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2020/10/13, いとうくにお
矢本さん、ご感想ありがとうございます。僕はこの対談に刺激されて、尾崎真理子氏の『大江健三郎全小説全解説』を買ってしまいました。分厚い本ですが、資料としての価値が高い本だと思います。
2020/10/13, いとうくにお
みやじま紅葉さん、僕も『群像』の「女たちの大江健三郎」、読みました。このように女性たちが大江文学を取り上げ、新たに光を当ててくれるのは、嬉しいことですね。
2020/10/12, 矢本嘉則
いとうくにお様

 紹介いただいた、雑誌「群像」11月号 特別対談 工藤庸子x尾崎真理子「女たちの大江健三郎」を読みました。 対談の終わりに、尾崎さんの「・・・・・・最後の短編小説「火をめぐらす鳥」に結晶した最高に美しいイメージ。それを表現したのも大江健三郎だった。」という一文に触れ、大江健三郎全小説第6刊で再読しました。
「新潮カセット講演」の「信仰を持たない者の祈り」にも取り上げられているエピソードと一部重なりますが、やはり深い感動を覚えました。
2020/10/11, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 GO TOキャンペンで、10月になって、当地にもたくさんの方が訪れています。皆様、楽しそうですね。
 当地では、繁華街にあった、3軒の新刊書店が次々と閉店、そのうちの三軒目の懇意の本屋さんもこの8月末で閉店。それで、やむおえず、通販になりました。

@ 雑誌「群像」11月号 特別対談 p218〜234
やはり、ここには、お宝がたくさん述べられています。
内容がひとつの論文になると語られています。  そのなかでも、大江氏から尾崎さんがご自由に書いてください、とか、長篇の原稿がまるごとあるということは、刺激的でした。

というわけで、報告いたします。
2020/10/07, いとうくにお
みやじま紅葉さん、情報ありがとうございます。興味をそそられる題名の記事ですね。僕も読んでみようと思います。
2020/10/07, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 10月初めにもかかわらず朝晩寒く、当地の平和公園を行きかう修学旅行生たちも寒そうです。今年の冬は、冷たくなりそうです。

 いやぁ、ビックリです。
@ 雑誌「群像」11月号 10月7日発売
  特別対談 工藤庸子x尾崎真理子「女たちの大江健三郎」

 もう、私には、何も言うことができません。このような奇跡が起きるのですね。

 まずは、読んでみましょう。
2020/09/27, いとうくにお
みやじま紅葉さん、新刊情報ありがとうございます。こうして大江さん関連の本が出版されるのは嬉しいですね。
2020/09/26, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 なぜか、いつの間にか、2020年が終わりそうです。GO TOに関するイベントも10月を待たずに開始されます。

@ 尾崎真理子『大江健三郎全小説全解説』帯 2020年9月15日第1刷 講談社 全514ページ 本体3500円
 尾崎真理子氏は1959年生まれ(61歳)、2019年まで読売新聞の文芸担当記者。
重要な案内人の役割を果たされました。
年譜
参考文献付き
最高の入門書です。
『大江健三郎全小説』に書かれた全15冊を15章にして刊行
ここから、多くの評論が書かれることでしょう。まさしく最高の入門書です。
2020/09/19, 矢本嘉則
いとうくにお様
 みやじま紅葉様

