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2007/12/25, みやじま紅葉
いとうくにお様
  ばちうこ様
 (1)「古書目録」
  これらはまず神田の古書店に掲示されている、「宣伝ポスター」 の、たとえば、「和洋会」・・・、などの連絡先で、「目録」 を送ってもらうことです。ただし、数に限りがあるので、難しい。何も購入しないと、1年で打ち切られてしまいます。年間300点余りを現在入手しています。
 (2)「古書店」、例えば神田
  まず、ここで大江氏の原稿を入手するのは無理と思われます。

 多くの、ファンが、それも資金に余裕のある方が多いので、経験がものをいうようです。まず「古書市」で「古書店」が入手して、それから「古書店」の目録に掲載されるので、私たちはそれをねらうしかありません。
 出ましたら、ここで、お知らせします。

 一番手ごろな、大江健三郎氏のものとしては、「色紙」があります。いい詩が書かれているので、かざると、こころやすまります。現在では、色紙は、一枚、50万するようです。ノーベル賞受賞前は、2万円ぐらいでしたが。
 私は、10点もっています。
2007/12/24, ぱちうこ
いとうくにお様
みやじま紅葉様
回答有難うございました。参考になりました。古書店とは、神田ですか?目録はどうすれば貰えるんでしょうか?何時も質問ばかりですいません。
これからも色々質問や情報をお教え下さい。
2007/12/24, みやじま紅葉
いとうくにお様
 ばちうこ様
 大江健三郎氏の原稿としては、簡単な書評・評論などの部類が多く、それでも、最近、100万、はしています。
 完全なる、短編・長編などの原稿は、近年はでていないようです。 ある短編の例もあるのですが(挙げてもいいのですが)、これは書きません。
 しいて例をあげると、
(1) 5年まえ(2002年)の、ある古書展では、
  『想像力の枷』400字詰30枚完 65万円
(2) 5年前(平成14年)の、ある古書店目録では
  『海外文学への同時性』15枚美品 30万円
 ということで、近年、さらに価格は上昇しています。
 小説などの原稿が出てきたら、これは想像以上のものでしょうか。
2007/12/24, いとうくにお
ぱちうこさん、はじめまして。ぜひ、これからもご投稿してください。大江ファンなら誰でもいつでも大歓迎です。
大江さんの原稿が古書店に出ることは少ないとは思いますが、初版本ならアマゾン(古書も買えます)で見つかることもあると思いますよ。日本の古本屋などのサイトで探してみるのも手かもしれません。
2007/12/24, ぱちうこ
はじめまして、いとうくにお様 そして皆様
「ぱちうこ」と申します。
私は、33歳の大江氏ファンです。ファンと言いましても25歳ごろから本を読み始めたので皆様にはとうていおよびませんが・・・・・
通勤電車等で大江さんの作品を何度も読み返しています。やさしさや人間はこう生きていけばよい等教えられました。作品の中で「信仰を持たないものの祈り」には、とても共感がもてます。 私の周りには大江さんを読んでいる人がいないので、これからも投稿してもいいでしょうか?
