掲示板

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2001/12/30, いとうくにお
ナオさん、はじめまして。安部ファンの方でしょうか。りょうせいさんの情報、けっこう有力そうですね。
Halさん、はじめまして。海外から大江さんの動向を知るというような目的でこのサイトを利用してもらえれば、僕としてもうれしいです。またおいでください。
りょうせいさん、こんにちは。気が付いたらこのサイトのアクセスカウンタも10万を超えており、ちょっと感慨を覚えました。僕の努力というより、大江文学の魅力ゆえの数字だろうと思います。
羽鳥さん、はじめまして。全集のことはわからないのですが、「日本の古本屋」で検索したら、「大江健三郎小説」全10巻定価48000円が25000円で出ていました。論文が完成したら読んでみたいなあ。
2001/12/30, 羽鳥えみ
大江の「静かな生活」で卒論をかこうと現在資料を集めています。全作品を読もうと思いまして書店で在庫のある文庫は集めましたが、信頼のおける全集はどれかをどなたか教えてもらえませんか? 古本で買うほうが安いのであれば近代文学に強い古本の書店を教えて下さいませんか。私は健康を害して留年したので時間はありますし、進学希望なので全集は入手したいのです。
2001/12/30, りょうせい
「掲示板」のますますの隆盛。「ファン倶楽部」の各コーナーの充実。一大江ファンとして本当に楽しく読ませていただいてます。これもひとえにいとうくにおさんのご人徳とご努力のお陰と深く感謝申し上げます。
 この夏に一、二度投稿したことがありますが、しばらくご無沙汰してました。冬休みに入ったのでまたのこのこ顔を出した次第。
 ナオさん、初めまして。
 ナオさんお探しの安部公房の戯曲「おまえにも罪がある」についての、エッセイですが、当時発行されたエッセイ集(大江健三郎全エッセイ集1〜3文藝春秋社刊)に所収されてはいないかと思い、探してみました。残念ながら「正面からひきうけるタイプ」と言うタイトルでの文章はありませんでした。
 大江健三郎全作品第U期第六巻の「大江健三郎作品年譜」によれば、「正面からひきうけるタイプ」は月刊誌「婦人公論」昭和四十年三月号に発表されてますから、どこかの図書館で調べることが出来そうです。
 ただ、第二集「持続する志」に、安部公房に関する三編のエッセイをひとつにまとめたと思われる「安部公房その世界・その劇場・その案内」と言う表題のエッセイがありました。 その最初の一編は「安部公房世界」と題され、まさに戯曲「おまえにも罪がある」についての感想を記したものでした(初版でP323〜4)。
 二編目「安部公房劇場」は「友達」と「榎本武揚」についてのエッセイで、AさんとBさんとの架空対談の形式(雑誌「文芸」四十三年一月号発表)。
 最後の「安部公房案内」は、講談社から出版された「われらの文学第七巻」(安部公房集)に解説として発表されたものです。
以上から、私の推測ですが、「正面からひきうけるタイプ」は「安部公房世界」と改題されて所収されているのではないかと思われます。
 前述「大江健三郎作品年譜」に、「安部公房世界」と言う作品が見当たらないことも、この推測を裏付けていると思うのですが・・・
 「持続する志」には初出一覧が掲載されていないので、「婦人公論」昭和四十年三月号で確認するほか無いのかも知れません。どなたか「正面からひきうけるタイプ」=「安部公房世界」説を検証していただけないでしょうか。
あっ、それから「持続する志」は絶版でなければ、講談社文芸文庫で手に入る筈です。
2001/12/30, Hal
はじめまして。
いろいろな情報ありがとうございます。(恥ずかしい話ですが新刊2冊の件も、本ホームページで始めて知りました。)
実は会社の仕事でアメリカに住んでいます。(大江さんのノーベル賞受賞のニュースもこちらで聞きました。)
今後、たびたび見せていただきます。
2001/12/29, ナオ
はじめまして。
サイトを検索していて辿り着きました。
もし、ご存じの方がいらっしゃれば、是非とも教えて頂きたいのですが、大江氏が書いたもので、安部公房氏のお芝居「おまえにも罪がある」(1965.1)を見た感想として書かれた「正面からひきうけるタイプ」というタイトルのものがあります。
短いもので、数ページ程度のものです。
それが何に掲載されたものか、現在でも読めるものがあるのかどうか(つまり絶版になっていなくて新刊として購入して読めるものがあるのかどうか)、誰かご存じの方いらっしゃれば是非とも教えてください。
よろしくお願いします。
2001/12/27, ヒチコ
お久しぶりです。
やっと今年のゴタゴタが落ち着いてきて、久々にここに来れました。
「掲示板」もじっくり読んで皆さんに追いつかなきゃ!!

とにかく、この何週間、ゴタゴタ続きで本も読めませんでした。
で、とりあえず読んだのが、立松和平さんの『光の雨』。
衝撃的でした。
話題の本なので御存じの方も多いと思いますが、連合赤軍事件がモデルになった作品です。
は〜、恐ろしい。
信じられないようで、でも実際こんな風に観念に追い詰められてしまう気持ちってなんとなく分かるな〜……と唸ってしまいました。この気持ちというか、観念の力?圧力?が状況によって雪だるま式に大きく大きく成長する、不思議と現実味がある気がしました。鈍くゾっとしました。切ない。

解説に大江さんの『洪水はわが魂に及び』と『河馬に噛まれる』がチラッと挙げられてました。そこで『大江健三郎・再発見』の作品案内を見てみました。
『河馬に噛まれる』気になりますね。なんか独特な感じです。読みたいです。
でも、このテーマは気力が必要ですね。

『光の雨』で相当参ってしまったので、今日は伊丹さんの『スーパーの女』を見ました。伊丹監督、偉大だ!!(今さらスッカリ伊丹ファン)
2001/12/27, 弥生
「作家の意図」という「読み手」にとって興味深い論点が示されたので少し考えてみようと思います。先の読感を敷衍することになるのですが、女性観を巡る議論にも繋がるようです。(ご免なさい、長文です。)

 「取り替え子」−この作品には、他の大江作品では見られない「攻撃的な物言い」が小説の語り口として多用されています。大江がこんな表現を使うのかという、特に文末に違和感を与える場合が多い。コギトは、何に憤檄し、何から自分を「隔離・検疫quarantine」しようというのか。物語の展開と大江の個人的体験からすれば、それは、自分や親友を追いつめる、本多勝一と彼に代表されるジャーナリズム、さらに厳しく言えば、「裏話」の暴露を期待する日本社会の「野次馬根性」ではないか。とすれば、このスッポン料理のシーンに、コギトの「悲嘆」、悲惨な心の有り様を読みとることはさほど難しいことではないはず。
 コギトは、「隔離」と、田亀システムを通じた「吾郎の魂との交信」を通じて、「世間の毒」からの検疫、回心を図ろうとする。そのピークが、千樫との会話を経た翌日の午後、長時間、コギトが庭をじっと眺めるシーンでしょう。先の「雨の木」からの引用は、直接的には、このシーンとのイメージが重なっているからです。

 ところで、僕も、大江文学の「生と死と再生」というモチーフにあって非常に重要な要素が、「神秘的な女性像」であると思います。人を受容し、癒し、励ましていく、人を再生へと励ます「妹の力」(柳田国男)という主題が、「雨の木を聴く」や「人生の親戚」では縦横に描かれています。「燃え上がる緑の木」の両性具有化した「サッチャン」の視点は、男でも女でも無く、その「間」にあって物語を語らせるという、「超越論的」(柄谷行人)な主人公のようです。あるいは、「同時代ゲーム」でも、「妹の恥毛に励まされた」主人公が登場します。「同時代ゲーム」の分かりにくい文体を大江にもたらしたのは、作家自身がその時、生きるうえでの大きな危機(「中年の脆弱性」vulnerability)を迎えていたのではないかと思われますが、その励ましを「恥毛」に異化された「神話的な女性像」に託そうとします。

 ところが、この作品で、コギトを回心させる千樫は、神話的な女性ではなく、リアリティに満ちた女性です。今、そこにいる女性が、吾郎とコギトの魂を浄化させる役割を果たします。「悲嘆」とならぶ、この作品のもう一つのキーワードは、「リアリティ」(真実味)であるのかもしれません。
 
 さて、こうした「読み取り」にとって、「作家の意図」は、ほとんど意味がないように思えます。作家は作品を通して表現するのであって、個々の読み手が、そこから何を読みとるかは、作家の仕事ではなく、読者の営為です。ただ、大江の場合は、たくさんのエッセイや講演が、「読みとりの鍵」となっています。最近の2冊のエッセイ集も、おそらくは、この作品に繋がるヒントを与えているのでしょう。タイトルからしても。
2001/12/26, まさき(♀)
はじめまして、こんにちは。
最近大江を読み始めた、大学3回生です。
今日、大学図書館のバックナンバーコーナーにあった、
『政治少年死す』を読み終わりました。
いやー、すばらしい作品だと思いましたよ。
安保闘争が当時より下火になっている現在では、
思想的なことではなく、犯罪を犯すに至る少年の心理という視点で、
非常に価値の高い作品だと思います。
これが単行本化されていないのは本当に残念と言う他ないですね。
『政治少年死す』を読まれた方、どんな感想をお持ちでしょうか?
2001/12/26, 市井
北の国からこんにちは、たまにお邪魔している市井です。
滝川さんのように居ずまいをただされて大江作品を読まれる読者がいる一方で、
ぼくなんかは、音楽を聴きながら、テレビを見ながら、
ひどいときにはトイレの中でも、大江作品を読んでます。
作品への納得の仕方のこともその下のやりとりで書かれてましたが、
ぼくが自分なりに分かった気、作品から何かを得た気になるのは、
読後にしっかりと読書ノートを書けたときです。
(それを書かないことには、ぼく自身の読書が成立しない気がしてしまう)
勿論個人的な解釈によるノートなのでしょうが、
まあそれでいいかと思っております。
自分の身の丈以上の解釈が出来るとすれば、それは恵まれた読書でしょうが、
ぼくにはどうやら無理そうです。
結局何回も読んで、その度に読書ノートを更新しています。

続けて、滝川さんは「あっ、いけない」と大江作品を避けられていたとのことですが、
ぼくには「自殺した作家の文章は読まない」と決めて、
そういう作家の作品を徹底的に避けていた十代の一時期がありました。
今となってはそういうこだわりに、意味がなかった気がしています。
そのこだわりを捨てて以来、本屋さんに行くのがより楽しくなりました。
ここに集われる読書家の皆さまもきっと、
そういう読書の「こだわり」にまつわる経験がおありなのでしょうね。
では、失礼します。
2001/12/26, 滝川 清
 大江健三郎と聞いただけで、「あっ、いけない」という感じで、読むのをさけていました。それは青年時代、「芽むしり仔撃ち」を数行読んで、分からなくて放り投げたからです。それが今では、大江健三郎の本を読むのが楽しみで、つぎつぎ読んでいます。年の功でしょうか。50代初期にして、やっと大江健三郎が理解できるようになりました。「燃えあがる緑の木」は、頬をぶん殴られるほど感銘を受けました。こんな小説があったのかと驚きました。彼の本はじっくり構えて読まなければ、真意は分からないと思います。ですから、電車の中などでは、絶対読まず、帰宅して机に座り、相対峙して読んでいます。これからも素晴らしい本を出してもらいたいものです。
2001/12/26, いとうくにお
いやいや、へべれけさん、人それぞれの納得のしかたがあっていいんじゃないかなあ。作者の意図がどうだったかは別として。
2001/12/26, へべれけ
>WAMさん
それはあんまり、納得し過ぎじゃないだろうか。
2001/12/24, wam
はじめまして。
「取り替え子」読後に、私がどうしても引っ掛かっていた「スッポン」のくだりです
が、弥生さんの書き込みの、
>古義人に料理されるスッポンは、明らかに、あの本多勝一を異化したグロテスクな物体。
初めて納得できました。
これからもたまに、立ち寄らせていただいて構いませんか?
2001/12/24, 鈴崎
ありがとうございます。では「緑の木」続きを読む事にします。
2001/12/24, いとうくにお
鈴崎さん、はじめまして。旧作を読んでいなくても鑑賞はできると思いますよ。ただ、読んでいればよりよく楽しめる・理解できる、ということは言えると思います。僕はけっこうめちゃくちゃな順番で読みましたが、あとから、「ああ、この人が例のあの人か」という感じで納得したりしてましたね。
2001/12/24, 鈴崎
はじめまして。現在高1の鈴崎です。
今までw村上や筒井康隆などの作品を読んできましたが、大江氏の作品も面白そうだと思い、今日古本屋で「燃え上がる緑の木」を三部同時に購入、今読んでます。
まだ少ししか読んでないので、浅はかな憶測かもしれませんが、この作品は「万延元年〜」等の作品を読んでなければよくあらすじがつかめないのでしょうか?(まあ、いずれ「万延」も読むつもりですが。)
突然質問してすいません。以後よろしく。
2001/12/21, MikH
ハタヤマヒサノリさんへ
大江氏の「想像力」という言葉を想う時、僕はその<想像>の与えうる空間の<共有
>を考えます。
というのは、大江氏は例えば日本だけでなく世界の核問題について書いてこられた。
そしてそれについての詳しい記述やインタビューを読んで、僕らは戦争の起こす悲劇
について<想像>します。そして実際に戦下で苦しんでいる(た)人々の辛苦を<共
有>する。
この一連のプロセスを大江氏は構築するがために、彼は文学を書いているのではと思
います。
これは勿論戦争だけではなく、僕らに社会の弱者(例えば障害者や異端など)に
ヒューマニズム的エンパシーを持たせるために、彼の文学は存在しているとも言えま
す。
今夏、大江氏を紹介する本が出版されましたが、彼はその中で井上ひさし氏の被爆を
描いた劇脚本を「実際は違った」と批判する人を批判しています。
全く正確ではありませんが、「もし彼が書かなかったら、その『間違った記述』さえ
も明るみに出る事はなかった」という主旨の発言をしています。
大江氏は、悲劇を僕らに<想像>させる、それへの<想像力>を高めることに自分の
文学の在り方を感じておられるのだと僕は思います。
2001/12/19, ハタヤマヒサノリ
はじめまして、ハタヤマと申します。以後よろしくお願いします。

いきなり質問ですが、大江健三郎さんの「想像力」という言葉についてどう思いますか?

「どう思うか」というのは少し漠然としすぎていて申し訳ないですけど、これまで小説や「新しい文学のために」「核時代の想像力」「状況へ」「壊れ物としての人間」等の講演、エッセイ集や評論家の文を読んで「想像力」という言葉が大きな比重を占めている事を知りました。
ここで僕が質問したい事は、「想像力」といる単語を大江さんが使う際、皆さんがそれをどう受け止めているか、あるいは「想像力」という単語について「想像力とはこういう物だと思う」「誰々が想像力にこういう事をついてこういう事をいっている」等の意見をを拝聴したいと思っています。

実は今僕は高校に通っている高1です。この学校で年1回の校内紙(冊子)を発行しているのですが、そこにちょっと作文を提出してみようかなと思い(図書券目当てです、へっへっへ)、いま書き込んでいる次第です。もちろん出すからにはちゃんと書きます。結果どうなったかもちゃんと報告したいと思います。皆さんどうぞよろしくお願いします。では。
(追記;僕は大江さんの本の中では「万永元年・・」「ピンチランナー調書」等中期の本や長編が好きです。)
2001/12/18, 弥生
「取り替え子」を読んだ。
途中、何度も読むに耐えられず、こんな辛い思いを人間に与える日本社会の愚劣さを恨んだ。本当に悲しくなった。当初、この作品は、大江の、自分と義兄を取り巻く社会、特にジャーナリズムへの憤怒の書としか読めなかった。古義人に料理されるスッポンは、明らかに、あの本多勝一を異化したグロテスクな物体。実存主義的な書き方。
しかし、認識の人・コギトの描く世界は、憤激を越える。いや、越えざるを得ない。構造主義と異化の手法を駆使しながら、時間と空間を越えて、自らの魂を浄化させようという暗闘。
読むにつれ、「雨の木を聴く女たち」に引用されているフォークナーの一節を思い出す。
between grief and nothing, man will take grief allways.
そして、大江は、「悲惨な心において荒涼たる山腹を見上げるうちに、陽の移り行きがつくる黒ずんだ褐色の線を見て、回復の道を辿り始め」(文庫本p257)ざるを得ない。それが大江の人生の習慣だった。しかし、それはコギト自身が独力でなしうるものではない。それほどに打撃は大きい。「再生」にはやはり「妹の力」が必要だった。繰り返すが、これは私小説ではない。コギトの悲嘆は、我々の、人間の悲嘆であり、そこからの回復、再生は、「人類の再生」に結びついている。
この作品の感想のなかで、最後を引用で終わるのが不自然だという意見がある。しかし、「新しい人よ目覚めよ」は、次のブレイクの詩編で終わる。「私が死ななければお前は生きることができない。/しかし、私が死ねば、私が再生する時はお前とともにある。」(文庫本p310)
「新しい人−雨の木」の軸に繋がる作品として、僕はこの「悲嘆の書」を位置づけたいと思う。
オサムさん。女性論については、後日
2001/12/18, アサミンコ
コンニチハ。アサミンコです。16日のサイン会のご報告です。
池袋ジュンク堂の喫茶室は、そんなに広くなく、
大江さんの声がきちんと聞けて、表情も良くみえてとても嬉しかったです。

今掲示板で盛り上がっている"With groanings"ですが、
トーク会で大江さんは、「心に思っていても、口には出せない嘆き」
とおっしゃっていました。

私達が祈っているその祈りは精霊(と大江さんはおっしゃっていたと
思います。)を通じて神に届く。その過程で精霊は、私達の「心には
思っていても、口には出せない嘆き」までも神に届けて下さる。
と大江さんは解釈したとおっしゃっていたと思います。

あとは、カナダの文芸批評家ノースラップ・フライの
「作家とは、普通の人が表現できない祈りを表現する。」
と言うお話、武満徹さんのお話、最後は「雪の日の熊オヤコ」
のお話で、「この本(言い難き嘆きもて)で唯一面白いところ。」
なんておっしゃってましたね〜。うふふ。

サイン会は、お話しながら一人一人丁寧にされてました。
私は、お話したい事もあったのですが、とても緊張してしまって
「お願いします。」しか言えませんでした。。。
でも大江さんは「あなたのような若い娘さんに、こんな難しい本を
2冊も買っていただいて申し訳ないようだなぁ。」
と話しかけて下さって、なんだかすごく嬉しかったです。

月並みな言い方ですが、同じ時代に一緒に生きていて、これからも
新しい本を読めるし、お話だって聴ける。と思うと本当に本当に
嬉しくて幸せで、たしかに今の私にはちょっとムズカシイ所もあるけど、
もっと丁寧に深く大江さんの作品を読み込んでいこうと思いました。

ではでは。慌ただしく感じる師走ですが、お体ご自愛下さい。
長々失礼いたしました。
2001/12/17, いとうくにお
"With groanings"は、聖書の「ローマ人への手紙」からの引用だそうです。手元にある和英対訳付きの聖書だとこう出ています。

<英語訳>
Likewise the Spirit also helps in our weaknesses. For we do not know what we shold pray for as we ought, but the Spirit Himself makes intercession for us with groanings which cannot be uttered.
<日本語訳>
御霊(みたま)もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。
(日本国際ギデオン協会「ローマ人への手紙」第8章26節)
2001/12/17, オサム
弥生さん
大江氏の「女性」のご指摘 僕には「=大いなる者・傷つく者・回復する者」
というイメージではないか と思います。
 大江氏の究極の 救済者 ---男には決して到達しえない---者 では。

『燃えあがる緑の木』の語り手が なぜ 「性転換」者 なのか いままでは
謎でした が 弥生さんの問いかけに、こうして応えようと 何の気無しに 打込み
始めてみると なにか 分かりかけて来たみたいです。
 また 弥生さんが 『燃えあがる〜』を読了なされた後 語ってみたいとおもいま
す。

なんか 余計に「謎」を増やしてしまって  ど〜もスイマセン。 
2001/12/16, みけ
佐藤様、いとう様レスありがとうございました。
今日は、よく眠れそうです。
2001/12/16, いとうくにお
メーリングリストのほうで、ハンコの文字について佐藤博司さんからご投稿がありました。掲示板への書き込みがうまくいかないとのことですので、メッセージを以下に転載しておきます。
---
APERI ET LEGEは、「開け而して読め」という意味のラテン語です。岩波書店刊行
の「ギリシャ・ロ−マ 引用語辞典」で、判明いたしました。
わたしの記憶では、聖アウグスティヌスの「告白」の一節だった、と思います。
聖書を読んでいる。しかし、なかなか回心できないでいる。
そこに子供たちの声が、聴こえてくる。その子供たちの声の、言葉だった、と思い
ます。わたしが誤解していたら、お許しください。
それでは。
2001/12/16, いとうくにお
みけさん、ハンコと万年筆のお話ありがとうございます。辞書でみるとgroanは、「(苦痛、悲嘆、絶望などで)うめく、うなる」という意味だそうです。とするとgroan-ingsをwith(ともなって)ということなら、その意味は「言い難き嘆きもて」という本の題名と同じなのかもしれませんね。ウェブで調べたら”我らはいかに祈るべきかを知らざれども、御霊みずから言い難き嘆きをもて報り成したもう。”という聖書の言葉があるようですので、そこからもってきたものなのではないかと思います。すると、aperi et legeも「鎖国してはならない」という意味なのかなあ。
2001/12/16, みけ
まずハンコについてですが、「鎖国してはならない」には”aperi et lege"
「言い難きを嘆きもて」には"With groan-ings"でした。
ニュースステーションでは、何を押されてたんでしょうね?
他にもいろいろありそうで、興味をそそられます。
ところで、”aperi et lege"、"With groan-ings"はどういう意味でしょうか?

サイン会の万年筆の話ですが、大江さんに「いつもこの万年筆を使われているのですか?」と聞きましたところ、「いいえ、これじゃないんですよ。これ、ちょっと重くてサイン会などで使ってます」と答えられました。
万年筆のメーカーは判りませでしたが、グレー&金のブルーインクでした。
 
2001/12/16, いとうくにお
ああ、みけさんサイン会にいかれたんですね。ハンコはHPSという文字の入ったものでしたか? もしそれなら、HPSはホモピアソルの略で、自立した人の意味のラテン語だという情報が昨年の掲示板にあがっていました。ゆかり夫人が制作されたものらしいですね。
ニュースステーションや万年筆のことを話されたそうですが、大江さんはなんとおっしゃってました?
2001/12/16, みけ
いとう様レスありがとうございます。
どうもしませんが、もし売ってたら欲しいなぁって・・・
今日、大江さんと少し会話が出来たのですが、ニュースステーションや万年筆の話になっちゃいました。
それにしても、大江さんのサインはイイ味しています。
2冊にして頂いたのですが、1冊づつ異なるハンコが!ニュースステーションでも、たしかハンコを押してました。ビデオとっとけばよかったと後悔しています。
大江さんのハンコの秘密について知ってる方がいましたら、宜しくお願い致します。
2001/12/14, いとうくにお
先日のニュースステーション出演のときに原稿用紙もアップになってましたね。大江さん専用のものとかっていう話がそのとき出ていたような気がするのですが、いまいち記憶がはっきりしません。それにしても、みけさん、どこで売っているかがわかったとして、どうされるのですか?
2001/12/14, みけ
はじめまして。こんな大江さんサイトがあろうとは!
いきなりですみませんが、大江さんが使用している原稿用紙はどこで売ってるのでしょうか?もし、ご存知の方がいらっしゃいましたら教えていただけると嬉しいです。
2001/12/13, いとうくにお
博人さん、こんにちは。新潮文庫に『見るまえに跳べ』という題名の本があり、そのなかに同名の短編が収録されていますよ。よかったら、この言葉について興味をお持ちになっている理由など教えていただけますか? この掲示板でもこの言葉のことが話題になったことがあります。夏くらいだったかなあ。さかのぼってお読みになってみると面白いかもしれませんよ。

弥生さん、大江文学における女性というテーマは、なかなか奥が深いかもしれませんね。癖のあるキャラクターや、非常にヘビーなものを体現しているキャラクターなど、いろいろいますし。『私という小説の作り方』は、すごーく率直な種明かしという感じがしましたよ。種を明かされてもなお大江さんの小説は面白いものだと思いますが。

SHEEPさん、『懐かしい〜』の感想ありがとうございます。うなづきながら読みました。僕にとっても、いつかまた読んでみたい作品のひとつです。その「いつか」が実際にやってくるかどうか、だんだん怪しい感じにもなってきていますけども。新刊の『言い難き嘆きもて』に「いま経験し、読みかつ考えることについて、もう一度あらためてそれをやることはないだろう」というくだりがありますが、そういう大江さんの心境も、少しだけわかるような気が…。

yasuさん、はじめまして。「谷間の村」ご出身の方の書き込み、とてもうれしいです。もしかして、中学校は、音楽堂のある大瀬中ですか?

ujiさん、はじめまして。大江文学を取り上げた評論は、けっこうたくさんありますね。僕は評論はあまり読んだことはないのですが、存在は知っています。アマゾンとかで「大江健三郎」で検索すると、いろいろ出てきますよ。
2001/12/13, 博人
大江健三郎素人です。
あのー、ちょっとお聞きしたいことが
あるのですけれど、「見る前に跳べ」
という言葉はどの作品に載っているのでしょうか?
知っている方、いらっしゃいませんか?
2001/12/12, 弥生
大江文学への「立ち戻り」第一作として「私という小説家の作り方」を読みました。やっぱり、この人のエッセイには、独特の魅力がありますね。文学で表現しようとする背景を読み手に自ら解説を施すというのでしょうか。特に、「語り口」(ナラティブ)の話は、ズーッと以前から、「この文体で大江は何を狙っているんだ」という疑問があったので、「語り口が小説の魂と密接に繋がっている」という一つのタネ明かしかなぁと思いました。もし、文学部の学生さんがいたら、この評論をネタに確実に卒論が書けますね。けど、全集の栞という性格もあって、執筆時までの全作品が網羅されているようですが、全てではないようにも感じます。「雨の木」や「人生の親戚」などの「女性」(「妹の力」)をめぐる軸が隠されている(?)ような。大江文学で繰り返される性の場面。女性との交わりを通して回復していく、励まされていく人間(男だけか?)。「大女」や「妹の陰毛」。このモチーフが解説されていません。「大江文学における女性」について、どなたかご意見はないでしょうか。
2001/12/12, いとうくにお
くりこさん、はじめまして。ご質問の件への回答ではないのですが、ノーベルeミュージアムというサイトがあって、そこに百年記念シンポジウムの情報が記載されています。それによると、Ms. Susanne Widén(email: susanne.widen@svenskaakademien.se)という人が文学賞の講演の担当者のようですので、問い合わせてみてはいかがでしょうか。シンポジウムのビデオ映像を公開する予定もあるようですので、もしかすると大江さんの講演そのものの映像も公開されるかもしれませんね。
2001/12/11, SHEEP
先日、ようやく「懐かしい年への手紙」を通して読み終わりました。
大江健三郎その人を彷彿とさせる登場人物の、かつて関わった・現に
いま関わっている人たちを介して、これまでの自作を引用しつつ、その
[書き換え]がおこなわれる点に、わたしは最も関心をひかれました。
また、「ギー兄さん」という強烈な(?)キャラクターも、この小説の
最大の魅力だと思います。
「万延元年のフットボール」ほどの、なんというか時代性を伴った強烈さは
薄らいで、かなりソフィスティケートされていますが、
この作品もその系統として、また「ぼく」という一人称の話体の継承・発展が
みられる大江文学の真骨頂といえるでしょう。
大江文学というと、必ずあげられるキイワードの、「森の思想」だとか
「政治と性」とかいった要素も多分に盛り込まれたテクストとなっていますね。
いつも思うことなのですが、一回読んだだけでは、ほんとうのおもしろさに
まだ触れていないような気がするのです。
日をおいて改めて読みたい作品のひとつとなりました。
続いて「静かな生活」の「マーちゃん」の[語り]を楽しんでいます。
2001/12/10, yasu
私は「谷間の村」の出身の者です。大江健三郎の作品は半分くらいしか読んでいませんが好きな作家です。美しいHPですね。たびたび見させていただいてました。
みなさんに友情の挨拶を。
2001/12/10, くりこ
はじめまして。私は、今、イタリアで作家の林京子について研究している友達に頼まれて、林京子関連の資料をいろいろ探しています。
先日、大江健三郎さんが、ノーベル賞記念講演会で講演された中で、林京子さんについても、話されたという事を新聞で知りました。
そこで、その講演の内容をもっと詳しく知りたいと思い(できれば、英語での講演全文)、いろいろ探してみたのですが、うまく見つかりませんでした。
どなたか知っている方がいらっしゃいましたら、教えていただけませんでしょうか?
大江健三郎さんとは直接、関係がないことで恐縮ですが、お願いします。
2001/12/8, やまめ
 『言い難き嘆きもて』読みました。ハルさんが書かれている(11月28日)ように大江サンのエッセイにしては読みやすいと感じました。特に斜面で車遊びをしている五、六歳の女の子についての<紅潮して汗ばんだ口もとが動いているのは、自分だけの遊びに物語をあたえているのだろう。>という描写にはその捉え方が私には目から鱗の感動だったと同時に、大江サンてこういうのを今まで書いたかなあとちょっと驚きました。
 驚いたと言えば、初めの方にデューイがでてきたので、オヤ!と思いました。その取り上げ方が<確かデューイだったと思うが>というあまり積極的でないのではあっても前向きな内容だったので。私はプラグマティズムとユマニスムの関係は理解していないのですが、すんなりお互いを認めあうというのではないだろうと思えるからです。(この二つの関係についてわかる一般的な本がありましたら教えてください。)折しも、弥生さんの文(12月1日)も拝見し、書き手と読み手の生き方とことばという問題意識を持って読むことができました。
 また、全体を通して、<決して長くはない>生の時間への大江サンの思いがあちこちににじみ出ていて、おしまいの方では、そういう表現に触れるたびに胸がしめつけられる思いでした。こんな気持ちは初めてでした。
2001/12/8, uji
始めまして。
何回か来ました。
最初は、オーケンの小説とエッセイをいろいろ読んでいたとき。
今回来たのは、大江さんの文章はいろいろ読んだけど、
大江さんを評論している文章にはどんなものがあるだろう、
というのを調べようとした時に、来ました。
関連書籍とともに、最近のオーケンの動向がわかってありがたかったです。
kitooさんの文章を読んで、高校1年の時に、学校の図書館で「僕が本当に若かったころ」、「小説の方法」を読んで受けた、いまだコトバに出来ない衝撃を思い出しました。
2001/12/6, いとうくにお
ぴよさん、こんにちは。朗読、いや音読ですか、の効果って確かにありますね。自分で文章を書くときも、音読してみるとおかしいところが見つかったりしますね。文章のエラボレート(大江さんが最近よく使われる言葉)に音読は効果的です。
ペコママさん、はじめまして。テレビで大江さんが話していた七つの言葉は、「とりなす」とか「元気を出す」というようなごく普通の言葉も含まれているのに、あのように指摘されると重みがあるというか、心に響きますね。
kitooさん、はじめまして。ぜひ大江作品に挑戦してみてください。今年出たエッセイ集『「自分の木」の下で』は中学生や高校生の人向けの本だと思うので、興味深く読めるのではないかと思います。小説のほうでもkitooさんぐらいの年齢の人が主人公になっている本がいくつかありますよ。『飼育』、『芽むしり仔撃ち』(めむりしこうち)、『キルプの軍団』などがそうかな。『空の怪物アグイー』も読みやすいと思います。それで、面白かったら、感想などここに投稿してもらえるとうれしいです。
2001/12/6, kitoo
こんにちは。
僕は15歳で中3です。大江さんがニュースステーションに出られていたのを見て、僕も大江さんの本を読みたいと思いました。
本は全然読まなくて、理解するのに時間がかかりそうですが、頑張ります!
今日気づいたのですが、英語の教科書に大江さんが載っていました。
2001/12/2, ペコママ
初めまして。こちらサイトには、度々お邪魔して皆さんの考えを知り勉強させていただいています。HNの通り私は、3世帯同居の主婦なのですが、最近、健三郎さんが、よくおっしゃっておられる、「人と人とを繋ぐとと言うこと」について自分の役割をよく考えます。「家庭」と言うのも年齢に幅のある人間で構成される場合、本当に社会のミニチュア版という感じで人と人を「繋ぐ」人が、とても重要になる。それは、大人だけでなく子供である場合もしばしばある。その時に健三郎さんが提唱される「7つのキーワード」が当てはまる事が私の胸の扉を叩くのです。きっと、私の子供も毎日の生活を通して知らず知らずの内にそのことを学んでいるでしょう。シングルでお暮らしの皆さんにもきっと想像していただけるはずです。本当にあたたかみのあるあのキーワードは、皆さんの胸にも届いていていることでしょう。
2001/12/1, ぴよ
くにこさんの「大江サンが自作を朗読」の話ですが,よ〜く理解するために私も大江作品を音読(朗読よりもこちらの方が当てはまる気がします。イメージとしては小学校の国語の時間(笑))することがあります。文章を声に出して読むのは,先を速く読みたい!とイライラもしますが,聴覚・視覚両方で言葉を受け止められるのでよく分かるような気がするのです。言葉を飛ばさずに済みますし。(黙読だとつい先へ先へと読んでしまう癖があるので)
でも,実際に大江サンが朗読してくださったら・・・
舞い上がっちゃいますね,きっと^◇^
2001/12/1, 弥生
大江にとって「言葉」とは、「文学」とは何であるのか。もう10年も前のこと、大江の講演を聴く機会があった。井上靖が「孔子」を書き、伊丹十三が暴漢に襲われた頃だった。そのなかで大江はこれらの事件に触れながら、「その言葉を話すことが人生を語ることになる。大切な言葉とはそのようなものだ。」と語っていたように思う。あるいは、同時期に書かれた評論、「最後の小説」や「新しい文学のために」でも文学と作家、読者の在り様こそを文学の主題としてきたと述べている。様々な文学作品、評論を通して、まさに大江は「言葉や文学と、その書き手と受け手の生き方を重ねあわせる」ことを実践してきたのではないか。例のHによる中傷事件以来、大江の生き様と、その作品とを分けて評価しようとする読者が多い。もちろん大江は私小説作家ではありえない。しかし、「寛容」であることの難しさに苦悩するディーセントな作家にとって、あのような中傷には、沈黙すること以外、対処の仕方がない。むしろ、読み手にとっての問題は、Hの指摘が事実であるのかどうかではない。大江が語ろうとする「人間の生き方と、それに関わる苦悩」のなかで、大江とその文学をどう読むかであろう。例えば、「懐かしい年」や「燃え上がる緑」の読者は、「ギー兄さん」を「転向者」として中傷できるのだろうか。大江の人間としての生き方を風呂敷に包み込んで、Nステでの大江の言葉に本当に感動することができるのだろうか。文学を読む、言葉を味わう、受け手の在り様が、再び、大江から投げかけられたように思う。
2001/11/28, いとうくにお
ぶるさん、おひさしぶり。1年ぶりくらいですね。三省堂のサイン会にはいかれるんですか?
ハルさん、こんにちは。「言い難き嘆きもて」、僕は入荷待ちです。題名が硬い感じなので、読みにくいかもしれないと思っていたんですが、そうではないようですね。届くのがいっそう楽しみになりました。
くにこさん、こんにちは。新刊が出たことですし、またテレビに出演することもあるかもしれませんね。サイン会や講演会に足をのばしてみるのもまた楽しいかも。
うさぎさん、こんにちは。僕は大江さんがテレビで言っていた七つの言葉のうち、「とりなす」と「元気を出す」の二つが印象に残りました。特に「元気を出す」のほうかな。普通の言葉ではありますが、大江さんが選んだ言葉として示されると、確かに元気を出すっていうのは大切なことだよなと思えてきます。
2001/11/28, ハル
みなさんこんにちは、久しぶりに投稿します。
購入したばかりの「言い難き嘆きもて」を読んでいます。
前半部分を読んでいるにすぎないのですが、これは大江さんの新しい境地だ、と思いました。
わかり易い文章で書かれ、一節一節が短く、わずかな時間でも読みきれるので、空いた時間の折にも完結した充足感が得られるのが何よりうれしいです。(大江氏の作品を読むのは今まで難渋してきましたから。(^^;)。。。)

そしてふと、これは司馬遼太郎氏の文筆活動と同じような変遷だ、とも思いました。
司馬氏は初期の頃、まるまるフィクションの小説を書いていましたが、そのうちフィクションの中に随筆風の文章を織りこむようになり、晩年は小説から遠ざかって、歴史や文化、時事の出来事を、司馬氏流の語り口で解き明かす随筆を多く執筆するようになりました。
いえ、司馬氏だけではなく、そのような変遷をたどる文学者は、他にも多いように思います。

かつてのようなペースでフィクションの小説を発表しなくなった大江氏を残念に思っているわけではなく、このような随筆を読めることも、またとても楽しみに思っているのです。

司馬氏の随筆集「この国のかたち」も、一節一節が短く、気軽に読める短編小説集のようで――気軽に読めるけれども、するどい文明批評が随所にちりばめられていました。

僕らが、この国やこの世界をこれからどのように認識していけばいいのか、そういうことを考えながら、「言い難き嘆きもて」をあせらずゆっくりと、味わうように読んで行きたいと思います。
2001/11/26, やまめ
>佐和子さん
録画のテープは手に入りましたか?私は録画はしてあるのですが、ダビングをする装置が身近にないので名乗りをあげられませんでした。もしまだ手に入らないようでしたら、私のテープをお送りしますので、それをダビングされてから(あるいは見てから)返していただければと考えています。このテープには、22日の「Nステ」と23日の「おはよう日本」の放送分の他に、ちょっと前の「徹子の部屋」に大江サンが出られた時のも録画してあります。佐和子さんはアドレスは公開しにくいかも知れませんね。必要でしたら、私のアドレス(RXQ07662@nifty.com)まで送り先をお知らせ下さい。大江サンへの興味の芽を大きく伸ばしていって下さい。

 弥生さんの「生と死と再生」のお話とても参考になりました。「再生」ということが書かれているのは分っていたのですが、それがどういう意味があるのかというようなことが理解できないでいました。今回テレビで話されたことともあわせて、個人と社会との関わりということで分ってきました。自分としては理解の階段を一段上がったようにちょっと目の前が開けた感じです。

 くにこさんの、「大江サンが自作を朗読」の話、いいですね。大江さんもビックリの読書術では? 私もできそうですよ。耳の中であの独特な(松山弁?)語り口が聞こえてきます。時々やってみましょ。
2001/11/26, ぶる
お久しぶりです。
いちばん大きな転機はやはり光さんの誕生でしょうね。
このあたりから、内容的にもスタイル的にも変わったような気がするので。

ところで、三省堂神田本店で大江さんのサイン会があるようです。
詳細はこちら。

http://www.books-sanseido.co.jp/120thssd/kanda/kanda_sign.html

ぶる
2001/11/26, くにこ
大江さんの作品を見つけると、反射的に手がでます。何度かしか聴いたことがないのに、作品を読んでいると大江さんの声がきこえてくるから不思議です。大江さんが朗読してくださるんだなあこれが。こちらのサイトは、まだ3.4回しかのぞいてないのですが、図書館でみつけた「僕が本当に若かった頃」を読んでいて続けて読むには惜しく(続けて頭に入らないだけですが)こちらに遊びに来ました。テレビに出ていらしたこと今知りました。みなさんが語られているので、それで満足したいところですが、やっぱり残念。もっと豆にこちらをチェックするべきでした。たくさんみなさんの投稿に刺激を受けます。また来ます。
2001/11/25, うさぎ
 毎夜、このHPを開くのが楽しみです。そのたびごとにおもう事はあるのですが、自分のなかで反芻し考えています。ただ、このところの書き込みがうれしくてついついわたしもと声をあげたくなりました。七つのことばや、その他示唆に富む数々のことばになにより励まされましたが、もうひとつ印象に残ったには「自分まで伝えられてきた歴史が、この子(光さん)に伝わらないのではないかと思っていたが、FM放送を友達と聞く彼を見て、音楽を通して彼は社会とつながっていこうとしている」正確には再現できませんがそんなようなことを、NHKの放送で言われていたように思います。わたしたちは、本や音楽やもちろん人を通して、歴史や社会とつながり生きている。そのことの喜びと、責任というか小さき人たちへの愛というか、そういうものが、子育てであり教育であると思うのです。社会に対していつも怒っている自分と、希望を失うことなく、それらを新しい人に伝えていきたい。そして、自分自身に対してもいつも「新しいひとよめざめよ」と言い続けていたい。そんなことを考えました。
2001/11/25, 弥生
ここ数年の大江からは遠ざかっていますので、的はずれかもしれませんが、大江文学の流れの一つには、(一つであって、全てではありませんが、)「生と死と再生」を通して、新時代を担う「新しい人」を生み出すというモチーフが繰り返されています。「新しい人よ目覚めよ」が最も印象的な作品ですが、神曲の「転回」を象った「懐かしい人への手紙」、あるいは、「治療塔」も、社会と個人の関わりのなかで、死と再生を経て「新しい人」が誕生していく、そんなモチーフを僕は長らく大江から読みとっていました。Nステで紹介された言葉の数々も、この視点からすれば、自らの最後の時期を間近に感じ取った作家・大江が、新しい人、新しい日本人の誕生を子ども達に託そうとする、具体的な働きかけなのかなと、そう思ったのです。社会派作家でもある大江のそれが、あの貧困なるジャーナリストHへの、反証でもあるのでしょう。
2001/11/24, いとうくにお
植村さん、こんにちは。
大江さんの転機の時期・作品についてですが、「作品紹介」のリストを眺めていると、初期・中期・後期とわけるよりも、もう少し細かく分けたほうがいいのかなという気もします。たとえば60年代、70年代というように10年区切りで分けていってみても、年代ごとに作品の傾向がはっきりと違ってきているように感じられます。
逆に、青年作家時代とそれ以降、というように二つの時期に分けることもできそうですね。作家は若いころの書き方をある時期になったら捨てなくてはならないというようなことを大江さん自身がある対談でおっしゃっていました。そういう意味で、若いころの書き方で書かれた作品と、そうでないものというようにわけることができるのではないでしょうか。
転機という意味では『個人的な体験』と『同時代ゲーム』は間違いなくそうだと思います。でも、ほかにもあるかもしれませんね。
2001/11/24, 植村
植村です。

園井さん、とてもしっかり書いてみえますね。参考になりました。
僕たちは、これからこれらの言葉を心の柱にして生きていく、というメッセージ
でしょうか?
7の「元気を出す」については本当に実感します。大江さんは
「私は障害者の親ですが、障害者やその親は、なんだかわからないけど元気を出
す」
ということを言ってみえたと思います。
僕自身が障害者のためかもしれませんが、いつも
「元気を出さなくては」
というのが心の中にあります。ときには
「元気よく元気を出そう」
と言っているときもあります。
『静かな生活』に、その辺りのことが書かれていたと思います。
ただ、園井さんは
4)伸びる素質とは、子供の可能性、人類の可能性を伸ばすこと。
と書いてみえますが、僕としては
「……を伸ばすこと」
の部分を、ネガティブな言い方になるかもしれませんが、
「……を邪魔しないこと」
として理解したいのですが、いかがでしょう?
『私という小説家の作り方』の冒頭に、
大江さんの幼いころの体験が書いてありますが、
それを読むと、そのような気にさせられます。
その他の五つの言葉については、実感としては解りません。
ご意見などいただけると参考になります。

「僕の読み方が浅いのかもしれない」
と戒めながら書くのですが、
大江さんの作品は
病人や障害者を家族や周囲の人がどのように受け入れるかは書かれているが、
病気や障害を本人がどのように受け入れるかについては
正面から書かれていないように思います。
そのようなことが解りやすく書かれている作品は、どれがあるでしょうか?
いとうさんは掲示板の中で、
「大江さんの小説は初期、中期、後期で感じが違う」
ということを書いてみえますが、
何年頃あるいはこの作品が転機、というのはありますでしょうか?
「作品紹介」を見ながら、また読んでいきたいと思います。
2001/11/24, いとうくにお
堤さん、こんにちは。本には次のように出ています。
 死者を死せりと思うなかれ
 生者のあらん限り
 死者は生きん 死者は生きん
2001/11/24, 堤 伸子
 申し訳ないのですが、次のことを教えてください。
 大江健三郎さんのお書きになった『日常生活の冒険』には、
弟にあてたゴッホの詩を、大江さんがご自分の言葉で翻訳されています。

    死者を死せりと思うなかれ
    生者あらん限り 死者は生きん
    死者は生きん

テープ起こしをしていて出てきたのですが、
これで一言一句、間違いがないかどうか、
お教えいただければうれしいです。

恐れ入りますが、なにとぞよろしくお願いいたします。
2001/11/24, いとうくにお
このところ掲示板への投稿が増え、大江さんのメッセージがテレビを通じて大勢の方に伝わったのだろうなとうれしく思っています。初めて投稿された皆さん、今後ともよろしくお願いします。お一人ずつご返事を書きたいところですが、こちらにその余裕がないもので、まとめてのご挨拶でご勘弁のほどを。
おこじょさん、中学高校で大江文学に出会えたということ、うらやましく僕は思いますよ。僕はそのことは、教科書で少し読んだくらいで、本格的に読むことはできませんでしたか。
園井さん、こんにちは。あの七つの言葉は、人それぞれの受け止め方があると思うのですが、僕にとっては大江さんからの励ましという感じです。「いろいろ大変だろうけど、こういうことに注意して、元気を出しておいきよ」と肩をたたかれたような感じ。
2001/11/24, 岡田ehime
こんばんは、岡田ehimeです。
 NHKの西村さん、早くから番組のお知らせありがとうございました。
「おはよう日本」は、普段から出勤前の時計代わりに見てはいるのですが、お休みの
日だったので知らなければ寝過ごして見のがしてしまうところでした。Nステーショ
ンも大江さんのラブリーぶりがでて良かったですが、おはよう日本の方が上手に編集
されている分、大江さん初心者の方にもわかりやすく、大江さんの伝えたいことが伝
わるのではと思いました。短い時間でしたが見応え有りました。また、大江さんがら
みの企画をされる場合は是非お知らせ下さい。
 園井さん、はじめまして。大江さんは本当に、本にすれば本当に何冊も必要なくら
いの密度の濃いことを話されていましたね。全部把握するというのは、無理かもしれ
ません。でも、一つ一つの言葉は注釈を加えてわかりやすくしていて下さったので園
井さんご自身が心に残ったとを手がかりにして考えてみてはどうでしょうか?私自身
は、個の確立と個と個でない物との関わりということが強く印象に残りました。
 やまめさん、入井さん、植村さん、七つの言葉の注釈ありがとうございました。私
自身も一生懸命めもっていたのですが、皆さんまとめてくださって、ありがたかった
です。
 いとうさん、やっぱり、このホームページは良いですね。大江作品への意見やいろ
んな大江情報ありがたいです。新刊本2冊早速買いました。
長々とごめんなさい。
2001/11/24, 園井
Nステでの大江さんの7つ言葉について、私なりに考えてみました。
1)悟るとは、自分の可能性と限界、気持ちと体、望みと現実などをよく知ること。
2)始造とは.....
3)とりなしとは、人と人との間に立ち両者を結びつける、二つの物を融合させるということ。
・和解とは、お互いに歩み寄ること。対立を避けること。
・新しい人とは、二つの方向の違った力を、共通するある方向へ導いていく人。
4)伸びる素質とは、子供の可能性、人類の可能性を伸ばすこと。
5)個を社会に開く(ことば)とは、個人の気持ちを周りのみんなに伝える、日本人の考え方や文化を世界に伝えるということ。
6)注意力とは...
7)元気を出すとは、前向きに物事を考えるということ、可能性を信じて諦めないといこと。
などと理解しました。

これが、大江さんが考えている、我々に今求められている(必要とされている)ことなのでしょうか?
今、我々にはこれらが欠けているのでしょうか?
7つのキーになる言葉とは、そういう意味でしょうか?

