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2004/12/31, 渡辺智子
ラッキーさま、みなさま。渡辺です。
『大江健三郎・往復書簡』に掲載されているスーザン・ソンタグ氏。この掲示板でもソンタグ氏の著書などについて過去にお話しましたね。また一人の、世の中にとってとても大切な方がこの世を去ってしまいました。
2002年4月にはご来日し、「この時代に想う、共感と相克、9・11を超えて」と題したシンポジウムに参加されました。私は現場へは向かえませんでしたが、ネットで配信された彼女の勇姿を拝見することができました。最期までサイード氏と同じく「I fight」の方でした。
2004年は相次ぐ悲劇に胸の痛みが癒えぬままの年でした。追い討ちをかけて最後に衝撃的な悲しい知らせでした。
・・・・心からご冥福をお祈りします。

ラッキーさまもたいへんな時だったのですね。どうぞ、くれぐれもご自愛ください。

いとうさま、みなさま、今年も掲示板でお世話になりました。
悲しみを乗り越えて、来年の光明へとつなげていきたいと思います。
2004/12/30, いとうくにお
弥生さん、こんばんば。『むしろ老人の愚行が聞きたい』 、面白いですね。続きがいつ出るのか気になるところです。メーリングリストのほうに書いたのですが、『燃えあがる緑の木』のときの発表ペースは次のようになっていました。
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「救い主」が殴られるまで―燃えあがる緑の木 第一部―
 1993年「新潮」9月号に掲載、同年11月に単行本化

揺れ動く<ヴァシレーション>―燃えあがる緑の木 第二部―
 1994年「新潮」6月号に掲載、同年8月に単行本化

大いなる日に―燃えあがる緑の木 第三部―
 1995年「新潮」3月号に掲載、同年3月に単行本化
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3年間にわたっているのですよね。『さようなら、私の本よ!』はどうなりますか。2005年中に完結するペースだと嬉しいのですが。
小西さん、録画している方からの連絡はありましたか? マチャミと大江ファミリーというなかなか画期的な取り合わせの番組でしたよね。入手されたら、またご連絡いただけますでしょうか。
ラッキーさん、こんばんは。ソンタグさんのことは大江さんにとってもショックだったことでしょうね。同世代だし、朝日新聞で往復書簡を交わしたりもした仲ですしね。サイード氏の死もそんなに前のことではありませんから、大江さんにとっては、同士が次々と去っていくという思いなのではないでしょうか。ラッキーさんも大きな体験をされたようですが、どうぞご自愛ください。
2004/12/30, ラッキー
あの、、今日、朝起きて新聞を開いてみましたら、、。スーザン・ソンタグさんが
ニューヨークの病院で亡くなられたとの記事を見ました。ここ数日の災害のニュースにどきどきしていたところ、さらにはっと衝撃を受けました、、。昨日まで、教会でここのところミサのお手伝いと後片付とか1ヶ月、バタバタ動いていて疲れて、病院でビタミン剤を打ってもらって家に帰って休んでいたところでした。ショックです。大江さんが衝撃を受けられているのではないだろうか、、と思って書き込みさせていただきました。ショックです。実は、私もこの夏、がんの(初期です)の手術を受けたので病院のベッドの上での苦しみとかせつなさとか痛さとか知っているので本当に怖かっただろうな、スーザンさんと思っています、、。他に、何か表せる言葉が見つからないのですが、、。書き込みしました、、。すみません。
2004/12/27, 小西あきこ
はじめまして。当方、「2001/9/15 テレビ朝日「ほんパラ関口堂書店」でマチャミが大江宅訪問」の録画ビデオを探しているものです。
以前、当放送で観たことがあったのですが、きちんと見ていなく、気になっております。もし、持っていらっしゃる方でダビングないし、DVD録画OKな方、ご連絡下さいませ。(送料は当方が負担致します。)宜しくお願いします。m(_ _)m
 rukisan38@hotmail.com
2004/12/25, 弥生
『むしろ老人の愚行が聞きたい』
これは面白いと思う。基本は、前作と同様「読み直し」。それは作品の読み直しであると同時に、老境に至った長江とかれをめぐる人間関係の、従って人生の読み直し、「方向性のある探求」(p76)であるが。しかし、そこに止まらない。「懐かしい年への手紙」以来、頻繁に登場していた旧作への自己言及はむしろ少ない。そうではなくて、この「群像」の作品自体が、旧作の「ズレを伴う繰り返し」に近いのではないか。「根拠地」のイメージは、何度も出てきた。あるいは、「ギー兄さん」との「相補的な二人組」のイメージも想起させる。また、長江に寄り添う若者の幻影は、「新しい人よ目覚めよ」で最後に立ち現れた「もう一人の若者として、再生した僕自身」ではないか。この作品を読みにくいと感じた読者は多いと思うが、ぜひ再読してほしい。これは、確かに大江文学の集大成であると思う。
2004/12/15, いとうくにお
藤崎さん、情報ありがとうございます。トップページのほうにも載せておきました。
2004/12/15, 藤崎元美
12月15日(水)18:30〜
東京千駄ヶ谷の津田ホールにて、建築家原広司氏と大江健三郎氏の対談がおこなわれるのをご存知ですか。
入場無料。会場先着順受付。定員490名。
乃木坂ギャラリー・間で開催中の原広司展の併催催事ですが、大江氏と以前より親交の深い原氏が、彼の建築概念である「離散性」についてを、大江氏との対話のなかで解き明かしていく、というものです。
http://www.toto.co.jp/gallerma/
に詳細が掲載されています。
2004/12/14, いとうくにお
今日の朝日新聞に大江さんの「伝える言葉」が掲載されていますが、そこに「動物と子供が、文学でどのように描かれてきたか? こういうテーマの講演を準備して」とあります。これは、11月22日のきみどりさんのご投稿で紹介されている講演のことでしょうね。
この連載の挿絵を担当している舟越桂氏が登場するテレビCMを最近目にしました。なんのCMだったか忘れましたが…、映像としてはとても印象的でした。
2004/12/13, いとうくにお
中元さん、もう「さようなら、私の本よ!」は読まれましたか? 僕はもう読んだのですが、今回は第一部のみなので、早く続きが読みたくてしかたありません。もし次号に掲載されたら、僕らには嬉しいお年玉となりますね。
2004/12/13, 中元 日出登
いよいよ、大江健三郎氏の連載が始まりました。群像「さようなら、私の本よ!」です。私が予言した、途轍もない小説となりますか、期待大です。
 何だか、表題が丸山健二氏の『見よ 月が後を追う』を連想してしまいました。しかし、丸山が亡霊に付き纏われる小説ではない、大江の現実味のある物語であると信じます。
 それはそれとして、今週号の赤旗の日曜版に、「九条の会」の大江はじめ、それぞれの著名人のコメントが大きく載っていました。
 これについて、私がどうこう言うことはないのですが、護憲へのあり方については、大いに賛成です。
2004/12/5, miura
 「九条の会」の沖縄講演会の内容はまだ「九条の会」のHPには掲載されていないようですが、大江さんの講演の要旨を読みました。大江さんの人生七十年の中での危機を乗り越えることができた一つに、以前私も「ヒロシマノート」でも読みましたが、原爆病院の先生や患者さんと話したことが、大江さんの立ち直るきっかけを与えてくれたこと(これは「個人的な体験」の作品になったのでしたね)。また「沖縄ノート」で書かれておりました、アメリカ軍政のもとで憲法の力を利用できない人々の生活、これらの事から「万延元年のフットボール」を書いたこと、特に主人公の「根所蜜三郎「と「鷹四」は自分と弟がモデルであることや、「根所」という言葉は沖縄の「ニィードゥクルー」(祖先の意味、自分のルーツ)という言葉からとった、と話しておりましてこの件は初めて知りました。こうした広島、沖縄の訪問から自分の危機を乗り越えたことができたので、自分の小説はここから離れてはいなかった、と言っておりました。
一方、憲法九条を放棄することで、日本人から失われることは、戦後の日本人の倫理的な態度ーーー自分の周りに非常に大切に思っていた人間が死んでいった、広島、長崎、沖縄、アジアのさまざまな場所で死んだ人達、彼らへの思いが深く生きていた時に、そういう思いが憲法九条のような倫理的な言葉を使わせずにはおかなかったーーーこれを放棄することだ。そして憲法の拡大解釈の限りをつくしたてきた日本の政府の、政治家の、憲法を今作り替えようとする人達は、正面から戦争をしようとしている。それに抵抗しなければならないし、それをやらなければ死んでも死にきれないという思いを持って沖縄に来た、と言っておりました。京都に続いて、大江さんの憲法に対する熱い思いの溢れた講演だったようです。うまくまとまりませんでした。
2004/12/4, 菫子
miuraさん、九条の会の情報ありがとうございます。
愚痴を言ってもはじまらないので、まず行動ですね。
さっそく、行動してみます。

自分で調べるのでなく、リンクしていただいて、お恥ずかしいですが、

とても助かりました。ありがとうございます。
2004/12/1, いとうくにお
皆さん、こんにちは。九条の会の運動は、広がってきているようですね。テレビなどで取り上げられてもよさそうなものですが…。
M/Mさん、こんにちは。「自分の内面に正直」これは、僕もそう思いました。自分や家族についてこんなことまで書くのかと、驚かされたことが何度かあります。もちろんフィクションではありますが、フィクションであっても嘘ではないであろう部分がたぶんにあるわけですからね。また、気が向いたらご感想をお送りください。
2004/12/1, M/M
インターネットで大江さんの課題曲の楽譜が手に入りそうです。

だいぶ遅れて書店や図書館で眼に入った大江さんの作品を買いあさって読んでいます。今“見るまえに跳べ”に取りかかっているのですが、思いがけない激しさに、まさに飲み込まれています。
初めて読んだのは“死者の奢り”でした。・・・が、それから(・・・しかもずいぶん経ってから)しばらくしてから書店で“自分の木の下で”を見つけ、それから以前の大江さんの作品にさかのぼっているので、一つ一つの作品が驚きの連続です。
赤裸々な表現はあるけれど、きっとご自分の内面に正直な方でいらっしゃるんだなあと思います。
大江作品の読者としては初心者ですが、これからもずっと読んで行きたいと思っています。よろしくお願いいたします。
2004/11/29, miura
久しぶりにメールします。菫子さんと同じく、「九条の会」に賛同しておりまして、私もどのようにして態度を表明できるのか思案しておりました。幸いというか、私には「九条の会」に賛同する歌人グループ「憲法九条を守る歌人連絡会」から、「憲法九条、いまこそ旬」という大江さんはじめ、九人の方々のアピールのチラシと、歌人グループ連絡会からの署名とコメントを記入する返信用葉書が同封された、活動資金振り込み用紙が届けられました。「九条の会」に賛同する歌人グループの呼びかけ人には有名な、加藤克己、小市己代司、竹山広、岩田正、片山貞美、来嶋靖生、水野昌雄などが入っており、勇気づけられました。さっそく賛同の返信を出しました。集めた費用は講演会を催したりブックレットを発行したりするそうです。 こういう各ジャンルでのアピールの裾野が広がるといいですね。この掲示板に出ておれば結構ですが、大江さんをはじめとした「九条の会」自身のHPのアドレスは次ぎのようになっておりますから、メールでも参加できるかもしれませんね。「九条の会」   http://www.9-jo.jp/
2004/11/22, いとうくにお
きみどりさん、ありがとうございます。
2004/11/22, きみどり
名称は動物臨床医学会記念年次大会市民公開講座です。会場は大阪国際会議場で、主催者は動物臨床医学会(財)鳥取県動物臨床医学研究所です。午前中に野生動物フォーラム「鳥インフルエンザの発生とその対応」があり、お昼から大江さんの特別講演「小説のなかの子供と動物」、その後シンポジウム「身体障害者補助犬法の施行にあたっての問題解決に向けて」というのがあったみたいです。ちなみに私は大江さんの講演会だけ行ってきました。
2004/11/22, いとうくにお
きみどりさん、こんにちは。大江さんの講演会が連続してあったようですね。動物についての講演会というのは、どういうものなのでしょうか。よかったら、会場や主催者の情報などを教えていただけないでしょうか。
2004/11/22, きみどり
昨日私も、動物についてのテ−マでの、大江さんの講演会にいってきました!先日の九条の会の講演会の時は、初めて生の大江さんを見たので興奮していましたが、昨日は落ち着いて聞く事ができました。少年時代に飼っていたリ−という犬との思い出や、ニルスの不思議な旅、獣たち死者のときという小説についてのお話をされていました。その中で、動物には動物の、人間には人間の世界があり、その間にある、あるル−ルを犯すとそれまでに保たれていた関係が崩れてしまう、とおっしゃたのが印象に残りました。動物に限らず、自然に対しても、人に対してもいい関係を築くには自分自身しっかりし、相手に対しても尊重できる強さが持てるようになりたいな、と思いました。
2004/11/21, 和恵
今日の午後、大阪での大江健三郎さんの講演会に行ってきました。フランス文学作品を多く知ることができこれからそれらをひとつずつ読んでいこうと思います。「奇妙な仕事」を筆頭に大江さんの作品をもういちど読みなおそうとも思いました。日本で生まれたことで、大江文学を「原語」で読めることに感謝しています。
2004/11/20, 菫子
「九条の会」賛同しています。自分にできることは、ないのか、と思います。
でも、若者や女性のうち、どれだけが、憲法改訂に反対するのでしょうか?
私には、創価学会員の友人、知人が多くいますが、彼らは、公明党を監視しつつも、熱心に応援、支持しています。
与党ですし、公明党は、(注文はつけるにしても)憲法改訂には賛成の立場でしょう。誤解でしたら、すみませんが。

自衛隊に対する社会一般の容認度も、大きくなってきていると思います。
自衛隊が憲法違反などという意見も、非常識な世間知らずな意見として抹殺されるか、あるいは、だからこそ、憲法を改める(変える)べきという意見に利用されるか、どちらかになりがちな世の流れを感じています。

今回の選挙は、共産党の惨敗に終わりましたが、それは、自衛隊違憲派の敗北とも言える気がしています。敗北と言うか、元々リングに上ってないと言うか。
私にしてからが、九条は守りたいけれど、共産党を支持する気持にはなれませんでした。

対する民主党は護憲政党なのでしょうか?そうでもなさそうに思います。

以上、九条を守るためには、選挙は意味をなさなくなっている気がします。
日本より、他国に九条の信奉者を増やし、文化的な価値のあるものだから残そうというような運動にすると、他国の評価に弱い国民性に、うまく、訴えるかもしれません。

それで、国民感情が変化すれば、与党も数を頼みに強引なことはしなくなるでしょう。

誹謗中傷でないつもりなんですが、政治のことなので、書くのは難しいです。
国民投票をして、本当に望む結果が出るといいのですが...。
ついつい、無力感が大きくなるこの頃です。
2004/11/9, 多知 葵
こんにちわ
先日の「9条の会」講演会の講演記録集が送られてきました。岩波書店のブックレットNo.639として書店でも売っているそうです。活字として改めて読んでみると、当日のあの感動がよみがえって来ます。その中でも澤地久枝さん、三木睦子さんの女性お二人は原稿無しで圧倒的な迫力でお話になりました。澤地さんは病後間もないし、三木さんは御高齢にもかかわらず・・・・。それはまるで後に続く私たちを叱咤激励しているかのようでした。よく大江健三郎さんが大きい女性たちと表現されますがまさにそれですね。是非是非ご一読ください。
2004/11/4, 旋頭歌人
最近読んだ本―川西政明:小説の終焉(岩波新書)2004.9月刊―
p112〜121の章は『大江健三郎の終焉―自己の死と再生の物語』で、大江文学を三期に分けてコンパクトに解説されていました。短いので舌足らずなところも有り?と感じられもしましたが・・・
書き出しは、<1957年に大江健三郎が登場したとき、文学の世界は一変した。> 結びは、<大江という文士が五十年近い歳月をかけて追求した叫び声、性、沈黙、暴力、死、再生、救い、祈り、癒しは余人をもってしては達成しがたい主題であった。大江はそれを達成した。>とあります。
大江ファンとしては、「健三郎は不滅です、終焉してはいません!」と言いたい・・・次章が『村上春樹の終焉』だから、まあ、いいか。

その大江論の中に、<『懐かしい年への手紙』は大江の魂の自伝である。>とありました。その本は、一ヶ月ほど前から部屋の目に付く所に置いて、いつでも読める状態なのですが、まだ手が出ません。子供が、好きな食べ物を最後にとって置くように・・・実は、函入りだし、最初の文章からとっつきにくいと思い込んでいるのです。

そのかわりに「読書の秋」だから、ちょっと読み応えのありそうな海外ミステリー『ダンテ・クラブ』『イデアの洞窟』とか、阿部和重『シンセミア』『インディヴィデュアル・プロジェクション』などは、一気読みしちゃいました。みんなそれなりに面白かったけれど、大江作品ほどの滋味、滋養はなかったなあ。

「勝手に旋頭歌」
<ダンテって奇才?天才?両方だよね、時空越えて700年も生き続けている>
<『人生の旅路半ばに道に迷ひて気が付けば暗き森の中にありき』か・・・>
<読んでみるワルツのように五七七・五七七 ジコチューの世界にひたる言葉の遊び>
2004/10/31, 中元水無月
 勿論、大江健三郎氏の次作も、将来の諸作品も、数多く私立蔵書館の書架に並べたいと考えています。まだまだ先の夢の夢ですが。
 わたくし、高校・大学時代から文芸を主体として、数多くの書物を収集し、約2万冊となりました。−−自慢していません。−−地元の人たちが交流できる文化的サロン、江戸時代の蠣崎波響、木村蒹葭や菅茶山のように、そのような場を創れたらと考えています。
 大江健三郎ファンの多い、わが読書会「出水」のメンバーと将来、彼や丸山健二等その時代の文学などを大いに語り合いたいと考えています。出水会とは、水の如く、読書と語らいのときに、お酒を飲んで合評する会です。
2004/10/30, いとうくにお
旋頭歌人さん、こんにちは。雨が多くて、うたごころの刺激される機会も例年より多いのではないでしょうか。おっしゃるとおり大江さんは樹木に詳しいですね。僕は詳しくはないんですが、木を見るのが子どものころから好きで、小学校の校庭にあった大きい栗の木をよくノートに落書きしていました。白樺の薄くはがれる樹皮、まっ黄色になる銀杏の葉、赤いナナカマドの実、遠くで風にそよぐポプラといった樹木に関わるいくつものイメージの断片が、自分の子ども時代の記憶のそこかしこに転がっています。
中元さん、こんにちは。蔵書館の設立、楽しみですね。大江さんの本の並ぶ棚には、現在執筆中の作品や、そのあとにさらに刊行されるであろう本もいくつか加わることになるのでしょうか。
ラッキーさん、おひさしぶりです。山田監督の口から大江さんの本のことが出てくるなんて、嬉しい一幕ですね。
2004/10/29, ラッキー
10月28日(木)私の故郷大分県におきまして九州地方放送教育研究大会というのがNHK大分放送局で催されました。その記念講演で映画監督の山田洋次監督がいらっしゃって「映画『学校』シリーズを製作して」という講演をしてくださいました。講演の最後に「どなたか質問は?」と司会者の方がおっしゃたので勇気を振り絞って手をあげて「勉強ができる、できないとは監督はいったいどういうこととお考えでしょうか?」と質問しましたところ、なんと山田洋次監督は大江健三郎さんの著作「『自分の木』の下で」の”どんな人になりたかったか?”のところについて語られました!まさか大江さんについて語られるとは思ってもいなかったのでびっくり感動してお礼を言うのを忘れてしまいました。本日、山田監督は文化功労賞を受賞なさいました。おめでとうございます。ちょっと興奮して書き込みさせていただきました。
2004/10/20, 中元水無月
5,6年後、私立蔵書館を設立するのに蔵書目録を作成しました。すると、大江健三郎、丸山健二、中上健次の3健の方の書籍が各数十冊あるのがわかりました。現代日本文学を代表する作家であることには間違いないことも再認識した次第です。将来の日本文学を衰退させないためにも、大江、丸山両氏に頑張っていただきたいと思っています。
 次作、何か途轍もない作品が書かれるのではと閃きました。
大いに期待しています。
2004/10/20, 旋頭歌人
久しぶりの書き込みです。
雨のよく降る秋・・・2.3日前に咲き出した庭のサザンカも、雨にぬれて俯いている、強風にならなければいいけれど・・・
10月初めに久しぶりの山歩きをして(小菅村から大菩薩峠へ)、森は、特に広葉樹林はいいなあとしみじみ感じました。

大江さんの作品にはいろいろな樹木が出てくるので、今度は樹木に注目して読んでみようかと思っております。
「レイン・ツリー」・・・私は<シダレヤナギ>を連想してしまった(花札の影響?)・・・それは、<アメリカネム>or<サマン属サマンの木>とのこと。(「新しい人よ眼ざめよ」に言及されていた)
「燃えあがる緑の木」・・・大ヒノキだったかしら。(三部作すべて持っているのですが、まだ未読)
「M/Tと森のフシギの物語」・・・今、2度目読んでいるところです。<ドロノキ>が出てきて、印象深いのですが『あの木だ』と言えないんだなあ。(ヤナギ科・ポプラと同属なので、想像できますが)
「いかに木を殺すか」・・・まだ読んでいません。怖い書名?!
「言い難き嘆きもて」の中のプリンストン通信・・・『淡く赤みをおびた白い花ざかりの小さな木』・・・<サイベリアン・クラブ・アップル>・・・(私は山のズミとかマルメロなんかを想像しました) 『モック・オレンジとかネイティヴ・ローレルとか呼ばれる木・・・ピトスポラム(トベラに近い木)』(トベラなら知ってる、葉が堅そう) 『プリンストンのニレはトウニレ、ハルニレはその変種』・・・(アキニレとハルニレの区別がつかない)

大江さんの樹木に対する博識ぶり、探究心旺盛なことが良く解ります。私も少しずつ「木」を良く観察しよう!文章に出てきた樹木の姿を思い描けるってステキな事よね。

「勝手に旋頭歌」
<雨にぬれて庭のサザンカ俯いて咲く その花は私好みの小輪の白>
<もうすぐね、リュウノウギクの白い小花が咲き揃う 自然まかせの懸崖作り?>
<忘れずに秋の初めにオケラ一株花ひらき「うけらが花の色にでにけり・・・> 
2004/10/20, いとうくにお
あきこさん、こんにちは。『万延元年のフットボール』は大江さんの代表作の一つだと思います。僕も読んだときは衝撃を受けました。あきこさんもどうぞご堪能ください。また、質問やお話したいことがあれば、いつでもここにご投稿ください。
2004/10/19, あきこ
いとうくにおさま、メッセージありがとうございます。読み続けることが出来ます。
2004/10/18, いとうくにお
ゆいさん、講演会のお話ありがとうございます。
あきこさん、「鷹四」は「たかし」だと思いますよ。
2004/10/18, あきこ
はじめまして
先生の「万延元年のフットボール」を読んでいます。主人公の名前、「鷹四」はなんとお読みするのでしょうか。お教え下さい。お願いします。前へ進みません。
2004/10/17, ゆい
10月10日大野城まどかぴあ(福岡)の講演会に参加
久々大江さんにお会いし生の声での言葉を拝聴しました。

「大江健三郎は、真っ直ぐ立って、話す。」
                 そのとおりでした。

お母さまが換えた大切なお米2合の豚足と本。 それが、
このように子どもに影響するのだという事を学びました。
もう随分と大人である私も前は子どもであったという事。
プツンという音なんか無くそのまま大人に成っている事。
         ふっと  感じることが出来ました。
2004/10/13, いとうくにお
M/Mさん、はじめまして。合唱コンクールの放映があったんですね。見逃してしまいました。大江さんと光さんも会場にこられていたとは…。見たかったなあ。
2004/10/13, M/M
はじめまして。
11日のNHK全国合唱コンクール、ご覧になりましたか?
高等学校の部で大江さんと光さんが会場にいらしてましたね。
演奏についての感想も述べていらっしゃいました。

あの課題曲“「新しい人」に”を聴くとなんだか震えが来るようです。
あのホールで歌っていた高校生のみなさんがきっと「新しい人」になるのではないかと、そんな予感がしました。

