、いつの間にか、絶望の淵を上から見下ろしていました。苦しかった時から今にいたる時までの過程を思い返せば、そこでしてきたことは”魂のこと”であったと、思えます。全く信仰に頼らなかったわけではありませんが、しかしそれ以外の部分で、大変にすくわれたのです。決して大袈裟に言っているのではなく、その中心はココにありました。このファン倶楽部と出会って、再び大江作品との密接な関係(?)が始まって、それまでは聞くことのなかった様々な大江ファンの意見を聞いて、それを自分にかえして考え直す。そのようなことをしているうちに、自分がどれほどつまらないことに捕われていたのか、と思えるようになったのです。全て大江さん自身とその作品から派生してきていますよね。
以前にも似たような投稿をしたかもしれません。また、つまらないことを書いているかもしれません。
今、今まで以上にはっきりと、”魂のこと”についてよくわかったような気がしたので書いてみました。それに、あの時の不十分な回答の埋め合わせになるかとも・・・。それはこじつけかな?
ところで、natsuさんの書かれる文章って、名前が浮き彫りにされているような、とても独特のリズムを感じます。(好感を抱いているのです。)読んでいると、しゃべっているnatsuさんのお顔が思いうかんでくるのです。natsuさんは、話し言葉と書き言葉がおなじなのかな。
2000/1/25, いとうくにお
natsuさん、こんにちは。あの引用ですが、単行本では110ページにあります。サッチャンがギー兄さんに幻滅して伊豆の別荘にいきますよね。その後、サッチャンのほうも教会のほうもいろいろあった。そしてギー兄さんが暴漢に襲われたあと、ギー兄さんからサッチャンに戻ってほしいという連絡がK伯父さんを通じてあった。そのときK伯父さんがサッチャンにいう言葉です。たぶん小説の主題とはあまり関係のない言葉だとは思いますが、大江さんの実感がこもっているような感じがしますし、僕自身なるほどそうかもしれないなと頷けるセリフだったので引用したしだいです。
2000/1/25, natsu
いとうさん、みなさま、おはようございます
突然ですが、いとうさん、トップページの前回の引用文「サッチャン、センチメンタルにならず、あくまでも自己本位に考えてくれ。・・・・・」は、『燃えあがる緑の木』第3部からのものですが、何ページに載っていますか?ぱらぱら、ページを繰ってみたのですけれど、見当たらない。ちゃんと読み直してみればよいのでしょうが、読まなきゃならない本、何冊かあって、ちょっと時間がありません。
この頃、よく「センチメンタル」ということを考えます。極めて良質なセンチメンタリズム、というのは、どういうものだろう、ということです。センチメンタルに限らず、ロマンティックということ、ノスタルジー、きちっとしたリアリズム、とか、美しいナルシズムとか・・・。人の持つさまざまなリリシズムは、時間のうちに錯綜して人の生を豊かに彩るし、また、生きることの根を支えているようにも思うのですけれど、一歩まちがえると、ぞっとするほど、ナメクジやミミズみたいに!気持ちの悪い醜悪なものになってしまう。自身の心映えとしても、あるいは、文学や芸術の表現の問題としても、極めて良質なリリシズム、というものを考えます。
大江さんの言葉から拾えば、たとえば、「まっすぐ立った心」とか、「ディーセント」といったような言葉が浮かびます。こんな感じというのではなく、きちんと考えてみたいと思っています。それは、わたしの中では、いろいろな大切な問題につながっているように思うからです。
ところで、メーリングリストは、極めて活発ですね。楽しんでいます。でも、その分、掲示板の方が寂しい気がして、今日は、掲示板に書き込みしてみました。
2000/1/18, いとうくにお
わさらかさん、はじめまして。もしよければメーリングリストのほうにいらっしゃいませんか。メーリングリストなら、細かいやり取りが可能ですから、不明点について具体的な質疑応答が可能だと思います。
2000/1/17, わさらか
皆さんはじめまして。
実は相談がありまして、
最近、大江さんの作品を読み出しました。
「万延元年のフットボール」を一様読み終えたんですが、
感想は「さっぱり意味がわからない」なんです。
特に会話文が意味不明です。
何とか理解したいのですが、どうにかならないでしょうか?
参考文献や、皆さんのご意見をいただけたらと願っています。
2000/1/16, いとうくにお
小樹さん、ツクヨミさん、投稿ありがとうございます。最近はメーリングリストのほうが投稿が多くなってきました。迅速な情報交換やコミュニケーションには、メーリングリストのほうが適していると思いますので、よろしければそちらもご利用ください。
2000/1/16, ツクヨミ
みなさん、はじめまして!