皆さんのご意見を伺えればと思っています。
2001/11/24, おこじょ
はじめまして。17歳のオトコです。
僕は大江先生の本を中学のころから読み始め、だんだんファンになりました。
読み始めた頃は、なんとも難しい文体に四苦八苦で、「このまま本棚入りかな?」な
んて思ってました。ですが、読書は登山。頑張って読み進んでるうちに、面白みが分
かってきて、「万延元年のフットボール」で大江先生への憧れは最高潮に達しまし
た。そして今は「取り替え子」を読んでいます。受験生なのでホントは参考書を読む
べきなのでしょうが!
僕は大江先生の本に、いわゆる青春期と呼ばれる時代に、出会えたことが本当に運が
良かったと思っています。その5年間の、またはこれから幾年と続くであろう、読書
遍歴の中で、もしも大江先生のことばがひとつでも僕の中に生きてくることがあれ
ば、幸せです。
ニュースステーション&おはよう日本など最近ますます露出が増えてきて嬉しいで
す。見逃さないようにこまめにチェックしたいと思ってます。これからも頑張ってく
ださい。
2001/11/24, いとうくにお
植村さん、こんにちは。7つの言葉は、やまめさんの書き込みのあるもので合っていると思います。補足すると、6番目の「注意深く」は、ピンチのときには注意力が必要というお話だったと思います。21日の放送の雰囲気では、22日の出演は本当に本番中に決まったことのようですね。これは司会の久米さんが番組内容に対してもある程度の権限を持っているので可能になったことなのではないでしょうか。
2001/11/23, 植村
初めて書き込みします植村と申します。いとうくにお様とは1度メールの交換を
させていただいたことがあります。これからもよろしくお願いします。
ニュースステーション、僕も楽しく拝見しました。
降矢さん
昨夜の放送終了後、僕も忘れないようにメモしました。
悟る、始造、のびる素質、新しい人、和解、執り成し、注意力、元気を出す。
7つのはずが、思い出したものを書いてみたらこれだけありました。どれもキー
ワードのように話してみえました。7つは、どれだったのでしょう?
それにしても22日の出演は事前に予定されていたものなのか、本当に21日の
放送中に決まったのでしょうか?
2001/11/23, 入井 夏夫
  11月23日  Nステ キーワード?
    
  ・のびる素質
  ・始造する
  ・さとる
  ・ことば 
  ・とりなし
  ・新しい人
  ・元気をだす   ?
2001/11/23, 斉木建子
西村さん、私は、大江先生のファンです。けさのテレビをみまして、大江先生のやさしさ、人への愛情が、とてもよく伝わって、朝食の片付けもしないで、テレビに見入ってしまいました。飾らない、気取らない、偉ぶらない、素朴な先生をますます心から尊敬します。
貴重な番組をつくって下さいまして、ありがとうございました。
2001/11/23, やまめ
 テレビで現在の大江サンをたっぷり「とりなし」てくれましたね。
 水曜日のNステは見なかったのですが、このサイトで木曜日のことを知り見ることが出来ました。きっと水曜日のは一段と興味深かったのでしょうね。木曜日の放送で話された7つの言葉は「個を発見するための」(1)さとる(2)始造する(3)capability1(伸びる素質)、「個を社会に開くために(ことばで)」(4)とりなし(5)新しい人(和解させる人)(聖書より)、「個としてどいうきるか(激励のことばとして)」(6)注意深く(7)元気を出す。だったと思いますので、隆也さんの思い出せない3,4は「capability」 と「とりなし」でしょうか。
 「おはよう日本」は子供達と大江サンがほんとうに楽しそうで良かったですね。また、なぜ学校に行かなくてはいけない?の答えがとてもすっきり出されていてわかりやすかったと思います。本に書かれていた、「私がもう一度産んであげるから・・・」の話を取り上げず、そこを学校へ行く意味を考え始めたときとし、光さんの話に焦点をおいたのでとても明快になったと思います。逆にそのことで、「もう一度産んであげる・・」の話も、個を社会につなげて行くことだったんだと、今までよく分かっていなかった私は、今になって理解することができました。
 私自身、学校へ行く訳をこのように明快、単純に示されると改めてそれが強く意識されました。学校生活にトラブルを抱えている娘への援助のしかたも明快になり、なんだか気持ちが軽くなりました。子供向けの長編が書かれるとのこと、楽しみです。
2001/11/23, 園井 俊
はじめまして、園井です。
大江さんについてあまりよく理解していない私が、このようなことを掲示板に書くのは、
どうかとも思いましたが、この事について、私には意見を交換できる場がないので書き込みさせていただきました。
11/21・22のNステに出演していまいした大江健三郎さんは、
今回のテレビ出演を通して、我々に何を伝えたかったのでしょうか?
「個」に関する大事な言葉とは、どういう意味だったのでしょうか?
私はまだ、悟ることなどの意味が十分に理解できない若輩(30歳)ものであるため
もう少し久米さんが解説してくれれば、と思って見ていました。
また、残念ながら、NHKのインタビューは見逃してしまいました。
皆さんは、大江さんの話をどのように受け止められていますか。
ご意見を聞かせていただければ幸いです。
2001/11/23, いとうくにお
勝久さん、こんにちは。1200円+消費税です。だから、1260円かな。
2001/11/23, 勝久 由美子
NHKワールドの「おはよう 日本」で大江健三郎さんのインタビューを拝見しました。
その中で取上げられていた著書‘自分の木の下で’を私も子供達も、そしてこちらで暮らす日本人家族が手にする事が出来たら、どんなに素晴らしいだろうと…。
学校は今月末からホリデーに入り日本に帰る学生がおりますので、買って来てもらおうと思っています。受け取るのは来年2月になりますが(笑)。
“自分の木の下で”の金額をお教え下さいませんでしょうか。学生に本代を託したいので。
宜しくお願い致します。ブリスベン、オーストラリア 勝久 由美子
2001/11/23, いとうくにお
弥生さん、こんにちは。作家と同時代に生きることの幸運というご意見、僕も同感です。
西村さん、「おはよう日本」、楽しく拝見しました。おっしゃるとおりいろいろ映像も交えてあって、興味深かったです。時間をかけて取材されたのでしょうね。中学生と対話している大江さんの楽しそうな様子がとても印象深かったです。子供たちも楽しそうにしていましたね。
2001/11/23, 弥生
僕にとっての大江作品とは生涯を経て読み解く文学です。常時読んでいるわけではなく、人生の節目毎に振り返る道標のようなもの。幸運なのは、この作家と同じ時間を平行して生きていることで、作品群の成長、思惟の展開を目の当たりにすることができることでしょう。漱石では味わえない臨場感をもって、僕はまた大江に戻ってみようと思います。
2001/11/23, 雅嗣
始めまして いとうくにお様
早速のご返事有難うございます。
ここに書き込みをした後「作品紹介コーナー」に気付きました。
(ちょっと興奮ぎみで慌てていました)
すぐに作品名をメモりまして、図書館に行って探したところ
運良く!「オーケンのススメ」で入門書と紹介されていた
『個人的な体験』が有りましたので借りてきて読んでいるところです。
読めない漢字、意味の捕らえきれない言葉も多く、辞書を片手に戦っています
(30歳を前にして語彙力の無さを痛感しています)
が、引き込まれてます。このまま朝まで読んでしまいそうな勢いです。
では失礼します。
2001/11/23, 降矢
本日のNステ、非常に興味深く拝見しました。
ところで大江さんのおっしゃっていた七つのキーワードのうち
三つ目と四つ目がどうしても思い出せないのです。
どなたか、よろしければ教えていただけると幸いです。
2001/11/23, いとうくにお
佐和子さん、はじめまして。ダビングしてくれる人が見つかるといいですね。それで、大江さんに興味を持ったら、大江さんの小説も読んでみるといいと思いますよ。映画にもなった『静かな生活』(講談社)などは女の子が主人公で読みやすいかもしれません。
2001/11/22, 佐和子
14歳の中学生です。姉のパソコンで送ってます。大江健三郎さんは名
前しか知りませんでしたがテレビを観て何か読んでみたい気がしました。
水曜日はみたけれど、木曜日のテレビは観れませんでした。どなたか録画
された方がいたらダビングして送って欲しいのですが、お金はお支払いし
ます。こんなこと掲示板でお願いしたら怒られるでしょうか?だとしたら
ごめんなさい。
2001/11/22, いとうくにお
雅嗣さん、はじめまして。ご希望は小説ですか、それともエッセイでしょうか。小説のほうは初期、中期、後期と時期によってずいぶん感じが違うので、人によって好みが分かれるようです。このサイトの作品紹介コーナーに、稚拙ですが僕の書いた感想みたいなのが出ているので少しは参考になるかもしれません。
2001/11/22, 雅嗣
始めまして 私は本をまったく読まない人間なのですが
昨日 大江健三郎さんがニュースステーションに出演されているのを拝見しまして
大江さんの作品を読んでみようと思いました。
しかし、たくさんありすぎて何から読んでいいか全くわかりません
読む順番なんて無いとは思うのですが
最初はどの作品あたりから読めばよろしいでしょうか?
よろしくお願いします。
2001/11/22, 万里子
『「自分の木」の下で』の英訳本はもうできているのでしょうか?
ご存知の方、教えて下さい。
2001/11/22, 加奈子
はじめまして。突然申し訳ないのですが、お聞きしたいことがありまして・・・。
大江先生の作品の中に冒頭が「生きることと生かされてあることは・・・」という始まりの文を探してるのですが、そういう内容のものはありますでしょうか???教えていただきたいです。
お返事待ってます!!!
2001/11/18, いとうくにお
玄さん、おひさしぶりです。うちも未読の本がたくさん。不景気だから、補充はせずに備蓄を読んで未読を解消しようという方針でいるのですが、それでもときどき買い足してしまうので、なかなか減りません。お楽しみがそれだけたくさんあると思えばいいんですが、どうも宿題がたまっているみたいに感じてしまいます。
2001/11/18, 玄
ご無沙汰しています。
今年の春頃、初期の絶版もの以外の小説をあらかた読み終えてしまい
(1回読んだというだけのことで、一生手離すつもりはありませんが)、
今はとりあえず、大江文学は一段落というところです。
筒井康隆、安部公房、池澤夏樹といった好きな作家と並行して、
笙野頼子の小説を特に多く読みまくっています。
誰かが難解と言うと、それに飛びつく癖があるようです。「よっしゃ読んだる!」と。
これから、中上健次や古井由吉、丸谷才一へと手を伸ばそうという計画です。
読むのが遅いのに本を買うことだけが先走ってしまい、
まだ読んでいない本が手元に30冊くらい溜まってしまいました。
本の海。
大江文学から、世界が広がりました。

今日、『「自分の木」の下で』を買いました。
出てすぐの頃は正直、「早く小説書いてよ大江さん!」と読む気になれなかったのですが、
世の中の反響の大きさに、ファンとしては知らないわけにはいかない!と最近思い始めたのです。
それに、この掲示板を見ていると、やっぱり読みたくなりますからね。
ファンの血がウズウズしてくるんです。待ち行列を繰り上げて読みたいと思います。
読んだら感想を書き込みます。

下のほうでやまめさんがおっしゃっていますが、
僕の方も今日は何だか書き込み欄の日本語入力が遅いです。
なので、メモ帳で書きました。

勢い余って長くなってしまいました…すみません。
もう寝ます。おやすみなさい。
2001/11/17, オサム
やまめさん
僕もさっそく『いかに木を殺すか』のカバーをはずしてみました。
これも綺麗ですねェ。

内海さん
僕も『未来への遺産』のCDを持ってるんですが、僕は そのなかで 使われる
インドの太鼓=タブラ の音色が気に入ってます。
2001/11/17, いとうくにお
西村さん、はじめまして。役立てていただけたのでしたら嬉しいです。23日の放映が楽しみです。
2001/11/17, 西村光弘
初めまして。NHKでデイレクターを
している西村と申します。
今回、NHKのおはよう日本という番組で
大江先生のインタビューを担当しました。
その際、事前取材でこのホームページを
読ませて頂きました。
内容も深く、網羅的で、大変参考になりました。
掲示板をお借りしまして、お礼を申し上げます。
ちなみに番組は、11月23日(祝)の
午前7時くらいから20分にわたり放映されます。
タイトルは「子供たちに今伝えたいこと」
中学生の感想文を添削したり、
授業をされたりする様子もあり、
興味深い内容だと思います。
もしよろしければ、ご覧頂き、
ご感想でもお聞かせ頂ければ幸いです。
2001/11/16, やまめ
 オサムさん、楽しい情報をありがとうございました。
 本棚を探してみたのですが『「雨の木」を聴く女たち』は見つかりませんでした。読んだと思ったのは思い違いだったのかもしれません。頼りない読者です。そのかわり『現代伝奇集』(岩波現代選書)と『いかに木を殺すか』(文藝春秋)を見つけました。
 『現代伝奇集』には「頭のいい「雨の木」」が載っているので、これで『「雨の木」を聴く女たち』を読んだ気がしていたのかもしれません。そして、なんと『いかに木を殺すか』のカバーをめくるとオサムさんがおっしゃるようなすてきな装丁が現れました。布張りの赤と緑のサイケな感じの南の島にあるだろう木のデザイン。さらに、それをめくると楽譜が現れました。さらに、さらに裏側を見るとちゃんと書いてあるんです。
 >雨の樹
 >Rain tree for 3 Percussion players (or 3 Keyboard players)
>「雨の木 レイン・ツリー」というのは、夜中に驟雨があると・・・・。頭がいい木でしょう。 『頭のいい「雨の木」』大江健三郎
 >Dedicated to Kenzaburo Oe and Sylvie Gualda.....

ほこりをかぶっていた本からこんなすてきな発見ができるなんて。オサムさんありがとうございました。これらの本も今の私にならジャスト・ミートするかも。
2001/11/16, 内海 晃二
千春さん、ご返事が遅れて申し訳ありませんでした。
レスがあると子供のようにワクワクしてしまいます。

ところで私は武満さんの曲では「未来への遺産」へのテーマ曲集が一番好きです。
25年前のNHK特番のために武満さんが作曲したものですが、映像なしでも
十分楽しめます。しばらく前にCD発売されましたからお店で手に入るはずです。
ビデオも公立図書館などで観ることができるはずです。
今は破壊されてないバーミヤンの石窟寺院も映っています。
ピアノ曲はピーター・ゼルキンの演奏が音もきれいでお勧めです。
2001/11/15, オサム
やまめさん、
どういたしまして。

『雨の樹を聴く女たち』を20年前に読まれた との事。
だったら 多分 単行本でしか なかったはず。
単行本のカバーをはずせば、そこに現われる楽譜が、武満徹の『雨の樹』だと
勝手に思ってるんですが...。

まだ お持ちなら 一度 カバーをはずしてみてください。とても美しい装幀です
よ。

               では 今回は これで。
                        おじゃましました!!
2001/11/14, やまめ
 オサムさんに教えていただいた武満徹の音楽をやっと聴くことが出来ました。
 もうひと月も前になるのですが教えていただいてすぐ、「現代日本の音楽名盤選 9」をアマゾンでみつけて注文し楽しみに待っていたのですが、2,3日前になって入手できないとの連絡がありました。しかたなく、今年できたばかりの「武満徹作品集」(BIS)というのを注文しました。オサムさんが一番好きだと書かれていた『弦楽のためのレクイエム』も入っていたので。
 なんだか不思議な音楽ですね。素人の私には正直、難しいですが、家事をしながら聞けるようなものではないと思いました。第一印象としては、適切な表現ではないかもしれませんが、物語的な思想表現的なものを感じました。これからじっくりと聞き込んでいきたいと思っています。『雨の樹』もそのあとで、『雨の樹を聴く女たち』を再読しながら聴いてみたいと考えています。『雨の樹を聴く女たち』を読んだのはもう20年近くも前ですが、実はよく理解できなかったので、再読する良いチャンスでもあります。
 曲を聴いての感想とともにオサムさんにお礼を言おうと考えていたのですが、今頃になってしまいました。ありがとうございました。
2001/11/14, 千春
土星さん、コメントありがとうございました。大江さんにはdecentなもの、中上さんには片や限りなく世俗的でどろどろした世界でありながら何か透徹したものを感じます。どちらも「救済」がテーマなのかもしれません。両者についても、批評家さんたちは本当にいろいろと論じていますが、私はまず自分にとって何が一番こころに触れるのかを大事にしたいです。それにしても「土星さん」、ユニークなペンネームですね!
2001/11/13, いとうくにお
土星さん、おひさしぶりです。チャットは、タイピングはマイペースでいいのではないでしょうか。まあ覗くだけでも面白いかもしれません。チャットの集まりは、まだ二回しかやっていません。メーリングリストのほうで告知しているんですけども。やるとしたら、だいたい金曜日か土曜日の午後11時からになると思います。
2001/11/13, 土星
いとうさん、お久しぶりです。いつの間にかチャットがあるなんてビックリです。また、そちらの方にもお邪魔したいんですけどワープロ10級並のタイピングスピードなんで・・・
。千春さん、中上健次僕も好きで一時読んでました。「岬」「枯木灘」「地の果て 至上の時」三部作が印象に残ってます。中上作品の「日本語について」や「灰色のコカコーラ」は大江サンの「われらの時代」の影響を受けてる様に感じます。というか上手く真似てるというか・・。
2001/11/13, いとうくにお
高野さん、はじめまして。『レインマン』はむかし劇場で観たことがあります。エンディングの写真が、なぜか泣けました。実際にあのようにすごい能力を持つ人がいるのですね。不思議なものです。
SHEEPさん、おひさしぶりです。『懐かしい年への手紙』を読了したら、感想を聞かせてもらえると嬉しいです。僕もとてもゆっくりとしたペースで『キルプの軍団』を読んでいるんですよ。いつ読み終わることやら。
2001/11/12, SHEEP
久しぶりに、投稿します。仕事が忙しく、最近はかなりゆっくりと
大江文学に取り組んでいます。
現在、「懐かしい年への手紙」をちょっとずつ読んでます。
自伝的でありながら、文体のためでもあると思いますがーー
どの作品よりも、イメージの豊かさと物語性の高さを持っている
傑作ですね。まだ、第二部の途中なので、ラストが楽しみです。

それと、まぼろしの短編「政治少年死す」、ついに読ませていただくことが
叶いそうです。
「セブンティーン」から改めて通読してみようと思っています。
2001/11/11, 高野 澄子
はじめまして。

私、このところ『新しい大江光』のCDを毎日のように聴いています。とても素晴らしい曲ばかりで、光さんの才能には脱帽です。

昨日テレビで『レインマン』をみました。息子も自閉症ですが、光さんのように作曲はおろかピアノも弾けません。でも記憶力は抜群。他に曜日当ての特技があります。

実は私この8月に文芸社から『できるかぎり不親切に!』(定価1100円)という本を出版しました。『レインマン』の世界のありのままを赤裸々に書きました。京都府自閉症協会の先生にもご協力いただきました。

ぜひ応援してください。よろしくお願いします。

文芸社 電子出版サイト  http://www.boon-gate.com/
2001/11/11, のりこ
あかりさま
生きていく元気をそがれるような攻撃、私も小さい頃から家族から
受けてきました。最近は身内から受けました。いとうさん、「自分の木の下で」
ですね。私も読んでみます。あかりさんが元気になられますように。
2001/11/11, のりこ
いとうさん、千春さんお返事ありがとうございました。
6才と9才の息子さんのお母さんだったんですね。とても大変そうですね。
絶版となってしまった大江文学はわれらの狂気を生き延びる道を教えよです。
読みはじめたばかりなので、感想は後ほどにさせてください。
読んだことがあるのは個人的な体験です。

20代後半の大江さんの女性観は意外でした。しかし女性観や障害をもって
産まれたお子さんへの複雑な思いを偽らず、正直にあそこまで、書けてしまう
ところが凄いとも思いました。外国の方達からこういう日本人もいるんだなと
思わせた気持ちに納得しました。

私自身、大江文学を読まなくてはという気持ちにかりたてられたのは
婦人公論の記事を目にしてからでした。自立した人間になりたい。
つまらない言葉にふりまわされたくない、本から傷ついた自分を癒したい。
大江文学から生きる知恵、人間づきあいの知恵を頂こう。と思いました。
2001/11/10, いとうくにお
あかりさん、はじめまして。大江さんの『「自分の木」の下で』というエッセイ集はご存知でしょうか。もしかしたら、あかりさんに役に立つのではないかと思います。よかったらお読みになってみてください。
2001/11/10, あかり
大江文学はほとんど読んだことがありません。二,三日前に生きていく元気をそがれるような攻撃を家族から受け、いまでもそれから十分立ち直っていません。ついさっき、「あいまいな日本の私」という岩波新書のエッセイ集を読んで何気なくここに立ち寄りました。
2001/11/10, いとうくにお
のりこさん、はじめまして。絶版となった大江作品…、どれだろう。気が向いたら、感想などお聞かせください。
2001/11/10, 千春
のりこさん、こんにちは。おふたりの小さいお子さんを抱えて、あわただしい毎日をお過ごしのことでしょう。私のところは9歳と6歳の息子です。先日は教育実習に向かうバスのなかで携帯が鳴り、次男の鼻血が止まらないのですぐ迎えにきてくださいと保育所から連絡があり、ドタバタでした。こういうエピソードの事欠かないのが、社会人学生の面白い所かもしれません。30代後半(女性の一大転機?)になり、急にいろいろと悩み惑うことの多いこのごろですが、こういう時期だからこそ、渇きもとめる文学があるのかもしれませんね。のりこさんもご家族そしてのりこさんご自身が輝ける日々でありますよう。ではまた。
2001/11/9, のりこ
はじめまして、いとうさん、千春さん。
2児の母で、大学生は偉いですね。私は勤労学生をやったことがあり、
学問意外のことをかけもちで、することの大変さを共感してしまい投稿
しました。現在は3才の息子と3ヵ月の娘の2児の母です。
絶版となってしまった大江文学を読むために図書館に通っています。
大江文学をまだ読みだしたばかりの私ですが、いつかみなさんと語りあいた
いです。どうぞ千春さんもお体に気をつけて。
2001/11/7, いとうくにお
千春さん、こんにちは。二児の母にして学生ということは、時間がいくらあっても足りないという感じなのでしょうね。勉強も子育ても、要領のよい悪いを超越した、効率一辺倒ではやっていけない面が大きいと思います。ご無理のない範囲でがんばってください。
中上健治も読むという方は、ここにはけっこういらっしゃるのではないかと思います。僕は読んだことがないのですが…。
2001/11/7, 千春
いとうさん、みなさまこんにちは。
2度目の投稿です。毎日楽しみに見せていただいています。
私は大学生3年生なのですが、(二児の母でもあります)、いちおう
教育哲学、人間形成について勉強していて、今は来年の卒論の
テーマ探しにかかっています。そこで関心の中心にあるのが、大江氏の
作品にもよくでてくる「祈り」、とくに「信仰なき者の祈り」ということ
なのです。そのようなある種の、生きる上での「物語性」は今の公教育では
まったく排除されているようなのですがいますが、そういうことの今後に
ついて考えたりしています。
勉強のためにも大江作品をもっと読みたいのですが、ほんとうに時間が 
ありません、というか要領が悪いので苦労しています。
固そうなテーマですが、同じようなことを考えている方がほかにもいらっしゃったら
うれしいです。このHPはほんとうに参考になるし、まじめだけれど楽しめて、
なんだか元気をもらっています。
それから、今なぜか惹かれるのが中上健次なのです。大江さんに
惹かれるのと、似ているような、ちがうような…。今は『奇蹟』の途中です。
大江さんと、中上さん両方に興味があるかたがいらっしゃったら、お話してみたいで
す。
では寒さに向けてみなさまお元気でお過ごしください。
2001/11/6, ヒチコ
こんばんは。

マサムネさん、
賢治情報、ありがとうございます。
おれいを言うのが遅れてしまって失礼しました。
また賢治の詩を読んでみたのですが、やはり美しい単語を使うなぁ、と思いました。
絵の話ですが、大江さんの『ピンチランナー調書』の装幀も司修さんですよね。この本の帯に司修さんの絵があって、その横に小さく「ピンチランナー二人組」とかいてある、こういうの何だか好きです。

またしても質問なのですが、集英社文庫から出ている、日本ペンクラブ編/大江健三郎・選『何とも知れない未来に』はシリーズなんですか?
古本屋の大江さんの棚から見つけたのでわかりませんでした。
この文庫で、原民喜さんの文章にとても惹かれました。
『心願の国』ですが、詩を書く人の文章は短くてもキラキラしてますね。
2001/11/5, はなここ
いとうさん。
とんでもないです。ありがとうございます。
ミニ事典、行ってみます。
それにしても、深くて濃くて、とてもよいホームページですね!
これからもちょくちょく遊びに来ます。
2001/11/5, いとうくにお
はなここさん、はじめまして。「ミニ事典」コーナーの「翻訳」の項をご覧になると、翻訳されている大江作品がわかります。残念ながら「死者の奢り」や「見る前に跳べ」は入っていませんが、アマゾンコムで検索して調べただけのものですので、もしかしたら漏れもあるかもしれません。役に立たないコメントですみません。
2001/11/5, はなここ
はじめまして、こんばんは。
大江文学初心者です。
私は「死者の奢り」や、「見る前に跳べ」が大好きなのですが、
それらの英訳版があるかどうかを知りたいと思っています。
あれば是非手に入れたいのですが・・・。
突然の質問でスイマセン・・・。
2001/10/22, やまめ
>gaichiさん、
私もそういう文字を見た記憶があったので、最近読んだものをざっと見返してみました。そのものの表現ではないのですが、『「自分の木」の下で』の「取り返しのつかないことは(子供には)ない」(週刊朝日掲載)に、殺人と自殺とが子供にとって取り返しのつかないことで、こういったことをしない、させないと決意することが人間の「原則」だ、と書かれています。それで思い出したんですが、たしか新聞に載ったこの本の広告か書評に「なぜ人を・・・」という文句があったのではなかったかという気がするんですが。あいまいですみません。
2001/10/22, MikH
gaichiさんへ
それは文藝春秋ではないかと思います。去年から今年にかけての一つです。記憶は確かではないのですが、宗教家、文学家、政治家がそれぞれの観点からエゴイズム、復讐、おもいやりなどを含めて論じていたように思われます。でも大江氏の記述はなかったようですが・・・
2001/10/21, gaichi
何かの新聞で、「なぜ人を殺してはいけないのか?」ということについて、ここ何ヶ月かの間に掲載されたと思うのですが、思い出せません。教えていただけないでしょうか?よろしくお願いします。
2001/10/21, いとうくにお
チキンFさん、美紗子さん、はじめまして。大江文学の読書体験を共有する場としてこの掲示板が役立てば、僕としてはとても嬉しいです。
2001/10/20, マサムネ
ヒチコさん、
賢治といえば「銀河鉄道の夜」や「風の又三郎」などが有名ですが
僕は「土神ときつね」という作品が気に入っています。これを読んだときは
手塚治虫「火の鳥」の我王と茜丸を思い出しました。
あと、司修さんがこの話の絵を描いています。

くにおさん、
賢治の童話にはずいぶん変な作品も多く「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」「インドラの網」などはわけがわかりません。(小学生のころ「やまなし」に出てくる
クラムボンの正体がきになってしかたがありませんでした)
藤蔓をにちゃにちゃ噛んでいるタネリ、毒もみのすきな署長、鳥を捕る人などのキャラクターもさることながらジョバンニ、カンパネルラという名前の付け方も素敵だなと思います。
2001/10/20, チキンF
みなさん、はじめまして。
こんなHPがあって嬉しい限りです。
当方、中期のもの(短編など)はあまり触れてはいないのですが、
大江さんの携わってきた主題にほれ込んできた者です。
青年期の焦燥、熱情、無力感。迷える人間の弱さと豊かさ。
宗教への欲求とそれへの反発。最後には現世的(人間的)な場所に留まりつつ、
生きていくものへの励ましと、死んでいったものへの敬愛を表し続ける「愛」・・・。
それらを巧みに、時にスリリングに描き出す力。
いいですよね。
また訪れると思いますので、その時は皆様、よろしくお願いします。
2001/10/19, ヒチコ
いとうさん、こんばんは。
アヴァンギャルドについて有難うございます。
そうですね、レトロな様です。今日読んだ雑誌にも、まさにそんな事が書かれてました。
それは草間彌生さんと楳図かずお氏の対談(水玉VS横縞!!)という奇抜な企画でした。草間さんは「アヴァンギャルド」という言葉で表現されていた人ですが、その対談の中にも「アヴァンギャルドというのは60〜70年代アートというイメージで何か古い気がする。」という話題が出てきました。草間さん御自身「じゃあ、なんていえばいいのかしらね。」なんて。
アラッ、アララララララ!?って感じの摩訶不思議さが魅力的です。

太郎氏のCM、知りませんでした。
氏が爆発を繰り広げているのを、私もリアルタイムで見たかったな〜と思います。つくづく羨ましい限りです。一言一言がやたらに力強いですよね。やっぱり、あの眼力でしょうか?

こんな風に非凡な彼等を想う時、私は大江さんの『上機嫌』を思い出します。特に、終わりの5行。直接、どうつながっているのか分かりませんが「あああ!!うぅ〜む...ふぅー。」というジレンマのようなものを感じました。

今日、やたらに時間をかけて読んでいた『静かな生活』を読み終えました。重藤さん夫妻、素敵ですね。マーちゃんの小さな頭に様々な考え事が渦巻く感じも、グっときました。「アルデイ、プティ!」は「自動人形化」してしまうマーちゃんの奮闘ぶりにもかけられている様ですね。私はカッとなるたちなので脳が「小型爆弾化」します。そうした場合には「アルデイ、プティ!」で鎮めよう、と思いました。

以上です。
2001/10/19, いとうくにお
マサムネさん、こんにちは。賢治のほうはあまり読んだことがないんですが、健三郎のほうは個性的な登場人物が確かに多いですね。特に中期の作品にそれを感じます。穴ぼこに入る人、縮む人、宝椅子が好きな人、女装する人、義勇兵を夢見る人、ハイコツ湯麺が好きな人、キュウリを使う人…、実にバラエティに富んでいるなという気がします。もしかしてマサムネさんのおっしゃっているのは別の意味かもしれませんが、、、。
ヒチコさん、こんばんは。もちろん文学でも「アバンギャルド」って形容が使われることはあると思いますよ。あるというか、あった、というべきかもしれませんが。言葉の意味と裏腹に、レトロな印象が伴うのが、面白いですね。
岡本太郎はテレビCMにも起用されたりしてたんですが、ヒチコさんはご存知ですか? お酒の宣伝だったと思うんですが、おまけのグラスの底に、岡本太郎の描く顔(太陽の塔の顔のようなの)がレリーフしてあるんです。で、太郎氏がそれを持って「グラスの底に顔があったって、いいじゃないか」と一言いうんですね。
僕にとっては70年代を象徴する人物の一人という印象です。
2001/10/19, ヒチコ
こんばんは。

「芸術活動」と「不謹慎」の関係、気になります。
誰かが、「表現はタブーとの戦い」だとか言ってた気がします。いつも出所が不確かな書き込みで申し訳ないです。

新潮文庫の『われらの時代』に『<われらの時代>と僕自身』という大江さんの文章が載ってますよね。ここで大江さんが「A・B・A・B」と挙げている部分が思い出されました。いずれ気になる事というのは、そうとは知らずに気にしているものなのですね。

気づいてみれば60〜70年代にかけての前衛的な動きに魅せられていたのでした。
建築などでアヴァンギャルドなどという言葉はよく聞きますが、文学でもそのように言うのでしょうか?初期の大江さんは、そんな感じじゃないでしょうか?

太陽の塔でお馴染みの岡本太郎氏曰く、
「今日の芸術は、うまくあってはならない。
        きれいであってはならない。
        ここちよくあってはならない。」

とても面白かっただろうな、この時代...
実験的なものや、前衛的な表現に魅力を感じるのに振り返ってばかりいる気がします。(と言っても生まれてもいない時代ですが。)

マサムネさん、

宮沢賢治の面白い作品を、宜しかったら教えてください。
私は詩ぐらいしか読んだ事がないので。
詩では『蠕虫舞手』が好きです。アンネリダタンツェーリンという響きの面白さと、不憫な感じ(それでいて綺麗な感じ!!)がとても好きです。
他の詩はなかなか手強かったな〜...


また長々失礼しました!!
2001/10/18, マサムネ
はじめまして。
ぼくは、いま宮沢賢治の作品を読んでいます。
大江氏の作品は半分くらいしか読んでいないですが、
氏の作品も賢治の作品も、登場人物のキャラクターが
大変個性的で面白いと思います。
2001/10/17, ITTEN
りな様

「東京都世田谷区成城」とだけ書けばOK!
2001/10/15, いとうくにお
りなさん、はじめまして。読者としてのお手紙なら、その本の編集部気付けでお送りすれば著者に届けてくれるものと思います。りなさんがお好きなのは、どの作品ですか。よかったらお教えください。
武井さん、はじめまして。95年の講演録ですか。どういったテーマ、あるいは題名のものだったのでしょうか。何か本や雑誌に収録されている可能性はありませんか?
ヒチコさん、似顔絵ありがとうございました。よく似ていて、一発でそれとわかります。大江コンテンツがまた一つ増えて、嬉しく思っています。伊丹監督ですが、確かに「あげまん」なんて題名を見ると、なんとも不謹慎な印象をうけますよね。「お葬式」もそうかな。まあ不謹慎だとしても、理由のある不謹慎というか、不謹慎なだけではないということが映画を見るとわかりますね。
2001/10/15, ヒチコ
光栄にも、このサイトにイラストを掲載して頂きました。
いとうさん、そのせつはどうも有難うございます。
こんなに大きく載せてくださって、ホントに嬉しいです!!感激です!!

さて、最近ですが長々と読書をさぼってしまっています。
『静かな生活』を読んでいるうちに、伊丹監督の『静かな生活』が見たくなってビデオ屋さんに行きました。
伊丹監督コーナーで探していると『大病人』が気になって、そちらを借りてしまいました。これが大変面白かった!!
伊丹監督に対して、幼いころ感じた印象「不謹慎な人だ」(多分タイトルなどから)がずっとあって今まで見ようとしなかったのですが、今回その勝手な誤解が解けて良かったです。不謹慎だとか、皮肉っぽいイメージは砕け散りました。
どんなに「暗い」状態や「辛い」状態でも、不謹慎じゃない「笑い」や暖かい「皮肉」のようなものはあるのだなぁ〜と思いました。そうでないと、なにか絶望的な気がしてくると思いました(漠然としていますが)。

御覧になった方もいらしゃっると思いますが、私はある場面で『ザ・セル』という映画を連想しました。伊丹監督の表現の方が、ぎょっとしましたが。
エンターテイメントって凄いなあ、とあらためて思いました。

大江さんには、こんなに刺激的なお友達がいたんですね。素敵ですよ、憧れます。
2001/10/15, 武井
大江の研究をしております大学院生です。
学部の頃からたびたび訪れては、HPの完成度の高さに感嘆しておりま
す。
ところで、1995年9月17日から多摩市立関戸図書館会議室にて行われた
連続講演会の講演禄を手に入れることは可能でしょうか。
お正月明けには図書館に問い合わせてみるつもりですが・・・。
論文の〆切が刻々と迫っており、焦っています。
2001/10/15, りな
初めまして。大江さんをとても尊敬する、”りな”というものです。私も大江さんの本がとても好きです。それでぜひとも大江さん宛に手紙を送りたいと思うんですけど、どこ宛に送ればいいんですかね。全く見当つかずで困っています。だれか教えてくれませんか。
2001/10/15, 岡田ehime
こんばんは、駆け出しファン岡田です。
オサムさん、最近書き込みなかったのでちょっと心配していました。また書き込みされているのを読んでほっとして嬉しく思いました。私の方こそ偉そうなこと言っているのではと反省しています。ファン歴の長いオサムさんの方が、駆け出しの私なんかよりもっともっとよく大江さんのことをご存知のことと思います。私なんぞ、もっと読み込まなくてはと思いつつ日々の雑事に追われてゆっくり文学に浸るゆとりが無くて、掲示板の皆さんに手ほどきされて道しるべもらってかろうじてついていっている状態です。偉そうなこと書いて、全く洗顔の至りです。私も武満徹さんの音楽には疎かったので、オサムさんお勧めのCD探して聞いてみたいと思います。道しるべ、また一つありがとうございました。
2001/10/14, 鷹四改めコウ
 少し前、フォークナーの「サンクチュアリ」を翻訳で読みました。はずかしながら、会話文の話し手が誰なのかが把握できない場面が多々ありました。大江氏の文章が難解なのは、きっとフォークナーを読みすぎたからなんだ!と思わせるほどです。原文で読んだ方の感想も聞いてみたいです。                             ところで、サルトルの「自由への道」って、絶版なんですね。図書館で、やっと見つけました。現在、第3部の途中まで、読んだんですが、とにかくカッコいい!小説を読んで、カッコいいと思ったのは、初めてです。初めてゴダールの映画を見たときの衝撃を思い出しました。
2001/10/13, オサム
やまめさん、僕もそれほど武満徹を聞き込んでる分けではないのですが、
 ビクターエンタテインメント株式会社
 現代日本の音楽名盤選 9
 武満徹
       VICC−23014
なんかどうでしょうか。
デビュー作の『弦楽のためのレクイエム』など 初期の4作品が納められています。
 なぜだか 僕は その『弦楽のための....』が、武満作品の(僕の聞いた)中で 一番好きな曲です。
 で、大江ファンの贔屓のひきたおしではないのですが、
二番目に好きなのは パーカッションのための作品の『雨の樹』です。もちろん 大江さんの『雨の樹を聴く女たち』に触発されて 武満さんが作曲なされたものです。武満さんの『雨の樹』は
いろんな演奏家のアルバムに入っていますので、興味があればレコード店で捜されてみてはどうでしょう。もちろん パーカッショニストのCDで です。

岡田さん 丁寧なレスを戴きながら ずいぶん 放っておいて 失礼しました。
 大江作品との付合いは(いろいろな事を 僕は賢しらに 言ってはいますが)僕の死す時まで 続くでしょうね 多分。
遅くなりましたが 暖かいレス 本当にありがとうございました。
2001/10/12, 信
「自分の木の下で」を読んでいる途中です。もし自分が「自分の木」の下で、まだ子供の自分に会ったら、なんと言うでしょうか...。今はまだわかりません。逃げちゃうかもしれません。
2001/10/12, 岡田ehime
こんばんは。駆け出しファン岡田です。
 みーこさん、講演会の様子教えてくださってありがとうございました。チケット譲ってもらえて良かったですね。機会に恵まれない者にとって、講演録には載らない、こういう会場の雰囲気伝えてくださることがありがたいです。
『同じ年に生まれて』例によってこちらで情報頂いて、あちこちかけずり回って手に入れたのですが、それで安心して「つんどく」になっています。やまめさんの書き込み見て、読んでみなくてはと言う気になりました。いつぞや、いとうさんの書いてらした「ひなびた温泉宿の和室の窓辺に腰掛けて、そよ風に吹かれながら外の緑を眺めつつ、自分のこれまでの人生を思い返し、更に残りの人生を考えている」大江さんの姿が目に浮かびました。
 わたしはやはり、若い頃の自分の人生と格闘している大江さんでなくそう言う大江さんに惹かれているのだと思います。(もちろん若い頃あっての今なので過去の大江さんを否定するわけではないのですが)
2001/10/11, やまめ
 みーこさんのレポート、楽しく読ませていただきました。岡田さんも講演会の内容をもっと知りたいと書かれていましたが、私も、『同じ年に生まれて』を読みながら、大江サンは今、どんなことを考え、何をされているのだろう、講演ではどんな話をされているのだろうと思っていました。
 と言うのも、その本の初めの『自分が文学を選び、いまある人間に自身をつくりあげたことを正解だと思う』という部分にちょっと驚いたからです。こういう大江サンを私は初めて知りました。今までは、その後にも書かれていますが、『懐疑的な』人だという印象があったのです。「最後の小説」と言われていた頃、私にはなぜもう書かないのかがよくわからなかったのですが、この対談を読んで、書きながら考える人にとってもう書きながら乗り越える問題がなくなってしまったからだったのだとわかりました。違うのかな? そういう人が今どんな話をされるのだろうと思ったからです。今は、「読みながら生きる」ということなのでしょうか。

 それにしても、『同じ年に生まれて』は私にジャスト・ミートしました。読み始めは会話文を読み続けていくのが苦痛でしたが、しだいに気にならなくなり、めずらしく一気に読んでしまいました。読みながら印象的なことに線を引き後でカードに書いたのですが、結果的に書いたのは全部大江サンの言葉ばかりになってしまいました。光さんの曲を聴きながらカードに書く作業は、なんだかミーハー的な楽しい時間でした。
 私には、小沢サンと大江サンの、武満徹の日本と世界という観点からの捉え方にはちょっと違いがあるように読めました。また日頃、内山節という哲学者のローカルという考え方が私には印象的なのですが、大江サンの言われている「新しい日本人」についての考えが私の中ではどういう位置づけになるのかが課題となりました。
 ところで私は、武満徹という人の音楽を全然知らないので聴いてみたいと思うのですが、CDもたくさん出ているようなので、音楽素人の私に、どなたかおすすめの一枚を教えてください。

 ついでに、トルストイの『復活』読み終えました。やっぱり最後にキリスト教にいってしまうのは私には物足りない感じがしました。大江サンのように信仰に入らずにふんばっているのがいいです。さて、これで『燃えあがる緑の木』を読み進められるかしらと思ったのですが、トルストイついでに『アンア・カレーニナ』を読み始めました。レスをつけてくださったへべれけさんがおもしろいと書かれていたことでもあるので..。トルストイの描く人物はそれぞれに深みがあっていいなあと思っています。様々な人格への暖かいまなざしを感じます。
2001/10/11, いとうくにお
みーこさん、こんにちは。コンサートをご覧になれてよかったですね。みーこさんのレポートから講演とコンサートの雰囲気が伝わってきます。
2001/10/11, みーこ
 9/13に書き込みをしたみーこです。
 先月の29日に、仙台で大江さんの講演会と光さんの曲のコンサートがありました。
チケットは売切れてしまっていたのですが、会場で親切なおば様方に余った分を譲ってもらって、
入場することが出来ました。ありがとうございました!(見てないと思いますが…)

 大江さんは紺のスーツに深いえんじ色のネクタイで登場。公演の内容は書いて
いいのかどうか分からないのですが、「『人間らしさ』再考」という演題で、
“エラボレイト”のことや林京子さんという作家さんの話をしてらっしゃいました。
 語り口は優しいのですが、その中に明らかに強く揺るがないものを感じました。
うまく言い表せないのですが、ああすごい人なんだなあと思いました。

 光さんの曲を聴くのはほとんど初めてだったのですが、とても優しく明るい楽曲ばかりで、
久しぶりにきれいな心になった気がしました。童謡なんかのコンサートでも同じような
気持ちになりますが、それぞれの楽器の音色が生きいきとしているのには驚きました。
平易なメロディなのに、それが楽器のクセとしっくり寄り添って聞こえます。そこが
光さんの感性なのでしょうね。
 コンサートが終わってから光さんが一言しゃべっていたのですが、「今日はとても
楽しみにしていました。いつもはチェロの人が(お金が)高くて呼べないので」と
おっしゃっていて、笑ってしまいました。

 なんだかミーハーな感想になってしまってすみません。聞いたなら聞いたなりにもっと
深く考えて感想を持つべきなんでしょうけど。
2001/10/10, 千春
内海さんへ
『人生の親戚』をいっきに読んだ38歳女性です。女性が主人公ということもありますが、大江作品が私のような凡人(?)のこころにも深く添うものだとは今までまったく思いませんでした。

大江さんの感情過多を排した筆致、むごたらしい人生に翻弄されるまり恵さんに対すると同時にご自分にも向けた魂の救済への叫び、そんな重さのなかにも時おりのぞく、大江さんのとぼけた人のよさというかユーモア感覚がとても好きです。(あの丸いメガネのような。)

生・性・聖を人はどう生きるか、「時間をかけて、ゆるゆるとイノセンスにもどっていく」軌跡こそが魂の救済であり、いきなりそこに至ることなどとうてい不可能な人生の現実など、ひとつひとつこころに沁みる小説です。

河合隼男さん(かならずしも好きな人というわけではありませんが)の『中年クライシス』(朝日新聞社・文庫版もあり)のなかでもくわしく紹介されていますね。人間にとって、やはり性とは聖と切り離せない、おおきな意味をもつ存在だと思います。まり恵さんは性的魅力の人ですが、同時に聖女でもあった。それを描くために、まり恵さんは性的に奔放から禁欲というプロセスを経て、最期の救済のときにはすべてを赦された、赤子のような「無辜(むこ)の生」のすがたになったのではないでしょうか。まり恵さんのふさふさとした「陰毛」はまさに生・性・聖のかなしみそのもので
あると思います。

また他の作品も読んでゆこうと思います。

千春
2001/10/7, 岡田ehime
今週号(10/19号)の週刊朝日に
『「自分の木」の下で」出版記念講演
「深く生きる」ための読書ー人生は書きなおせますかー
が掲載されています。
名古屋での出版記念講演録です。

記事のリードにこうありました。
(引用)
米国多発同時テロを背景に、若い父親の発した
「子どもらに未来はあるか」という質問に
大江さんは答えた。
「『絶望しすぎず希望を持ちすぎず』、
子どもらには未来があると信じて生きよう。」

もしこの講演会に参加された方がいらっしゃったら
講演録に載っていない
そんな講演会でのの様子教えて下されば嬉しいです。

大江さんの変わらぬスタンスにほっとしました
2001/10/7, いとうくにお
鷹四さん、こんにちは。大江さんとゴダールを比較するのは新鮮ですね。調べてみるとゴダールは1930年生まれと大江さんより5つほど年上ですが、その出世作でありヌーベルバーグの金字塔ともなった「勝手にしやがれ」は1959年の制作で、それは大江さんが「飼育」により芥川賞を受賞した1958年の翌年ということで、いわば同時期に世に出た(しかも両者とも衝撃的に!)わけですね。大江さんの作品で自作や他の作家からの<引用>が増えるのはあとのことですが、ゴダールが「勝手にしやがれ」のころからいろいろなレベルでの映画的引用を多用していることを考えると、二人の共通点はたんに影響を受けた作家だけではないような気がしてきますね。
2001/10/7, 鷹四
大江健三郎とジャン・リュック・ゴダール(映画監督)が影響を受けた本がすごい似通ってるような気がする。サルトル、フォークナー、セリーヌ、ノーマン・メイラー・・・
2001/10/6, いとうくにお
Deraさん、はじめまして。労苦というほどのことはありません。情報を提供してくださったり、メッセージを書き込んでくださる皆さんの共同作業でできあがってきたサイトだと思っています。掲示板は読み応えがありますので、どうぞお楽しみください。また気が向いたら書き込みしていただけると嬉しいです。
2001/10/6, Dera
伊藤 國士 様
たしか大江氏のキーワードの一つに「労苦」という意味の言葉があったと思いますが(記憶力減退の歳であります)、まさしくこのサイトを作成なされた伊藤様の労苦に対して大いなる敬意を表します。
 
偶然「車谷長吉氏」のファンサイトを発見し、それなら大江健三郎サイトもあるのではと検索しましたらズバリでした。 私は大江氏のオールドファンで、著作は殆ど網羅的に読了してますが如何せん記憶力が落ちました。伊藤様のHPの助けを借りて徐々に想起していきたいと思っています。掲示板も01.1.1から拝見してますがとても短時間では無理ですのでじっくり見ていきます。 氏の作品に一時期訳文なしの横文字が侵入してきて、作者は読者をセレクトしているのでは、と語学力のない私などは感じたものでしたが「新しい人よ眼ざめよ」の頃から気を取り直して読み続けてきました。
蛇足ですが、コギトと聞いたら条件反射的にデカルトです。一瞬ナルシシズムが頭を過ぎりましたが、まさかとうち消しました。 ファンとしてよりは「人生の教師」として氏を見続けていきたいです。
2001/10/5, 馨歩
◆◆◆オークション完了のお知らせ◆◆◆
先日、こちらに「大江写真集」のオークションの掲示を出した馨歩です。オークションは無事完了しましたのでここにお知らせします。 今回、このサイトを拝見するようになり、当方も未読の大江作品をまた読んでみようかという気持ちになりました。 ここ2か月ほどで、世界は明日何が起こっても不思議ではないのだ、と再認識しました。読みたい本は読んでおくべきなのですね。
 
大江ファンの皆様と当方の書物の未来に幸多からんことを。では。
2001/9/30, ケイミ
はじめまして!静岡県在住のケイミと申します。
10月12日(金)の夜、浜岡町で大江健三郎さんの講演会が開かれます。1枚券が余っているので、もし行きたい方がいらっゃしいましたら差し上げます。演題は「本を読むことと生きること」です。浜岡は、新幹線の掛川から車(タクシー)で40分くらいかかります。希望される方は↓までご連絡下さい!
ZXD02455@nifty.ne.jp
2001/9/30, へべれけ
こんばんわ。
>やまめさん
あ、ごめんなさい。変なとこで改行しちゃったんで、誤解を招く書き方になってましたね、ぼくの前の書き込み。あの「情景」については、例の「麻紐」周辺の部分限定のことなんです。「ああ良く分かんねえよ、誰か教えてよあの部分」ていうこと書いてたんです。でも、いとうさんの説明読んで、納得しました。なるほどですね。
それから「復活」はまだ読んでないです。というか、読む日がいつか来るのかも分からないし、トルストイのことは殆ど知らないも同然ですが、いわゆる後記作品はキリスト教に関心を持っているので(というか持ち過ぎ)、大江健三郎としても得るものがあったんでしょうか。でも「光るあるうち光の中を歩め」みたいに単純なものじゃないよなあ。
2001/9/25, ぼやっきー
久々に投稿します
アメリカのテロ事件を韓国旅行中に知りました
まったくいやなものですね
「寛容は自らを守るために不寛容にたいして不寛容になるべきか」
は、人類の生命線のような気もします

渡辺一夫さんがいたら、どのように言われるだろうか?とか、
大江さんはこの出来事にどのような行動や意見をいわれるのだろうか。
とか
戦争が始まる時、それに反対しないのは、賛成したのと同じだといっ
た人がいたなあと考えています。
友人に戦争はいやだということしかできない自分がいるのですが・・・
まったく人間というのは怖いものですね
2001/9/24, ヒチコ
こんばんは。

先週、一週間、学校のワークショップでWebサイトを作りました。色々、難しいけれど楽しい作業ですね、これって。

文学がテーマで、九人の文豪さんを扱いました。
恐れ多くも、私は大江さんと三島由紀夫を担当しました。(内容は自信ないです。)
教授に「テキスト重視にならないように」と指摘され「文学なのにどうするの?」と迷いながら作業を進めていきました。
しばらく考え、三島由紀夫は「日の丸」をイメージした赤い水玉のページにしよう!!と思いました。
と、なると、大江さんは…?