ご自分が積み重ねてきた仕事と未来に向かっての願い、それを次の世代に伝えていくこと、その大切さを、この日会場にいらした大江さんに教えていただいたような気がしました。
2004/10/9, ゆうこ
いとうくにおさま
さっそく情報をありがとうございました。これから見てみます。アメリカ人の英語の先生が大江氏のスピーチ内容について興味をお持ちで、是非読んでいただきたいと思い探していました。
2004/10/8, いとうくにお
旋頭歌人さん、『「話して考える」と「書いて考える」』は手に入りましたか? 僕はアマゾンで注文したんですが、昨日到着しました。何を買うかが決まっているときは、ネットショップは便利ですね。
ゆうこさん、はじめまして。お探しのものは、nobelprize.orgというサイトのここにありますよ。RealPlayerがあれば音声も聴くことができます。
2004/10/8, ゆうこ
大江氏のノーベル賞授賞式でのスピーチの原稿(英文)を探しています。どなたか情報をお持ちでしたら教えてくださいませんか。
2004/10/7, 旋頭歌人
今日(10月7日)私も本屋へ行ったんですよ。10月上旬に大江さんの講演集が出ると知って。ところが無かったんです・・・本のタイトルもうろ覚えで見れば分かるなと、軽い気持ちで新刊の棚を探したのですが見つかりませんでした。
メイスケサン様(?)の書き込みが役にたちました。明日も本屋へゆくぞ!
2004/10/6, メイスケサン
今日、本屋へ行ったら
大江先生の新刊がありました
『「話して考える」と「書いて考える」』という
雑誌などに掲載された
主に講演の内容をまとめたものです
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=4-08-774727-1&mode=1
2004/9/30, しんしろう
みなさん、こんばんわ。旋頭歌人様のおっしゃる通り、今の日本は人間から想像力を奪い取る環境であると、私も思います。
 「世界」編集長の岡本厚さんが、「機関紙と宣伝」というマイナーな雑誌に、「いま、ジャーナリズムの果たすべきこと」と題して、想像力の枯渇した日本と、その中でジャーナリズムが権力に取り込まれて行く実態に警鐘を鳴らしておられます。
 手に入る方はぜひご一読下さい。
2004/9/29, 旋頭歌人
本当にお久しぶりです。もうこの世から「旋頭歌人」は消えてしまった?と自分でも思うほど・・・
この掲示板もひと月ぶりに見て(読んで)、18歳の大江ファンの書き込みがあったりして、隔世の感あり?!
9・27のしんしろうさんのご意見も参考になりました。私も大江さんの数々のエッセイから「想像力」を持つことによって、世の中の見方が変わる・変えられるのだと教えられたように思います。今の時代は、情報とモノの洪水の中で、人間から「想像力」を奪う方向に行き過ぎているのではないかしら。
「読書会」のことを知ったのも、今日(9月29日)でした。「懐かしい年への手紙」か・・・読み始めてはみたものの、途中で投げ出してしまったのは何年前だったかしら。ダンテの「神曲」も読んでいない私には、ちょっと敷居が高いな〜なんて考えております。
ところで、場違いな話題ですが、ウンベルト・エーコの最新小説「女王ロアーナの謎の炎」(2004年6月刊)が出たんですってね。早く邦訳が出版されないかな。『1932年生まれのエーコがファシズム時代から戦後にまたがる歳月を描いた自伝的小説』とのこと。大江さんは1935年生まれで、同じくファシズムを経験した少年時代だったから、何か共通するものがあるかもしれない・・・なんて期待しています。

「勝手に旋頭歌」
<ピアソラのタンゴを聴いて雨だれの音?心打つバンドネオンの新鮮な響き>
<夢の中ブエノスアイレスの下町のバルにいる気持ちにさせる!Tango querido!>
<若い時から好きだったタンゴのリズム歯切れよい!だって私は下町育ち>
2004/9/27, いとうくにお
しんしろうさん、講演のご紹介ありがとうございます。
2004/9/27, しんしろう
みなさん、こんにちわ。大江さんは京都の講演会で、想像力についてお話しになったと読みました。昨年の10月ごろでしたか、ある新聞で「想像力とは現実を作り変える構想力を持つこと」という趣旨の発言を目にしました。今回の講演でも、違憲の現実に合わせて憲法九条を作り変えようという人がいるけれども、それは逆で、私たちは自分たちの意思で今の違憲の現実を作り変え、憲法規範の現実に近づけなければならない。現実を作り変えることが憲法への構想力と語っておられます。現実を作り変えるために憲法に対して強い願いを持つ、それが憲法について想像力ということなんでしょうね。
 思えば九条だけでなく、生存権を保障した25条にしても、今の現実に照らせば違憲状態に違いありません(病気になっても、経済的理由で受診できない人がたくさんいます。手遅れになる人も・・・)。
 大江さんは最後にバシュラールを引用し(私はこの人のことを知りませんが)そのような想像力をもつ文学が、読者にとって「親密な手紙」なるのであり、自分のこれからの文章がそうなるよう目指したいと結ばれています。
 こうした発言に触れると、大江さんのいう「新しい人」のイメージが、私にもより鮮明になってきます。
2004/9/27, いとうくにお
きみどりさん、講演会のお話ありがとうございます。会場の雰囲気が伝わってきます。
2004/9/27, きみどり
久しぶりに投稿させていただきます。先日25日、京都に九条の会の講演会に行ってきました。当日会場はいっぱいで、入りきれない人達は他の階の会場で映像を通じてご覧になったようです。全部で2千人程の人だったようで、それでも尚、入れなかった人が200人程もいたそうです。幸い私は前の方の真ん中で生で見れました!!来られてた方は大江さん、鶴見さん、奥平さんのお三方でした。私は正直、大江さんを生で拝見したい為だけに会場に足を運んだので、どんな内容だったか聞かれてもあまり答えられませんが、とにかく大江さんの目を見て声を聞いて雰囲気を感じる事に全神経を集中していました。その間に私が感じた事は優しくて柔らかい風に包まれているような居心地のよさでした。なんだか抽象的な表現になってしまいましたが、とても幸せな時間を過ごせました!
2004/9/26, いとうくにお
りょうたさん、はじめまして。100円で『個人的な体験』を買ったなんて、選球眼のいいお母様ではありませんか。僕も『個人的な体験』から大江ファンになったんですよ。
りょうたさんは、死がリアルなものとして感じられるのですね。感受性が豊かだからなのではないでしょうか。
オフ会は11月に開催予定です。『懐かしい年への手紙』の読書会として開催します。参加者の募集や案内はメーリングリストのほうでやっているので、オフ会に参加をご希望の場合は、まずメーリングリストにご参加ください。
2004/9/26, りょうた
はじめまして!18歳の大江ファンです( ̄∀ ̄*)
おいらはこんなとこに書き込めるほど大江さんの本を
読んでるわけじゃないんですけど……。
ちなみに、おいらは発行された順に読んでて
今、同時代ゲーム読んでます。
なんかいきなし、文体が難しくなった気がして
ちょびちょび進めてます(-c_,-` )
おいらが読み始めたきっかけは母ちゃんがフリーマーケットで
個人的な体験を100円で買ってきたんですd(゜Д゜*)!! w
そいで読み始めたらすんげー面白かったもんで、
こんないい本100円で買うな、ボケ! o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!
って母ちゃんと喧嘩っぽいことになっちゃっいました。
まあ、そんなことはどうでもいいんですけど、いとうさんが
若者にとって死というものは抽象的な概念でしかなくて、云々
って書かれてますけど、おいらはすんげー死ってものを意識
します。なんでかっていったら、おいら生命線が比類なき短さ
なんですεεε==(;ノ゜Д)ノ
多分、人類史上……。まあいいや
てか別に言いたいことがあるわけでもなかったんですけど、
なんとなく書き込みしたくなっちゃたんで……
てか絵文字使っちゃいましたけど、これって邪道ですかね?
ちなみにおいらが好きな大江さんの作品は
「日常生活の冒険」と「叫び声」です(-c_,-` )
あと、オフ会とかあるなら、おいらも行きたいっス。
2004/9/21, 弥生
KING様

「ハント・アレント」ではなくて、「ハンナ・アレント」です。女性です。お気に召された引用は、『革命について』(ちくま学芸文庫)のp42です。彼女には、『全体主義の起源』という著作もあります。
2004/9/21, KING
はじめに、多くのご意見厚く御礼申し上げます。

>nonbay様
私も同感です。教育とはとても難しいもので万人にあう黄金律はありえないのかもしれませんが、やはり「個の確立」そして「公共心を育む」ということが人間としての尊厳や社会的人道的な倫理観を生むのでは、と思います。そして情報が錯乱しているこのご時世ですから私たちは受け取り側で甘んじるだけでなく自分の頭で物事を考え、取捨選択していかなければならないなと痛切に感じております。
まだまだ不勉強ですが、よろしければまたご意見やお話をお聞かせていただけると光栄です。

>don_quijote66 様
個人主義と身勝手な行動を履き違える、そういった人間は最近、とくに目立っているなと感じた次第です。たしかに公共心というのはおそらく国家が関係するもとはまた別な公共心が存在するのでは?と考えております。
公が国権であったり権力であったりするのではなく、隣の住民との関係であったり、人が集まった場での関係であったり、公園でのコミュニティーであったりと、そこに権力が侵入してはならない気がします。
ですから国家の理想化というのもキホーテさんのおっしゃるとおり疑問におもっております。国を愛する、ということナショナリズムにかんしては、国家を愛するというよりも今の日本人(私も含め)は風土や文化に心をひかれる、一種の愛郷心のようなものを感じているのではないでしょうか。
まだまだ勉強不足で、僭越ながらこれだ!という確固たる意見をうまく書き表すことができませんでした。大江氏の作品、サルトルやマキャべリズムなど、まだまだ熟読・熟考が足りないと感じいっております。貴重なご意見、ありがとうございます。

>弥生様
お薦めまでしていただいて恐悦至極でございます。ありがとうございます。
ハント・アレントですね、ぜひ手にとって読んでみたいとおもいます。
「自由人の生活は他人の存在を必要とする」。
惹かれますね、この言葉には。さっそく探してみます。ありがとうございます。
2004/9/21, nonbay
はじめまして。掲示板の方には初めて投稿させて頂きます。MLには数度投稿させて頂きましたが、ここではハンドルで失礼致します。
KING様
思想史などに全くうとい私のようなものからの意見をお許しください。
個の大切さというのはなんなのかと言えば、陳腐な言い方ですが、一人一人がかけがえのない、唯一無二の存在であるということです。時間と空間の軸がある一点で交わるところの、奇跡的な存在なのです。それを自分自身について自覚することだけが、つまり自己愛だけが「個」であるとするならば、それはたいへん困ったことですね。しかし同時に大事なのは、自分以外の存在もまたかけがえのないものであることを理解し、その繋がりを知ることです。繋がりの中から生まれるものが「公」であって、なにか最初から「個」よりも高みに「公」というものが存在して、「個」を監督するようなものではありません。弥生さんやdon_quijote66がおしゃっていたことの、稚拙な繰り返しとなりましたが・・・
犯罪の凶悪化や低年齢化が進む中、それは「愛国心が足りないから」というわけわからない論法は聞き飽きました。戦後民主主義の中の「個性を伸ばす」という教育が、目標はいいけれど、その方法論において間違いがあったかもしれない危惧は、私も抱いています。へんな道徳の時間とか。プログラムを作る人たちが「個」というものをよく理解していなかったのか。そもそも戦後アメリカが声高に宣伝した「民主主義」そのものが、どこかに都合のよい甘い罠だったのかもしれません。ほらみろ騙された、といたずらに戦前の思想にノスタルジーを感じる人もいれば、そんな宣伝文句とは別の、本当の民主主義の存在に気が付いている人も、少なからずいるように思うのです。
凶悪犯といえば。宅間守の刑が執行され、私自身国家による人殺しである死刑に大きな疑問を持つ一人ではありますが、しかしどうも彼自身が美化されつつある報道傾向に大きな危惧を感じています。
長くなりました。
2004/9/20, 多摩美術大学・前田
ご無沙汰しております。
多摩美術大学の前田です。

『二百年の子供』を読み終えてから、暫らくハリー・ポッターにどっぷりと浸かっておりましたが、10月5日に集英社から講演集『「話して考える(シンク・トーク)」と「書いて考える(シンク・ライト)」』が出るのを機会に、再び大江健三郎さんの文章を読み返そうと思います。

周囲ではダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』で盛り上がっていますが、レベルテやエーコの再来、という言い方はどうも。
2004/9/19, 弥生
KING様

社会思想史から「公共性の問題」にアプローチするのなら、ハンナ・アレントをお薦めします。「自由人の生活は他人の存在を必要とする」「自由の内容とは、公的関係への参加、あるいは公的領域への加入である」「私生活のprivateな特徴とは、すべてを奪われている(deprived)な状態を意味する」等々。『革命について』『人間の条件』(いずれも、ちくま学芸文庫)を読んで見て下さい。ハンナ・アレントは、ユダヤ人としてアメリカに亡命し、それでいて反シオニズムの立場を貫いた思想家です。本物の思考を味わって下さい。
2004/9/19, don_quijote66
こんにちはー。
大江健三郎に「嫌いだが、認めている」というなんとも屈折した感情を抱いている、大江ファンのキホーテです。

KINGさんの話を伺っているうちにどうしても書き込まなければ、と思って、掲示板に初書き込みをします。
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個と公と、小林氏は言いますが、そんな二項分裂は現実に起こってはいないのです。
個人主義がこの日本に真に根付いているというならまだしも、人間が個人の生活と社会生活を分けて生きているわけはないのです。むしろ、個人は忘れ去られて、全てが政治的になろうとしているのが現代です。

それに、KINGさんは、「各人が自分かってに生活をする」のを個人主義だと捉えているようですが、そうではないのです。
個人主義とは、世界でたった一人の個人を尊重し、人間としての自覚のもとに、責任ある社会を作ろうとする主義なのです。(と言うと誤解されるかもしれませんが、やたらと小林氏は○○主義というのが好き、つまり思想を平面化して捉えるのが好きなので、ここではそれに対抗して答えた、ということにしておいてください。)

公共心の話もありましたが、これも疑問です。そもそも個人を原子的に孤立化した無力な一因子として捉え、それと反対に国家を理想化するというところに嘘があります。その嘘をもとに、公共心が大事だといわれても、説得力はないのです。むしろ今は、その公が病んでいます。「みんながいうことが本当に正しいのか?」という考えることこそが「今」、必要とされているのです。

ナショナリズムの高まりの反対に、個人の蔑視があります。自己嫌悪があります。例え、政治オンチであっても、大江氏はあいも変わらず一人の人間から世界を語るのです。人間を語るのです。それが陳腐なものに見えてしまうとしたら、私たちの方が間違っているとは思いませんか?
だから、中曽根元首相には勝てない。
真実は勝つとは限らないのです。ですが、真実は大江氏の側にあると思いませんか?

大江氏が若いときに傾倒したサルトルの実存主義が今こそ待ち望まれる時代はありません。
自分に堪える。そうやって人間は生きていくのです。

KINGさんは最近、「社会思想的な本をかじり出した」らしいので、これからも読書を続けていけば、いつか、小林氏の持論がマキャベリズム的でかつ即興で作られたものであるかに気づくことでしょう。
そして、大江氏の方がいかに真実に近いか、に気づくだろうと思います。
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長い。すいません。
2004/9/18, KING
弥生さん、qmさん、ありがとうございます。
公と個の関係について、どうも公とは個の集まりであり、その公をつくるにはまずは個の確立が大事だ、という主張に少し疑問を持っておりました。
もし個の寄せ集めが公とするならば、それは各人が自分かってに生活をする、個人主義の集まりにしかすぎないのでは?思っていたのです。

小林氏の、ともすると右翼へと傾きかねない主張でしたが、すべてではないにしろ、共感できる部分も多々あると、私は感じております。前述の公のための個の確立ではただ単に個人主義の集まりでしかなくなってしまう、そこに公というものの関係をどうとらえるか。つまりパブリック・マインド(公共心)的なものが必要となる、と小林氏の主張でした。私は今年で20歳になるのですが、幼少時より、個性を大事に、と周囲の大人から教育をうけてきた、と感じております。つまり戦後民主主義の教育です。しかし、ともすると個性を主張するあまり他者、自分をとりまく集団からつま弾かれるケースもしばしばでした。つまり公に属せなかったのです。

個を繋ぎとめる役割を持つのが公共心であり、そうやって出来上がったものを公、と呼ぶべきなのでしょうか。

個の確立を急ぐがゆえに公を見失うという結果もありうるのでは、という疑問です。
近年、あまりに個に執着するあまり、間違った個への確立が見られるように思います。それはつまり殺人事件の低年齢化や、スト−カー行為、監禁、猥褻行為、売春に買春。個人個人があまりに個に執着するあまりに公をわすれ、身勝手な行動にでる。これは戦後の民主主義における個の確立のあるひとつの弊害であるように思えるのです。たしかに、個の確立は人間が生きるうえで重要な点のひとつです。しかし、個性を大事に、という決り文句だけではともするとこうしてあやまった方向性へと導きかねない気がするのです。そういったとき、公はいかなる手法をもって彼らに確立されるのか。

現代社会において、公を明確にもっている人間ははたしてどれだけいるでしょう。
アメリカの例もよくわかりますが、果たして戦後、日本で行われた個の確立を目的とした教育は正しかったといえるでしょうか。疑問点は拭えません。
個の確立がともすると身勝手な子ども、そんな子どもを甘やかせる大人、を増加させたというのもまた事実ではないでしょうか?
そういった点をふまえて、個の確立とともに公を意識する人間育成が大事になるのでは、と私は思っています。


最後に、改めて興味深い返信をいただきました御二方に厚く御礼申し上げます。
ありがとうございます。
2004/9/17, qm
 大江サンが、福沢諭吉の言葉を引用して、「公」について述べられていた事が印象に残っています。弥生さんが書かれたように、お上につながる縦の関係しての「公」ではなく、横のつながりとしての「公」であると。その横とつながるのためにこそ、自立した「個」がなくてはならない、と書かれていました。私にとってとても大切な考えとなっています。
2004/9/15, 弥生
>「公」というものを考えたことすらない、と小林氏は大江氏を厳しくいいはなっています。

正直、小林よしのりの著作など読む気もしませんが、大江の作品と行動には、公、すなわち公共的な主張が随所に現れています。ヒロシマへの思い、反核への祈りなどは、個人主義的な思考からは生まれ得ないものです。小林と違うのは、彼の言う「公」の立場とは、すなわち、戦前思想の「公」、お上の「公」、権力の側、支配者にとっての、支配の論理としての「公」であると思います。そこでは、個の主張は、「公」と矛盾し、対立するのでしょう。個を抑圧するための支配のための「公」でしょう、しかし、本来の「公」、パブリックは、個と対立し得ないはずです。なぜなら、「公」とは個の関係性であり、個が生きていく上で欠くことのできないものだからです。例えば、個人主義の国であるはずのアメリカは、建国当初から、共同体的な生活が最も大切にされてきた国でもあります。多分、小林などは、こんな歴史的事実も知らないで、支配の論理としての「公」を普遍的な思想と思い込み、身勝手な「批判」をしていると思われます。
2004/9/13, KING
どうも、ごぶさたをしております。
さいきん、ちょっと社会思想的な本をかじりだしたのですが、「戦争論」でベストセラーを記録しセンセーショナルを起こした小林よしのり氏の全編活字本「個と公論」できびしく大江氏を批判しておりました。
「公」というものを考えたことすらない、と小林氏は大江氏を厳しくいいはなっています。

さて、「公」というものを考えたとき、それはいったいどういうものを指すのでしょうか。そしてわれわれがよく親や教師から言われつづけてきた「個性を大事にしろ」という常套句のなかの「個」と「公」はいかなる関係なのでしょうか。

もし、よろしかったら、ここを訪れる皆様のご意見をお聞かせください。
2004/9/4, いとうくにお
多くの若者にとっては死というのは抽象的な概念でしかなくて、いつかそれと向き合わなければならないということは頭ではわかっていても、現実の問題として捉えることは難しい面があると思います。しかし、中年、老年となっていけば、肉体のあちらこちらに不具合も出てきますし、同年代の誰それが重い病気になったとかという話も耳に入ってくるようになるでしょうし、つまるところ死というものがしだいに身近な問題になってくるのではないでしょうか。そういうわけで、何がわかったのかと考えるならば、それは「死が現実の問題であることがわかった」というようなことになるのではないでしょうか。まあ、これは僕の感じ方なので、ほかの方のご意見もうかがってみたいですけども。
2004/9/4, frontcreek
いとうくにおさん。
それでは、「われわれが同調せぬばかりか、軽微な感銘も受けなかったのは、今考えれば、ただわれわれが稚かったのだというほかないではないか......」との意味はどうなりますか?その後、何がわかったのか知りたくありませんか?
2004/9/4, いとうくにお
frontcreekさんのおっしゃるとおり、「分子となって」が正しいかもしれませんね。それゆえ大江さんはクラスの仲間に「分子となって偏在する、というほうが正確じゃないの?」といわせているのだと思います。しかしまあ、カッチャンにとっては分子でも原子でもどちらでもよくて、ともかく自分が死んでも自分を構成していたものまでは消えてしまわないという見方に慰めを感じたということではないでしょうか。完全なゼロになるわけじゃないということで。
frontcreekさんとお話ししていて、僕は『静かな生活』の重藤夫人の考え方を思い出しました。重藤夫人は自分の「生」というものを、「なんでもない人の生」と考えるんですね。つまり、もともとゼロに近いような生なのだ、だからそこからゼロに行くのも大した違いではないのだ、と。しかし「しかもそのような生と死が、無意味なものだとは決して思わない」とも断言するのですけど。
もしかしたら、原子・分子となって死後もこの世に偏在するという見方も、ゼロ+アルファからゼロに行くだけだという見方も、人によっては「ごまかし」にしか見えないかもしれませんね。それで得られる死の恐怖の相対化など、酒による酩酊のような一時的なものだと。しかし、僕としては、死は絶対的なものであるがゆえに、いろいろな方法でその恐怖を相対化しようとする人間の姿に、共感を覚えます。
2004/9/4, frontcreek
いとうくにおさん、貴重なご解説ありがとう御座います。
しかし、物理的には「分子となって偏在する」が、正しいのではないでしょうか?
原子であろうが分子であろうが偏在できるのであれば、相対化できるということでしょうか?
2004/9/3, いとうくにお
うさみみさん、大変な経験をされてこられたのですね。そういううさみみさんのメッセージには、力強さが感じられます。
frontcreekさん、死の恐怖というのは、それ以降、自分がこの世に存在しなくなり、誰にも会うこともできず、話をすることも触れることも恋することも愛することもできない、そういう恐怖ではないでしょうか。とくに、自分が愛する人のことを思い浮かべ「その人ともう会えないのか」と思うと自分の死がとても恐ろしいものに僕などは思えてきます。それはもう絶対的で、それこそもう取り返すことのできない現象といってよいと思います。しかし、死んだ後にも、自分を構成していた分子・原子の一つ一つは、核分裂でも起こさない限り、そのままで存在し続けるわけですよね。火葬の場合であれば、一部は煤や灰となって空に舞い上がり、残りは墓に埋められ、やがては塵芥となっていく。つまり「原子となって偏在する」と。
そのように、完全な絶対的な無になるのではなく、原子(分子)というレベルではあるけれどもこの世の中に存在し続けるし、もしかしたら、かつて愛していた人のそばにも存在できるかもしれない。そのように考えると、死の恐怖が少しだけやわらげられるような気がしませんか? 僕は高安カッチャンの気持ちがわかる気がします。だからといって、灰を撒いてほしいとまでは、いまの段階では考えませんけども。
2004/9/3, frontcreek
「雨の木」を聴く女たち
テーマにそぐわぬ随分前、若い頃に読んだ本である。その一説の中に未だに読解不明な説がある。文学青年諸君、なにとぞ御享受を!

