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2010/12/25, いとうくにお
トムさん、おひさしぶりです。大江文学は初期、中期、後期と大きく変化してきましたね。若い頃は、創造的エネルギーをほとばしらせつつも、反社会的あるいはネガティブな方向に向かうベクトルがあったように思います。それが反転したのは、やはり光さんの誕生が大きなきっかけだったのでしょうね。
2010/12/25, トム(Tom5k)
いとうくにおさま、みなさん、こんばんは。
わたしは、2006年1月、『たけしの誰でもピカソ』に大江健三郎氏が出演したとき、2007年1月、地元新聞の「時評文芸」で氏が取り上げられたとき、2009年11月、地元での大江氏の講演に行ったときにこちらにコメントさせていただいたトム(Tom5k)と申します。
お久しぶりでございます。
昨日、4年間も「積ん読」していた『「伝える言葉」プラス』を読了しました。本当に久しぶりに大江作品を読み、あまりに感動してしまいましたので、こちらに伺いました。
読了後に早速、大江氏について友人に話題提供したところ、大江氏の文学はドラッグの匂いがすると、その友人は感想を持っているそうでした。光氏生誕以前、あるいはゆかり氏と結婚される以前の大江氏には、確かにそのような個性があったように思いますし、若い頃の大江氏には「鬱」的傾向が強く感じられます。
今、大江氏が日本における良心を精一杯に、エネルギッシュにキャンペーンして行動していることは、良識のある人たちには、良く理解できることのように思いますが、『われらの時代』や『セブンティーン』の青春時代から、ここまでに辿り着いている氏の変遷を考えたとき、現在においてこれだけ荒んでいる若い世代が、大江氏と同様の道程を辿ることは不可能なことだとは思わないわけです。
思えば、大江氏が若い頃、大日本生産党員であった東条武三氏との対談の際に右翼の純粋さを決して否定していなかったこと、東条氏は反共が感情ではなく、理論だと大江氏と誠実に対峙して激論を闘わしていたことなどや、石原慎太郎氏も含めた「若い日本の会」で行動していたこと、などの経緯は良い意味で、今後の日本の若者の型となりうるのではないかとも思います。
未来の日本に展望を持つとすれば、現在の大江氏とデビュー当時の大江氏を双方とも理解していくことは大切なことのように思いました。

ながながと失礼いたしました。
2010/12/11, いとうくにお
みやじま紅葉さん、いつもありがとうございます。大江さんが新しい小説の執筆に取り掛かられていることが確実ですね。発表は来年でしょうか。新たな楽しみが増えました。
2010/12/11, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 最近の雑誌に掲載された大江氏の文を読んで、いくつか興味のある内容がありましたので、以下に記してみます。

@「新潮」1月号、2011年
「死んだ人たちの伝達は火をもって」随筆 p51〜56
「面白いことに新しい小説の草稿を始めると、この二十年近く長江古義人という家族の構造の主宰者、そこに起る出来事の語り手をひとりで引き受ける役廻りであった人物が、いまや小説世界でも周縁に引きさがるようなのだ。」とあります
A「文芸春秋」1月号、2011年
「ひさしさんのメモを机の前に置いて、「晩年の仕事」を準備します」井上ひさしへ p343〜344
「私は、正直まだ凍りついたままの光との関係を、音楽を手がかりに解きほぐさなければなりません。それを小説で確かめることにもなるでしょう」

 待たれる日々がこれからも続きます。
2010/12/04, いとうくにお
みやじま紅葉さん、情報ありがとうございます。
2010/12/04, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 はや、師走です。いくつかニュースを。
 
 @『新潮』1月号、2011
   特別随筆 大江健三郎
 A岩波ブックレット798『井上ひさしの言葉を継ぐために』12月8日発売
   井上ひさし、井上ユリ、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝、鶴見俊輔
 B『図書』12月号 作曲家と建築家

 なにかと忙しい中と存じますが、読書の一冊といたしましょう。
2010/10/30, いとうくにお
みやじま紅葉さん、お知らせありがとうございます。『図書』は昨日うちにも届きました。武満徹の思い出を語ったものですね。
2010/10/30, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
久しぶりに、文庫が発行されています。
 @『美しいアナベル・リイ』新潮文庫 
  平成二十二年十一月一日発行 定価438円
   作者による、タイトルの改題の注が2行にわたりあります
  解説;川本三郎
 A『図書』11月号 連載記事

秋の読書にいたしましょう。
2010/10/10, いとうくにお
みやじま紅葉さん、インタビュー記事のご紹介、ありがとうございます。ノーベル賞作家の作品をその母国語の読者として同時代で読んでいけるというのは幸運なことですよね。
2010/10/10, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 ノーベル文学賞の嵐も今年も過ぎ去りましたね、大江氏は1994年受賞ですからいままでの間、大江氏に作品を同時代に読める幸せを感じています。

 先日、当地で、講演が行われて随分の聴衆1200名を集めました。
 本日(10月10日(日))の「中国新聞」朝刊、7面「オピニオン」の全面1ページに、「大江健三郎さん「ヒロシマ」を語る」を、自宅での3時間インタビューの要約として掲載されています。すこしまとめて見ますと、

  @16歳での出会い 原民喜の短編が出発点
  A屈服しない人々 教わった生き方のモデル
  B平和思想と行動 人間として考え伝える
  C核廃絶のその日 険しいが希望を持ち信じる
  D「ヒロシマ・ノート」が86刷になったという連絡が「今日」あり、累計約81万部に達する
  E井上ひさしさんの「父と暮らせば」のフランス語訳を読んでいる(この「父」が、次のテーマでしょうか?マラルメ詩集が重要なテーマであるのでしょうか)
  
  「作品を書く。3年ごとに一つの主題を選んで本を読み、研究する。光と一緒に生きる。これが僕の仕事と生活の基本です。」と語り、居間には、マラルメの詩集が置かれていた。
2010/10/06, いとうくにお
みやじま紅葉さん、講演内容のご紹介、ありがとうございます。NHKでも報道されたようですね。
2010/10/05, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
ご承知のように、10月2日、広島市中区で講演がおこなわれました。これについて、当地の中国新聞にて、10月3日(日)に、その内容が大江氏の写真とともに掲載されています。すこし要約しますと、