ツクヨミと言います。
以前からこのHPのことは知っていたのですが、投稿する勇気がありませんでした。
初投稿なんで自己紹介をかねて、ご挨拶します。
ぼくは7年前、ある事故がもとで体に障害を負ってしまった23歳の男です。皮肉なことに障害を負ったおかげで、ゆっくりと読書をする時間が持てるようになり、大江文学に出会いました。当時、全てに対して絶望していた自分は、大江さんの作品に何度励まされたかわかりません。それは今も変わっていないし、とにかく大江健三郎さんの大ファンなんです。
こんなぼくですが、みなさんよろしくお願いします。
2000/1/16, うーか
Re;武奈彦
ありがとうございます!!!大変参考になりました。
2000/1/15, 武奈彦
武奈彦です、こんにちは。
 みなさんには「今頃?」と言われそうですが、宙返りを読了しました。なんだか咀嚼しきれていないのですが、物語そのものはすごく面白く読めました(いとうさんがそんなことを言っていたのを思い出して、納得しています。)
 それで、あらためて(というか、これまで人の感想はなるべく読まないようにしていたので、ここの掲示でも、「宙返り」の文字があると目をそむけていました(笑))、他の人の感想を読んでみたくなって、昨年の6月に遡って、掲示板を読んでいました。そうそうと頷いたり、ああなるほどと思ったりしながら。終章をどう受けとめるかがアレなんですが、大江さんがこういう見ようによってはヘビの足のようにも見えるエンディングを書いてしまうのは「個人的な体験」以来かな、なんて思いました。
 メーリングリストの方の「液体としての水」という大変面白い話を読みながら(ちょうど下巻の最後に読み進むところだったので)、「宙返り」の後半(つまり、真木町を舞台とする物語)の間中、ずっと雨が降り続けるのはなぜだろう? なんて考えていました。神学的(?)な意味付けはよく分からないのですが、南方のよく育った森があって、その森に囲まれた空間で、雨が降り続けるのはどんな雰囲気だろうなんてことを想像しながら読んでいました。
 ところで、うーかーさん、僕はフランシス・ベイコンって絵も描くんだっけなどと寝ぼけたことを考えてしまうくらい無知なんですが、木津の描く絵の雰囲気はどんなだろうって想像するのに参考になるかと思って、大江さんが好きだというベイコンの絵を探してみました。そうしたら、Archive of Francis Bacon Paintingsというのと、Francis Bacon Image Galleryというのを見つけました。(で、とりあえず、トリプティクの綴りは分かりました。)
 後者には、ベイコンの絵を所蔵している公共美術館のリストもあって、日本では3館あげられていますよ(伊豆と東京と富山)。
2000/1/15, たなか
みなさんこんにちは.
小樹さん, お探しの記事は1999年6月9日の「朝日」夕刊にあるものではないでしょうか.
受験勉強, 頑張ってくださいね.
2000/1/13, 小樹
はじめまして。大江氏を大変敬愛しています。このホームページを見つけて感動しました。宜しくお願いします。先日のテレビ、見ました。民主主義は私達が協力して作り上げていくもの、民主主義の教育には、「前向き」の教育と、苦しい立場にある人を救ったり、苦しい立場の時に対応できる教育が必要だ、という考え方に、しみじみと考えさせられました。そして、一生懸命メモを取りました。私は、受験生なので、受験が終わったら先ず一番始めに『宙返り』を読むんだ、と自分を励ましながら我慢しています。でも、新書や文庫は今もよく読んでます。・・ところで、大江氏が、ICU大学で、去年、50周年の記念講演をなさった記事が、確か朝日新聞に掲載されたと思うのですが、その内容がどうにかして手に入る方法があったら教えていただけませんか。(新聞の日付でも。)
2000/1/12, うーかー
初めて書き込みします。よろしくお願いします。素人の質問で恐縮なんですが、大江さんも言っていた、フランシス・ベイコンの作品は、国内のどの美術館に比較的多く展示されているのでしょうか??又、彼の作品集で、オススメのものがあれば、教えていただけると幸いです。唯一知ってるのは、「フランシス・ベイコンノパッション」だけでして、それも、値段の高さ故拝見していません。そちらの方も、何か情報お持ちの方いらっしゃれば教えてもらえませんでしょうか。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。場違いなメールをすいません。