文庫本P191から
背の低い火炎木の並木にそって歩きながら、ペニーは高安カッチャンをどのように埋葬したかを話した。それは正確にいえば、埋葬という言葉のあたらぬ仕方によるのであったが。近い将来の死を予感するようになってから、高安カッチャンは自分の死体について、火葬して骨と灰にした後、この地球上の汚染のすくない場所をさがして撒いてもらいたいといいはじめていた。肉体が、人間の死後、原子にかえって地上にほとんど偏在するようになる。そう考えることではじめて、人は死の恐怖を相対化することができる、それは青年のころ発見した知恵だと、高安カッチャンはいったともいうのだ。
中略
僕は学生時分から永くお世話になったW先生の死の後、メキシコへ向かう飛行機の上で、陽に輝く雲と海面とを眺めて、この自然のうちに原子となった先生の肉体が偏在すると考えた。
中略
その朝高安カッチャンが、自分は永く乗りこえられなかった死への恐怖をついに乗りこえたと、昂奮ををあらわしてこの考え方を話し、クラスの仲間はみな軽薄な深刻趣味として、----ああ、そうかい、そういうものかい、しかし分子となって偏在する、というほうが正確じゃないの?などと受け流したのであった。しかしあの朝の高安カッチャンの昂奮に、われわれが同調せぬばかりか、軽微な感銘も受けなかったのは、今考えれば、ただわれわれが稚かったのだというほかないではないか......

という一説であるが、40を超えた幼稚な知能では未だに、解釈できないでいる。
「原子となって偏在する」とは、どう言う事か?「それによって死の恐怖を相対化できる」とは、どう言う事か?

文学者の方や知識人の方たち、これを見たら何卒、ご享受をお願い致します。!!!
2004/8/27, やぎ
JIDEさん、こんにちは。
中国での大江さんの読まれ方やJIDEさん個人の感想などまた書き込んでください。
楽しみに待ってます。
2004/8/24, JIDE(From 中国北京)
皆様、初めまして 。
大江さんのファン、jideです!
日本の文学に対してとても興味を持つ!
よろしくお願いします!

ごめん,私は日本語少しわかります~
2004/8/15, いとうくにお
ショウさん、節介オンナさん、KINGさん、こんにちは。
大江さんが作詞した合唱曲のCDは、もう出ているのでしょうか。あるなら聴いてみたいですね。
KINGさん、大江文学に強い印象を受けられたようですね。また気が向いたら、お気軽にご投稿ください。
2004/8/15, KING
名前だけが一人歩きしていて(自分の中で)大江先生の作品をいままで何一つ読んだことがありませんでした。
やはり読む習慣が少なかったもので、遅延になりつつもじっくり読み進めています。「死者の奢り」「飼育」「われらの時代」「ヒロシマノート」「沖縄ノート」。どれも心のはしばしにコトバの欠片をのこし、ページを繰る手をとめられません。

申しおくれました。KINGともうします。
これからちょくちょく、覗かせていただこうかとおもっています。どうぞ、よろしく。
2004/8/10, 節介オンナ
↓のショウ君へ。大丈夫、ここのホームページに来られる方はおそらくみんな合唱コンクールのことは知ってると思いますよっ。
以前にもNHKで放送された時に話題にも上がってましたから。
それに「合唱なんて」って思ってるのはカッコ良さや流行ばかりに目がいってしまうような高校生や若者だけだしね。
世の中には学校では知り合えないような、自分には推し測ることもない色々な知識やものに興味をもっている人がいるから、そこんとこヨロシクっ!!
2004/8/8, ショウ
そういえばここの人たちは大江さんがNHK全国学校音楽コンクール(高校学校の部)の合唱課題曲の作詞をなさっているのを知っているのでしょうか。3年生なのでもう最後の夏、ずっとこの曲を歌ってきたのですがやはり大江さんの詩は深くて歌っていてとても楽しいです。皆さんも、CDや全国大会の放送がNHKでされるので「合唱なんて」などと言わず、一度だけでも聞いてみてはいかがしょうか。
2004/8/7, いとうくにお
miuraさん、僕もクローズアップ現代を見ました。ヒロシマの体験を風化させないことの難しさが感じられましたね。折鶴を燃やした学生を出した関西学院大学の取り込みが紹介されていましたが、若者に被爆者の話を聞かせてもきちんと受け止められてもらえないのが実情のようでした。若者は周りから期待されている回答を考えるのがとても上手で、それらしいレポートを出してくるのだが…、というようなことを野田正彰教授が話していましたが、それがとても印象に残りました。これは根深い問題だと思うのですよね。僕自身にもそういう部分があります。
2004/8/7, miura
 昨日の私の書き込みの中で、「被爆60周年」は「来年被爆60周年」を迎える、の間違いでした。訂正致します。昨日の夜のニュースで、広島の平和記念式典の放映を見たのですが、市長の「平和宣言」や子供達の「平和への誓い」の重さに対して、小泉首相の空虚な挨拶とトーンの低さが目立ちました。今年も被爆者の声を直接聞くこともなく帰ったようです。昨年の言葉「もう被爆者の皆さんの声は聞いているから」とやはり逢わずに帰った小泉さんに対して、大江さんは「聞くということは被爆者の希望に応えることだ、応えてないから何度も逢わなければならないのだ」という意味の批判をしたことを覚えています。大江さんや関係者がまだまだ頑張らなければならない現状は厳しいと思いました。
2004/8/6, miura
8月5日のNHK「クローズアップ現代」に大江さんが出ておられましたね。広島は今日6日に被爆60周年を迎えるわけですが、被爆体験を話す人も年々高齢化して来るし、話したがらないし、現在の若者達も「ヒロシマ」は知っていても、現実に殆ど「理解」はしていない状況から、折鶴に火をつけた学生も出て来たわけですが、「ヒロシマ」を風化させないためにどうすればよいか、のお話しであったようでした。「ヒロシマノート」などで知っている者には、大江さんの「想像力」がこれを乗り越えて風化させない力になることはわかるのですが、短い時間のインタビューで十分に伝わったかどうか疑問でした。
2004/7/29, いとうくにお
渡辺さん、「九条の会」の講演会のレポートありがとうございます。大江さんの講演は、ご紹介いただいた要約を読むだけでも随所に大江さんらしさが感じられますね。特に憲法の文体から人間性を読み取るというのは、大江さんならではだと思います。
2004/7/25, 渡辺智子
「九条の会」講演に参加し、代表者8人の方のお話を拝聴しました。たいへん有意義な時間を過ごしました。
私の拙い文章で伝えられるか心配ですが、大江氏のお話の要約を書きます。間違っていましたらご指摘お願いします。(録音しテープ起こしをしてまとめたのですが)

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最近の話題、日本経団連の武器輸出三原則と宇宙の平和利用原則を見合わせる提言、アーミテージ氏が「九条は日米同盟の妨げ」と発言したことから、次の国会は一方的な話し合いになると思われる危惧。これは憲法九条の危機。
12歳で教育基本法と憲法に感銘を受けてきたものとして。(『世界』での氏の文章)
憲法九条の「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、」における「希求する」という言葉の重みについて。文体から想定できる人間性。文体はそれを書いた人間を表す。これを書いた人は戦後辛い状況の中でなんとか生きていこう、社会を復興させようという日本の国民感情を代表し、平和主義、民主主義の秩序を作り上げていこうという思いから書いたものであると考える。日本国民の同胞へ向けて書いた思いのこもった「希求する」という言葉である。
スタイルが感じられるこの文体には倫理観がにじみ出ている。
人間は身近な死を受けとめたとき、死ぬべきものであることを知るとき、倫理観を発見するものだ。
広島で原爆の子の像の前に捧げられた折鶴を面白半分に燃やしてしまった学生の事件を踏まえて。折鶴は原爆の少女の痛みや苦しみや思いを知るモデル。哲学者シモーヌ・ベイユは「祈ることを学ぶためには注意力を育てること。まずはじっと見つめることだ」と手紙に書いた。
注意力、想像力のモデルである折鶴を燃やしてしまったことの倫理的な鈍感さというのは今日の日本社会を表していると思う。
しかし、一人一人が心に折鶴を折れば、これは恢復させることのできるモデルである。アメリカが核戦略上の優位を確実にしようとしていることに対して日本の財界までもが協力しようとしている現在、そのような核権力へ抵抗するのは、一人の少女が折る折鶴を含めて、私たちが心の中にどのようにヒロシマを恢復させることができるかということ。
憲法を作り出した先輩たちの「希求する」もの、未来に向けて生きていく日本人が子供から老人まで、それをもう一度とらえなおすことが大切である。
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他の方のお話もすべて興味深く感銘を受けるものでしたが、それはいずれ下記の「九条の会公式HP」にアップされると思いますので、ぜひともごらんください。

http://www.9-jo.jp/

また、講演のDVD化、ブック化もされるそうですので、遠方の方も情報が得られると思います。
今後、会では今年中に京都、大阪、神戸、福岡と、各地で講演会をされるそうなので、みなさま、ご参加なさってください。そこで、一人一人ができることを見つけられると思います。賛同される方、小さな集いでも、声をかけあい、協力しあい、できることがあるはずです。
2004/7/25, いとうくにお
こだまさん、情報の提供があるといいですね。
ところで昨日(24日)はホテルオークラで「九条の会」発足記念講演会が開催されたと思うのですが、行かれた方はいらっしゃいますか?
2004/7/24, こだま
はじめまして、こだま といいます。
皆様の会話を楽しんで拝見させてもらっています。。
さっそくですが、03年/11月に久留米医科大学看護学科で大江氏が講演をした「看護が作り出す力」という演題の、内容をご存知の方はいらっしゃらないでしょうか、概略だけでも知りたいです。どうか、よろしくお願いいたします。
2004/7/19, 旋頭歌人
「世界」8月号の<あらためての「窮境」より―教育基本法・憲法のこと>を読みました。その中から・・・『いったん憲法改訂の国民投票となれば、とくに女性票の結集は力を発揮し、若者の大群もにわかに目ざめるだろう、と現地(註:マドリッド)のマスコミに話してきました。』うらを返せば、若者でない男性は憲法改訂の国民投票には(平和憲法を守るという立場では)、期待できないと読めますよね。権力の中枢にいるのは、圧倒的に若くない男性の多い日本ですから。権力から離れた周縁にいる人々をもっと大切にしてよって言いたいし、だから「日本の男」はキライだと思い込んじゃうのですよ。
丸山真男の言葉で『転向はジャーナリストから始まる・・・』とあったなあ。

同号で興味を惹かれた記事は、正確には「連載」だから始まったときにさかのぼりますが、二つあります。テッサ・モーリス=スズキ:民主主義の再考(最終回)と、徐京植:ディアスポラ紀行(第三回)です。二本とも日本人ではない女性の論考ですね。読み応えがあって、何度か読み返しています。
ここまで書いて、ふと、不安になりました。徐京植(ソ・キョンシク)さんは女性ですよね。名前の漢字から受ける印象と、文章を読んでソさんは女性だと確信しているのですが。肩書き、社会的地位、権力欲などには無縁で、率直に一個人の意見を主張している姿勢は女性のものと感じます。

与謝野鉄幹「人を恋ふる歌」をもじって、「勝手に旋頭歌」
<夫には、才はほどほど見目麗しくなくていい 家父長的な人ではなくて>
<友人は、書物をよく読み誠実な人 なかなかいないんだよね、気の合うヤツは>
<私には、空穂の強さ晶子の情熱ないのよね 伝統的な和歌も嫌いだ>
2004/7/19, いとうくにお
やぎさん、こんにちは。丸山眞男の文章の解釈をやぎさんのご自身の考えだと勘違いしてしまったようですね。失礼しました。
2004/719, やぎ
やっぱり私は文章下手ですね。うまく書けませんね。
丸山真男の文章の解釈として投稿した先の文は、歴史的に男性による表現はこういうものだったと、丸山は解しているのだろうと、私には読めると言う意味であって、私自身が、あのように考えているわけではありません。
それはそれとして、いとうくにおさんの仰る

>もし男性が、出産できないことで自分の存在意義が得られないのだとしたら、女性が男性を生むことにも意味がないわけで、出産に必ずしも意味があるとは言えないという矛盾した話になってしまうのではないでしょうか。

についてですが、その通りともいえますが、一般にいって自分固有の存在意義を考えるとき、生命の連鎖に連なる事が出来たから存在意義があったとは感じにくいんじゃないでしょうか?男は子供を作るといっても出来るような事をしたから自分の子だろうと信じているだけで、何も実感はない訳です。
でも女性はそうじゃないわけです。なんと言っても10ヶ月も自分のおなかの中にいるんですから。その間に自分が死んだら、赤ちゃんも死ぬわけですし。
未来への命の連環に思いをはせずとも、自分の代で存在意義を実感できると思います。だから、将来、自分の生んだ子供が自身の存在意義を見出せなくとも母親自身の存在意義の充足には、あまり影響しないと思います。
もちろん、自分の生んだ子供が、生きる意味を見出せない事態になれば、感情面でのマイナスは当然あるでしょうけど。
こういうのが、19世紀とか20世紀初頭までの、理論先行、頭先行の議論としてあったと思うのですが、核状況とか、経済構造の変化とか、もっと身近には年金問題とか、さまざまな問題によって、子供を生み育てるための生活の基盤にも危機が生じてしまって、社会における、男女の固定化された役割分担も崩れつつあるのですから、現代では、男性による、自身の存在意義の捉え方も変わってきていると思います。

それとは別に、

>食べたいとか寝たいとか愛したいとか勝ちたいとか見たいとか読みたいとか行きたいとか、そういうもろもろの「〜したい」の結果として人は生きている

昔風の議論の文脈で言えば、これは「生活」ですね。
「生活」するために存在してるんじゃなくて、存在してるから「生活」するんですね。もっとひりひりとした、それこそ神の啓示を待ち受けるような、純粋な存在意義への希求が昔の捉え方だったのでしょう。ドストエフスキーなんかを読んでもね。丸山の文章は、そういう文脈のものだと思います。
2004/7/19, いとうくにお
「大江文学における女性」についての、やぎさんをはじめとして皆さんの議論、とても面白く興味深く感じます。議論に参加するところまではなかなか追いつけない感じなのがもどかしいです。ただ、皆さんのご意見はそれぞれうなづけるところがあって、立体物をいろいろな角度から見せてもらっているという感じがします。
丸山眞男の例の言葉については、もともとが断片的なものだということですので、本当の意味の確定もしようがないでしょうから、各自が自由に想像して受け止めればよいと思います。その前提で、僕も想像してみますが、あれは男性の多くが感じることを表現した言葉だと思うのですよね。(1)男性にあまりみられない優しさ(あるいは善良さ)や、(2)男性にあまりみられない欲望(あるいは情念)を、多くの女性が備えているように僕は感じるのですが、(1)の面をみせられれば神のように思えるし、(2)の面をみせられれば獣のように感じると。僕自身はよくそう感じますよー。ただ、女性の側からしたら、それがナチュラルなことなのでしょうから、神だと獣だといわれてもピンとこないだろうし、ナニ言ってんだか、という感じなのではないかなあと思います。
それと、やぎさんのご投稿で、人間の存在の意味と出産についてのお話がありましたが、それについては僕はこのように思います。もし男性が、出産できないことで自分の存在意義が得られないのだとしたら、女性が男性を生むことにも意味がないわけで、出産に必ずしも意味があるとは言えないという矛盾した話になってしまうのではないでしょうか。逆に、出産に意味があるなら、そこには男性も確実に関係しているわけだから、それは男性にとっても存在の意味をもたらすことだと思うのです。まあ、僕としては、意味や目的があるから人は生きるのではなく、食べたいとか寝たいとか愛したいとか勝ちたいとか見たいとか読みたいとか行きたいとか、そういうもろもろの「〜したい」の結果として人は生きているんだというふうに捉えているんですけども。もしかたら丸山眞男の視点からしたらそういう人間は獣に近いということになってしまうかもしれませんね。
2004/7/19, やぎ
さらに訂正します。
ドストエフスキーは、男の視点を採用して書くのだから、自分の内面を書くようには女の事を書くわけにはいかない、ですね。
でも、ドストエフスキーはたいてい、三人称だからこのままだと説明不足ですね。
ちょっと雑すぎました。
2004/7/18, やぎ
訂正します。
一人称だと語り手の視点に縛られる、ですね。
失礼しました。
2004/7/18, やぎ
クルツさんの投稿をずっと読ませていただいて思うんですが、仰ってることは、要するに一人称の語りの形式の限界ということに過ぎないんじゃないでしょうか?

神様の視点から三人称で書けば書けることが、一人称だと語りとの視点に縛られるという制約がどうしてもあると。それを説明するのに、語り手の視点からの記号化という表現を使ったために、意味レベルでの記号化と、語りレベルでの客体化が、字面が一致してしまって誤解を招く恐れある表現になってしまったと。
簡単に言ってしまえば、ドストエフスキーは男なんだから自分の内面を書くようには女の事を描けるわけがないと。
こういうことだと勝手に仮定して、しかしそのような小説観には疑問があります。

>男性が悩み、考え、混乱して、その思考過程に焦点が当てられるのに対して、女性はその男性に何らかの刺激を与える存在であることが多いように思います。

たとえばこう言うタイプの小説としては、ヘッセの諸作や「チボー家のジャック」などが思い浮かびますが、大江氏をはじめ現代の作家は、もっと世界全体の混沌を丸ごと表現した上で、それに新たな秩序を与えようと努力してるのではないでしょうか?そうでなければ「同時代ゲーム」のような作品を書かないと思います(論理的な説明は、私の手に余りますが)。

また、丸山真男の文章に対する解釈にも私は違う意見をもっています。
私は、この文章は死ということに関係していると思います。人間はなぜ死ななければならないか、どうしても納得できない。翻って、なぜ生まれてきたか、今何のために生きているのか分からない。永い歴史の時間の中で、針で刺した点のようなものでしかない自分、その無意味さ、無力さ。人間の苦悩は突き詰めればそこに行くと思うのですが、しかし女性の場合は、子供を産むという、立派な意味があるじゃないですか(そのポジションを選び取るかどうかは、本人の選択として)。
そこで、男が自己の苦悩を突き詰めて考えると、本来性別とは無関係の普遍的な問題であるはずのものが、女性を除外した、自己固有の苦悩に、突き詰めれば突き詰めるほど、なってしまうんだと思うんです。
で、自己固有の無意味さ、無力さに引き較べて、しっかりと意味の充填された女性の存在に対する畏れが、女性を神にしてしまい、自分に畏れを与える存在を貶めたい心理が(どうしても後ろめたい気持ちを伴う、性欲の対象でもある事とあいまって)獣にしてしまうと言う事じゃないでしょうか。
ですから、この問題は、語り手がどうしても自己の性別の側から見てしまうという男女共通の問題ではなく、男性に独自の現象だと考えます。そうした、男性に描きうる限界を画した文章と言う意味で、丸山の文は、フェミニズムの隆盛を予言したものとも(深読みすれば)読めるんじゃないでしょうか?

なにか、政府公式見解みたいにありきたりですが、私はそう思うんです。
皆さんのご意見を伺いたいと思います。
2004/7/17, やぎ
補足
タカチャンのことは、燃えあがる緑の木にも出てきたような。
詳細に調べる余裕はないですが。
2004/7/16, しんしろう
千葉の大江ファン様、私の書き込みへのご感想、有難うございます。「九条の会」(やはり「九」の方がしっくりきます)の広がりはすごいですね。著名な文学者、学者、宗教者、漫画家など錚々たる人たちが賛同に名を連ねておられます。そうそう、「世界」編集長の岡本厚さんも。賛同者の一人、岡部伊都子さんの、「加害の女」を償うための命をかけた行動ぶりは先日TVで拝見し、胸が熱くなりました。
 このような盛り上がりにもかかわらず、「九条の会」を一般のマスコミがほとんど黙殺している状況は、大江さんが「あらためての『窮境』より」の中で触れている新聞記者の言葉(うちの論説委員の半分は改憲論者…)によく対応しています。特にプロ野球界も牛耳る大新聞ではしばしば「憲法改正に○割賛成」などという大見出しが目立ちます。
 「改憲」への大きな流れの中で「護憲」を叫ぶのは、それこそトリックスター的な振る舞いなのでしょう。しかしトリックスターが通り過ぎた後には新たな価値観が打ち立てられるという文化人類学の教えに、私は一条の希望を託しています。自分たちの子供が戦争で殺し・殺されることのないように。大江さんのいう「イノセント」「アヒンサー」の意味はまっすぐ非戦につながっています。
2004/7/16, 渡辺智子
クルツさま、お返事ありがとうございます。まずは誤解だけは解かせてくださいね。

****
また、男性に母性が書けないとも思っていません。
記号というものの響きには、たしかに、うすっぺらいような感覚はあります。私としては、記号という言葉を、「多くの人にある程度に通ったイメージを与えるもの」という意味で使っただけです。文章のみでやり取りしているのに、語弊があったのは、完全に私の非です。だからといって、記号即古典的なジェンダーというのは、私にとっては、ちょっと悲しい誤解です。記号化されたからといって、女性が劣っているわけではないんです。
****

この部分、失礼ながら全部が誤解なのです。クルツさまへの批判ではなく、私の個人的見解です。でもまとめて書いているので誤解されてもおかしくないと思います。
また、前提として「クルツさまのお考えはもっともなもので、ジェンダーギャップは否めない」ということに賛同したうえでの、改めて別の視点からの別意見です。
押し付けられたジェンダー記号体系というのも、クルツさまのおっしゃる記号のことでは決してなく、一般概念、伝統的な意味です。
ですから、最後に「むめ」の記号化にも触れているのは、記号に対して、私は決して悪い意味などに受け取っていないことを表していることご了承ください。

念のため、弥生さまの引用の以下の部分も、決して弥生さまへの批判ではありません。
全部、みなさまのご意見を自分なりに受け止めた上で、個人的見解で相対的に考えた意見です。
とにかく短くまとめなければいけないと思いながら書くもので、うまくお伝えできずに不愉快な思いをさせてしまったことをお許しください。こちらこそ不徳の致すところです。
前発言の「先端的」というのも「先進的」の間違いですし・・・ああ。
クルツさま、みなさまのご意見がとても興味深く、楽しかったので、つい浮かれて細かい気遣いできずに横柄に書きすぎてしまいました。ごめんなさい。
人を曲りなりとも傷つけた言葉の刃は諸刃なので、自分を突き刺しますね。
あれから私も「四万年前のタチアオイ」を読み返しました。とてもとても、素晴らしい感動を再体験できました。やはり大江氏の女性への視線は繊細で美しいと思います。
2004/7/15, いとうくにお
クルツさん、こんばんは。ひとつにまとめて、というご要望がありましたが、分けたままでぜんぜん問題ありませんし、文章のつながりもそのほうが自然かと思い、そのままにしてあります。どうぞご了承のほどを。
ところで、クルツさんがご自身のことを「ろくな人間じゃない」などと書かれてますが、けっしてそんなふうには見えませんので、どうぞお考えを訂正してください。クルツさんとやぎさんのおかげで、「四万年前のタチアオイ」という傑作を再読する機会が得られましたし、他の皆さんの投稿も含め、議論の展開を僕はとても楽しく読ませてもらっているんですから。
2004/7/15, クルツ
そしてさらに補足です。

某巨大掲示板群とメッセの悪癖で、まとめて書き込むことができなくなっているようです。反省です。もしよろしかったら、今までの投稿をまとめてひとつにしてくださると大変うれしく思います。

やぎさま。
情報、ありがとうございました。ぱああっと思い出しました。さっそく、読みます。
本来ならこれを真っ先に言うべきだったのに、私は何を考えているのでしょうね。私がろくな人間じゃないことは確かなようです。
2004/7/15, クルツ
補足です。

送信し終わって、なにげなくこの前自分が書いたものを一読したら、こりゃいかんかったわなと思いました。「女性が記号化されていることそのものは大江文学を通して(もちろん他の作家の作品を通してでも)フェミニズムを考える際に無視できないと思うのです。記号化されたものは、何であれ、それそのものではありません。」というあたりがやばいですね。いけないですね。語弊がありまくりですね。「記号化」と「フェミニズム」という単語が近い位置にあることがやばげな印象を増幅していますね。これじゃまるでウーマンリブ(ここにはあえて差別的なニュアンスをこめてみました)ですね。
くりかえしますが、そういう意味じゃないんです。
2004/7/15, クルツ
渡辺智子様。
ご意見ありがとうございます。
>ただ、男性作家は・・・と一括りにはできないとは思います。女性脳を持つ男性作家も存在しますので)