悩んだ末、大江さんのページは「単語と構造」をイメージした(つもりの)四角形を列ねた図を壁紙にしました(成功していませんが)。
私は大江さんの使われる「単語」にいつも驚いています。
『小説のたくらみ、知の楽しみ』に「井上ひさしには到底及ばぬにしても、僕も言葉への、それも単語ひとつひとつへの偏愛というものはもっています。この間も、フランス文学・語学の専門家から、「文章よりも単語にこだわる」性格を批判されたりしました。」と書かれているのを見つけて「やっぱりなァ〜」と頷きました。大江さんの単語使い、ホントに素敵ですもんね。
 
『小説のたくらみ、知の楽しみ』をじんわりじんわり読んでいるのですが、この文にも唸ってしまいました。「僕は文学に隣接する諸科学から、すでに定義された言葉をもちこみ、それもいったん再定義して使うことにしました。」
まったく、ホントに!!勉強になります。
私はこの文から『日常生活の冒険』で斎木犀吉が「カイネコ」を例にだし、日常生活の冒険とはなんたるか、を語っているシーンを思い出しました。素敵ですよ。ネ!!
 
話がどんどんづれてしまいました。『ピンチランナー調書』を読みかけていましたが、先に『静かな生活』を読むことにしました。大江さんの事を知る前にこの映画を見ていました。私もとても気に入って、二回借りてきたのを覚えています。

伊丹監督と大江さんの色々なエピソードが知りたいです。
長くなりましたので、このへんで失礼します。
2001/9/24, いとうくにお
岡田さんが紹介してくださった朝日の天声人語をいま読みました。先日渡辺一夫の「敗戦日記」を読み終えたばかりの僕としては、よくぞ渡辺一夫を取り上げてくれたという気がします。
大江さんは「日本現代のユマニスト 渡辺一夫を読む」という本でそのエッセイのことを解説していて、寛容と不寛容の問題について次のように書いていますね。「これはいつの時代にも難しい問題で、結局は解決されていない。今も、先生がなお生きていられたとすれば考え続けていられたはずだし、僕たちの同時代の誰もまだ、永つづきのする結論には至っていない、と僕は考えています。もちろん結論が出なくても、考えつづけ、問題にしつづけることが大切な、そういう課題があるものです。」これはある意味では優柔不断な考えかもしれませんし、政治的には力を持ちにくい意見かもしれませんが、その都度考えに考えて、最善の道を探るという態度は、実は非常に現実的なやり方かもしれないなと思ったりもします。
やまめさん、「同じ年に生まれて」は、話のほうは大江さんがリードしている感じなのですが、小沢征爾さんの明るさが全体的に反映されていて、なんだか快活な読後感を与える本ですよ。
2001/9/24, やまめ
 私が『同じ年に生まれて』の新聞広告を見てその発売を知った日に、もう、いとうさんが作品紹介をされていたのを拝見しました。対談形式のものはどうも読みにくくて苦手なのですが、読んでみようと考えています。

 おそまきながら『「自分の木」の下で』読みました。テレビで見たことがある光さんに話しかける時のようなやさしくていねいな語り口が印象的でした。子供向けに書かれたということですが、私には『ジャスト・ミート』という感じでした。カードを作るというのをやってみようかなと思っています。私の生活にはまあ必要もないことではあるのですが、『人生の習慣』としてひとつやり続けるのもいいかなと考えました。

 そしてたまたま次の日に、これは児童書という分野かもしれませんが、『カラフル』(森絵都 理論社 1998)を読んだのですが、そのなかでも、「とりかえしがつかない」と表現されるものがあり、作者のメッセージは『ある時間待ってみて下さい』だと思えて興味深く読めました。ストーリーの最後にとりかえしがついてしまうのは、しかたないのかしら。

 ついでに、今、トルストイの『復活』(世界文学全集52 工藤精一郎訳)の読みかけなのですが、とても印象深いところがありました。百姓たちに領地を分け与えるという主人公の領主ネフリュードフの提案に、自分たちを苦しめるわなだと反対する老人たちの懸念を一掃したのが一人の老婆の次のような発言だったのです。『旦那は魂について考えるようになったからで、魂の救済のためにこういうことをなさるのだ。』 これは『燃えあがる緑の木』と関係するものがあるようで興味深いです。これから、主人公は魂の救済のためにどんなことをしていくのか、それで確かに救済されるのか、楽しみです。
2001/9/24, 岡田ehime
9月24日付の朝日新聞で
天声人語氏が今度のテロ事件の報復云々に関して
渡辺一夫氏の
「寛容は自らを守るために非寛容にたいして非寛容になるべきか」の
随筆を取り上げておられました。

明日25日は渡辺一夫氏の生誕100年だそうです。
2001/9/22, いとうくにお
信さん、こんにちは。書き込みありがとうございます。大江さんの本はいつも5、6万部売れるそうです。それが固定読者の数だとすると、それが全国に散らばっているわけですから、日常のなかでその1億分の5万=0.05パーセントどうしが出会う確立は非常に低いといえそうです。しかし、こうしてインターネットがあるおかげで、私たち大江ファンはいつでもメッセージが交換できるというわけですね。気が向いたら、いつでもおいでください。
2001/9/22, 信
はじめまして。
真夜中に目がさめて、眠れぬままこのHPを拝見しました。
うれしくなってさっそく書いています。
あっ、私は37歳男性、大学4年のとき大江健三郎を読みはじめました。氏についてこんなにも多くの方が、語っておられるので興奮しました。なぜか周囲にそういう人がいなかったものですから。みなさんの投稿とても勉強になります。知らないことばかりで、おどろいています。
またよらせていただきます(眠くなってきた)。よろしくおねがいします。
2001/9/21, いとうくにお
kouさん、こんばんは。確かに毒舌調で書いたりしゃべったりする人が増えましたね。そんななかで大江さんのメッセージとその丁寧な語り口は際立っているように思います。
2001/9/21, kou
自分の木の下で 週刊朝日の連載を読んでいました。子どもに向けてのメッセージなのでしょうが、大人が読んでも希望を感じます。最近は悪態をふりまくスタイルの知識人が多いですが、良心的知識人の本物の力を感じます。
2001/9/18, ぴよ
こんばんは
米国でのテロ,衝撃です。今後の世界の動きに対しても不安を感じます。
「新しい戦争」という言葉も聞かれますが,私は戦前の人間にはなりたくないです。戦後に生まれた人間として過去に対する責任を取るということは,繰り返さないことだと思います。そのためにも,私たちの生きている現在が,戦前になってはいけないと思います。
どうかこれ以上罪のない方々が犠牲になることないように,世界中の子ども達が安心して未来を描けるようにと願います。
できるだけ多くの方々の悲しみや不安が一刻も早く解消されるようにとも祈っています。
2001/9/17, 岡田ehime
駆け出しファン岡田です。

前の書き込みの内容を書いている
まさにその最中に
例の同時多発テロの第一報があって
そのことを書き込みの中に書こうかと思ったのですが
巧く書けなくてそのことに触れずに
そのままに流してしまいました。

こういう時期は家族がすぐそばにいない方は心配ですね。
やまめさんのご長男の話を読んで
倒壊するビルの中やハイジャックされた飛行機の中から
「愛しているいると言うことを伝えたくて」と言う伝言が
伝えられたエピソードを思い出しました。
すごくいい話だけれど、
同時に子ども達の置かれている不安も
(たとえ本人は冗談のつもりでも)
あぶり出しているようで少し胸が痛いです。

MLでもどなたか発言されていましたが
大江さんがどんな発言されるのか
ぜひ聞いてみたいと思います。
なぜ聞いてみたいかと言えば、
それが、こんな不安な時代に
我々に・・・少なくとも私に
「希望」を持たせてくれる類のもの
ではないかという期待からのようです。

ほんパラ、私も途中から見ました。
久本さんが「私には難しかった」とおっしゃったので
「これで1万人は潜在的な読者が減りました」と
大江さんを嘆かせた?「『自分の木』の下で」ですが
私はこの作品にすごく希望?勇気?力?を与えられました。
こういう作品を子ども達に読んで欲しいと思います。
・・・確かに読解力は多少必要ですが・・・!!

10日付のへべれけさん、いとうさんの
書き込みなぜだか読んでなくて今読みました。
相変わらず、自分の読みや思考力の浅さには
辟易しますが(・・・読まれている方の方が
もっと辟易ですよね・・・ごめんなさい)
こうして教えてくださる方がいらっしゃるのが
このサイトのありがたいところです。
ヒチコさんはじめ
いろいろな方の意見や発見を読んで
ずいぶん教えられたり
自分が巧く言葉にできなかったことを
見つけて我が意を得たりと
心強く思ったりしています。
ありがたいです。
私自身は自分の感性のみで捉えていて
言葉や思想でうまく大江文学に迫れていないので
もう少し勉強しなくてはと反省です。
まあ、文学作品には
こういう感性的な単なる読者としてのアプローチもあるんだと
すこうし開き直っていますが。

いつもながら素人の戯言を
長々とごめんなさい。

困った、キルプの軍団も読みたくなってしまった・・・。
2001/9/16, やまめ
 米国でテロ事件が起こった深夜、寮に住む15歳の長男から電話がかかってきました。
 たぶん本人さえ、冗談とも本気ともどちらともはっきり認識できなかったろうと思われるのですが、『戦争だね。もう会えなくなるかもしれないから今のうちに言っておこうと思って。今まで育ててくれてありがとう....』
 今回の事件が子供たちの心に与えた衝撃は、特に将来への希望という点において大きなものがあると思います。
 こんな時こそ、大江さんには、特に子供たちに真摯な希望を与えるような小説を書いて欲しいなあと思います。
 『キルプの軍団』がそういった主題だったかと記憶していますが、私にはあまり印象に残っていません。また、読み直してみたいと思います。『自分の木の下で』はまだ読んでないのですが、どうなのでしょう。
2001/9/16, やまめ
今、いとうさんに教えていただいたようにメモ帳で書いています。快調です。

マチャミと大江サンですか。見たかったなあ。モー娘と小泉首相より確かに絶妙な感じですね。 
 
 『静かな生活』についてのリプライありがとうございました。>岡田さん、へべれけさん、いとうさん。
 麻紐の件は、「皮ベルトと麻紐を幾重にもからませた輪」についての理解が、まず私は適切でなかったと今、わかってきました。ベルトと麻紐とがからまっている状態を思い描いていたのですが、今は、それぞれ独立した輪だと解釈して話の筋が通ってきました。細かい話で恐縮です。でも、こういうところがけっこう好きなんです。

 へべれけさんが情景と言われるのがどういうことなのか私にはちょっとはっきりしませんが、全体として私は『静かな生活』から、「ゆるやかな家族の絆」の力強さを感じました。そう言えば、この頃あちこちで「家族」という文字を目にしますね。「癒し」に取って代わるかのように。
2001/9/15, いとうくにお
ほんパラ、私も見ましたよ。ちょっとハラハラさせられた感じもありますが、書斎まで見せてもらって、面白かったですね。
2001/9/15, ヒチコ
 関口堂書店(?)に、大江さんが出ていらっしゃいましたね。
マチャミ(=個人的なファッション・リーダー)が、大江邸訪問という事で、大興奮してしまいました・・・・!!!

 いやあ〜、いいもの見せてもらったなあ〜・・・
大江さん、マチャミに自作の詩までプレゼントなさってましたね。
 大江作品にたびたび前衛的な映画や演劇がでてくるのを思い出して、マチャミと大江さんはそんなに遠くない、と勝手に繋げてみて喜びました。絶妙です。素敵です。
2001/9/13, みーこ
 はじめまして、みーこと言います。ここはちょっと前から時々覗かせてもらってます。
冬頃に芽むしり仔撃ちを読んでから、初期作品を文庫で5冊ほど読みました。
「鳩」のラストが衝撃的で、しばらく冷たいざらつきが胸から離れませんでした。
 ここのみなさんの書き込み見てると、自分は果たしてこの作品達を上手く読めて
いるんだろうかとたちまち自信がなくなってきます。
 ちょっと前婦人公論のインタビューで大江さんが「若いお母さんたちに『きちんと本が読める
 “知識人(インテリ)”を育てなさい』と言いたい」とおっしゃってました。
私はまだ学生なんですけど、“知識人”にはまだ遠いなと思うことしきり。

 ところでお願いなのですが、9月29日に宮城で「大江健三郎・大江光の公演&コンサート」
というイベントがあります。昨日知って問い合わせてみたのですが、すでにチケットは売り切れ
ているらしいのです。当日券も出ないと言われてしまいました。しょうがないので当日会場前で
譲ってくれる人を探そうと思ってるんですが、もしここでチケット余ってるって方がいらっしゃった
ら、譲っていただけないでしょうか?
 地方なんであまり足を運ばれる方もいないかと思いますが、めったにない機会なのでぜひ見て
おきたいのです。お心当たりの方はぜひ連絡お願いします。
メール:mi-kos@pdx.ne.jp
2001/9/13, 内海
福岡へ帰ってきました。途中、そして今も大江さんの著書を読みながらの旅でした。「人生の親戚」を読んでいます。
まり恵さんの死を何故このように書くのかが今一つよく理解できません。何故、まり恵さんは「陰毛」をあらわにしてVサインを以ってして微笑むのか?死に臨んで。それをビデオでとるということ自体も理解から遠い。風にはたはたと僅かに翻る幕に「世界最後の女」としてのまり恵さんが大きく写し出されると言う美しい情景、この美しさへの観念に対する存在として「生きているまり恵さんの陰毛」が鮮やかなのでしょうか。
なんども「じさつ」として引き合いに出される「悲しみ」としての「人生の親戚」。私自身、気を整えなければ読むことができない、それ程今私はこの本に引き込まれているのです。
2001/9/13, ヒチコ
 NYのテロのニュースを聞いて・・・

 思想的なものや、なにやかにやの動きがない今に退屈な感じを抱いていた私ですが、そういうのは、とても不真面目な無いものねだりだ、という気がしてきました。
 平和でない動きが、こんなに恐ろしいものだとは知りませんでした。実際、映画の様で信じ難いです。
 
 今日『ピンチランナー調書』を読み始めました。
 何だか少し、今までと違う新鮮な感覚で読み進めています。

 世界がおかしな事にならないといいですね。

 無知な状態で、前進する勢いをやたらに奮うということは、静かに暮らす人達を踏みにじる行為なんだな〜と、思いました。
 いやに溌溂とした状態で興奮して大騒ぎするということも(何かを発見したと思い、感情的になる事も=最近の私です。)、ある人にとっては、大変疲れさせる事なのかもしれない、と思いました。「戦いの今日」や「人間の羊」は、そういう事も描かれているような気がしてきました。いいえませんが・・・

 文章が下手くそでゴメンナサイ。
2001/9/11, 岡田ehime
駆け出しファン岡田です。

武奈彦さんすごい大発見ですね。
大江さんにとってはどうか、
素人岡田には手強すぎる問題ですが
表題作にもなっているくらいだから
大江さんにとっても大切なキーワードなのでしょうね。

いとうさん、やはり、
いとうさんのおっしゃるように考えて良いのでしょうか?
私も「そんな感じ」がして
だからこそほっとしたのですが
自信なかったし素人は巧く言葉にできなくて
はっきり書けませんでした。
跳ぶことを推奨しているのはガブリエルで
私は彼の挑発に乗ったようです。

『「自分の木」の下で』の書評
今週号(9月21日号)の週刊朝日の
週刊図書館にひとつ
掲載されていました。
評者は井上ひさしさん。
ちょっと
身内のフィールドですが。
2001/9/11, ヒチコ
 寺岡さんの書き込み、武奈彦さんの書き込み、大変参考になりました。

 岡林氏のCD借りてきました。う〜ん、そうですね。寺岡さんがおっしゃるように「当時の文化の雰囲気全体を網羅しつつ再構成しようという意図」でつくられた、という印象を強く受けました。
 岡林氏の『見るまえに跳べ』の存在を知ったのは、細野晴臣さんがきっかけでした。細野さんが、戦後進駐軍の間で聴かれていた曲をカヴァーしていて、私はその曲で表現されている日本に対してのちぐはぐしたイメージに興味を持ちました。
 「フジヤマ・ママ」「ジャパニーズ・ルンバ」といった曲です。岡林さん、細野さんが、背景にどのような考えをお持ちなのか分かりませんが、国に対しての意識が今よりも断然強い時代だったのだな〜と思いました。
 私が得に疎い、ということもありますが、進駐軍が聴いていた曲のちぐはぐを面白がれる程に国の事を知らないな〜と気づいたのも、これがきっかけでした。愛国心ということでなく、国に対しての意識の違いを時代ごとに感じて興味深いです。

 今日、新潮文庫『死者の奢り・飼育』を読み終えました。「戦いの今日」では、上に書き込んだことを色々と考えました。白人の兵士アシュレイに苛立ちました。普段は国や人種のことに無関心といっていいぐらいなのに不思議でした。アシュレイの人の事を蔑む態度 に苛立ちました。あの主人公の時代(世代)では、人種のことも絡んでくるのでしょうか?複雑ですね。
 
 「跳ぶか、跳ばないか」という話ですが、「人間の羊」で分からないことがあります。解説で、江藤淳氏が「この佳作を貫いているのは、作者の傍観者に対する嫌悪と侮蔑である。」と書かれてます。この傍観者とは、米兵を訴えなかったアルバイト学生なのか、社会正義を楯にとって弱りきった学生だけを追い回した教員なのか分かりませんでした。
 どっちにしても、「人間の羊」は凄く怖くて、苛々して、嫌な話でした。
2001/9/11, 武奈彦
お久しぶりです。

『見るまえに跳べ』の話題が出ていますが、ちょっと前にこのタイトルの由来に関して面白いことを知りました。ガブリエルが朗誦したり歌ったりする"Look if you like, but you will have to leap."という一節がありますが、これは大江さんの小説でよく登場するW. H. オーデンの詩の一節なのです。そして、その詩のタイトルが"Leap Before You Look"なのです。つまり、『見るまえに跳べ』という小説のタイトル自体がオーデンの詩から取られたものだというわけで。

話はそれだけではなくて、オーデンのその"Leap Before You Look"という詩の全文を見て僕は驚いてしまったのです。4行×6連の詩なのですが、その第1連を引用してみます。

The sense of danger must not disappear:
The way is certainly both short and steep,
However gradual it looks like from here;
Look if you like, but you will have to leap.

ガブリエルが引用しているのは4行目なんですが、その前の3行が、実は大江さんが小説やエッセイで何度も何度も引用している「危険の感覚は失せてはならない……」の詩だったんです。そういえば、その3行を引用するとき、大江さんはそれが深瀬訳のオーデンの詩であるということは言うのにタイトルはナゼか言ったことがないような気がします。昨年の小澤征爾さんとの対談でもこの詩のことを言っていたような気がしますが、大江さんにとって大事な詩なんだなあと改めて思った次第です。
2001/9/11, いとうくにお
岡田さん、こんばんは。僕は大江さんが「見るまえに跳べ」で跳ぶことを推奨しているというようには受け取りませんでした。うまくいえませんが、跳ぶことにも跳ばないこと(跳べないこと)にも悲劇というのはありえるわけで、そういうことを跳ばない側の視点から描いたという感じを受けました。
2001/9/10, 岡田ehime
駆け出しファン岡田です。

オーストラリアになった件
いとうさんの意見の方が
すっきりしますね。
伊丹さんの撮った「取り替え子」
観てみたいです。

9日付けの私の書き込みの
意味不明の「見るとに跳べ」は
「見る前に跳べ」の間違いです。
見直したつもりですがごめんなさい。
一応、表題の短編だけ読んでみました。

「見ている奴」と「跳ぶ奴」
大江さん自身が
どう思われているのか、いたのか
市井さんが
今でも大江さんがそう言うか知りたいと
おっしゃっていたように
私も気になります。
まあ、どっちがいいとか
断定できないことだし
見る前に跳べとばかりは言っていない
のかな・・・?と
ほっと?しました。
自分自身に関して
もうすこし「見る」だけでなく
「跳ぶ」ことも
必要もあるのではとトップページ見て
ちょっとどきりとしたので。

ひとつだけはっきりしたことは
私やっぱり大江さんの
初期の作品群は苦手かも・・・。
これは歳のせいでしょうか???
2001/9/10, いとうくにお
キクオさん、はじめまして。面白いアプローチでした。同時代に同じ国にノーベル賞作家がいて、その新作も読めるということは、限られた国の限られた時代でしかできないことですから、ぜひ大江作品をお読みになってみてください。
さて、皮ベルトと麻紐の件ですが、これはそんなに複雑な状況ではないと思いますよ。要は、赤ん坊の抱っこ紐のようにベルトを使って鉢を抱えるということですよね。具体的にいいますと、まず「皮ベルトと麻紐を幾重にもからませて結んだ輪」の中に自分が入り、輪の余っているところを鉢のほうにも掛ける。この時点で、自分の胴と鉢が輪で縛られたような状況になるわけですね。多少余りがあっても、鉢は上のほうが広がっているし、鉢の下端側を太ももの付け根あたりに引っ掛け、鉢を外側へ傾けるようにすれば、下にずり落ちることはないはず。で、念のために「麻紐の輪を安全装置として鉢の底の窪みにとりつけているわけです。この安全装置の輪は、胴体のほうにある「幾重にもからませて結んだ輪」から何本かを下にずらしたものではないでしょうか。また、「鉢の底の窪み」は、鉢の底へ抜けた水を外へ流すためにある切り欠きではないかと想像されます。いかがでしょうか。
2001/9/10, へべれけ
>やまめさん、岡田さん
こんばんわ(夜だから)。
「自動人形の悪夢」の、冒頭に近い部分ですね。一生懸命考えてみたけれども、良く分からないです。そして、申し訳ないんですけど、岡田さんの考えもちょっと違うような気がします。
最初にこの小説を読んだ時には、それなりのイメージがあったのに、今回よく読んでみた結果そのイメージが間違っている事が分かって、しかも新しいちゃんとした情景も浮かんできませんでした。
誰か教えてください。

(アンナ・カレーニナは面白いですね。この調子だったら読了まで二ヶ月かかるけど)
2001/9/10, キクオ
はじめまして。
いきなりですが、先ほど書いた日記を掲載させてください。
No.179 ( 2001.9.10 PM 7:50)
今朝トイレの中で、「プロフィール」の事を考えていた。
ふいに意味なく大江健三郎の名前が浮かんで来て、もし氏がホームページをお持ちで
「プロフィール」を書かれるとするならば、そこに「ノーベル文学賞受賞」とか入っ
ても不思議はないんだろうな〜。あちこちのサイト眺め、プロフィールあれば読んで
来たけど、「ノーベル賞」というのは、ちょっとお目にかかれないのではないだろう
か。念のため、大江健三郎御自身が作られたホームページがないか、確かめてきまし
た。
あいにく、なさそうです。私は自身のミーハーさ加減が気に入っているのではないで
しょうか。たぶん、そうなのでしょう。
そんなことが判った1日です。
*これは、大江氏と同時代、ほぼ同一空間に住んでいることの
奇妙さを感じての感想だったかもしれません。
「オーケンのススメ」というページに紹介されている本からでも
読んでみようかなと思いました。
http://neji.com/kikuo/
2001/9/9, いとうくにお
岡田さん、こんにちは。ビデオのお話ありがとうございます。そのオマケの部分は、見たいなと以前から思っているのですが、まだ果たせずにいます。いま思ったのですが、カリフォルニアがオーストラリアになった件は、そうしておけば時差が少なくて済むので、電話で話すシーンを成り立たせるのに余計な演出が省けるという理由からかもしれませんね。
もし伊丹十三が生きていて、『取り替え子』を映画化したとしたら、どういう映画になったでしょうね。伊丹十三が生きていれば『取り替え子』は存在しないわけだから、これは矛盾した想像というべきでしょうけども。
2001/9/9, 岡田ehime
駆け出しファンの岡田です。

木曜日久しぶりにTSUTAYAへ行って
仕事で使うCDを借りようとして
何ヶ月も前から見たいと思いつつも
落ち着いて見る時間がとれなくて延期していた
「静かな生活」も思い切って借りました。
掲示板の話題としては間が抜けてるなあと
考えながら掲示板あけると
やまめさんも見たという書き込み、
偶然にびっくりし嬉しく思いました。
(90円ではなかったですけど)

今日見ました。
まーちゃん、イーヨー、作家Kの役が
すごくぴったりしました。
ストーリーを知っていてもやはり感動しました。
伊丹氏でなくては
こんな風に映像化できなかったのではと思います。
最後にOMAKEがあって、
撮影現場を訪れた大江氏一家の
エピソードが語られ
ナビゲーター役の伊丹氏の姿に
感慨深い物がありました。
(伊藤さん、映画館で見られたとのことですが、
 もしこのOMAKEビデオご覧になってなかったらその7分間だけの ためにでもレンタルする価値あるかもしれません)

もう一度見直してみようとは思うのですが
原作で最初にある
「もし私が結婚するとしたら」
という、まーちゃんのセリフ、
どこかにあったのでしょうか?
その部分が私には妙に心に残っていただけに
割愛されたのだとしたら残念です。

カリフォルニアでなくてオーストラリアになっていたのは
その方が場所が映像としてわかりやすいからでしょうか?
やまめさんがわからないとおっしゃっていた
「革ベルトと麻紐云々」、鉢が重たくて持ち上がらなくて
ベルトを引っかけて、ひっくり返らないように
麻紐をかけてひきずっているのではと
解釈しました。違っているかもしれません。
やまめさんも何かしんどい状況のようですね。
大江さんの言うような「戦い」
きっと何か得られるものがあると思います。
気持ちを強く持って頑張ってくださいね。

トップページの引用の部分が気になって
MTまだ読めてないのに
「見るとに跳べ」を
読もうと思っています。
読み終わったらまた書き込みします。
2001/9/6, いとうくにお
やまめさん、こんにちは。90円で『静かな生活』というのは格安ですね。日本語入力が遅い理由はよくわかりません。PCの性能はそれで十分だと思いますので、ATOKとブラウザの関係かもしれませんね。あらかじめ「メモ帳」([スタート]−[プログラム]−[アクセサリ]−[メモ帳])などで文章を作っておき、コピーする、という方法はどうでしょうか。ご面倒なら、掲示板用である旨を書いて、直接メールでメッセージを送っていただいてもけっこうですよ。
2001/9/6, やまめ
 重ねて失礼します。こちら、やまめの住むあたりはすっかり夏も終わりの涼しさですが、皆さまのところはいかがですか。
 
 今年の暑い夏は、光サンのCDを聴き涼しげに過ごすことができました。今までなぜか聴くことに抵抗があって避けていたのですが。
 それというのも、この夏たまたま行った書店の二階のレンタルビデオ店でビデオ一本90円のサービスをやっていたので、思い切って、『静かな生活』を借りて見たからなのです。
 思い切ってなどと言うと大げさですが、今まで原作を読んだ後に映画を見てがっがりすることが多かったし、自分の読書によってできあがっている「静かな生活」の世界が壊されてしまいそうな不安があったのでそ。でも、このサイトでいとうさんが推薦されてもいたので見てみようと思ったのです。
 とっても良かったです。原作とはまた違った感動を味わうことができました。90円で見たのでは申し訳ないくらいです。特に、「静かな生活」とタイトルをつけるところが、原作とは違っていたと思いますが、私には感動的でした。そして、画面の中の大江サンが、講演会で拝見したり、テレビで見たりした大江サンとヘンにそっくりでしたし、どぶ掃除で失敗して気落ちする様子など、「もう、ほんとうに膝を抱え込んで力無く、しょげてしまう」とどこかで読んだか、聞いたかしたように、そのままそっくりの姿だったので、変かなと思いつつ声を出して笑ってしまいました。
 その後で、原作を読み直して、カリフォルニアがオーストリアになったのはなぜだろう、ご家族は実際あのような感じでいらっしゃるのかななどと思ったのですが、ひとつ「発見」したことがあります。それは、次の表現が私にはわからないということです。みなさんにはすぐにわかるのでしょうか。イーヨーが『幅広の皮ベルトと麻紐を幾重にもからませて結んだ輪を』持ってきて、重い鉢を運ぶ場面です。
 『カンノンチクのいちばん大きい株の鉢に皮ベルトを掛け、麻紐の輪を安全装置として鉢の窪みにとりつけて、鉢を抱え躰を起こしていた。』 
 この状況が私には何度読んでも理解できません。そういえば、よく出てくる、ふるさと大瀬の地形の表現なども私にはわかりにくいです。なんて言うか、変に理数的に凝っているという感じで。
 だけど、確かどこかで大江サンが書いていたように、文学は作家と読者との共同作業なのだから、それなりの読解力などが必要で、真の理解に達するためにその力が読む課程でも育成されるということかなと考えます。それがまたこの作家の本を読む私の楽しみでもあるわけですが。

 ついでにごく個人的な話になってしまいますが。今、かなり打ちひしがれています。一日仕事も休んでメソメソしていたりします。こんな時思い出すのは、『新しい人よ目ざめよ』の頃によく目にした大江サンの「病と戦って回復したあとは、以前の水準よりひとつ上にまで達している」という話です。元気を出して、そんな戦いをしようという気持ちになってきました。

 長々と書いてしまい失礼しました。ここまで読んでいただきありがとうございます。

P.S. いとうさん、恐縮ですが教えていただければありがたいのですが、このメッセージ欄に日本語入力するとき入力、変換にとても時間がかかってしまいます。単にPCの性能の問題でしょうか、それとも、なにか設定の方法があるのでしょうか。K6-2/400、64MBにATOK13です。
2001/9/6, やまめ
トップページを拝見して、「見る前に跳べ」と大江サンは書いていたのだったかとちょっと驚きました。最近の『あいまいな日本の私』などでは、「周縁」という言葉が出てきたりして、「跳ばずに見ている」という印象を持ち、それが不満でもありました。認識不足だったかなと考えています。
2001/9/6, いとうくにお
寺岡さん、はじめまして。大江ファンであるプロデューサーの早川氏が大江作品の題名を意識してつけた曲名ではないかと、そのように想像できるわけですね。
2001/9/6, 寺岡裕治
 こんにちは、はじめてメッセージを記入します。大江作品はもちろんですが、日本のロックとフォークのファンとして、話題になっている岡林信康さんについていくらか書いてみたく思ったので、投稿してみました。
 「見る前に跳べ」というアルバムタイトルですが、これはこのアルバムのプロデューサーでありかつ自身も歌手として活動していた早川義夫さんが名づけられたそうです。どうしてこの題名にしたかはぼくは知りません。早川さんはかつて川崎で本屋さんをされていたほどの愛書家で、自身の著書「ラブ・ゼネレーション」において好きな小説として大江さんの「セブンティーン」や「芽むしり仔撃ち」をあげたりされています。
 ちなみに「性と文化の革命」という曲名も精神分析家のヴィヘルム・ライヒの同名書物からとられているし、「無用ノ介」はたしかさいとうたかおの劇画に捧げられた曲だったと思います。今や日本ロックの古典となってしまったはっぴぃえんどなどが演奏で参加しているこのアルバムは当時の文化の雰囲気全体を網羅しつつ再構成しようという意図があったのではないでしょうか?
などと、考えてみました。
2001/9/4, ヒチコ
 いとうさん、市井さん 
岡林氏について、有り難うございます。
 『見るまえに跳べ』、トップページで紹介されている引用文も参考になりました。
 表現されるもの(主に芸術的なもの)全てに、思想が盛り込まれていなくてもいいと思います。でも、なんとなく そういった思想的なものが流行るような時代が羨ましい気も 少しします。
 その時代と同じかたちではないと思いますが、また思想的なもの(思想性を含んだ表現や意見など)を持つことが、新しいこと(流行と言うとマイナスイメージになりやすいのですが)になっていくように思います。そう期待しています。
 読みにくい文章ですみませんでした。
2001/9/2, いとうくにお
ケンイチさん、はじめまして。昨日だったか今日だったかの朝日新聞にリービ英雄が『大江健三郎・再発見』の書評を書いていて、その中で、初期の作品、中期の作品、後期の作品というように好きな時期が読者によっていろいろだということを言ってました。時期によって作品の雰囲気がずいぶん違いますものね。
気が向いたらまた書き込みしてください。
2001/9/2, ケンイチ
こんにちは。僕はインターネットを始めたばかりでこのサイトを見つけたの
で、恐る恐るながら書き込みしてみました。およそ十年前、高校生だった頃は大江健
三郎作品の熱心なファンだったのですが、ここ数年は彼の作品から遠ざかっていま
す。僕は彼の作品を年代順に読んでいたのですが、「個人的な体験」以降の作品には
あまり魅力を覚えなかったのです。それは多分、彼が個人的な出来事を作品に織り込
むようになったせいだろうと思うのですが……。
 すみません、唐突に支離滅裂な書き込みをしてしまいました。また覗かせていただ
きます。
2001/9/1, 市井
北の国からこんにちは、市井です。
岡林信康氏について書かれていましたが、
彼は「フォークの神様」と呼ばれた人です。
フォークが思想性たっぷりの頃に、
時代を風刺し、物質文化を揶揄した歌などを歌った人だと思います。
音源は中古屋などで、比較的手に入れやすいですよ。
ロックがかつて反動的音楽であったように、
フォークがある種のスタンスの現れだった頃の人。
この言い方には、充分反論の余地がありそうですね。
個人的には今の日本のロックシーンに、反動性は感じません。

さて小学生だったぼくには、岡林氏のライブの音楽的クオリティや
精神性よりも、ライブの「場」そのものに、
特別な雰囲気を感じたことを覚えています。

「見る前に跳べ」は"Look before you leap."(転ばぬ先の杖)の
アンチテーゼではないでしょうか。
勿論大江さんがそう言うときには、
その背後には「何か」があるのでしょうが。
ぼくとしては、大江さんがいまでも、
「見る前に跳べ」って言うかどうか、知りたいですね。
これは純粋な好奇心ですが。
2001/9/1, いとうくにお
岡林信康は、いま40代50代の人だったら確実に知っているんじゃないかなあ。かつてのフォークブームの時代を代表するシンガーの一人といっていいと思います。といいつつ、僕はちゃんと聴いたことがありませんが。『見るまえに跳べ』というアルバムが大江さんの作品と関係あるかどうかわかりませんが、かつては大江本が一種のファッションアイテムのように携帯されたという証言もありますから、本の題名が流行語のように流布して後にフォークのアルバムのタイトルとして採用されたということは、十分ありそうなことに思えますね。
2001/8/31, ヒチコ
 また、気になることがあります。

 何十年か前に、岡林信康という歌手が『見るまえに跳べ』というアルバムを出したという事を、最近知りました。「性と文化の革命」という様なタイトルの曲が含まれていたそうです。

 私は、岡林氏自体 知らなかったので、母に聞いてみたのですが、そういうことに疎い母でさえ彼の事を知っていました。時の人だったのでしょうか。
 アルバムのタイトルが、大江さんの作品に影響されているかわかりませんが、その当時 よく読まれていた作家の一人であると言われました。

 『見るまえに跳べ』は、格言(?)のような語ですか?
 前に『性的人間』という哲学書(だったのかな?)があって、大江さんはそういう語もタイトルで使うのかな〜と思いました。
 子供じみたことを言ってますね。
 
 一般常識だったら、結構恥ずかしいです。

 最後に いとうさんへ
 最近、HTMLをいじり始めました(宿題・・・)。自分でやってみるようになって、このサイトは本当に素晴らしい!!とさらに思いました。私にとって、驚異です!!!
2001/8/30, TAKAKO
「死者の奢り」を読み返しました。処女作に全てがある。といわれていますが、ここですでに大江さんは死者との対話、死者と生者との交通と言うことを、「取り替え子」でのカセットテープを通じての対話に先んじて書いておられるのですね。自分なりの発見でした。
でも大江さんはその作品を通して常に生と死を考え死者の意味を考えると言うことをしてきたのだから当然といえばそうなのですが…
2001/8/30, いとうくにお
内海さん、こんにちは。生きていくうえでの糧になる本・作家と出会えたのは幸運なことですよね。気が向いたらまたメッセージをお送りください。
2001/8/29, 内海
こんど郷里の福岡へ帰ります。父が病気ですし、私自身東京の生活に嫌気が差していますから・・。私は「元セクト」として監視の対象にされ尋常な生活が出来ません。何かあるたびに逃避するように文学へ逃げ山へ逃げて来ました。大江さんも一昨年バイク事故によって長期の入院を余儀なくされ久しぶりに「死者の・・」を読んでから殆ど全部を読みました。私にとっての「大江文学」も逃避の過程にあるものでしたが、今はそれを素直に認めています。それでも私は政治的な意見を事ある毎に表明してきました。「反君が代・日の丸ML」へ投稿を続けて、またまた権力からにらまれています。それでも私は「大江文学」を読みながら、それを糧として生きて行くつもりです。
最近、初期の「空の怪物アグィー」を読んで本当に感動しました。
私は人の痛みを感じるために何を代償としているのだろう?何を失ったのだろうと思うと、私が権力に眠れないほど苦しめられているのは、その様に弾圧に苦しめられている人と心を同じくするために与えられたある種特権とでも言うべき財産なのかもしれない、と思います。「空の・・」は私にとって大きなバイブルとなりました。福岡へ帰っても権力の嫌がらせは続くでしょう。ですが、私は大江を読みながら迷いながらでも生きて行こうと思います。
大袈裟なヤツだとお思いでしょうが、正直な気持ちを書き込みます。
2001/8/27, 岡田ehime
オサムさん
丁寧なレスありがとうございます。
定義、よくわかりました。
こちらこそ、私の言い方に失礼な部分があったらごめんなさい。
私もオサムさんの定義されたような「安易な癒し」の
氾濫には正直なところ辟易しています。
ただ、素人故難しいことはよくわからないのですが、
(少なくとも私の少ない読書歴の中の)
大江作品は
(オサムさんのおっしゃる)「安易な癒し」には
適していない作品ではないのかと私は思います。
作品でなくとらえ方が薄っぺらと言われれば
私に関して言えば、浅学故のミーハー的なアプローチは
否定できないのですが、それだけでもないんですよ・・・。
少なくとも、この掲示板で発言されている方々の中には
そういう薄っぺらさを私は感じていないのですが・・・。

オサムさんもお父さん心配ですね。
掲示板に書き込まれる方にもそれぞれいろいろな人生や事情があるし
プライベートなことを書くのはどうかと
今までためらっていたのですが
大江作品のパワーの一端としての事実を
知って欲しくて書いてしまいました。
ノーベル文学賞が「生きる勇気を与える」作品を
生み出したことについて与えられるということを
大江氏自身が誇らしげに語ったと言うことを
どこかで読んだ覚えがあって
私の場合はまさにその通りだったんです。
やまめさんのおっしゃるように
やるせない時期にそういう作品があることが
ありがたいと素直に感じてしまいます。
オサムさんにとっても
大江作品がそういう作品だと
いいなあと思っています・・・。

うーん、我ながら言葉足らずで
意味不明な部分もあるかと思うのですが・・・!
長々ごめんなさい、
わかんないことは遠慮無くつっこんでください。
2001/8/26, オサム
岡田さん
僕の言葉が足りなかったと このまえ 打ち込んだ時も 思ってたのでしたが やはり 「癒し」のところに チャント ツマリハ詳しく 定義を加えておくべきでした。

 いま はやりの「ヒーリング」だとか「癒し」は、思えば 大江健三郎が『懐かしい年への手紙』を書き上げた頃から、大江自身が(「癒し」と)使いはじめた言葉です。
 それを マスコミの誰かが 剽窃して いまの 「ヒーリング」の 横行となった。と 僕は了解しています。

 さて 前置きは これぐらいにして
僕が表現した 安易な「癒し」 とは、「この小説の主人公は、僕とおなじで 無気力だ--とか 無力だ--とか」という単なる同族をみつけた 安心感や その感情・感覚への居座りを決め込むような まさに 出口を捜そうそともしないで 出口無しの状態に安住する態度のことです。

大江の言っている(そして僕も同意・共鳴する)「癒し」とは
悲しみ・苦悩の果てに 光りをみいだし そちらの方へ 踏み出し 歩き続ける 勇気 を 得る事--その力を回復する事です。

 いつでも 疑問があれば お応えします。

   同情を誘うようで 書き込むのは、気が引けるのですが
僕の父もいま 末期癌です。

  ヒチコさん
今回は 「癒し」問題で 気力を使い果たしたので また今度
レスします。
                 では これにて
2001/8/25, いとうくにお
ヒチコさんの分析、面白いですね。「大江さんの「文章」に乗っかるのが楽しい」というのは、言えてるなと思いました。アラーキーと大江健三郎という組み合わせは、意外性があって面白いですね。
2001/8/25, ヒチコ
 岡田さん おかえりなさい。

 オサムさんに 立派な評価を頂いて恐縮です。
 身に余る 光栄です!!

 さんざん「かたち」だ、「像」だ、と書き込みましたが、結局こういう事なんです・・・

 「なるほど」が好きなんです。
 自分が興味持ったものを並べてみると 自分の法則ではちゃんと繋がる。でも、友達に「これ 凄く面白いよ」と薦めると「え!?こういうのも好きなの?意外だね〜。」などと言われるって事ありませんか?
 私は最近、そういう事がよくあって、それが自分でも不思議に思えて 「何が繋がっているのだろうか・・・」と考える事が増えました。
 それが ふとした時に繋がる、その瞬間に「なるほど!!」がくる(大体がこじつけです・・・)。それが楽しくて仕方ないのです(若気のいたり かもしれませんね。)。

 「癒し」とか、そういうものは分かりません(構造に気づけません。)。でも確かに、読んでみてホッとする とか 優しい気持ちになるって事があります。その時に、なんでこんな気持ちになるのかなぁって考える、そればっかりですね、最近。
 カリカリしてるんでしょうね・・・
 
 私が一番「癒し」に近い感覚で読むのは 荒木経惟(アラーキー氏)の文章です。そして一番「なるほど」の感覚で読むのが大江さんの文章です。
 アラーキーで感じた事を、大江さんで(自分なりに)確認する、いや 発見する・・・ような・・・??
 大江さんの作品は、その他の関心事から一線置いたところにあって・・・
 何と言うか多分、例えですけど アラーキーに対する好き は
80%分かっているけれど(分かりやすい)、大江さんははかり知れないのだと思います。サラっとしてないと言うか・・・私なんかが寄せ集めた 色々な関心事(好き嫌いや、欲求や不満などからなる)を持って、その作品に乗り込んでも まだまだ広いというか、深いというか・・・凄そうなんです。いや、凄いです。
難しいのです。
 私の感情が「単語」で、大江さんの「単語」に重ねあわして、大江さんの「文章」に乗っかるのが楽しいです。自分の感情が繋がるような感じで。
 これは言うまでもなく 皆さんがやられている事だと思います(多分)。でも、それぞれに惹かれ方が微妙に違う、そういう事が凄く面白いです。
 そういう微妙な事が大事なんだなあ、と この掲示板を見ていると 思います。有り難いです。

 そんなこんなで気になって、吉行淳之介の作品を読んでみました(以前、まさおさんが触れられていたので)。そういうのも有り難いです。
 また長々と、スミマセン・・・ 
2001/8/23, 岡田ehime
大阪へ出張していて今朝帰ってきました。
遅くなりましたが、いとうさん、
いつもながら温かい一言ありがとうございます。
やまめさんも、ありがとうございます。
同じような体験をされた方がいらっしゃって、
何だか心強いような、安心するような感じです。
もっとも私は父の入院がなければ、
大江作品に巡り会えなかったかもしれません。
このホームページで御指南頂いて読み進め、
大江作品がある意味気持ちの支えになりました。
元気づけられました。
オサムさん、これは
「逃げ」=安易な「癒し」に成っちゃうのかな???
彼の死生観やupstanndeingといった考え方が
私にはとてもしっくり来て、
難しい理論はよくわかりませんが
大江作品をもっと読んで、自分なりに考えてみたいと思っています。
父は大江作品はあまり読んだことはないようだったのですが、
今となっては父にも読ませたかったなと思います。

「四万年前のタチアオイ」のYSさんについて、
早速情報ありがとうございます。
やはり吉永小百合さんなのですね。
女優さんには詳しくないので、
彼女しか思い浮かばず、
彼女のイメージで読んでいました。
大江作品には実在の人物をモデルにしていても
虚実混ざっているようなのですが、
このお話の場合どの辺まで「実」なのでしょうか?
そういう伯父さんは実在していらっしゃるように
週刊朝日の対談で書いていらっしゃって、
意外に感じました。
実際に吉永さんとこういう旅行をされたのでしょうか?
毎度のことながらミーハーな反応で済みません。

出張先の大阪の本屋さんで
沢山大江作品を見つけて
狂喜乱舞して沢山買い込んできました。
MTやっと手に入れてほくほくしながら読んでいます。
読み終わったらまたお便りします。
2001/8/22, オサム
   見る→知る→(分かる=)組み立てる

 ヒチコさんにばかり語る 何故 が分かりました。
今まで僕がこの掲示板を見た限りで、思春期真只中の人達とは大江に接する仕方が、ヒチコさんは違うのです。
 あなたは「知ろう」としている---他の人達には失礼ですが---
読書を「逃げ」=安易な「癒し」にはしようとしていない という事です。
 僕の打ち込んでいるこの文章の1行目のように、自分の世界を持つ為には、「見る→知る」から始めねばなりません。
 これは 特別な事 ではなく、人間の 生理的な生育の有り様 だと思います。
 知る為には、まず 「見る」事 からです。
その為にあなたは書き込みを利用していると、僕には思えるのです。
 で、その手伝いを僕はしようとしているのでしょう。---僕は 無類の「お人好し」ですから---

 ちなみに僕の場合、「見る」事を明確にしたのは、大学1年の秋でした。ブッチャケた所、当時 付き合っていた ものすごく好きな娘(こ)に振られたのです。  そして、詩を1編書きました。
 その中で、自分に言い含めるように

       君は見ていなくてはならない
       壁のしみ
       空の形状

                  と綴ったのです。

 ちなみに 僕の場合、「分かる→組み立てる」の真っ最中です。
 35才過ぎてから 自然と、お仕着せではない 世界観 を組み立てようとしている「自分」に気付きました。

 人生80年の時代、気長に、見、知、組み立てていきましょう。  お互いネ。

    長々と 珍(?)説を披露してしまいました。スミマセン!