 @ヒロシマの原点を見つめなおす
 A非核三原則の法制化が核戦争防止に有効だと世界に呼び掛けていかなければ
   ならない
 B「広島の平和思想を伝える」の第1回で、1200名が参加した
 
 さらに、多くのことが語られています。参考になれば幸いです。
2010/09/29, いとうくにお
kubotaさん、はじめまして。一つの側面だけでは語れない作家ですね、大江さんは。長編でも『個人的な体験』、『人生の親戚』、『日常生活の冒険』など読みやすい本もありますので、またチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
2010/09/29, kubota kei
はじめまして。皆さん、知的な方達で、いろいろと刺激を受けました。大江さんの短編をいくつか読んだことがあります。なかなか分かりやすかったです。一方の長編は難解でリタイアしました。憲法9条を支持している点には同意しています。菅さん、民主党に故に危惧があります。大江さんは朴訥な表情をされていますが、凶暴な一面も持っている人ではないかと思います。そしてスケベな人でもあります。若いときはおそらくもてたのではないか、ということも恐らくはそうでしょう。小説をほとんど読まないのですが、大江さんの文章はうまい、と聞きます。平和主義なのに、暴力的、二面性を持つ不思議な紳士だという印象を受けます。
2010/09/09, いとうくにお
みやじま紅葉さん、文庫化の情報をありがとうございます。タイトルが変えられるというのは、本当に珍しいですね。文庫の解説にそのあたりのことの説明も載っているかもしれませんね。
2010/09/09, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
久しぶりに、新潮文庫の一冊として

@『美しいアナベル・リイ』新潮文庫 10月28日発行

が刊行されます。珍しく、タイトルが変更されて刊行されます。

 楽しみな秋の読書になります。
2010/08/28, 中川右介
いとうくにおさま みやじま紅葉さま
ありがとうございます。私の「空目」でないことが確認でき、とりあえずはよかったです単行本になっていない、エッセイ、インタビューのどれかでしょうね。
図書館で新聞の縮刷版など、ローラー作戦してみます。
みやじま紅葉さま、拙著、お読みいただきありがとうございます。
2010/08/28, いとうくにお
中川さん、僕もその話はぼんやりとですが覚えがあります。何で読んだかなあ。
帰りの飛行機を待つ空港で、大江さんが堀田氏にちょっといたずらをして、軽蔑の目で見られる、というようなエピソードもあったなあと思ったんですが、これは『新しい人よ目ざめよ』に出てくるのですが、三島由紀夫のほうの話は出てませんでした。
2010/08/28, みやじま紅葉
中川右介様
 今月刊行の、貴著、新潮新書『大女優物語』を読んでいます。仕事で、新幹線にのって、手にとって読んでいました。
  どうも、当方は、具体的な記述を眼にしたことが無いので、こで、最近の大江氏の著書を5冊持ち歩き、熟読しましたが、無いようでした。ない本を探すとは、当方のような、古書コレクターにはよくあることですが、「シンガポールの水泳」以上の記述はみあたりませんが・・・
 いとうくにお様、皆様、当方も是非、その文献をよみたいものです。
何か心当たりをよろしくお願いします。
2010/08/19, いとうくにお
井上さん、こんにちは。お気持ち、よくわかります。部分的にであれば、独自に和訳している方もいらっしゃるようですね(例 机の上の空)。さがせばほかにもあるかもしれません。いずれ、正式なものが本に収録されることを僕も期待しています。
2010/08/19, 井上力
NYタイムス電子版への寄稿文、どなたか、訳していただけませんでしょうか。17日の朝日で、ご本人がこのこと(道義的責任)を書いておられます。時事通信の報道は「唯一の被爆国の国民として、核の傘の保護下で暮らすのが道義的責任であり、その傘を捨てるのは責任放棄だと言われたら、被爆者は怒りを覚えるのではないか」と、明瞭です。日本時間の8月6日午前の出来事を、ニューヨークの8月6日に寄稿されたのも、核廃絶への動きを止める日米の政府という時間的切迫性の故ではないかと思います。
あるいはご本人が日本語で出版されるのか。とても期待しています。
2010/08/17, 中川右介
ありがとうございます。この「シンガポールの水泳」は、知っています。
これではなく、堀田氏との会話等、もっとリアルな内容のものをここ数年のうちに読んだ記憶があるのですが、探しても見つからないのです。
2010/08/15, みやじま紅葉
いとうくにお様
 中川右介様
 まだまだ暑い日が続きます。

 早速、NY記事を読みました。

 『鯨の死滅する日』文藝春秋、昭和47年、に掲載されています。
   「シンガポールの水泳」に、掲載されています。
  3ページの内容です。

  この単行本は、現在入手難です。
2010/08/13, 中川右介
三島由紀夫がなくなった時、大江さんが堀田善衛さんと一緒にインドにいて、堀田さんから三島が亡くなったことを伝えられたという
数年前に大江さんのエッセイかインタビューを読んだ記憶があるのですがどれだか、探しても見つかりません。
御存知の方がいらしたら、教えてください。
2010/08/11, いとうくにお
amiさん、ニューヨークタイムズの情報、ありがとうございます。大江さんの闘う姿勢に感銘を受けます。
2010/08/11, ami
大江さんがNY TIMESに"Hiroshima and the Art of Outrage"というタイトルで寄稿されています。
http://www.nytimes.com/2010/08/06/opinion/06oe.html?pagewanted=1&_r=1&ref=contributors
それを報じた時事ドットコムの記事もあります。
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201008/2010080600652
2010/08/10, いとうくにお
イオさん、ヴォネガット記念図書館の情報、ありがとうございます。子供の顔、そういわれてみれば見えなくもないですね。女の顔のようにも僕には見えます。
2010/08/10, イオ
大江さんの小説の登場人物の一人、カート・ヴォネガットの記念図書館が、今年の秋に開館するようです。

カート・ヴォネガット記念図書館のサイト。
http://www.vonnegutlibrary.org/
シンボルマークに使われているのが、ヴォネガットが描いたと思われるイラストつきのサイン。
左を向いた横顔は、髭をはやした神経質で憂鬱そうな中年男のものですが、その髪の毛の部分が上をむいて微笑んでいる子供の顔にも見える(そう見えるのは私だけかもしれませんが、とほほ)というところで、ヴォネガットらしさを感じたりします。