 9月号の群像を手に入れて、みやじま紅葉様の紹介にあった工藤庸子様の論考を読みました。久しぶりにスリリングな読書を体験しました。
 大江さんの「さようなら、私の本よ!」が、ドストエフスキーの「悪霊」のパロディー(?)かも知れないという考察に、興奮すら覚えました。
 いつも、重層な仕掛け・企みを作品に込めている大江さんですから、宜なるかなの印象もありますが、それにしても驚きでした。
 次回が12月号だそうで、期待大です。
 みやじま紅葉様、これからも情報提供並びにご指導を宜しくお願いします。
2020/09/05, いとうくにお
みやじま紅葉さん、大江情報のご紹介、ありがとうございました。こうしてメディアに取り上げられるのは、嬉しいですね。
2020/09/05, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 この自粛の折、皆様方、様々にお過ごしですね。今、スーパー台風10号が接近中。怖いですね。
 このような折、本日、9月5日土曜日朝7時から始まる、当地のラジオ番組で、大江健三郎氏の文庫本『死者の奢り・飼育』新潮文庫をフリーアナウンサーが10分間ほど取り上げていました。ファンらしく、絶賛。
  朗読しながら、的確にコメント。「死者の奢り」を中心に、「飼育」、から「人間の羊」まで、コメント。
 自粛のおり、一度読んでおこう!難しい内容ながら、文章の表現がすばらしい!と絶賛。

  ところで、以下の雑誌を、前回に続いて紹介します。
@ 雑誌「群像」9月号〈2020年〉
「大江健三郎と「晩年の仕事」」B 工藤庸子 p232〜276
「さようなら、私の本よ!」を取り扱っています。
力作です。何も言うことがないほど内容が充実。

工藤庸子氏は1944年生まれ、フランス文学者。納得できる経歴で、いままでの大江健三郎論に比べてその読解力とその深さは追随を許しません。
 一度、皆様、目を通してください。
2020/07/26, いとうくにお
トムさん、たいへんな長い期間の積ん読を、次々といま解消されているのですね。素晴らしいことだと思います。僕も、見習いたいものです。『河馬に噛まれる』は僕も好きな本で、ご感想も、ほぼ同感です。
2020/07/24, トム(Tom5k)
いとうくにお様、みなさん、こんばんは。

平成元(1989)年から積読していた『河馬に噛まれる』(文春文庫)と、最近購入した『僕が本当に若かった頃』(講談社学芸文庫)を読了したのでコメントさせていただきます。

最近の私は大江氏の小説しか読んでいない偏った読書傾向に陥っています。

二冊の短編集には、私が大好きである吉永小百合さんをモデルとしていると思われる女優Y・Sさんが、連作として各編に作品テーマに直結する位置で登場しており、たいへんうれしい読書となりました。

ただ、元来、暗鬱な大江氏の小説のなかでも『河馬に噛まれる』は、更に暗い題材が多く、読んでいていつもより憂鬱な気持ちになりました。
小説のプロットにおいて、連作「四万年前のタチアオイ」と「茱萸の木の教え・序」のタカチャンや「僕が本当に若かった頃」の靖一叔父さんは、とても魅力的であるが故、あまりに悲惨で私はたいへん心が痛んでおります。

『僕が本当に若かった頃』は、過去の作品から引き続く連作の短編が多いためか多様なテーマの作品で構成されており、私は改めてそれ以前の大江氏の作品への好奇心が喚起されました。
また、「僕が本当に若かった頃」の主人公の繁は読んでいてせつなくなるような純粋な少年で、私には最も強く印象に残った登場人物でした。モデルの方はいるのでしょうか?

それにしても、大江氏の50代以降の作品に登場する人物設定は、ご本人の年齢によるのか?義兄伊丹十三氏の死の影響なのか?・・・死する主人公や、近親の者の死に直面する主人公を登場させる小説が多くなっていったように思います。大江氏ご本人の死生観というか、死に対する葛藤や模索が顕著になっているように感じます。
そういった意味では、私としては、昭和58・59年頃にNHKで放送された中沢新一氏との対談を想い出して懐かしい気持ちになりました。私の記憶では、中沢氏は宗教学者らしく死に対して非常に達観した意見を持っていたように思い、それに対し大江氏は何か割り切れない内容のコメントをされていたことが印象に残っています。

ところで、最近、いとうくにお様にお勧めいただいた『静かな生活』を購入しました。
それから、初版のときに購入しずっと積ん読していた『燃えあがる緑の木』も読み始めています。
読了後、また、感想をコメントさせてください。