                       では
2001/8/21, ヒチコ
 この間は 本当に失礼しました(いとうさん、オサムさん、ご両人に)。
 しかも また素敵な情報を頂いて・・・有り難うございます!
(こんなに 美味しいおもいをして良いのかな!!)

 『小説のたくらみ〜』をホンの数ページ読んでいた私ですが、
今度は新潮文庫の『死者の奢り・飼育』に手を出しました。フラフラと・・・
 オサムさんが紹介して下さった『小説の方法』、いとうさん御推薦の『私という小説家の作り方』も平行して読んでみたいと思います。あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、頑張ります。

 「異化」や「リアリティー」の話はホントに興味深いです。
大学で「造形言語」という勉強をしているのですが、その件でも大江さんの小説の書き方は 大きなヒントを与えてくれそうです。

 意味(コンセプト)から、像(かたち)を作るのか、
 像から、意味を作るのか・・・・などなど・・・ワクワク
(像に含まれた意味を読み取る、も勿論ありますよね。)

 作家の方々は色々な小物を使って読者の頭の中に「像」を作りますが、そこらへんも物体としての「もの」とイメージとしての「もの」の行き来という意味で興味深いです。得に、大江さんの作品では、そういった事を強く感じます。大江さんの眼を通して拾われてきた小物が、素敵な並び方をして独特の雰囲気を作る、それが好きです。(構成が素晴らしいってことなのかな?)

 小物?単語?名詞単位の語が 何だか面白いですよね。

例えば この文なんか素敵だな。
「欠伸が、喉の奥で、小さい梨のように固まり、なかなか出て来ない。」
       『他人の足』/死者の奢り・飼育

 私がこのHPで好きなコーナーは、人物や食べ物が紹介されているところです。ここに並んだ語を眺めているだけで 色々な想像をしてしまいます。 

 何だか、自分でも納得のいかない書き込みです〜。
 いいえないです・・・
2001/8/21, いとうくにお
けいさん、はじめまして。『取り替え子』に現れている攻撃的な部分についてのご感想、なるほどと思いました。僕はどちらかというと、大江さんご自身の感覚なのじゃないかなと想像しています。それにしてもあの小説は、僕にとって、四角だとも三角だとも言いがたい、そんな不思議な印象が、いまだにあって、面白いものだなと思います。いつになるかはわかりませんが、次の作品も楽しみです。
オサムさん、いつも楽しい書き込みありがとうございます。大江さんの小説の書き方についての本としては、僕からは『私という小説家の作り方』(新潮社)も推薦しておきたいです。あんまり内容は覚えてないんですが、、、読んだときは、ナルホドと納得したのは確か。
2001/8/20, オサム
いとうさん すみませんっ!
この素晴しいHPの作者とまちがえられる とは 恐縮とともに
身に余る 光栄 です。

 ヒチコさん 僕が偉そうに 文章を打つので、間違われたのでしょうネ。
 ---- いつも ヒチコさんに向けて 語ってしまうのは
何故でしょうか〜????

 今年に入ってから 「大江の小説を 全部(ママ)読むぞ〜」と ネット上の古本屋さんで『大江健三郎全作品 第1期』を手に入れ 1巻目 を 読み始めたのは良いものの
『芽むしり仔撃ち』の第8章で止まって もう ひと月は 経つでしょうか。
 『鳩』はその中にも入ってました。
「逃げ」から「自らの責任で進んで受け入れる」ラストも 兎に角 上手さと倫理が両方とも実現されていて 凄い奴だな 大江っていう若手は。 という 読後感を持ちました。
『見るまえに跳べ』がその巻の最後に入ってますので 楽しみです。
 内容はまったく憶えてないにもかかわらず 『見るまえ〜』を
初めに読んだ時 気に入っていたことを いとうさんが触れられたことで 思い出しました。

 最後に
ヒチコさん 大江の説く「異化」と「リアリティ」に関心がおありなら 『小説の方法』という大江の本が たぶん 岩波から出てるはずです。
僕が持っているのは 岩波現代選書版です。今は(多分)岩波の
「同時代ライブラリー」版ででてると思いますョ。
                  では これにて
2001/8/20, けい
はじめまして。
友人からこのHPのことを聞きました。
そして『取替え子』のことを知り読み勇気付けられました。
ありがとうございます。
大江作品を読むのは久しぶりです。

『取替え子』の最初の部分は古義人が攻撃的に感じられ理解しにくい
ところもありました。双子のタレントの片割れやコメディアン出身の
監督と言えば浮かんでくる人物もいますし。
これは大江さん自身の感覚なのだろうか。
全く別世界の人達として彼等をとらえているのだろうかと
疑問に感じました。
私は人と人とは全て繋がっているものだと感じていましたので。
「大江健三郎・再発見」を読むと大江さん自身は
明るく攻撃性は感じられなかったので感情の一部分を拡大して
表現されているのかもしれないと思ったりしました。

『取替え子』は最後の千樫が語るところで特に感動しました。
いろんな偶然を読み取ることができ元気付けられました。
私も弟をこの春亡くしたばかりです。
センダックの絵本は今中学生になる娘が幼い頃何度も繰り返し
二人とも気に入って読み聞かせた本です。
アイダの本ではなく『ミリー』ですが。
その娘も亡くなった弟も変わってしまったと感じた時がありました。
「なぜ子供は学校に行かなければならないか?」
と言うのは前にも読んだことがあるのですが何所だったのでしょう。
その時もそうだそうだったのだと気づきがあったのですが
今回改めてもう一度しっかり学ぶことの意味を感じ取ることが
出来ました。
しっかり学びしっかり自分の身近な方たちとかかわりしっかり
生活しようという気力が湧いてきました。
進むべき道が見つかったように感じられます。
2001/8/20, やまめ
岡田さん、私も同じように去年末期の癌で父を亡くしました。看病に行くとき鞄に入れたのは、『燃え上がる緑の木』でした。やるせ無い時間を、読むことで何とか持ちこたえていました。そういう「本」があることがありがたいですね。
2001/8/20, いとうくにお
馨歩さん、こんにちは。なかなか魅力的な写真集ですねえ。僕も入札しようかな。
2001/8/19, 馨歩
●●●大江健三郎写真集お譲りします●●●
大江健三郎ファンの皆様、こんにちは。当方は馨歩と申します。
この夏、当家の本を整理したところ大江健三郎の写真集が出てきました。他の本とともに古書店で処分するつもりだったものの、当方にとっていささか思い入れがある冊子でもあり、できれば大切にしていただける方にお譲りしたいと思い、熱心な大江ファンの皆様が集うこのサイトにやってまいりました。

お譲りする方は、勝手ながらオークション形式で募らせていただきたく存じます。以下に詳細をご説明しますのでご覧くださいませ。

<写真集の概要>
●タイトル:「Myriad Mind」
●体裁・版型:黒い小さな手帳のような造本・約11cm×約15cm
●内容:大江健三郎氏ならびに大江家の人々を中心に写した写真48葉、「Switch」誌vol.7No.4から抜粋の短文1篇(4ページ分)を収録
●撮影した写真家:操上和美
●その他:1990年に「Literary Switch」という雑誌の創刊時、記念品として配布されたもので非売品です。

<オークションの流れ>
1)入札ご希望の方は、下記の当方アドレスまで、メールにて入札金額をお知らせください。
2)入札の期限は9月31日までとさせていただきます。
3)最高額で入札なさった方には、折り返し、当方より住所・氏名・電話番号等をお伺いします。
4)当方より確認のお電話を入れた後、着払いの宅配便にて現物をお送りします。
5)現物を確認していただいた後、当方の指定口座をお知らせしますので、入札金額をお振込みください。
6)落札なさらなかった皆様には、恐縮ながらその旨のご連絡はいたしません。入金確認後、オークション完了の旨のメッセージをこちらの掲示板に掲載いたしますので、そこでご確認くださいますようお願いいたします。

当方アドレス:fwjg2042@mb.infoweb.ne.jp
ここに書きましたこと以外のご質問なども上記へお問い合わせくださいませ。
表紙 コラージュ 大江家の人々 書斎
2001/8/18, いとうくにお
岡田さん、おひさしぶりです。また書き込みしていただいて嬉しく思います。岡田さんのメッセージを読んで、文章のもっている力を改めて認識させられたという気がします。
女優のYSは、聞くところによると吉永小百合さんがモデルだそうですよ。
2001/8/18, 岡田ehime
ずいぶん久しぶりに書き込みします。
健三郎素人アンド駆け出しファンの岡田です。
書き込みしなかった間に
またいくつか大江作品を読み、父の四十九日と新盆が終わりました。
昨年10月に末期の癌が見つかり入院、
最初余命2,3週間といわれていただけに
6月まで頑張ってくれただけでも
良しとしなければいけないのかもしれません。
素人が駆け出しファンになったきっかけは
その父の付き添いで病床の傍らでよんだ週刊誌掲載時の
「『自分の木』の下で」でした。
ちょうど、今トップページに有る部分が
深く心に響いています。
父の自分の木はどこにあるのだろうと思うと
父の死に関する諸々の喪失感が少し埋められる気がします。
この掲示板でも大江作品からエネルギーをもらうと
いう方がいらっしゃいましたが
私も、このHPに助けられながら
読んだ大江作品からそんな風に
ずいぶんエネルギーをもらいました。
教えて頂いて早速手に入れた「大江健三郎・再発見」や
「大江健三郎文学事典」を今は少しずつ読みながら、
また大江作品を読んでいこうと思います。
私事を書き連ねてごめんなさい。
そういうふうに大江作品に助けられたことを
お知らせしたくて。
いとうさんにもその節は大変お世話になりました。
ありがとうございました。

少し知りたいことを。
以前、「河馬に噛まれる」の一遍ににでてきた
女流作家N先生が野上弥生子さんだと
ヒロシさんが書いていらっしゃいましたが、
この文庫の中の作品にはアルファベットで名前を伏せてある方が
たくさん出てこられますね。
女優のYSさんというのは、あの方でしょうか?
多分実際にあったことに脚色して作品がなされているのだとも思うのですが、ご存知の方いらっしゃったら是非お教え下さい。
2001/8/16, いとうくにお
ヒチコさん、そんな、気にしないでくださいよ。書き込みしてもらえるだけで、私としては嬉しいんですから。
2001/8/16, ヒチコ
ヒエ〜ッ!!
 
我ながらトンチンカン過ぎてびっくりしました。
ホントに失礼しました!!
しかも、こんなオッチョコチョイに返事も書いて下さって・・・

まったく馬鹿、馬鹿!!!
本当に失礼しました。
2001/8/16, いとうくにお
あ、ヒチコさん、このサイトを作っているのは私ですよー。
『見るまえに跳べ』の「鳩」は確かに印象的な話ですよね。大江さんには少年院の経験はないはずですが、見てきたように書いてますね。やはり才能でしょうか。僕は表題作の「見るまえに跳べ」が好きかな。大江版「青春の蹉跌」といったら変でしょうか。変ですね。
2001/8/16, ヒチコ
 オサムさんと大江作品の出合い、面白いですね。
「見るまえに跳べ」のどれひとつとして憶えていない(今となっては、ということかもしれませんが)という出合いから 始まって、こんなに素敵なHPを作るに至っているところが 何だか魅力的です。

 私は「見るまえに跳べ」の文庫の中では『鳩』が好きです。動物(死骸)の描写と、施設に満ちる独特の空気の色の描写(?)雰囲気が印象的でした。 

 今日、『小説のたくらみ、知の楽しみ』を読み始めたのですが
早速、この間まで独りよがりに考えていたことのヒントを見つけた気がしてワクワクしました。「異化」と「リアリティー」の辺りなのですが(まだホンの数ページ)、そういう事だったのか〜と思いました。素敵です。
2001/8/14, まと
ヒロシさん、ご丁寧にどうもありがとうございます。
収録本はあるけれども手に入りにくいのですねー。
やはり、雑誌からコピーした方が確実なんでしょうか…。
でも、自分の書いて小説の人物が、小説を批判する小説(…?)、
凄いですね、大江さんは。やればやる程おもしろい、が、
やればやる程分からなくなってくるというのも…。
2001/8/10, ヒロシ
まとさん、こんにちは。

 「『芽むしり仔撃ち』裁判」は岩波現代選書の『現代伝奇集』という本に入っていたと思います。短編だと思って読み始めたら意外に長くて、読み終わったらくたびれてしまったのをおぼえています。けれど最近は本屋でこの本を見た記憶がありません。在庫や増刷の予定はないかもしれません。

 大江さん自身、そんな一抹のさみしさをユーモラスににじませながら、「現代伝奇集」というそのもののタイトルでエッセイを書いてもいて、こちらは『新年の挨拶』(岩波現代文庫)で読むことができると思います。
2001/8/9, まと
こんにちは。
いつも密かにお世話になっています(笑)。
私は卒論に大江文学を選んだ無謀な者ですが
お聞きしたいことがあり、書かせて頂きます。
「『芽むしり仔撃ち』裁判」が『新潮』で連載されていたのですが、
そちらの方は収録本があるのでしょうか。
もし無かったら雑誌をコピーしなくては、と思っているので
ご存知の方いましたら教えてください。

どうぞ宜しくお願いします。
2001/8/9, オサム
さて 大江さんと野上さんとの関わりについての文章ですが
小説だったか エッセーだったか はっきり憶えてないのですが
大江さんの山荘の近くに野上さんも山荘を持っておられて
道でばったりお二方が出会われて 野上さんが大江さんに小説の
ことで忠告をなされた というエピソードが確かに書かれていました。

 僕と大江作品の出会いは1977年8月5日に遡ります。
僕が大学1年生の時です。
 買ったのは 新潮文庫版「見るまえに跳べ」。
この短編集のどれひとつとして 憶えていません。
で 読んだ後は まずは文庫から読みあさり始めました。
初めて買った単行本は「同時代ゲーム」 1977年10月
当時の新刊です。
それからは 新刊がでる度に買い求め
ついには 「核の大火と人間の声」などと エッセー・評論にまで およんで行きました。
 そして 現在も(小説は)でる度に読んでます。

まさにディープな読者じゃないか と謂われそうですが
みなさんのように 何度も読み返したり 人生の指針には
していませんので
以前『どっぷりとは 浸かっていません』と書いた次第です。

確かに 若かりし頃 は 『どっぷり』だったかもしれませんネエ。
 大江さんが関ってる というだけで 「岩波講座 文学」を
全巻揃えたほどですから。

       今回 やっと 自己紹介できました。

           ながながと お邪魔しました。
                          では
2001/8/5, 白石ヒロ
白石ヒロ
hirobee@peach.ocn.ne.jp
山荘さんへ
TAKAKOさん お勧めの カセット ほんとうに知的な生き方ー野上弥生子とその時代ー私持ってます。もし ご希望なら お貸ししますので 私宛 アドレスお知らせください。
ご参考までに 内容は
少女時代に開かれた外国への眼
日本人は「源氏」を卒業すべき
ほんとうに知的な生き方
代表作「迷路」に示された女性の力
書き続けて築かれた人格と人間性
始まったものに終わりはない 以上です。
2001/8/5, いとうくにお
メーリングリストのほうは、例の俳句についての情報がありました。『核時代の想像力』のなかで、あの俳句の話の元になっていると思われるエピソードが出てくるそうです。ジャック・ケルアックの俳句をアレン・ギンズバーグが大江さんに紹介し、意見を問うたと。
で、その俳句は、雨の木に出ているのとはちょっと違っていて、これ↓が実際の作品のようです。

 In my medicine cabinet,
  the winter fly

 has died of old age.

           --Jack Kerouac


大江さんは、これを「薬籠に老いて死にけり冬の蝿」と訳されたそうです。味わいがありますね。このケルアックの作品はけっこう有名らしく、その全文をキーとして検索してみると、けっこうヒットします。たとえばここにはいくつかの作品とともにこの俳句が掲載されています。
2001/8/5, sinkai
こんにちは。
たまたま本をぱらぱらとめくっていたら、大江が野上弥生子について書いているものを見つけました。講談社文芸文庫の『最後の小説』に「確信されたエロスー野上弥生子」というエッセイのような文章が収められています。
山荘さんの求めていらっしゃる情報が得られるかどうかは分からないのですが、ご参考になればと思います。

りょうせいさんのファイルには、私はとても興味があります。ここの掲示板はとても内容が濃くて量が多いですから、私はまだ全体を通して拝見したことがないんです。もし「りょうせいさんファイル」がご本になったりしたら、私は即買いに走るのですが(笑)

最近は『燃え上がる緑の木』の三部作を読んでいます。
何年か前にもチャレンジしたのですが、どうしても3冊目の途中で先に進めなくなってしまいました。今もほとんど同じところで先に進めなくなり、どうしたものかと途方にくれています。
皆さんはこの3部作をどのようにお読みになったのでしょうか。
ぜひご意見をお聞かせください。

長くなりました。
それでは失礼いたします。
2001/8/4, TAKAKO
山荘さん
作品ではないですが、新潮カセット文庫に講演「ほんとうに知的な生き方−野上弥生子とその時代−」があります。野上さんとの関わりを知る上で参考になるのではないかと思います。
2001/8/4, りょうせい
 こんにちは、先日おじゃました、りょうせいです。
 うさぎさん、新入学早々お友達に出会えたようで、心強い限りです。よろしく!
 いとうさんに教えられたとおり、私も早速、例のハイクの部分しか目を通さないで投稿した自分のうかつさを責めつつ、「大江健三郎・再発見」の写真アルバムで、どうやら少年愛の強者であるらしいアレンさんの風貌を確認しました。
 前回お話しした編年体「大江健三郎ファン倶楽部掲示板」(1995/11/2~2001/8/4)をようやく完成させました。暇な人もいるものだと驚く方もおられるでしょうが、ディスプレイ上よりも、紙面で、上に行ったり下に行ったりせずにじっくり読みたいのです。それだけの価値のある興味深い記録だと思うものですから。
 A4判で11ポイント(老眼の私にはギリギリ妥協できる活字の大きさです。広辞苑などの辞書はもうお手上げ、拡大鏡のご協力を仰がなくてはなりません。)40字42行でなんと315頁の大作になりました。投稿者のお歴々には悪いのですが、かなりぎゅうぎゅう詰めに詰めて貰ってもです。(うさぎさん、オサムさん、みなさん、お暑い中ぎゅうぎゅう詰めで申し訳ない!)今後も年間でおよそ百頁ぐらいは増えつづてゆくものと思われますから、2穴ファイルで保存。背表紙には《緊急時優先搬出!》と朱書きで大書しておかねばなりません。
さて大江さんの作品ですが、7年前、大江さん最後の作品として「燃え上がるみどりの木」3部作が出版された時、これはただならぬことになった、と私思いました。「救い主」に殴られたような衝撃です。
 この三冊を読み終えれば、もう彼の新しい作品には出会えぬ訳です。
 今までのように、寝っ転がってチビチビやりながら、TVに気をとられつつ読むなどという、失礼な読み方は出来ない。大江健三郎と私との、三十数年間に及ぶ作者と読者の付き合いから言っても、絶対に出来ない。1語1語じっくりしっかりと、最後の作品の(私にとっては最上の)文章を受け止め、味わいながら、(今までは美味しい文章をガツガツと咀嚼もしないで飲み込む悪い癖のため、消化不良気味だった!)読まねばならない。そう思ったのでした。
 やはり私も、どなたかお話ししてましたが、先ず第一に彼独特の文体、リズム、流れと言ったもの、あるいは、くっきりと異化された言葉たちの競演に魅了されてしまうタイプの読み手なのです。(多少の作品としての難解さなど、くそっ食らえなのです。アッ失礼)
さてそう思うと、今度はなかなか本に手を出しにくくなってしまいます。短編ならまだしも、3巻に及ぶ、彼の作品群の中でも飛び抜けて分厚い長編です。心身とも良好な状態、克つ時間はたっぷり、と言う状況下でなくては飛び込んでいけません。困りました。手に取るタイミングがなかなかうまくとれないのです。司修さんの装幀を愛でたり、つまみ読み(?)をしたりはするんですが・・・
早い話(チットモ早くない!)現在まで「緑の木」から「取り替え子」までの3作は未読のままです。これらもやはり今まで通り時系列に沿って読まなくては、と思ってます。従って3作に関する書評や掲示板での言及箇所は素早く目を逸らしてるのですが、もう限界でしょう。一刻も早く、いとうさん始め皆さんのご意見など拝聴できる身分に出世しなくては!
 もっとも、私は大江さんの長編よりも、80年代初頭から始まる「『雨の木』を聴く女たち」「新しい人よ眼ざめよ」などの短編連作集群のほうが、しなやか・ふくよかな彼の魅力をふんだんに引き出しているのではないかと思ってるんですが。
 ながながとつまらぬ駄文で時間とスペースをとらせてしまいました、深謝、深謝。
2001/8/4, ヒロシ
山荘さん、こんばんは。

 大江作品の半分くらいしか読んでいない者ですが、
連作集『河馬に噛まれる』(文春文庫)に収められて
いる短編「生の連鎖に働く河馬」に、《女流作家N先
生》なる人物が出てきます。その人が野上弥生子さん
ではないでしょうか。
2001/8/3, うさぎ
お暑うございます。
りょうせいさん、わたしもまったく同感です。
30年近く、大江を読んできて、このHPに出会えた
幸せは、語り尽くせません。このHPのおかげで毎日
コンピューターを開けています。
ついこないだまで、こんなにコンピューターとかかわる
とは、思ってもいませんでした。

今日、オーケンのススメを読んでみて、いとうさんの言われる
大江の文章表現にひかれるというのもよくわかります。
みんな、文章が下手だ読みにくいというのですが、わたしは楽しくて
しかたありません。

三部作の冒頭で「魂の仕事がしたい」と始まるところなど
これだと、納得しました。
今もう少しで、「宙がえり」を読了します。
たいせつに、じっくり楽しんで読んでおります。

大江のケンちゃんに感謝です。
長生きしてくださいと、祈ってます。
2001/8/3, 山荘
どなたか教えていただけませんか。
大江さんの作品に、野上弥生子さんとの関わりややりとりについて書かれたものは
ありますか?
勉強不足でこんな質問をしまして大変にお恥ずかしいのですが、どなたか教えて
下さい。よろしくお願いします。
2001/8/2, sinkai
ありがとうございます。
りょうせいさん、いとうくにおさん、
つまらない質問なのに丁寧に答えてくださって感謝しています。
特にビートニクの詩人については、作品中でも「アレン」という名で描かれていますから、私も早速『大江健三郎・再発見』を開いて写真を確認してしまいました。大江の文章から自分がイメージしていた詩人像とはまたずいぶん違う感じの男性が写っていたので驚きました。なんだかフライングしたような気分です。
ところで先日、しりあがり寿の「やじきた in DEEP」と「真夜中の野次さん喜多さん」という漫画を人から勧められて読んだのですが、とても濃い内容で楽しめました。大江とは全然次元の違う話になってしまって恐縮ですが、私は両者の持つ主題が重なる部分もあると思ったのです。
2001/8/2, いとうくにお
sinkaiさん、りょうせいさん、はじめまして。このサイトのことをお褒めいただきありがとうございます。
ハイクのことですが、僕もりょうせいさんと同じく、詩人の創作した英語ハイクということだと思います。で、そのビートニク詩人ですがアレン・ギンズバーグのことではないでしょうか。年譜によれば「頭のいい『雨の木』」は1980年に発表された作品ですが、その舞台となっているハワイでのセミナーに、大江さんは1977年に参加していて、そのときにアレン・ギンズバーグとも知り合っているようです。先日出た集英社の『大江健三郎・再発見』の巻頭にはそのときの写真も掲載されていて、20人ほどの集合写真の中に大江さんやアレン・ギンズバーグの姿がありました。
2001/8/1, りょうせい
 はじめまして。
 つい最近、この倶楽部を発見したばかりの者で、初めて投稿します。30数年前「芽むしり 仔撃ち」に出会って以来の大江文学ファンとしては、まさに大感激。50の手習いでインターネットを始めて本当に良かったと思う、大発見でした!
 いとうくにおさんのご努力に深く感銘するとともに感謝いたします。
 この掲示板がとても面白いので、時系列で読んでみたいと思いワープロで古いものから順に並べ替えをしました。「切り取り」、「貼り付け」、「切り取り」、「貼り付け」。延々数時間(何せ今年の分だけでも72頁)かけてやっと完成。
 さて、sinnkaiさんの、短編集「『雨の木』を聴く女たち」に出てくる俳句らしきものについてのご質問ですが、参考になるかどうか、私は以下のように読みとりました。
 最初の短編「頭のいい『雨の木』」の冒頭に、アメリカ、ニューヨーク育ちの「ビートニクの代表として一時代を劃した詩人」(何と言う名前の詩人なのでしょうか、実在の詩人なのでしょうが。)が「かれのいわゆるハイクについて僕の批評を聞こうとする」とあり、つぎの英文が紹介されています。
    Snow mountain fields
    seen thru transparent wings
    of a fly on windowpane
 これは俳句が英訳されているのではなく、ビートニク詩人自作の、英語で書かれたハイクなのでしょう。俳句の国の小説家である僕は彼にその出来映えについて、しつこく批評をもとめられ困惑している様子を描いているものと思います。
 今後も折りに触れて投稿しますので、よろしくお願いします。
2001/7/30, sinkai
こんにちは。
初めて書き込みさせていただきます。
実は2年程前にこのサイトを発見し、以来よく拝見しておりました。
ここはとても内容の濃いサイトですね。
いつも驚きと尊敬の念を持って読ませていただいています。

今回はちょっと教えていただきたいことがあってお邪魔しました。
「『雨の木』を聴く女たち」の冒頭あたりで、つぶれたハエの羽ごしに雪山を見るという俳句が英訳されていますが、あれは元となる俳句があるのでしょうか?
あるとしたら一体どなたの俳句なのでしょう?
最近は結構細かいところにこだわって大江作品を読むようになりました。
以前は読み飛ばしていた部分が気にるのです。
もしご存知の方がいらっしゃったらぜひお教えください。
よろしくお願いいたします。
2001/7/28, いとうくにお
まささん、情報ありがとうございます。オペラシティも粋なことをしてくれますね。
ツチヤさん、こんにちは。あれはいい映画ですよね。別荘というと北軽井沢ですか? それとも伊豆(にもあるのかな)? そういう環境で大江さんからサインしてもらえたなんて、とてもうらやましく思いますよ。
2001/7/28, ツチヤ
いとうさんメッセージありがとうございます。「静かな生活」映画見ました。イーヨ演じる渡部さんの演技がとても印象深いですね(^。^)
光さんの音楽もとても素晴らしと思います。実は僕の実家に大江さんの別荘が有り良く会うんです。そこでサインをいただきました。
2001/7/27, まさ
こんにちは。何度かファンクラブ掲示板に参加した者です。
最近は仕事が忙しく、ファンクラブ掲示板を読むことができません。
もしかしたら既にこの話題をされている方がいるかもしれませんが、
東京オペラシティのHPで、大江氏講演原稿全文が掲載されていましたので
お知らせします。
わたしもこの日の講演で静かに感動した一人です。↓
時間ができましたらまた掲示板に参加させていただきたく思います。

「大江健三郎氏 講演原稿(全文)掲載
2001年3月21日
「夢窓─武満徹没後5年特別企画」の一環として、2001年2月22日[木]に東京オペラ
シティコンサートホール:タケミツメモリアルで開催された『講演&室内楽演奏会
「音と言葉」』における、大江健三郎氏による講演の原稿(全文)をお読みいただけ
ます。大江氏のご厚意により掲載させていただくことになりました。

→大江健三郎 講演「武満徹のエラボレーション」原稿掲載ページはこちら
http://www.tokyooperacity-cf.or.jp/oe_lecture.html
2001/7/27, いとうくにお
ツチヤさん、はじめまして。サインをもらわれたそうで、よかったですね。『「自分の木」の下で』のサイン会でのことでしょうか。『静かな生活』は映画もありますが、ご覧になりましたでしょうか。
2001/7/25, ツチヤ
初めて投稿させていただきます。僕は大江さんの「静かな生活」が好きです。息子の光さんをモチーフにした作品ですよね。最近とても嬉しいことに大江さんとお会いできサインをいいただきました。本当に嬉しかったです。
2001/7/24, コーキ
いとうさん、やまめさん、まるわさん、ぴよさん、ありがとう。
「宙返り」を読んだ後、まさに、静かなエネルギーを頂いて、それは、例えて言うなら、青々と清らかに大地にしっかりと、立ち上がる木に深い生きるもの同士の共感を、感じたあの時の感動を思いおこさせ、仕事場で、一日中、足元から光の栄養を吸い上げている力強さを、感じていたものでした。でも、悲しいかなその感覚は、一日しか持ちませんでした。今日、「チェンジリング」を、読めるよう手配してきました。楽しみです。
2001/7/23, ぴよ
皆様こんばんは。
やまめさんの「大江作品を読むことによって助走がつくといったふう」という感覚,共感できます。
日々溜まっていく心のザラザラ感を自分で持て余してしまうとき,ふと大江作品を読みたくなります。読むことによって静かなエネルギーもらうことができるように思います。他の作家では,灰谷健次郎の作品にも元気をもらうことが多いです。
 今はまだ決定的な絶望を味わったことがないけれど(その瞬間は絶望と感じていたとしても,一月も経てば以前と変わりない心持ちで生活していける),この先そういう場面にあったときには,きっと大江作品を読みたくなることでしょう。そして再生への手懸かりをつかむことができるのではないかと考えます。大江作品は心強い味方ですね。^◇^
2001/7/21, いとうくにお
まるわさん、はじまして。いまはどういうお気持ちですか。もしいまも追いつめられた気分なのでしたら、どうしてそう感じるのかとか、セヴンティーンを読んでどう思ったかとか、なんでもいいので書いてみてくださいよ。ぜんぜん見知らぬ人どうしですけども、こうして言葉を交わせば気分が変わるかもしれませんよ。
2001/7/21, まるわ
 初めまして。昨年の誕生日を、僕は修学旅行の飛行機で迎えました。高校生です。そう、十七歳を迎える前日でした。
 手荷物の中に「セブンティーン」を隠し、その日、飛行機が墜落することを願っていました。自分が知る限りの全ての人間に追いつめられ、僕は死にたかったのでした。
 僕が大江作品を読むのは、そういうときなのです。
2001/7/18, やまめ
コーキさん、私も大江作品を読むのはそういうときですね。全般に、元気があって順調な時より、エネルギーが無くなって停滞しているとき、大江作品を読むことによって助走がつくといったふうです。
2001/7/17, いとうくにお
コーキさん、こんにちは。コーキさんが大江作品を読む理由、わかる気がしますよ。『宙返り』読み終わったら、また感想などおきかせください。
2001/7/17, コーキ
 今、「宙返り」を、読んでいる最中です。なぜ、大江作品にひかれるのだろう?と、考えました。1、比較的時間の余裕があると、感じた時、手に取る。2、表層意識ばかり使用し、澱のようなものが、たまってきた、静かになりたい。と、思った時。3、自己肯定の感覚が薄くなり、すこし、惨めな気分の時。4、狭い人間関係から来る、意識の閉塞性から少し開放されたい。などなど・・・。
 読んで下すってありがとう。もっと、書き込みたかったのですが、エネルギーが、続きません・・・では、また。
2001/7/5, ヒチコ
 市井さん、オサムさん、うさぎさん、有難うございます。

 「面白い!!」と、大喜びで読ませて頂きました。得に、市井さんの研究!!ぜひ、続けて下さい!!!ホントにホントに興味深いです。
 オサムさんのメッセージから落ち着きを取り戻す事が出来(アリガトウゴザイマス)、前から読みかけになっていた『性的人間』と、遠藤周作の『わたしが・棄てた・女』を読み終えました。                                   『性的人間』・・・前にこの掲示板で志乃さんが、この作品のジャズシンガーに性格が似ていると書かれていたので、私も少し考えてみました。それで、私がこの人に似ているなーと思ったのは(似ている?共感する?)蜜子でした。蜜子と、若い詩人を混ぜたカンジです。
 話が一度とぶのですが、うさぎさんズバリです!!私も、男性作家の作品で「うーん?」となることがよくあります。オサムさんの、「男性はは暴力に酔いやすく〜」で思い出したのですが、花村萬月の作品は、まさにそんな感じがしました。そこに出てくるヒロインに対して私がよく持つ感想は「こんな娘(いい女)いるのかな?」で、『わたしが・棄てた・女』のヒロインに対しても「こんな娘いるのかな〜?」でした。・・・それで、いろいろ考えたんですけど、私が理解出来るリアリティーやら、私が理解出来ないリアリティーやらは、小説にとって、そんなに問題ではない(例えば、異性をリアルに描くのは不可能なのでは・・・と言う事が重要なのではない)のかもなぁと思いました。作家の方々が この作品では、こういう人物を(こういう出来事を)象徴として持ってきて、これを表わそうっていうのが小説なのかなぁ・・・(これは『わたしが・棄てた・女』で、聖女と言う表現が出てきたので思いました。)などと、ああでもない、こうでもない、いろいろ考えて楽しくなっています。(まとまらずにスミマセン)
 私が読んだ大江さんの作品はまだまだ少ないのですが『性的人間』も、そんな風にあれこれ考えるのが楽しくなる作品ですね。各々個性的なメンバー、前衛映画、漁民、ウィスキー・・・こじつけかも知れませんが、そうやって意味を探すのって本当に面白いですよね。『日常生活の冒険』のボクサー、演劇・・そこらへんも気になります。あと、大江さんにとって、ウィスキーは美味しい飲み物だったのかどうか、これも気になります。なんだか、結構つらい場面に出てくるけど、どうも美味しそうで惹かれます。
 あと、三月二日の掲示板で、いとうさんが紹介されていた、大江さんと立花隆氏の対談!!!これも凄く面白いですね!!!!まさに聞きたかった内容でした。ごちそうさまです。でも、大江さん御自身が、初期の作品に満足されていない様で少しショックでした。それと同時に、最近の作品にも興味が湧いてきたので今度読んでみようと思いました。
 それでは、ホント、長々と勝手な事を書いてすみませんでした。そろそろテスト期間なので暴発してしまいました。今後気をつけますね。
 もう一度、感謝の念を込めつつ・・・・
2001/7/3, やまめ
「燃え上がる緑の木」を少しづつ読んでいます。もう2,3年になりますが、まだ第2部です。その間他に読みたい物があるとそちらを読んでいるのですが、先日全くたまたま「情事の終わり」("THE END OF THE AFFAIR" Graham Green 中央公論社 『世界の文学 50』田中西二郎訳)を読んで驚きました。

いきなり「信仰を持たない者の祈り」が出てきたのです。「ああ、こういう場合の祈りは私にも理解できるなあ」と思っていると、それが「回心」へと向かうのです。三者三様の「回心」があってそれぞれに共感できるのでした。

ちなみにここでも信仰に入ることが「跳ぶ」と訳されています。原文は何なのでしょう。

この読書体験を通して、「燃え上がる緑の木」がいっそう楽しみになってきました。偶然の巡り合わせが嬉しかったので投稿した次第です。
2001/7/2, うさぎ
ヒチコさんの、気持ち悪いという,その気持ち
よくわかります。性描写に関しては、文章だけでなく
映像や漫画など、あらゆるメデイアでいえることと
思います。特に男性作家の場合、相容れないことが
多いですね。歳だけの問題ではなく、その作家の資質に
よるとおもいます。

大江健三郎に関しては、初期の作品では、未消化な「物」としての
女性・性の描写が気になり気持ちわるいこともありましたが、
後期にいたっては、その女性がしっかり描かれているせいか
気にならなくなりました。それとも、彼自身の性に対する思いも
変わってきたのかもしれません。

大事なのは、自分の感性だと思います。
気持ち悪いという思いを大切にしてください。
2001/6/30, オサム
ヒチコさんへ
(ヒチコさんばかり、なんか狙い撃ちしてるみたいですみません。)
さあて 男女による性描写の感受の違い ですが、僕には それは、たしかにある とおもいますョ。
「ナチュラル・ウーマン」 僕も 2度ほど 読みましたが、
どうも 受けつけ得なかった。

多分 男性は 暴力に酔いやすく。
   女性は 甘美なものに酔いやすい。
                 のでは?

ちなみに「親指P...」は、健康な小説という印象を持ちました。
この小説は永久保存判として僕の書棚に納まってます。
   別に あれも読んだ、これも読んだ と自慢してる訳じゃないですよ。
少なくとも ヒチコさんよりは 長く生きているのですから、読書量が多いのは 当然でしょう。---ウン!

 で、僕は文学部出身
 ヒチコさんは美術系  読書量が違うのは しょうがないっネ。

              では、これにて!
2001/6/29, 市井
北の国からこんにちは、市井です。
ヒチコさんが性描写について書かれてますが、
或いは何らかのご参考になるかもと思いつつ書きます。

何年か前ゼミのために、性差による文章の性表現の受け止め方の
違いについて、調べたことがあります。
大江、永井荷風、村上龍、村上春樹、所謂ポルノ(作家名失念)、
司馬、山田詠美、谷崎、斎藤綾子等々の諸氏の性描写を羅列して、
感想を述べてもらうというアンケート形式の調査でした。
思ったようなデータは集まらなかったですが(プレゼンは大失敗)、
面白かったのは、書かれている人称によって
受け止め方が大きく変わるという結果が出たことでした。

あと大江さんの性描写(それは『洪水は〜』の「殺シテヤル」のとこ)
に対して、「匂い立つようなエロスを感じる」とか
「真の性愛には死のイメージが付きまとう筈だ」などと
書いた人がいて、「色んな人がいるなあ」とぼくは思いました。
なんのこっちゃという感じですが、
もう一度ちゃんと調べてみたいテーマでした。
以上です。
2001/6/28, ヒチコ
 みなさん、こんばんは。
 たった今、ミュージカルを見てきたところなので、物凄く変な調子なのですが、おおめに見て下さいね。

 オサムさん、
 有難うございます。オサムさんはいろんな方の作品を読まれるようですね。私も、沢山読んでみたい本があるのですが、まったく情けない事に読むのが凄く遅いのです。
 せっかく大江さんの作品に触発されたのだから、もっと沢山読んでみよう、と思い「死者の奢り・飼育」「いかに木を殺すか」「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」を買ってきました。凄く読みたいんです。読みたいんですけど、他にも沢山知りたいんです。・・・・あ−、でも、読めばいいのか・・・。
 何だか、そうやって、気になるものに手を出しては処理しきれなくなって、焦る。歴史の勉強などももしたいんですけどね。
 
 今日みたいに、舞台など見ても、言葉によるメッセージだけじゃないなー、とか思って放心状態になるし・・・
 なんだかなー。勉強不足なだけなんですけど。本の知識だけっていうのも耳年増(?)の危険性が・・・とか思って動け出せなくなったりしてます。やっぱり「日常生活の冒険」のメンバーはすごいな・・・
 そのメンバーにもいますが、作家の先生方って凄いなーって思います。どうしったて、作品を生み出すには沢山の時間が必要だろうし、その間自分と向き合ってるなんて、楽しいだけの作業じゃないですよね?マイペースでいられる強さ、というのか(言葉が適切じゃない気もしますが)いつも驚いてます。
 村上龍の作品は「69」しか読んでません。「限り無く透明に近いブルー」も読んでみたのですが、どうも途中でヘンな気持ちになって、読み切れませんでした。大江さんの「われらの時代」も読みはじめた時に、汗っぽいというか、気持ち悪くなってしまって(ゴメンナサイ)。でも、大江さんの方は、嫌だけど読みたい(?)という気持ちになって読み切りました。
 性描写?
 もしかしたら、今のほうが「限り無く〜」も、なんの違和感もなく読むかも知れませんね。
 性描写というか分からないけど、私は松浦理英子さんが不思議でたまらないです。あまり、現実的でない設定や、一般的でない設定だったりするんですが、妙に納得できるんです。凄くたんたんと、事細かに描写するんですよ。それが、全く汗っぽくない、というか・・・
 面白いです。「親指Pの修行時代」「ナチュラル・ウーマン」などがあります。
 そこらへんは、世代の違い、と言うより、性別の違いなのでしょうか?
 それとも、個人的な趣味(?)なのでしょうかね?
ホントに、気になる事が沢山あります。
2001/6/24, オサム
再び 書き込みします。
いま 午前3時 眠れぬまま こうして 書き込んでいます。
で たった 今 気ずいたのですが 『治療塔』『治療塔惑星』
について 触れられた方が 一人も 居られません。
これらの大江作品は『燃えあがる緑の木』『宙返り』の直前に
位置する 決して軽んじるべきでない作品だと 僕には思われる
のです。『燃えあがる... 等の(今から思えば)予兆さえも漂っています。

あえて 内容には 触れません。
ただ 近未来小説 と 言っておきます。

出版社は 岩波書店ですが、何分 80年代の作品ですので...
文庫 ないし 岩波ライブラリー版 が 出てるかどうかは
僕には わかりません。

    眠気がさしてきたので、これで。
2001/6/24, オサム
>ヒチコさん
ぼくも 祖父・父の代の作品ということでは 思い当たる作品がいくつかあります。
僕の場合は小説ですが...
北杜夫/楡家の人々
加賀乙彦/永遠の都----確かこんな表題だったとおもいます
 以上が今思い出せる作品です。---いずれも新潮文庫です。

後 講談社文芸文庫には かつての世相を写したものが豊富に
あるようにおもいます。---僕は読んだ事はないのですが...

僕は大江のファンですが 皆さんのように どっぷり とは
浸かっていないので 紋切り型の感想しか書けないと思いますが
今後ともよろしくお願いします。

>再び ヒチコさんへ
今の代の日本でしたら 村上龍を読んだらいかがでしょうか?
たとえば 『共生虫』『イン ザ・ミソスープ』『ライン』など
お薦め作品です。

>まさお さんへ
ぼくも 1958年生れ です。
たぶん 早生まれですので 一学年うえでしょうが...
また 僕も文学にはまって 大学受験一浪組です。
2001/6/23, いとうくにお
TAKAKOさん、こんにちは。大江さんの論文は出版されているのでしょうか。あるなら、僕も読んでみたいですが、話は聞いたことがないですね。どなたか、情報おもちでしょうないでしょうか。東大には保管されているのかもしれませんね。
まさおさん、吉行淳之介のお話ありがとうございます。とても楽しく読ませていただきました。露骨な性描写がないのにエロティック、ってのは面白いですね。
大江作品の性描写ということでいうと、「月の男」を思い出します。例えば「そういえば僕はついさきほど、女友達がすでに切れぎれな呻きのように発している、戦意喪失した小動物がなお小突きまわされて弱よわしく嘆くたぐいの、アッとかウウムとかいう声にかぶさるように、いかにも優しく長い溜息のような声が、性交中の男によってもたらされるのを聞いたように思う」というような表現に、相当な説得力を感じるんですよね。まあこれはけっこう露骨な描写かもしれませんけれど。
2001/6/23, まさお
 いとうくにおさん。
 吉行淳之介ですが、素材として性を扱った作品が多く、あるいは中年男性と女子高生といった設定自体(今じゃ誰も驚きもしませんね)、当時田舎の女の子たちに言わせれば「すけべ」「えっち」「おぞけをふるうわ」「まあ、いやらしい」といった具合。つまり吉行を読んでいると白い眼で見られるという雰囲気があったように思います。ただそのニュアンスは必ずしも敵意が込められているというわけではなく、例えて言えば、名うてのプレイボーイ(吉行のこと)を女の子たちが集まってひそひそと「ね、ね、ね、あの人遊び人らしいわよ。みんな遊ばれないように注意しなくちゃ。誰もまだ被害受けてなあい、そう、よかったわ。ね、ね、ね、いいこと、みんなして気をつけましょうね」と、実はソワソワ、ワクワクしながら噂話するといった具合でしょう。ただ私の母親あたりの世代、あるいはそこまでいかなくても10才ほど上の世代(美人の誉れ高いある女教師)からは、明らかに敵意を含んだかなりのプレッシャー(高校生が読むものじゃありません!)があったと記憶しています。

 高校生(いってみれば発情期)の私にとって、そこに漂う男女の隠微な性の香りが大きな魅力ではありましたが、露骨な性的描写自体はほとんど書かない人で、今時の小説に比べればおとなしいものです。しかし露骨に書かないことが性的でないということではなく、女体が匂ってくるようなエロチックさはこの頃の小説(渡辺淳一の小説は読んだことがないので無視)より明らかに吉行の方に軍配が上がるでしょう。ただ吉行淳之介は性そのものを描いたのではなく、評論家風に言えば、男女の性を通して人間の孤独の深淵を格調高く書き上げた作家、ということです。最近の書店では吉行の文庫がほとんど見あたらないのはまことに寂しい限りです。

 実はこの人は日本文学史上最高の想像力(この際大江健三郎の想像力論は無視)の持ち主の一人であったと私は思っています。この人の想像力を上手く表現するのは難しいのですが、例えて言えば、森奥深く、静かにたっぷりと水を湛えた湖があり、小石をぽちゃんと投げ込むと、波紋がすーっと静かに広がり、振動は確実に湖底にまでとどき、水面も水深も波紋の反射でひととき静かに揺れ、そして徐々にいつのまにか静かな湖面に戻るといった想像力の持ち主、感受性の持ち主、頭脳の持ち主だったと思います。水量、透明度、深度、静謐さ、そのどれをとってもこの人に叶う人はちょっといないような気がします。いつだったか丸谷才一さんが吉行淳之介のことを、あんなに重要な本を読んでいなくて、あんなに知的に見える人もいないというようなことを何かに書いていたのを読んだことがありますが、まさにその通りでしょう。ただ、吉行淳之介は様々な理由(プライベイト上の困難、病気持ちであること、小説という形式に対する懐疑、あまりにも良すぎる頭などか)から、必ずしもその才能をフルに発揮することなく亡くなってしまったと、私は勝手に考えています。
2001/6/23, TAKAKO
こんにちは、大江さんの卒論が読みたいんですけどどなたかどこに載っているか知っている方教えて下さい。全集に入っているのでしょうか?
2001/6/23, ヒチコ
 へべれけさん、有り難うございます。
 「忘れられた日本人」・・・興味深いです!!
ぜひ、探してみたいと思います。

 お茶の水にある、明大のライブラリータワーに潜り込んだら、やっぱり怒られるんでしょうか?あれは、かなり気になる・・・

 あと、まさおさんの青春時代のお話、とても素敵ですね。それぞれの、時代、世代ってこういうところにあるんだなぁって思いました。それぞれに・・・われらの時代?ですかね?
2001/6/22, ヒチコ
 みなさん、こんばんわ。
 今日、本屋さんを覗いてみたら、タイトルは忘れてしまったけど、こんな文庫が出てました。なにやら、戦後の小説、その時代らしい作家さんの短編を寄せ集めたものらしいです。
 とりあえず、これを読んでみようかな。

 大江さんの作品では「後退青年研究所」が載ってました。後は、三島由紀夫や、宮本輝さんなどが取り上げてあるみたいです。
 それと学校の図書館に「大江健三郎とこの時代の文学」という本があったので、これも読んでみたいと思います。どなたか、読まれた方いらっしゃいますか?
2001/6/22, いとうくにお
うさぎさん、はじめまして。周りにファンがいなくても、こういうふうにしてインターネットで語り合えるわけですよね。今後ともよろしくどうぞ。
2001/6/22, うさぎ
大学生のころから、子育てで大変だった時期をのぞき、なんとか
大江健三郎を読んでおります。
先日、HPがあるのを発見。うれしいかぎりです。ごくろうさまです。
でも、わたしのような世代でも、今の彼の作品を共有できるひとは
少ないです。隠れファンとでも言いましょうか。
しかし、いつも彼の作品に触れると興奮します。ぎー兄さんとともに
年老いていくのも楽しいですよね。魂のことを考えながら、、、、 
2001/6/22, へべれけ
こんにちは。

>ヒチコさん
おれとしては宮本常一の「忘れられた日本人」(講談社学術文庫)ですね。そのなかの、「土佐源氏」はひっくり返った。あなたが望むものと合致するかは自信がないけれど。

ところで、
「ハックルベリー・フィンの冒険」は、とても良かったです。
少年時代の大江健三郎が最も影響を受けた二冊のうちのひとつですが、これを読むと彼が「芽むしり 仔撃ち」を書いたって言うのが分かる気がします。「芽むしり〜」が好きな人は読んで損はないと思う。

*ハックルベリーって、コケモモって意味なんです
2001/6/22, いとうくにお
まさおさん、はじめまして。文学との出会いのお話、興味深く拝見しました。なんといいますか、文学との幸福な出会いを果たされたのだなという感じを受けました。ところで、吉行淳之介が女性には好ましからざる作家だったというお話も面白いですね。読んでいるところをクラスメートの文学好きの女子に見つかったりすると、「キミそんなの読んでるの?」と非難がましく言われるような、そういう作家だったのでしょうか。
2001/6/22, まさお
 始めてメールいたします。私は昭和33年、西暦1958年生まれの男子ですが、高校生の時に大江健三郎に出会い、頭がくらくらする思いをしたものです。
 当時の高校の現代国語の教科書には志賀直哉の短篇小説「城崎にて」のが載っており、私は授業でそれを読んで「なんだこれは?」「これが小説か?」と驚いた記憶があります。さらに教師がこの作品は「死」を描いたものなんだと解説するのを聞いて、「それはそうかもしれないが、なんだかこじつけだ、深読みだ」と密かに馬鹿にしていた記憶があります。つまり当時、私には「小説とはすなわち物語だ」という先入観があったため「城崎にて」は到底小説ではないと感じたのです。これが私小説への始めての出会いだったような気がします。しばしば外国人が日本の私小説を読んで大変に驚くということですが、当時の私も同じ体験をしたということでしょう。今としては若かった自分の未熟さを苦笑し、「城崎にて」も立派な小説だと認めるのですが、そのような高校生にとっては友人に勧められて読んだ大江の文章は私小説との出会いとは逆の意味で全く衝撃的でした。最初に「飼育」を新潮文庫で読んだのですが、その圧倒的な想像力に打ちのめされ、それ以前と以後とでは自分という存在そのものが変わってしまったように思います。それまでも現代国語の参考書に載っていた三島由紀夫の「金閣寺」のフェニックスを描写した一節を読んで、この世にはどうも素晴らしいものがありそうだ、その名は「文学」というもののようだ、と文学開眼の一歩手前あたりだったように思いますが、大江によって完全に、まさに文学開眼したのだと思います。その後は貪るようにして手にはいるだけの大江の作品を読み、さらに三島由紀夫、安部公房、吉行淳之介(ちなみに若い方には信じられないでしょうが、まだ当時吉行は好ましからざる作家と、特に女性からは見なされていたように思います。つまりこっそりと隠れて読まねばならない対象だった気がします)、丸山健二、開高健、安岡章太郎等々と戦後の日本の作家へと読書範囲を広げていったものでした。
 ところでその時期はちょうど高校3年生で、この文学開眼は当然受験勉強に影響を与え、結局一度大学受験に失敗するはめになりました。しかし別の言い方をすると私にとって最も大切なものとの出会いが受検などというものに阻まれなかったとも言えます。この世には面白いものなんかない、人生なんか意味無い、全くつまらん、とニヒルであった私を救ってくれたのです。
 私にとっては「大江健三郎」は青春そのものでした。そして私にとって「文学」は人生そのものです。これなくしては到底生きていけないというものです。ただ残念なことに今現在文学で生計を立てるという生活ではなく、本当は全ての時間を文学に費やしたいというのが本音で、そこが現在頭痛の種と言えば種ですが、まあいいでしょう。
 大変素晴らしいホームページ、これからも続きますように。ご健闘祈ります。
2001/6/21, いとうくにお
市井さん、「今の学生だって大江健三郎を読みますよー」とバイト先の方に教えてあげてはどうでしょうか。
ヒチコさん、「祖父の代、父の代、私の代の日本」ですか。うーむ。出たばかりのエッセイ集『「自分の木」の下で」には、祖母、母、自分というような話はありましたね。ただ、それぞれの世代の日本というような話ではありませんでしたけど。どなたか、ヒチコさんの質問にご回答を!
2001/6/21, ヒチコ
 こんばんは。
 それでは早速、質問ですが・・・いや、質問ではないのかな?気ばかり焦って上手く言えないのですが、こういうジャンルのお勧めの本を御存じの方ありませんか?
 祖父の代、父の代、私の代の日本????