サイトでは『スローターハウス5』(SLAUGHTERHOUSE-FIVE)の特集のようなものをやっているようです。
2010/07/23, いとうくにお
古井一さん、大岡昇平の文章のご紹介、ありがとうございます。大江さんを私小説の系譜と位置づけた丸谷氏、生まれた土地と血に文学者として責任を取っているとする大岡氏、他の作家から見た大江さんのとらえ方はそれぞれ興味深いですね。
2010/07/23, 古井一
 朝日新聞は7月3日(土)朝刊に1日に開かれた「井上ひさしさんのお別れの会」での丸谷才一さん、大江健三郎さん、栗山民也さんの3人の弔辞要旨、そして例の第3火曜日20日朝刊、大江さん連載定義集には【如何にして私小説家となりし乎】としてこの会での丸谷さんの弔辞から話を展開しています。ファンクラブのかたでもし読んでおられなければ是非にとおすすめしておきます。
 これらの文章を読んで思い起こしたのは、大岡昇平さんの「隣人大江健三郎」というエッセイです。その終わりいたる部分を引用してみます。
 
「氏が障害児を持っていることは『個人的体験』以来、よく知られている。そういう子を育てる責任を放棄することによって、自己の世界を作り上げた人を私は幾人か知っている。しかし氏のように、生活においてその責任を取るだけでなく、異常児は異常であるだけではなく、人間存在の可能性の一様態として認識する。つまり多数であるという理由で健康と称する通常児と同じレベルに並び、むしろ感覚と行動において、より鋭敏でより卓れた者として、作品に形象化する力技をやってのけたのである。
 私はその表現の成果を文学的に高く評価すると共に、その責任の取り方において、氏を尊敬しているのである。氏の家は限りなく明るいのである。
 私がこの頃、氏の家を訪れることの少なくなった理由の一つは、大江邸の客間が北側にあって、寒いからである。(私は七六年に心不全が見付かってから、ことに冬は風邪を最もおそれねばならなくなっている。)日当たりのいい南向きの広い屋内空間は居間と食堂になって、一家団欒に供せられている。大江氏はその生まれた土地と血に責任を取っている。一人の文学者として責任を取っている。尊敬せずにはいられないではないか。」
 
 これは大岡昇平さんがいまから31年前、1979年に書かれ、それを僕は読んでいたのでした。
2010/06/30, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 追加情報です。

BPR誌「波」7月号 p2−5
 大江健三郎/小説家井上ひさし最後の傑作
  −井上ひさし『一週間』

ということで、じっくりと、大江氏の哀悼の文が読むことができます。
2010/6/27, いとうくにお
みやじま紅葉さん、お知らせありがとうございます。文庫は、単行本にない解説が追加されているのも魅力の一つですね。
2010/6/27, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 梅雨のさなか、みなさま、いろいろと睡眠不足でしょうか。
 以下、2点、紹介します。

 @『伊丹万作エッセイ集』大江健三郎編 ちくま学芸文庫
    2010年6月10日 第1刷発行
   あらたに、大江氏の、「解説(二) 「ちくま学芸文庫」で再読する」
   が追加されています。

 A『「伝える言葉」プラス』朝日文庫 本体 560円
    2010年5月30日 第1刷発行
    解説は、小野正嗣、です。

 ということで、新たに購入しています。
2010/6/22, 古井一
僕の伝えたいおもいがどこまで届くかこころもとなく不安でしたが、米原さんの親友で九条の会事務局長の小森陽一さんの名もあげられての「 日本の知識人のあたたかいつながりは、日本人にとって宝のようなもの」と的確に受けとめていただきました。このあたたかいつながりが、僕の読書の羅針盤となっています。それにしても、大江さんの作品は僕たち日本人だけでなくあの米原万理さんの友人のように苦しみのなかにある外国の人々にも生き続ける手がかりを与えてくださるのではないでしょうか。早速の返信、そのようにして大江健三郎ファンクラブを支えてくだっさっているいとうさんに感謝です。ありがとうございます。
2010/6/22, いとうくにお
古井一さん、九条の会の講演会に行かれたのですね。僕も行ってきましたよ。大盛況でしたね。

加藤周一自選集9の情報も、ありがとうございます。加藤周一、中野重治、大江健三郎、米原万里、井上ひさし、小森陽一といった日本の知識人のあたたかいつながりは、日本人にとって宝のようなものですね。
2010/6/21, 古井一
いとうくにお様

毎月第3火曜日が来るのを楽しみにひと月を暮らしています。それは朝日新聞朝刊大江さんの定義集。今月は【これからも沖縄で続くこと】。そのなかで引用されていた加藤周一自選集9を早速図書館で借りて「安保条約の行く末」を読み、19日の日比谷公会堂の「九条の会講演会」にも出向きました。
自選集9ですが、ここには大江さんについて、そのノーベル賞受賞の意味するものを記した「川端康成から大江健三郎へ」のほかに、中野重治全集月報に寄せた「中野重治断章」に、中野さんの「モスクワの作家大会とソ連のあちこち」からの短い引用があり、中野さんが大江さんへのあたたかいおもいをソビエト女性作家(?)に伝えている様子がみてとれます。
それを読んでおもいだし、取り出してみたのが米原万理さんの「打ちのめされるようなすごい本」です。そこの読書日記には、大江健三郎大ファンの同窓生(彼女はひどく落ち込んでいた)のために、「取り替え子」を2週間かけて口頭翻訳(ロシア語)したというとてつもない所業、しかも、友人の苦しみの原因とそれからの回復という感動的なエピソードが加わります。この本には、「思索の火花を散らして」と題した井上ひさしさんの解説がありますが、九条の会講演会は、「井上ひさしさんの志を受けついで」とありました。
これからも大江さんから学び続けて行(生)きたいとおもっています。
2010/5/31, みやじま紅葉
いとうくにお様
 壽太夫様
 当方の記憶に間違いなければ(笑)、『万延元年のフットボール』単行本、またその雑誌連載中のなかに、谷川俊太郎氏の「鳥羽」からの引用であることが記されていたように思います。
 まだ確かめていませんが・・・
2010/5/31, いとうくにお
壽太夫さん、僕もそれを読みました。大江さんの連載が始まってから「図書」の定期購読をしています。新しい号(6月号)も出てますよ!
2010/5/31, 壽太夫
「図書」5月号を読んでいたら大江さんが「本当のこと」というエッセーを書いていました。「本当のこと言おうか」という言葉は谷川俊太郎さんの「鳥羽」という詩からとったと言っていました。ちょうど図書館にいたので確認してみたら確かに「鳥羽」の中にこの言葉がありました。そのほかにも短いのですがこのエッセーは興味深いことが書かれていました。
同じ5月号に俳人の方(名前を忘れました)が大江さんのしずくに世界が移っているという詩をほめながら大江文学の本当のことといった内容を語っていました。
2010/5/12, 大江千里
久能です。
今まで、のんびり生きてきました。人の背負っているものを無視して、軽蔑するかのように生きてきました。