2000/1/12, Barbara
こんばんは
森本さん、そのビデオ是非見たいです。よろしかったら、次回の公式オフ会(まだ具体的には決まっていませんが)の時見れるとうれしいです。あの大江さん、必見だと思いませんか。内容がわかっていないので、一瞬見た大江さんの顔だけて言っているのですが…。谷川俊太郎も私は高校の頃から大好きで、是非見たいです。
2000/1/10, 森本です
NHK教育を観ていましたが僕はみなさんのように真面目ではないので
大江さんのユニークなしかし少し厳しい発言(お解りいただけますね)に惹かれたのでした。◆Barbaraさんが、美を語る、についてふれられていました。実を言いますと僕は、あの番組を録画していました。大江さんの他にも、作家では遠藤周作、詩人の谷川俊太郎、音楽家では武満徹という、日本の知性が、色々と語っていたのでした。勿論画家の方も出演していました。われらが大江先生も「わたしとベイコン」という題で、話していました。
そこで、もしよろしければ、そのビデオを、オフ会の時にでも、観ていただいたらと思うのですが。どういたしましょう。
2000/1/9, グチオ
NHK見ました。大江健三郎さんってとてもユーモアがあって愉快ですよね。僕は大江さんの教育についての会話に惹かれました。経済学者の佐和教授の意見に対して、「教育には二つの側面がある」と。そのうちのひとつ、苦しい立場での、貧困の中にいるときの教育。これこそが今重要ではないか、とのコメント。これこそは、「餓えて死ぬ子供の前で文学は有効か」というサルトルにも通ずる命題を、よりリアリティーのあるものにしうる考え方なのではないかと思いました。
2000/1/9, たなか
たなかとミロの入れ替わり事件(?)は, たなかが寒い2階へ昇っていくのを億劫がり, ミロのパソコンを借用したためでした. 混乱させてすみませんでした.
図書館のリサイクルコーナーにはお世話になったので, うちにある余った本(古本屋で相手にされなかった)を置いてこようかと思っています.
武奈彦さんに教えていただいた季刊アトラス創刊号, 豊富な内容をきれいにまとめた特集でした. どうもありがとうございます. 某プロジェクトのための情報は, 大きな図書館に行くことがあったら調べてきたいと思います.
フォークナーの小説は「乾燥の九月」を, あとは「人と作品」を読んだだけですが, 返却期限までに, 収録されている小説を全部読みたいと思っています.
2000/1/9, いとうくにお
おねむりパーシーさん、お久しぶりです。僕もテレビ見ましたよ。NHK総合と教育の両方に同時出演という、すごいことになってましたね。
りかさん、こんにちは。感想、楽しみにしてますね。
武奈彦さんが紹介してくださった季刊アトラス、とてもよかったです。大江さんが高校生のころ、父親を亡くして沈んでいる友だちを励ますために詩を書き送ったという話など、故郷ならではのエピソードがたくさん出てきますね。武奈彦さん、どうもありがとうございます。
2000/1/8, りか
あけましておめでとうございます。
実は去年2度程この掲示板に書き込みさせていただきました。
このサイトを発見したおかげで、私の周りにはいない大江健三郎ファンの方々の意見や感想が伺えてとても嬉しかったです。去年中に買い込んだ大江さんの本が10册程残っているので、それを読了次第、こちらに感想を寄せたいと思います。
2000/1/8, おねむりパーシー
お久しぶりです。いとうさま、みなさま。
昨日、大江さんの様子ががNHK総合の「ニュース11」で放送されているのを見たので、このページのことを思い出しやって参りました。(^o^)
同じくノーベル賞作家で毒舌で知られるギュンダー・グラス(70歳)と談笑しているところも映ってましたね。
ドイツでの任期は来月末という事ですが、帰国後の活躍も楽しみな私メであります。^^;
同時間に教育TVでもノーベル賞フォーラムにて大江氏が登場されていたようですが、ご覧になった方はおられますか?