 ずっと問題意識というかそういうものがなくて、というのも余りにぼんやりと「やさしく」過ごしすぎていたので、自分が何もやり出せないで欲求不満だということに気付かないでいたのです。・・・それで、何だか、少し大江さんの作品に触れて、わああああああってなりました。(説明不足ですみません。)
 自分なりにテーマが見えてきて、この私の世代にとって今の日本を(自分に与えられた環境という規模になると思うのですが)考えてみたくなったのです。
 何と言うか、自分の「無知ぶり」に関心があって、なんか何なんだろうなあと思ってます。
 昔よりも色濃くない日本色????何も分からない私はどこの国の人?????
 大江さんの作品は、不燃ゴミのようにボテッとしていた私になにか行動を起こさせてくれるみたいな、そんな気がします。製作意欲がむくむく湧いています。
 主旨の伝わらない内容でゴメンナサイ。
2001/6/20, 市井
北の国から、こんにちは。市井です。
今日バイト先(某新聞社制作部)で、
仕事の合間を縫って久々に『個人的な体験』を
読んでいました。すると社員さんが近付いてきて一言:

「昔の学生みたいだねー」

絶句。ぼくはちと大学に長くいるとは言え、
現在進行形の「いまどきの学生」なのですが。
それにしてもステレオタイプ化された昔の大学生は、
大江作品を携えていたのでしょうか?
少なくともうちの父親の本棚には、大江作品は無かったです。
2001/6/19, いとうくにお
ヒチコさん、はじめまして。『日常生活の冒険』は人気が高いですね。僕も好きです。質問がおありとのことですが、遠慮なくどうぞ! 僕はわからないと思いますが、きっと誰かが回答してくれるでしょう。
2001/6/19, ヒチコ
初めまして。最近になって大江さんの作品を読みはじめたものです。
 「われらの時代」「日常生活の冒険」「見るまえに跳べ」を読みました。
 何というか「日常生活の冒険」が好きで好きでたまらないといったカンジです。斉木犀吉が、もう本当に最高。いや、卑弥子が最高。あんな女になりたいですね。
 色々、みなさんに質問があったのだけどまとまりそうにないので、また次回書きますね。
 そうだ、自己紹介を忘れていました。21歳の美術系の大学に通う学生です。この場を借りて色々学習していきたいので、よろしく御指導おねがいします。
2001/6/19, いとうくにお
SHEEPさん、こんにちは。リーリーリーのピンチランナー調書ですね。僕のほうは、『見る前に跳べ』を中断して、『「自分の木」の下で』を読んでいます。サイン会もあったようですが、行かれた方いらっしゃいますか?
2001/6/19, SHEEP
いつも優しく、コメントいただきましてありがとうございます。
前回「挫折」してしまった「ピンチランナー調書」のちょうど半分、
第六章を読了いたしまして、ここからが、わたしの新しい領域なのだなと
感じておる次第であります。
率直に申し上げれば、数ヶ月前より、すんなりと読むことができそうです。

バラバラーっとページを繰ってみれば、中野孝次氏の解説が、わたしの
気持ちを代弁してくれているように感じました。

「ひとはだれもがそれぞれのうちに地獄をくわえこみながら、ひとつの同じ
 時代を生きていく。このうちなる地獄は他者による代替不可能なものである。
 そこには憐憫も同情も届かない。
 なぜならそれは、他人がとって代ることのできぬ、一回限りの、当人だけに
 課せられた宿命−大江健三郎の言葉にいう「個人的な体験」−共通化
 しえない問題だからだ。」

いとうさんと、このサイトに出逢えたことを、こころから感謝しています。
白石さん、どんなご縁かわかりませんが、ありがとうございました。
2001/6/15, いとうくにお
ぴよさんもSHEEPさんも、ご感想ありがとうございます。M/Tはこの間読んだばかりなので、自分にも話が通じやすいです。あと、SHEEPさんお勧めの「青年の汚名」。とても読みたくなりましたが、いまのところまだ「見るまえに跳べ」を読んでいるし、「「自分の木」の下で」も明日あたり届くだろうし、「青年の汚名」までたどりつくのはだいぶ先になりそうです。
2001/6/15, SHEEP
「M/Tと森のフシギの物語」「青年の汚名」読了しました。
前者は、「死と再生」のテーマを宇宙論的に展開したスケールの大きさを感じました。
「懐かしい」という感情の喪失、「救済」という人間社会につきつけられた課題、
といった普遍的なテーマについて、読むほどに大江さん(!)の見つめる問題の
深さに圧倒されました。
後者は、異色の小説ですが、おもしろさという点では、群を抜いております。
これはオススメですね。「荒若」というのは、やはり一種のトリックスターだと思います。
ラストの意外性が、読後感に微妙な色合いを与えています。
全体を俯瞰すると政治と個人の関わりを強く打ち出して、読者に感情移入を迫る
ちょっと「ハードボイルド」ふうな文体の作品でした。
少し、暗く重いのが、人によってはあまり好まれないかもしれませんが。
気分転換に(!)、「ピンチランナー調書」読み始めました。
2001/6/14, いとうくにお
このところ忙しくて書き込めませんでした。
西永さんがお探しのものが『響き合う父と子』なのでしたら、NHKがビデオを販売していますよ。
http://www.nhk-sw.co.jp/view/view.phtml?html_id=210
TAKAKOさんのようにその講義を聴講してみたいと思われる方は、ここにはけっこういらっしゃるかもしれませんね。
2001/6/14, TAKAKO
こんにちは。ビデオのことですが、特別番組の「響きあう父と子」〜大江健三郎と息子光の30年〜でしょうか?
それならば自分で録画したのがあります。他にも気が付けば録画していますので
もしそれでないようならば、探してみます。
takako_h@geocities.co.jp

その講義は聴講できるでしょうか?できれば聞きたいのですが。

TAKAKO
2001/6/12, 西永
現在ある短大で講師を務めております。
講義で健三郎を取り上げるべく用意していますが、
確かNHKで光君との関わりに関する番組がかつてありました。
これがビデオとして販売しているか、御存じでしょうか。
またどなたかお持ちの方はおられますでしょうか。
お知らせ頂けましたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
2001/6/11, ぴよ
こんばんは。
今「小説のたくらみ、知の楽しみ」と「M/Tと森のフシギの物語」を読み進めています。
「小説の・・・」のTの1にある「異化」という手法についての話ですが,これは私たちの生活をいい方向へと導いてくれるものではないかと思いました。
流されているなと思いつつも,その波に逆らおうとはしていない,逆らうことはできないと感じているいろいろの事象。
その波に逆らう手段として「異化」は有効な手段であり得るのではないだろうか,と感じるのです。
以前読んだときは「小説の書き方ってあるんだ〜」位にしか感じなかったこの部分が,自分に対してこんなに訴えかけてくるとは少し驚いています。
小説の読み直しって「おもしろいなあ」と改めて認識しました。
わたしも少しは成長してるのねとうれしくもあり,書き込みさせていただきました。 ^◇^
2001/6/7, SHEEP
今日の「北海道新聞」夕刊に大江さんの記事がでていました。
http://www.hokkaido-np.co.jp/News/general/0025/0025.article.shtml#200106079966

「M/T」はようやくラスト第五章に入りました。ここがこの作品のポイントになっているように
思うので、これからじっくり読みます。
次は「青年の汚名」を読むことにします。
2001/6/6, 海の怪物ゲラッパ
『河馬に噛まれる』を長距離バスに置き忘れて以来、大江作品からは離れていたんですが、『日常生活の冒険』を読みだして、やっぱり感じるもんがあるなぁと思ってます。(「自己欺瞞」のおとしまえは一体どうなるもんだか...)
2001/6/5, 芹田裕
>オサムさん、いとうくにおさん
質問にレスどうもありがとうございました。
すばるの3月号ですね。早速調べてみようと思います。(^o^)
今後ともどうぞよろしく。
2001/6/4, 玄
いとうさん、おひさしぶりです。
白石ヒロさん、登場人物が焼死するシーン、
『ピンチランナー調書』『宙返り』にもありましたよ。
それもクライマックス。衝撃的でした。
大江文学において、炎上というのは樹木と共に重要なイメージです。はっきりと、その意味づけをすることは難しい(僕にはできません)ですが、大江氏の小説を読み、想像を膨らませる過程で、炎は大切なカギになっていると思います。レイン・ツリーもテン窪大檜も燃えてしまいました。ただ、燃え尽きて終わりではなく、そこからまた始まる、という指標のような意味合い… うーん、やっぱり難しいです。
大江文学の「意味づけ」について、筒井康隆氏が「極私的大江健三郎論」(小学館・群像日本の作家23で読みました)で語っています。「雨の木」などのすばらしいイメージをいちいち説明するための文章を書かなくてはならない大江氏に、筒井氏は同情を隠し切れない様子。2人共、何かと叩かれることの多い作家ですが、僕は大好きです。
話がずいぶん飛びました。お許しください。
白石さん、揚げ足を取って申し訳ありませんでした。
それではまた。
2001/6/4, ジャッカル
皆さんどうもありがとうございます。ところで、なぜそのことが気になったかと言うと、芥川賞作家の宮本輝さんの「焚火の終わり」に同じようなシチュエーションが出てくるのです。そのことを大江ファンの皆さんはどう思いますか? よろしければご意見をお聞かせください。それでは、また。
2001/6/4, 白石ヒロ
ジャッカルさん 山崎さんが
おっしゃる通り その 作品は 私も 核時代の森の隠遁者 だと思います。他に 懐かしい年への手紙のなかにも ちょっと 出てきます
ギー兄さんから Kちゃんへの 手紙に 森の御霊の扮装で、枯葉のついた柴を全身にまとわせて、焚火の周りで踊り廻ったあげく焼死する隠遁者ギー とありますが、小説のストーリー として 出てくるのは、核時代の森の隠遁者 だけだと思います。
2001/6/4, 山崎
ジャッカルさん。短中編集「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」の中の1篇、「核時代の森の隠遁者」で、隠遁者ギーが焼死するシーンがあります。ちなみにこれは「万延元年のフットボール」の後日談のような話です。

年代順に追体験しているわたしが、「懐かしい年への手紙」まで読み進めた中で、登場人物が焼死するのは、これ以外には思い当たるものがないのですが、いかがでしょう。もっとも、わたしの記憶力はあまりあてにならないですけど。
2001/6/3, ジャッカル
大江さんの作品で内容は覚えているのですが、タイトルが分からない作品があります。なにぶん高校時代に読んだもので、詳しいことは覚えていないのですが、キャンプファイヤーのようなものに人が飛び込む作品なのです。どなたかタイトルを知っている人がいれば、教えてください。お願いします。
2001/6/1, いとうくにお
SHEEPさん、快調に読破してってますね。脇役といえば、『芽むしり仔撃ち』の弟なんかは、なんとも切ない存在感がありますね。
「ロックだなあ」というぼやっきーさんの感想に、山崎さんが感応されてましたが、ロックと文学というのは共通項をもつものかもしれませんね。山崎さんが紹介してくださったロックバンド「遅れてきた青年」の存在がそのよい証拠といえるかも。
香枝さん、はじめまして。カエさんとお読みすればよいのでしょうか。たとえ読んだのが三作だけであっても、ファンを名乗る権利は十分あるのではないでしょうか。一冊でファンになるということだってあると思います。また気が向いたらご投稿ください。
2001/6/1, 香枝
初めまして。香枝と言います。
大江作品は三作しか読んでいず、しかもそのうちの
一つは小学校の時に読んで何も覚えていない、
ファンとはとても言えない者ですが、この掲示板が
あまりにおもしろかったので、書き込ませてもらいました。
これからぼつぼつと、読んでいきますね。
柳田邦男さんの「犠牲」を読んでから、大江さんの小説を
読もうとして、ここにたどり着きました。
今後とも、時々立ち寄らせてください。
2001/5/30, SHEEP
「芽むしり 仔撃ち」読みました。
閉ざされた谷間の村という状況設定が、独特の小説世界をつくり
だして、少年たちのあるときは「パセティック」な、またあるときは悲しみや
恐れ、愛情、そういった心理描写を浮かび上がらせているようです。
終わりちかくの「村長」の、極悪な「キレ方」が、わたしはものすごい
リアリティーを感じました。
疫病に罹った女の子の描写もひどく心に迫るものがあります。
全体に、人間の生活と自然との関わりのむこうに、光と影が映像のように
浮かんできます。
小説の終わり方は、読者それぞれにその後を考えさせるようにしてあって(?)、
のちに「「芽むしり仔撃ち」裁判」という作品として、新たに書かれているのも
うなづけるような気がします。(わたしはまだ読んでません)
大江さんはこういう、読んでいてひっかかるような文体でない作品も、初期に
書いておられたのですね。すいすい読まされました。
ワキ役の登場人物がそれぞれもっと描かれていればいいのにな、
という気もするのですが。おそれながら(笑)

山口昌男の「文化人類学への招待」読んでいるのですが、おもしろいですね。
「M/T」も、ちらっと読みはじめましたが、次から次へと展開していって、
早くも引込まれております。
2001/5/29, 山崎
ぼやっきーさんの書き込みの、「本当にロックだなあ」の部分には、思わず「そうだ!」と肯いてしまうほどシンパシーを覚えました。

ロック音楽にそれなりに馴染んできたわたしにとって、自身の中にある狂気と向き合い、目を逸らさず、書き続けることを自己治療としてきたかのような大江氏の仕事は、ある種のロックミュージシャンによる仕事に重なって映っていたもので。

渡辺一夫も是非読んでみたくなりました。
2001/5/28, オサム
今年の正月以来の2度目の おじゃま です。
さて、
芹沢さん お捜しの雑誌は多分
「すばる」2001年3月号ではないでしょうか。
出版は 集英社です。
ただ 大江氏・井上ひさし氏と(名前は失念しましたが)評論家の鼎談ですが...  確かに200頁ぐらいの分量です。
僕も持っていましたが、ぜひ欲しいと云う友人に譲ってしまいました。...       では
2001/5/28, いとうくにお
アミーゴさん、はじめまして。もう大江作品を読まれることがないとしても、大江さんの文章で得られたものがあったのでしたら、よかったですねと私としてはいいたいです。10年後くらいに、またフッと読みたくなることもあるかもしれませんし。
芹田さん、はじめまして。残念ながらその雑誌のことは私にはわかりません。どなたかご存知ないでしょうか?
2001/5/28, SHEEP
ブック・オフで島田雅彦の「語らず、歌え」というエッセイと、佐々淳行の
その名も「連合赤軍「あさま山荘」事件」という本を、安かったので
衝動買いしてきました。
「M/Tと森のフシギの物語」の同時代ライブラリー版すでに持っていた
のですが、半額で片隅に埋もれているのを発見して、
これも買ってしまったのでした。(だって美本なんだもん)
とにかく、「芽むしり 仔撃ち」の次は「M/T」を読みます。
大江ファンにはかなり人気の高い作品のようですが、わたしも
とても楽しみです。
それこそミーハー的に好きになってしまいそうなフンイキを、
すでにわたしの目の前で、2冊の「M/T」が放っております。
うーん、いかんいかん、ブンガク様なのだ。しかし。

読書は、いろいろな読み方ができるところがおもしろいのですね。
2001/5/28, ぼやっきー
>皆様へ
無事注文しました
ありがとうございました

三島由紀夫については、渡辺一夫の本「寛容について」の中に
大江さんが文をのせてられて「架空聴講記」と言う文章なのですが、
割腹自殺について、渡辺一夫は「また始まった」と感じられたらしい。
インドから帰った大江健三郎と渡辺一夫の会話について、それ以上詳しく書いてはいないのですが、率直でいい文だと思いました。

渡辺一夫の「狂気について」は本当に名文だと思うのですが、私のいいたいことを言ってくれて嬉しいかぎりです。

真に偉大な事業は、「狂気」に捕われやすい人間であることを人一倍自覚した人間的な人間によって、誠実に執拗に地道になされるものです。

本当にロックだなあ、泣きそうになります。
2001/5/28, ITTEN
ももも、も、盛り上がっていますね。渡辺一夫「狂気について」を、筑摩書房のの千円の文庫文学全集みたいな『渡辺一夫』で読んだような記憶が。これは簡単に手に入るのではないでしょうか。「狂気について」が載っていなくとも、買って読んで損はないと思われマス。
2001/5/28, 芹田裕
前略
はじめまして。
私は大江健三郎の一ファンですが、お願いがあります。
とある文芸雑誌で今年の1月号か2月号かで、大江健三郎特集
(内容は大江健三郎と10人が対談、全200ページ)
が出版されたはずですが、買いそびれてしまい、
出版社、雑誌名、何月号か等何も解らない状態なのですが、
知っている方、ぜひ教えていただけませんか。
よろしくお願いいたします。
2001/5/27, アミーゴ
「新しい文学のために」を読んだのをきっかけに、私の中の全ての言葉が全部一致して、大江さんのメッセージだけでなく、「ひかりごけ」や三島由紀夫のメッセージも全部わかりました。これで私も晴れて、人に励ましの言葉を言える確心をつかみました。だからもう大江さんの作品を読むことはないと思います。これからは私の言葉で誰かを励まして行こうと思います。
大江さん、ありがとうございました。
2001/5/27, いとうくにお
SHEEPさん、「「罪のゆるし」のあお草」のご感想、ありがとうございます。三島由紀夫のことですが、朝日新聞に「三島由紀夫と楯の会に、自衛隊が情報員訓練 元幹部証言」という記事が25日に掲載されていました。三島由紀夫は自衛隊に体験入隊をしていたそうなんですが、やがて情報員としての訓練も受けるようになったそうです。「都心で変装して尾行をしたり、グループに分かれてひそかに連絡を取り合ったりするなどの訓練もあった。三島自身も労働者に変装して簡易宿泊所街に入り込んだこともある」そうです。
2001/5/27, SHEEP
「「罪のゆるし」のあお草」読みました。
それまでの作品群を統合したような多彩な小説世界で、
大江さんのお母様が登場しておられますね。
わたしはまだ結婚もしておりませんので、「親」という立場から
小説を読み取ることはできないわけですが、ヒカリさんが
成長していく姿と、四国の森の深い関わりを考えながら読めば
いろいろな思いが浮かんできます。
子も親も、ともに成長していくものではないかと思います。
「ピンチランナー調書」の親と子の「転換」も、どこかで大江さんが
書いておられましたが、「ナラティヴの転換」を表現したかったそうですね。
そのように複雑に絡み合って、現代のわたしたちが存在している
ということではないかと、わたしは思います。
子供の無垢が大人と対決するストーリーの「芽むしり仔撃ち」を
実はまだ読んでいなかったので、早速読むことにしました。
ところで、いとうさん三島由起夫のニュースってなんですか?
ぜんぜん気がつきませんでした。

渡辺一夫の「狂気について」は、「スーパー源氏」という検索エンジンで探したら
「古本文庫横丁」というところに在庫あるようです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~BUNKO/
2001/5/26, いとうくにお
ぼやっきーさん、はじめまして。『狂気について』をアマゾンで探してみたら「在庫切れ」。ブックタウン神田という神田の古書店街のデータベースも調べてみましたが、ヒットなし。やはり現状は入手は難しいのかもしれませんね。
2001/5/26, 白石ヒロ
SHEEPさん こんにちわ 再度 白石です。
新しい人よ眼ざめよ を 読了される と書かれているのを見て また 私も 読み返したくなりました。もうすでに 6、7回 読んでいますが それでも まだ 触手を動かされる程私にとって 魅惑的な 作品です。
飼育等の 短篇の 直後 読んだ この 新しい人よ… によって 開眼されたというか、大江文学に ハマった 私の メモリアル、ノベル なのです。
この作品に出会わなければ、大江ファンになることもなかったでしょうし、難解な作品の 峠を乗り越えることもなく 投げ出したでしょうし 、あの 大江山の 森に 奥深く 入ってみたい 衝動も 湧かなかったと思うのです。
どこにそんなに 惑かれたか? お恥ずかしい次第ですが、私の関心は SHEEPさんのように ブレイクの世界観 に通じる 大江文学の コンセプトとかの 正統派 の 文学的 理解とは 程遠い 全くのミーハーな理由からで 大江氏 個人の人間性に 興味を持った 惚れてしまったという単純な理由からでした。あの 新しい人よ…の 登場人物が すべて 大江家の 御家族とダブってしまいもっと 大江氏のことが知りたい 光さんや 御家族のことが知りたいと 思ったからで 、いわば 邪道的ファンでこういうファンは 先生にとって ご迷惑な存在だとは分かっているのですが 止められません。従って ご家族が沢山登場する作品が 特に 好きで何回も 読んでしまうわけです。
これから SHEEPさんが 読まれる予定の 罪のゆるしのあお草も その意味でやはり 大好きな作品です 。 お母様 の 素晴らしさ が 煮染み 出ている (勿論ここに書かれていることは フィクションでしょうが)、お人柄とかキャラクターは実物を反映されてると私は勝手に解釈していますので。そして この母にして この子息ありといつも 溜め息ついてしまいます。やはり 瓜の木に なすびは成らぬ、突然変異ということは あり得ないのだ と 納得します。残念ながら。
2001/5/26, ぼやっきー
どうもはじめまして
大江けんざぶろうファンです
いやー漢字の多いページっすねえ
うーん、軽い文章ですみません
最近、大江氏の師匠である。渡辺一夫のエッセイに
はまりまして、図書館で借りてたんですが、
かなり、欲しくなりましてしかし、絶版。
「狂気について」の文が入っていればどれでもいいんですが
「狂気についてなど」「暗中模索」とかがほしい。滋賀在住なんですが
どこで、売ってますかねえ。ではでは
2001/5/26, いとうくにお
SHEEPさん、こんばんは。あの文学事典、僕は図書館でちらっと見たことがあるだけなんですが、改訂もされているんですねえ。いずれ『宙返り』や『取り替え子』も載るのでしょうか。ところで「蚤の幽霊」には、Mという呼び方で三島由紀夫のことが出てきますが、昨日、彼についてのニュースが報道されていましたね。
2001/5/26, SHEEP
「大江健三郎文学事典」という本をネットで見つけて買いました。
古本でも¥3,000もしました。以前、わたしの街の図書館で旧版を
読んでいたのですが、新版は「燃えあがる緑の木」まで
カバーしているので、これで少し、この掲示板のみなさんの
過去の書き込みが理解できそうです。
まだ、「宙返り」「取り替え子」はおろか、読んでいない作品が
いっぱいありますので。
もうちょっとで「新しい人よ眼ざめよ」を読了します。
わたしは、「イーヨーの妹」というキャラが好きです(笑)この本の
なかでは「蚤の幽霊」というエピソードが気に入りました。
全体を通して、ひとつひとつの挿話がページから浮かび上がってくる
ような作品ですね。
おそらくは、ブレイクの世界観が作品に大きな広がりをもたせている
のだろうと思います。
さて、次は予定どおり「「罪のゆるし」のあお草」を読むことにします。
2001/5/23, いとうくにお
けんたろうさん、はじめまして。先行する評論を踏まえて小論を書かれるということでしょうか。「人間の羊」に的をしぼったものとなると無いかもしれませんが、大江文学を扱った評論はいくつか出版されているので(アマゾンで検索するとけっこう出てきますよ)、そのなかで部分的に「人間の羊」が登場するということはあるかもしれませんね。
2001/5/23, けんたろう
はじめまして、けんたろうともうします。
ネットで検索して、ここに辿り着きました。
私は今、授業で大江さんの「人間の羊」を与えられて
それに対する発表のための小論を書いているのですが、
「人間の羊」に的を絞った資料がほとんど見つからず困っています。
どなたか人間の羊について書かれた本、雑誌等について
知っていらっしゃる方がございましたら、
教えていただけますでしょうか。
はじめての書き込みで大変申し訳ございませんが、
宜しくお願いいたします。
2001/5/23, いとうくにお
ぴよさん、はじめまして。同じ作品なのに自分の年齢や状況によって印象が大きく異なるってことは、ありますね。「挑戦」の成果があがりましたら、感想をお聞かせください。
2001/5/22, ぴよ
初めまして。
私は高2の秋頃から大江健三郎さんの作品を読むようになりました。
その頃は「こんな難しい文章って・・・」と読書と言うよりも,挑戦といった感じで作品に向かっていました。
20代半ばから,何となく自分の経験と照らし合わせて読むことができるようになり,作品の内容に対する感想を持つことができつつあります。
でも今は読む時間が取りにくいという状況で,学生時代のぼんやりと過ごした時間を(それはそれで意味あるモノであったと思いますが),少し現在にまわせないかなぁ,と思っています。
少しずつ作品を読み返して,そしてまだ読んでいないものには,あっやはり挑戦という言葉がぴったりかも・・・感想を聞いていただきたいなと思っております。
またおじゃまさせてくださいね。  ぴよ^◇^
2001/5/22, いとうくにお
TAKAKOさん、こんにちは。大江さんはキリスト教に対してすごく親近感をもってらっしゃるようですよね。宗教者に対する敬意も感じられます。ただ、大江さんご自身は信仰を持つというところまではいかない。ここからは僕の勝手な想像にすぎませんので、いろいろな意見や考えもある中のひとつということで聞いていただきたいんですが、信仰心というのは、近代的な合理主義とは別の場所に立たないと持ち得ないものだと思うんです。合理主義の延長線上にあるとしたらそれは宗教ではなくて哲学ということになると思います。宗教が宗教であるためには、合理主義というところから何かしらリープ(跳躍)が必要だろうと。具体的にいうなら、例えば神が存在するということを信じるには、合理主義よりも宗教的直感を優位に立たせないことには不可能ではないでしょうか(二つは必ずしも対立するものではなくて、一人の人間が合理主義の精神を持ちながら、厚く信仰するということも可能だと思います)。大江さんは行動の面では跳躍することがある人らしいですし、小説にはいろいろと不思議なエピソードを盛り込んだりされてますが、考え方の部分では合理主義から離れるということがないのではないでしょうか。つまり信仰への境界線をまたぐことがないと。しかし宗教・信仰を無意味なもの、非合理的なものとして片付けるのではなく、そこに大きな価値も認め、信仰のない者にも祈るような瞬間があるのではないかと主張されたりもする。これが僕の印象です。繰り返しになりますが、これは僕の個人的な意見で、他にもいろいろな見方があると思います。
2001/5/22, TAKAKO
こんにちは。感想ありがとうございました。いとうさんに質問なんですが、大江さんがぎりぎりのところで踏みとどまっているというのはよく言われることなんですが、その言い方で言うと宗教を持っている人というのはあちら側に行ってしまっているのでしょうか?大江さんは宗教を持っている人というのをどのように考えているのでしょうか。
私も大江さんのビジョンにはとても共感するのですが、大江さんが最後まで抵抗し続けるという宗教との違いというところがはっきりとらえられません。
2001/5/22, いとうくにお
岡田さん、こんにちは。僕の書いたことが参考になったのでしたら嬉しいです。あれであたっているかどうかわかりませんが、僕としては引用した文章のような生の捉え方にすごく納得がいきました。
SHEEPさん、こんにちは。「キルプの軍団」、読みたくなってきました。大江さんが学生運動などに関心をもつ背景ですが、まず単純に大江さん自身が若い年代で作家となったことから、世代の近い学生たちの行動に自然と関心が向いたということがあるかもしれませんね。浅間山荘事件については、90年代のオウム事件と同様の社会的インパクトのある出来事だったので、同時代の作家として課題を突きつけられるふうだったのではないでしょうか。。
2001/5/22, SHEEP
「キルプの軍団」という作品は、大江さんの初期・中期(?)のものと
くらべると、なんというか、オーちゃんのやさしい語り口調もあって、
かえって大人が冷徹に主題を追求している感じもします。
ちょっと、高校生と過激派というのが−少なくともわたしは−
結びつかないというか、大江さんの世界ならではなのですが。
ブレイクの詩に端を発する「罪のゆるし」の主題について
これから過去の作品を読んでみたいと思っています。
「ピンチランナー調書」にしても「河馬に噛まれる」にしても
大江さんが一貫して60・70年代の学生運動/左翼赤軍にこだわり続ける
背景にどのような思想(?)があるのでしょうか。
読み物としては、やはりといいますか、たいへんおもしろい
冒険談になっております。
オーちゃんという少年が大人たちとかかわって経験したことを
乗り越えていく「通過儀礼」の物語でもあります。
わたしは、自分の10・20代と重ね合わせて読むうち、
大江さんが[あとがき]でも書いておられるように、小説の
[治癒力]からある種の[励まし]を与えられたように感じました。
読みが浅いため、わたしの感想はこんなものですが、ほんとうに
大江文学は万人にとって楽しめる深さを持っておりますね。
2001/5/21, 岡田ehime
巧くまとまらないのですが言いたくて。
5月18日付けのいとうさんの
HASEBEさんへの返答を読んで、
私自身が大江さんに惹かれるわけの一つがわかった気がしました。
あちら側をのぞき込んで尚踏みとどまることの
難しさ、必要性・・・。
大江さんの死生観も、今の私にはぴったりきました。
M/Tも早く読んでみたいです。
2001/5/21, いとうくにお
志乃さん、はじめまして。テスト前って、やたらと本が読みたくなったりするものではないでしょうか。(笑) 僕は高校生のころ、国語のテストの前に筒井康隆を読むとよい結果が出ると、勝手にジンクスを決めて実践していました。大江作品だと、どうでしょうか。
2001/5/21, 志乃
最近「セヴンティーン」を読んで大江文学にハマりました。今日も明日もテストなんですけどついつい。
性格というか…自分は「性的人間」のジャズシンガーに凄く似てる気が。
また遊びに来ます。
2001/5/20, いとうくにお
とわたかしさん、はじめまして。大江作品もお好きなのでしょうか。感想などもお聞かせ願えるとうれしいです。
2001/5/20, とわたかし
私は小説や詩を書いています。ようやく私の作品や他の芸術家のことを紹介しています。是非見てください。
  http://homepage2.nifty.com/lovepb/
2001/5/19, いとうくにお
ちゃまんさん、こんにちは。シーシュポスの話は、仏教の「賽の河原」を連想させますね。人間は努力が無駄に終わるということに対する根源的恐怖があるのでしょうかねえ。関係ない話ですみません。
2001/5/19, ちゃまん
 こんばんわ。ちゃまんです。
 「群像」に載っていた、山城むつみ氏の「追憶と反復」という大江さんの『取り替え子』論が気になってまして、ちょっとそれに絡めて雑感を書いてみます。
 以前、大江さんは、人類の歴史における、いやになるぐらいの繰り返し(ある意味で進歩のなさ)を認めつつも、その繰り返しの過程で微妙なずれが必ずあり、どんな繰り返しも全く前回と同じではないこと(そのわずかなずれにこそ意味がある)ということを書いておられたと思います。
 また、「懐かしい年への手紙」の最終部分では、ダンテの「神曲」の1シーンに重ねて、人間の生において際限なく営まれる反復、あるいは繰り返しを、手放しではないながらも、ポジティブに捉えようとする意志が感じられました。
 怠惰、享楽へ流れやすいこと、それに対する反省、そしてまた同じ失敗を繰り返す、という人間の業を、一面においてそこにこそ人間の存在の意味があると考えてみたい。たとえば、実益につながらないような文学に読みふけっている時の私は、妻から見れば、怠惰の一言に尽きるようですが(笑)、また私自身女房子供を泣かせてはいかんと反省するわけですが、同時にそれが俺なのだ、と開き直る自分もいるわけで ……だいぶレベルが下がりましたが。

 山城氏の評論では、小林秀雄の、子供をなくした母親の悲しみ(追憶)を例にした 生(歴史)の一回性に対する「冷徹で酷薄な認識」と対比して、キルケゴールの「反復」が重要なカギとして出てきますね。以下、ちょっと引用しますと、

  …キルケゴールは、「思い出」すなわち追憶(アナムネシス)と同一でありなが
  ら方向が正反対の運動として「反復」を考えた。追憶が後方への反復であるな
  ら、反復は前方への追憶なのである。

   キルケゴールは、小林とともに「一度起つて了つた事は、二度と取返しが附か
  ない」と出来事の一回性を洞察しているのだが、その瞬間、まさにその洞察の
  徹底性ゆえに後方から前方へと向き直る。過去に向かって「悲しみ」として備給
  されていた情動を、喜びとして未来へと向け直す。

   言うまでもなく、「反復」は単なる繰り返しではない。同時に取り返しでもあ
  るような繰り返しである。初回があり、その二回目が初回を繰り返すのではな
  い。「反復」する前に初回は存在しない。「反復」することによって初回が後方
  に存在するようになるのだ。「反復」とは、だから、結果として後方に初回が浮
  び上がるように前方に運動せよという倫理であり、そのような運動によって初回
  を後方に存在させよという命令である。「原初(もと)の状態」(キルケゴール)
  ──たとえば「才能にあふれて美しく、多くの人から愛された」吾良──の一回
  的でかけがえのない単独性は、二回目、三回目を「反復」するまでに、そのこと
  によって二重にも三重にも存在させられ、取り返されるのである。

 私自身は、一読して大江さんが敢えてスキャンダルという通俗的なものに踏み込ん でまで表現しようとしたものがあるはずだと思いながらも、印象が形にならず、もやもやしていたことが、なるほど図式化すればこういうことかもしれないと思ったので した。
 皆さんはいかがお感じでしょうか。特に、哲学をやってらっしゃる方にとって、この「反復」という考え方は当たり前の認識なのでしょうか。私にはかなり新鮮だったのですが…。
 たまたま他の書物の関係で読んでいたカミュの『シーシュポスの神話』にも、幾分 かは重なるような「反復」の捉え方がありましたので、紹介だけ。
 神の怒りにふれ、巨大な岩を山頂まで運び上げる刑罰をシーシュポス(シジフォ ス)は科せられるのですが、岩は山頂にやっとのことで運び上げられるたびに、それ 自体の重さでいつもころがり落ちてしまい、シーシュポスはそのたびにとぼとぼと岩 を追って山を降りて行くわけです。人間が背負わされた原罪に対する処罰として の徒労の逸話として有名ですが、それについてのカミュの考え方はこうです。

   こうやって麓へと戻ってゆくあいだ、この休止のあいだのシーシュポスこそ、
  ぼくの関心をそそる。石とこれほど間近かに取組んで苦しんだ顔は、もはや
  それ自体が石である! この男が、重い、しかし乱れぬ足どりで、いつ終り
  になるかかれ自身ではすこしも知らぬ責苦のほうへとふたたび降りてゆくの
  を、ぼくは眼前に想い描く。いわばちょっと息をついているこの時間、かれの
  不幸と同じく、確実に繰り返し舞い戻ってくる時間、これは意識の張りつめた
  時間だ。かれが山頂をはなれ、神々の洞穴のほうへとすこしずつ降ってゆく
  このときの、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。
  かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。