今は、大江健三郎先生と、司馬遼太郎先生のように努力していきたいと思います。
また、経済も学んでいくつもりです。
文学は、宮崎駿さんのように、漢和辞典を使いながら表現していきます。
法と宮を合わせた、文学を作っていきます。
刺繍に会いに行ってみたいと思っています。

一介になるために、小説で賞をとりたいと思っています。
いつか、天馬のように飛び続けて行きたいと思っています。

様々な人々に心を頂きありがとうございます。
2010/5/9, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 読者に迎えられている大江氏の小説は文庫化がすすんでいます。単行本から文庫へ、楽しみです。

 @『「伝える言葉」プラス』 5月7日 朝日文庫
 A『伊丹万作エッセイ集』 伊丹万作/大江健三郎 6月9日 ちくま学芸文庫 
 
ということで、初夏の読書です。
2010/5/7, 拳児
いとうくにお様。
フッキー様。
皆様。

私も「洪水は我が魂に及び」は傑作だと思うし、大江氏の小説の中で一番好きです。
そうですか、新潮文庫の在庫は無くなってしまったのですか。
とても残念です。
あの小説は、救いが無く、破滅へと突進していきます。
私は、「救い」の感じられる小説が好きなのですが、何故か、「洪水は我が魂に及び」だけは例外で、好きなのです。
あの「建物の中の諸君!」とか「大型警備車の中の諸君!」とかの文章がゴシック体になって強調されているのを読むとクラクラするくらいです。

あと、「万延元年のフットボール」の鷹四の過去の告白は、私が本を読んできたなかで、最も恐ろしい告白でした。

私はあまりインターネットを見ず、このサイトもひと月に一回見るか見ないかです。
だから、私の投稿に答えて下さっても、それに対する返事は、書き込まないと思います。
一方通行、ひらにご容赦願います。
2010/5/1, みやじま紅葉
いとうくにお様
フッキー様
いとうくにお様がかかれているような現状ですが、私たちが幸せなのは今現在、大江氏の作品をリアルタイムで読むことが出来ることです。
大江氏が書かれていますように、文庫の絶版を少しでも解消するために、「講談社文芸文庫」に大江氏の作品があって、いつも在庫があるように出版されています。フッキーさん、試みてください。
2010/4/28, いとうくにお
フッキーさん、ご投稿ありがとうございます。周りに大江ファンがいないというのは、ここに来てくださる方の多くが経験されてきたことだと思います。それが、僕がこのサイトを作った理由の一つでもあります。ネット上なら、全国の大江ファンが簡単に交流できますからね。
それにしても大江作品の文庫が入手困難というのは残念なことですよね。大学近辺の古書店を巡れば見つかるかもしれません。『洪水はわが魂に及び』や『同時代ゲーム』以外にも素晴らしい作品がたくさんありますので、ぜひ大江文学を読み進めてください。
2010/4/28, フッキー
皆さんはじめまして。私は大阪の大学で小説を学んでいる者です。
大学の講義で、大江さんの小説や批評、方法論などが取り上げられたのをきっかけに大江さんの小説に興味が湧き、今年に入ってから小説を読み始めました。
それまで大江さんの小説・文学に対する考え方や姿勢などを講師の方から聞いていた時は、小説に対して本当に真摯に、誰よりも真剣に考えている人なんだ、という印象でした。
そんな人が書く小説とは一体どんなものなのだろう、と期待を胸に初めて読んだのは『洪水はわが魂に及び』でした。読み終わったときには「大江健三郎という人には今の自分が逆立ちしても敵わない! 性、戦争、政治、思想、暴力、死……あらゆるものがここに詰まっているっ!」という、間違いなく今まで読んだどの作家の小 説よりも強い衝撃を受けました。文章は難解で、しかし一つ一つの表現が練りに練られていてとても魅力的で……と語ればきりがありませんが、今この時に大江健三郎の小説にめぐりあえたというのは、私にとって本当に大きな出来事でした。
今は大学の図書館を利用して『同時代ゲーム』を少しずつ読み進め、書店で見つけた文庫本などを買って家では『死者の奢り・飼育』の短編集を読んでいます。『洪水はわが魂に及び』も手元に置いておきたくて文庫本を探したのですが、今ではもう出版社にも在庫が無いらしく、書店を回っても全く見つけられず、手に入れ るのに苦労しました(なぜか下巻だけは見かけるのですが……。
私自身、今まで大江さんを知らなかったのですが、周りの友人も大江さんの小説を好んで読むという人はあまりいません。これは私の周りに限ったことなのか……「大江健三郎ファンクラブ」の方々の周りではどうなのか、と気になるところです。
まだまだ大江健三郎については日の浅い初心者みたいなものですが、これから少しずつ大江さんの小説を読んでいきたいと思います。
では、長々と失礼しました。
2010/4/8, みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様
春、桜、楽しまれましたか。
第4回大江健三郎賞も決定されて、その記事も掲載されました。
@『群像』5月号
  ・大江健三郎「「裕福者」という他人」 p85−91
  ・中村文則 x 大江健三郎 公開対談
    日時 5月16日(日) 14:30 開場-15:00開始 (17:00終了予定)
    於  講談社 社内ホール
そのほかに、『世界』4月号では、
  ・「拮抗する言葉の力」 大江健三郎『水死』論 小森陽一
が掲載されています。すばらしい解説です。
2010/4/7, いとうくにお
みやじま紅葉さん、大江賞、発表になりましたね。今朝の朝日新聞には、受賞のことが、中村文則氏の写真と紹介記事付きで取り上げられていました。
大江賞は5回くらいでいいのでは、ということは大江さんご自身がおっしゃってますね。さて、実際はどうなるのでしょう?
2010/4/7, みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様
  第4回大江健三郎賞が決定されたということのようです。中村文則氏のものです。
  うわさでは、後、一回でこの賞は終了とか(不確定)。
  PCが壊れてしまいましたが、ようやく再起(再起動(笑))いたしました。
2010/4/7, いとうくにお
壽太夫さんのご投稿、地元ならではのお話ですね。そのような豊かな歴史のある土地をどうしていくのかという観点も、ダム建設を考えるうえで必要なことかもしれませんね。
2010/3/7, 壽太夫
百年インタヴュー楽しみですね。