たしかにそうですね。一括りにはできません。私の書き方が悪かったと思います。そして、もちろん、男性が「癒しの象徴」であることもあるでしょう。男性作家が書くものはこうで女性作家はこうだというような、一元論的決め付けは本来私の嫌うところなのですが、いくら嫌っていてもやっぱりそういうふうな論調をやらかしてしまうことがあるようです。反省です。たしかに、一括りにはできません。チェーホフの女性(三人姉妹とか)は、さきほどの私の分類では、女性作家の書く女性ですよね。チェーホフ、好きです。もしかしたら大江健三郎さんよりも(おいおい)。


>大江文学におけるジェンダーを強調した役割分担は感じたことがありません。

これも、また、そうですね。私も、大江文学がジェンダーを強調しているとは考えてはいません。前も書いたのですが、男性が悩むこと、女性が刺激を与えることには、ジェンダー云々も含めて深い意味はないんです。また、男性に母性が書けないとも思っていません。
記号というものの響きには、たしかに、うすっぺらいような感覚はあります。私としては、記号という言葉を、「多くの人にある程度に通ったイメージを与えるもの」という意味で使っただけです。文章のみでやり取りしているのに、語弊があったのは、完全に私の非です。だからといって、記号即古典的なジェンダーというのは、私にとっては、ちょっと悲しい誤解です。記号化されたからといって、女性が劣っているわけではないんです。

実は、いいたいことを整理しようと思ってこのあといろいろ書いたのですが、どうにもうまくできません。書き直しを繰り返した挙句、消去してしまいました。大江健三郎が男性であることと彼の書く女性との関係にジェンダー論(というよりステレオタイプなジェンダースタイルといったほうがいいのかもしれません)が影響していると主張したいのではないということ、むしろジェンダーは関係ないということを私は下の文章で言おうとしたこと(そして見事自爆したらしいこと)を説明したかったのですが、またもや、自爆かもしれません。
2004/7/15, いとうくにお
「四万年前のタチアオイ」のことが出ていたので、読み直してみたのですが…、なんと表現していいのかわからないのですが、やはり大江さんというのは物凄い作家だなあという印象を新たにしました。クルツさんが「タカチャン」というキャラクターに興味をお感じなのにも納得です。
2004/7/15, 千葉の大江ファン
 しんしろうさま、お久しぶりです。大江さんの「あらためての『窮境』より」(『世界』8月号)の感想に、感銘しました。「九条の会」(洋数字で「9条の会」と書くという説もあるのですが)の講演会(7月24日、東京)は、もうすでに予約は満席となり、キャンセル待ちも相当数にのぼるということです。事務局の方に電話でうかがいました。
 講演会に参加される名誉ある方は、ぜひとも、感想を教えていただきたいと思います。私も、少なくとも、教育基本法を書き写してみたいと思います。では。
2004/7/15, 渡辺智子
やぎさま、弥生さま、クルツさま、いとうさま、こんにちは。

やぎさま
==しかし私が勝手に思っているようなものとしてのフェミニズムであれば、男女問わず、生活の基盤に関する共通の課題として受け入れられる段階にすでに入っているのでは、と思います。==

同感です。女性は社会の創造に参与することを認められないという立場からはすでに脱していると思います。経済機構の中では、特に先端的なIT産業などで、性差なく需要と適応、役割を担っているのではないかと思います。
私は詳しくはありませんが、本来のフェミニズムは女性が抑圧された被害者意識から、男性への一方的な不満と批判、女性の権利の主張とその獲得を声高にわめき散らすものでは、決してないと思います。

クルツさま
==ただ男性が悩み、考え、混乱して、その思考過程に焦点が当てられるのに対して、女性はその男性に何らかの刺激を与える存在であることが多いように思います。==

クルツさまのご意見はもっともなことだと思います。小説において、主体と客体の差別化の上での記号化であるのはそうだと思います。ジェンダー・ギャップは確実にあります。(ただ、男性作家は・・・と一括りにはできないとは思います。女性脳を持つ男性作家も存在しますので)
しかし、大江文学におけるそのような役割は決して、女性だけではないと思います。一例ですが、『宙返り』の郁雄などはどうでしょう?大江文学におけるジェンダーを強調した役割分担は感じたことがありません。ですから私は弥生さまのご意見に同感です。

弥生さま
==人を受容し、癒し、再生へと励ます女性像です。==

もちろん、主人公からの視点ではそれを強く感じますが、他方でその女性本人は、他からの助力なしに自分自身で立ち向かい、独立し、道を切り開いていきます。例えば、『洪水はわが魂に及び』の伊奈子。彼女は強姦されますが、そこで衝撃から奮起し、完全なる被害者の受身から、いつしか、性的な能動態へと変化します。このときの「処女だったのか?」に対して「強姦を差別するの?」という彼女の問いかけは女性の性に対する世間の偏見への批判であると感じます。「私がしたいからする」という、もしかしたら現実にはこれは彼女の哀れな逃避行動、混乱と錯誤なのかもしれませんが、しだいに肉体ともに精神も強度を保ちます。こういった描き方は、決して記号としてだけではないと思います。
むしろ、押し付けられ使い古されたジェンダー記号体系からの改進ではないかと思います。例えば「女の鑑」というステレオタイプはほとんど表現されません。
また、『二百年の子供』では、(むめ)という女性が、パイオニアの記号として出てきます。しかし、それは女性に限らず、自己判断のうえで「NO」と伝えることのできる人間としてだと思います。

いとうさま
==「もっといい男たちを、いや新しい人たちを育てよう」と「日本の女」たちに呼びかけたい気分でもあります。==

そうですね。大江文学からも、それを私は感じます。作品中、母性というものが大きな核になっていることが多々ありますね。そして、男性の視点ではそれが描けないとも思えません。
2004/7/14, やぎ
クルツさん
「河馬に噛まれる」(文藝春秋)収録の「四万年前のタチアオイ」
にタカチャンのことがでてきますよ。
2004/7/14, クルツ
はじめまして。
大江健三郎さんの小説世界を少しでも理解しようと無駄に試みる人生と読書の若輩者です。大江健三郎さんがかかれるキャラクターの中にはいくつもの作品にまたがって登場するキャラクター(ギーとか)が少なくありませんが、そのなかで、私は、最近タカチャン(孝子さん)に興味を持っています。彼女について書かれた文章を多く読みたいと思うのです。たぶん長い文章の中の一部分で言及されていたような記憶があるのですが、どこで読んだのか失念してしまって、堂々巡りして手がつけられなくなっています。「僕が本当に若かったころ」のグミ(漢字が出てきません)の教え・序」は把握しているので、それ以外のものについて、題名や言及箇所など教えていただけたらと思います。

そして、弥生様へ。
「大江文学での女性像」についてのことですが、私は、基本的に大江文学での女性というのは「男性から見た(ある意味では記号化された)女性」であると思います。「男性から見た」というのは、もちろん、大江健三郎さんの作品が男性本位で男尊女卑的であるという意味ではありません。ただ男性が悩み、考え、混乱して、その思考過程に焦点が当てられるのに対して、女性はその男性に何らかの刺激を与える存在であることが多いように思います。そしてそういった刺激として機能するために、女性のキャラクターが、魅力的ではあるけれど、記号的になってくるような気がするのです。「許しの象徴」というのはその典型だと思います。

だからといって、わたしはそれを非難しているのではないのです。小説である以上何らかの形で視点を定める必要があり、ある男性に視点を定めることを作者が決め(作者には、当然、その権利があります)、ある女性が「男性の目に映った」女性となっている以上、その女性までもが混沌としていては物語として収拾が付かなくなってくるのも事実です。そして大江健三郎さんが男性であるのですから、男性に視点を定めることが多いのは、まあ、当然です。そのほうが書きやすいからです。視点を与えられて語り手となり、その思考過程を暴露する羽目になった主人公(燃え上がる緑の木など、必ずしも語り手が主人公になるとは限らないのだけれど、そして主人公っていったいなんだろうという気もするのだけれど、ここはまあ便宜上)が、悩み、考え、混沌としてくれなくては物語は進みにくいのだと思います。だから、女性が記号化されている理由については、あまり重要ではないと思うのです。
ちなみに、これは、街頭詩人さまが引用なさっていた丸山真男さまの「女性は神様か、動物か、どちらかであって人間にはなれない。男だけが人間であり、人間の矛盾を究極まで体現している。だからドストエフスキーは女が描けなかった。」という文章に対する私なりの見解でもあります。ドフトエフスキーに女がかけなかったのは、ドフトエフスキーがどこまでも男であったことを証明しているだけで、それ以上の意味はないと思います。書きやすいか、書きにくいかの問題です。
大江健三郎さんやドフトエフスキーさんがもし女性だったら、悩み、考え、混沌とした女性を主人公にして、その女性に刺激を与える記号化された男性を登場させただろうとさえ思います。


だから、女性が記号化されている理由はその程度のものだと思うのですが、女性が記号化されていることそのものは大江文学を通して(もちろん他の作家の作品を通してでも)フェミニズムを考える際に無視できないと思うのです。記号化されたものは、何であれ、それそのものではありません。小説が現実そのものではないのだから、こんな考え方は無意味なのかもしれないのですが、なんとなく、ふと、思ったのです。

ながくつらつら書いてしまいました。しかも、フェミニズムそのものについては、まったく触れていません。まったくもって、すみません。
2004/7/13, やぎ
「小説のたくらみ、知の楽しみ」(新潮社)で、大江氏はヒッピータイプの文学者として
青野聰、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグ、ゲイリー・スナイダーに
言及なさっています。
そして、後者3名を比較して、特にスナイダーを評価すると書かれています。

「ヒッピ−的特質を備えた人間は、その主張に立って積極的に前へ出て行く際は力強いが、いったんくぼみ型の生の過程にさしかかると、しばしばあまりに脆」(139p)く、そのようにしてたおれたケルアックに対し、「明日に向けて開いているヒッピー文化をスナイダーが達成した、と考えるからです。特にその宇宙観、世界観、人間観と、市民的な実践において」(143p)として、実作の例として「亀の島」を引用されています。

<<つねに"成長しつつある経済”は健康どころかもはや癌であることをたえず訴えよう。(勝手に中略)経済学はエコロジーの一小部分と見なされるべきだ。>>

このような認識は、たとえば大航海時代や産業革命期には出てくるはずのないものですよね。それまで小さな歪をはらみながらも良しとされてきた、あるいは疑問をもたれずにきた考え方が、もうこれ以上、その歪を持ちこたえられないところまできてしまったという歴史認識にたっての提言だと思います。

経済、経済学の用語をテクノロジーと入れ替えてみると、過激な拡大主義・膨張主義によって今日の核状況という大きな歪を生み出した近・現代の歴史に対する警句としても読めると思います。

そしてさらにテクノロジーを拡大主義的・膨張主義的に突き進んできた男性原理と置き換えてみると、今日の社会全般を見る視点としても有効なのではとも思います。

長く積み重ねられてきた歪を突き崩す力を持つ、これまで指導的だった考え方とは対極にあるもの。
しかし過去に会ったものを完全否定するのではなく、相補う両輪として全体として機能しうるようにする力。

(スナイダーの元の文でも否定されているのは、つねに成長しつつある経済であって、経済そのものでなく、経済学も存在自体否定されているのでなく、より大きな秩序の中で機能することを求められています。)

なぜなら過去の指導的原理に対する攻撃的な視点のみでは、批判を押し立てていくときには勇ましくても、いざ負担を抱えて自ら共同体を支えていこうとするときには脆いものだから。

過去をきちんと踏まえた歴史認識にたった上で、相対立するかに見えるものを調和させて機能させていく、奥行きのある世界観・人間観、それを生み出すために必要な視点。

それならば、当然そこには、いかなる意味での「敵意」も含まれるはずがない。
似たような気持ちを持つことは、多々あるとしても。

そのようなものとしてフェミニズムをとらえてはじめて、大江氏のフェミニズム肯定を納得的に理解できるのです(私は、です)。ファナティシズムを否定される氏が、その成り立ちから言って当然に党派性の勝るはずのフェミニズムを肯定されるというのは、私には不思議なことだったからです。

しかし私が勝手に思っているようなものとしてのフェミニズムであれば、男女問わず、生活の基盤に関する共通の課題として受け入れられる段階にすでに入っているのでは、と思います。

****

この書き込みは、先回までの私の書き込みと直接は関係ありません。
読み返しても我ながら稚拙な(しかも長すぎな)文章ですが、公共の場で約束したことですから(私が勝手に、ですが)、投稿させていただきます。文章は下手ですが、考えていることは正直に書きました。
多くの方からのご批判を期待します。
2004/7/12, 弥生
大江文学における女性観に触れて少し。
 以前にも書き込んだことがあるのですが、大江文学にとっての女性は、男性である物語の語り手−主人公にとって、ある種の特別な意味があります。それは、一般的な意味での「フェミニズム」とも、いわゆる「ジェンダー」とも全く違う、次元の異なった女性観と思います。むしろ、古典的で神秘的で、例えば、「M/Tと森のフシギの物語」の大女は、アマテラスのような神話的な女性像ですらあります。人を受容し、癒し、再生へと励ます女性像です。「個人的な体験」の火見子が初期作品では典型ですが、「燃え上がる緑の木」の両性具有化した「サッチャン」でも、「ジェンダー」思想とは無縁です。「大江文学における女性像」は、もっと多面的に語られるべきテーマです。
2004/7/12, しんしろう
 千葉の大江ファンさんに導かれ、昨日(7/11)、世界掲載の「あらためての『窮境』より」を読みました。
 私が強い印象を受けたのは、教育基本法(47年施行)から児童憲章(51年制定)に至る4年間が示している「小さな違いが、大きい違い」という指摘です。大江さんは、教育基本法にはなく、4年後の児童憲章に新たに盛り込まれた「よい国民」という言葉の危うさに拘り、「よい国民という言葉自体に、恣意的な意味づけを許すあいまいさがあるのを知っている知恵者が、あの当時いなかったとは思いません」と述べておられます。「よい国民」にこめられた50年も前の為政者のたくらみが、今、教育基本法「改正」の主眼となっている「愛国心」(ナショナリズムとパトリオティズムの混交)となって顕現してきたということでしょうか。
 ここで思ったのは、憲法が施行された47年の翌年すでに米国は、日本の再軍備に着手したことです。そして50年に警察予備隊が組織され、54年に自衛隊に改組されたのはご承知の通りです。教育基本法から児童憲章までの4年間が、米国が9条改定へと動き出した時期と重なり合うことをみるにつけ、大江さんの慧眼に感服してしまいます。
 日本は「戦争をする普通の国」ではなく、「戦争をしない特別の国」であり続けることの中に、国としてアイデンティティーを見出してほしいと願います(願ってばかりではいけないのでしょうが…)。
 「九条の会」に強く期待しています!
2004/7/12, 旋頭歌人
このTop pageの『ヒロシマノート』の一節は、胸にナイフを突きつけられたような、するどい、怖いような言葉ですね。私の書き込みが気恥ずかしくなるような・・・

でも、メゲずに書き込んじゃいます。
昨日7月11日は、NHKホール・「パリ祭」へ行ってシャンソンを聴いて観てきました。シャンソンは嫌いじゃないけれど、日本の(日本人の歌う、日本語訳の)シャンソンはちょっとね、な感じを持っていましたが、その日は「新井英一さん」がゲスト出演するので行ったのです。「新井さん」一人、次元が違うというか、野生的で、力強く、魂の絶唱と言いたいほどの迫力で、飾り気も無く「暗い日曜日」をピアノの弾き語りで歌い、他の歌手たち(上手にきれいに歌いすぎる)を圧倒していました。こう書くと「贔屓の引き倒し」?
大江さんはシャンソンという庶民派の音楽、大衆歌謡は聴きそうにないなあと思いますが、どうなんでしょう。

司会の永六輔氏のお話で、「パリ祭」は7月14日のフランス革命記念日のことである(日本で)と知り、へえ〜<この国は革命もお祭りにしちゃうんだ>と妙に納得しました。そして氏は7・11は「静かな革命ともいえる選挙日」であることも話題にしていました。(私はちゃんと投票しましたヨ)
「パリ祭」のことを調べたら、ルネ=クレール監督の映画「7月14日」の邦訳名から、パリ祭=7月14日のことになったんだって・・・

7・11の選挙結果・・・やっぱり、意外、なんとも言いようの無い、煮え切らない結果だなあ。弱小政党の凋落ははっきりしたけれど。
日本は、徹底して革命が嫌い(できない?)国なのね。大化の改新(クーデター?)、明治維新(半分革命?) 「その国民に見合った政府しかできない」と、どこかで読んだけれど本当ね。
ところで、大江さんともゆかりの深い武満徹さんの「全集」(小学館)が完結したんですね。本とCD56枚のセットで、おいくらするのかしら。

「勝手に旋頭歌」
<シャンソン、今日の気分はアズナブールね 好きなのはもちろん「イザベル」「ラ・ボエーム」もいい>
<Shanson,秋になったらイブ・モンタンを聴こうかしら、やっぱり「枯葉」は名曲だよね>
2004/7/11, 渡辺智子
旋頭歌人さま、やぎさま、はじめまして。

同じ女性の立場として、大江ファンの一人として、発言したいことがあります。
旋頭歌人さまの個人的な日本の男性観に対しては何も言及することはありません。
しかし、フェミニストと自認されている貴女のおっしゃることに対して、疑問を感じます。ただし私はフェミニストとして特別に運動をしているものではありませんし、専門家でもありません。

****
と、私の言いたいのはこれだけですね。まあ、更年期のオバサンのヒステリーと、読み流してくれてよかったのですが・・・
****

私にもいずれ更年期がおとずれるでしょう。これは女性なら誰も避けて通れない現実です。更年期は体験者でなければわからない苦悩があるものということです。女性なら誰もが怖いと思います。
そのようにたいへん切実な女性の身体問題を盾にして対話から逃避する行為はフェミニストらしからぬものではありませんか。
「男女共生」「性による役割分担の改革」を掲げていらっしゃる方々が、「私は更年期だから、しかたない」と立場から逃げるようなことはできません。これでは、それこそアンチフェミニストの男性からの「更年期のオバサンは黙っていろ」という罵倒を自ら請け負ってしまっているのではないですか?かつて都知事が言いました。「更年期を過ぎたババアは害悪だ」と。それで良いのですか?
 私たちはいずれ更年期を迎えなければならないが、今は社会で闘っている女性の多くが、先人の「更年期の女性」の無神経な言葉に傷つくのをおわかりでしょうか?更年期になったらすべてオバサンになり、その発言は読み流されてしまうものですか?
みなさん、真剣に考えているからこそ発言し、返事があり、疑問を投げかけられ、対話になり、時には論争するのです。

 読み流すことなどできません。誰も。ここは大江健三郎氏のファンの集うBBSであり、私はここでのご発言はどれも大切に一字一句拝読させていただいています。読み流して欲しいようなエゴイスティックな発言をなさる意図がわかりません。

****
そして、日本の男性一般について、フェミニズム・女性問題に対して鈍感な人が多いと言いたかったのです。
****

それは男性だけには限らないのだろうと私は思います。

>(精神安定剤メイラックス服用中)

やぎさまもおっしゃるように、対話から逃げてはいけないと思います。公共の発言の場での自分の言葉を、精神状態のせいや薬物のせいにしてはいけないと思います。同じ薬を服用されながら必死で闘ってらっしゃる方々に失礼です。
そして、最後に言いたいのは旋頭歌人さまのご発言もとても貴重な大切なもので、大江ファンBBSのログとして残っていくものだということです。私も参考にさせていただいています。だからこそ、言い捨てるような書き方には残念な気持ちが抑えられなかったのです。これからもご発言を楽しみにしています。
2004/7/11, やぎ
旋頭歌人さん、返信ありがとうございます。
いとうくにおさんからストップがかかったのでお終いにしますが、
少し補足を。
丸山真男の文章がもともと断片だと言うことは知りませんでした。
今現在、事情があってネットでしか情報を取れない状況なので、
図書館に行って原典にあたることも出来ませんでした。
しかし、引用の仕方と言うことで先に私が書いたことは、
原文が断片であっても変わりないのではと思います。
むしろ、断片であればこそ、かえって強く妥当するのでは?
と思います。

さて、大江文学から離れすぎ、とお叱りを受けたことですし、
また、人の批判をしておいて自分の考えを言わないのも卑怯なので、
大江氏の発言に絡めて少し書きたいのですが、長くなりますし、
攻撃の続きのような印象を与えるのは心外ですので、
いったん切って、また改めて書きます。

あなたが私のハンドルネームを鉤括弧付きでかかれたことにも、
更年期のオバサンのヒステリーと、云々のくだりにも思うことはあります。
しかし私が望んでいたのはあくまで対話です。
今後、この場で実りのある対話が出来ることを希望しています。
2004/7/11, いとうくにお
旋頭歌人さん、やぎさん、こんにちは。煽り立てるようなことを書いてしまったことを反省しております。大江文学抜きからだいぶ離れてきたようなので、「日本の男」論についてはこの辺でおしまいにしましょう。
2004/7/11, 旋頭歌人
「やぎ」様へ
丸山真男の引用は、もともと断片なんです。「自己内対話」は思索のおぼえ書きのノートの集成ですから。ですから、私の引用したものですべてです。それをいかに読み取るかは、読者にまかされていると思います。

そして、日本の男性一般について、フェミニズム・女性問題に対して鈍感な人が多いと言いたかったのです。
「声」の魅力というのは、過去にレコードで持っていたものを捨ててしまったので、CDでお気に入りだけ買いなおしているのです。ハリー・ベラフォンテ、シャルル・アズナブール、サルバトーレ・アダモ、エンリコ・マシアス、ジョルジュ・ムスタキ、フリオ・イグレシアスの若い時のもの等。みな、声に力強さ、優しさがあっていいですねえ。私は、移民・マイノリティの人の、才能と努力で頭角を現し、魂から歌っているものが好きなのです。今の日本のポピュラー音楽の中では、そんな力強さを感じる人はいません。・・・あ、いました、コリアン・ジャパニーズのブルース・シンガー「新井英一」さんが。(日本語の歌のCDで持っているのは、新井さんの5枚だけです。)
と、私の言いたいのはこれだけですね。まあ、更年期のオバサンのヒステリーと、読み流してくれてよかったのですが・・・(精神安定剤メイラックス服用中)
2004/7/10, やぎ
旋頭歌人さん、こんにちは。あなたの新たな書き込みは私(男)の質問に対する答えと受け取って良いんでしょうか?
論争を仕掛けるつもりはなくて、ただあなたが今日の日本の男に共通する特徴を、そのよってきたるところを論理的に解明し得ていて批判しているのなら、もう少し説明的に書いてみてもらいたいと思ったのですが、新しい書き込みを呼んでも正直何を言ってるのか分かりません。
断片的な文章を元の文脈から剥ぎ取って引用した上、そこに顕れたメンタリティ(とあなたが考えるもの)を叩くというのは、わたしには、幼稚なやり方とも、卑怯なやり方とも思えます。挙げられた丸山真男の文章も、あなたの引用の仕方では、もとの文章がどういう意図で書かれたものかは絶対に分かりません。
女性は神様か、動物か、云々の部分にしても普遍的な真理としてかかれたものか、
男が描きうる限界を画したものなのかは、あの引用だけを呼んでも絶対に判断できません。そして、なぜ丸山の文章が、「日本の男」全体がだめであると言うサンプルになりうるとあなたが考えるのか、何の説明もありませんね。
挙句最後には、最近の若い「日本の男の声」には云々と、とうりすがりの人間に説明抜きでいきなりつばを吐く式の書き込みで終わられると、まじめに聞いたこっちがバカだったのかと思っちゃいます。違うと思わせてください、返事を待ってます。
(あなたが、新しい書き込みで私の名前にも触れないのは、頭の悪いショービニストは相手にしないと言うポーズですか?)
2004/7/10, いとうくにお
旋頭歌人さん、こんにちは。大江文学の掲示板ではありますが、その本筋を意識しながらの節度ある脱線ならばよいのではないかと思っています。
「芸者化」の話は僕もあの本を読んだときに面白く思いました。きっと権力の側にいる日本の男性の多くがそういう形でしか女性を権力内に受け入れないから、女性のほうも芸者化せざるを得ないのかもしれませんね。それゆえ、日本以外、たとえば国連で活躍した緒方貞子さんなどは芸者化とは無縁でいられたのではないでしょうか。
2004/7/10, 旋頭歌人
おっと、ここは「大江文学」について語り合う場でしたね・・・最近読んだ本<小倉千加子:「赤毛のアン」の秘密 岩波書店 2004> <笙野頼子:片付けない作家と西の天狗 河出書房新社 2004>の2冊で、フェミの二乗になっちゃったのよ、頭の中が。
「日本のオトコ」に敵意抱いちゃった(前からだけど)・・・

わが大江さんは違いますよ。だって、中性的魅力?も持っていらっしゃると、私思っています。フェミニズム・女性問題に「鈍感」ではない数少ない男性と認識しています。

<大江健三郎・再発見 集英社 2001>の中の、大江氏・井上ひさし氏・小森陽一氏の(座談会)は、おもしろく読みました。
そこでの大江さんの発言・・・(これからの日本文学について)
『この国の歴史について不満に思うことですが、ともかく男性原理は常に日本で貫かれてきました。・・・今後は女性の、しかも権力構造と無関係なところで仕事をする作家出て来るほかにないと思う。』
(おお〜するどい指摘、未来を見据えた発言!)