2001/5/18, いとうくにお
Hasebeさん、はじめまして。個人的な意見、というよりも感想のようなものなんですが、大江さんの作品を読んで感じるのは、大江さんは宗教や神秘主義に強く惹かれながらも、ぎりぎりのところで立ち止まって、その地点からあちら側とこちら側の両方を含めた世界全体を描いているんじゃないかなあということです。『取り替え子』の田亀通信などがそのよい例ではないかと思うんです。古義人はすでに死んでしまってる吾良と田亀システムを介して「対話」しています。しかし実際に吾良が霊界のようなところからメッセージを送っていると考えるわけではなくて、古義人の側の想像力によって、二人がリアルタイムに対話しているかのような、そういうやり取りを成立させている。神秘主義によってではなく。
『M/Tと森のフシギの物語』にこういう文章がありました。「あるひとりの人間がこの世に生まれ出ることは、単にかれひとりの生と死ということにとどまらないはずです。かれがふくみこまれている人びとの輪の、大きな翳のなかに生まれてきて、そして死んだあともなんらかの、続いてゆくものがあるはずだからです。」ここに大江さんの死生観の一端が現れているような気が僕はします。
2001/5/18, Takako Hasebe
はじめまして。みなさんすごく読み込んでいてファンと言うのも恥ずかしいぐらいなのですが、
自分なりにこだわりを持って大江文学を読んでいます。「新しい人よ目覚めよ」辺りから以後の
物によりひかれます。皆さんは一番新しい「取り替え子」をどう読みましたか?特にその死生観
や宗教観=ビジョンについてどのように捉えましたか?ご意見を聞かせて下さい。
2001/5/18, いとうくにお
SHEEPさん、こんにちは。自由に大江文学を楽しもうというのがここの趣旨ですから、気軽に書いてくださいね。キルプの軍団、静かな生活、読み終えたら感想などお聞かせください。
2001/5/18, SHEEP
また投稿してしまいます。
他の方の投稿を見ていると、ちゃんと書かなきゃ、と思います。
感想らしい感想も述べられず、恥ずかしいかぎりです。
考えてみると、この拙いメールがヘタをすると世界中のひとに
読まれてしまうのですね(笑)
これまでわりと年代を追って読んできたのですが、
どうやらそれがいけないようで、ちょっとランダムにいこうと
決めました。
「天皇制」も「トリックスター」もむつかしく考えはじめると
ドツボにはまっていきます。
「ピンチランナー」もかならず読みたいけど、ここはひとつ
「キルプの軍団」「静かな生活」あたりを読んでみるつもりです。
(「火宅の人」「天皇ごっこ」はとてもおもしろい小説でした。)
2001/5/15, いとうくにお
岡田さん、こんばんは。『河馬』面白いでしょう? 感想を楽しみにしています。
それにしても掲示板を読了されたとは、すごいですね。五年以上にわたる内容ですから、すっかり忘れてしまっている話題もありそうです。それでも、この掲示板やメーリングリストで他の読者の方々と交流することで、刺激を受けたり勉強になったりと、ずいぶんと多くのものを与えられたという気がします。
2001/5/15, 岡田ehime
 こんばんは。素人駆け出しファンの岡田です。
 『河馬に噛まれる』を途中まで読みました。
 それぞれに面白い連作短編ですね。好みのタイプです。一番のお気に入りは、最後まで読んで確定してから書き込みたいと思います。
さて、今回大江作品と別に、読了報告があります。
この掲示板、1995年から全部、読了いたしました!!
「今更・・・!」と言われそうですが、書き込みはじめた時点では2001年分からしか読んでいなかったのです。
魂のこと、周縁と中心、癒しのこと、人はなぜ小説を読むのか、1500円、排骨湯麺とペプシ、オックステイルシチュー、オフ会・etc・・・。
・・・読んだ上で考えると、ずいぶん間の抜けたことも私は書いてしまっていますね。ごめんなさい。
 でも、いとうさんが、どんなメールにも温かい対応されているのを読んで、すごく心が温かくなって元気が出ました。 昨年分で紹介されていた伊丹監督の追悼ページが、何だか不愉快な書き込みがなされていたように、とかく自由に書き込める掲示板は暴走してしまうことがありがちですが、いとうさんがそこのところこれ以上無いほど手際よく心地よい健全な掲示板運営されているのを今更ながら感服いたします。
 本当にこのサイトや皆さんの書き込みがなければ、大江作品に取り組めなかったと思います。IT時代の新しい大江作品の取り組み方ですね。これからも、素人の底の浅い書き込みでご迷惑かけますがお目こぼし下さい。トップページ次々更新されていて嬉しいですが、いとうさん、仕事の煮詰まりが解消されていると良いのですが?掲示板も新しい投稿がないとつまらないので、枯れ木も山のにぎわいと、内容のない書き込みでごめんなさい。)
2001/5/15, いとうくにお
SHEEPさん、こんにちは。仕事が煮詰まるとサイトいじりに逃避してしまう傾向がありまして…。SHEEPさんは、いろいろ読まれてるんですね。『テロルの決算』は、セブンティーン+政治少年死すと読み比べると、興味深いですよ。
2001/5/15, SHEEP
トップページの「同時代ゲーム」はかっこいいです!(M/Tもよかったけど)
わたしもあの長編はすごく楽しく読めました。
幼かったころの心象風景のような気がしてくる、どこか懐かしい
そして新しい文学作品でした。
大江さんの本で見て、結局「トリックスター」とは何ぞい?ということで
ちょっと浮気して、壇一雄の「火宅の人」を読みはじめたのでした。
大岡昇平の「野火」も高校生のとき以来あらためて読むつもりです。
それと、いとうさんも読まれていたようですが、沢木耕太郎「テロルの決算」、
見沢知廉「天皇ごっこ」も買っちゃいました。
あああ「ピンチランナー調書」はいつになることやら(笑)
2001/5/13, いとうくにお
SHEEPさん、こんにちは。「月の男」は、なんだか哀愁あふれる作品でしたね。70年代の雰囲気が濃く感じられる作品だという気もしました。
泳ぐ人さん、こんにちは。時代の雰囲気ということでは、『万延元年のフットボール』が学生運動の盛んな時代にどのように読まれていたかということが泳ぐ人さんのご投稿から伝わってきますね。
2001/5/13, 泳ぐ人
 二回目の投稿だと思います。
 昔の学生がアンアン・ノンノのように大江文学を読んでいた、というのはもちろん誇張ですが、作家志望の者や政治的活動家はもちろん、勉強好き・読書好き・話し好き・騒ぎ好き・新しもの好きの学生連中のたいていが、大江さんの本を読み、論じ、ナンパの手段に使っていたのはほんとうです(ナンパに使われていたというのは、それだけ人気があったという「いい意味」です。なにしろあのころでも『万延元年』は難解と言われていて、読後感も「なんかすごいものを読んだなあ」という気はしていても、自分がどんなに得がたい体験をしたのかに気づいていた人はまれだったのではないでしょうか。とにかく適度な「難解さ」は話の種になりますから。もちろん「性的」なものは、大江さんのねらいの一つでもありました)。
 高校生(だったか浪人だったか)のわたしが『万延元年』を読んだのも、大学のサークルの部屋にほってあったのをちょっと借りてきてのことでした。ところが今思い出すと、あの『万延元年』はどうも「差し入れ」(どこかの拘置所やら刑務所への)に使われたものだったらしく、その手の付箋がはってありました。拘束されつつ『万延元年』をひも解くというのも、なんか決まりすぎのようですが。
 と同時に大江文学は、「戦後民主主義」の最良のものということで、最良は最良でもやはりそれは戦後民主主義なんだ、ポツダム民主主義なんだ、それを乗り越えるんだという意識が、特に全共闘にはありました。ですからたとえば、『噂の真相』の編集人のかたも元全共闘としての筋を通しているのかなあ、という気がしないでもありません。
 でも『同時代ゲーム』なんか読むと、わたしたちが超えられなかったものを、大江さんは一人でというか、代表してというか、超えていったという気がします。普通にまじめに文学的に評価してほしいという気持が強いです。
2001/5/12, SHEEP
いま、「月の男」を読んでます。[天皇制]が主題ということですが、
ある批評家は、リアリズムの欠如を理由に失敗作との烙印を押して
いたのを思い出しました。
けれど、いわゆる「難解」な文体がわたしは妙に心地よく、また
[くじら]を媒介に進行するストーリーがとても好きです。
「ピンチランナー調書」のまえに、例の哄笑「ha、ha、ha!」が
ここで使われていたんですね。
大学で憲法を専攻していたにもかかわらず、いまいち「読み」が
深まらないわたしでした(笑)
2001/5/10, いとうくにお
まいこさん、こんにちは。少しでも参考になれば幸いです。トリックスター的なキャラクターは、けっこう身近な人のなかにもいたりするんですよね。イソノ家のカツオ君とかクレヨンしんちゃんなんかも、トリックスター的なんじゃないかなあ。小泉首相にもちょっとそういう面があるような気が…。
『噂の真相』は、政治スキャンダルに果敢に挑戦する姿勢は評価しますが、大江さんへの批判記事についてはいただけませんね。事実を積み重ねて結論を出したというのではなく、悪意ある予断に立って都合よさそうな材料をでっちあげて記事にしたように見えます。
2001/5/10, まいこ
いとうさん、ありがとうございました。とてもよくわかりましたよ。実はまだ「M/T・・・」は読んでないのです。「河馬に噛まれる」にでてきたのしか知らなかったので、なーるほどという感じでした。あと「噂の真相」について間違いを指摘されているのに安心しました。「絶対違うよね?」と自分に言い聞かせていましたが、事情をよく知っているいとうさんのの説明を見るととちゃんと確信できました。こちらもありがとうございました。
2001/5/9, いとうくにお
まいこさん、こんにちは。リクエストにお応えしてトリックスターを(ついでにメイトリアークも)入れておきました。が、あまり役に立つような説明は書けませんでした…。
「キルプの軍団」は、まだ読んでいないんですよねえ。いずれ読みたいとは思ってますが。
2001/5/9, まいこ
こんにちは。ここに書くものかどうかわかりませんが、「トリックスター」をミニ事典に加えていただけないでしょうか?読んだはしから結構忘れてしまうあたしは、携帯のメールアドレスにも使ってるくせに、「トリックスター」の詳しい意味を忘れてしまったのです。個々の単語の意味はわかるので、全くわからない、というのではないのですが・・・。今日は学校の図書館で、「キルプの軍団」を借りてきました。オーちゃんが主人公なのですが、なかなかおもしろいです。しかし、ここの「作品紹介」にはのってませんよね?あたしも今日まで知らなかったし、あまりメジャーな作品ではないのかもしれませんね。
2001/5/8, いとうくにお
土星さん、おひさしぶり! 中学だったか高校だったかのころ、「○○病院で死体洗いのバイトがある」という話が、まことしやかに語られていたのを思い出しました。ああいうのは、もしかしたら「死者の奢り」なんかを読んで誰かが言い出した作り話だったのかなあ。
2001/5/8, 土星
久しぶりにお邪魔します。「奇妙な仕事」といえば犬殺しのバイトの話ですよね。あと「死者の奢り」は解剖の死体運びのバイトの話、そんなバイトあるわけないですよね。大江サンが言うには初期の作品って空想だけで書いてたそうです。「死者の奢り」で死体はアルコール漬けと書いて、あとでホルマリン漬けのマチガイに気付いたらしいですね。でも、すごい空想力名人ですね。
2001/5/7, 岡田ehime
いとうさん、やまめさん、早速ありがとうございます。
『見る前に跳べ』エリア拡大の本屋さん巡りして、見つからなければ注文してみます。
(案の定連休明けからばりばり全開で仕事が忙しいのでせっかく手に入れた本も「つんどく」になってしまいそう・・・。がんばらなくっちゃ!!)
2001/5/7, いとうくにお
やまめさん、こんにちは。『見る前に跳べ』は持っていましたが、まだ読んでませんでした。いま確認したら、確かに「奇妙な仕事」が収録されてました。ありがとうございます。
2001/5/7, やまめ
岡田さん、いとうさんこんにちは、
「奇妙な仕事」は、私は新潮文庫の「見る前に跳べ」に収録されているのを読みました。夕暮れのアスファルトの道を歩いているとき繋がれている犬を見ると、想像上の犬のにおいと共に思い出される作品です。
2001/5/7, いとうくにお
岡田さん、こんにちは。「飼育」はいいですよね。映画のほうは昨年ポニーキャニオンからDVDが出ました。大島渚監督作品で、原作とはだいぶ雰囲気がことなる出来ばえでしたよ。「奇妙な仕事」は僕も読んだことがないですね。僕も入手方法が知りたいです。どなたかご存知ないでしょうか?
2001/5/6, 岡田ehime
 こんばんは、大江さん素人および駆け出しファンの岡田です。
 たびたびすみません。
 『死者の奢り・飼育』読了いたしました。
 連休が終わってしまうと多分、読む時間とれないだろうと、連休最終日家事の合間に慌てて読みました。さすがに『万延元年・・・』ほどの感動はありませんでしたが、短編ということもあり面白く読みました。個人的には『飼育』が良かったです。どこか、温かさ?温み?を感じて。映画にもなっているということ、観てみたい気もしますが、観るのが怖い気も。
 いとうさん早速のお勧めありがとうございます。お勧めの中で『河馬に噛まれる』『日常生活の冒険』が本屋さん巡りの末、手に入ったので次にチャレンジしてみたいと思います。連休終わってしまったので心許ないですが・・・。
 後、厚かましくも素人の疑問なのですが、大江さんの処女作?『奇妙な仕事』は、何に収録されているのでしょうか?全集の類にはあると思うのですが、手に入りやすい物が有れば教えていただけたら幸いです。
2001/5/6, いとうくにお
岡田さん、こんばんは。『万延元年のフットボール』読まれたんですね。すごい作品ですよね、これは。僕は『個人的な体験』にすごく共感と感動を覚えて大江作品を読み出しましたけど、『万延元年〜』は決定的な読書体験になったという気がします。それがなければこういうサイトを作るところまではいかなかったかもしれません。
さて、ほかのお勧めの本ですが、これは人それぞれでしょうけども、僕の個人的なリコメンド(お勧め)としてお話ししますね。前にも少し書きましたが、短編集も僕はとても面白かったので、『河馬に噛まれる』や『いかに木を殺すか』などをまず挙げておきます。長編では青春小説のような香りもある『日常生活の冒険』の名前が思い浮かびます。『万延元年〜』のラインでは、『懐かしい年への手紙』かな。
大江文学の読書体験を「峠を越えて森の中にたどり着く」と表現するのは、面白いですね。言い得て妙だなあ。
2001/5/5, 岡田ehime
 こんばんは。大江さん素人の岡田です。
 前のメールの時にいとうさんに「素人+1」くらいになったのではと言っていただいたのですが、皆さんの書き込み見ているとまだまだだなあと思います。素人故にとんちんかんなことも言いますがご容赦下さい。
 「万延元年・・・」読了いたしました!!
 最後の章を読んでいて、単なる比喩でなく震えが来ました。自分でもどうしてこんなに感動するのか、わからないくらいです。巧く伝える言葉を持っていないのがひどくもどかしいです。
 最初は「個人的・・」の時のようにとっつきにくく、血なまぐささや「ムラ」の狂気の匂いに辟易し、都会の人の感じ方は私とは違うんだろうかとか考えたり、難儀しながら読みすすめていたのが嘘のようです。最後まで読んで、そんなことどうでも良くなってしまいました。
 白石ヒロさんのメールにもあったように大江文学にはいろんな形での「峠」が有るようですね。その峠を乗り越えられてはじめて森の中にたどり着けるように何か得られるのかもしれません。この作品自体大江さん自身が「乗り越え点」と評していらっしゃいましたが、最初のメールに書いたとおり、「静かな生活」(大江作品ではちょっと本流からはずれるのかな思っていたのでまいこさんや今村さんが大好きと書いていてくださって力づけられました)と「『自分の木』の下で」から大江作品への道が開けた者としては、すごく険しい道でしたが、「面白い」と太鼓判押して読み続けさせてくださったいとうさんとこの掲示板に感謝いたします。
 「素人」は相変わらずにしても「ファン」ということは胸張って言えるようになったかなと思います。まだ、駆け出しですが。
 とりあえず、本屋にあった(・・・それしかなかった)「死者の奢り・飼育」を次に読んでみようと思います。良ければ、お勧めの作品御指南下さい。
2001/5/5, まいこ
いとうさん、返事ありがとうございました。「静かな生活」の映画はあたしの中の原作のイメージとぴったりで、とてもうれしかったです。特に家や街並がとても美しく、あたしもいつかこんなとこに住んでみたいなと思いました。「ストーカー」、ぜひ見たいです。こんど探してみます。
2001/5/5, 今村賛美
いとうさん、「静かな生活」、ぼくも大好きです。思えば、ぼくが初めて買ったハードカバーの大江作品が「静かな生活」でした。
「棄て子」のように寂しげにうつむいていられる、光さんの横顔の表紙をはぐると、緑のインクで印刷された楽譜。(これは光さんの何という曲なのでしょう?)
ぼくはこの小説で「イーヨー」が好きになったのでした。今まで読んだ小説のなかで、いちばん優しい「トリックスター」だと思いました。そしてイーヨーに会いたいという気持ちで、大江さんの作品を読み進めていった、そう思います。
あと「こころ」の「先生」に大江さんを重ねあわされた、いとうさんのお気持ちよく分かるような気がします。(もちろん、いとうさんが「ちょっと縁起の悪い比喩」と断られたように、その悲劇的結末は一切抜きにしても、色々な意味での人生にたいする誠実さによって似ていると思います。)
2001/5/5, いとうくにお
まいこさん、はじめまして。大江さんが先輩にあたるということは、松山東高校ですね。『静かな生活』は女の子が主人公ですし、映画になったくらいの面白い作品ですから、読書部で取り上げるのにうってつけだと思いますよ。もしまだご覧になっていないようなら映画のほうも(ビデオが出ているはずです)観て、比較してみるといっそう面白いかもしれませんね。渡部篤朗の熱演が見ものですよ。それから、この小説では『ストーカー』という映画のことも出てきますよね。私たちのオフ会でその映画を皆で鑑賞したこともあるんですが、不思議な映画ですから、興味がわいたらそれも観てみるといいですよ。
2001/5/5, まいこ
はじめまして。大江さんのことでこんなに盛り上がってるるサイトがあるなんて感動です。あたしは高校3年生で、ファン歴は3年目です。今日は「見るまえに跳べ」を読み終えました。大江さんはうちの高校の先輩なのでありますが、周りの子は本自体あんまり読まないのでさびしい限りです。あたしは読書部に入っていて、この読書部というのが一冊の本について語り合うという部なのですが、こんどは「静かな生活」でいきましょう!と言っちゃったのであたしが話を進めなければなりません。大好きな本だけど、やっぱ、ちょっと、むずかしいかも・・・。
2001/5/5, SHEEP
はじめて投稿してすぐに、どなたかからお声をかけていただける
とは思ってもみなかったので、とてもうれしいです。
白石さんほんとにありがとうございます。
おかげで、ふたたび「ピンチランナー調書」を読みたくなって
しまいました。
ひと月まえに読んだときは、過激派集団とかが出てきて
ちょっと突飛だったのかもしれません。
あらためてページを開いてみると、こんどはおもしろく
読めそうです(笑)
「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」は、第二部まで読み
終わりました。
小説世界のなかに挿入される<詩のごときもの>が
著者・大江さんの[肉体=魂]に突き刺さっているトゲのような
ものだというふうに冒頭の文章にありますが、
大江さんは小説を書くことで、このトゲに立ち向かっていたのですね。
さまざまな問題について発言するという「生き方」そのものが
わたしは「すごいなあ」なんて思ったりしちゃいます。
「ぼく」の文体が、大江さんの捉える「狂気」を増幅して
圧倒的に引込まれながら読みました。
第三部は少し「難解」らしいですが、いまから楽しみです。
2001/5/4, 白石ヒロ
SHEEPさん はじめまして。 白石です
最初の 性的人間から 遠ざかっていられた 大江文学から この サイトに導かれて 誤解が解け 真の 大江ワールドに 目覚められたのは とても 幸運で 喜ばしいことだと 思います。
人と人との 出会いもそうですが、文学作品も ファーストインスピレーションが 大事で その作家が 好きになるか 否かが 初体験に 左右されることが ままありますよね。
改めて 大江ファンになられた SHEEPさんに エールを お送りしますと共に ひとつ 差し出がましい アドヴァイスが あります。
ピンチランナー調書 途中で 挫折されたそうですね。多分 あの 難所 父と子の 年齢が 逆転するところ で 挫折されたのではないでしょうか?
私の娘も あそこで 投げだしましたし 私も 放り出したくなりました。
でも 大江文学は 最初 難解でも それを 乗り越えると必ず あっというような 面白さや 醍醐味が ありますし、あの ピンチランナーは 特に 大江ワールドの メッセージが込められている意味で 最高峰 という 批評家の 弁に 引きずられて 読み続けましたら 全くその通り 期待を裏切られませんでした。あの
難所を 越えれば素晴らしい 世界が 待ち構えています。ですから せっかく 途中まで 読まれたのなら、最後まで読了されることを お勧めしたいのです。大変 失礼な ご注進 ですが お許し下さい。でも きっと あとで よかったと 喜んで戴けると 信じていますので。
2001/5/4, いとうくにお
NASANAさん、はじめまして。「古義人にとって、吾良がどんなに大切な友達だったか、愛情があふれていて、何度も読み返したくなります」というお話、ほんとうに同感です。小説ではありますけども、大江さんと伊丹さんの間にも、あのような輝くような瞬間があったに違いないと思いたくなります。(たぶんあったんだと僕は思っていますけども)
2001/5/4, NASANA
初めての投稿です。
かなり時期はずれではありますが、「取り替え子」を思い切って読んでみました。本の中にネットのファンクラブ・・・とあったので、皆さんはどんな感想をもたれてか知りたくて検索してみました。「思い切って」という大袈裟な表現を使ったのは、出版当時に、先に批評を幾つか読んでしまい、かなり先入観を抱いていたからです。私にとって、大江さんの作品は、どんな状況であろうとも、人間は理性を行使して生きていけるものだと信じさせてもらえるものでした。でも、この「取り替え子」の中心人物は自殺してしまった人で、その自殺の理由として一般に知られていたのは、女性関係とか、老人性欝病とか、ワイドショーの視聴者の興味をそそるようなものでしたから!そういった興味の延長上に位置付けられているこの本を手にすることは、芸能人の暴露本を手にするような気がして、抵抗があったのです。でも、そう思ったことをすっかり忘れてしまう内容に、改めて先入観を持つことがどんなに損をすることか反省させられました。ページをめくるごとに生きることも死ぬことも絶望に終わることはなく、全ての人間は必ず何か役割を持って生まれてきていると思いました。私が好きなのは、吾良が古義人の家に泊まって、ランボオの詩を語り合うところです。古義人にとって、吾良がどんなに大切な友達だったか、愛情があふれていて、何度も読み返したくなります。
2001/5/4, いとうくにお
ニコルさん、こんばんは。あの文集は僕も読みました。大江さんが子供たちの作文の一つ一つに丁寧に書き込みを入れていることに、驚かされました。それも、ニコルさんのおっしゃるように温かみのある励ましの言葉で。関係のない話ですが、大江さんのそういう側面はあまり世間一般には知られてなくて、それがために大江さんはずいぶん損をしているんじゃないかなという気がすることがあります。
2001/5/4, ニコル
2月に続いて2回目の投稿です。
講演会の情報を得たのと同じく、やはりこの掲示板でベルリン日本語補習授業校での大江さんの公演記録とそのときの子供たちの作文に対する添削をまとめた小冊子について知りました。興味があったので早速ドイツまで代金を送り、1冊買い求めました。
全部で80pほどの手作りの冊子ですが大江さんの公演記録と小学3年生から高校1年生までの子供たちの作文に対する添削が全文掲載されています。大江さんの人柄やそれを温かく迎えた補習校側の思いが伝わってくる、味わいのある冊子でした。
大江さんの公演記録には「取替え子」にも書かれていた子供時代に高熱をだし、目を覚ました大江さんが「お母さん僕は死ぬのだろうか」とたずねたときのお母さんの言葉「そうかもしれないね。お医者様はそういわれたから。けれども死んでしまっても大丈夫。私がまたあなたを生んで上げますよ」と答えられらたというエピソードをその続きの部分も紹介しながら取り上げれられていました。
「わたしは、あなたが生まれてから今までのことを、みんなその新しいあなたに話してあげるしあなたが知っている言葉を全部その人に教えます。そして一緒に生きていくのだから、今のあなたと同じだし、それ以上に、その人はあなたのことをよく知っていて、あなたが生きているとおりに生きていってくれますよ」それをきいて幼い大江さんはとても静かな気持ちになり、翌日熱も下がったということ。「取替え子」の主題にもつながるこのエピソードと児童虐待の暗い事件が続く今の時代を対比してみると、考えさせられることの多い一文でした。
第2部には子供たちの書いた作文に大江さんが丁寧に添削されているものをそのまま掲載してあります。(生原稿はコピーで一部載せられています)言葉の使い方の誤りを訂正してあるだけでなく、その子なりのよいところを見つけて欄外に書かれてある励ましの言葉が温かく、読んでいる私までうれしくなるのです。けっしてえらぶることなく、つたない子供たちの文にも真剣に目を通して朱を入れていく大江さんの姿勢に感動しました。よい本を紹介していただき感謝しています。  by ニコル
2001/5/3, いとうくにお
SHEEPさん、はじめまして。このサイトが少しでもお役に立てたなら、僕も嬉しいです。大江さんの作品は、時期によってずいぶん雰囲気が違いますから、いろんな年代のものを読み比べてみるのも面白いかもしれませんよ。『我らの狂気〜』を読み終えて、気に入ったら、感想などお聞かせいただけると嬉しいです。
2001/5/3, SHEEP
これまで何度か投稿しようと試みたのですが、
なぜかうまく送信されないので、ちょっと諦めたのですが、
やっぱり、投稿してみたい!との思いで、
このたび、いとうさんに直接メールさせていただこうかと
思いまして、どきどきしながら書いています。
わたしは北海道に住んでいる者です。SHEEPと申します。
怪しい者ではありません。
先日、このサイトの存在を知って以来、いつか自分も
投稿すべくはりきって大江さんの小説を読んできました。
なんか投稿するのが目的で、読むのは二の次みたいで
おかしな状態ですが、ほんのつい最近、大江ワールドに
ハマったごく浅い読者です。
高校生のころ、新潮文庫なつの100冊で「性的人間」を
読んだっきり、ずっと大江さんの小説はおろか、純文学
自体読むこともなくきてしまったのでした。
とつぜん目覚めてしまいました。
当時、寺山修司の映画とか観てかなりひねこびた少年だった
わたしは、「性的人間」を読んで、やっぱり大江さんも
そういうアングラみたいなものだという誤った認識のまま
十数年たって、めでたく(?)その誤解を解きつつあります。
ひとえに、このサイトと運営されておられるいとうさんの
おかげで、読書が数倍楽しくなりました。
ありがとうございます。
現在、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」に
とりくんでおるところです。長編小説もいいですが、
中短編も魅力がありますね。
「ピンチランナー調書」は半分読んだところで挫折して
しまいました。もうちょっとほかの作品を読み込んでから
再びちゃれんじしたいと思います。
長くなってしまって、すみません。テキトーに編集してください。
この次はもうちょっとマトモなメールを書きます。
それではみなさんさようなら。
2001/5/1, いとうくにお
今村さん、こんばんは。僕の書いたことに共感していただけて嬉しく思います。
ところで、今村さんのお話にあった作家と読者の関係は、作家によってずいぶん違うものかもしれませんね。作品を通じて対話する関係、というのが基本の形だとは思います。作家からは作品の形でメッセージを送り、読者からは手紙という形での直接メッセージを送ることもできるし、本の売れ行きというようなデータが間接的なメッセージになる場合もあると思います。そういう「対話」を基本形としながらも、作家によってはアイドルとファンというような関係もあれば、友人どうしというようなイメージの関係もあるかもしれません。同志的共感を与える作家もあれば、先生と生徒というような距離感のある関係もあるのではないでしょうか。大江さんの場合、僕の目からは、先生というイメージが強いですね。ちょっと縁起の悪い比喩ですが、漱石の『こころ』における「先生」のようなイメージにちょっと似ているかな。大江さんがお若いころからの読者の方だと、また別のイメージをお持ちなのではないかと思いますが。
2001/5/1, 今村賛美
いとうさん、こんばんわ。
いとうさんの「温泉宿の和室の窓辺」の比喩、ほんとうに切ないくらい分かります。過去と未来、そしてその狭間である現在を直線的に切り捨てながら思うのではなく、螺旋状に回顧したり、展望したり、行きつ戻りつしたり、そういうなかで「時」の全体が別の優しい静かな横顔を見せ始めるというか、なんかうまく書けませんが分かるなぁ。

あと遅ればせながら、「大江健三郎のススメ」の「三回目のオススメ」も、うん、そうなんだよ!と膝を叩きたくなります。でもこれも非常に伝えにくいんだなぁ(笑)。
ぼくも具体的な細部を伝える言葉がパッと映像になったとき、それはたんなる映像ではないような気がします。なんかその作家の「細かな」注意力までが生き生きと伝わってくるというか、とくに大江さんの作品はそんな印象を受けます。
それにこれは別のコーナーですが、いとうさんが電車で大江さんに偶然、出会われるシーン、なんかぼくまでドキドキしちゃいました。そして大江さんを追うかたちになってはいけないという心遣いから、回り道をされた、いとうさんの誠実さも伝わってきて、作家と読者の関係ってなんだろうと考えてしまいました。
2001/4/29, いとうくにお
岡田さん、こんばんは。『個人的な体験』を読了されたのですから、素人+1くらいにはなられたのではないでしょうか。漱石と大江さんの話ですが、「自分の中に深く潜って行く」―そうそう、そういう感じがしますよね。道後温泉は行ったことがないのですが、どういう感じのところなんですかねえ。関東でいうと熱海みたいなイメージかなあ。歴史があって俗っぽくて賑やかでちょっと隠微、という感じ。
2001/4/29, 岡田ehime
 こんばんは。大江さん素人の岡田です。
 ほぼ毎日覗いているのですが、昨日お休みして今日来たらトップが変わっていたので、ちょっとびっくりしました。今度のも、シンプルで良いですね。いとうさんが心掛けておられる、読みやすさ、使いやすさも、このサイトは抜群だと思います。
 漱石の作品との共通性の話題になっているようですが、漱石も個人的に好きな作家なので、何だか嬉しいです(ミーハーな反応で済みません。)ちえさんという方の言われる「魂のこと」と言うのも、何だか頷けます。素人故そう深く読み込んでいるわけではないのですが、直感的に、そういう面で惹かれる物があるのかもしれません。二人とも、自分の中に深く潜って行く面を持つ方のように感じます。
 いとうさんの「たとえ」も何だか納得してしまいました。(この場合の温泉は、どう転んでも道後温泉ではなさそうですが。)
 宿題の万延元年・・・ですが仕事と家のことが忙しくまだ読めていません。つぎはぎにちょこちょこでなくて時間かけて読みたい気がして。(言い訳ですね)このGWに読めますように!
2001/4/29, いとうくにお
キムユウさん、はじめまして。最近は絶版本を電子メディアで復活させるという動きもあるようですから、高橋和巳とかも将来的には案外入手しやすくなるかもしれませんね。そうなるといいなと思います。キムユウさんは幅広くお読みのようですね。また気が向いたらご投稿ください。
2001/4/29, キムユウ
 拝啓、ファン倶楽部の皆様へ。
 私は福島市にすむ29歳の男子です。硬派な読書人というか活字好きです。
 大江さんの作品では初期作品と後期の作品が好きです。『死者の奢り』『われらの時代』や『燃えあがる緑の木』や『宙返り』が好きです。
 大江さんと埴谷雄高にひじょうに興味があってよく『宙返り』の<新しい人>と『死霊』の<存在の革命>を同じイデアかなと私は考えています。前者は聖書の中から取られ、後者はロシア革命の教訓から着想を得たものですがその思想の響きが私の頭のなかでどことなく調和していて静かな泉になっています。
 皆さんは戦後文学が好きなのでしょうか?ちなみに私は大好きです。吉本隆明の『共同幻想論』もありますし、高橋和巳の『邪宗門』もあります。あと何年かすればなくなってしまう文庫本ですがおそらく皆さんも読まれているのではないかと思います。
 皆さんとそのようなお話がしたいですね。まだ独身なのでそんな話しに飢えているのかもしれません。相変わらず硬い活字が好きですからそのような人たちを求めているのが今の私です。
 メールアドレスを書いておきますので気軽にメールをください。
 kim0329@fk9.so-net.ne.jp
2001/4/29, いとうくにお
今村さん、こんにちは。お褒めいただきましたが、ページのデザインを僕がどういじくってもうまくいかないという感じがしますねえ。せめて読みやすさ、使いやすさだけは損なわないようにしたいものです。
日本文学の系譜を二つに大別する大江さんの話は、なるほどと思わせるものですよね。僕は鴎外はどう判断したらいいかよくわからない感じがするんですが、漱石と大江さんの作品には確かに共通のものがあると感じます。去年の10月の投稿で、ちえさんが「どちらも魂のことをしている作家だ」と表現されているのですが、僕も同感です。たとえて言うと、彼らの作品を読むと、どこかのひなびた温泉宿の和室の窓辺に一人腰かけて、そよ風に吹かれながら外の緑を眺めつつ、自分のこれまでの人生を思い返し、さらに残りの人生を考えている、そういうときの少し寂しいような落ち着いたような気分になるという点が共通している気がするんです(なんてまわりくどい言い方〜)。
2001/4/29, 今村 賛美
いとうさん、おひさしぶりです。
トップ変えられたのですね!
すげえ、かっこいいです。
引用部分も、そこをもってくるか!という感じです。

あと、以前の書き込みを読んでいたのですが、いとうさんが大江作品と漱石の作品(「こころ」)に、ある種の通低するものを感じると仰ってたところがありました。
ぼくも同感です。
以前大江さん自身が、日本文学を支えてきた2つの大きな潮流というテーマで、自分の好きな作家の並べ方のタイプと断って仰ってました。
一つは井伏鱒二→大岡昇平→安部公房→大江という外国文学の影響を受けた流れ。
そしてもう一つは谷崎→川端→三島という日本の抒情的な詩情を大切にするラインがある、そう言っていました。
それに従っていえば、大江さんのラインの向こうには、漱石がいるのではないでしょうか。
そしてその一方の流れの礎に、鴎外がいる、個人的にはそのように思いました。
もちろん作品そのものからもそれを感じるのですが、なぜだろう?
けれど大江さんが漱石と本格的に出会ったのは、40代を過ぎてだったと記憶しています。
以前、河合隼雄さんも大江さんの作品を漱石の「道草」と対比させて論じてらっしゃったのですが。
2001/4/27, いとうくにお
realmさん、はじめまして。展覧会のお知らせ、ありがとうございます。たぶんリンクはうまくいっていると思います。モニターで見ると、色が奇麗ですねえ。
2001/4/27, realm
今日は、とあるrock musician の fun sight から巡ってやってまいりました。textいっぱいでひじょうに読み応えあるページですね。これからはちょくちょく寄らせてもらおうと思います。
さて、ご承知かも知れませんが、今ニューヨークのメトロポリタン美術館ではあるspecial exhibition が催されています。実のところ私は昨日帰国して参りました。初めて行ったメトロで常設展も見ず、半日潰してきました。頭の中が、時差呆けもあって、まだ整理がついてません。その感想などは後日ここに書かせていただきます。今日はとりあえず、知らない方にはsurpriseということで、

http://www.metmuseum.org/special/se_event.asp?OccurrenceId={6B4DE85F-20C3-11D4-9373-00902786BF44}

ダイレクトでジャンプできるように調べたアドレスですが、ちょっと長すぎるようですね。管理人様、うまくジャンプできる方法があればよいのですが。かえって、お世話かけてしまいましたね。
では、では。
2001/4/18, ぴのこ
ありがとうございました!!助かります。
大江氏の作品を読むと他の作家さんの書かれたものを読んだときとは違う所を刺激されるような感覚にとらわれます。
またそれを楽しめるの所が魅力です。
時々覗かせてくださいね。
2001/4/17, いとうくにお
ぴのこさん、はじめまして。ウェブ上で読書ノートを公表されている方はけっこういらっしゃるので、Googleなどで「ヒロシマ・ノート」をキーワードに検索すると、ほかの人の感想や書評が読めるかと思いますよ。出版されたものについては分かりませんが、「すばる」の3月号の座談会ではヒロシマ・ノートのことも話題にあがってましたよ。
2001/4/17, ぴのこ
初めて投稿します。
機会があって,大江氏のヒロシマノートのレポートを書くことがあって興味を持ち出しました。
いろいろ探しているのですが大江氏の本、なかなか普通の書店には数がおいてなくて悲しいです。ノーベル賞作家なのに。
そこでご助力いただきたいのですが皆さんがご存知の大江氏の書評(とくにヒロシマノートのものがあれば嬉しいです。)が載っている本、または雑誌のバックナンバーがあればお教えいただけないでしょうか,お願い致します。
ビギナーの私に大江氏の作品でお勧めのものも教えてください。
2001/4/16, いとうくにお
ITTENさん、おひさしぶり! 2年ぶりということは、ないですよ。約1年前に一度ご投稿いただいてます。あとで「文藝」、見てみますね。
2001/4/16, ITTEN
いとうくにおさま、みなさま、お久しぶりです。たぶん、二年ぶりくらいです。ところで突然ですが河出書房「文藝」最新号の『取り替え子』の書評ご覧になられました?ニブヤタカシが書いています。胸に刺さるものがあったので、ご紹介します。ぜひ、お近くの書店で立ち読みしてみてください。後ろの方のページです。それでは、また。
2001/4/8, いとうくにお
もりはやしさん、こんにちは。「人民中国」の情報ありがとうございます。万延元年のブックデザインというと、単行本のサイケ調のやつでしょうか。あれは、流行のサイクルが一回りか二回りかして今どきの感覚で見てもちょいとイケてると個人的には思うのですがどうでしょうか。また気が向いたら遊びにきてください。
2001/4/8, もりはやし
 こんばんは
はじめて投稿します。「万延元年のフットボール」のブックデザインにひかれて読み始め、以来「取り替えっ子」まで読み続けてきた大江ファンです。ときどきこのサイトでファンごころをいやしています。
 このサイトのニュースで案内されていた大江さんの中国訪問が、北京で出版する日本語総合月刊誌「人民中国」4月号に「大江健三郎の見た北京」として特集されています。記事は中国の記者がレポートしています。中国側での大江健三郎さんのとらえ方が見えておもしろいし、写真も15枚あり最近の大江さんの様子がかいま見えて懐かしくもあります。「人民中国」は東邦書店で手にはいるのではないかと思います。
いとうくにおさん、ごくろうさまです。最初このサイトを見つけたときは正直驚きました。今後も楽しませていただきます。
2001/4/5, いとうくにお
住友さん、こんにちは。とても愉快なエピソードですね。中国大陸をひた走る巨大機関車の客車で、ひまわりの種などをときどきつまみながらそれぞれ大江作品の文庫本に読みいっている若い日本人姉妹、というような映像が見えてくるようです。
2001/4/5, 住友
 こんにちは。「『個人的な体験』はとっつきにくそうでいて妙になじむ」というような書き込みをされた岡田さんといとうさんのやりとりを見て、共感!共感!、投稿したくなりました。
 大学1年の夏休み、中国に留学している姉と中国旅行することになり、「列車に長く乗ることになるから、薄いけど読むのに時間がかかって、退屈でない本を持ってこい。」と言われ、私は「芽むしり仔撃ち」を、姉はある留学生から譲り受けたのらしい「個人的な体験」を持ち寄りました。「とにかく時間がかかりそう、つまり難解=大江健三郎」と、2人とも思っていたわけです、まだ読んだことなかったから。
 いざ読み出すと、おもしろくておもしろくて、どんどん読めてしまい、早々に2冊完読。暇つぶしには向かない本だったと思ったけれど、特に「個人的な体験」には、何度も読み返したり、姉と語り合ったり、火見子の宇宙観に思いをはせたりと後々まで楽しませてもらいました。
姉妹で「ナイスチョイス!」「ナイスチョイス!!」とお互いを讃え合いました。そして帰国後、堰を切ったように他の作品を読み、今に至っています。
 本の内容にちっとも言及せず、くだらないことをべらべらと、ごめんなさい。次に投稿するときは感想や意見を言おうと、今決めましたので。では、また。
2001/4/1, いとうくにお
岡田さん、こんにちは。『個人的な体験』読まれたんですね。とっつきにくいとか難解とかいう世評にみがまえてこの本を読み出すと、その面白さに拍子抜けするくらいじゃないかと思いますね。よかったら『万延』のご感想もお聞かせください。
2001/3/31, 岡田ehime
 こんにちは。またまたお邪魔します。
 Riさんは、無事にお引っ越し済まれましたか?
 私の大江体験3冊目、「個人的な体験」今さっき読了しました。
昔は本の虫であったですが、ここ数年「小説」というものがひどく苦手になっていて今回も何度か挫折しかけました。けれど、いとう様がわざわざレスしてくださったことにも励まされ、掲示板の皆さんのやりとりを読んで気分転換し、何とか読み終えました。大江文学は「とっつきにくい」と言う個人的な印象がありましたが、読み終えてみると、何だか、妙になじんであちこち読み返しています。子どもを取り戻しに行くバードの姿に、最近なまかなことで身じろぎもしない怠惰な感情も揺さぶられました。「万延元年・・・」のほうも、取りかかってみようと思います。
 いとう様労作の(本当に!)このホームページを私の大江文学探訪の指標にさせていただいています。皆さん、大江文学に造詣の深い方ばかりで、素人の世迷い事をお聞かせするのも心苦しいのですが、ここに書くことがモチベーションにもなっていますのでご容赦下さい。
2001/3/27, Ri
こんばんは!
引っ越しまであと4日。ほんとに引っ越しできるのだろうかと、おののいています。渡りに舟、最初に手を挙げてくださった今村さんに本をお送りします。詳細はメールで。
2001/3/27, 今村 賛美
いとうさん、お久しぶりです。
僕は書こうか書くまいか、ちょっと迷ったんですが、書いてしまいます。
Riさん、玄さんという方がいらないのなら、僕が欲しいです!(あつかましいですよね?でも、Riさんがお書きになってた本、今の僕には全部欲しいものばかりなのです。)
お願いします。
メール:ima.mura@nifty.com
2001/3/27, 玄
Riさん、やまめさん、情報ありがとうございます。
本が欲しくなりましたが、
やっぱり僕は古書店を駆けずり回ることにします。
それが楽しみでもありますので。
でも本当に、ありがとうございました。
2001/3/26, いとうくにお
三日ほど家を空けていましたので更新が遅れてしまいました。
Riさん、やまめさん、こんにちは。『ユートピア探し 物語探し』の情報、ありがとうございます。楽しそうな本ですね。
2001/3/25, やまめ
玄さん、

お探しの本は『ユートピア探し 物語探し』だと思います。私はこれを古書店で手に入れました。岩波より1988年5月に第一刷が定価1300円で発行されています。内容は忘れてしまった(!?)のですが、副題は「文学の未来に向けて」で、帯には「冒険とユーモアの精神にみちた現代文学をめぐる夢の鼎談!」とあります。

3人の発言がそのまま(たぶん)話言葉で書かれています。内容は次の三部から成っています。
 T ユートピア探し 物語さがし
   ー戦後の文学をどう考えるか
 U 小説の面白さ
   ーイマジネーションと言葉の力
 V 文学の未来に向けて
   ー僕たちの生きてしまった時代から

それぞれ季刊「へるめす」に初出と記されています。
もし必要ならお貸しします。
2001/3/24, Ri
 こんばんは、初めて投稿します。
 『ユートピア探し 物語探し』(1988年岩波書店)は、「文学の未来に向けて」という副題で、井上ひさし・大江健三郎・筒井康隆の、3回にわたる鼎談を一冊にしたものです。もともとは大江健三郎が編集同人を務めた雑誌「へるめす」の、創刊、創刊一周年、創刊三周年それぞれの記念別巻に掲載された座談会でした。
 互いの文学に刺激を受け、敬意を抱き合っている三人が、文学や時代について語り合っており、(笑)の文字もあちこちにちりばめられ、たいへん興味深い内容でした。三人それぞれの小説にもしばしば言及されるので、読んでいればなお楽しめるし、未読であればすぐにもそれを読んでみたくなります。
 『ユートピア探し 物語探し』はよろしければ送料だけでおゆずりします。上記の「へるめす」(編集同人は大江のほかに、武満徹、大岡信、中村雄二郎、山口昌男、磯崎新)も1号から53号(うち、3冊欠け)と別巻3冊を持っています。これも送料だけでもらってくださる方があれば非常に助かります。(分冊は不可ということで)
 異動内示が出て、転居を迫られています。今より狭いアパートに移るので、書籍の処分が悩みの種です。
 市井さんが書いておられた、例の歴史教科書、発行が扶桑社ということに驚きました。その会社の雑誌Switchには、大江健三郎は多大に貢献していたと思います。それだけに抗議の声を挙げずにいられなかったのではないでしょうか。で、大江の文章にカラー挿画などもたくさんある、「LITERARY Switch」なる雑誌も1〜4巻あるんですけど、いりませんか?もちろん送料のみです。
2001/3/23, 玄
こんばんは。
突然ですが、井上ひさし氏・筒井康隆氏と共著の、
『物語探し、ユートピア探し』というようなタイトルの本、
もう売っていないのでしょうか?
古書店でも見たことがありません。
読まれた方、これ、どんな本ですか?
岩波書店の本らしいので、
そのうち岩波現代文庫に入るかもしれません。
あと、いい加減、『治療塔』『治療塔惑星』を文庫にして欲しいです。
去年、ハード・カヴァーを神保町で買ってしまったのですが。
2001/3/21, 市井
北の国からこんにちは。市井です。
先日教科書検定の件で、大江さんが記者会見(?)に臨まれていましたね。
その模様をニュースで見て、ふと自分の中高生の頃の歴史教育に思いを馳せていました。
ぼくはアメリカで高校生活を過ごしましたが、驚いたのは歴史の時間では日本軍によるパールハーバー攻撃には
3日間を費やしたのに、原爆投下について授業で触れたのはほんの2、3分だったということです。
さてではパールハーバーで何人の戦死者が出たか、日本の歴史の授業では多分教えてないですよね。
歴史の教科書の記述が「自虐的」過ぎるという旨の動きもありましたが、特定の立場、ときに偏見や無知に満ちたある立場にのみ立って、歴史を学んで、中高生はそこから何を学ぶのでしょうか。
なんでもかんでも客観的にすればいいというものでもないのかもしれませんが、少なくとも自分達の歴史観を、ときには内から批判するような姿勢が無いことには、「歴史から学ぶ」ということの意義は薄れたままなのではないのかなと、思いました。
文学に関係ない話で、すみません。
でも文学も歴史もやっぱり人生の教科書であって欲しいですよね。
2001/3/18, いとうくにお
岡田さん、はじめまして。『万延元年のフットボール』のほうがもし読みにくいようでしたら、『河馬に噛まれる』『いかに木を殺すか』『「雨の木」を聴く女たち』などの短編集から攻めてみるのもいいかも。気に入った作品があったら、感想など聞かせてくださいね。
2001/3/18, 岡田ehime
 初めまして。どこへ出しても恥ずかしくない?大江健三郎素人です。
 大江氏との接点は大学時代にゼミのバスハイクで生家の前を通ったくらいで、読んでみようと思いつつ挫折を繰り返していました。ノーベル賞を受賞された前後も「静かな生活」を読んで小さな救いに感銘を受けたものの、それ以上踏み込めないでいました。今回、週刊朝日に掲載された「子どもはなぜ学校へ行かなくてはならないか」と「『自分の木』の下で」を読み、何か情報が欲しくてこのホームページを見つけました。その後高橋源一郎氏の「退屈な読書」の文章に後押しされ「チェンジリング」を読み少々ぎょっとしています。
 今日、いとう様お勧めの入門編の2冊を買ってきました。
 また、たびたび覗かせていただくことになろうかと思います。よろしくお願いします。とりあえずご挨拶まで。
2001/3/17, いとうくにお
笠原さん、はじめまして。先日の講演&コンサートに行かれたのですね。何度か大江さんの講演はお聞きしたことがあるんですが、あの日の話は武満徹への思いがにじみ出ているようで印象深かったです。
松崎さん、はじめまして。大江健三郎が神様なんて、なかなかいかした女子高生だったんですね。竹内久美子がお好きなら、ローレンツやドーキンスなども合うのではないかと思いますが、もう読まれましたか。血に欠ける、骨は甘いが、というのは面白い表現ですね。なんとなくわかる感じがします。
2001/3/17, 松崎 艶子
16歳の時に「我らの狂気を生き延びる道を教えよ」
を読んでしまったのが、運の尽きだった。
16、17、18の3年間は大江 健三郎が「神様」だった。
「けんちゃーーん!!」と悶え、けんちゃんの後輩になりたくて
東大を目指した(落ちた)

大学に進学して、今では村上春樹と竹内久美子が好きな女子大生と化してしまったが、あの3年間を、忘れない・・・

大江作品は初期が好きだ。後期は、やはり血に欠ける。骨は甘いが。
2001/3/13, 笠原ミカ
こんにちは、はじめまして!色いろなページを、興味深く拝見させていただきました。わたしも、大江作品は大好きで、といってそんなにたくさん読んでいるわけじゃないんですが、でも最近では「取り替え子」も、ほんとうに胸が苦しくなる思いで読みました。私はピアノをやっているのですが、武満さんのこともすごく興味があって、その武満さんと大江さんとの深いつながりには感銘を受けました。
この間も、武満さんのメモリアルコンサートでの大江さんの講演を聞きに行き、武満作品の演奏にも心を打たれて帰ってきました。
また、このサイトには是非遊びに来たいと思っています。
作品に関する詳しい情報をまた読みにきたいです!
2001/3/12, いとうくにお
緒方さん、はじめまして。僕などはまだ読んでない大江作品もあって、知らないこともたくさんあると思います。このサイト内の情報は、読書しながらの覚え書きのようにして加えたものもありますし、皆さんからご提供いただいたものもあります。これからもこんなふうにして情報を溜めていって、皆さんと共有できればいいと思っています。それにしても、かつて大江作品を読むことがファッションのようだったというお話、面白いですね。いまは衣類やデザインの世界で60年代ファッションを取り込んだものが流行っているようですから、そういう観点からだけいっても、いま『万延元年のフットボール』の単行本(表紙はサイケ調だし!)とかをカフェなんぞでこれ見よがしに読む、なんてのもケッコーおしゃれかもしれませんね。
沖田さん、こんにちは。『厳粛な綱渡り』を古本屋で見つけられたそうですが、ラッキーでしたね。最近、本はできるだけ図書館で借りて読むことにしているのですが、好きな作家の本はやはり所有しておきたいものですよね。
住友さん、こんにちは。広島へ行ってから『ヒロシマ・ノート』を読まれたわけですよね。ただ読むのとはまた違ったインパクトがあったのではないでしょうか。
2001/3/10, 住友
こんにちは。「ヒロシマ・ノート」読みました。すごく謙虚で驚きました。小説を読んでいても、恥の感覚に敏感な人だなとしばしば感じるのですが、広島の人に対してのそれは並じゃない!それゆえに、権力側への批判も半端じゃなく厳しい。卑劣なヒューマニズムについて思いを巡らす件では、矛先が神にまで向けられていて、「いいぞいいぞ」なんて思いながらも、ここまで書いて大丈夫だったかなと心配になりました。実際、発表当時はいろいろ叩かれたのでしょうね。逆に反響がないのも手痛い仕打ちという感じがしますが。
 私が大江健三郎に関心を持ってきたのは、大学1年から現在までの1年半なので、発表当時経験は「宙返り」と「取り替え子」だけです。サイン会やテレビ出演、批評も賑々しく、やはり既刊本では味わえないおもしろさがありますよね。まぁ、「おまけ」に喜んでしまっているわけですけど。
 このホームページを見ていると、私の知らない「発表当時」をうかがい知ることの出来る書き込みもあり、おもしろいです。緒方さんという方の、「『万延元年』はアンアンやノンノのように・・」というお話、びっくりしました。今じゃ、少なくとも私の周りでは考えられないです。うらやましい。でも、かえって読んでなかったかもしれませんね。
 また長くなってしまいました。いとうさん、苦労かけます、がんばってください。
2001/3/10, 沖田直江
こんにちは。
「個人的体験」のラストシーンはバードが忍耐という言葉を辞書で引いている場面ではなく、
引いてみる「つもり」になっているところ、でしたね。
記憶とはほんとうにいい加減なものです。すみません。

大江健三郎ファン倶楽部に刺激され、
あらためて大江作品を読み返そうと思いました。
役所のそばにある古本屋で、エッセイ集「厳粛な綱渡り」を見つけ、
心の中で、やったと思いました。
古本屋で読みたい書物を見つけたときほど、うれしいことはないです。

いとうさんがいわれるように、自分が困難な状況にいるとき、書物を読むことは、
勇気をもらえるだけでなく、自分を取りまく状況を客観視させてくれますね。
客観視できたら、もう解決の糸口は見えたようなもの。
でも、ほんとうに落ち込んでいるとき、活字を読んでも1行も読み取れないことも事実ですが。
2001/3/10, 緒方
いとうくにおさん、はじめまして。
凄いですね、さすがに、これだけのHPをつくるだけのことはあって、
大江さんの作品について詳しいのに驚きました。
私が高校生の時、大江はもう古い、などと全共闘世代の大学生たち
に言われていた時期があって、もちろん僕たち高校生にとって
大江さんは吉本隆明さんや埴谷雄高さん、外国ではサルトルなどと
共に、影響を与え続けた最先端にいる人であったのですが、
全共闘世代の袖を掴みながら走っていた高校生たちは、
むしろ高橋和己さんを多く読んでいたように思います。
それでも、「万永元年・・・」などは、アンアンやノンノのように
電車の中にも持ち込まれていて、大江さんを読むことはファッション
でもあったほどに、人気がありました。
ジャズ喫茶なんかでは、大江さんをこれみよがしに、読んでいる
人たちも沢山いましたね。
とにかく凄かった。人気がありました。
そういう私なんかも、ここのファンクラブの人たちほどでは
ないにかもしれませんが、大江さんはずっと追いかけたい作家です。
2001/3/10, いとうくにお
はなびさん、大江さんの講演のお話ありがとうございます。リクルートの江副氏とそういう具合にすれ違ったことがあるなんて、面白いですね。
山崎さん、「遅れて来た青年」のライブ情報ありがとうございます。観てみたいなあ。ただ、その日は帰省している可能性が高いので、ダメっぽいのですが。山崎さんのほうはライブはされないのですか? そっちも観てみたいです。
2001/3/10, 山崎
大江健三郎の小説からバンド名を戴いたロックバンド、その名も「遅れてきた青年」のライブが、来る3月23日(金)上演されます。

僕もアマチュアロックバンドをやっていますが、一度このバンドとライブハウスの対バンとして出会う機会に恵まれ、パフォーマンスをこの目で見て、衝撃を受けました。対バンの演奏に心を奪われてしまったことは、僕としては非常に希なことです。独特な詞世界、音のオリジナリティーなど、このバンドの実力は、アマチュアとしては相当なものだと思います。ちなみに僕は、このバンドを観た時は、まだ大江読者ではありませんでしたが、その後大江文学に当たってみようと考えるようになったのには、このバンドからのインパクトも少なからず関わっています。

以下にメンバーの方が送ってくれたメールから、日程等詳細を抜粋しますので、ロックと大江健三郎の両方に関心を持っている方がいらっしゃいましたら、一度体験してみることをお勧めします。

> *******************《遅れてきた青年》企画!************************
> 《直立二足歩行動物の夕べ》 第1回
>        副題は《遅れてきた吐息スープ》
> 2001/3/23(金) 高円寺ペンギンハウス
>
> 杉並区高円寺北3-24-8/03-3330-6294
> JR中央線高円寺駅北口〜純情商店街突き当たり左〜ドトール地下
> http://www3.plala.or.jp/FREEDOM/PENGUIN.htm 
>
> 19:00開場、19:30開演  ¥1600(ドリンク別)
>
> [出演] (順番は以下の通りの予定です.....) 
> 《遅れてきた青年》=パンクフォーク文学ニューウェイヴバンド(?)
> 《吐息》=サイケデリック歌謡ニューウェイヴバンド(?)
> 《テール・スープ》=シャンソン歌謡ニューウェイヴバンド(?)
> ****************************************************************
2001/3/9, はなび
大江さんのギャグで思い出したので、久しぶりに投稿します。
私が大江さんの講演を初めて聞いたのは、
もう10年近く前になるでしょうか。
中央大学で何かの記念で講演をされたのですが、
講演の後に、質疑応答があり、
その中の質問に
「大江さんの文章には、音楽と密接に関わっているように思う。
 大江さんにとってご自分の文学と音楽の関係はどのようなものか」
というような質問があり、
大江さんが「こういう質問で思うのは、
『あなたの文章はショパンのソナタの第○楽章のような響きがあるわ』
『…奥様も、そうお思いですか』
というようなやりとりだが」というふうに答えられて、
場内大ウケでした。
その後真面目にご自分の文学と音楽との関わりを、
光さんの作曲の話も交えてされていたような記憶があるのですが、
そっちの方は忘れてしまいました。
それから、ご自分が東大新聞に小説を発表した時、
「普段は出ないのですが、新聞部に有能な部員がいて、
原稿料が少し出せます。」と言われて、初めて原稿料をもらった。
その有能な部員とは、のちの江副浩正だったと。
リクルート事件の最初の収賄者は、自分だ、
というような話をされていました。
その後も何度か大江さんの講演を聴きに行ったのですが、
そのたびに、今村さんのおっしゃるように「謹直なユーモア」とは、
まさに大江さんにあてはまる言葉だなー、という思いを強くしました。
2001/3/9, いとうくにお
今村さん、こんにちは。僕がここで引用する文章を選ぶときは、そのときの気分と関心事とかが反映されていることが多いので、それが今村さんに共感していただけるということがあるのであれば、不思議なものですね。
大江さんのギャグやユーモアは、本当に面白いですよねえ。僕が好きなのは、『ゆるやかな絆』の「ディーセントな食事」。これはすごくいいです。「謹直なユーモア」と呼ぶにふさわしいものだと思います。今村さん、お読みになられました? あと、去年のベストスイマー賞の授賞式についての話も爆笑ものでした。思うに、大江さんのワールドクラスの創造性をユーモアへ振り向けると、たちどころにギャグに一つや二つは出てくる、ということではないでしょうか。
2001/3/9, 今村賛美
いとうさん、返信ありがとうございました。うれしかったです!
玄さんという方が書かれていましたが、トップの引用はホントにグッとくるものがあります。僕も2度ばかり、そうだ、僕は今こういうことを考えたかったんだ、というような力強いシンクロニシティーを感じたことがあります。

さて、突然ですが、僕は大江さんのギャグが好きなのです。ギャグといっていいのか分かりませんが、講演の最初なんかに聴き手のというより、自らの緊張をほぐそうとでもいうように連発されるときがあるでしょう?大江さんがどこかで書かれてましたが、光さんの担当医であった森安先生(この方はお亡くなりなったそうですが)を評して「謹直なユーモア」の持ち主といわれてました。けれどそれは大江さん本人にそのままあてはまるような気がします。いとうさんはどう思いますか?