ところで大江さんの小説の中に群馬の高原の別荘がよく出てきますよね。 以前にも投稿しましたが、私はこの高原の町、長野原町の出身です。今、この長野原は例の「八ッ場ダム(やんばだむ)」で話題になっています。 この町は草津温泉や万座温泉、浅間山、軽井沢につながる玄関口です。縦に長い町で、大江さんの別荘があるところは通称「北軽井沢」と呼ばれている高原地帯です。浅間山のふもとにあり標高1100メートルですので夏は大変涼しく 軽井沢が暑く感じるくらいです。当然冬はとても寒くて私が子供のころは照月湖という湖が完全に凍結してスケートをしていましたが今も続いているのでしょうか。軽井沢は 長野県側に高原を降りていけばすぐです。
子供のころ町の電話帳をみていたら大江さんとか、谷川徹三、野上弥生子さんの名前が あってびっくりしました(今はのっていないでしょうね(笑い))。法政大学が「大学村」 のようなものを作って知識人が結構別荘を作ったらしいです。父は小学校の先生をして いてこの高原の小学校でも教えましたが校歌は谷川俊太郎さんが作詞していました。私が住んでいたのはこの高原地帯ではなく、ここから川の流れに沿って下った谷の中です。この谷の一番狭い所に作ろうとしているのが「八ッ場ダム(やんばだむ)」です。

つい先日万座温泉へスキーと温泉で遊びに行った帰りに久々に自分が住んでいたところを 見てきました。実は私の実家は7年前に立ち退いて既にありません。立ち退くときには 家を解体して更地にしなければならず、その当時健在だった父が自ら壊して母ともども私と 同居しました。 更地にした後に建設省がその一帯を調査したところ、私の家が建っていた真下を含めて一帯から 縄文時代の住居跡や石器、土器がでてきてしばらく調査していました。もともとこの一帯は畑などら 石器や土器がでます。子供のころ畑から拾ってきて「夏休みの宿題」で出した覚えがあります。 住んでいた私からみれば気候や食料にしてもそれほどいい所とは思えないのですが、この一帯は 太古の昔から大きな集落だったようです。 今は一帯には厚く土が盛られ以前の面影はありません。川は歩いて15分くらいのところです。 巨大な鉄橋がいくつも作られています。ここから川まではかなりの落差があり崖にへばりついている町 という印象だったのですが、コンクリートの護岸工事が数十メートルの高さでがっしりなされて子供のころの 自然が縮んだように見えます。

ダムで立ち退いた町の一部は沈むエリアよりも200メートルぐらい高い山の中腹へ移転しました。 私の親戚もそちらに移りました。以前は肥えた畑だった一帯を整地して町が作られていました。 この高台からは白根山が障害物なく一望のもとに見えて、私が住んでいたところはここからみれば まさに谷底です。この一帯からも大規模な住居跡が見つかりました。

ここから10分くらいさらに川下へ下ったところがダムの建設予定地です。いたるところで護岸工事や 道路のつけなおしの工事あとがあり、今の土木技術の規模のでかさを感じます。橋も大きな谷をひと またぎという感じです。建設予定地から少し下ったところにテレビでよく映る建設中の橋げたがあります。 実際に見ると周囲の山に比較しても巨大なので、「風の谷のナウシカ」の巨人兵がとうとう立ちあがって しまったかのようです(笑い)。

長々と書いてすみません。記憶に残っているうちにと思いました。
2010/3/6, いとうくにお
しんしろうさん、情報ありがとうございます! とても楽しみな番組ですよね。ちょうどさきほどメーリングリストでもこの番組の情報が寄せられたところで、大いに期待をふくらませていたところでした。
2010/3/6, しんしろう
 いとう様、皆様、こんにちは
来週11日(木)夜8:00〜9:30の90分、BSハイビジョンで、100年インタビュー「作家・大江健三郎」が放映されます。作家では以前、池澤夏樹さんが出ていましたが、実作者の内懐に迫る良い内容でした。
2010/2/17, いとうくにお
准亭さん、ご投稿ありがとうございます。新刊が新しい読者を増やしているのであれば、ファンとしても嬉しいです。もう第3刷が出ているのですね。いまその『水死』を再読しているところなのですが、最初に読んだときよりも面白く感じています。また気が向いたらご感想などお聞かせください。
2010/2/17, 准亭
いとうさま
はじめまして
投稿フォームでうまく送れないのでこちらで失礼します

活発な広場ですね 最近はバックナンバーもよく拝見しています

正月のTVで大江さんを拝見して『水死』を読むことにしました

皆さんのように古くからの大江ファンではなく、以前『新しい人よ眼ざめよ』を読んだきりの読者でした

NHKアナのかなり不勉強な態度に「いま生きている唯一の日本人ノーベル賞作家に その態度と質問はないでしょう」と思ったのと TVでみた大江さんの様子に好感が持てて久しぶりに読んでみたくなったのです

大江さんに限らず、普段は小説は読まないので家人もびっくりしていました

いままでの経緯はよくわかりませんが「とにかく面白い」「とはいえ日本人のいまの教養レベルでは読める人が限られるのはしかたない」(中堅私大経済学部で教養科目を四半世紀教えてきた実感です)というのが読後感で、その後「おかしな二人組」三部作まで夢中で読みました
いまも本屋で既刊を見つけるとどんどん買って少しずつ読んでいます
新鮮です^^

古くからの読者の皆さんはそれぞれにお考えがあると思いますが 今回はこんな「新しい読者」もいることをお知らせしたく書いてみました
私が入手したのは一刷でしたが昨日某書店でみかけた『水死』は三刷でした
もっと売れてほしいですね