ところで、TOPページをリニューアルされたんですね。
私の大好きな「燃え上がる緑の木」がぁ。
引用文も気に入りました。
オフレポ、見ましたが大江さんからサイン入りの本をもらったんですね。昨日の放送でも大江氏のサインシーン(笑)が写ってましたが、ハンコをしっかりと押すところ、いいですねぇ…。
いとうさんは大江氏と面識があるんですか?もしあるなら、パーシーのこともよろしくお伝えください。(笑)
私たちのHP情報ですが、「文学の国」にて「M&D・・・・」の続きをUP致しましたので興味のある方はご覧下さいませ。(^o^)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/3183/
2000/1/7, ミロ
ミロは実はたなかでした。訂正遅れてしまいましてすみません。
とは言え、何を抱えて来たのかと最初はびっくりしましたが、「なになに!無料!」と大喜びの私でした。しかもたった一冊残ってたらしい『人生の習慣』(もう持ってるのに)を翌日ゲットしに行きましたが、残念ながらもうありませんでした。(ちょっとほっとしました)
ちなみに我が家にはお陰様で『洪水はわが魂に及び』は文庫で2組バードカバーで1組所有と言うことになりました。
natsuさん
借りてきたのはたなかですが、読んでいるのはなぜか私だったりするので、お返事します。
今読んでいるのは、『ノーベル賞文学全集』の収められている作品集です。作家事に選考経過、授与演説、受賞演説、作品数編、人と作品、著作目録 が収められています。大江さんもそのうち入るのかな、なんて思いました。
作品は『兵士の報酬』『エミリーにバラを』『あの夕日』『乾燥の九月』です。
natsuさんのおっしゃっている『野生の棕櫚』はぜひ読んでみたいなと思っています。ちょっと読んだだけなのでざっとした印象ですが、フォークナーにしてもヘミングウェイにしてもこの時期の作家の独特の風合いがあって何とも惹かれるものを感じています。
2000/1/7, 武奈彦
いとうさん、みなさん、こんにちは。武奈彦です。(掲示板からうまく送れないのでメールでお送りします。)
 しばらく前になんとなく始めてしまった発行日付関係の某プロジェクトを、飽きずにつづけています。ということで、ミロさん、どうもありがとうございます。(ちなみに、「生き方の定義──再び状況へ 」の2月28日は、「エセー(随想録)」のモンテーニュの誕生日(1533年)、「洪水はわが魂に及び」の9月30日は、大江さんより7歳年長で子供時代にアウシュヴィッツを生き延びたエリ・ヴィーゼルの誕生日です。大江さんがそのようなことを意図して発行日を選んだと、信じこんでいるわけでもないんですけれども……)
 ところで、(すでにこの掲示板で話題になったのかもしれませんが)愛媛の地域誌で季刊アトラスというのがあるのですが、3年前の創刊号の特集が「郷土で見た大江健三郎」でした。大江さんの「高校時代のスナップ写真」とか、お兄さん(昭太郎さん)の文章とか、僕もいつか見てみたい江澤文庫のこととか、ちょっとふつうと違った切り口で、けっこう楽しめます。その創刊号全ページがpdfファイルになって、ウェブで公開されています。大江特集だけで3 MB以上もありますが、ファンとしては必見じゃないかしら。URLはここです(接続経路によっては、ミラーサイトの方が速いかもしれませんが)。
2000/1/7, ミロ
あけましておめでとうございます。
去年参加させていただいたお陰で、大江さんの作品に再び巡り会う事が出来ました。また、大江さんの読書を通じて今まで読むことの無かった作家にも出会えて、なかなか充実した読書生活を送ることが出来たように思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、ふと今日のテレビ欄を見ると今夜のNHKの「ニュース11」に大江さんが出演なさいます。〜ベルリンの教壇で〜と言う内容です。是非見なくては。
2000/1/7, いとうくにお
五日の投稿を「ミロ」さんとしてましたが、「たなか」さんの間違いでした。すみません。訂正しておきます。
2000/1/7, ちえ
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
1日からずっと、掲示板が更新されていないので、どうしたのかしらと、ちょっと寂しい気持ちでした。みなさん、お忙しかったのでしょうね。わたしは、文字どおり映画三昧のお正月でした。1日に映画館へ行ったら1000円だったもので、調子に乗って3本も見てしまいました。翌日もその翌々日も見に行って、家に帰ってからもいれたばかりのDVDでみて、4日間で計6本も映画をみてしまいました。
読書はほとんどせず、そのかわり、久しぶりに紀伊国屋書店新宿南口店をのぞいてきました。ミロさんの、大江本入手事件(?)うらやましいですね。紀伊国屋さんくらいの大きな書店でも、陳列された大江本の少ないことといったら!さびしいかぎりです。「何かあれば」と思って行ったのですが、何もなかったです。欲しいものが。村上春樹なんか『風の歌を聞け』っていう古い作品まで、ハードカバーが並んでいるのに。
もう、うちの近所の本屋さんでは、新潮社の文庫さえ、おいてあるかどうか危ういのです。(我が家から一番近い書店では、実際、一冊も置いていません。わたしは、この書店を、本屋だとは思えません。一番近いけれど、そこでは買わないことにしています。)
さて、とても低レベルな話になるかもしれませんが、『エンド・オブ・デイズ』の世界終末論的な話からは、カルトの問題へ連想して、なんとなく『宙返り』を思い(ちっとも関係ないのですが!)、『ファイト・クラブ』をみては、「こういう世界を大江さんならどうお考えになるのだろう」と、ちらっと思ったりもしました。まぁまず、大江さんが『ファイト・クラブ』をごらんになるとは思えませんが。
ちなみに私的映画観でいうと、前者は最悪、後者は、あくまで私のなかでですが、久々のヒット作でした。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2000/1/6, natsu
いとうさん、みなさま、あけましておめでとうございます。
去年は、このホームページから、考えるきっかけやヒントをたくさんいただきました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
ミロさん、フォークナーは、何を読まれるのですか? 