これは「信仰を持たない者の祈り」という講演で話されていたのですが、若き日の大江少年が、配給の小麦粉をことづかって、村の外れの水車小屋まで行った。(ご存知でしょうか?)おばあちゃんのいいつけによると、配給の人は時々小麦粉の量をごまかすらしい。それで大江少年は小麦粉を挽くおじさんの傍らに座って、じっと見ていた。けれど時間がたつにつれ二人の視線は合い、気まずくなった。
 それで大江少年が、そばにあった雑誌を手にとると、そこにはフランチェスコの挿話が掲載されていた。
 牛を連れた一人の農夫が、偶然道で出会ったフランチェスコに求道をせまる。すると、フランチェスコは、その牛を置いていけとせまります。男にとって牛は唯一の財産であり、これを失えば男の家族も路頭に迷うことになります。男はフランチェスコと別れます。
 大江少年はこの話に非常な感銘を受け、受け取った小麦粉を抱えながらの道すがら考えます。
 もし、この道の木陰から、フランチェスコが出てきて、ケンザブロウ、その小麦粉を置いて私についてきなさい、といわれたらどうしよう。(ここで場内は爆笑でした。)

 この話にはつづきがあって、家に帰り着いたとき、母にびっくりされた。なぜなら大江少年は自分でも気付かずにに泣いていたそうです。今から考えると、あれが信仰か、家庭かという二者択一の苦しみの始まりだったと語られていました。

 長くなってスミマセンでした。 
2001/3/8, いとうくにお
玄さん、こんにちは。『M/Tと森のフシギの物語』は玄さんが大江文学にはまるきっかけになった作品でしたよね。あの冒頭の文章は、人の生死の一面を「異化」しつつ明らかにしてくれる表現だと思います。『M/T』はまだ読み始めたばかりのところなんですが、たまたま友人の七回忌に出席した日に読んだものですから、「そして死んだあともなんらかの、続いてゆくものがあるはずだから」という部分はとりわけ強く心に染み入るようでした。
2001/3/8, 玄
こんにちは。
バードが雨の中を自転車をこいで病院へ向かうシーン、
僕も頭の中にはっきりと映像があります。
『個人的な体験』のことを考えると真っ先に浮かぶのがこの映像です。
立ちこぎをしているため頭にバシバシと当たる街路樹の小枝と葉、
暗い空の色、肌に貼りつく白いシャツ、本文でそのような描写があったかどうか、今読み返していないので分からないようなことまで、まるで見てきたことのように覚えて(!)います。
とても美しい場面ですよね。

トップページの引用、やった!という感じです。
この文章にはやられました。これで大江文学にのめりこみました。
小説の冒頭からこのスケール、他ではなかなか味わえません。
こうして引用されると、再発見というか、はっとさせられます。
いとうさんのセンスに脱帽です。
ではまた。
2001/3/8, いとうくにお
今村さん、はじめまして。「異化」された体験ですかあ。大江さんの小説は、いうなれば異化の連続という感じもしないではないですね。僕がはじめて大江文学とまともに出会ったのは『個人的な体験』によってなんですが、たとえばバードがびしょぬれになりながら自転車をこいで病院に向かうシーンを読むと「ああ確かにこうだろうなあ」と感じますし、火見子がパラレルワールドについて話しだすときの楽しげなようすの描写に「うん、確かにこういう人はいるぞ」と感じます。その描写によって、自分の記憶の中にある類似の映像が呼び出され、組み合わされ、リフレッシュされて、鮮明な映像として想起される、そんな感じがします。異化というのとは違ったかもしれませんが。
沖田さん、こんにちは。日常生活で大江作品を語る機会がない、というのは全国100万人(推定)の大江ファンに共通の問題ですね。しかしまあ、こうしてインターネットを利用することで全国の、あるいは全世界の大江ファンと交流することができるわけで、そういうことだけでもネットの価値というのは大きいものです。大江作品を読むと苦しむこともまんざらでもなく思えるというお話、なるほどと思いました。確かに文学が、特に大江文学が、苦しみを客観視させる余裕を与えてくれるということはあるのではないかと思います。
2001/3/8, 沖田 直江
こんにちは。
掲示板には、これが2回目の投稿です。
最初の投稿では、はじめましての挨拶もなく、ぶっきらぼうでした。
ごめんなさい。最初から、やり直しです。
はじめまして、沖田ともうします。
3月のはじめ、大江作品についての興味深いホームページを発見し、ネットで鉱脈を掘りあてた感じで、うれしくなりました。
いとうくにおさま、すてきなホームページをありがとうございます。
これからも、ときどき、お世話になります。みなさまも、よろしくお願いいたします。
日常生活の中で文学や大江作品を語るチャンスなど、私には、めったにありません。胡散臭く思われるのがオチですから、当然、話しません。
掲示板をみてると仲間がいるんだという感じがして、何だかほっといたします。
「個人的体験」もいろいろな読まれ方をしていると思いますが、私の場合、ほんとうに神経に病気をもつ息子がいるので、バードの苦悩はそのまま直球ストライクで胸に迫ってきます。
「個人的体験」は、大江作品にはめずらしく終わり方がハッピィーエンドですが、最後にバードが辞書で忍耐の字を引くというところから、限りなく不安を内臓した落着にすぎないことがわかります。
終わり方は、漱石、「道草」の「世の中に片付くなんてものは殆んどありゃしない・・・」によく似ています。しかし「道草」とちがって、「個人的体験」のほうは覚悟を感じさせてくれるので、とても力強いです。

私たち周辺も、ものごとが一件落着するようにみえても、また新たな問題が発生したりするもので、落着しっぱなしの問題なしということは考えられません。バードのように私たちもまた心の中に忍耐という字を引きながら生きています。
しかし大江作品を読むと、ヨブのように苦しむことも、まんざら悪くなく思えてくるから不思議です。
苦しみは花崗岩のなかで輝く雲母。雲母があるから花崗岩は美しい。そんなふうに思わせてくれます。
困難にぶつかるとバードがどう感じていたかを反芻して、つらさをやわらげることができます。それどころか、苦しみまでもがおいしく味わえてしまう。
私こそ、バードだ、なんて思っちゃったりして。
しかし私は鳥に似ていません。
その他の作品では、もちろん「空の怪物アグイー」も好きです。
2001/3/7, 今村 賛美
 いとうさん、はじめまして。
 僕は今まで投稿の機会はありませんでしたが、時々気になって見ていました。特に最初のページの引用の欄、大江さんの近況を報せるニュースの欄が楽しみでした。

 僕と大江作品との最初の出会いの印象を語らせていただくと、なんだかこまごまと何故ここまで書くのだろう、という素朴なものでした。けれど、それは今から思えば、大江さんが「小説の経験」のなかで少年時代の読書体験を語っていたのと同じく、小説自体への問いであったような気がします。(ドストエフスキーも大江さんほどには、こまごまと語らなかった!)

 なぜなら、二度目にそれ(「人生の親戚」)を読んだとき、感動のあまり恥ずかしくも泣いてしまったからです。なんと今度はその「こまごま」が良かった!

 僕は「人生の親戚」を文庫本で読んだのですが、それには「後記にかえて」という章が最末にありました。「真理絵さん」を犯したインディオが「真理絵さん」の墓を掘る、それを主人公である「私」がヴィデオテープをとうして見ているという、映像にするとおよそ単調なシーンです。(ご存知だとは思いますが。)

 けれどそのシーンは、その空間そのものが迫ってくるようでした。突然降り出した柔らかな雨の雰囲気、匂い、南米の病院の薄暗い壁、羊たちの鳴き声、鶴嘴を打ちおろすインディオの屈強な肉体、ものそのもが明確なリアリティーをもって伝わってきて、ただそれだけで感動し、泣いてしまったのです。

 ああ、ものをこんなふうにじっと視ていいんだ、言葉にすると非常に陳腐ですがそんなふうに思いました。大江さんの「こまごま」は、いたずらに難解な格調を目指した「こまごま」ではなく、正確で具体的な「こまごま」だったのです。

 これは後で「小説の経験」で知ったのですが、僕たちは日常、ものを見ているようで見ていない。それはあまりに「自動化」され、日常の風景のなかに埋没してしまっている。そういったものをまるでそれを初めて見たかのようにはっきりと明視させること、それを「異化」というそうです。

 大江さんの「こまごま」には「異化」という大きな芸術的意味合いがこめられていたのだと今では思っています。

 いとうさんは、ご自分が「異化」された、というような「小説の経験」をおもちでしょうか?それはやはり大江作品ですか?そしてどの作品ですか?大江作品でなくても結構ですので教えてもらえたらうれしいです。

 それではまた。
2001/3/4, かえで
いとうくにおさま いつもお世話になっています。
今度大学生になる娘もライターか編集関係に仕事がしたいそうです。
また機会があったら 教えて下さい。
 
 東京近辺では 皆さんで読書会などしてみえるみたいで羨ましいです。 名古屋近郊では ないのでしょうか?
 もし ありましたら教えてください。
 芹沢光治良は 記念館があったり各地で勉強会があり名古屋でも行われ 回報もあります。
  
 混沌とした先の見えない時代 また 21世紀は心の時代とも言われます。  宗教も日本人の根底に流れているのに オウムや法の華のおかげでお金儲けや 自分達だけの小さな考えしか出来なくなっている。
 土着的な宗教観は嫌がられるかもしれないけど 信仰があり 祭りが残り 伝統芸能が残っている土地は間違いなく人の心がきれいなような気します。
 物に走る子供 子育てを放棄する親。金にしがみつく老人。
 こんな時代だから 作家がどんどんメッセージを世の中に送って 人の心を救って欲しい。
 五木寛之さんの作品が飛ぶように売れ、瀬戸内寂聴さんの講話に涙する、 人々は 何かに救いを求めているんです。
 
 大江作品には そのヒントが沢山織り込まれている。
難解だから何回も読んで 身体に染み込ませていきたい。
だからこそ世界に認められた理由があるのではないでしょうか。
2001/3/3, いとうくにお
住友さん、はじめまして。広島のお話ありがとうございます。実りの多い旅行だったようですね。僕も一度くらいは広島に行ってみたいと思っています。
2001/3/3, 住友
 初めまして。 先日、広島を旅行したら、思いがけず「大江健三郎の格好良さ再発見の旅」となりました。
 平和記念公園にある資料館。ここを見学するのは2回目で、今回も見終えたとき気分が悪くなってしまいました。憤りや恐怖や絶望感によって。しかし、出口付近に大江健三郎の写真と言葉が!その希望的な言葉(決して無責任な楽観ではない)によって一挙に気分回復!!前訪れたときもあったのでしょうが、まだ大江ファンではない高校生の目には留まらず、したがって気分もすぐれぬままでした。素晴らしい大江効果。
 次に行った広島市現代美術館では「オマージュ20世紀ヒロシマ」という特別展が開催されていて(3月25日まで)、テーマごとに分かれたコーナーのひとつに「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」がタイトルとして付けられていました。同名の作品もあり、燈籠流しを模したライトアップ、大江光の音楽と幼年期の写真、「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」と書かれたボードの組み合わせで、幻想的な雰囲気を作り上げていました。美術作品としては「大江親子にいいとこ全部持ってかれてるけど、作者はそれでいいのかな。」と思いましたが。
 大江健三郎が、ヒロシマや核について考え発表してきたことの成果は、やはり広島で一番強く感じると思いました。私にとって大江健三郎は「すごくおもしろい小説を書く小説家」ですが、「原水爆廃絶のオピニオンリーダー」と捉えている人も確実にいることが、広島に行ってわかったし。手も足も出なかった核問題も、大江作品を入り口にすれば、私でも考えられそうです。のんきでミーハーな言い方ですが「好きになった人がすごい人でよかった!」とつくづく感じました。
 「ヒロシマ・ノート」を読んだのですが、これ以上書くと長くなるので(もう十分長い)、今日のところは失礼して、日を改めます。読んで下さってありがとうございました。
2001/3/3, 海老原由美子
大江さんの生と小説との関わりから言っても、『宙返り』を読むことが、大江さんがどのようにスピノザを読まれ、自らの信仰の問題と取り組まれたかを知ることに他ならない、のでしょう。ちょっと、横着して楽をしようとした自分が間違いでしたね。今、お話を伺えば、『宙返り』には、故郷の村の中学も描写されているとか。是非とも、じっくり読みたいと思います。
ちえさん、いとうくにおさん、読んでくださった皆様、ありがとうございました。
立花隆氏との対談をこれから読んでこようと思います。そして、これからも立ち寄らせていただきます。
2001/3/2, いとうくにお
あの中学校に通われた方と話せるなんて嬉しいです。大瀬中学では、授業で積極的に大江作品と取り上げるとか、そういうことはあるんでしょうか。それから『宙返り』は読まれましたか? 音楽堂の描写は、どのように感じられました? 実際と同じでしょうか。
2001/3/2, 有希子
こんばんは。
そうなんですよ、音楽堂のあるあの中学校に通いました。
私が2年生で在学中に大江さんがノーベル賞を受賞されたんですね。
当時は毎日のようにお客様が見えてらして、(もちろん
大江さん本人も何度か来てくださいました)
大瀬が思いきり活性化しちゃってましたね!
相変わらずいなかですが、やっぱり大江さんの胸の内に
ある通り、すごくいいところだと思っています。

何だか、大江文学とは関係のないメッセージになってしまい
ごめんなさい。今度こそ文学について語ってやりたいです...。
2001/3/2, いとうくにお
有希子さん、はじめまして。大瀬の方なのですねえ。あの音楽堂のある大瀬中学に通われたのでしょうか? そういえば先日の大江さんの講演会には、大瀬中を設計した原広司さんもお見えでした。
いまむらさん、こんにちは。質問が適切でなかったということはありませんよ。リンクコーナーからもリンクしてますが、立花隆氏との対談は読まれましたでしょうか。二十歳のころどうしていたかというテーマで、大学に入学したときの話も出ていますよ。
2001/3/2, いまむら
お答えありがとうございます。私は、二十代半ばにもなって大学にいって学びたいと思うようになりました。自分の事をみっともないと思う私が、少しばかりは許されることかな?と判断した答えかもしれません。
何か自分の中でしっくりこないと言うことかもしれませんが、自分の次の目論見に対して大江さんの体験談を知ることで、次の歩みのあとおしにと考えていたんだと思います。掲示板に投稿される方のお話を読んでいると自分の質問は適切ではなかったとも思います。幼稚な質問申し訳ありませんでした。
 なぜ、こういう質問に至ったかと言いますと三重大学の講演で笑い話としてお話になったことを目にしたからです。ただそれだけです。沖田さん、優しいメッセージありがとうございました。
2001/3/2, 有希子
こんばんは、はじめまして。
偶然通りかかり、すみずみまで拝見させて頂きました。
ほんとに素晴らしいです。なんだかとっても勉強になりました。

私は、大江さんの本を最近少しずつですが読んでいます。
やっぱりとっても時間がかかってしまうのですが、
例えゆっくりでも、みなさんといろんな意見を共有できるよう
読み進めて行きたいと思っています。
私は大江さんの生家とは徒歩5分のところに住んでおり、
谷間の情景描写を読む度にあったかい気持ちになってしまうのです。
また、のぞかせてもらいますね。
2001/3/1, いとうくにお
いまむらさん、こんにちは。受験のときの苦労話ですかあ。図書館で勉強したというような話が『取り替え子』にも少し出てたような気がしますが、現実の大江さんの体験というのはあまりかかれていないかもしれませんね。一浪して藤沢に下宿したとか出てたのは「すばる」だったかな。しかし、どうして受験時代のことにご興味をおもちなんでしょうか?
沖田さん、こんにちは。僕はしんどいときには大江作品に出てくる「なにくそ、なにくそ」「いじけてないで」「元気を出して」などの言葉を思い出してみます。そうすると、すこしだけ気分が前向きになるような気がします。
かえでさん、僕はテクニカルライターというのをやっているんですが、詳しくはこのサイトをご覧ください。
2001/3/1, かえで
沖田さんへ
 同じ主婦として 時間を作って大江作品を楽しんでいきましょう。
 はなまるマーケットに出演の際 財産でも 知力でもない 人間性でもない
 魂の力を若い人に付けて欲しいと熱く語ってみえました。
文学には 大きな力がありますね。 これからもよろしく
 
まさか 大森一樹さんは映画監督さんじゃないですよね。
もしそうなら 大感激。
作家もすごいけど 映画監督も原作を選んだり 自分で脚本書いたり もーーすべてが出来て凄すぎ。  もし違ったらごめんなさい。
 
失礼続きに いとうくにおさんは 何をしてみえる方なんですか?
最近は 急に書き込みが多くなって楽しいです。すべて いとうさんの尽力の賜物です。もし 御本人が読まれて 登場したら・・・・・・素敵ですね。
2001/3/1, 沖田直江
こんにちは。
書棚にある大江作品をかぞえたら、15冊もありました。
学生のころ難解だと思いつつ、それでも見栄で大江作品を読んできました。あれから
20年、主婦になり、時間的余裕のある現在、読書三昧の生活を楽しむようになって、
気づいたら自然と書棚に15冊もの大江作品。思えば子育ての困難にぶつかったとき、
苦しみの膿を吐き出させてくれたのが大江作品でした。これから、もっともっと大江
健三郎を読みたいです。そして魂から大江健三郎を読める自分をうれしく思っていま
す。
2001/3/1, いまむら
大江さんが受験の時の苦労話とありましたが、その話の内容を詳しく知りたいので何かそれに関係する出版物がありましたら、教えていただきたいと思います。ぜひ、お願いします。
2001/3/1, いとうくにお
玄さん、文庫の情報ありがとうございます。
海老原さん、くみちゃん、のんのんさん、はじめまして。のんのんさんから『政治少年死す』の入手法についてご質問がありましたが、裏の発禁本シンジケートみたいなものがあるわけではなくて、雑誌『文学界』1961年2月号に掲載されているので、そのバックナンバーを大きい図書館にいって読むというのが答えなのです。全部ホームページで読めるようになったら便利なんですけどねえ。
ちえさん、こんばんは。ちえさんは楽器もやるからご存知でしょうか。武満徹のファンって、かなり大勢いるんでしょうか? 22日のイベントに集まった大勢の人たちは、武満徹のファンだったのか大江さんのファンだったのか、どういう比率かなあとちょっと興味をもったものですから。
2001/2/28, ちえ
こんにちは。ちえです。
近頃、掲示板が賑やかですね、。一時からみると、息をふきかえしたよう(笑)。しかも、内容が濃厚です。
そして、たびたび「あらっ」と思うのですが、『取り替え子』をお読みになって、こちらを訪ねてこられる方が、結構いらっしゃるんですね。いとうさん、大江さんに宣伝料でも・・・???
2月22日、わたしも行けば良かったと少し後悔。でも、雪の夜のエピソードはわたしも以前聞いたことがあります。今日、ある音楽雑誌(名前を忘れました。ごめんなさい。)で、鮫島有美子さんと谷川俊太郎さんが対談しているのを読みました。鮫島さんが武満さんの作品を歌うのだそうです。『ノーヴェンバー・ステップス』に代表されるような重層構造の複雑な作品を生み出す傍ら、ごくシンプルな作品がある。それがまた、非常に美しい曲だ、とお二人とも評価されていました。
ニコルさん、はるさん、市井さん、海老原さんのお話、大変興味深く読ませていただきました。
それではまた。
2001/2/28, のんのん
 はじめまして。二週間ほど前にこのサイトの存在を知りました。
皆さん深く読み込んでいらして頭が下がります。 私も二人の乳幼児を育てるかたわら、なんとか時間を作って読書しています。 でも自分が母になると、どうしても小説の中の「母」の部分に目が行ってしまい、冷静な読み方が出来なくなるようではがゆく思っています。 
 さて、以前から『政治少年死す』を読みたいと思っていたのですが、現在刊行されていないとのことであきらめていました。 こちらのサイトの関連書籍のコーナーでは裏の(?)ルートで入手なさったように書かれていましたが、どうしたら手に入るのでしょうか。
 もう何年も読みたいと思い続けています。 どなたかご存知の方がいらしたら教えてください。
2001/2/28, くみちゃん
こん日は.初めてお便りします.私と大江作品の出会いは高校生のころで、「性的人間」でした。数ページ読んで受け付けなくて、以来興味のない作家として過ごして来ました.
それから20数年たち、大江さんがノーベル賞を受賞されたのをきっかけに興味を持ち、「個人的な体験」を読み 少し理解できたような気になりました.
以後「かい復する家族」「ゆるやかな絆」を読み、大江さんのやさしさにひきつけられファンになりました。「燃え上がる緑の木」も3部まで読んでしまいました。むずかしいけれども、ゆっくりと読み進むとじわっと染み込んでくる感じです.最近離れていますが、このホームページに出合ってうれしくなりまた挑戦してみようと思います.
2001/2/28, 海老原由美子
『個人的な体験』・『新しき人よめざめよ』・『レインツリーを聴く女たち』・『懐かしい年への手紙』・・・・・
今、作品紹介のところをみてきたのですが、自分が大江さんの本に親しんでいたのは、主に80年代だったのだなあ、と初めて知りました(『個人的な体験』は除いて)。ノーベル賞受賞のニュースを出産直前の産院のベッドで聞き、自分のことのように、喜びました。その後、ギュンター・グラス氏との対話文等は読んだものの、作品からは遠ざかってしまいました。子育てが一段落し、また応援していたグラス氏も受賞し、なぜだか、ホッとし、今また『取り替え子』が出版されて、あの世界に・・・と思いました。そして、このサイトを知ったのです。こんな風に書いているからといって、とりたててノーベル賞というものに重きを置いているのではありません。でも、この賞は受賞した作家の作品をかなり広く紹介する力を持っているのでは・・という気がするのです。そして、大江さんが受賞するのであれば、グラス氏も。と思っていました。私は、ドイツ文学をずーっと読んできましたので、これはやはり譲れないところでした。
3度程お邪魔したこちらのサイトにこのように投稿する決意をしたのは、今日、「『宙返り』(まだ読んでいません)を巡って」という頁に、大江さんがスピノザを読んだということが書いてあったからです。たまたま15世紀にスペイン・ポルトガルのユダヤ人たちを襲った出来事からスピノザについて読み始め、さまざまに思いめぐらしていたもので、大江さんがどのようにスピノザを読まれ、ご自信の信仰の問題と対峙されたのか、参考になる文章がこの作品とは別にありましたら、教えていただきたいと思いました。もちろん、『宙返り』も読みたい、と思っています。教えていただけたら、幸いです。
2001/2/27, 玄
こんばんは。
来月、『私という小説家の作り方』の文庫版が出ますね。
唯一の自伝とも言われているようなので、
この機会に読んでみようと思います。
この本を知ったのが一昨年あたりなので、文庫化を待っていました。
「もうすぐ出る!」と。
長かったです(笑)。
2001/2/27, まさ
大森一樹さんへ

わたしには大江文学のことを語る友人が身近にいませんでした。
でも、この掲示板でいろいろな方の感想や意見をきけるようになって
今まで以上に読書が楽しくなりました。
読書は自分自身の心の対話であり、また感想を語り合うことは他人との心のコミュニケーションであるとも感じるようになりました

「春の日差しの中に無鉄砲に飛び出して若々しい娘さんと小説のことなど語り合わん事を」という言葉、本当にその通りですね。
私はあまり若くはありませんが飛び出していきたいと思います。
2001/2/27, いとうくにお
まいけるさん、はじめまして。僕はそれほど本は読まないほうなんですが、好みの作家がいるというのは幸福なことですよね。その作家の本の数だけ、楽しみの種が存在しているわけで。『宙返り』読まれたら、感想など聞かせてもらえると嬉しいです。
2001/2/27, まいける かーばはる
 こんにちは、大江さんの作品をゆっくり味わいながら読んでいます。
そうでないと、僕の楽しみが減っていくようなきがするからです。今はまだ宙返りを読まずにとってあります。どうしようもなくなったら読みます。読書の楽しみを教えていただいた大江さんに感謝します。大江さんの作品は、僕の頭の中の映像を鮮明に引き出してくれる、いや引き出せる自分もすきなのかな。じぶんばかりですみません。おわり
2001/2/25, はる
そうなのですか・・知らないことが少しづつ見えて、
とても嬉しい。まるでルオーの絵のように、ぬりこめ
られし祈りのふみ。
多くの小説家が推敲を重ねて作品を生みだすのでしょうが、
「死に化粧」ですか。言えませんねぇなかなか。 
大切なのは、神に向き合い立っているか。 神は表面の
立派さや優しさを人に望まれはしないでしょうね。そして、
どんなに推敲しても、神の前には習作なのでしょうね。
いのちはあるか。
死んで行った人々の 言葉が後に蘇り、生きる力や喜びや、
思索の基とるならば、生きているといえるでしょう。
・・・わたしにもできるかな、そんなすがたと
    いきたことば、みぢかなひとにのこすこと・・・
市井さん。わたしも始めは「ここはどこ?あなただあれ??
?なんなのよー!」って思いました。考えずに数頁読み進む
と、あら!まっただ中に自分がいるのに気が付くの。
2001/2/25, 大森一樹
市井様
 読書は作者との個人的な対話。自分の心との対話だと思います。
本には虚心坦懐に向かう。また、そうした行為の中で沸き上がってくる
ある<ものたち>これはなんにも代え難く、しかも自分の感じ方として
信じてしかるべきでしょう。
 しかも、人間はよくしたもので私の経験からすると、人との間に驚くべき<共
 通感覚>を持っています。
古典・すばらしい作品といえるものは、この人間の共通感覚の賜と思います。
 市井さんには、春の日差しの中に無鉄砲に飛び出して若々しい娘さんと小説の
 ことなど語り合わん事をお勧めします。20歳代に戻れたらどんなに良いこと
 か。全財産をなげうってもかまいませんよ。
2001/2/25, いとうくにお
市井さん、こんにちは。読者による本の受け止め方は「ある種の独善的な解釈」だというお話、確かにそういう見方はできると思います。僕などは開き直りと思われるかもしれませんが、作者の意図を理解するために作品を読むのではなく、基本的には、広い意味で楽しむために自分は読書をしているのだと思います。だから自分の読み方、受け止め方が作者の思惑からずれていても仕方がないし、人と違ったとしてもやはり致し方ない。そう思います。ただ、人は人それぞれ違いますけれども、それは細かいレベルでの差異であって、大きく捉えればそんなにバリエーションはない、なんていう気もします。
それにしても市井さんのように母親と読書体験を共有できるというのは素晴らしいことですね。
2001/2/25, 市井
北の国からこんにちは。市井です。
唐突ですが:
ぼく(20代)と母親(50代)は、よく本の薦め合いをします。
これには二つの理由があって、ひとつめは母親とぼくが
文学に関することだけでなく、
色々なことに関する思考なり嗜好なり志向なりが似ているので、
ひとつの作品に対する感想を交換するのが、ときに自分なりの
より深い理解に達する手助けになるということ。
そしてふたつめは読書を楽しむ友人がいないということです。
今まで交換した本は数知れず。
『大地』、『クヌルプ』、『メノン』、『白痴』その他いっぱい。
でも今までぼくがとても好きな大江文学を母親に薦めたことが
なかったのです。その理由は思いつかないけど。
で、今回の『取り替え子』、ぼくはまさしく魂が打たれたので、
いよいよ母親に勧めてみました。
数日してから彼女に感想を訊くと、本を読むのが早い母親が、
「難しくて読み進められない」との答え。
勿論「読書百ぺん、意おのずから通ず」と彼女に言うことは
出来るのかもしれないけど、それにしても、何が難しかったのだろう。
そんなことを考えながら、改めて、
一冊の本と読者の出会いは個別的で、その交わりの場はぼくの場合、
ある種の独善的な解釈に満ちたものなのかもしれないなあと、
自分の本の読み方を省みることが出来ました。
つまり分かった気になってるだけの読み方をしている気がしたのです。
ここに書き込みされている方たちは、皆さん大江文学に
思い入れがある方たちだと思われますが、
皆さんはどのように文学と向き合っていられるのか。
そして自分の解釈とどのように向き合っていられるのか。
と、そんなことが気になって書いてみました。
ぼくとしては本の1ページごとに自分にしか見えない(独善的!?)
知恵の実のようなある種の知的な結晶のようなものが在って、
それを食べるために本を読み進めているつもりなのですが。
なんだかまとまってないですね。長々とすみません。
2001/2/24, いとうくにお
ニコルさん、はじめまして。大江さんのお話は本当に内容の濃いものでしたね。三島由紀夫については、すばらしい文章だが最初から出来あがっているもので、それを推敲しても死人に化粧するようなものだと厳しく評価してましたね。
武満作品の演奏会のあとに大江さんが付けていたノートがあって、その題名が独座観念帳であるというお話も面白かったです。独座観念は一期一会と同じ文脈で出てくる茶の言葉だそうですが、大江さんが茶の用語を用いるというのがなんだか意外な感じもしました。
芸術家ではない人間にとってのエラボレーションとは何かというのは、興味深いテーマですね。例えば、芸術ではないにして、仕事のことや生活のこと、精神生活のこと、そういうものをよりよい方向へと磨いていくという意味でのエラボレーションということは、可能でしょうか?
2001/2/24, ニコル
はじめまして。「取り替え子」でこのホームページを知り,時々覗いています。
もう20年以上も大江フリークです。
やはりこの掲示板で知った大江さんの講演「武満徹のエラボレーション」を聞いてきました。
ほかの方も書いているように武満さんとの雪の日の印象的な出会いをユーモアたっぷりに語られた後(聴衆を引き込むという側面とおそらく、大江さんの緊張を自らほぐすということを意図して、あのように笑いを誘う話をされるのだろうなと思ったりもしましたが)、「エラボレーション」という言葉をキーワードに武満さんの音楽に大江さんなりの解釈を与えるお話をされました。その話の中に,エラボレートする作家としての大江さんの芸術に対する真摯な「祈り」のようなものが感じ取られて、満ち足りた気持ちで会場を後にしました。(もちろん武満さんの作品のコンサートも楽しめましたが)
もうひとつ興味深かったのは、大江さんが、エラボレートする作家として「安倍公房」を評価しながら「三島由紀夫」については「始めから作られている文章でありエラボレートではない」と断言されたことです。「すばる」3月号の「大江健三郎の文学」の対談での三島に対する評価「(戦後文学に対決するつもりで自分の小説世界を築いているが、その対決の仕方が「根本的に間違っている」という厳しい批判)と合わせて,逆に大江さんの文学の方向性がはっきり見えてくる発言でした。
講演の終わりの方で、文学について、「エラボレートする中で意識しているものから自由になっていくことで、より根本的なところに行き着く」という趣旨の話がありました。大江さんが小説を書き上げていく過程で幾度も書き直しをするというのはよく知られていますが,そのことを言われているのだろうなと思った次第です。
2月にしては暖かい夜でしたが、自宅に向かいながら「芸術家でも何でもない自分にとってエラボレーションとは何だろう」などと、普段は考えもしない哲学的(!)な思いにふけったものです。(現実の生活から一気に離れさせてくれるこんな効用が大江文学にはあると思います。そこが大江文学から離れられない理由でもあるのです)
長々と失礼しました。(今回の講演会の情報や「すばる」の対談など,すべてこの掲示板のおかげです。ありがとうございました)
2001/2/24, はる
武満徹さんの『時間の園丁』より
  或る時私は、作家の仕事場というものに対する好奇心
 を抑えられず、大江さんが留守の隙をみて、無断で、
 書斎を覗き見たことがあった。  ……略……
 私を驚かせたのは、大江さん自身の原稿だった。
  最初に書かれた文を、殆ど、読みとれないまでに抹消
 する鋭いペンの線が、まるで、ヴォルスの線描きのように、
 幾重にもひかれ、また或る箇所は、訂正のために切り貼り
 された紙で、まるで、小学生が教室で作る立体地図のよう
 に、盛りあがっていたりする。それを眺めて、私は、かれ
 の思考の激しさと、厳格さに、圧倒されるような思いだっ
 た。
やはり【elaborate】は共通のキーワードでしょうか?
2001/2/23, いとうくにお
まさん、僕もその講演に妻同伴で行ってきました。雪の夜に光さんとクマの毛皮を着て外に出たら、道の向こうから傘をさした武満さんが雪に浮かれて踊りながらやってくるのを見つけ、親子グマの姿で驚かせて山本直純のようになられては困るからと生垣に隠れた、なんていう楽しい思い出話もありましたが、全体としては、武満徹の生涯、芸術、現代の芸術全般の姿についてelaborate という言葉をキーワードにした真面目なお話でしたね。武満徹への敬愛の念がにじみ出るようで、大江さんにとって武満徹がいかに大切な存在であるかということを改めて思い知らされた気がします。講演の最後のほうで、自分がこのようなしっかりした場所で武満徹について話すのはこれが最後だろうと語られていたのが強く印象に残っています。
2001/2/22, まさ
このホームページで知った東京オペラシティホールでの
大江氏の講演に行ってまいりました。
直接、大江氏御人の口から語られる武満氏と小説についての
思いは心に深く響きました。
演奏もまた、すばらしいものでした。
もう一度、「宙返り」を読み直したいと思います。
他にもどなたか行かれた方がいらっしゃったら
感想をきいてみたいです。
2001/2/22, はる
こんにちは
初めて大江さんの小説を読んだのは、20代でした。
難しい文と大江さんのお母さまが、なぜあなたはそういう事を
多く書くのか?と口ごもられた、同じ思いで、3冊読んだ後
放り出してしまいました。
再読始めたきっかけは、クリスチャンの友人が、
  私たちよりずっと、神様に向き合っている方だと思います。
  私たちと同じようではなく、争うという仕方であるかも
  しれませんが。
と、少し上気した表情で話したのを聞いたからで、40代に
なってからでした。
『新しい人よ眼ざめよ』から入りました。
で、イーヨーにした「足の定義」と『ミルトン』の引用と私の
友人の話しが合わさって、私は大江さんに聖書の中のヤコブを
かさねました。
神様と格闘し、もものつがいがはずれ、(足ではないの残念)
「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」
と言い、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと
言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」
と言われた人物です。
あれ・・、痛風ではなかったの? では、なおさらです。
2001/2/19, しげる
「取り替え子」完読。伊丹映画のファンなので、創作の秘密が発見できるかもしれないという事と、大江先生が友人の死をどのように描くのかに興味を持って読みました。
 ランボーの詩とセンダックの絵本が引用されていたのがキーなのだと思いました。ランボーの詩は文学者のなすべき事が凝縮されていたと感じました。センダックの絵本のラストには、先生のこれからの仕事に対する方向性が示されていたと思いました。
 全体を通して、文学論ではなかったでしょうか、先生はこれから来る文学者の生み直しをこの本とこれからの著書で著わそうとしているのではないかと感じました。
 柳さんの件。
 文学と宗教は紙一重なものだと考えているのですが、柳さんの「水辺のゆりかご」を読んだ時、この人は自分を伝説(祈りの対象)にしようとしているふしがあると思いました。だから、彼女は限り無くリアリティーのある虚構を書く必要があるのじゃないでしょうか。その結果のこの裁判。彼女は確信犯で書いているはずだから、最後まで争って、その責任を負うのだと予想します。しかし、そんな彼女のあぶなっかしさに「そこまで自分を追い詰めなくてもいいのに」と個人的に心配です。
 「個人的体験」
 人生、壁にぶつかって身動きの取れない状況に陥る時があるもので、そういう時にこの作品を読むと勇気つけられるのじゃないかなと考えます。印象に残っているのは 火見子の「genuine」の台詞でした。
 文学論としては、読者が抱えているだろう解決困難な問題を障害を持つ息子という形で表現した点が、衝撃でした。文学とかこういうものかと気付かされた一冊です。
2001/2/18, かえで
「響きあう父と子」は私も娘と一緒に見ました。
とても 内容の奥が深くて 一度で大江親子のファンになりました。
光さんの曲は知っていましたが、どうも二人がつながらなかったですが、すべての謎が解けたという感じでした。
 私も 10冊以上は読んでいますが、どうも簡単に頭に入る本ではないので 間に軽い本をはさんで読んでいます。
 「個人的な体験」は 私からもお薦めです。
性的人間 と政治少年死す に次は チャレンジするつもりです。
今は 村上龍の「希望の国のエクソダス」を借りているので これから読みます。
 柳さんの事が 書き込んでありましたが、先日「命」を読んで 彼女の事が良く分かりました。 激しい気性の母の影響で彼女は 何か少し感覚的にずれがあるのかもしれない。  人を好きになると 必ず周りの人を苦しめるとか、好きな人とはとにかく会いたい
たとえ5分でもいい。  自分の心に正直なんだと思います。
 自分が小さい頃から 家庭内で傷ついた事が多かったので 周りの人もこれくらいは大丈夫と感じているのかも。
 でも 最愛の人を亡くし、新しい命を授かった事により 違う幸せがある事を知り 自分の命も大切にし これからの作品が 少し楽しみになりました。
2001/2/16, いとうくにお
はるさん、こんにちは。判決のことが昨日の新聞に出ていましたね。柳さんはどう対応するのかな。彼女の小説は読んだことがないのですが、子供を産んでからずいぶんと表情が柔和になったような感じがします。このモデル小説の問題についても以前とは違う考え方をするようになっているかも。なんていう想像は、ぜんぜん根拠がありませんね。
2001/2/16, はる
1999年の柳美里さんの裁判で、原告側の陳述書に大江さんは
こう書かれました。(朝日新聞より)
 「(モデルを)傷つけ苦しみを与えた時」は、「幾度でも書き
 なおして、この現実社会にそれで傷つき苦しめられる人間を」
 つくらないようにすべきではないか。
柳さんは、「テーマ」が大切なのなら、何故その「一部」を書き
直す事をしないのだろう?れんしゅうしたらよいのにね。 はる 
2001/2/16, いとうくにお
まもるさん、こんにちは。『個人的な体験』は、いいですよね。気が向いたら、他の作品の感想などもお聞かせください。
2001/2/16, まもる
こんにちは。
ML、発言はしませんがいつも楽しく読ませて頂いております。

最近、札幌に行くことがあって、
僕は札幌滞在の最終日に何もすることが無かったので
ふと本屋に入り『個人的な体験』を買いました。
その日は駅の待合室でも空港のロビーでも
機内でも帰りの電車でも『個人的な体験』を読みつづけ、
結局一日で読んでしまったわけですが、
火見子の言っていた「多元的宇宙論」や、
アフリカ人小説の「強盗幽鬼」の話などが
現在読み進めている『取り替え子』と通じるものがあって、
大江さんの小説をこれから読み進めていく上で
とても大切なキーワードになってくるような気がしました。
人って、やっぱり「多元的宇宙論」のようなものに
どうしても寄りかかってしまいたくなるんでしょうね。
大江さんは若い頃にその考えを小説に示し、
それが現在でもひとつの問題として存在するのだから、
そういう意味でもすばらしいお仕事をなさっているなあ、と思います。
これからも、大江作品初心者の私ですが、
大江作品をどんどん読んでいきたい、って、ホント強く思いました。
2001/2/15, いとうくにお
はるさん、はじめまして。書き込みありがとうございます。僕も、なかなか一気には読めないので、ぽつりぽつり派ですね。
2001/2/15, はる
はじめまして。大江さんの小説をぽつりぽつりと・・迷子にな
ってしまわない程度に・・読んでいます。
大江さんの言葉を追うと、生き方の基の位置に戻れるような
気がします。
とても単純な読み方ですが、宮沢賢治の
 「いろいろな暗い思想を太陽の下でみんな汗といっしょに昇華
  さし……われわれは楽しく正しく進もうではありませんか」
に、少し似ているような・・。
『取り替え子』を読んでますますそのように思いました。
『取り替え子』という言葉、どこかで会ったなあ、と思いまし
たら、35年前に読んだ、『ジェーン・エア』の中でした。
  「この口の悪い取換児め―人間の形をした妖精め?あなたは
   まるで・・・」と。
ぽつりぽつりフアンとしては、ここはとても嬉しいサイトです。
ありがとうございます。   はる
2001/2/13, いとうくにお
かずまさん、はじめまして。念仏踊りのことは、日本語の百科事典や広辞苑などを引くと出てきますよ。ウェブでも「念仏踊」や「踊念仏」で検索すると、いろいろと出てきますので、お試しを。
2001/2/13, かずま
こんにちは。今、アルゼンチンの、アメリカンスク―ルに行っていて、英語のクラスで、万延元年のフットボ―ルを、読みました。それで、今度、プレゼンテ−ションを、しないといけなくて...