では ますます活発な交流がありますことを楽しみにしています   
2010/2/12, いとうくにお
壽太夫さん、僕は壽太夫さんほど深く考えてということではありませんが、『水死』が「水死小説」だと感じています。ただ、イコールの存在ということではなく、二重写しのような感じの関係。大江さんの小説では、現実と小説世界、あるいはその小説世界と過去の小説世界が二重写しになるような仕組みがしばしば用いられていると思うのです。今回もその手法と理解したしだいです。
2010/2/11, 壽太夫
考えてみると、「水死」の中では「水死小説」は書かれなかった ことになっていますが、結局は書かれたということなんでしょうか。 特に母は古義人が父を題材にした水死小説を書くことを望んでいなかったしむしろ恐れていました。それは父が小舟を漕ぎ出したエピソードからすれば この題材は国家そのものにかかわり古義人の周囲に大きな圧力がかかる恐怖を感じたからでしょう。でも父にまつわるエピソード、大黄さんの関わり方、 最後のエピソードは大江さんが過去の経験から学びながら、でもこの問題に片を付けために熟慮した仕掛けをつくったということでしょうか。 こういうことを考えるのは無粋なことは承知していますが。
2010/2/10, いとうくにお
みやじま紅葉さん、いろいろと情報ありがとうございます。所さんからの贈り物、テレビと日記で微妙に違うのが面白いですね。
2010/2/10, みやじま紅葉
いとうくにお様
  皆様
  大江健三郎氏の『水死』への批評は、文芸誌3月号では2件ありました。ひとつは、「すばる」、そして「新潮」です。
  @「新潮」では、
    町田康「困りのなかを進む」p248−249
   と題されています。『水死』批評では、出色のものです。
  A「新潮」小説家52人の2009年日記リレー
    大江健三郎のものは、p8−9まで
    2009年1月1日(木)から1月7日(水)まで
    これだけでも、大江氏の「日記」を10年分読んでみたい気持ちにさせます。すばらしい。
    所さんから、今度は、光さんに、「腹巻」が贈られる。(テレビでは、マフラーでしたが・・・)。交流がどのように発展しているのか、こちらも楽しみです。
  B岩波文庫復刊として
    大江健三郎、清水徹編『狂気について』2月16日発売
    楽しみがまたふえました。
2010/1/29, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 最近は継続的にマスコミに出る機会が多いようですね。
 PR誌「波」2月号をみると、雑誌「新潮」3月号には、
 ・  一〇〇年保存大特集、のなかで、小説家52人の2009年日記で、大江健三郎氏のものも掲載されるとのことです。
  『水死』を読み続けていますと、この10年間の、レーターワークの進み具合がわかります。この時代に読むことができる幸せを感じます。まさに、同時代の読者なわけです。
2010/1/28, 弥生
 再び、「水死」を考える。しかし、思うに、これまでの大江文学を 通して、これほどまでに多くの戸惑いを読者に与える、特に、それが長く大江文学を愛好してきた読者に対して、大きな不快感を与える作品があっ たか。「いたし方のないことで」という「’」で強調された言葉の無責任さ。思惟することを放棄した「コギト」。その大きな不条理と、暴力の連鎖に読者は驚く。結局、この作品そのものが、読者に投げつけられた「死んだ犬」ではないか。読者への「死んだ犬の投げつけ」。これが、この 「水死」という作品の本質的な主題ではないか。幾重にも重なった主題の底、渦巻く水底に横たわる大きな主題であるのではないかと思う。続編をぜひ期待したい。
2010/1/25, いとうくにお
しんしろうさん、お久しぶりです。ラジオの情報、ありがとうございます。小川洋子さんが『死者の奢り』をどのように語るのか、楽しみですね。
2010/1/25, しんしろう
みなさん、こんにちは。数年ぶりに書き込みさせていただきます。
毎週日曜日、朝10時から30分間、「パナソニック メロディアス ライブラリー」というラジオ番組が放送されています(東京FMがキー局)。パーソナリティーの小川洋子さんが、未来に残したい一冊を語る番組です。次回31日(日)は、大江さんの誕生日ということで、「死者の奢り」が取り上げられます。「水死」が話題ですが、初期の作品に立ち返ってみるのは、いかがでしょうか。
2010/1/23, 壽太夫
うさぎさんとか弥生さんがおっしゃる読後感はよくわかります。
読み終えて私が最初に浮かんだ読後感は「万延元年のフットボール」です。 でも「水死」は注意深くこれよりもさらに希望の量が減っているように思います。 むしろ「芽むしり仔撃ち」や「セブンティーン1.2」に通じるような閉塞感、絶望 感を感じます。最後に官僚がしたことは実世界としてみればありえないような 馬鹿げた行動で滑稽です。でもされた側の「ウイナコ」側からすれば想像もしない 悲惨なことで、そのギャップがあまりにも深いので救い難い絶望を感じます。 このギャップは最初から形を変えて音程を変えて何度も暗示されているように思います。 でも倫理観も何かもすてて絶望の闇にまっすぐに降りて行ったときに、真っ暗なのですが もしかしたら明りの「点」がともるようなかすかな予兆を感じないでしょうか。 擬似体験であればこそこのかすかな予兆がはっきりした救いのしるしよりも強い「新たに始まる世界」 への希望として感じました。川上未映子さんの「ヘブン」のラストは胸が詰まるほどの、息ができない ほどの将来への希望を暗示しています。その圧倒的な感動に近いものを、全く違った最後の一行 で私は感じました。

大江さんが恐ろしいのはご本人はたぶん倫理的な人間であるにも関わらず、小説の世界では倫理も約束事も 破壊して私たちにむき出しの世界を突きつける「制約されない想像力」です。そのむき出しの世界のむごたらしさ 肌にざらつく不快感、その読書経験はつらいのですが、顔をあげて正面を見たときにノイズを排除して 核心を見ることができるフィルターを使おうと思えば使えるということが実感として感じられます。
2010/1/19, うさぎ
 弥生さま
 読了後まだまとまって考えられてはいませんが、ほぼ弥生さんと同じ感想をもちました。特にラストの、ウナイコを置き去りにし、またも貶めたところが、やりきれませんでした。ほんとにコギトはどこに行ってしまったのでしょうか。「反復・ズレ」に関しても、あまりにも自虐的に書いているようで、大江さ−んと、思わず声をあげました。
 全編すーと読めるので、深く読みきれていないかとも思いますが、結局、コギトは父の「水死」を書けなかったということだと思いました。もう一度、コギト自身の格闘を、魅力的な女性に甘えることなく提示してほしいなと、、、。わたしにとって、一生モンの作家大江健三郎に期待します。

 いとうさん  「ファンクラブ通信一号」おめでとうございます。ごくろうさまでした。 「水死」の女性たちの状況がショックで、まだ特集を読めてません。すいません。そのうちちゃんとよみますね。
2010/1/18, 弥生
 マーシャさま

>「昭和の精神の責任を負うべき古義人」はどこにどう描かれていたのでしょうか?