では、また。
2020/07/09, いとうくにお
tama-dbさん、はじめまして。大江さんの小説は、題名からして面白いですよね。『洪水は我が魂に及び』とか『見る前に翔べ』とか、キャッチーなのが多い気がします。「死者の奢り」という題名も、題名からして惹きつけるものがあります。「奢り」のことですが、「奢り」ってぶっちゃけた言い方をすれば、実際はそうでもないのに偉そうにしている、みたいな感じですよね。死者は物体としてただそこにあるだけなのに、それを奢っているように感じるのは、生きている側の勝手な思い込みですが、でもそういうことはありそうですね。なぜ生きている側が勝手に死者に対してそんなふうに感じたのか、ということを考えてみると、なんとなく作者の意図も見えてくるような気がしないでもないです。中途半端ですが、僕としてはそんな印象を持ちました。
2020/07/08, tama-db
初めまして。大江ファンです。掲示板の利用自体が初めてです。今、大江先生の短編集を読んでいます。死者の奢りを読み終え、考え込んでいる最中。「奢り」という言葉に大江先生は何を表したかったのか。皆さまの思うところを伺いたく。今後とも宜しく。
2020/06/30, いとうくにお
トムさん、こんにちは。掲示板への掲載が遅れてすみません。
大江ブームがさらに盛り上がっているようで、素晴らしいです。トリックスター的存在として、まり恵さんに伊丹十三を重ねる見方は新鮮ですね。小説の『静かな生活』は、大江家のお嬢さんを思わせる女性の視点で描かれていて、大江作品のなかでも独特の存在ですが、個人的にはけっこう好きな本です。機会がありましたら、ぜひお読みいただければと思います。
伊丹十三といえば、話はそれるのですが、『女帝 小池百合子』を書いた石井妙子氏による『原節子』のなかに、十三の父、伊丹万作のことが少し出てきていました。それが若干、マイナスイメージのエピソードで登場するので、伊丹十三ファンとしては少し複雑な気持ちなのではありますが。余談になりました。
2020/06/28, トム(Tom5k〉
いとうくにおさま、みなさん、こんばんは。

『美しいアナベル・リイ』(新潮文庫)と『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』(新潮文庫)に引き続き、『人生の親戚』(新潮文庫)を読み、映画『静かなる生活』を久しぶりに鑑賞しましたのでコメントさせていただきます。

『人生の親戚』は、平成6年(1994年)頃に購入したもので、26年もの間、積ん読していた本でした。
想えば、学生時代、私は大江氏の初期の小説が好きで、よく読んでいたものの、『ピンチランナー調書』を読み切れずに途中投げ出し、その後『新しい人よ眼ざめよ』は読了したのですが、私としては消化不良の読書となってしまい、大江氏の小説で素直に感動できたものとしては、『万延元年のフットボール』、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』までが境界線になっており、その後は氏の随想・評論、そして初期の小説の再読などに限った読書となって現在に至っていたところでした。
ですので、最近になって再び大江氏の小説をマイブームに出来ていることがうれしくてなりません。

『人生の親戚』は、随分と悲しい内容であったと感じました。そして、後半部のmachoミツオと農場の男たちとの「和解」に到るプロセスに、主人公まり恵さんが媒介者であることの意味を、なかなか理解するまでに至っておらず・・・いつも大江氏の書籍から与えられる癒しの感覚を持てませんでした。今後の課題として私の中に残ることになりそうです。

『人生の親戚』を読んでいて、私が強く想像力を掻き立てられたのは、大江氏の義兄、伊丹十三氏のことでした。伊丹氏は、奥様の宮本信子氏ともご円満のようでしたし、ご子息お二人も、それぞれの場で様々にご活躍されているようですし、そもそも伊丹氏は男性ですから、私の勝手な想像でしかないのですが、読書中ずっと主人公まり恵さんと伊丹十三氏とが重なってしまいました。