ひとつ質問ですが掲示板に大江さんの原稿が古書店にあると書いてありましたが、どうすれば入手できますか。初版本など集めているのでお願いします。
2007/12/22, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 大江健三郎氏のインタビュー『大江健三郎さんに聞く』が掲載されています (「中国新聞」朝刊、「文化欄」12面、平成19年12月22日(土))。
 「東京新宿区の新潮社にて、「次は男性を中心とした小説を書くと思います」」とあります。
 おそらく、この記事は、全国の地方紙に掲載されているかもしれません。
 また、先ごろ、サイン、落款で、新作は、ヤフーオクで、3万円をこえていました。
2007/12/12, いとうくにお
みやじま紅葉さん、こんにちは。講演の内容に関係する話を、朝日新聞に連載している「定義集」の次回で書いているそうですから、それも参考になりそうです。
サイン会では、名前を書かれるだけでなく読者の方と短い言葉を交わしたりもされてましたから、大サービスといってよいかもしれませんね。
2007/12/12, みやじま紅葉
いとうくにお様
 講演にお出かけとのこと、うらやましいです。
 また、内容も、紹介いただきありがとうございました。
 若々しさの源は、詩の読み方からのものでしょうか。レーターワークがこれからも継続されることを祈念します。
 ところで、ひとり一人、名前のサインを書いていただいたとのこと、 これはとても近年では珍しいです。
2007/12/11, いとうくにお
昨日、紀伊國屋で開催された講演会にいってきました。演題は「詩と小説と生きること」。内容をうまく紹介することは僕には難しいですが、新作『臈たし〜』の「臈たし」という言葉の意味をどう解釈するかという話に始まり、ポーやエリオットなどの詩、そしてその日本語訳、その両方の言葉が響き合うなかでずっと小説を書き、生きてきたというお話でした。そのなかで、京大での深瀬基寛の最終講義の内容が詳しく解説されてもいました。
講演のあとに、新刊のサイン会。100人の予定だったのが、希望者が多かったためか、150人に拡大されたようです。大江さんは一人ずつ相手の名前も書かれたうえでサインをされていました。
こんな紹介ではよく伝わらないと思いますが、とりあえずのご報告。ほかにも参加された方がいらしたら、よかったらレポートお願いします。
なお、大江さんによると、講演内容はいずれ本に収録されるはずなので、話がわかりにくかった方はあらためてそれを読んでほしいということでした。
2007/12/11,  みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 鉄平様
 「新潮」新年号の、大江健三郎氏の、特別原稿、すでに、ここに、いとうくにお様によって記事とされていますので、一読をお願いします。
 また、蓮實重彦氏の、「新作を読む」は、最高の読み手にして最高の評論家によって、大江氏のレーターワークの本質が完璧に読み下されており、私たちへの読み方のメッセージです。
 実にすばらしい評論です。読みましょう。
2007/12/6, 山崎孝
  大江健三郎さんは「沖縄ノート」を書く時に参照にした沖縄タイムス社刊行の「鉄の暴風」、上地一史著「沖縄戦記」には、住民に対して集団自決の軍命を発した隊長名が記してありました。11月9日の大阪地裁で、被告弁護人の尋問に対して大江さんは《この大きな事件は、ひとりの隊長の資質、性格や選択で行なわれたものではなく、軍隊が行なったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった》と答えています。
 このことから言えることは、原告側が事実と違いそれで名誉毀損と考え訴えるのであれば、隊長名を書かず、隊長の資質や性格を糾弾しなかった大江健三郎さんより、隊長名を記した二つの書物の発行元や著者を訴えるのが自然ではないでしょうか。なのに、何故、大江健三郎さんが名誉毀損の標的にされたのでしょうか。
 標的にされた理由として考えられるのは、著書で2001年11月講談社刊行の「鎖国してはならない大江健三郎」の「ここから新しい人は育たない」の章で、自由主義史観の人たちの作った歴史教科書を厳しく批判していることです。
 自由主義史観の人たちは、戦前に、アジアの民衆に対して行なった加害行為を述べることを「自虐史観」と批判し、大東亜戦争は自存自衛の戦争、アジアを解放する戦争いう立場で新しい歴史教科書を作っています。
 裁判の原告を支援する人たちは自由主義史観の立場の人たちで、復古主義的な改憲を主張しています。周知のように大江健三郎さんは、日本の戦争の歴史を教訓にした日本国憲法を守り生かそうとする「九条の会」の発起人のひとりです。