描かれた方としては、ラストの展開を除く、全編において。 特に、p138から139にかけて、古義人自身の言葉として、「時代から離れて、周りの人間とはできるだけ無関係に生きようとする人間こそ、その時代の精神の影響を受けているんじゃないかと思うね。僕の小説は大体、そういう個人を書いてるんだけれども、それでいてなにより時代の精神の表現をめざすことになってのじゃないか。(中略)死ぬことになれば、自分は時代の精神に殉死するようなもんだ」。自分で時代精神を背負うことを宣言されている。この辺りは、本当に大江文学らしくて、素晴らしく感動的なのですが。

>時代(特に元号で区切られた時代)と個人とを直結させたがる解釈志向からの脱却の試み
>さらには,その脱却の試みを作家個人が(「責任」の名の下に)代表して担えるような時代でもなくなったということ
>自己パロディ化あるいは(劇作の共同作業の描写などを通じ)相対化されてもいる

ご指摘の通りの試みかもしれません。しかし、なぜ、殉死したのが、長江ではなく、大黄なのか。彼は、「時代精神から脱却した個人」とは描かれていません。戦前の精神を引きづり、しかし、戦後民主主義とも無関係ではない、時代に引き裂かれ、葛藤する個人です。コギトの身替わり、物の怪、「よりまし」として、その葛藤の故に、あの終末を迎えたとしても、そこには不合理さはないかもしれない。しかし、問題は、長江です。ウナイコを1人、「いたし方のないことで」(p426)置き去りにして寝入るという無責任さ。ギシギシ(大黄)を「浮き袋」にして、殉死させ、自らは、一体、どこに「時代の精神に殉死する」行動があるのか。「自己パロディ化」かもしれないが、やっぱり、これは、幾重にも重なった壮大なる循環小説と思います。恐るべき小説です。大江さんには、マイッタよ!
2010/1/18, マーシャ
 弥生さま
古義人は作中で「昭和の時代精神」をどこでどのように具現化しようとしたのでしょうか?
「昭和の精神の責任を負うべき古義人」はどこにどう描かれていたのでしょうか?
教えてください。
私はそのように(大枠を当てはめるように)は読まなかったもので…
また,大江文学を「循環的」で「一歩も出ようとしない」ものとも捉えていませんもので…
私は『こころ』の従来の典型的読まれ方であった「明治の時代精神」なるものとその死,という当てはめ的な読み方,あるいは,時代(特に元号で区切られた時代)と個人とを直結させたがる解釈志向からの脱却の試みと受け止めています。
さらには,その脱却の試みを作家個人が(「責任」の名の下に)代表して担えるような時代でもなくなったということを,ウナイコやリッチャンら魅力的な女性陣の活躍ぶりと対置させた作品であるとみています。(その女性陣が結末で救われなかったのが読後感として辛くはありましたが。)
バフチンを想定しつつ,大江文学において作家あるいは作家自身の分身としての古義人は,一見私小説的に過去をズレを含みつつ反復しているようでいながら,(特に『水死』では)徹底してそれらは自己パロディ化あるいは(劇作の共同作業の描写などを通じ)相対化されてもいるので はないかと考えます。
2010/1/17, 弥生
 いとうさま。 そうですね。大江健三郎氏自身、よく分かったうえで、それでも書いてま すね。「本格小説」ー僕はここで水村美苗氏の同名の作品を想起しました がーをなぜ書かないのかと問われるシーンですね。新聞書評では好意的な コメントが多くて良かったとは思うけど、でもここで書かれている主題の 多くは、すでに過去の作品で描かれてます。主題が文体を選ぶという言葉 そのままに、様々なナラティブによって。もちろん、漱石を引き出した点 で新たな地平を提起しているのも事実です。川の流れに浮き沈む姿、イ メージは、時代精神に翻弄される大江氏自身でもあるのでしょう。昭和の 精神を具現化する長江。でも、何故、最も重大なラストの局面でコギーは 覚醒せず、眠っているのでしょうか。スッポンと格闘し、ドンキホーテの ように突進したコギト。奇妙な二人組のコギト。時代精神と個人の生き方 が主題であるのなら、なぜ長江自らが、「こころ」の先生のように、時代 精神の犠牲とならないのか。昭和の精神の責任を負うべき古義人はどこに 消えたのか。銃声にも気付かず、「起きてからアサに聞く」ではあまりに 無責任に過ぎます。「雨の木」のラストには「妹の力」がありました。 「新しい人」には「再生への希望」があった。しかし、「水死」には「混 乱した主題」が残るのです。父親も、大黄をも見殺しにする「コギト」と はどのような悟性なのか。大黄は、どのような時代精神のもとで死するの か。右翼との、暴力との和解でしょうか。結局、長江は、当事者となるこ とを避けている傍観者ではないか。それとも、この不条理にリアリティを 込めているのか。それとも単に「雨の木」のラストの繰り返しなのか。ど なたか解説を頂けませんか。
2010/1/16, いとうくにお
SURUGA16さん、ありがとうございます! 苦労しましたが、こうして形になると満足感があります。
2010/1/16, SURUGA16
 「ファンクラブ通信 第一号」の創刊おめでとうございます。これまでのご活動はもとより、いつもながら凝縮された皆様の想いに敬意を表します。
2010/1/15, みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様
『水死』についての、このように多くの書評は近年大江氏の小説に対してはなかったように感じられます。(水死 大江、でくくれば、現在128編のものがWEB上で 探索できます!)
この時代に、大江氏の小説を読むことが出来る幸せを持ちます。『水死』を書くことで、確実に、大江氏は、次の段階に進まれたことは確かです。
2010/1/13, いとうくにお