話の中に、"念仏踊り"っというのが、出てくるけど、これは、実際にある踊りなんですか?もし、どなたか知っている方がいれば、教えてください。後、その踊りの意味などもわかると...

      kaz820@hotmail.com  にメ−ルを送ってください。
2001/2/12, いとうくにお
だいきちさん、はじめまして。『響きあう父と子』はNHKからビデオが発売されています。たぶん大きい図書館だと、収蔵していて借りられるか、視聴できるのではないでしょうか。うちにも録画したものがあるので、着払いでもかまわなければお送りしますよ。
2001/2/12, だいきち
はじめまして。
ぼくは修士論文で大江氏の文学作品をテーマに
しようと試みているしがない大学院生です。
教えていただきたいことがあってメールしました。
7年程前にNHKで「響きあう父と子」というタイトルの
特集が組まれたと思うのですが、どこかで手に入らないでしょうか?
手に入らないまでも、せめて視聴したいのですが…
情報をお持ちの方、ぜひよろしくお願いします。
ちなみに、ぼくは北の方の地方都市にすんでいて、
三月に東京にいこうと思っているので、それまでにNHKの
ビデオライブラリーの情報などがあれば助かります。お願いします!
2001/2/11, かえで
取り替え子 の後半ゆかりさんの心情が事細かに書いてあって 同じ女性としてとても興味深かったです。
 伊丹の妹として また偉大な父を持つ娘として、そして 高名な作家の妻として そして光さんの母として。
 どんな夫婦かは はかりしれませんが ゆかりさんが才能豊かで
奥ゆかしく じっと大江さんを見つめてこられたのですばらしい作品が生まれたのは確かだと思います。
 私は 主人とまったく趣味が合いません。
休みは 競馬新聞しか見ない人とは 文学論をするなんて夢のまた夢です。 みなさんの ご意見をこれからも楽しみにしています。
2001/2/11, いとうくにお
KAWAGUCHIさん、情報ありがとうございます。ウサギで実験というのは、ちゃんと科学的根拠のある話なんですね。書かれた論文は博士論文ということですから、僕が読んでもわからないとは思いますが、もし大学のサイトで公開されるようなことでもあれば、読んでみたいものです。
ビーマンさん、はじめまして。年代順に読まれているということは、『宙返り』や『取り替え子』といった新しい作品はまだということですね。初期作品から新作へと至る時間旅行、といった感じですね。気が向いたら、ご感想などまた書き込んでください。
2001/2/11, ビーマン
はじめまして。
大江さんのファン倶楽部なので、つい、書くこともないのに、今、メッセージを送ろうとしています。
一昨年読んだ「飼育」を始めとして今までに、「万延元年のフットボール」までの十冊ほどしか読んでいません。
僕は年代順に読み進めていっているので、このサイトの年譜などを参考にして、今後大江さんの作品をすべて読破するつもりです。
おわり。
2001/2/10, KAWAGUCHI
いとうさん。はじめまして。現在某大学院において、大江研究で博士論文をほぼ書き上げた、いわゆる研究者のはしくれです。ずいぶん昔からたまに覗かせて貰ってます。メーリングリストにも参加しているのですが、いままで皆さんの真摯で楽しい投稿を拝見するばかりでした。
 あまり詳しくないのですが、ラバンナジールさんの疑問に関しては、以下のような説明ができると思われます。
 人は妊娠すると、通称HCG(human chorionic gonadotropin、人胎盤性性腺刺激ホルモン)が胎盤で分泌され、それが腎臓を通じて尿中に排泄されます。従って尿中にHCG 反応があれば、胎盤があること、すなわち妊娠を意味します。このHCGを兎やマウスなどに注射すると、その動物たちの卵巣や尿に特異な反応が見られるそうで、以前はこうした方法で妊娠判定が行われていたようです。現在では免疫学的証明法という方法が行われているようです。「見るまえに跳べ」は斎藤美奈子氏の言う「妊娠小説」の典型ですが、それにしても大江作品は細部まで芸が細かい!
 村元優子さんのお探しの「新しい人」の英訳は、わたしも探しましたが見つかりませんでした。あればどなたか教えてください。「新しい人」はなぜか他の言語でも翻訳されていないようです。
2001/2/10, いとうくにお
ラバンナジールさん、はじめまして。『見るまえに跳べ』はまだ読んでないなあ。どなたかご存知ないでしょうか。
朝霧さん、こんにちは。「すばる」3月号で大江さんは、「日本のヤクザシステムは、日本の民主主義、日本の文化を考える上で最悪の要素だと信じています」と語ってますね。
2001/2/10, 朝霧
また来ました。
取り替え子、読了しました。大江はには、先ず、changelingという言葉が気になっていたのではないでしょうか?ネガチヴな意味を持つこの言葉に、ポジチヴな意味を付与できるとしたら、まさに、デモクラット、あるいはディレッタントとしての役割を果たせる、と思われたとしても(小説を書く本義では無いにせよ)それはそれとして評価できると思いました。
取り替え子のテーマは、やはり、生と死と暴力ですね。大江は数十年この問題に関わってきました。私も、彼に導かれるようにして、この問題を考え続けています。
時あたかも、取り替え子を読んでる、まさにその期間に併せるように私のところへ、やくざものからの電話が来続けていました。それらに負けることがなかったのは、この小説の力にもよるのかもしれません。
次は、違う作者ではありますが、症例Aを読み出す予定です。
では、また、来ます。
2001/2/9, ラパンナジール
ずっと気になっていることがあります。
『見るまえに跳べ』で、田川裕子が妊娠し、
「兎で実験したのよ」というようなセリフがあるのですが、
浅学にて意味が掴めず、ここで躓いてしまいます。
どなたかご教示下されば幸いです。
2001/2/9, いとうくにお
村元さん、こんばんは。うーん、アマゾンコムやバーンズ&ノーブルで検索しても「新しい人〜」は出てきませんね。
2001/2/9, 村元優子
新しい人よ眼ざめよ。の英訳本を探しています。どなたかご存じの方はいらしゃいませんか?私の友人で、大学教授でもあるアイルランドの方が、先日この本の話をしていてどうしても読みたいと言うことでした。余り英訳本は見かけないので、無理かもしれませんが、もし心当たりがおありでしたらお教え下さい。
2001/2/8, いとうくにお
ヒロシさん、僕も「躑躅」、読めませんねえ。(笑) 辞書で調べてしまいました。「つつじ」なんですね。
也寸志さん、はじめまして。中学生の息子にアグイーを薦めたお父様の選択眼に敬意を覚えます。「高度な技術と切実な思考をもった、圧倒的な未完成さ」という『取り替え子』評に、なるほどなあと納得しました。
2001/2/8, 也寸志
こんにちは。
皆さんの文章に喚起され私も何か書いてみたいと思うようになり、今回初めての投稿です。と言っても私的なことになってしまいますが・・
大江さんは私にとってもとても重要な小説家です。
初めて読んだのは中学1・2年の頃だったと記憶しています。父から薦められた「空の怪物アグイー」です。その当時の私は読書に目覚め(小学生の頃はほとんど小説等は読みませんでした)、ちょうど流行っていた(?)ニューロストジェネレーションの作家達(マキナニーとかブラッド・イーストン・エリスとか)を読みあさっていました。経済成長のもたらした豊かさ、それを享受しながら目的を探しているような、探す気すらないような少年達の焦燥感や寂寥感、無意味さ無鉄砲さに惹かれていました。またポストモダン全盛で浅田彰の逃走論に肯定的な勇気を与えられたりしていました。村上春樹のノルウェーの森もその頃発売されたと思います。そんな中アグイーを読み、感想はと言うととても面白かった!父の言うことに嘘はない!なんて思いました。難解という印象も受けませんでした。大体において私は節のあるような文章は好きなのです!けれどその後は好きな作家の一人という感じで、いわるゆ代表作は読みましたが自分が揺さぶられるようなことはありませんでした。それが大学卒業後に読んだ「燃え上がる緑の木」によって大江さんは私にとって決定的に重要な小説家になりました。大江さんの言葉を借りればその頃の私にジャストミートしたのです。小説世界と社会、自分を取り巻く現実の三角関係が具体的に(軽々しく言えば)統合されたように思います。以後は彼と同時代にあることを心から嬉しく思いながら、新刊を待つ数少ない読者になっております。先日の「取り替え子」も様々な感慨をもち読みました。一番感じたことは、トップページの引用にもありましたが、書くことが思考の形態であり、何か(アレ?)を掴む行為であるような熟練したナラティブです。そしてその高度な技術と切実な思考をもった、圧倒的な未完成さが最大の魅力だと感じました。それは「取り替え子」の主題が要請しているものかもしれませんが、前に進むにはそれしかないのかもしれません。目の前にあるものが全て新しい何かであるような経験は、大江さんも言っているように小説ではセルバンデスさえ、その後期では無くしているものです。それをもう一度と思えば、自分でも分からないものに立ち向かっていく「壊す人」としての勇気が必要です。優秀作より大いなる失敗作のほうがいい!しかし、これはディーセントではないと叱られますが、大江さんは光さんの誕生といい、伊丹さんの死といい、私たちが容易に触れられない困難を小説で乗り越えの糸口を見つけていく、生まれながらの小説家であると言うほかありません。(きっと生も死も本当はrejoiceなのでしょう)
ながながと書き込みをしてしまい(私は今仕事中です!)失礼いたしました。
このようなサイトのあることに心から感謝いたします。
では
2001/2/8, ヒロシ
 「大江健三郎の文学」という座談会が載っているというので、何年かぶりで文芸誌「すばる」を買って、帰りの電車のなかでぺらぺらめくりながら来ました。座談会といっしょに、榎本正樹氏による「作品ガイド」も付録のようについていて、これも感慨深いものでした。買ったのに読まないまま人にやってしまったなあとか、逆に人からもらって、大江健三郎にはまるきっかけになったなあとか、なつかしく思い出されました。
 『新しい人よ眼ざめよ』が刊行されたときの思い出。ぼくは学生でした。まだ大江文学にはまる前でとくに買って読もうという気にならなかったのですが、あるとき女友達が、――今、読んでるの、と当の本を取り出しながら、わからない漢字がある、と聞いてきたのです。それは《躑躅》。わかりそうでわかりませんでした。ぼくは苦しまぎれに、――ザクロかなあ、とつぶやいたら、ザクロじゃないと思う、とやわらかくもきっぱりと言われてしまいました。
 何年かして『新しき人よ――』が文庫になったとき、《躑躅》にはルビがふられました。そしてぼくはその文庫版を読んだのでした。
2001/2/8, いとうくにお
かえでさん、こんにちは。受験勉強の中で大江作品に出会うという出会いかたもあるんですね。大江作品を使った問題というのは、どういうふうなものなのでしょう。みてみたい気がします。『万延元年のフットボール』を読まれたら、ぜひ感想をお聞かせください。
2001/2/7, かえで
「取替え子」すごく面白かったです。
受験生の娘の勉強に付き合いながら読みました。娘にあらすじを報告しながら。  受験の問題に大江さんの作品はよく引用されるので 受験が終わったらゆっくり読みたいと言っています。
 万延元年のフットボールを買って数年するのにまだ読めません。
名作の誉れ高い作品なのに。  今年は何とか読みこなしたいです。
 でも やっぱり森にまつわるものがすきです。
これからも 自分を高め読みつづけたいです。  よろしく
2001/2/7, いとうくにお
朝霧さん、はじめまして。大江文学をずっと同時代で読まれてきたのですね。ファンクラブといいましても、当初は単にホームページの名称としてそういう名前を付けただけなのでした。それがしだいに発展して、ファンクラブ風の集まりになってきたという感じです。気が向いたら、またご投稿お願いします。
2001/2/7, 朝霧
初めまして。
『取り替え子』をよんでいたら、ファンクラブがあるらしいとわかり、はじめてきました。
『取り替え子』良いですね。私が高校生くらいの頃、全作品集が出ました。30年も前の話です。
その後も、大江健三郎の書く言葉に、様々な感慨をいだきつつ、この歳になりました。
今後も、時折、よらせていただきます。では、失礼します。
2001/2/7, M.S-春
『アレ』が話題になってるようですが・・・・・僕もチェンジリングを読み終わって、わかったような、わからないような・・・・また読み返してみようと思ってるんですが。

ところで「みずから我が涙をぬぐいたまう日」に『あの人』という言葉がでてきましたよね?あれもなんだかよく分からないんです。
主人公の父親のことを言ってるようなんですけど、天皇のことを指しているとも思えるし、谷間の村の指導者、後に『壊す人』という名でよく登場してくるキャラクターの原型のようでもあるし・・・・
英訳では『あの人』は大文字で『MAN』。『アレ』は大文字で『IT』とでも訳されているんでしょうか?(よくわかんないで適当なことを言ってるんですが・・・)
2001/2/6, 玄
すみません。
「アレ」に関して、かなり適当なことを言ってしまいました。
『人生の親戚』は僕も読んだので、「しまった!」という感じです。

セブンティーンさん、情報ありがとうございます。
早速アクセスしてみます。

『キルプの軍団』は面白いですよ!語り手がオーちゃんであるところが新鮮です。
2001/2/6, いとうくにお
セブンティーンさん、どうもです。打ち間違いでしたか…。メールアドレスを確認してなかったので、セブンティーンさんとは別の人かと思っていました。なにかするどい批判精神の表れたハンドルかも、とか考えたりして。あのあとの僕の投稿で、「デブンティーンさん」と書いてしまっているので、恐縮ですがこのままにさせておいてください。「キルプの軍団」はまだ買ってないんですよ。いつになるかはわかりませんが、いつかは必ず読みますので。
2001/2/6, セブンティーン
あっ、すいません!sとdの打ち間違えです。
太ってるので「デブンティーン」でも構いません…(笑)

「政治少年死す」ですが、アザラシのオーリイの絵本が出てきます。
(http://nipthebuds0.tripod.com/←期間限定だそうです。玄さん!;;)
「アレ」と「絵本」の世界は大江さんの作品の重要なモティーフなんですね。
「キルプの軍団」(岩波文庫)が作品リストになかったのですが、面白かったので是非いとうさんの感想も聞きたいなと思っています。
でわでわ。
2001/2/6, いとうくにお
ヒロシさん、はじめまして。僕も大江さんの文章が大好きです。ときには、うっとりとした気分にさせられるくらいで。「アレ」という言い方についての証言もありがとうございます。これまでも何度か使われてきたんですね。
2001/2/6, ヒロシ
 はじめまして。大江ファンです。これまでに読んだ作品数は10と20の間くらいなので、あまりいばれませんが(笑)。どこが好きかと聞かれたら(聞かれたことはないのですが)、たぶん「文章です」と答えると思います。テーマや内容はぼくにはちょっとむずかしい。でも文章(というか語り口というか)はうまいなあと感じます。あんなふうにゆったりと厚みのある時間を味わわせてくれるような文章は、ぼくの狭い読書範囲ではほかにないかもしれません。
 好きなものは長編よりは短編で、『いかに木を殺すか』や『河馬に噛まれる』は何度か読み返しました。さいきん『取り替え子』を読みはじめましたが(ぼくは読むスピードがおそい)、この「チェンジリング」という言葉はたしか「グルート島のレントゲン画法」(『いかに木を殺すか』所収)に出てきたと思いました。
 『取り替え子』は主人公の名前に惹かれて読みはじめて、いま、「アレ」がほのめかされる箇所まですすんできました。「アレ」というのをぼくは『人生の親戚』ではじめて目にしたようなおぼえがありますが、なんかいろんなところで試みられている語法のようですね。『人生の親戚』もまたショッキングなシーンが描かれていて、印象にのこっている作品です。
2001/2/6, いとうくにお
加藤さん、こんにちは。間を空けて再読すると印象が違っていたということは、よくありますよね。僕も大江作品は以前は読むことができなかったんですが、30過ぎてから読んだら引き込まれました。
セブンティーンさん、あの、前の投稿のお名前が「デブンティーン」になっていたのは、意図してということかと思っていたのですが、もしかしてSキーとDキーを押し間違えただけでしたでしょうか?
2001/2/5, 玄
がー!「政治少年死す」読んで見たいですよー!
そうでしたか。「アレ」はそんなに昔からあったんですね。
繰り返しということは、大江氏にとって大切な方法なのですね。
ではまた。
2001/2/5, セブンティーン
いとうさん、こんにちは。
僕も「おやっ」と思いました。『取り替え子』の最終章は<<実の兄を亡くした千樫>>のそれまで沈黙を保っていた内面の経過が描写されます。僕もランボオの「地獄の季節」のADIEUが好きなので『アレ』に異常に拘ってしまうのですが…(汗)ニヒリズムに抗うためにスピノザを精読する古義人と再生へ向かう千樫の問題はまだ解けそうにもありません。繰り返される詩の一節、「背後には<<あの恐るべき潅木>>の他は何もない!……」は聖書に出てくる「善悪を知る知恵の樹」のことだそうです。この本は何度も再読しそうだと思います。

ところで、『政治少年死す ― セヴンティーン 第二部』をドキドキしながら読みました。
この作品が、当時の浅薄な左右の人達から退けられたのは残念なことだと思います。
誕生日をさえ家族に祝ってもらうこともなく、インテリ両親の少年への無関心さと自由放任教育の中で虚無の淵に魅せられ、孤独を深めていった少年の叫びは「他人事」とは思われません。過去の記憶をさまよう安西繁との交流や農場での経験がとても切ないです。

……おれは物置を走り出て叫びたかった、それは夢のなかで鬼に追われているときのようだ、《助けてくれ、助けてくれ、おれはちがう、ちがう、おれはちがう、助けてくれ》……
同じく大江さんの『キルプの軍団』の深く傷つきながらも、忠叔父さんや家族の物語の中で癒されていく登場人物の高校生オーちゃんとは対照的です。

玄さん、「あれ」というのだったら、「政治少年死す」に出てましたよ。(^^;
でも、『取り替え子』の「アレ」とは違うニュアンスがある気がしますが、同じような気もします。(不明瞭に長々とすいません)
2001/2/5, 加藤ひろこ
高校時代に初めて読んだ 飼育 
難しくて分からなかったけれど 40を過ぎてと読みなおしてみると新鮮な発見がありました。  芹沢光治良先生が日本で唯一魂について語れる作家という文章を見て 大江作品を読み始めました。
 森に関するものは 引きこかれます。やはり作家には神や魂の精神が流れていないといけないと思います。
 愛媛の友達が 大江は地元では あまり歓迎されないと聞きました。
どうしてなのか私にはわかりません。お元気で お過ごしください。
2001/2/5, いとうくにお
デブンティーンさん、こんにちは。デブンティーンさんのおっしゃる「深い溝」ということに関係しているかどうかわかりませんが、じつは僕は、終章には「おやっ」という感じがしました。急に視点が切り替わるし、センダックなど他の作家の作品が物語に大きく関わってくるし、展開そのものも、それまで下降しつづけていた飛行機が地面すれすれで急上昇を始めたような感じもします。すべてわかって大江さんは書かれているのだと思いますが。
話し変わって。大江さんは安部公房とは仲が良かったようですね。昨日図書館で立ち読みしたドナルド・キーンのエッセイにもそう出ていました。玄さんのおっしゃるくだりは、これですね。
――安部は戦車を建造するんだよ、ありとあらゆるガラクタに最新式の機材をかき集めてさ。苦労をかさねて、ついに立派な戦車ができあがる。動くぞ、動くぞ、と大騒ぎする。そこまでで二百九十九ページだね。戦車は動き始める、つづいてガクリと停車する、三百ページで、小説は終る!
 太い眉を痛ましげにひそめた三島由紀夫の哄笑の前で、僕は安部公房への大きい懐かしさと敬愛に揺さぶられる。(大江健三郎著「宇宙大の「雨の木」」より)
目に浮かぶようなようではありませんか。ちなみにこの本(『僕が本当に若かった頃』)には、夢を見ながらうわごとをいう人とそれを聴いて解読する人という『宙返り』のパトロンとガイドを連想させる二人組みも登場しますね。まだ本は最後まで読み終わってません。ちびりちびり読んでいるので、相当時間がかかると思います。
2001/2/5, 玄
こんばんは。
僕は数日前に『砂の女』を読んだのですが、
『壁』の方が好きです。まあ、『箱男』を入れた3冊しか読んでいないのですが。
そういえば、「宇宙大の『雨の木』」(講談社文芸文庫『僕が本当に若かった頃』収録)の中で、三島由紀夫が、安部公房の小説よりも自分の作品の方が優れていることを大江氏に認めさせようと、たとえ話をするシーンがありますね。いや、思い出しただけですけど。
いとうさん、『僕が〜』読み終わりましたか?僕は、タイトル作「僕が本当に若かった頃」が一番好きです。「アレ」という言い方は、この小説が最初ではないでしょうか。
2001/2/4, ちえ
大江さんと安部さんについて。
いとうさん、なるほどな解釈ですね。でもどちらも好きなわたしとしては、どちらでもちょっとさびしいですね。
しゃれのお上手な土星さん、『砂の女』も面白いですけど、わたしも『箱男』おすすめします。個人的には『水中都市』っていう短編も好きです。
ここで安部公房すすめているのもおかしいかもしれませんが、このお二方は互いに高く評価しあっていたよう(わたしが安部公房をよく読むようになったのだって、大江さんが誉めていらっしゃるからなのです。半分は。)ですので、おおめにみてくださいね。
2001/2/4, デブンティーン
いとうさん、どもです。
只今、「取り替え子」再読してます。
古義人は吾良の撮ってくれたポートレートの中にずっと留まったままなのに対し、
千樫はモーリスセンダックの絵本の神話の中で再生していこうとしているのが興味深い対比です。古義人はその再生の物語を信じ切れていない気がします。男と女の業の違いというか、深い溝というかそんな感じを受けました。
「アレ」がほとんど詳しく語られないということでより一層そのような印象が強くなります。この点についてみなさんはどのような感想をお持ちでしょうか?


安部公房の「箱男」という作品も凄く面白いですよ。
2001/2/4, いとうくにお
古本屋に大江作品が減って安部作品が増えているということなら、単純に考えて、安部作品を売って大江作品を買っている人が増えている、ということも考えられますね。(笑) 大江さんのほうは新作もあるから、読者市場が活性化されるということがあるのかもしれませんよ。
2001/2/4, M.S-春
>いとうさん、正確な引用ありがとうございました。
ああ、そうだった、「雨の木」の一節でした・・・

ところで「雨の木」に登場する、音楽家Tさん、は、当然武満徹さんのことですよね。
僕は近年の大江さんの小説には、音楽、または、音楽家、が、よく登場してくるなあ、と思ってるんです。
ザッカリー・K・高安(このキャラクターは「燃えあがる緑の木」にも出てくるけど)とか。
やっぱり光さんの影響なのかも知れませんね。
2001/2/4, 土星
こんばんは。
ちょっと古書の話に戻ってしまうのですが、
ちえさん、僕は謎が解けません!返事ありがとうございます。
安部公房ですか・・。「砂の女」しか読んだことないんですけどカフカっぽいイメージを受けました。普通の書店では町田康がハナ・・イヤ目につくんですが。(これって中傷・・掲載されないかも:・・・・。この程度じゃ大丈夫かな。)安部はイダイ(医大)ですからね。(苦笑」)。
2001/2/4, ちえ
玄さん、こんにちは。
お役に立てたようでよかったです。
携帯の着メロは、一音の時はよく自分で音を探しながら作ったりしていたのですが、和音になってからは何しろ面倒で・・・。暇うんぬんというより面倒ですよね。それに、もらってこれたりするし。楽譜をみながら和音を入力なさった玄さんには、ちょっと尊敬のまなざしを向けてしまいます。
ところで、光さんの曲に『ミスター・プレリュード』というのがあるのですが、大江さんの作品の中にも「ホンダ プレリュード」って何度かでてきていますよね?どなたか大江家とプレリュードとの関係をご存知の方いらっしゃいませんか?大江さんはスポーツタイプの車がお好きなようですけど。
2001/2/3, 玄
こんばんは。
ちょっと楽譜の話に戻ってしまうのですが、
ちえさん、僕も謎が解けました!ありがとうございます。
そういうことだったんですね。
僕が持っている『M/T』は同時代ライブラリー版です。
テンボチェンジしないこちらの版の方が、携帯に打ち込むのに好都合でした。皆さんも試してみては?
3段目と4段目の左手を1オクターヴ上げるのがコツです。
それだけの暇があればの話ですが(苦笑)。
2001/2/3, ちえ
土星さん、こんにちは。
わたしはその本屋さんて結構高いな、と思っていたのですが、あの値段で手に入れられたのはラッキーだったんですね。何だかうれしさ倍増しちゃいました。
何年か前に、結構集中的にあのあたりの古本屋へ通っていたのですが、その頃に比べて大江さんの本が少なくなっているような印象をうけました。「アレがあったら買おう。」と思っていったのですがアレどころかソレもコレもなくて、「しまったな。あの時買っておくんだったな。」と少し後悔しました。とはいえ当時は学生だったので買うのにも限りがあったんですけどね。それに比べて安部公房の本は多かったですね。数が逆転していました。古本屋だけではなくて、普通の書店でも文庫本がズラっと揃っていたり。なぜ今、安部公房なのでしょうか?
2001/2/3, いとうくにお
土星さん、お久しぶり! ああ、17つながりで「セヴィンティーン」というのは単純すぎましたかねえ。30すぎてから大江作品を読み出した僕としては、若い頃に初期の作品が読めなかったことがちょっと残念で。単純に、例えば17歳で「セヴンティーン」を読んだらどんな感じがしたろうなあと思ったりすることがあります。そんなに印象は違わなかったかもしれませんけども。
2001/2/3, 土星
お久しぶりです、いとうさん。えっ、ちえさん初版本をそんな安価でラッキーですね。神田にはよく行きますけど意外です。でも都内のBOOK・OOFの100¥コーナーに中上健次の「枯木灘」ハードカバーも意外ですけど・・。ところでいとうさん、Uさんに17つながりで「セブンティーン」薦めるとは意外です。「死者の奢り」(新潮文庫)からだとぼくは思いますけど・・。余計な口出し失礼しました。
2001/2/2, いとうくにお
ちえさん、ありがとうございます。そうすると、内容的には三種類だけど、見映えの違いでいうと関連する四種類の楽譜が存在することになるんですね。四つのうち二つは「森のバラード」という曲で同じ内容であり、残り二つは「KOWASUHITO」という曲で「森のバラード」に至る以前の発展過程のものと、そういうことになるのかな。
2001/2/2, ちえ
「KOWASUHITO」及び『森のバラード』について。
ピアノを触れる時間ではないので、さっきから三つの楽譜とにらめっこをしています。
いとうさんのまとめられた番号を使わせていただくと、2と3が同一の曲のようです。『森のバラード』(3)はAdagio、Allegro、AndanteそれにTempo ・とから成っていまして、2のひょろひょろとした手書きの譜面は、そのうちのAdagio、Allegroの部分です。多少、左手の伴奏に違いがみられますが、旋律には違いはないようです。
一方、1の単行本の楽譜はといいますと、主にTempo ・からのようです。ただし1と3の違いは2と3の違いよりも大きくて、基本的には近いのだけれども(使う音は同じでも主旋律との組み合わせが違うとか)伴奏がかなり違っていたりします。それから、3の楽譜にあわせるとすると、四段目を切り取って六段目のあとに貼り付けなければなりません。それに、Adagioからの旋律はみられるのにAllegro、Andanteの旋律は全くみられません。
単行本の発行年月日は1987年10月17日、『森のバラード』は(1990年作品)となっています。小説発表当初は「KOWASUHITO」だった曲が『森のバラード』という形となって、全集刊行時にはそちらを採用したのでは?
それから、ひどい見落としがあっておわびしなくてはならないのですが、「表紙・挿し絵 司修」なんて適当なことを書いてしまって。本当は、「装丁・挿画/司修」です。申し訳ありません。それに加えまして、その脇に「表紙 大江光作曲『森のバラード変イ長調』のオリジナル楽譜より」となっていまして、カバーをどけてみますと・・・全集収録のものと同じタッチの、しかし単行本収録の楽譜と同じものが!
おそらく順番としては、1→2→3というように形を変えていったのではないでしょうか。ややこしくなってしまって、おわかりになられますでしょうか?
それからもう1つ、もしかしたら単行本収録の楽譜は大江さんの手によるものではないでしょうか?
2001/2/1, いとうくにお
M.S-春さん、映画に出てくる文章は、こうなんです。
 僕が子供の時分のある日、父がこう言ったことがある。お前のために、他の人間が命を棄ててくれると思ってはならない。そのように思うことは、人間のもっとも悪い堕落だ。自分はそんなことにはならないとお前は言うが、しかしチヤホヤされて、甘ったれた人間には、子供ばかりじゃなく、大人になっても、そう思い込んでいるままのやつがいる。(映画『静かな生活』パンフレット所収のイラストより。サントラCDに伊丹十三が書いている文章によると、下線部分が劇中でマーちゃんが書く文章らしいです―僕は映画のほうははっきり覚えていないのですが)
これは『「雨の木」を聴く女たち』が原典だと思いますが、映画用に簡略化されたということでしょうか、原典の文章はもう少し長いです。
 僕が子供の時分のある日、のちに考えれば死ぬ直前の父親がこういったことがある。――おまえのために、他の人間が命を棄ててくれるはずはない。そういうことがありうると思ってはならない。きみが頭の良い子供だとチヤホヤされるうちに、誰かおまえよりほかの人間で、その人自身の命よりおまえの命が価値があると、そのように考えてくれる者が出てくるなどと、思ってはならない。それは人間のもっとも悪い堕落だ。自分はそんなことにはならないとおまえはいうが、しかしチヤホヤされて甘ったれた人間には、子供ばかりじゃなく大人になっても、そう思いこんでいるままのやつがいる。(『「雨の木」を聴く女たち』所収「泳ぐ男−水のなかの「雨の木」」より)
ところで楽譜の件ですが、玄さんから「本によって微妙に違う」という新しい情報がありました。ちえさんに差し上げたのは全音楽譜出版社から出ている楽譜集なので、結局、出版物上のものとしては3種類が存在するということになりそうですね。
1.単行本と岩波同時代ライブラリーの手馴れた感じの手書きのもの(Kowasuhito)―修整されている?
2.『大江健三郎小説』収録の、線がひょろひょろと伸びている、おそらく光さんの手書きによるもの(Kowasuhito)―原典?
3.全音楽譜出版社刊の『大江光の音楽』に収録されているもの(森のバラード)=CD版―1と同じ?
2001/2/1, M.S-春
ちえさん、長いあいだの疑問がとけました!
ありがとうございました。
それにしても、う〜む、ちえさんの持ってらっしゃるハードカヴァー版の挿絵のほうが文庫本のよりも、格段に良さそうな感じですなあ。
うらやましいっ!!(笑)

いとうさんのコメントの中の「静かな生活」のシーン、僕もよくおぼえています。「自分のために他人が命を投げ出してくれるなどと考えてはいけない・・・」正確な文章は覚えていないんですが、たしかこういう一節でしたっけ。「・・・・・それは人間の最も恥ずかしい堕落なのだ」という内容の。
あの一節は、あのシーンとともに、今でもよく憶えています。
2001/2/1, 玄
こんばんは。
「Kowasuhito」のスコアのことですが、あれ、本によって微妙に違いますね。
単行本と同時代ライブラリー版に載っている楽譜は、いかにも手馴れた感じの手書きですが、『大江健三郎小説』収録のものは、線がひょろひょろと伸びている、おそらく光さんの手書きによるものと思われる楽譜で、確かに曲も違います(いとうさんがちえさんにあげたのは、これでは?)。
どうも、手馴れた感じの方は曲の構成もしっかりしているし、修整したヴァージョンのような気がします。で、CDに入っている「森のバラード」が、光さん手書きの方では?こちらは、正直、どちらかというと散漫な印象を受けます。CDを聴いたことはないのですが。
ではなぜ、修整したのか、また、全集を出すときになってやっと原典を載せたのか。ナゾです。
誰か、岩波書店か新潮社の人、このページを読んでいたら教えて欲しいですね。
2001/1/31, いとうくにお
ちえさん、M.S-春さん、こんばんは。
「例の楽譜」というのは、読書会で姉妹で演奏をしていただいたお礼に差し上げた大江光の楽譜ですね。やはり僕が持っているより、ピアノの弾けるちえさんのところにあったほうが役に立ってよかった。M.S-春さんの説は当たりでしたね。
「森のバラード」は、1枚目のCDにはいっているようですね。僕はそれは持っていないのですが、『静かな生活』のサントラ版CDにも収録されているので、それをいま聴いているところです。たしかにきれいな旋律だと思います。ちえ流音楽記憶術の話も面白いですね。
ところでこのサントラ版のライナーノートには伊丹十三が「映画音楽とはなんだろうか」という文章を寄せています。これがなかなかいいんですよ。一部、引用します。
「静かな生活」の中でとりわけ私が気に入っているのは、主人公のマーちゃんが、パパの小説の一ページを書き写すシーンだ。このシーンを撮影するとき、私はふと思いついて「悲しみ第二番」をかけてみたのである。(中略)驚いたのは、思いがけずそこにたち現れた一種の「懐かしさ」であった。何か切ない、やるせない時の流れがそこに出現していた。(中略)光さんの音楽は、ともすれば、障害者の音のお遊び、という風にとらえられるが、そういうレベルのものではないと私は思う。光さんは明らかに何か非常に複雑なことを物語ろうとしているのだ。さもなければ映像や言葉に添えられただけであれだけ豊かな、成熟して大人びた効果をもたらしてくれるわけがない。
また映画『静かな生活』が観たくなってしまいます。
2001/1/31, ちえ
そうでした。今日はお誕生日ですね!
大江さん、おめでとうございます。
さて、「KOWASUHITO」のスコアですが、M.S-春さんのご推察どおり、『森のバラード』ですね。(いとうさん、検証だなんて恥ずかしいです。)ただ、わたしの手元にある楽譜(いとうさん、例の楽譜です。ありがとうございます。)とは微妙に違っています。『M/T・・・』の方が省略バージョンなのか、もしくは原案(?)のようなものなのか。ちらとピアノを鳴らしてみましたが、とても美しい曲でした。プロの演奏を聞きたいですね!
で、わたしはそれほど忠実ではないのですが(作品とは全く無関係の曲をききます)、小説+音楽というのはよくやります。わたしの音楽の聴き方はとても偏っていて、好きな曲を何回も何十回も繰り返し聞くのですが、そうするとその曲を聞いている間に1つの小説の大部分を読むことができて、次にその曲を聞くと小説の作品世界が頭の中で再生されるんです。言葉では上手く説明できないのですが、結構おもしろいですよ。学生時代は定期試験の勉強にこの方法を使ってました。テスト中に、その曲を頭の中で流すと、その時覚えたことが思い出せるという。あまり関係なくなってしまいました。ごめんなさい。
それと、ハードカヴァー(←大江さんがお使いになりそうな表記じゃありません?)の挿し絵ですが、素敵なんですよ!全ページセピア色の森の絵の上に文章がのっているのです。ところどころ、黒一色の挿し絵もあります。もちろん「表紙・挿し絵 司修」となっています。
とても素敵な「本」です。この作品が気に入っていらっしゃるのであれば必見ですね。
2001/1/31, いとうくにお
今日は大江さんの誕生日ですね。1935年(昭和10年)のお生まれですから、66歳。(考えてみるとうちの両親と同じ世代なんだなあ。)
ちえさん、タイムリーに古本を入手されたようで。M.S-春さんの「M/Tの楽譜=森のバラード」説ですが、譜面の読めるちえさんなら、検証できるのではないでしょうか?
2001/1/31, M.Sー春
>ちえさん、いとうさん
僕の、「M/T」が好きな理由のひとつが、司修さんの挿絵なんですよ。
僕は文庫本のもので読んだんですが、ちえさんの入手されたハードカバーのものにも、挿絵があるんでしょうか?

で、「M/T」のなかにイーヨーの楽譜が載っているんですが、僕はこれを光さんの「森のバラード」だと思っていて、そのCDをかけながら、何度も「M/T」を読み返したりしてました。
絵と文学と音楽が不思議に融合した感じになって、こういう読み方、けっこうおすすめなんですけどネ。
2001/1/29, ちえ
こんにちは。こちらへの投稿はずいぶんと久しぶりです。
何日かおきにのぞきにはきているのですが、「あっ」と思う投稿もあったりして答えたいと思いつつも、うまく考えがまとまらなかったり、ちょっとタイミングをはずしていたりするのでいつも遠慮しているしだいです。
ところが今日は非常にタイムリーなようです。
実は今日、お茶の水の古本屋さんで『M/Tと森のフシギの物語り』初版、函・カバー・帯つきというモノを入手してきたのです。値段は2000円でした。定価2500円だった本ですので、とても得した気分です。もちろん(などと偉そうに言えることではないのですが)未読です。玄さんやM.Sー春さんのご意見を読んで、わたしもこれから読むのが楽しみです。とはいえ、ちょっとまだこれを読むのは先のことになりそうなのですが。読了後にまたみなさんと意見を交換できたら、と思います。
それから、Uさん。Uさんのような新しい読者って大江ファンのわたしもうれしいし、大江さんご自身も喜ばれるのではないかと思われます。わたしもはじめは「大江は難しい」ということを度々耳にしていて、義務でもなければ手に取らなかったところだったと思うのですが、読まざるを得ず仕方なしに読んでみると、確かに文体は難しいものの、何かわたしのなかのものと共鳴するものがあったのです。その”感じ”を求めてあれもこれもと読んできていますが、まだまだ未読の作品が・・・。
Uさんも、あまり構え過ぎずに、また何か読まれた時には感想でも教えてください。いとうさんも薦めていらっしゃいましたが、せっかく(?)高校二年生なのですから、主人公も年若い、初期の頃の作品を読まれるといいのではないかとわたしも思います。
それでは、また。
2001/1/29, M.S−春
あ、ところで、思い出したことなんですが・・・
「M/T」の中に、記載されている「イーヨー」の楽譜なんですが・・・
僕はこの音楽が、光さんのCDの中にある「森のバラード」だと思っているんですが?

どうなんでしょう?
どなたか、楽譜のよめる方、いらっしゃいませんか?
2001/1/29, いとうくにお
M.S-春さん、こんにちは。M/Tはけっこう人気があるようですね。いま『僕が本当に若かった頃』を読んでいて、待ち行列には『最後の小説』や『見るまえに跳べ』などがM/Tとともに控えているんですが、次はM/Tにしようかと思います。
2001/1/29, M.S−春
玄さんと同じ意見です。
大江作品の中で好きな作品は?と聞かれたら、僕も「M/T」。
僕も「同時代ゲーム」と、両方読んだけど、受けた印象がまったく違うんですね。(どう違うのか説明しろ、と言われると、説明できる能力がないんですけど^^;)
内容がほとんど変わらないのに、全然印象の違う作品ができてしまった。これは「フシギ」なことだなあ、と思いました。(ヘタなシャレ・・・流して聞いてネ)
これは大江さんのひとつの大きな実験で、そのことに成功したと思いますよ。
大江さんがよく言っている「語り方(ナラティヴ)」の大切さ、というものがこれですごくよくわかる、というか。

個人的には、このふたつの作品を読んだ以後、自分の日常生活のなかでも「語り方」に気をつけよう(笑)と思うようになりました。
2001/1/27, いとうくにお
玄さん、『M/Tと森のフシギの物語』のお話、ありがとうございます。読むのが一層楽しみになってきました。
2001/1/27, 玄
『M/Tと森のフシギの物語』は、
僕が大江文学にはまるきっかけとなった本です。
大学の「経済人類学」の講義で参考文献のひとつとして挙げられていたのです(他に井上ひさし『吉里吉里人』や『パパラギ』など)。
印象的なタイトルと、その2年前に『死者の奢り・飼育』を途中まで読んで放っておいたこともあり、再度挑戦してみる気になりました。

広く知られているように、これは『同時代ゲーム』とほぼ同内容を扱いつつ、その「神話と歴史」をより平易に、純粋な「お話」として語りなおしています。だからといって、『同時代ゲーム』の焼き直しというわけでは決してなく、この小説独自の視点、すなわち、遠い神話の昔からのMとTという関係が、長い時を越えて現代にまでつながっているというところは、もう、何というか、衝撃です。すべてが同時に存在し、小説の複雑なつくりがそのまま世界モデル、という『同時代ゲーム』とは明らかに方向が違うのです。
これほどの面白い小説が、一般的な大江文学の評価の中ではかなり影が薄いですよね。僕はそれが猛烈に歯がゆいです。発表当初、一大センセーションを巻き起こし、今では大江氏の代表作のひとつとなった『同時代ゲーム』と比べての評価なら、それは、ナラティヴの問題に取り組んでいられる大江氏の仕事をまったく理解していない証拠だと思います。ふたつの作品は、別のものなのです。

あれから3年経った今、
この、「大江文学ガイドブック」とでも言えそうな重要な小説を、『同時代ゲーム』であまり充実感が得られなかったといういとうさんをはじめ、まだ読んでいない皆さんに、熱い思いをもってお勧めする次第です。
2001/1/27, いとうくにお
玄さん、着メロの件、了解です。いやあ、わがままを言ってしまいました! 『M/Tと森のフシギの物語』は、岩波の同時代ライブラリーという文庫版を持ってはいるのですが、まだ読んでいませんでした。いま見てみたら、楽譜が載っているんですね。玄さんが打ち込んだのは、この楽譜を見て、ということですね。
くだんのポリティカル・コレクトネスの話、作曲家のほうが坂本龍一氏であることは知っていましたが、対談の相手(最先端の文化英雄)は浅田彰氏でしたか。その箇所の数ページ前に「オカマ言葉で時評をやるのが売りの双子タレントの片割れ」というくだりがありますが、その当人と思われる人が先日深夜テレビで、自分は好きか嫌いかだけでものを言っているだけなのにと、嘆いていたのを見ました。作家名を言ったところの音声はテレビ番組らしく「ピーッ」音で消されていましたが、前後の文脈から想像するに、そこには大江さんの名前が入っていたものと思われました。『取り替え子』はそういう方面でもいろいろと波紋は広がっているようですね。しかし、そういう週刊誌的興味だけであの本を手にとる人がいたとしたら、作品との出会い方としては不幸ですね。
2001/1/26, 玄
いとうさんごめんなさい!パソコンでは送れません!
「Kowasuhito」は、携帯のボタンをポチポチと押して、
深夜3時までかかって打ち込みました。
昨年9月のことです。
すべて打ち終えた後、何かとても大きく明るい、そしてゆったりとしたメロディが聞こえてきた時はさすがに感動しました。
「取り替え子」のなかで、坂本龍一氏が、浅田彰氏との対談で
「ポリティカル・コレクトネスで障害者の音楽を押し出されてはたまらない」
と言っていたというくだりがありますが(iモードのアーティストチャンネル「TheEND」で浅田氏自身がこれについて、坂本氏と話し合ったことを撤回する気はさらさらないがそれに対する大江氏の怒りを理解し、尊敬しさえする、とコメントしています。)、
いやいや、このメロディは美しい。
聴いていて嬉しくなるようなメロディです。
何とかして(笑)、聴いてみてください。
あ、CDに入ってますかねえ。
2001/1/26, いとうくにお
玄さん、はじめまして。旧作タイトルのもじり、いわれてみれば確かにちょっと変かも…。なんというか、安直かもしれませんねえ。おっしゃるとおり、その旧作が「古義人」のものである以上、大江作品の題名をそのまま使うわけにはいかなかったのでしょう。逆に、一人称で書いていたら、旧作の題名をそのまま出すこともできたのでしょうね。一人称から三人称に変えるということは、いろいろなレベルで小説の出来上がりに影響を与えるものなんですねえ。
ところで、携帯の着メロに光さんの曲を入れるなんて、いいですねえ。聴いてみたいです。もしその着メロをパソコン上で作ったのでしたら、メールで送っていただくわけにはいかないでしょうか。
2001/1/26, 玄
はじめまして。
先日、「取り替え子」をやっと読み終えました。
伊丹映画をリアルタイムで知っているので、ひとつひとつのエピソードに不思議なリアリティーがあって新鮮でした。大江氏と同時代に生きているんだと改めて実感できて嬉しかったです。
さて、この小説、ひとつだけ気になったことがあるんです。
大江氏の旧作のタイトルらしき古義人の作品名、すなわち、『聖上はわが涙をぬぐいたまい』『ラグビー試合一八六〇』『懐かしい年に向かって』。
分かってます。こんなことは大江文学の大きさに比べたら取るに足りないことですよね。それを分かった上で、無礼を承知で、僕は言いたい。
このあまりに無理なもじり方、笑えません?
確かに、大江氏は『宙返り』から三人称で書くことを再開して(まさに『洪水はわが魂に及び』以来!)、これらの作品が「長江古義人」の作品である以上、「大江健三郎」の作品とは違うわけで、仕方がないといえばないのですが、このもじり方はいかがなものか、と思うのです。むしろ、具体的なタイトルを出さないとか。
それでも、三人称の効果は、『宙返り』の時以上によく出ていたと思います。終章、千樫の内面を追う文体には、身震いするほどの体温を感じました。三人称は、俯瞰することも、人物の内面に自由に入って行くこともできるんですね。当然のことなんですけど。
こうして、大江氏が今なお文学的格闘を続ける作家であることを嬉しく思います。だからこそ、次回作が一層待ち遠しいのです。「次はどんな書き方で来るんだろう」と。
いつかの「ダ・ヴィンチ」で、明治初期のことをマジック・リアリズムの手法で書くつもりだと大江氏は言ってました。楽しみですね。

余談ですが、『M/Tと森のフシギの物語』に載っていた、光さん作曲の「Kowasuhito」を、ピアノが弾けないので、4和音の携帯に打ち込んで聴いてみました。いい曲ですね!携帯の新しい使い方かもしれません。
2001/1/26, いとうくにお
Uさん、はじめまして。大江さんは1950年代の終りにはすでに小説家として作品を発表されていますので、もう40年以上も書きつづけているということになりますね。しかも日本人でノーベル文学賞を受賞したのはいまのところ川端康成と大江さんの二人だけですから、そう考えると、学校でやる文学史に大江さんが出てきても不思議ではありませんね。そして文学史に登場する他の作家と違って大江さんはいまも現役で活躍されてますから、その作家の最新作にUさんが出会ったということは、ラッキーなことだと思いますよ。川端康成はもとより、大江さんと同時代に活躍してきた三島由紀夫、安部公房、開高健といった作家たちはみな他界してしまってもう彼らの新作を読むことはもうできないですからね。
Uさんはいま17歳ということですから、大江さんの「セヴンティーン」という小説も読んでみると面白いかもしれませんよ。新潮文庫の『性的人間』という本に収録されています。
気が向いたら、また投稿してみてください。
2001/1/26, U
はじめまして。僕は17歳の高校2年生のUです。「取り替え子」は僕が初めて自分で買って読んだ「文学」です。僕の好きなある作家Oさんが大江健三郎さんの作品からの「引用」を多用していたことや、学校での文学史で取り上げられたこともあって興味を持ちました。「取り替え子」が出版される事を聞き、それを読む前に大江作品を読んでおこうと思い「いかに木を殺すか」を買いました。しかし、初体験の「文学」は僕には難しすぎたのか読み出せませんでした。そのうちに「取り替え子」を買って結局そちらから読み出しました。非常に難解な文章だと聞いていたので最初のうちは何回も読み返しながら読んでいきましたが、少しづつ慣れていきました。この掲示板に投稿なさっている皆さんに比べて僕の「読み」はとても浅いものだとは思いますが、この本を読んでいて奇妙な「感動」とも呼べるようなものを感じました。「取り替え子」を読んだことで大江作品のみならず、最も身近で、巨大なカリスマであった「文学」に僕は積極的に取り組めるようになれたような気がします。いつか僕も皆さんと議論を交わせるようになりたいです。
2001/1/24, いとうくにお
なほこさん、はじめまして。楽しいメッセージをありがとうございます。新作を読む中にも懐かしい経験があるというご意見に同感です。ファンクラブのサイトが実在するのでは? という勘は、あたりでしたね!
2001/1/24, なほこ
大江健三郎の小説にしばしば与えられる批評の一つとして「旧作を読んでいなければ理解できない」ということがある、と彼は「取り替え子」の中でも吾良に言わせている。(「君の自己言及癖!」とかいう表現によって)しかし、このことは逆に、旧作を読み次いできたものにとっては、新しい作品に出会うたびに、その中に織り込まれている、彼のこれまでたどってきた道、とでもいおうか、以前の作品からのモチーフが随所に発見でき、私にとってたくさんの「懐かしい」経験をもたらしてくれる。「あなたが死んだら、わたしがもう一度生んであげるから」というくだりも、彼の中で決して新しいものではないはず。どの作品の何ページにあった・・・などという文献を探すような読み方はしていないが、確かに「懐かしい」フレーズのひとつなのだ。「懐かしい年への手紙」のあの、美しいラストの文章。あれが、コギトとゴロウの対話の中で、再び美しく回想されるシーンなどは、「懐かしい年への手紙」をとても愛している私には鳥肌のたつものがあった。どなたかが言及されていましたが、「取り替え子」の中に「ファンクラブのサイトにスケジュールがあった・・・」うんぬんのくだり、実は私は、今まで大江サイトを探したことなどなかったのだが、あの一節を読んで、もしかして、実在するのでは?と思って検索してみて今日始めてこのページにたどりついたというわけです。こうした進み行き(これも彼の得意な言い回しですね)もある、ということ、面白く思いました。
2001/1/17, いとうくにお
静谷さん、情報ありがとうございます。どんな内容になっているのか、楽しみです。
2001/1/17, 集英社雑誌販売部 静谷俊樹
はじめまして。小社発行の文芸雑誌「すばる」3月号2/6発売誌上で
座談会昭和文学史と題し「大江健三郎の文学」を取り上げます。
座談会出席者は大江先生、井上ひさしさん、小森陽一さんです。
文芸雑誌への先生の登場は久しぶりです。かなり話題を集めますので
お求め忘れなきようお願いいたします。
なお、各大学での大江文学のゼミについての情報があれば
教えてください
2001/1/14, いとうくにお
市井さん、はじめまして。「あなたが死んでも〜」のフレーズはとても印象的ですよね。雑誌「噂の真相」で『取り替え子』を極端にゆがんだ見方で解釈した記事が出ていたのですが、市井さんのようにきちんと受け止めてらっしゃる読者の方々の声がこの掲示板には寄せられているので、僕としては嬉しいです(僕も一読者に過ぎませんけれども)。
2001/1/14, 市井
北の国からこんにちは。初めまして。
去年中ごろからよくこのページを見させて頂いてます。
大江文学をこのように語り合うことが出来る場が
あるというのは、いいものですね。
サイトの設営者のいとうさん、ご苦労様です。

大江さんの作品は色々と読んできましたが、
『取り替え子』もこれまで同様にずしんときました。
―もしあなたが死んでも、私がもう一度、生んであげるから、大丈夫。
という一節が、この小説の本質的な部分を示唆しているような
気がしました。勿論ぼくにとってのですが。
しかも抽象的な話であるにかかわらず、
この一節はとても現世的な響きがあるように思えました。
大江文学にある対象が定かではない祈り(のモチーフ)と、
本作品の再生を促し続ける人たちの働きかけの仕方は、
どちらも同様に永続的なものであるような気がします。
力強くはなくても、確かな希望が見えるような作品でした。

長々とお邪魔しました。
2001/1/4, いとうくにお
オサムさん、こんばんは。一昨年からとは、ごひいきありがとうございます! 本にダイブし、獲物を持って水上にあがる、というのはとてもいい比喩ですね。
2001/1/4, オサム
一昨年から しばしば このページを読ませて貰っています。
大江ファンには たまらないサイトですネ。
起ち上げ運営されておられる いとうさん には頭が下がります。

「取り替え子」読みました。感想を少し。
第一に、「自死」するとは、なんと近親者にダメージを与え、苦しみを生きることを余儀無くさせるか。
次に、古義人は吾郎に難しい宿題を与えられてしまった。生きた人間を書き際ることなど不可能です。たとえ ポートレイトにしても。
千樫は 「生」という方法で「希望」を手に入れた。
男には出来ない方法=受動から能動への一瞬の転換によって。
いずれにしても、吾郎の「再生」(蘇る・ではない)の方法を各々の適性をもって掴んだ。古義人はこの本では まだ とばぐちに立ったままですが。
 さて読者はどうすればいいか?
いつもの大江作品のように何度もこの本にダイブするのです。そして獲物を持って水上にあがるのです。古義人や千樫自身も再生するように。(って、余計なお世話ですネ)

長々とおじゃましてスミマセンでした。
                 では、今回はこれにて。
2001/1/4, いとうくにお
もんさん、こんにちは。『取り替え子』は希望を感じさせる物語でしたね。あのあと、浦さんや千樫さんがどうなっていくのか、そういう小説も読んでみたい気がしました。
2001/1/4, もん
南の海で楽しみにとっておいたチエンジリングを読みました
女の書評家が「古義人」という字を見ただけでラテン語だと判らなかったんだろうか?「すごい名前 !」なんて揶揄してありました
(朝日か日経の書評)魂の生まれ代わりを信じたい私にとって逝ってしまった者がどこかで生まれ変わってくれることは大きな希望です
千樫さんの気持ちは良く判ります
日本は自由に思想を表現できない遅れた国だったのですね
スキャンダルとか猥褻なものがはびこってばかりの国だったんだ。
2001/1/1, いとうくにお
明けましておめでとうございます。まささん、今年一番のご投稿となりました。さて、『取り替え子』のことですが、僕は伊丹さんの映画や本も好きなので、大変興味をもって読みました。ただ、文学の鑑賞の態度としては適切ではないのかもしれませんが、どうしてもドキュメンタリを読んでいるような気になってしまって(伊丹さんや大江さんを思い浮かべながら読んでしまって)、小説として客観的に見ることができない気もしました。まささんのおっしゃる「生きる悲しみと、そして生きる勇気」この二つをともに与えられたというご感想は、よくわかるように思います。確かに大江文学にはそのようなところがありますよね。
2001/1/1, まさ
いつも興味深く寄らせていただいています。
今日「取り替え子」読みました。
生きる悲しみと、そして生きる勇気をあたえられたように感じました。
矛盾するようですが、本当にそう思いました。
みなさんの感想もききたいです。

このページは大江健三郎ファンクラブの掲示板の一部です。