大江さんは柳さんの実力を認め、将来を期待しながらつづっている。
モデルになった友人を肯定的に描いたとしても、相手を傷つけたのなら、友人の不幸への直視やその乗り越えを表現するにあたって、間違っていたのではないか。私なら完成稿を捨てて、もう一度、書き直す。さらなる文学化、内面化を経れば、友人を苦しませるような細部は必要ではなくなっているのではないか。
この短い文を読んで、自分がなぜ大江氏に惹かれるのか、よく分かった気がします。
あてどなき旅のひと日の
夕ぐれの汽車のまどべに
かの丘はしづかに来り
かの丘は来りぬかづく
−達治
大江健三郎
達治とあるので、三好達治ではないかと思うのですが、ご存じの方、いらっしゃいますか?