 大江さんのファンの方たちは知っていると思いますが、前記の本の中で、日本の伝統文化を理解し、日本人という個性を持ちながら、広い視野で世界を見る国際性を備えた自己の確立をすることについて語っています。私は洞察力のある素晴らしい言葉だと思います。以下は前記の本からの最後の部分の引用です。
 さて最後に教科書の書き手は次のようなメッセージを発しています。 《何よりも大切なことは、自分をもつことである。自分をしっかりもたないと、外国の文化や歴史を学ぶこともじつはできない。》
 確かに、自分を持つことは大切です。しかもいちばん難しいことだといってすらいいでしょう。私など文学をやってきたこの四十数年を、もっぱらそのためについやしてきた、と思うほどです。そして、その自分を持つための努力の過程に、外国の文化、文明そして歴史を学ぶことが――もとより自国のそれらを学ぶことにあわせて――もっとも有効な手だてとしてあったのです。
 そして、自信を持つということは、自己中心の思い込みによって心を固くしてではなく、柔軟に、多様に、時にはそれこそ自分が打ちのめされる痛苦をあじわいながら学んでゆくことで成立します。過去にも、現実にも、外国にも自国にも、遠い人にも近い人にも学びながら、しだいに自分のものといえる内容を積みかさねていって、やっと達成されることです。
 自信とは、そうした辛い時間をへながら、自分のなかにゆったり潮が満ちてくるようにしてできあがるものです。自信は、他人に対して自分を押し出すための力ではなく、外部からの圧力にも柔らかに持ちこたえることのできる、そのように自分をコントロールしうる能力によっています。
 自信を持った人間は、それを意識する、しないは別にして、一本の木のように直立しています。それが自然に周囲からの敬意をまねくのです。この人間の内面と生き方をおかすのは恥かしい、その思いを他人に引き起すのです。そのような内にむかう充実を自信としてかちえている人を、誇りのある人間というのです。国についても同じです。それはこの歴史教科書のイデオロギーとして全体に底流している、アジアの国々、特に中国と韓国に対してあらためて「鎖国」するようにして、閉じた内側で根拠のない自己の特権化をもくろむ態度とは対極にあります。私たちは世界に開かれた心性(メンタリティー)をつねに新しく作り出さねばなりません。
 どうにも尊敬できない歴史教科書で学ばされることになるかも知れない中学生と、まだ若いその親御さんたちへの、これが私のメッセージです。(以上)
 戦前の日本は「五族協和」とか「大東亜共栄圏」の建設というスローガンを掲げますが、実質的な政策は日本がアジアの支配権を握ろうとするものでした。このことを指摘して、敗戦後まもない日に日本近代史研究家のハーバート・ノーマンは、憲法研究家の鈴木安蔵に「日本民族は万国に比類なき優秀民族なりとの根拠なき自負心を捨てず、真に謙虚な国際社会の一員たる再出発をなし得ないと思うが、如何」と問うています。
 大江健三郎さんは、自由主義史観の人たちが作った歴史教科書に、ハーバート・ノーマンに指摘された《日本民族は万国に比類なき優秀民族なりとの根拠なき自負心》を感じ取ったのだと思います。
2007/12/4, 田村省二
  昨日(12/3)の日経新聞の「詩歌・教養」コーナー、「究める」の欄に大江さんの新作が紹介されました。タイトルは「新しいスタイルで書く」となっていて、大きな写真とともに新作の魅力について書かれています。
 文学の手紙として届けられた雑誌「新潮」の2007年6月号〜10月号に掲載された「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」と文庫本化されたものとを比較したところ、文庫本のページ単位でみると、修正されていないのは、72頁と116頁の2ページのみでした。大江さんの言葉をみがく作業(作家としての責任感)には、改めて感心させられました。
 修正された内容で面白かったのは、例えば雑誌では木守に関する記述が「たとえば、絹のシャツの衿もとにふっくら見えるのはマフラーじゃなく、垂れさがった喉の皮膚。ところが小ぶりの顔の色艶、すっきりした目許は、それこそ十八、九歳のかれを直接思い出させる。しかしよく見れば、かれがその業界の人間であった映画産業の特殊メークによるものなのだ。」となっていたのが、文庫本では後ろとの平仄を揃えるためもあり、「たとえば、絹のシャツの衿もとにふっくら見えるのはスカーフじゃなく、垂れさがった喉の皮膚。ところが小ぶりの顔の色艶、すっきりした目許は、それこそ十八、九歳のかれを直接思い出させる。しかしよく見れば化粧をほどこしているのだ。」としているところなどでした。
 みやじま紅葉さんの情報にある来年1月号の「新潮」は、楽しみですね。今年の1月号の「詩集『形見の歌』より二編」が新作の呼び水になったような物語の発展の仕方をするのでしょうか?