弥生さん、おひさしぶりです。『水死』のご感想、ありがとうございます。おっしゃるとおり、ここ数年の大江作品は、反復、ズレを含んだ繰り返しの印象を与えるものとなっていますね。四国の森の中の村に呼び戻された主人公がそこで何か出来事に巻き込まれる――定型といってもよいかもしれません。『水死』でも「この十年、十五年、長江さんのすべての長編がこの調子じゃないの、ウナイコ?」「それは、ぼくも認めますよ。(中略)自分はどうしてこういう隘路に入り込んだか、と…… そしてすぐにね、このような書き方でなければ、書くこと自体を持続できなかった、つまり狭く自分を限るほかなかったんだ、と思い当たってね」(p.352)というくだりがありますね。つまり、大江さん自身も重々承知のうえで、定型を反復しているのだろうと思います。その定型の枠組みのなかに、しかし、読者を揺さぶる要素が最大限盛り込んである、というふうにも僕は感じました。
2010/1/13, 弥生
大江健三郎の新作と共に久々に登場します。『水死』読了しました。懐かしい響きのある文学に再び邂逅できた喜びをまずご報告しておきます。同時に、ある種の寂しさを告白せざるを得ません。それは循環する大江文学の限界です。この作品は、「老年から幼年時まで 逆さまに思い出している」作家自身の、ズレを含んだ繰り返しの文学です。その「繰り返し」とは、小説の大枠としての、「明治の精神」と「昭和の精神」、「こころ」と「水死」、「先生」と「古義人」の反復であり、大江文学の全体像からすれば、大江作品のコラージュ、大江作品の引用から成り立つパッチワークのようなものです。特に、「取り替え子」と、「雨の木を聴く女たち」とのズレを伴う強い類似性に気づきます。最後のシーンは、まさに、あの短編連作集の反復なのです。大江文学を大江文学たらしめてきた全てがここには凝縮されている。と、同時に、そこから一歩も出ようとしない、強い循環性に「失望」もまた伴うのです。
2010/1/12, いとうくにお
意志の力としてのオプティミズムは、サイードから大江さんが引用された言葉ですね。
書評は、朝日新聞の文芸時評で斎藤美奈子氏が『水死』を取り上げたのしか読んでいませんが、それも好意的な書き方でした。
2010/1/11, 壽太夫
日経新聞にも最終面を3分の2くらい使ったインタヴュー記事が出ていましたね。 かなり丁寧な扱いで、最後に大江さんが「意志の力としてのオプティミスムを信じて 、死ぬまで人生の問題を考えていきたい」と言って結ばれています。 気がついて読んだ書評はどれも好意的かつ慎重な感じがしますね。
2010/1/11, いとうくにお
壽太夫さん、ごぶさたしております。『水死』のご感想、ありがとうございます。一筋縄ではいかない、そんな作品ですね。「続き」の小説、その夢想が現実になったらいいなと僕も思います。
2010/1/11, 壽太夫
いつも掲示板を楽しませていただいているだけで、新刊がでると感想を投稿させていただいてます。
休みに入ったら読むことを楽しみにして、この2日間で一気に読みました。すごいですね。大江さんの読者であることを誇りに思う、というのが最初の感想です。読者であることを誇りにするのも変ですけど。
読みながら今までの読書体験を追体験するような不思議な経験をしました。 私が大江さんを本格的に読み始めたのは30年前に「新しい人よ眼ざめよ」を雑誌の連載で読んでからです。その頃は大学は出たけれど自分が何をしたいのかわからず就職活動もせず、アルバイトでかろうじて食べつないで、この先生きてけるのだろうかと出口のない不安に陥っている時でした。ある時図書館で連載をみつけて、むさぼるように読んで、コピーして、自宅でノートに書き写しました。この時自分で自分を励ます、ということを教えてもらったように思います。 このような読書体験は後にも先にもこの時だけです。
それから30年、思い描いていた人生とは大分違いますが、常に大江さんが傍らにいて過ごしてきました。
今回の小説にはすべてが入ってます。個人と個人、個人と国家、個人と宗教。出口がないから考え続けるしかない。そのことをもう一度教えていただいたように思います。
この終わりであれば、続きがありますよね。「イーヨー・ヒカリ・アカリ」さんが一人称で語る小説が書かれれば、その時は世界を内側から照らしだすような空前絶後の小説世界が現出するのではないでしょうか。そんな夢想もしたくなりますね。
2010/1/10, いとうくにお
みやじま紅葉さん、リンクのミスのご指摘、ありがとうございます。直しておきました。それと、『水死』評の情報もありがとうございます。
2010/1/10, みやじま紅葉
いとうくにお様
 掲示板を開いたときに、12/28 のままで、2010をクリックしないと、新年にとべないようです。
  「スタジオパーク」での話、楽しめました。インタビューする人は、大江氏を芸能人扱いののりで あっという間の、1時5分から45分、5分の休憩の後、質問という流れでした。
 最近作では珍しく、多くのマスコミが、『水死』を取り上げました。いち早く、川西政明氏の書評が、朝日新聞に掲載されました。
 気付いたところでは、

 @雑誌「中央公論」2月号、84−95ページ
  大江健三郎xル・クレジオ  われらの生きた同時代、その文学と世界を語る
 A雑誌「群像」2月号、90−101ページ
  「懐かしい年」の変容―大江健三郎」『水死』論 安藤礼二
 B雑誌「ダ・ヴィンチ」2月号、56−57ページ
  新刊『水死』刊行 ノーベル賞作家大江健三郎インタビュー

  機会があれば、読まれることをすすめます。
2010/1/5, いとうくにお
昨年もでしたが、今年もみやじま紅葉さんが最初のご投稿となりましたね。今年もよろしくお願いいたします。
スタジオパークへの出演、楽しみですね!
2010/1/5, みやじま紅葉
 いとうくにお様
  皆様
  なんと、本日(5日)、NHKスタジオパークに大江健三郎氏が登場します。時間は、昼の1時5分から一時間、そのなかで、散歩する大江氏が登場します。取り急ぎ報告。

このページは大江健三郎ファンクラブの掲示板の一部です。