あくまで、私としての印象なのですが、伊丹氏は聖人めいた個性をお持ちだったような気がしますし、性にたいしても奔放なものがあったような印象です。そして、一本気で人気者、信奉者も多いがトラブルも起こし得るような?・・・本当に何も知らず勝手に想像しているだけなのですが、まり恵さんとの共通のキャラクターをたくさん感じながらの読書だったのです。
特に、まり恵さんの最期のピースサインに、伊丹氏が暴力団に大怪我を負わされて病院に搬送された際にピースサインで答えた(1992年ですから『人生の親戚』の3年後)ことが重なり、たいへん驚いたのです。

そんなことから、『静かな生活』を久しぶりに観てみました。なお、この映画の原作はいまだ未読です。
少々プライヴェート・フィルムであるような印象ではありましたが、伊丹氏は本当にあたたかく大江一家を理解されていることがわかるとともに、今現在の世の中の状況、特に、障がい者の差別解消や女性活躍の推進、セクシャル・ハラスメントなどの社会状況を先取りしたテーマが浮かび上がってくる内容で、先鋭的なホームドラマだったという感想を持ちました。大江氏の『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち「泳ぐ男−水の中の雨の木」』の挿話も印象深く、ホームドラマに性犯罪の問題をテーマにした小説を映像化したことは、義弟、大江氏に対する深い理解と、また伊丹氏の信条にもそれと共通のものがあったからではないか?と思いました。

ともあれ、読書の充実を満喫する私の中での大江健三郎ブームは、まだ、しばらく続きそうです。 では、また。
2020/06/22, いとうくにお
みやじま紅葉さん、こんにちは。『ニッポン放浪記』は面白いですね。安部公房とのエピソードなども興味深かったです。このジョン・ネイスン氏自身も、映画を作ったりもしてて、型にはまらない人のようですね。
2020/06/22, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 ようやく、他県への移動も解除されました・
 どのようにお過ごしでしたか。私は、地元の古本屋に行くだけでした。
  ジョン・ネイスン氏は、先ごろ、大江健三郎氏に関するエピソード(『ニッポン放浪記』)を出していました。また、彼は、伝記が興味があるようで、『ソニードリーム・キッズの伝説』(2000年、文藝春秋)を以前に出版していました。ここには、彼の手法(知られざる個人史をインタビューで明らかにする)が示されていました。
  なるほど・・・、あらためて、大江健三郎氏との付き合いがどのようになされたのか興味ある課題として浮かんできました。

  この時代をどのように過ごしていくのか、大江健三郎氏の復活が待たれます。
2020/06/18, いとうくにお
鈴木さん、ご投稿ありがとうございます。散文詩の雰囲気ですね。末尾のセンテンスから、もう小説を書かなくなった大江さんがいまフラットで穏やかな心境で過ごされていたらいいなと、想像を誘われました。
2020/06/17, 鈴木雄介
どこにも出口がないとなれば、
歌を歌っても、同じである。
私が、歩んでいるのは、一本の道。
枝葉もあれば、虫もつく。
大江に、どうやっても、それはできないという小説があって、
そんなに読んだ記憶もないが、
頼みにするしかないのか?
それだけ、キリストが信頼のおけない、神様であるということか。
大江の、書き方を学んだことを覚えている。