2007/12/3, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 田村様
 PR誌「波」(12月号)を購読しているので、本日届いています。
 インタビューでは、7つの質問がなされています(P2-5)。 また、雑誌「新潮」1月号の予告では、「特別原稿 大江健三郎」 とされ、さらに、蓮實重彦氏の久々の、大江健三郎氏の「新作を読む」 が掲載されるようです。
 これは楽しみです。
2007/12/3, 虫栗太郎
いとうくにお 様
 久しぶりに書きます。
 掲示板の山崎さんの文に共感します。曾野綾子さんや桜井よし子さんの文を読む機会がないので 、つまり身近に右翼系の雑誌や新聞がないので、伝聞でしか知りませんでしたが、引用された文の 論理の無責任さに驚きました。保守系の論客は想像力というものを否定している場合が多いのですが これもそうですね。
 今、久方ぶりに「沖縄ノート」を読んでいます。若い時期の魂の激しい高まりがこの本を読むことで 蘇ってきます。
 大江氏を批判している人は、おそらくこの本を読んでいないのでしょう。この本を否定する人は、戦 争でなくなった人々の悲惨な運命を「清らか」だと言いたいのだと思います。しかし、あの大量死を清らかだとする意見は世界中の市民から批判を受けるでしょう。
2007/12/3, 山崎孝
大江健三郎さんの朝日新聞記事 定義集「人間をおとしめることについて」で触れた曽野綾子さんの『ある神話の背景――沖縄・渡嘉敷島の集団自決』の論理的矛盾を指摘してみたいと思います。以下は、定義集で紹介された曽野綾子さんの文章です。
 《大江健三郎氏は「沖縄ノート」の中で次のように書いている。
 「慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで……(後略)」
 このような断定は私にはできぬ強いものである。「巨きい罪の巨塊」という最大級の告発の形を使うことは、私には、二つの理由から不可能である。
 第一に、一市民として、私はそれほどの確実さで事実の認定をすることができない。なぜなら私はそこにいあわせなかったからである。
 第二に、人間として、私は、他人の心理、ことに「罪」をそれほどの明確さで証明することができない。なぜなら、私は神ではないからである。》(引用以上)
 曽野綾子さんは集団自決を行なった人たちを
  「むしろ、私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか、私にはそのことが理解できません」と述べています。
 曽野綾子さんは、大江健三郎さんを批判した論拠である集団自決の現場に《私はそこにいあわせなかった》。そして、神ではないから《「罪」をそれほどの明確さで証明することができない》と指摘していながら、集団自決の現場に居らず、神でもないから証明できないという言い分なのにどうして「国に殉じるという美しい心で死んだ人たち」と言えるのでしょうか。
 9・29沖縄県民大集会の決議が、沖縄戦の評価を「一般県民を含む多くの尊い生命を失い、筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた」とあるように、曽野綾子さんの考えを否定しています。
2007/12/1, いとうくにお
田村さん、情報ありがとうございます。「立ち読み」は、これですね!
2007/12/1, 田村省二
 新潮社の文芸雑誌「波」12月号に、特集[大江健三郎『臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』刊行記念]【インタビュー】大江健三郎/「成熟」を引っくり返す大冒険 が掲載されました。今なら新潮社のウェッブサイトで立ち読みもできます。
2007/11/29, みやじま紅葉
いとうくにお様
 鉄平様の質問にレスポンスをしたいと思います。
 大江健三郎氏は、書き方を変えるということ、これは初期から行われていまして、今回も、それになるかと思います。
 様々な取り組みをする・・・それがレーターワークの一貫かと ・・・、今回は、一気に書く、後から直さないということが 試みられたものと思います。
 そういう意味で、講演会に参加される(た)方の書き込みを願います。
2007/11/25, 鉄平
 こんにちは。
新作を読みました。
一番の感想は、「いっき読みを誘う」ことです。
}これまでに読んだ大江作品の中で、最も速く読み終わりました。(早く読み終えることが良いかどうかは分かりませんが)
時間の扱いが分かりやすく、混乱することがありませんでした。
序章で現在が語られ、第4章まで30年前の出来事が続く。
そしてまた、終章で現在が語られる。
これまでの小説とは違う書き方ですね。
今回は何故このような書き方をしたのでしょうか?