そして、ユーモアも忘れずこう続きます・・・
『ただ、日本の女性は権力的なところに加わっていくと、どういうわけか、僕の言葉でいうと「芸者化」するんです。・・・』
(「芸者化」とはうまい事おっしゃる。自民党・保守党・民主党の数少ない女性議員たち・・あれも「芸者化」の典型よねえ)

「勝手な狂歌」
<音楽は日本的でなく、アメリカ的でもない ラテン・ファド・タンゴ・フラメンコ・シャンソンを聴く>
(日本人の歌は聴きません。魅力ないもの。特に最近の若い「日本の男の声」には魅力ありませんねえ。これは私がオバサンだから?)
2004/7/10, 旋頭歌人
思い立って2度目の<丸山真男:自己内対話 1998>を読んでみました。卓越した『政治思想史家』だと尊敬はしますが、女性と庶民(=愚民?)に対するつめたい「まなざし」を感じますねえ。ことに女性に対しては、フェミの敵だ!とはちょっと言い過ぎ?

同書 1945年手帖  (p29)
「婦人の解放」これは出来損なった、云いかえれば、子供を産めない婦人が、上出来の婦人に対して抱いている本能的憎悪である。(ニーチェ「この人を見よ」)
*****ニーチェの言葉を手帖に記入しているのは、自分も同感だという意思表示に他ならないのか?・・・

同じく 1955年手帖  (p46)
女性は神様か、動物か、どちらかであって人間にはなれない。男だけが人間であり、人間の矛盾を究極まで体現している。(mam, mankindというコトバ)だからドストエフスキーは女が描けなかった。ファウストは、永遠に女性なるもの、われらをひいてゆかしむ、と言った。
*****これは引用ではなく素の文章だから、「丸山」の考え方よね・・・

50年前の考え方だから、少しは割り引くけれど、こう書かれていると、(まるやまキョージュ、若い時に女に痛い目にあわされたことでもあるのかなと、勘ぐってしまいますよ)
ことほどさように、「日本のオトコ」はフェミ二ズム・セクハラに鈍感なのよ。その鈍感さ(社会一般に共有されている)が、私には許せないのです。

「勝手な旋頭歌」
<今フェミは人気無いのよね、頑張って!上野千鶴子に小倉千加子よ!>
2004/7/10, いとうくにお
千葉の大江ファンさん、雑誌の情報ありがとうございます。どちらの雑誌のエッセイも読み応えありそうですね。
旋頭歌人さんとやぎさんの間で「日本の男」について議論が発展するかなと思っているのですが、議論するほどのことでもないかな? 僕としては、男を産むのは女だし、育てるのもどちらかといえば女が中心だし、男は女の存在によって磨かれるという一面もあるのだから、「もっといい男たちを、いや新しい人たちを育てよう」と「日本の女」たちに呼びかけたい気分でもあります。
あおきばんげさん、大江さんの短編で「人間の羊」というのがありますね(関係ないかもしれませんが)。どういった資料をおさがしなのでしょうか。もう少し具体的に書いていただけると情報も集まりやすいかもしれません。
2004/7/9, 千葉の大江ファン
 『世界』8月号にも、「あらためての『窮境』より」という文章を、大江さんは、書いておられます(大江さん流にいえば、「書いていられます」なのでしょうけれど)。
 大江さんが、以前、『世界』に発表した、戦後文学についての論文にも、「窮境」という言葉が使われていました。ずいぶん前になりますが、岩波書店から出版された、テツオ・ナジタ氏が編者になっている本に収められている論文があります。大江さんは、とことん言葉に愛着を感じ、こだわり、磨き上げることをめざしておられますね。
 今回、「窮境」という言葉に、ついて、ものすごく詳しい説明がなされていて、たとえていえば、「87へえ」ぐらいの驚きを覚えました。大江さんの思想の原点をかたちづくった「窮境」。『世界』も必読ですよ。
2004/7/8, 千葉の大江ファン
 『すばる』8月号に、大江さんは、「佐多さんが『おもい』と書く時」を発表しておられますね。東京で開かれた集いでの講演をまとめられたものです。
 このなかで、大江さんは、母親・小石さんの「戦闘的ユマニスト」(大江さんは、この講演で、そのような表現は使っておられませんが)としての姿を描いておられます。
 大江さんが、母親を評して「1951年、私は16歳でしたが、その母親が私らの小さな村で、おそらく生涯で唯一度の政治的な行動をしたのです」と言われたことに、なんとも、おかしみのあるユーモアを感じます。
 さらに、私は、この、大江さんの文章の最後の部分に感動しました。
 また、以前、この掲示板で疑問に出されていた、なぜ大江さんは、ニューヨークに行ったのかに対する回答もなされています。詳しくは、『すばる』8月号をお読みくださいませ。
 蛇足ながら、大江さんは、「日本の男」なのですから、魅力ある人が、日本にも存在していることは間違いないですね。
2004/7/7, やぎ
旋頭歌人さん、はじめまして。唐突ですが、
><フェミニスト・大江谷 緑>としては、「日本の男」は全然魅力無しです!
とは、具体的にはどういうことを仰ってるのか教えてもらえませんか?
2004/7/6, 旋頭歌人
「父よ、あなたはどこに行くのか?」 1968
「みずから我が涙をぬぐいたまう日」 1972
「鎖につながれたる魂をして」 1983
「魂が星のように降って、跗骨のところへ」 1983
上記の著作は読んでいませんが、タイトルを見ただけで何か感じると言うか、想像力をかきたてられる魅力を持っていると思うのは、私だけではないでしょう。(うまい書名を付ける天才だ!と、読んでいないので中味については何も言えない私は呟く・・・)

ところで、<フェミニスト・大江谷 緑>としては、「日本の男」は全然魅力無しです! 世の女性が<ベッカム様〜> <ヨン様〜>と、黄色い声を上げている心の底に「日本の男」に対するルサンチマンが巣食っているのでは?と思ってしまいます。 その上、その女性心理をも巧みに利用して、金儲けのタネにしているヤツらもいるし・・・ホント、「日本の男」は根性無しのくせに、商売上手な、小利口なヤツが大手を振っているのよね。
「あのヒト」「あの制度」のために、「日本の男・女」もダメになっているんじゃないの。 と考えて、最初に出した大江作品のタイトルに、妙に惹きつけられてしまうのです。

「勝手な旋頭歌」
<自民党 ××民主主義人民共和国と同じに自己欺瞞だし、意味不明よね>
<選挙、選挙 参議院の存廃をかけた選挙なら盛り上がるのに、行く気にもならず・・・> (国会議員多すぎる・参議院不要)
<デカダンス孤独の中で人の精神崩れ去る ひとりでいると、ひとりでいたい>
2004/7/4, あおきばんげ
はじめまして。

台湾という辺鄙な所で大江健三郎研究をしている一人です。今、大急ぎで「罪」あるいは、「贖罪山羊」の資料を集めています。参考文献、雑誌掲載、何でも結構です。ここに、こんなことが載っているよ、ということをご存知の方がいらしたらぜひ教えてください。よろしくお願いします。
2004/6/26, 旋頭歌人
今のこの日本の空気の重苦しさに、あえいでいるような気持ち。ということで、<藤田省三:維新の精神 みすず書房 第二版 l974(初版1967)>を読んでいます。平凡社ライブラリーから出ている<藤田:精神史的考察>を読む前哨戦として。
その中に、『当事者優位の原理―テロリズムと支配者への抗議―』という章がありました。これは、「嶋中事件」に対する日本の支配者及び保守主義思想家の態度に抗議して書かれたものである、との注記があります。そこで氏は、(現に私は深澤氏の作品を秀れた日本人論として受け入れるべきものだと評価している)と書かれています。 ああ、読みたいな、「F夢譚」、ついでに?「政治少年死す」も。

この事件「F夢譚事件」「嶋中事件」については、<京谷秀夫:一九六一冬「風流夢譚」事件 (平凡社ライブラリー) 平凡社 1996>を読みましたが、当事者である旧「中央公論」の編集員であった著者が、その事件の顛末を記録し、考察し、一気読みさせる気迫が感じられる良書だと思います。さすが編集者!自己弁護に陥らず、冷静に書かれている姿勢に心打たれました。もしかしたら、元の小説よりも読み応えがあるかも!?

「藤田省三」に話を戻すと、大江さんは「丸山真男」についてはいろいろ書かれていますが、「藤田省三」とは接点はあったのでしょうか? 私は「丸山真男」はアカデミックすぎて、「藤田」の率直な物言いの方が好きかも。

こんな日々にはやっぱり、心洗われる光さんの音楽が私には必要です。眠りに就く時、目覚めの時に毎日聴いています。
「勝手に旋頭歌」
<朝に聴く光さんのノクターン2番 窓開けて叫んでみたい !La musica de la Luz !>
<物憂い夏午後のひととき光さんの曲 贈り物 避暑地の夏を知らない人へ>
<レクイエム美しいレクイエム 大江光よ! レクイエムのため、レクイエムのひと>
2004/6/21, にくちゃん
こんにちは。以前、「宙返り」などを細かく読んだということで、ここに投稿いたしました。今回、「取り替え子」「憂い顔の童子」を、また細かく読んでみました。よかったら見てみてください!
「取り替え子」に出てくる絵本の日本語訳を近くの図書館で見つけることができました。翻訳しても、絵は同じですから、アイダの大きな足も出ていました。
「憂い顔の童子」では、「ドン・キホーテ」からの引用の箇所を書きました。

「ぽこあぽこ」
http://www1.pbc.ne.jp/users/kaiman00/

の中の「大江健三郎を読む!」という所です。「?」な所や、私の間違いなど、是非教えて下さい!
2004/6/15, 旋頭歌人
「九条の会」結成のニュースは、やはり立ち上がってくれたか、との思いです。 ただ、一般庶民もこの運動の力にならなければ、他力本願ではダメですよね。 今の日本の状況に、危機意識を持っている人はたくさんいるのに、大きな<うねり>にならない「日本の空気」にイライラしてしまいます。
「有事法制」 「憲法改正の動き」 「教育基本法改正の動き」 「皇室典範」は来年国会へ、との進み行き・・・・
自称<社会派?フェミニスト・大江谷 緑(私の別名)>としては、「皇室典範」がどのように改悪?されるかが見ものです。 表面上は男女平等をうたいながら、男子がいない時にだけ「女性天皇」を認めるような、狡猾なレトリックを使って国民の眼をごまかすのだろうと思っています。 ところで、「憲法一条」は何も議論されませんよね・・・・

立川で「妙な街宣車」を見たことが頭から離れません。 『天皇陛下とともに憲法九条を守ろう!』と、プラカードを掲げていました。 これって何? 天皇を守るために九条を利用するのか、九条を守るために天皇を利用するのか、真意がはっきりしません。 薄気味悪くて、寝込んじゃった・・・と言うのはウソですけど、気持ち悪い・・・

「勝手に旋頭歌」
<子は産まず、私の母性は在りや無しや?流行の愛玩犬を飼う趣味もなし>
<フェミニスト社会の差別と戦おうか、行過ぎた健康志向 若さ礼賛>
<ナルシシズム エゴイズムとストイシズム マルキシズム フェミニズム これって私>
<本日は五七七・五七七にまとまらない 山頭火ふうでいこうか、自由ってイイね!>
2004/6/13, miura
 久しぶりの書き込みです。このHPの「トップページ」に早速入っていましたね。

■最近の出来事・予定 2004/6/10 加藤周一氏の呼びかけで「九条の会」結成

この「九条の会」アピールを読みました。「ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました」とありまして、これは大江さんが常々日本国憲法の申し子としての立場から、発言しておられたことだな、と思って読ませて頂きました。更に、記者会見で大江さんは「憲法は世界に対する自分の態度、モラルの支えであり、外してはいけない考え方の土台だと思ってきた」と述べられ「今、憲法が書き換えられる危険がかってなく強まっている現実は、小説家としての自分の仕事の締めくくりをしなければならないときに、自分の支えとなってきた柱が倒されようとしている」のだと映っていることを表明しておりました。そしてこれまでは、解釈改憲はされても、明文では書き換えられないだろうと「楽観的に信じてきた」が空洞化はあっても、憲法が文字としてあることと、それがなくなることとでは根本的に違い、今、言葉として書き換えられようとしている、と「九条の会」の呼びかけに加わったその思いを語っておりました。そして「萃点(すいてん)」という言葉を使って「いろいろな人の憲法への思い、九条を守ろうというさまざまな声や運動、それが集まって一つに重なる場所、萃点の一つとしてこの会が使われればうれしい」と結んでおります。いつもながら分かり易く端的に、今の日本の危機状況を話されたと思いました。
2004/6/13, いとうくにお
董子さん、はじめまして。「ゆかりさんの挿絵が素晴らしい2冊」というのは『「自分の木」の下で』と『「新しい人」の方へ』のことですね。 同じくゆかりさんの挿絵入りエッセイ集ということでいうと、講談社から出ている『ゆるやかな絆』と『恢復(かいふく)する家族』という二冊もすばらしいですよ 。おすすめします。
2004/6/13, 菫子
はじめまして。
私は、大江健三郎さんの著書は、ほとんど読んだことがありませんでした。新聞で、寄稿された文章にふれるくらいだったと思います。
最近になって読む気になったのは、ゆかりさんの挿絵が素晴らしい2冊を、書店で見かけて、手に入れたいと思ったからです。私は、大江さんを通りこして、大江ゆかりさんの絵に感動したり、もっと以前に、光さんの最初に出されたCDを聴いて、心を揺さぶられたりしていました。
なぜか、こむずかしい、という印象を、大江さんには抱いていたように思います。

それが、今、2冊読み終えて、「取替え子」も読了し、これからしばらくは、大江文学の海に浸れそうだな、と、ひそかに胸が高鳴るのです。

しかし一面、正直きつくもあるのですが。それは、最初に読んだあの2冊の、分かりやすい文章の中の、たとえば、ウソをつかない力、というような記述。勇気があったなら、という、自分に対する真摯な姿勢。文章全体に、真摯、という有り様が感じられて(私の語彙ではそう書くしかないのですが)身が引き締まるような思いがしました。
人生というものに対して、自分の姿勢が恥ずかしくなる気がします。

全く自分は、言葉ということ一つにも、勘違いしつづけて生きてきたのかもしれない、と思うのです。でも、大江さんも書かれているように、取り返しがつく、という思いで、大江文学を友にして、深く生きていけたら、と感じています。

『すみれこ』は、私には可愛いすぎる名前ですが、菫は、強く可憐な雑草という面が、好きでつけました。よろしくお願いします。
2004/6/1, 旋頭歌人
「大江健三郎・再発見」の個人的な物語
なぜ、健三郎に惹かれたか?
この4,5年精神的に不安定で、優雅に小説を読むこともほとんど無く、戦後論・敗戦後論・日本人論など、多く出版されていたので、ボチボチ読んでいました。 決定打は、ジョン・ダワー「敗北を抱きしめて」でした。 日本ってなに? 疑問がたくさん湧いてきました。 そんな中、去年の春先には入院・手術(いわゆる生活習慣病・ちょっと怖い病気)という、思ってもいない事態になり、何がなんだか、今までの自分って何だったの?というアイデンティティの危機に陥りました。
そんな時、退院後の心のリハビリに読んだのが、大江の「人生の習慣」でした。 その前から「ヒロシマノート」「あいまいな日本の私」「取り替え子」「憂い顔の童子」などは読んでいました。
なぜか<信仰を持たない者の祈り>という言葉が、心に食い込んで来るようでした。

その<なぞ>が解けました。 このHPで知った<文藝研究プロジェ編著:よくわかる大江健三郎  ジャパン・ミックス 1994>を読んで。 p.36-37 ・・・「人は死を迎えるとき、どこに帰っていくのだろうか? 大江はそのことを本気で考え、小説で報われない魂の行方を追及しているのである」 「人は死ぬと決められた樹木の根方へ帰って行き、憩い、溶け込み、やがて新たな生命として再生するという死生観が繰り返し語られる」・・・ネオ・プラトニズム・・・これが、今の私の救いになりました。 自分は「ゆるい仏教徒」位に思っていて、特定の宗教・宗教まがいのものには、救いを求めていません。

思い返すと、30年程前「私が本当に若かった頃」は、新潮文庫のオレンジ色の背の<三島由紀夫>をほとんど全部読んでいました。 若気の至り?で、三島のあの硬質な、神経質な美文に惹かれていたのです。 その頃、同じ文庫版の茶色の背の<大江健三郎>もたくさん並んでいて、すごく気になる書名でした。 「性的人間」「死者の奢り」「遅れてきた青年」「洪水はわが魂に及び」・・・私よりススンでいる文学少女は、大江健三郎の「死者の奢り」いいよね〜なんて言っていたのを、横目で気にしていました。 今はあの茶色の背の文庫本が懐かしい!
潮が満ちる時がめぐって来るように、今の私にその時が来て大江を読み継いでいこうという気持ち。 私的に下記の比例式が成り立ちます。

  大江:三島=茶色:オレンジ色=オバサン:乙女=更年期:Post思春期

「勝手に旋頭歌」
<パソコンのマウスに嫉妬あいつの手の中つつまれる 優しくそっと私を抱いて>
<薫風に誘われて行くドライブに合う音楽は? 今日の気分はジプシー・キングス!>
2004/5/31, にくちゃん
こんにちは。以前、「宙返り」「懐かしい年への手紙」を細かく読んだということで、ここに投稿いたしました。今回、「燃えあがる緑の木」を、また細かく読んでみました。よかったら見てみてください! 今回のポイント(?)は、できるだけリンクを張って、イメージがわくようになったことと、総領事とミツの顔がわかったということです!

「ぽこあぽこ」
http://www1.pbc.ne.jp/users/kaiman00/

の中の「大江健三郎を読む!」という所です。「?」な所や、私の間違いなど、是非教えて下さい!
2004/5/27, 森野フシギ
いとうさんへ
「宙返り 上・下」は、文庫本ではなく単行本です。 オレンジ色系の背のやや厚いその本は、目立つのですぐ見つけました。
わが目を疑い、この本がこの値段でいいのかと、店員さんに確認しました。
熟読すれば半年はかかるだろうし、時をおいて何度でも読めて、210円!・・・物の値段て何だろう?  今の日本の状況はヘンだなあ、不必要なものを次々と消費させられている・・・

森野フシギか、旋頭歌人か、ある時は夢見る乙女?
「勝手に旋頭歌」を
<ユートピア夢見る乙女の幻想に似て、アルカディア夢破れた大人の住処>
<旋頭歌の師は誰かしら 窪田空穂と意外にも、かんたん短歌の枡野浩一>
2004/5/26, いとうくにお
三津野さん、はじめまして。ようこそいらっしゃいました。新潮社の件についてはよくわからないのですが、たまたまうちにある「新潮 創刊1000号記念号」というのにも大江さんは登場しています。1988年(昭和63年)の5月号です。それは大江健三郎・江藤淳・開高健・石原慎太郎というメンバーでの座談会なんですが、このうち二人はすでに他界されていることを思うと、時間の流れを感じさせられます。
森野フシギさん、浮いた話題、沈んだ話題、なんでもOKですよ。ご遠慮なくご投稿ください。1冊105円というのは、文庫版ですか? それにしてもお買い得ですね。それだけのお金で大江文学が楽しめるのですから、読書の喜びを知っている人は幸せですよね。
2004/5/26, 森野フシギ
森野フシギです。場に慣れていないので、浮いた話題ですが。
「宙返り」には、楽しい思い出があります。 何年か前に図書館で借りて読んだ(と言っても、期限切れで途中で投げ出しちゃった)のですが、蔵書にしたくて、古書店で捜していました。 <Book Off>で、なんと1冊105円の「宙返り 上・下」を見つけて購入しました。 (上・下で210円!) 

通常の棚には1冊1100円のものがあり、それを買おうとしましたが、「値落ち」物の棚で見つけました。 ものもきれいで書き込みなども無く、落丁もないようで、ラッキー!  <Book Off>も使いよう、あそこは本の内容関係なしで、古書を売っているからバカにしていたけれど。
でも・・・210円で「宙返り」を購入したなんて、著作権者には悪いことをした様な・・・心苦しいです。
旋頭歌?
<古書店で買いそびれた本見つけた歓び 大型の、大岡信「折々のうた」>
2004/5/25, 三津野吏
初めて書きこませていただきます。
先日「憂い顔の童子」を完読し、そのなかでこのサイトのことが触れられていたので、検索してここにたどり着きました。
「宙返り」出版までは、同時代で読めるものはその時に、過去の小説は全集で読んでいたのですが、それ以後大江文学・エッセイからなぜか疎遠になっていました。
先日井上ひさしさんと筒井康隆さんとの鼎談「ユートピア探し物語探し」を入手し、それをきっかけとしてまた自分が大江さんの小説を必要としている、と感じました。
そこで、ここ何ヶ月かは、気になる過去の小説を読み直し、また「チェンジリング」「憂い顔の童子」を読みもして、ここにたどり着いたわけです。
新潮の「ブレックスルー」を読みましたが、大江さんは新潮社とはトラブルで疎遠になっていたのではなかったでしょうか?
ぼくの記憶間違いでしょうか……もし事実であっても、ここですでに話された問題かもしれませんが、よかったらこの件についてなにかお教えください。
2004/5/21, いとうくにお
リョウさん、旋頭歌人さん、こんにちは。「政治少年死す」のイタリアでの出版については、だいぶ前にニュースに掲載しました。ただ、そのときの情報では、無断出版され問題になったという話だったのですが…。いまも出ているということは、問題がクリアされたということなのかもしれませんね。
2004/5/21, 旋頭歌人
リョウさんへ、「政治少年死す」イタリアで訳が出ていることを、初めて知りました。
訳書のTitle「天皇の子供」か・・・なかなかうまいですね。
その本と「深澤七郎:風流夢譚」他が、自国の小説でありながら、簡単に読めない日本社会は、まだまだタブーが多いと憤ります。

そして、最近のニュース!
「イラク問題」 「年金問題」 「雅子さまのこと」 「皇室典範改定?」 「史上最悪のソーリダイジン」 「政治利用されている北朝鮮家族問題」・・・
日本はどこへ行くのか?と問わずにはいられません。
(ちなみに、講談社:日本の歴史 <00巻:「日本」とは何か:網野善彦> <25巻:日本はどこへ行くのか>2冊購入しましたが、まだ完読していません。)

「勝手に旋頭歌」を・・・
<明治期の急ぎすぎた国の成り行き 大元帥・大日本帝国 歴史は残る>
<あの人は国民統合の象徴だって・・・笑っちゃう
                  統合されたくない人、大勢いるのに>
2004/5/20, リョウ
初めて書き込みさせていただきます。私はイタリア在住18年になるものでこのサイトの存在を知ったのは昨年です。過去の掲示板をじっくり読んだことがないので、既に話題になったのかどうか分からないのですが、イタリアでSEVENTEENが(政治少年死す も)が出版されているのをご存知でしょうか。イタリアでのTITLEは IL FIGLIO DELL'IMPERATORE,直訳すると 天皇の子供 ですが、私ははじめて 政治少年死すを読みました。ここで感想は述べませんが、一番びっくりしたのが本の表紙に昭和天皇の写真が使われていることです。問題ないのでしょうかネー。尚大江 健三郎 読書歴は28年になります。
2004/5/19, 真美
いとうさん、みなさんこんばんは。久しぶりに書き込みさせていただきます。
最近、大江氏がIN POCKETでふれていたエリオットの『四つの四重奏曲』を訳詩に照らし合わせて読んでいます。
まだまだじっくり読んでいきたいと思いますが、今いいと思う一節、呼びかけがあります。
Fare forward, travellers! not escaping from the past Into different lives, or into any futuer

進め、旅人!過去から
別の生活や未来の中に逃げ込まずに。
(森山泰夫訳)

『二百年の子供』で伝えてくれた過去、現在、未来のつながりがこの詩「THE DRY SALVAGES」のVで確認(?)できる気がします。

新作が楽しみです。
2004/5/19, 旋頭歌人
場違いな話題かもしれませんが・・・
20年程前に読んだ、ロバート・ブラウニングの一つの詩が印象に残っています。
誰の訳詩かわかりませんが、タイトルは「うま竝めて」で、雑誌の一部に記載されていたと思います。
書き出しは <僕は言ったんだ・・・>でした。

大江さんは、ブラウニングについて何か言及されていないでしょうか?
      