何度もリライトしているらしいが、それもできない。
大江は、読みにくさを言われるけれど、順序を入れ替えて、
ストーリーを形作っているということ。
それは、一つの作品として、見た場合、ある知恵ではないか?
作者自身が鬱ならば、病気という言葉によって、
感じられるものがあるだろうし、心が、フラットな状態を保つのは、きっと、作品作りをしない時だけだろう。
2020/06/14, いとうくにお
トムさん、お久しぶりです。9年ぶりのご投稿なんですね! ありがとうございます。(9年前は『自分の木の下で』のご感想でしたね。)
戦前・戦中に日本に浸透していた思想・主義は、そのまま家庭内においては父性に付随する父権主義にまっすぐつながっているものだったでしょうから、戦後の新しい価値観への転換を生きる者としては、父性と新たに捉え直すことは避けて通れないことかもしれませんね。その模索は、個々人の課題であると同時に、日本社会全体としてもいまだ続いているもののような気もします。
変態性のことは、どうなのでしょうね。実践面ではごく平凡なのだが、自分のなかにあるかすかな要素をすくい上げて、想像の力で作品に拡大して投影する、というような感じかなとも思いますが、本当のところはわかりませんね。そういう想像を楽しむのも、広い意味では小説の楽しみかもしれませんね!
2020/06/14, トム
いとうくにおさま、みなさん、こんばんは。
2011/2/27以来の投稿になります。

最近、『美しいアナベル・リイ』(新潮文庫)を読み、本日『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』を読了しました。
大江氏の「小説」は、学生時代(昭和50年代後半)から読みそびれていた『遅れてきた青年』を9年前に初読して以来、2年前に『死者の奢り・飼育』(新潮文庫)を30年以上ぶりに再読したほか、ここ10年間、再読も含めて1・2年に1冊程度、ゆっくり「評論・随筆」を読んできました。
ですから、大江氏の「小説」を短期間に2冊続けて読んだのは学生時代(昭和50年代後半)以来35年ぶりでした。

私は日常的に大江氏の詳細な情報は身近なものでなく、未読の書籍も多く、ファンとまでは言えないかもしれませんが、今回読了した2冊にはとても強い刺激を受けました。
私は以前から、大江氏の小説での「恢復」のテーマには、父性の捉え方が強く表現されているように思っていました。大江氏は父性の在り方において、お若い頃から、そして光氏を育てるようになってからも一貫して模索を続けてこられたように感じます。

また、『遅れてきた青年』での登場人物、TVプロデューサーの田中館と『美しいアナベル・リイ』の木守有が同じ人物のように感じました。そして、『遅れてきた青年』の主人公(つまり作者ご自身)は、『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち「泳ぐ男−水の中の雨の木」』の玉利君に共通のモデルとして投影されているようにも感じました。つまり、「泳ぐ男−水の中の雨の木」での主人公二人は同一人物であり過去と現在(作品発表時)のご自身ではないかと・・・。
恐らく、青年時代から父親になられて、また、戦時中から安保闘争、高度成長、バブル期にかけてのご経験による日本国家の捉え方を踏まえた、「少年(青年)」と「大人の男性」との関係において、ご自身の変遷も含めて一貫した向き合い方をされていると、私なりに理解できたような気がしました。
それは、文学ではあっても、氏と光さんとの関係のみでなく更に社会的、世代的な課題になり得ると考えています。

それにしても、大江氏は、小説での「性」の表現から率直に思うのですが、氏の想像力が豊富であることを差し引いても、若干、変態性がお在りになるのではないかと思います(笑)。しかし、それも前衛文学として、文学から社会への糾弾として、大切な要素かもしれませんし、その先鋭的な闘い方は、(うまく言えないのですが)私としても非常に魅力的に感じるものです。 そして、大江氏の女性観にも興味が喚起されました。

久しぶりの大江氏の小説への感動が、私として20代のころと変わっていなかったことも多く、何だかうれしくて、こちらにコメントさせていただきました。
10代後半の頃、大江氏に初めて出会った小説は『われらの時代』でしたが、38年ぶりに再読したい気持ちになっています。
では、また。
2020/05/22, いとうくにお
みやじま紅葉さん、こんにちは。
こうして大江さんの文章の載った新刊が出るのは嬉しいですね。
このいまの世相を大江さんがどう見ているのか、大江さんがなにか書いてくれたらと思ったりもしますが。
2020/05/20, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様

 先週土曜日、当地では、複合施設が開店。
早速、くだんの一冊を購入しました。
@ 『「井上ひさし」を読む』集英社新書1014F 2020年3月22日第1刷
小森陽一、成田龍一による企画のようです。途中で中断したようです。