フォークナーといえばわたしもいつかなにかを読みかけたな・・・と、ごそごそ探してみたら、『野生の棕櫚』でした。挫折したまま、机の上で、ほかの本やノートに埋ずもれてました。。なんだか、わたしの机の上にも、「本のりサイクルコーナー」ができてしまいそうです!今年は、これに、「正しいリサイクルの流れ」をつくって、元気に読書していこうとおもっています。今年も、また、いろいろなご意見、たくさん聞かせてください。
2000/1/5, いとうくにお
リサイクルコーナーに大江さんの本ですか。めっけものでしたね。本の価値は読む人それぞれですからね。ミロさんにその本が行き着いて、これは正しいリサイクルの流れではないでしょうか!
2000/1/5, ミロ
今日、帰宅途中に家の近所の図書館へ立ち寄って、フォークナーの小説なんぞを借りてまいりました。ちなみに、フォークナー(William Faulkner)は1897年9月25日生まれ、1962年7月6日没。1949年ノーベル文学賞受賞。
その図書館には「本のリサイクルコーナー」という書架があり、そこに並んだ本(図書館で廃棄処分された本と、利用者が持ち寄った本)は、無料で持ち帰ることができるのです。その中になんと、大江さんの著書が並んでいるではありませんか。ちょっとさびしいような気がしましたが、しかしありがたく頂戴してまいりました。
そこで初版発行日チェック。『洪水はわが魂に及び』(新潮社、初版上下とも1973年9月30日)、『生き方の定義〜再び状況へ〜』(岩波書店、1985年2月28日)といったぐあいです。
さて、それでは読書の時間です。
2000/1/4, Barbara
皆様、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ところで昨夜NHK教育テレビ9時からの『美を語る』という番組に、恐らく30代後半か40代前半の頃であろう大江さんが出ていました。母から「あなたの好きな方がテレビに出てる」と電話をもらい、急いでつけたのですが時既に遅しで最後の30秒くらいしか見れませんでした。ベーコンの絵についてか何かの話しだったと思いますが、どなたか見た方はいらっしゃいますでしょうか。
因みに大江さんの眼鏡は四角のフレームでした。 
2000/1/1, いとうくにお
あけましておめでとうございます。今年もこのサイトをよろしくお願いいたします。
去年はこのサイトにとって大変充実した一年でした。掲示板の書込みが増え、それまでは一年一ファイルで済んでいたのが、去年は四ファイルになりました。オフ会も去年がはじめてです。八月、十月、十二月と合計三回開催しました。三回目のときに大江さんに署名入りの本を提供していただいたこと、大江邸に署名本を受け取りにうかがったことは生涯の思い出になりそうです。
今年はどういうことがあるんでしょうね。ともかく、オフ会はやっていきたいと思っていますので、どうぞよろしく。
さて、メーリングリストのほうは、現在10名の方にご参加いただいています。メールが増えるのが気になるという方もいらっしゃると思いますが、このメーリングリストでは、一日分のメールを一本にまとめて受け取るようにしたり、メールとしては受け取らずホームページ上で閲覧するようにしたりもできます。設定変更は各自が自由におこなえます。まだの方もお気軽にご参加ください。
このページは大江健三郎ファンクラブの掲示板の一部です。