「ヴィクトリア朝の抒情詩人」ということだから、畑違いかしら? 出版されているブラウニングの詩集とは、訳が違っているようです。

「勝手に旋頭歌」を、お耳よごしに。
<若い日の思い出胸に錆び付いている 浮き上がるブラウニングの詩とあの人と>
<通院の帰りの道の河岸段丘 白い花五月曇りのウツギ一枝>
2004/5/14, 武満−ビートルズ−大江
 僕が初めてビートルズに導かれたのは、ある朝、家の庭で立ち話をしていた際に、武満徹さんがビートルズのメロディーと和音の美しさをなにか茫然としたような面持ちでいられた時からだ。すでに荘村清志のためのギターのための編曲を聴いてきたが、ピアノのための「ゴールデンスランバー」を聴くと、武満さんの若かった面影を思い出す。
2004/4/30, 旋頭歌人
GWで東北旅行に来ています。 ホテルで、無料でインターネットに接続できるサービスを利用して、メールしています。
本当に便利になりましたね。 でも、その便利さに流されまいと思いつつ、安楽さの方へ行きかねない自分がいます。

旅のつれづれに作った<勝手に旋頭歌>を、奥入瀬渓流の春まだ浅いホテルより・・・
            (ガン告知をうけて)
<真暗い海にひとりで漕ぎ出すような・・・灯台は?
      大江健三郎を読む日々>
<「精神は身体の別名」かもしれない 時間薬はこころのために>
<ブレイクもダンテもジョイスも読んでないけど
      通じるよ、大江健三郎の生き方>
<星座をつなげるように 大江健三郎を読み続ける事、ライフワークに>
<「ゆるやかな絆」 「恢復する家族」 「自分の木の下で」 
      「新しい人の方へ」 愛すべき本たちよ!>
<近頃の訃報で悲しかったのは
      サイードと網野善彦・家永三郎>
2004/4/29, Jersey Guy
ニュージャージー州在住のファンです。
昨日28日に先生がニューヨーク入りされたそうです。
講演会などの予定がおありならぜひとも拝聴したいと思っております。
今回のご渡米について何かご存知の方は教えてください。
2004/4/28, 旋頭歌人
いとうくにおさんへ

こんなに早く反応があるなんて、うれしいです。
「せどうかじん」で良いんです。 私が昨日思いついて、命名しました。
それと「勝手にしようか」をもじって、「勝手に旋頭歌」と自称しました。

大江健三郎氏のエッセイを読まなければ、旋頭歌も、窪田空穂も知らなかったかもしれません。 短歌も旋頭歌も良いけれど、一押しは長歌です。
「捕虜の死」という長歌は、感動で涙こぼれました。
2004/4/28, いとうくにお
旋頭歌人さん、はじめまして。「せどうかじん」さんとお読みすればよろしいですか? 確かに世の中には「癒し系」があふれていますね。それは音楽だけではないと思います。旋頭歌人さんのお感じになる「違和感」は、それらの多くが消耗品として提供され、受け取る側もそのように受け取り消費していくということによるのかもしれませんね。
2004/4/28, 旋頭歌人
ふたたび光さんの音楽について、書かせてもらいます。
「勝手に旋頭歌」を一首

  <癒されて優しい言葉優しいメロディー
        表面を撫でられただけの癒しの消費>

最近特に、安易な「癒し系」音楽があふれていると思います。
世界に一つだけの花・大きな古時計・さくら・千の風になって・・・
確かに、それぞれの歌は良く作られていますよね。でも、何か違和感があります。

光さんの音楽はそうではないと感じます。 純粋に音それ自体が、魂をゆさぶるのです。
CD「大江光の音楽」の解説で、一柳慧氏が書いていることを思い出します。
<・・・音楽を言葉で飾ることで、その本質に光をあてるより、そこから遠ざけてしまうことの方が多いこの国において、光さんにはこれからも、純粋に音楽で語る意味を問い続けて欲しい・・・>

大江健三郎氏の作詞 「『新しい人』に」は、どんな詞なんでしょう。 きっと、着飾った言葉でなく、誠実な言葉だと信じます。
2004/4/28, にくちゃん
こんにちは。以前、「宙返り」を細かく読んだということで、ここに投稿いたしました。今回、「懐かしい年への手紙」を、また細かく読んでみました。よかったら見てみてください! 今回のポイント(?)は、「メキシコへの国際電話は、実は海底ケーブルじゃなかった?!」ということと、「神曲」の引用箇所を載せたことです。そして、なぜ今「懐かしい年への手紙」か、というと、私が一番好きな小説だからです!

「ぽこあぽこ」
http://www1.pbc.ne.jp/users/kaiman00/

の中の「大江健三郎「懐かしい年への手紙」を読む!」という所です。「?」な所や、私の間違いなど、是非教えて下さい!
2004/4/27, 旋頭歌人
はじめまして。 このページはよく見ていました。
今、光さんのCD「新しい大江光」を聴きながら、
どうしても、書き込みしたくなりました。
4曲目の「ファンタジー ハ短調」、胸に込み上げてくる、
ある感動をもって聴きました。
健三郎氏のCDの解説も、いつも楽しみに読んでいます。
短い文章の中に、考えさせられるものが、含み込まれています。

大江氏のエッセイ「恢復する家族」を読んでいて、触発されました。
<ぼくは、窪田空穂の旋頭歌を若いときからよく読んでいた・・・>

この言葉が、私を変えたのです。 自称、「旋頭歌人」になりました。
「勝手に旋頭歌」の歌を、一首  (五七七五七七のリズムです)
  <フォーレよりもアルビノーニより大江光の
       ファンタジーハ短調 哀しくも生きる歓び> (字余り)
2004/4/27, 内海
ありがとうございうます。
では、遠慮なく遣わせて頂きます。
と言っても、既に使っているんですが・・・。


 感謝です。
2004/4/26, ヒチコ
内海さん、そうでしたか〜、使って頂いて光栄です!
素敵なHPですね。
このイラストで宜しければ、どうぞお使い下さい。
連絡遅れまして失礼しました。
2004/4/26, 内海
ヒチコさん、迷惑なんてどんでもない!
こちらこそ失礼いたしております。
自分のHPにヒチコさんのイラストを勝手に使っていると言う不埒者です。
ご査証下さい。
ご不満の場合、直ちに改定いたします。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1171/
2004/4/26, K
初めまして
情報です。
先ほど<4月26日月曜>11:40過ぎにケーブルテレビの
チャンネルを変えていたら、画面に大江さんの講演姿が飛び
込んできました。

 ≪親子のための「二百年の子供」講演とコンサート≫
を収録したもののようです。
 読売系の「G+」というチャンネルです。
私の地域の小田急ケーブルだと31チャンネル。

途中ということで録画はしませんでしたが、再放送も
あるようなので、次回は録画準備をしたいと思います。
2004/4/24, ヒチコ
皆さん、御無沙汰しておりましたヒチコです。

昨年の10月頃、Macをイジメぬいてちょっと壊してしまいました…
そんな訳で随分長くネットを使えない状態が続いたのでが…
どうも内海さんに御迷惑おかけしているようですね。申し訳ないです。
状況が掴めないのですが…私のイラストを使って下さっているのですか?
2004/4/24, 内海
小野さん、全く同感です。
中曽根氏との対話は悲惨で見るのも大変そうですね。イラクの件で言わせて頂ければ、お3方を「独り善がりの正義」と大マスコミ(読売)が表現していましたが、「独り善がりの正義」は政府とその手足となって活動している自衛隊こそが「独り善がりの」と言うべきでしょう。読売にはその場でメールで抗議しました。私達には幸運な事にPCとネットがあります。ガンガン抗議して、彼等に意思を伝える事こそが現在の閉塞状況を打破する一助であろうと思います。
2004/4/23, 小野
3ヶ月ほど前、テレビで中曽根元首相と大江健三郎さんと討論されている番組がありました。どう聞いても大江さんの言うとおりだと思うのですが中曽根さんは相手にもしない素振でした。今の世情は中曽根さんの態度がそのまま進行しているようで恐ろしいばかりです。どうぞ大江さん、大江さんのお考えに共感する人が多いはずなのですが、頼る実体がないのが現状です。今、大江さんのお考えを強く主張しなければ、もう後に戻ることはむずかしいと思います。大江さんを政治に担ぎ出すことはしたくありませんが、日本を救って下さい。大江さんは象徴として存在され、崇高な理念を発信していただければ、多くの若者がついてくると確信します。
イラクでボランティア活動していた方が拉致されたのは日本軍隊がイラク国民に呼ばれないのにいったからです。拉致された方々は国民や政府に迷惑をかけたといわれていますが、迷惑を受けたのは彼らで、被害者です。今の日本の世評はいったいどうしたことでしょう。被害者が迷惑者と批判されています。
大江さんは世界に誇る日本国憲法をかけがえのないもの唱えていらっしゃいます。平和主義、非軍備でなければ真の平和は訪れません。日本国民が世界の人々からから信用され期待されるのは、軍隊でもお金でもありません。温かい心と平和への祈りです。
今の日本を救っていただけるのは、大江さんしかいないと思っています。
関西のほうでイラク出兵は憲法違反だと訴訟している方々がいらっしゃいます。その方々も同じ考えだと思います。どうぞ同じ考えの方が集まれる象徴となってください。
2004/4/20, 美術の窓編集部
ニュースのページでも取り上げられておりました、東京都現代美術館での大江健三郎先生と舟越桂先生の対談ですが、モノクロ12ページの記事として、月刊「美術の窓」5月号巻頭特集「舟越桂 たましいを彫る」内にて掲載しております。ぜひご覧下さい。
2004/4/19, 内海
itouさん、壁紙の件、了解しました。
お名前を書いておきます。メールも差し上げているんですが・・・。
先の投稿のリンク中、二番目のリンクが上手く上がってきません。
このサイト内の記事にリンクしたつもりでした。
クリックされた方、お手数おかけしました。
2004/4/19, いとうくにお
内海さん、こんにちは。「自殺した」というニュースは誰のものであっても常に悲しいものですね。壁紙の件というのは、ヒチコさんの作品のことですね。本人の了解が得られていない以上、使用すべきではない、というのが優等生的な回答ではありますが…。あとは内海さん自身のご判断しだいです。ただ、少なくとも、壁紙の作者名はどこかに表示しておくべきだと思います。
2004/4/19, 内海
作家の鷺沢萠さんが逝去されました。自殺と言われています。
大江さんとの関わりを検索したら、獄中作家委員会なるものにヒットしました。
http://www.japanpen.or.jp/committee/gokuchu/
この集まりはフッシズムに対する抵抗のために作られたものらしいです。
獄中作家の日、なるものも知りました。
毎年10月第一木曜日がそれです。全然知りませんでした。
http://ch.kitaguni.tv/u/1023/ハクウリ/0000021043.html
鷺沢さんの記録で「ワン・コリアン・フェスティバル」を挙げて起きましょうか。
http://hana.wwonekorea.com/
そこから‘94年の討論会のトークショウの記録を読むことが出来ます。
http://hana.wwonekorea.com/hist/10th94/4weman/talk-4weman_top.html
私のHPにもページを新設しました。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/1171/sagi.htm
版権など問題があればお知らせ下さい。
誠実に対応させて頂きます。
ところで、itouさん、以前ご案内頂いた壁紙の件ですが、
ご本人と連絡がつかず未だ使用しておりますが、如何いたしましょう・・?
2004/4/19, いとうくにお
にくちゃん、はじめまして。フセンでいっぱいの『宙返り』、すごいですね。あの写真、大江さんが見たら喜ばれるかも。
前田Kさん、千葉の大江ファンさん、『IN☆POCKET』のご紹介ありがとうございます。とても面白そうですね。近所の書店にあるかなあ。
2004/4/19, 千葉の大江ファン
大江さんの次回作は、『さようなら、私の本よ!』なのですね。
私も『IN☆POCKET』4月号を読んで知りました。わくわくしますね。
『取り替え子』『憂い顔の童子』につづく三部作の完結ですね。講談社は、まあ、よくもこんな味なPR誌を作ったものです。年表も、簡潔ながら、なかなか目配りのきいた構成ですよ。総武線の電車の中で、この「大江健三郎の50年」を読んでいて、思わず歓喜の「叫び声」を上げそうになりました。単なる私の読書の「個人的な体験」ですが、「ギー兄さん」論を、大江さんが自ら、説明しているところに注目しました。そのほかにも、ナボコフ、ジョイスへの論及など、面白すぎる…。
 「一冊の自分の本を見つけよう」という大江さんのメッセージも熟読ものです。太宰治の短編小説を「超一流」と評価しているところなど、幼少の頃からの大江さんの長い読書生活の到達点を示すものとして、大江ファンは必読です。
 すみません。あまりに感動したもので、久しぶりに書きこみました。では。
2004/4/18, 前田K
皆様、ご無沙汰しております。
多摩美術大学の前田Kです。

『取り替え子』が講談社文庫に入ったのを記念して行われた、『IN☆POCKET』(講談社のPR誌、200円)4月号の「自作を語る 大江健三郎の50年」は面白いですね。写真満載で、より率直に来し方を語られている、という印象を受けました。
平成16年度のNHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲「『新しい人』に」(NHK出版、200円)の作詞に続いて、嬉しい出会いでした。
2004/4/16, にくちゃん
初めまして。「宙返り」をダラダラと読み直しているうちに、もっとちゃんと読まなくちゃ! と一念発起して、いろいろ調べてまとめてみました。読めない漢字(恥ずかしい!)、難しい言葉、カタカナ、アルファベット、、、調べられなかった所も多いのですが、良かったら、見てみてください!

「ぽこあぽこ」
http://www1.pbc.ne.jp/users/kaiman00/

の中の、「大江健三郎「宙返り」を読む!」という所です。私がわからない、と書いてある所で、わかる方がいらしたら、是非メールをください。私の間違いの指摘など、大歓迎です!
2004/4/15, 渡辺智子
今夜の人質解放報道については、大江氏の朝日新聞の新連載エッセイの内容とリンクしますので、発言させていただきます。

「知」は「言葉」は武器よりも強い。
信じて良かった。

この殺伐とした戦時に
信じることができることを知らせてくれた。
和解と寛容が存在することも。

「『新しい人』に」という曲の大江氏の歌詞がより強く感じられました。
****
私は好きだった。信じることのできる自分が。
星の数ほどの子供たちが
信じる、といっているのを感じた。
****
2004/4/6, 弥生
フラナリー・オコナーでしたら、まずは、新潮文庫の「オコナー短編集」でしょうね。この文庫本の解説で若干の引用がされていますが、やはり彼女の白眉は、『秘儀と習俗』だと思います。すごい迫力のある作家論、芸術論だと思います。『人生の習慣』もこのエッセイ集を参照して書かれています。しかし、残念ながら版切れです。出版社にも在庫はないようです。大きい図書館なら置いていると思いますが。
2004/4/6, あつし
いとうさん、テンプラボーイさん、kali_pepさん、
僕の書き込みに対してコメントありがとうございました(^^)

新ナショナリズムに対する評価はむずかしいですね。
ただ、それこそ大江さんの師である渡辺一夫の主張する寛容を大事にするならば、まず新ナショナリズムが思考能力が欠如していてメンタリティが脆弱だとは決め付けず、とりあえず仔細に検討していくことは大切かと思います。
新ナショナリズムの中でも、たとえば今回のイラク戦争では徹底反対した人々と、米軍への協力を主張した人々と、大きく二派に分かれてます。必ずしも、対米従属を強めるものだけとは言えない気がします。
kali_popさんがおっしゃるとおり、資本主義やグローバル化に対する、別の価値観としてナショナリズムが打ち出されてきている面があって、もちろん危険な部分や問題が多い部分もとても多いのですが、必ずしも全面的に時代錯誤とも言い切れないと思うんです。

大江さんのよく名前を挙げている韓国の詩人・金芝河のエッセイ集『傷痕に咲いた花』を昨日読み終わったのですが、金芝河はある意味とてもナショナリスティックな主張をしていると思いました。
もちろん、日本の閉鎖的な種類のナショナリズムとは金芝河は異なります。
その本もとても面白くて、サルリム運動という主張には共鳴したのですが、やはり民族というものを全面に打ち出している。
なぜ韓国では民族というものを全面的に打ち出しても、生き生きとした生命につながり、日本ではそうならない場合が出てくるのか。これはけっこう難しい問題ではないかと思いました。

ところで、大江さんの『人生の習慣』を読み終わったのですが、いま、イスラエルの問題について、大江さんはどうお考えになるのだろうと、イスラエルについて触れられたところを読んでて思いました。
それにしても、フラナリー・オコナー、読んだことがないのですが、読んでみたくなりました!
どの本から読むのがよいのでしょうか?
2004/4/6, kali_pep
この週末、200年の子供と自分の木の下でを読みました。200年の子供には、
夏休みに遊んだ森の清々しい空気が満ちているようで、ドキドキしました。
アサさんも登場していて嬉しかったです。自分の木の下でにも出てきましたが、
“私がまた生んであげる”というのはすごい言葉ですね。
イヌイットの家族同士の呼び名の在り方を思い出しました。
ちなみに、あつしさん「新ナショナリズムにも一片の正しい主張は含まれている」とういう意見同感です。
資本主義を打破する価値構造としての新ナショナリズムには一理あると思います。
2004/4/5, いとうくにお
このところいろいろと余裕のない状況で、あつしさんのご投稿にもなかなかコメントできずにおりました。テンプラボーイさんからご意見がありましたが、この件について議論を続ける場合は、大江文学の話題から離れすぎないよう留意していただけばと思います。
2004/4/5, テンプラボーイ
まず新ナショナリズムとあつしさんの仰られるもの、な人たちとの議論が噛み合わないのは、決して「日本の問題を批判するあまりに、必ずしも連合国の罪悪への批判が十分はなされていなかった」からではなく、単に思考能力と脆弱なメンタリティーの問題ではないでしょうか。そもそも、ナショナリストと呼ばれる人たちに真のナショナリストはいないのでは?彼らの言動ほど対米従属を強め、国益(というものが存在するなら)を損なうものはありません。己の存在の不安に耐えられない人間が「より大きな権力」と一体化することでその不安を棚上げします。「日本」でも「個人」でもよりよくしようと突き詰めれば必ず閉じず開かれる筈。
「新ナショナリズムが言っていること」はつまり、自分の存在と人生の正当化と責任の棚上げなのではありませんか?建設的な議論以前の問題だと自分には思われます。
2004/4/1, あつし
大江さんの『鎖国してはならない』を読み終えました。
とても共感しました。
特に、「核の傘から離脱する」という主張には、ものすごい勇気の要ることと思いますが、真剣に受け止めて、僕もなんとか目指したいと思いました。

ただ、一点気になったことがあります。
昨今の新しいナショナリズムが「新たな鎖国思想」という指摘は、おおむね当たっていると思いますし、大江さんの「鎖国してはならない」というメッセージには全く賛成なのですが、新ナショナリズムの全てを鎖国思想や性格のゆがみとして片付けてしまっていいのでしょうか。
新ナショナリズムにも一片の正しい主張は含まれているからこそ、いまの若者に共鳴する者が多いと思うのです。

僕が、新ナショナリズムの主張の中に、ひとかけらの真理が含まれていると思うのは、東京裁判においてアメリカの原爆投下が裁かれなかったことへの批判です。
大戦において、日本のみが悪であったわけではなく、アメリカやイギリスにも国際法違反があったという主張や、日本に先行して欧米諸国が植民地支配や侵略を行っていたということへの批判は、ある意味真実なのではないでしょうか。
しかし、戦後民主主義の主な論客は、日本の問題を批判するあまりに、必ずしも連合国の罪悪への批判が十分はなされていなかったのではないかと思います。
もちろん、アメリカやイギリスに犯罪があったからといって、日本の犯罪が免罪されるわけではなく、日本が中国に侵略して犯した犯罪についてはきちんとした批判と謝罪が必要と思います。
ですが、新ナショナリズムが言っていることも、ある部分はきちんと汲んでいかないと、議論はすれ違ったままで建設的にはならないのではないでしょうか。
読後感として、そうしたことを思いました。
2004/3/30, ラッキー
内海様
NHKの教育テレビで音楽コンクールの課題曲として放映されましたよ。同時に大江さんのインタビューも放映されました。私は途中から見たので全部の番組をみていませんが、、。もしかしたら再放映されるかもしれません。歌と同時に合唱のこつも少しレクチャーされていました。
 楽譜は「日本放送出版協会 рO3−3780−3379」でお問い合わせをすると手に入るそうです。
2004/3/29, いとうくにお
内海さん、ラッキーさん、音楽コンクールの情報ありがとうございました。機会があったら聴いてみたいものです。
2004/3/29, 内海
何度もすみません。
放送はNHK-FMでした。TVではありませんからあしからず・・・。
再放送の日時は中々微妙で変更が多いそうです。
2004/3/29, ラッキー
たった今、NHKでの合唱曲の高等学校の部の課題曲として大江さんの作詞された曲が放映されました!感動でした!中学校の部の谷川俊太郎さんの作詞された曲も素晴らしいです。小学校の部のところは見落としてしまいました、、。なんだか凄い詩でした!
2004/3/28, 内海
MLにも投稿しましたが「NHK全国学校音楽コンクール」の高校生の部の課題曲に大江さんの「新しい人に」が採用され、番組で大江さんのインタビュー等が放送されました。
MLに投稿した私のメールのコピーです。
「私は好きだった、信じることの出来る自分が・・・ 
       紛争を和解させる新しい人がきた・・・」
中間部分に如何にも大江さんらしい戦争と原爆被害、
 それに見舞われた子供たちの目・・が自分を見ている。
と言った内容の詩です。

聞きたい方は、再放送の日時を確かめてみては如何でしょうか?
2004/3/27, あつし
ラッキーさん、情報ありがとうございます(^^)
CD屋に今度行ってみますね!
ネット上で、それぞれほんの四十秒ぐらい試聴できたので聞いてみたのですが、「翼」や「薄明」や「島」、それぞれとてもいい雰囲気の曲ですね。
もっと聞いてみたいと思いました。

あと、話は大江さんの話に戻るのですが、
「病や死についての深い知識をくぐりぬけた向こうにある未来の人間性』を聖杯探求のように探求すること、っていう『言い難き嘆きもて』のメッセージはとても共感しました。
あと、三島や江藤淳のように自殺するより、闘病する人の方がずっとえらいっていうことも、まったく同感です。
一時、三島にはまって、2.26事件などもずいぶん調べて崇拝したことが僕にあるのですが、その後いろんな人生の試練を経てきて(といってもまだ二十代の若僧なのですが(^^;>、大江さんにいまはとても共感します。
2004/3/27, ラッキー
あつしさまへ
お気に召すかどうかわかりませんが、大萩康司さんというギタリストの方の新しいCD(2004.1.21発売)の『島へ To the Island』という
のがありますよ。その中に武満 徹さんの曲がたくさん入っています。
よろしかったらCD屋さんに行って視聴なさってみてください。
2004/3/26, あつし
いとうさん、早速のお返事ありがとうございました。
カポーティもそんなに大江さんに影響を与えているのですね。
大江さんの作品を正確に読み解くためには、フランスのみならずアメリカ文学もよく知らないといけないのかもしれないですね。

今日、『言い難き嘆きもて』を読み終わりました。
すこし『宙返り』についての言及もあって、『宙返り』を考える際に手がかりになりそうでした。
あと、『あいまいな日本の私』に名前がよく出てきて、誰だろう?ってよく知らないので思っていたフラナリー・オコナーについてもすこし詳しく言及してあって、難病に苦しんだ作家だったんだなーって、読んでみたいって思いました。

武満徹さんの音楽はあまり聞いたことがなく、前にちょっと聞いたのは難しい、って感じだったのですが、
何か素人にもわかりやすい旋律がきれいな曲とかありますでしょうか?
大江さんの文章を読んでいて、武満さんの音楽を聞いてみたくなりました。
2004/3/24, いとうくにお
あつしさん、僕は『重力と恩寵』が読みさしになっていたんですが、カポーティの『ティファニーで朝食を』が終わったので『重力と恩寵』を再開しようと思います。『ティファニーで朝食を』は、たまたま家にあったのと、先日、テレビで映画のほうを観たのとで、読んでみようと思ったんですけど、作家である語り手が、魂の漂泊者ともいうべき女性と知り合い、その懊悩を間近に観察し、そこに自分もかかわりを持ち…というような話で、ちょっと大江さんの『人生の親戚』だとか『泳ぐ男』あたりの雰囲気と共通するものもある感じがしたものでした。
2004/3/24, あつし
いとうさん、早速のご教示ありがとうございます。
その本、探して読んでみます!