「はじめに」を読むと、井上ひさしの仕事の全体を確認するための座談会であった。
大江健三郎氏の座談会は、第2章。89〜142ページ。2011年に行われている。

A 雑誌「群像」6月号
尾崎真理子「ギー兄さんとは誰かー大江健三郎と柳田国男B」 短期集中完結
ギー兄さんの存在が伝わってきます。

余談ですが、私の友人に「ギーちゃん」がいたので、いつも思い出します。

このようにして、まだ自粛中ですが、当方には、6月中旬から自粛がとけます。いやはや長かったです。油断は禁物ですが・・・
2020/05/09, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様

 連休明けを境にして、なぜか気分的に楽になったような(世の中のひとたちをふくめて)気がいたします。
 いのうえひさし氏は、大江健三郎氏にとってかけがえのない友であったように思います。「同時代ゲーム」を皆が攻撃したなかで、いのうえ氏はユーモアあふれる評価を与えています。もちろん、私自身、「同時代ゲーム」は大江健三郎氏の最高傑作のひとつと。
 いのうえ氏との対談はいくつか行われています。たとえば、
@ 「ユートピア探し物語探し」岩波書店 井上・大江・筒井
A 「大江健三郎・再発見」大江健三郎・すばる編集部 編
 などです。

 いとうくにお様が取り上げられた、書籍、当地の書店が開いたら、入手予定です。
2020/05/06, いとうくにお
みやじま紅葉さん、こんにちは。
いまは多くの方が、家のなかの整理をしつつ、出てきた蔵書やCD(レコード)、写真などをきっかけに過去を振り返る作業をしてらっしゃるようですね。
ところで、書店で、大江さんも関わっている『「井上ひさし」を読む』(集英社新書)という新刊を買いました。みやじま紅葉さんもお手にとられたでしょうか。対談、鼎談などの形で、関わりの深かった方々が井上文学を語ったものを収録した本で、井上ひさし没後10年というタイミングに合わせての刊行のようです。大江さんは、2011年10月17日に、小森陽一氏、成田龍一氏とともに、井上ひさしの「夢三部作」(「夢の裂け目」、「夢の泪(なみだ)」、「夢の痂(かさぶた)」)について語っています。
2020/05/06, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 5月の連休も終わります。自粛はもう少し辛抱です。
  書斎の整理をしていますと、いとう様が言われるようにまたとない機会ですので、いくつかのことがわかりました。
@ 意外と、大江健三郎氏の、サインがはいった単行本が、文庫本(3点サインあり)をのぞくと、8割ぐらい、ありました。
A 大江氏の、文学全集に収録された巻が、かなりの数ありました。
B 全著作をふくめて、文芸誌に掲載されたものがほぼあります。
C 問題は、PR誌です。こちらもありそうですが、結構所有しています。
D 大江健三郎論、を中心とする著作。こちらもほとんどあります。

この時期、当地では、新刊本を取り扱う書店が閉店となり、当初、入手(無料)していたものが 閉店に伴い、他の支店に移行するにあたり、有料になりますので、PR誌は思い切って講読中止に いたしました。
 「図書」3月号(2020年)では、司修氏(1936年生まれ)が、表紙の巻頭で、大江氏のエッセイから 人間の苦しみが伝わってきます。
と引用。