最近、大江さんに影響されて、シモーヌ・ヴェーユの『重力と恩寵』を読んでます。
かなりむずかしいし、ええーっ?!って感じの発想も多くて、なかなかすっきりと理解はできてないのですが、でも刺激は受けます。
悲惨さを知ってはじめて知恵の門に入るっていうヴェーユのメッセージは、なんだか大江さんの文学にも通底してる気がしました(^^)
2004/3/23, いとうくにお
あつしさん、こんばんは。先日、黒古一夫氏の『作家はこのようにして生まれ、大きくなった』を読んだのですが、そのなかで『宙返り』のことも論評されていました。ただ、大江文学全体の流れの中での位置づけについて考察するものでしたので、あつしさんが感じてらっしゃる疑問の答にはならないかもしれません。機会があったら手にとってみてください。
2004/3/23, あつし
こんにちは!
先日は(三月四日)僕のコメントに返事をくださり、ありがとうございました<いとうさん

『宙返り』上下巻、この間読み終わったのですが、うまくこの作品の感想を言語化できなくて、困ってます。
1999年のこのHPの掲示板もざっと目を通させていただいたのですが、なおやっぱり言語化できずにいます。
この物語、どう読み解けばいいんでしょう。
もちろん、自分で考えるしかないのですが、何か良い評論等があったら、教えてください。

僕としては、いくつかの言葉がとても印象的でした。
木津の最後の言葉や、育男の最後の言葉。
パトロンが途中で挙げる「新しい人」に関する聖書の引用とかも。

ただ、育男が殺人を犯す前の「電気」ってなんだったんだろう?
とか、パトロンの最後の死に方がなんとも不可解なんですよね。
「カラマーゾフ万歳」って言葉も、よくわからないので、そのうちドストエフスキー読んでみます。
2004/3/21, qm
 いとうさん、3/11の私の投稿がボケているにもかかわらず、リプライをありがとうございました。
 教えて頂いた、『犠牲』ということを念頭に、本とビデオを見直しましたら、私の書いたことは、かなり実際と違っていましたし、「主人公」と書いたのもボケていました。
 見直して、色々な『犠牲』があるのだと気づきました。そして、それを超えて支えあっている家族の姿が見えてきました。
 もうひとつ、なぜ、時々ふと、あのことばが思い出されたのかがわかりました。それを思い出すのは、私が夜の湖畔の桜並木道を、娘を迎えに車を走らせているときなのでした。その道の様子が、あの映像と良く似ていたのでした。
 別の話ですが、20日に、NHK教育で、大江サンが作詞された歌の発表がありましたね。コンクールの課題曲です。大江サンにしては、やさしい言葉だと思いました。『信じる』『新しい人』がキーワードでしょうか。句読点があったり、『私ら』と子どもに歌わせるあたり、大江ワールドです。若い人が付けられた曲とともに、しっとり心に沁み入ってくるようでした。聞けば聞くほど味わいのある歌だと思いました。
2004/3/20, くるよ
いとうさん、皆さんはじめまして。
私もNステーションの大江さんを見ました。
そして早速「あたらしい憲法のはなし」を注文してしまいました。
(現物はまだ届いていません。)
私はマスメディアの大江さんの扱いに不満があります。
扱いが小さすぎると思うのです。
ですので、こちらをご覧になっているマスコミ関係の方にお願いです。
大江さん報道をもっと大きくもっと派手にやってください!
ひとりでも多くの人に大江さんの言葉が届くように。。
2004/3/20, ラッキー
ようこそ@ぴ〜す様へ
今日、小さな教会にいってきます。そこにはブラジルからいらした神父様がいらっしゃいます。鐘をならす件、お願いしてみます。実現できるかどうか、わかりませんが、、。(鐘をならす時間はきちんと決まっているので、、)がんばってみますね。九州、大分県からメールさせていただきました。
2004/3/19, miura
久しぶりの投稿です。内海さんと渡辺智子さんの書き込みを読ませて頂きました。私も見ないでしまったのですが、大江さんがVTRでもTVにお顔を見せてくれて、発言していただくのはうれしいことですね。それにしてもジャーナリズムの右傾化の中で、このような番組が発信されることはとても素晴らしいことだと思います。久米宏のキャラクターが生きているのでしょうか。
先週の「しんぶん赤旗日曜版」に大江さんがインタビューに出られていて、イラク派兵とジャーナリズムそして憲法のことを言っておりました。私は60年安保も70年安保もわからないのですが、当時の世論の高揚にはジャーナリズムも一役買う程、理不尽なことがやられていたのでしょう。でも現在はどうでしょう。
それと同じことが、いやそれ以上のことがやられていると思うのですが、これに反対する世論の高揚はありません。ジャーナリズムが何が正当で、何が不当であるかを提供していない、あるいは何かに気兼ねして提供できないでいる。こういう中で大江さんはご自分の意見を、わかり易く発信されていることに敬意を持ちます。そして私は見ないでしまったのですが、こういう番組を作ってくれるスタッフに敬意を持ちます。
2004/3/19, ようこそ@ぴ〜す
外国特派員協会での講演を拝読しました。大変勇気づけられるものでした。
 もし間にあえば、これをお読みになっているかたにもおよびかけしたいことがあります。3月20日イラク戦争が始まって1年目ですが11時33分(開始時刻とされるそうです)に、イラク戦争早期終結と世界の平和、核兵器廃絶などを願って、キリスト協会とか、仏教の寺院とか、あるいはモスクなどでも鐘、ベル、など鳴らしていただけないかを、お願いしていただけないでしょうか?
一年前「歴史上始まって以来、戦争開始以前に全世界規模で戦争を未然に防止する行動がおきた」といわれています。デモに参加していなくても、できることを。
2004/3/18, いとうくにお
あー、昨日、大江さんが出演したのですか。気付きませんでした。でも、内海さんと渡辺さんのお話で雰囲気はわかりました。ありがとうございます。
2004/3/18, 渡辺智子
みなさまのご意見をいつも楽しみに拝読しています。
さて、現在執筆中とされている小説の件に関わることかと思いまして、発言いたします。昨日の【ニュースステーション】に大江氏がVTRで出演されました。それは『新しい憲法のはなし』という戦後1947年に文部省が発行した教科書についての内容でした。氏が少年時代に『新しい憲法のはなし』というこの一冊の本との出逢いがあり、それこそが作家大江健三郎の原点なのだということでの短いエピソードでした。
その中で、大江氏ご本人が「敗戦と戦後の変化が心の問題としても子供達にずいぶん影響があったわけですね。そのことを書こうとしている」と、次回作(であろう)小説のお話にほんの少し触れてらっしゃいました。楽しみです。
『新しい憲法のはなし』を自ら「文学のお師匠さん」ともおっしゃいました。
個人的なことですが、最近ではテレビでご尊顔を拝見できる機会が多く、嬉しいのに加えて、このVTRでは大江氏の中学生時代の坊主頭で可愛いらしいお顔の写真も拝見でき幸せな気分でした(笑)

番組内で『新しい憲法のはなし』から抜粋された一文が明瞭簡潔に心に響いたので引用して書かせていただきます。
*****
こんな戦争(太平洋戦争)をして日本の国はどんな利益があったでのでしょうか
何もありません
ただ、おそろしい かなしいことがたくさんおこっただけではありませんか
戦争は人間をほろぼすことです
世の中のよいものをこわすことです
(戦力の放棄について)
けっしてこころぼそく思うことはありません
日本は正しいことをほかの国より先に行ったのです
世の中に正しいことぐらい強いことはありません
*****
2004/3/18, 内海
先ほどのメールの追伸です。
何故私が驚いたか・・・。
久米氏があれほどの(?)護憲派とは知りませんでした。
2004/3/18, 内海
お久しぶりです。内海です。
昨夜のニュースステーションで憲法の特集をやっていました。
その中で大江さんの原点として終戦後教科書として出版された「憲法」と「民主主義」の冊子の話が出てきました。大江さんはこの二冊(特に「憲法」)を自分の作家としての原点と仰っていました。久米宏は、この点を「驚いた」と表現していましたが、私はその後の久米氏の言葉に驚きました。
曰く「言葉は悪いかもしれないが、現在の憲法は天然記念物として保護すべきで、変えるなら、アメリカと同じように修正条項として付加すべきだ。この憲法は決してなくしてはならない、変えてはならないもので、理想としても残すべきだ」
更に「憲法は押し付けられた物だ、と言う人がいるが、例え押し付けられたとしても日本人はそれを受け入れた。一度受け入れたのなら、それは立派に私たちの憲法だ」 簡単ですが以上です。
久米氏に民主党から「打診」があるそうですが、改憲勢力を含む民主党にどのような返事をされているのか知りたいものです。
>ラッキーさん、受洗おめでとうございます。
私は、昨今は教会の「きょ」の字も頭に浮かびません。
教会に神様はいないと悟り、勝手に祈って勝手にふて腐れています。
春と言うとイースターですね。
その日には、ラッキーさんへの祝福を祈って沢山タマゴを買いこんできます。
主は言われた「お前たちに平和を残して行く」
なんと罰当たりな私たちでしょう・・・。
2004/3/18, いとうくにお
山本さん、こんにちは。いま小説を執筆中であるということは大江さんご自身が公表されていたはずですが、まだ出版時期や題名など具体的なことは明らかにされていないようです。
2004/3/18, 山本博文
大江健三郎さんの著書で「二百年の子供」以降に出版される予定の著書がありますでしょうか。有りましたら具体的に著書名、出版予定年月日、出版社等教えて戴きたい。
2004/3/17, いとうくにお
qmさんのご投稿にある映画『静かな生活』のエピソードですが、あれは『「雨の木」を聴く女たち』(新潮文庫から出ています)の「泳ぐ男」からのものですね。とても印象的な部分だし、映画の他の部分ともちょっと異質な感じがします。
このエピソードの意味ですが、映画全体としては、誰かが自分のために犠牲になってくれると考えてはいけないということがテーマの一つだと思うのですが、それと関係していることは確かだと思います。エピソード自体は、中年の男が若者の罪をなかったことにしてしまうわけで、むしろテーマとは逆の話になっているわけですが、まあ逆説的な表現ということでしょうか。ただ、一方で、中年男の側に立ってみるならば、それまでこれといったこともなしえずに生きてきた自分が若者の罪を肩代わりすることで少なくとも一人の若者の危機は助けてやれたことになると考え、それを実行してしまう、という心の働きも、理解できる部分が僕なんかはあるんですよね。
2004/3/17, ラッキー
皆さん、こんにちは。この春、私は洗礼を受けます。今、その準備期間です。
先の日曜日に『清めと照らしの典礼』を受けました。そのときにいただいたミサ内容の言葉に『聖なる父よ、洗礼志願者の信仰の歩みを照らし導いてください。あなたの力によって罪の束縛から解放され、新しい人となることが出来ますように。』という言葉がありました。ミサを受けながらどきどきしました。私の通っている心療内科のクリニックの院長先生も「新しい人になりたい、、。」っておっしゃっていました。どうしたら「新しい人」になれるのか、今考えているところです。
2004/3/11, どんぐり
『大江健三郎さん講演会』の記事に思う。

文学の話ではないけれど、
大江さんが『外国特派員協会で講演されたメッセージ』と関わると思うので、
投稿させていただきます。

しんしろうさんと同じく、私も
「イラクへの自衛隊派遣反対のビラを配布しただけで逮捕されるという情勢に息がつまりそうです。 」

今日、逮捕された人の陳述を聞きに八王子地裁に傍聴に行きました。
16人しか入れないので、3交代で、3人のうちの1人の方の陳述を聞くことができました。

その若い男の人は、落ち着いた冷静な話し方で、
「イラク戦争への疑問・自衛隊派遣への疑問」を訴えていました。
大江さんのおっしゃる、
『論理性を正面に立てる発言』だったと私は思います。

大江さんは、何よりも小説で深い内容を書かれる小説家ですが、
社会に向けての重要な発言もがんばっていらっしゃると思います。
そんな大江さんが、日本のノーベル文学賞受賞者であることを
誇りに思い、うれしく思っています。
2004/3/11, qm
ふっと浮かんでくる大江サンの作品の一場面が、その時々であります。
映画「静かな生活」で、森の中で、捕らえられそうになる主人公に、「お前のために人が何かしてくれるなんてことはないんだ。」というようなことを言いながらも、「だが、俺はお前を助けてやるよ。」と言って、主人公の身代わりになり死んでしまう場面がありました。あのおじさんは、なぜそうしたんでしょう。それは、「静かな生活」全体の中でどんな意味があるんでしょう。
2004/3/11, しんしろう
 こんにちわ、失礼いたします。
 5日、大江さんが日本外国特派員協会で講演されました。
 イラク戦争を新たな侵略戦争ととらえ、批判的な少数派の生き残りのための、知識人の役割にも言及されたようです。どなたか、この講演の記録が読めるサイトをご存知でないでしょうか。
 イラクへの自衛隊派遣反対のビラを配布しただけで逮捕されるという情勢に息がつまりそうです。
2004/3/6, いとうくにお
Nさん、ザ・ネイションの情報ありがとうございます。
しづくさん、はじめまして。『静かな生活』という映画はご覧になられましたか? 光さんの曲がBGMに使われていて、それがすごくよかったですよ。
2004/3/5, しづく
こんにちわ。参加させてください。大江光さんの新しいCDを探していて、このHPにであいました。大江光さんの音楽は癒しの力がありますね。魂のおくまで届く気がします。ひとの悲しみをわかっていてくれる気がします。大江健三郎さんのファンですが、お父さんもいつも弱い立場の者の側に居てくれた、そんな感じを持っています。
2004/3/4, N
いとうさん、皆さん、お久しぶりです。
昨日3月3日の読売新聞朝刊に、大江さんの講演の内容を伝えた記事が出ていました。もうお読みの方もおられると思いますが、1月に秋田県立由利高校でされた講演についてです。

また、大江さんが講演やニュースステーション出演の際、「後期の仕事」という言葉を言われていたのを覚えていらっしゃると思います。そして、この言葉に関連して紹介されていたのがアメリカの雑誌、"The Nation"に昨年掲載されたサイードの書評です。このベートーベンの後期の仕事に関して書かれた本の書評は、"The Nation"のホームページ内、以下のURLで公開されています。(英語)

http://www.thenation.com/doc.mhtml?i=20030901&c=1&s=said

私はまだ読めていませんが、これから何日かかろうとも読んでいきたいと思います。
2004/3/4, いとうくにお
あつしさん、はじめまして。大江ワールドの面白さに出会われたのですね。昔の作品も面白いと思いますので、ぜひ手にとってみてください。そしてご感想をいただけたら嬉しいです。
2004/3/4, あつし
はじめまして!
つい最近、『自分の木の下で』を読んで、そのあと続けて『二百年の子供』と『「新しい人」の方へ』を読みました。
とっても面白くて、大江健三郎さんの本をもっと読みたいと思って、このHPを見つけてやってきてみました。

ずっとずいぶん昔に、大江さんの講演を聞いたことがあるんですが、僕はどちらかという三島由紀夫やナショナルなものに心惹かれていたこともあり、長い間大江さんの本は読んだことがありませんでした。
ただ、その講演での、「自分を狭い方に閉じていくのではなく、普遍的なものに開いていって欲しい」という言葉は、心のどこかに残っていて、最近芽吹いてきた気がします。

とても良いHPですね。
これから、参考に読ませていただきます(^^)
2004/2/29, 弥生
ガルシア・マルケス『百年の孤独』を読みました。『同時代ゲーム』や『M/Tと森のフシギの物語』の頃の大江文学と非常に近親感がある。19世紀末から20世紀初頭を思わせる南米コロンビアの奥地を舞台に、ある一家と集落の衰亡の百年を描いた作品です。時の流れに沿って、流れるように、習俗とミステリーと、そして孤独が語られる。大江文学に少なからぬ影響を与えたと思われますが、そう言えば、『二百年の子供』というタイトルも、何かの縁(えにし)を感じます。
2004/2/24, エーヨーの母
 いとう様 有難うございました。ラジオもいいものでしょうね。声の表情が感じとれて・・・若い読者、新しい読者を意識?される著書や講演など今の悩める時代の若い人たちの事を思って下さっている様でうれしいことです。そういう歳頃の子を持つ親といたしまして・・・まあ若い人も私たち団塊の世代も老人も今を生きるのは大変・・・夫は障害者の息子を自分が逝く前に連れて行くなんて言ってます。
ヒットラーの時代がくるかもしれないなんて・・・遅まきながらこのHPでお奨めてありました「個人的体験」を読み終わりました。わりと一気に読む事ができました。感動!夫は古いバードのままですが・・・
2004/2/23, yomiuri
21日、22日に「二百年の子供 講演とコンサート」においでいただいた皆様、ご来場いただきありがとうございました。
おかげ様で、開場の一時間以上前から並ばれる方もいらっしゃるほどの大盛況でした。
スタッフからは、演奏を涙ぐんできいていらっしゃるお客様もいらしたと聞いております。
私自身、この講演会の準備に追われておりましたのて、この掲示板でチケットのことをお問い合わせいただいた方へのご返答ができず、申し訳ございませんでした。
また、強風の中、開場時間までお待たせしましたことを深くお詫び申し上げます。
今後とも、大江先生や光さんに関するイベントを弊社で行うことがございましたら、またお知らせしたいと思います。
ありがとうございました。
掲載していただいたいとうさんにも、この場をお借りして御礼申し上げます。
2004/2/23, チャボ2004
いとうさん、以前投稿しました折には、お返事を下すってありがとうございました。
さて、国際フォーラムで開催された「二百年の子供」の出版を記念する講演会に行って参りました。
大江氏が話されたのは、これまでに講演やエッセイで公表されてきた、お馴染みのエピソードの幾つかでした。若い読者、新しい読者に向けての自己紹介として、この講演を準備されたのかもしれません。
そのぶん初公開のお話は少なかったわけですが、長く大江ファンであることが明らかな初老の方が頷くようにして聞いてらしたのが印象的でした。
素敵な演奏会のあとには、光さんがステージに上がり、現在の音楽活動について話されました。柔和なユーモアを表した仕草が印象的でした。

今回の講演について、3000字強のレポートを書きました。興味をお持ちになった方は、私のHPのメールボックスにご連絡下さい(いとうさん、ご迷惑でなければ、アドレスを掲載してください)。メールで送信致します。
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=chabo2003
2004/2/22, いとうくにお
エーヨーの母さん、こんばんは。部分的ですが、記憶の範囲でご紹介しておきます。途中から聴きましたが、どこかの高校で大江さんが生徒からの質問に答えるという構成でした。質問として出ていたのは、「嘘をつかない力をつけてと大江さんはいうけど、自分は家族を心配させないために嘘をついてしまう。どんなときでも嘘をついてはいけないのか」「現実から逃げず、いまを大切に生きるためにはどうすればいいのか」などです(実際は、もっと質問者の気持ちや質問の背景がわかる説明をしたうえでの質問でした)。大江さんの回答のほうで記憶に残っているのは、、「嘘」についての回答です。家族を心配させないためであれば自分も嘘をつくと思う。しかし、自分を尊敬(セルフレスペクト)できなくなるような嘘はつかないほうがいい。という内容でした。
2004/2/22, エーヨーの母
キントトさん残念なことに今ここを見たばかりです。
ラジオではどのような内容でした?
私はいつも見たい番組を見逃します。よろしければ教えて下さい。
2004/2/21, キントト
本日、大江さんがラジオ出演されます。

夜10時15分〜11時 NHKラジオ「土曜ジャーナル」です。
http://www3.nhk.or.jp/hensei/r1/20040221/frame_05-29.html

間に合うかたは、ぜひ。
2004/2/17, エーヨーの母
ジャスミンさんの温かさ身にしみます。障害者の子を残して親亡き後のことが不安になる社会情勢やその他もろもろの不安、歳のせいや近頃、仲間の私より若い方が亡くなってしまわれるので、・・・考えてしまいます。けれどジャスミンさんのような方ばかりだとこの世は救われます。ほんとによく理解して下さっています。感激です。ホントは障害者用、健常者用と分けてしまうのはよくない事です。そうでなくても幼い頃からノーマルではない環境の中で過ごしてきたのですから。大人になってハイ社会参加しよう。ノーマライゼーションなんて叫ばれても・・・コンサート企画して下されば参ります。でもあまりお急ぎにならないで・・・
松本さん大変な時ですね。今、個人々も日本も世界も不安だらけですね。私の夫も3年位前突然リストラされました。そんな時少し立場が違うかも知れませんが障害者の子を持つ親の立場だから・・・何が一番大きな問題か解らなくなったり、不安だらけで、常に緊張した状態になるものですから、大変敏感すぎる子に影響を与えてしまい長男も不安定になるのです。一緒に暮らす事での幸せも家庭内そのものが機能マヒになった時がとても苦しくなります。だから全て想像する事が出来ないかも知れませんが・・・お苦しみよく解ります。
大江先生のスゴイ!て思うところ、日常の中で光さんと濃密に接しながらお仕事をされている事です。想像するのですがスゴイことだと思います。私の長男は毎日ように無断外出。発作のような自傷行為、器物破損、大荒れの時期を過ごしてきました。光さんにはこれ程はないでしょうが本の中でアッいっしよだ・・・て思った事が何ヶ所かありました。頑固で手を引っ張って行きたい所へいってしまう。それがうちの子にもありますので・・・とにかく、そういう中で小説家として黙々とお仕事をされる事自体がそうでない小説家と大いに違うところだと感じています。
不安や怯えの感情は私にも慢性的なものです。自宅の近くに浄水場の山があります。そこの主のような大木に会いに長男、犬と。大木と会話をします。心やすまります。ちょっと頭があやしく・・・私はこんな些細なことで、そして祈るしかない事が多いのですが、何とか落ち着けるようになります。
先生の著書の中にどこの家庭も同じです。とありました。ドカンと落ち込んでまた少しづつ快復をする。再び阪神大震災級の落ち込みがある。又何かで癒されつつある。人生てこんなものなんでしょうかねぇ。
ジャスミンさんも----さんもきっと快復されることを信じてお祈りしています。
でも焦らずにご自愛下さいね。
2004/2/16, ----
#ご本人から削除依頼がありましたので、削除いたしました。いったんご投稿いただいて、他のかたからのコメントもついたものについては、削除せずに残していただくようお願いしているのですが、今回のご投稿は個人情報の含まれるものでしたので、プライバシー保護の観点からも削除したほうがよいと思いましたので、ご依頼どおり削除しました。(いとう)
2004/2/14, ジャスミン
エーヨーのお母様、演奏会に思い切ってお出かけになったらいかがでしょう。勿論障害者のためのコンサートは企画されなければならない分野だということもエーヨーのお母様からお聞きしてうなずく私もいます。でも以前、障害者がある音楽家の演奏に感動し、大声でその感動を表現して、勿論その時はその演奏家の方が「なんだ!!」と思われたようですが、本当のことを知り大変失礼なことを感じてしまった、心の狭さを感じた、とおっしゃっています。確かに演奏会はかしこまって聴くというのが礼儀みたいになっていて、障害者にとってはかなりきつい場かもしれませんね。でも私も精神障害者です。手帳も今、申請中です。少し時間がかかるかもしれませんが、できるといいなぁ。そんな演奏会、演奏者も楽しいだろうなぁ。まずは小さいホールから、少しずつ動いて見ましょうか・・・。企画したらいらしてくださいますか?(大江氏の文学に関係ない話題ですみません・・・)
2004/2/11, エーヨーの母
きれいな音を聴いてると心が癒されます。すきな本も。絵画も。その人に合った感動があればだんだん生きるエネルギーが湧いてくるような気がします。
それらの何かで自己表現できる人て、大変羨ましいかぎりです。
ジャスミンさんは音楽の方だから早くも快復されつつあるのでは・・・
最近の著書でもう一つ感動したのは奥様の挿絵です。ほんとにキレイ。静かな生活の映画をみてからまず本屋で先に挿絵に引き込まれました。ほのぼのとして、やさしく温かみのある絵ですね。私も光さんのCDよく聴きますがバイオリン曲がありますが何故かフルートとピアノになってますね。
今度バイオリンのも聴いてみたいと思います。是非音楽家の方たちに・・なんですが障害を持った人たちのためのコンサートなどの活動を活発にするような運動などに発展させていただければ・・・なんて夢です。うちのエーヨーも音楽は大好きです。イーヨーさんのように大音響で聴いています。
2004/2/9, ジャスミン
論文に追われています。ところで光さんの曲にはヴァイオリンの曲もありましたよね。コンサートで確か、加藤さんというヴァイオリニストが弾いておられたように記憶しているのですが、私は残念ながら、フルートとピアノのための曲の譜面しかもっておりません。どなたかもっていらっしゃる方がいらしたら、是非教えてください。勿論ヴァイオリンのパートを弾いてくださる方も大募集です。コンサートの予定はあります。ただ、無報酬で、演奏会費もお払いいただくことになりますが・・・。(これはフルートの方も同じです)。でもコンサート云々ではなく、光さんの音楽をどなたかと創り上げたい気持ちも持っています。とにかくあの音楽を表現したい方、いらしたら、是非積極的にお申し出ください。本当に、心からお待ちしています。ご一緒に音楽を創り上げましょう。
2004/2/9, いとうくにお
ジャスミンさん、課題のほうは完成されましたでしょうか。フルート奏者が見つかったら、コンサートの告知をぜひこちらの掲示板にもお送りください。
2004/2/9, ジャスミン
たびたびのメールお許しください。どなたか、フルートを吹かれる方いらっしゃいませんか?大江光さんの曲を演奏したいのです。前からそんな希望をもっていたのですが、一緒に組んでくださる方がいなかったので実現できませんでした。できたら専門的に勉強された方(同等の方)を・・・希望しています。どなたからメッセージが届くのを待っています。
2004/2/9, ジャスミン
私は機械オンチなので、こんなふうに簡単に掲示板に載せていただけるなんて、驚きでした。講演会は、先約が入っているので、どうにかして行きたいと思っているのですが・・・。(秘策を熟慮中)突然、私の専門である音楽教育史のレフリー論文の課題を与えられ、ゆっくり『新しい人』を目指す前に大きな課題が与えられてしまいました。大江文学からちょっとの間離れざるをえませんが、私の心のオアシスが見えなくなってしまうようで、悲しい!!でもきっと大江氏も徹夜の日々ってあったんだろうなぁ、って励ましています。さあ、これから朝まで頑張るぞ!!
2004/2/8, いとうくにお
エーヨーの母さん、はじめまして。大江作品は難解だといわれることがありますが、読んでみるとそうでもないですよね。とくに最近の作品は。英語の詩の引用などは難しかったりしますけど。また、気に入った描写や作品などがあったら、ご感想をお聞かせください。
ジャスミンさん、こんにちは。コンサートの情報は去年の12月19日の投稿に詳しく出てます。以下に、抜粋しますね。まずは読売チケットプラザにお問い合わせになるのがよいと思います。
<大江健三郎・光の 親子のための「二百年の子供」講演とコンサート>
日時: 2004年2月21日(土)、22日(日)午後1時開場、1時30分開演
場所: 東京国際フォーラム ホールC
料金: 1,000円(全席自由、消費税込)
チケット申込み: 03−5212−1325(読売チケットプラザ)
         月〜金の午前10時ー午後5時
※未就学児は入場できません。
※内容は2日間とも同じです。
※定員各1500人
※車椅子でご来場の方は、チケットお申込み時にお申し出下さい。
2004/2/7, ジャスミン
親子のための「二百年の子供」講演とコンサートについて詳細を教えていただきたいのですが・・・。もう、満員でしょうか・・・。是非うかがいたいのですが・・・。初めて投稿します。大江健三郎氏がノーベル賞に選ばれるちょっと前に大江光さんのことを知り、私も音楽家なのですが、演奏会に伺い感動した者です。私は統合失調症を患っています。薬のせいなのか、病気そのもののせいなのか、ピアノが以前のように伸び伸びと弾くことができなくなってしまいました。「死」を考えた時クローズアップ現代をたまたま見て、久しぶりに大江文学に浸りました。「新しい人」を目指そうと、ゆっくりでも目指そうとそんな風に気持ちが変わってきています。
2004/2/5, エーヨーの母
始めまして!私は大江先生の著書は難しくて私には無理と
決め付けておりました。でも光さんに関したのを何冊か
読ませて頂き今では大ファンです。
私も長男が自閉症です。光さんと同じではないですが、とても
共通点があることを感じます。
お父様としての先生はホントにスゴイ!父親としもてここまで子供の
ことを感じとる事ができるなんて・・・て思ってしまいます。
親の気持ちが痛いくらい理解できます。ちょっと最近何冊もつづけて読んでるので
今題名、思い出せないのですが、台風の時に光さんがチヨちゃん人形をぶらさげて
てのところ、深刻なのに笑えてきて・・・わたしにも経験あります。
その場に居合わせた多くの人の奇異の目、目・・・
先生はとにかくお父様としてもご立派です。
皆様、またまだ未熟者ですがよろしくお願いします。
2004/2/3, どんぐり
かおる様。

集英社の『大江健三郎・再発見』によれば、
大江さんのお母様(大江小石さん)の亡くなられた年は、
1997年(12月5日)です。(享年95歳)

そのわずか半月後、
12月20日に伊丹十三が自殺したことを知り、
大江さんは大変だったんだなと改めて思いました。
2004/2/3, いとうくにお
タチアオイさん、はじめまして。お姉さんのキリタンポのお話、とても面白いですね。ほかにも何か印象に残ったお話があれば、教えていただけると嬉しいです。
2004/2/3, 多知 葵 (たちあおい)
 はじめまして、いつもこのサイトを楽しみに又真摯に拝読しております。
先日の大江健三郎さんと舟越桂さんの対談を聴きにいき、その後のサイン会の時大江さんと一寸お話ししたのでご紹介します。「二百年の子供」の中に出てくるしげ子さんの事を伺いました。しげ子さんは大江さんのお姉さんの名前だそうです。身内の女の人のひらがなの名前を作品の中に使うそうです。又、お姉さんとは仲が悪かったのですが、舟越桂さんの描かれたしげ子さんがとっても素敵だったので、お姉さんからきりたんぽのセットを5人分送られて来たそうです。なんともユーモラスなお話でした。
 舟越桂さんの挿画展のしげ子さんは彩色されていて、本当にとってもきれいでした。またその会場には大江さんの原稿も展示してあり、作家がどのように推稿を重ねて一つの作品が出来上がっていくのかが判ります。まだの方はお薦めです。それに大江さんと、舟越さんのサイン本も販売していました。
 何時もこのサイトで講演会や新刊の情報を得る事が出来、感謝しております。
2004/2/1, かおる
こんにちは。どなたか知っていらっしゃる方がおられましたら教えて欲しいのですが、大江さんのお母様が亡くなられた年はいつ頃でしょうか?(失礼なことかも知れませんが、あくまで研究論文のためで、興味本位ではありません。)よろしくお願いします。
2004/2/1, いとうくにお
ランボーさん、こんにちは。大江さんのトークが炸裂でしたか! そして明日(もう今日ですね)から新作に着手ですか! 嬉しい情報をありがとうございます。
対談ではどういうお話が出たのでしょうか。少しでもご紹介いただけると嬉しいです。
メーリングリストのほうでは、「真木」の目がピエロのように上下に線が描かれているのはなぜか、という話で盛り上がったりしたのですが、そんなお話はでなかったですよね。
2004/2/1, ランボー(20代)
今日、東京都現代美術館で大江健三郎さんと船越桂さんの
「200年の子供」の対談を見に行きました。
若い人がほとんどいないのがとても残念に感じましたが
個人的にとても面白かったです。
大江さんのトークがいつにもまして炸裂していて
とても以外で驚いたと同時に本当に楽しめ、勉強になりました。
明日から新作の小説にとりかかるということみたいなのですが
次回の作品もとても楽しみにしています!
2004/2/1, いとうくにお
PTCAさん、印象は人それぞれ違ってよいわけですから、何も気にされることはありませんよ。
チャボ2004さん、はじめまして。大江さんのあの話は感動的ですよね。僕はあれは必ずしも万人が納得する論理的な説明というものではないと思いますが、小説家ならではの不思議な説明のしかただなあという印象を持っています。そして、そういう不思議さというのは、もしかしたら子供にとっては、水も漏らさぬ論理のようなものよりも、ときには説得力があるものかもしれないという気もするんです。
2004/2/1, PTCA
qmさんありがとうございます。車のテレビでちょっと見ただけでしたから、内容が分からないまま、私の表現で書きました。ご迷惑をおかけするようですから、管理者さん、削除していただけませんか。
2004/1/31, PTCA
いとうくにおさん、ありがとうございます。最近はPTAプラスcommunicationのC
を入れるのだそうで、納得しながらPTCAなんて名前を付けてしまいました。ただ今子
育て真っ最中で、心の健康なんてのが気になってなりません。これからの日本人どこ
へいくんでしょうかね。
2004/1/31, チャボ2004
いつも楽しくサイトを拝見しています。いとうさんがされているのは「大江文学を通して人の輪を広げる」ことですよね。「新しい人」としての活動の、一つのモデルだと思います。頭が下がります。

クローズアップ現代で取り上げられた「自分の木の下で」について、自分の意見を述べたく思います。
大江先生は、学校に行かねばならない理由として、二つあげておられます。番組で主に話題となったのは「人と繋がるために、言葉(数学、社会なども言葉とする)を鍛えるため」というほうの理由でした。
私が感銘を受けたのは、本書で語られているもう一つの理由です。「いま生きている自分は、病気で死ぬはずだった自分の生まれ変わりである」と考えることから、学びへの意欲を生み出せる、というくだり。
私は無信仰ですが、輪廻転生という発想とも響き合うこの発想に、素直に感動しました。

いとうさん、そして皆さん、よろしければ意見をお聞かせ下さい。
2004/1/31, 岡田ehime
御無沙汰しています。
いとうさん、みなさんお元気ですか?
掲示板には久々にお邪魔しました。

祖母が肺炎で入院したので
付き添いの傍ら買ったままになっていた
「二百年の子ども」読みました。
「私は○○だから」がわかるくだりに
しんと胸に染みこむような感動を覚えました。

出来さん、H・Tさん、はじめまして。
教育界の巨星・斎藤喜博先生と
大江先生の意外な接点教えて頂き、ありがとうございました。
積ん読になっていた「厳粛な綱渡り」引っ張り出して読んでいます。
出来さん、もし何か記事にされるようでしたら
掲載号お教え下さい。
2004/1/31, qm
PTCAさんが書かれていた、
『何のために学校へいくのか?将来の自分を作るため。』というのはあのテレビに出られていた青年の意に、ちょっと反しているのではないか、と気になりました。
自分の将来のために学校へ行くのだと今まで言われてきたが、大江サンの『社会や将来と「つながる」ため』という記述に納得できたという趣旨だったように、私には思われました。「つながる」ということについては、1/17 miuraさんが書かれています。
2004/1/30, いとうくにお
PTCAさん、はじめまして。NHKの「クローズアップ現代」ですね。本の題名は『「自分の木」の下で』(大江健三郎著、朝日新聞社、ISBN4-02-257639-1)です。そのなかに「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」という章があります。
2004/1/30, PTCA
テレビで大江先生の本を読んで、非行から立ち直った青年の姿を放映してました。車載テレビだったのでちょっとしか見られませんでした。何のために学校へいくのか?将来の自分を作るため。そんな場面でした。その本の題名が分かりません。どなたか教えて頂けませんか。
2004/1/27, 出来 斉
プレジデント編集部の出来(でき)と申します。
大江先生の「未来につながる教室」、
入手することができました。
H.Tさん、ありがとうございました。
2004/1/23, H.T
「未来につながる教室-群馬県島小学校」の初出は1962年7月「文芸春秋」の
ようです。単行本では「厳粛な綱渡り-全エッセイ集」に所収されています。
2004/1/22, 出来 斉
突然のメール、失礼をお許しください。
私、プレジデント社プレジデント編集部の出来 斉(でき・ひとし)と申します。

プレジデントという月2回刊のビジネス雑誌の編集に携っておりますが、
その雑誌で現在、教育・学校関係の企画を進めております。
いろいろ資料を探しながら企画を考えております。

実は、大江健三郎先生の作品に「未来につながる教室」というタイトルの
雑誌記事があることを知りました。刊行は、昭和37年です。
この記事は、小学校を舞台にしたルポルタージュのようです。
斎藤喜博先生という教育界で高名な実践指導家で、
群馬県の島小学校の校長先生をお務めになっておりました。
大江先生はその学校を取材して、上記の作品を発表されたところまでは
調べられましたが、国会図書館で検索しても該当記事が見当たりません。

せめて雑誌名だけでも判明すればと思いまして
メールを送らせていただきました。

詳細をご存知のかたがいらっしゃいましたら、ぜひ教えていただけますでしょうか。
よろしく、お願い申し上げます。
2004/1/22, 忘れん坊
qmさんmiueraさん、お答えいただき助かりました。どうもありがとうございました。素晴らしい内容ですね。
 それにしても、生きることは一瞬一瞬の積み重ねであって、その時々確かに感じたり思ったりしているはずなのに、感銘深く心に留めた言葉を「忘れて」しまうということはいったい何なんだろう・・・、と思うと、深い井戸の底をのぞき込むようで怖くなります。・・・ま、労働労働!身体を使って意欲的に働いて一瞬一瞬を大切にします。そして大江さんのご本を読ませていただいて、記憶力は悪いが考えることのできる人になりたいと思います。
2004/1/21, ラッキー
私の住んでいる地方に小柴昌俊教授がいらっしゃいました。偶然ですが小柴教授が大江さんと同じ様なことをおっしゃっていました。物理学と文学ですから分野は全く違いますし、小柴教授が政治的な意味でご発言なさっていたのではないと思いますから、私自身も曲解釈しているかもしれませんが、「米国に何年か研究生活をしたことで、身についてよかったと思うことは、たとえどんな偉い先生の言うことでも、間違っていたらその場で、たとえ公の場であっても、誤りを指摘するのが、科学する者の当然の態度であるとすることです。」というお話でした。日本では慎みがないとにらまれたという経験もおありのようです。もちろん大変な努力と研究を重ねた上でのご意見ですからすぐに鵜呑みにして人の批判をする方向にはもっていかないように自重しますが、なぜかふっと自由な気持ちになりました。
2004/1/18, オピニオン21
私は糖尿病を悪くして眼が不自由ですから、皆様のように大江さんの本を読む事が出来ません。先日徹子のの部屋で大江さんのお話しを、一生懸命視聴致しました。私は現在の世相、特に政治の場の荒廃に焦燥し「オピニオン21無党派層の賭け込み寺」と云うサイトを主宰致しております。ので大江さんの平和を愛する気持に何時も感銘深く憧れと尊敬の念をもって、います其処で、徹子の部屋の終り頃小泉さんもブッシュに「其れは正しくない」と云ったら良いのにと優しい声で云われました。私に取りましては、誰から云われるより嬉しい言葉でした。もう戦争は嫌です。大江さんに大いに発言して貰いたいのです。
2004/1/17, クッキー
CKさん、いとうくにおさん情報ありがとうございました。大江さんがいらっしゃること本当に楽しみです!一生の思い出になります。できたら会話してみたいなぁと思っているけど、たぶん無理でしょう・・・。
実は、大江さんが公演にいらっしゃること、そこまで大きな事だとは思ってなかったんです。だけど、大江さんのことを調べるうちに、本を読んでいくうちに、とてもスゴイ事だと実感しました。沢山のことを学びたいと思います。
2004/1/17, qm
忘れん坊さん、
お尋ねの言葉は「ある時間、まってみてください」だと思われます。『自分の木の下で』にくわしく書かれていますが、子どもにとっては特にこの「ある時間」が大切なのだと。「もう取り返しがつかないことをしなければならない、と思いつめたら、その時、「ある時間、待ってみる力」をふるい起こすように!」と書かれています。「とり急ぎ」書き込んでみました。
2004/1/17, miura
miura です。
自称「忘れん坊」さん、それは、自分の言葉をもち「他の人とつながっていって欲しい」という言葉ではないでしょうか。テレビを見ていた限りにおいては、他に、殺人と自殺以外、取り返しのつかないことは若者にはないなど、にも触れられてはいましたが、、、、、。
「他の人とつながっていって欲しい」ということが、つまり友人間の和解であり、隣近所社会への和解のアプローチであり、世界的な和解へのそれである、ということではないでしょうか。
それは,自称「 忘れん坊」さんがさんが言うように、繋がりができるまで、「時間をかけて待ってみろ、それには勇気と苦悩が伴うけれど」というようなことだと思います。もちろんアクティブに行動を起こすことをやってのことですけれど、、、、、、、、。和解には行動(闘い)が伴うものだと思います。
自分がそういうことをあまりやらなかった故に、若い人に期待するところが大であるというようなご意見だったように思います。
2004/1/17, 忘れん坊
お願い
大江ファンのみなさま、こんにちは。私はクロースアップ現代を見て、深い感銘を受けた者です。この番組の中でとても大切なキーワードがあったと思います。ひとつは「新しい人になれ」。そしてもうひとつが、どうしても具体的な言葉が思い出せず情けない思いをしています。どなた様か教えていただけないでしょうか。「時間をかけて待ってみろ、それには勇気と苦悩が伴うけれど」というような意味の言葉です。本を読めばどこかに書いてあると思うのですが、どうしても取り急ぎ知りたいのです。間抜けなお願いですが、どなたかよろしくお願いします。
2004/1/15, いとうくにお
miuraさん、僕も「クローズアップ現代」を見ました。若者たちに「新しい人」になってほしいという大江さんの願いが強く感じられました。大江さん宅の庭でしょうか、木々の中でくつろいだようすの光さんの笑顔を見て、なんだか嬉しくなってしまいました。エッセイを通じて光さんのことを知っているせいか、本当の知り合いのような感じがしてしまいます。
どんさん、はじめまして。まずは出版社気付けで手紙をお送りになってはいかがでしょうか。
2004/1/14, どん
はじめまして、大江さんと連絡をとりたいのですが、どうしたらよいのでしょうか。私は、大学に教員で臨床心理士ですが。ぜひ講演会をお願いしたいのです。私は若くはないですが、若者たちに、メッセージをいただく場をつくりたいのです。どなたか教えください。
2004/1/14, miura
miura です。
NHK「クローズアップ現代」での大江さんを見ました。
いつも新鮮な言葉に出会って豊かな気持ちになります。
今回の印象的な言葉は、本でも読んではありましたが、
やはり「和解」ですね。世界的な和解と隣近所、友人間
の和解は同じことである、との言葉はとてもいいですね。
2004/1/13, あか
CKさん、貴重な情報、どうもありがとうございました。
大江さんの言葉が若い人たちに素直に受け止められ、着実に根付き、育っている姿に感動を覚えました。
私はもう『子供』ではないけれど、大江さんの作品の中で感じ、芽吹いた種を、枯らさぬよう大事に育てていかなければと思いました。
2004/1/13, いとうくにお
CKさん、クッキーさん、こんばんは。CKさん、いつも情報ありがとうございます。
クッキーさん、生の大江さんに会えるのは楽しみですね。大江さんに質問する機会もあるかもしれませんから、『二百年の子供』などを読んで気になったことなどあったら、書きとめておいて当日用意しておくといいかもしれませんね。
2004/1/13, CK
本日七時半からのNHK「クローズアップ現代」に大江先生が出演なさります。
衛星放送で再放映もありますので、おみのがしなく。

本日の読売新聞夕刊に、「『二百年の子供』対談 大江健三郎×舟越桂 at東京都現代美術館」の応募要項がでています。往復葉書で申し込むそうです。講演日の一月三十一日は、大江先生のお誕生日ですね。定員二百名はきびしいかも。

クッキーさん、こんにちは。通っていらっしゃる高校に大江先生が講演にいかれるとのこと、本当にラッキーですね。きっと面白いお話をきかせていただけることでしょう。こちらのサイトは、「読んだきになる」(?!)summary(要約)がたくさんありますので、大変よい読書の指針になるかと思います。あと、ここ二、三年くらいのあいだで先生がかかれた作品について目を通しておけば(「新しい人の方へ」「二百年の子供」など)、予習は完璧だと思います。う〜ん、母校に講演、いいな〜。
2004/1/11, クッキー
初めての投稿です。「二百年の子供」を今読んでいる最中です。
今年に私が通っている高校に大江さんが来ることになりました。だから、少しでも大江さんのことを知っておこうと思って、調べている最中です。
2004/1/9, いとうくにお
ラッキーさん、こんにちは。読んでいる小説によって、思わぬところで励ましや慰めを得るということってありますね。僕も大江作品を読んでいてそういう体験を何度もしてきたように思います。
あかさん、今年もよろしくお願いします。「徹子の部屋」は、黒柳さんと大江さんの長年のお付き合いではぐくまれた友情が感じられてよかったですよ。
2004/1/9, あか
明けましておめでとうございます。
いとう様、皆様、今年もよろしくお願いします。

『徹子の部屋』の録画に失敗し、ふさいでいたのですが、このサイトに内容が紹介されたので、とても嬉しかったです。ありがとうございました。

『二百年の子供』を読み終え、現在は『憂い顔の童子』を読んでいます。
順番は逆になってしまいましたが、かえって『二百年の子供』を大江さんがどういう思いで書こうとなさったかが深く伝わってくる気がします。

今日読んだ「第十章 恋の達引」での真木彦さんの長江古義人についてのコメントがとてもよかったです。

−それでもね、なぜ当の経験のために長江古義人を選ぶと問われるなら、私に答えはないんです。ただ、私個人の思いをいわせてもらえれば、憐れを感じないか、といいたい。−

大江さんは謙遜で(あるいは自嘲も込めて?)”憐れ”という言葉を使われたと思うのですが、それはそのまま”励まし”という言葉に置き換えられるものだと思いました。
2001/1/8, ラッキー
寒中お見舞い申し上げます。新しい歳があけました。新年に山に登りました。森の中の道を仲間と一緒に登りました。デイパックには『二百年の子供』を大晦日からいれており、夜中に集合して山へ出発するまでに読んでいました。
「私が『ピンチ』だったのは、自分のいまに未来を見つけないでさ、閉じてしまった扉のこちら側で、思い出したり後悔したりするだけだったからじゃないか?もう残っているいまは短いが、そこにふくまれる未来を見ようと思い立ってね。それが「ピンチ」を脱け出すきっかけになった。」という文章のところでどきどきしました。なんだか励まされたような気持ちになれたのです。
2004/1/6, いとうくにお
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
CKさん、お知らせありがとうございます。トップページに掲示していたものの、忘れていましたので、CKさんのお知らせのおかげで見逃さずに済みました。
2004/1/5, CK
いとう様、皆様、今年もよろしくお願い申し上げます。

明日午後1時20分より、大江先生が出演する「徹子の部屋」が放映されます。
その時間、職場におられる方々は、ビデオやDVDレコーダーの録画予約を、忘れないようになさってくださいね。
2004/1/2, miyadenn
投稿二回目です。
2003/12/20に放送された、
「NHKスペシャルに出演中曽根元首相らと生放送番組で討論」
についての情報、ビデオに録画している人がおられましたらメールください。
miyata_krdt_ef65@yahoo.co.jp

このページは大江健三郎ファンクラブの掲示板の一部です。