まだまだ続きます。
2020/05/01, いとうくにお
 みやじま紅葉さん、いつもご投稿ありがとうございます。
 文学に親しむには、ある意味、うってつけの状況ですね。
2020/05/01, みやじま紅葉
 いとうくにお様
 皆様
 どうやら、5月も自粛となりそうです。家ごもりの日々が続いています。
 書斎からあふれた本を整理しています。
@ 群像新人賞受賞『文学の輪郭』中島梓1978年
 巻末には、三田誠広との対談
収録された評論「文学の時代」では、大江健三郎の「洪水は我が魂に及び」までを「個人的な」あるいは 「私小説」の観点から論じています。内容を読むと、難解な記述があって(このころ流行していました)、 この視点から、島尾敏雄、西村寿行、壇一雄をとりあげて、エンターテイメントの世界から、大江健三郎の小説を論じるには、ある種のズレが感じられます。つまり、論じるのは、この頃でも、論じきれないものがあったように思われます。
今月号の雑誌では、「古井由吉」の特集があります。大江氏の登場はありませんでした。

もうしばらく、皆様、がんばっていきましょう。
2020/03/19, みやじま紅葉
いとうくにお様

  2020年分の掲載につき、ありがとうございます。
  本日、3月19日までの、北海道の非常事態が解除されました。
このところ、全小説は完結しましたが、研究者による様々な評論が 頻出しています。その一つが以下の著書です。
@ 山本昭宏『大江健三郎とその時代』2019年9月10日初版第一刷発行
帯付き 人文書院 定価 本体3500円+税
著者は36歳です。大江健三郎氏より50歳若い。
 ・重要な文献がほぼ示されている(本文の終りごとに)
 ・巻末には参考文献
 ・大江氏の評論を読んだ上(これは記述されていない)での(もちろん小説が取り上げられているが)、評論のようです
 ・小説の持つ意味合いはあまり記述されない(その点では従来の評論とは   ことなる)、従って、文学上の評価についての書き方は弱い(読者としてそう感じる)

  「戦後史」の観点から見た、新たな大江健三郎論としてみれば、彼は最初の達成者であろう。
2020/03/09, いとうくにお
みやじま紅葉さん、こんにちは。
最近、メールも頻繁には見ない生活になってしまいご投稿に気づくのが遅くなってしまいました。すみませんでした。
尾崎真理子さんの「群像」の連載、面白そうですね。
いつも情報をいろいろとありがとうございます。
2020/03/09, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 相変わらず、テレワーク中です。その間も、大江健三郎氏の文献を整理しています。

  本日〈9日〉には、プロ野球、Jリーグなどが開幕延期。

@ 3月6日発行の雑誌「群像」4月号
 尾崎真理子氏の「ギー兄さんとは誰か 大江健三郎と柳田国男」
 短期集中連載

ということで、その展開が期待されます。
2020/03/05, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 如何お過ごしでしょうか。
 テレワークになっていますので、書棚の整理をしています。
@ 大江健三郎全小説、完結のため、読むのが大変です。

そのほかに、三田誠広氏の『実存と構造』集英社新書(2011年)を開きました。
なかに、「第4章実存から構造へ 大江健三郎の場合」117〜146ページ。
『性的人間』に記述が中心。そして、『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』へ。それから、ブレイクに話がすすむ。

とりあえず、ここまで。

皆さん、元気でしょうか。古井由吉氏もお亡くなりになって、すこし淋しいですね。
大江氏との対談が二人のメモリアルになっています。
2020/02/20, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 先の完結した全集が手元にあります。完結したしたためか、多くの評論などが書かれています。取り残した雑誌もありますが、おいおい追加予定。
@ 雑誌「群像」10月号、11月号(2019年)
「大江健三郎の<現代性>」I(安藤礼二、宇野重規、尾崎真理子)
II(工藤庸子、高原到、成田龍一)
  A 雑誌「群像」「大江健三郎と「晩年の仕事」」工藤庸子 2020年2月号
B 雑誌「群像」「小説家・大江健三郎」糸圭 秀美 2020年3月号
C NHK NEWS WEB(2019.10.1)
 「なぜ大江健三郎さんが選ばれたの?」(チコちゃん*NHKニュース)
  未見
D 『大江健三郎とその時代』山本昭宏 (人文書院)2019年10月発行か
著者は1984年生まれ。
  未見のため購入予定
まだまだあるかもしれません。とりあえず書き込みました。


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