皆様の意見を聞かせて貰えたら嬉しいです。
2007/11/24, みやじま紅葉
いとうくにお様
 寒さも一段と厳しくなりましたが、読書の秋です。
 新作、何度もよみなおし、後期の仕事の始めの合図だ、と認識しています。

田村省二様
 早速、図書館にて見てみます。
 更なる活力を大江健三郎氏が得られていることと思います。
 今月号の、12月号「小説現代」の、坪内祐三氏の「酒中日記」では、 「十月十八日木曜日に大江健三郎先生と神保町の・・・」とあって、 皆様中身を確認してください。
 少しだけ、登場しています。
2007/11/21, 田村省二
  昨日(11/20)の朝日新聞に定義集が掲載されました。タイトルは『【人間をおとしめることについて】「罪の巨塊」に込めた思い』であり、今回の裁判と『沖縄ノート』に関する内容でした。
  『沖縄ノート』を箱から取り出し、改めて読み直しましたが、210頁6行目の「罪の巨塊」は「巨きい数の死体」であり、大江さんが指摘されているように曽野綾子さんは誤読をされていると感じました。
  11月10日の朝日新聞に掲載された、裁判における大江さんへの尋問に対する回答は、「1970年にこの本を出版して現在まで37年がたつが、私は沖縄の問題についてかなり多くの文章を書いたし、新聞にも連載したことがある。大きな新聞で書く以上、責任を持ってやってきた。根本的に誤読があるなら、曽野綾子さんに訂正を求める文書を書こうと思う。50年間、小説家をしてきた。その間、読者に対する責任を持ってきた。純文学の作家とはそういうものです。これからも何十年も考えていこうと思う」となっています。
  これを機会に、『沖縄ノート』がより多くの方に正しく読まれることを期待しますし、大江さんにはこれからも何十年も現役でいてもらいたいと思います。
2007/11/17, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 大江健三郎氏の新作が、店頭にならびました。
 奥付けでは、11月20日発行、となっています。11月22日発売とは、いくつかの栞などに書かれていますが、前者が正しい発行日です。
 雑誌版とは(例えば、第一章をみますと)、いくつか、文章の中の単語(形容詞)がとられているようです。
 何はともあれ、講演参加者がうらやましいです。
2007/11/12, いとういくにお
山崎さん、はじめまして。ご投稿ありがとうございます。今回の訴訟は原告の個人的動機だけでなく、もっと大きい動きが背景としてあるようですね。
2007/11/12, 山崎孝
大江健三郎さんは裁判の陳述書で「元隊長の具体的命令の有無を問題にしているのではない」、軍は「軍官民共生共死」の方針を県民に担わせており、集団自決は「タテの構造」の中で「すでに装置された時限爆弾としての『命令』」で実行された、と述べています。この指摘は、原告らが渡嘉敷や座間味の隊長は、住民の集団自決命令を発した有無にかかわらず、自分たちが隊長として島に存在していた客観的な役割を認識しなければならないということだと思います。
私は1970年9月に発行された「沖縄ノート」が、2005年8月になってから、その記述が名誉毀損だとして訴えられたことを不思議に思ったことを朝日新聞にも投書して掲載されていますが、11月9日の公判で原告の元隊長が「沖縄ノート」を読まずに提訴したことが明らかになりました。また、原告は人に勧められて裁判を起こしたことも明らかになりました。大江健三郎さんを名誉毀損で訴えたことは、大江さんが反対している、憲法を変えるために、旧日本軍を免罪にして軍隊に対する日本人のアレルギーを和らげて、外国でも武力行使を行なう軍隊を持つ流れと結びついたものだと明確に言えると思います。
2007/11/11, いとうくにお
ラッキーさん、こんにちは。裁判のことは各メディアで大きく取り上げられていますね。いずれにしても早く決着がつき、大江さんが創作に注力できる状況になってほしいというのが僕の願いです。
2007/11/10, ラッキー
今日の朝日新聞(11月10日付)に大江さんの『沖縄ノート』出版差し止め訴訟の記事が半面という大きな取り扱いで載っていました。被告人として法廷にでておられる大江さんの姿のスケッチと被告人陳述が掲載されていました。沖縄の人たちの集団自決に日本軍が関与していたという記述をした大江さんと旧日本軍軍人の戦闘隊長の軍の命令はないという主張はまっこうから対立していました。沖縄のひとたちはどう思われているのでしょうか?今年度中に判決がでるそうなのでそれを待ちたいと思います。
2007/11/10, いとうくにお
みやじま紅葉さん、こんにちは。今日、東大で講演があったのですね。演題をご存じの方、いらしたら教えていただけると嬉しいです。
2007/11/10,  みやじま紅葉
いとうくにお様
  皆様
  たびたびすいません。
   本日、11月10日(土)、東大130周年記念で行われた、 大江健三郎氏の講演タイトルをお教え下さい。
2007/11/9,  みやじま紅葉
いとうくにお様
 12月の講演会、出席される方がうらやましいです。
 この度は、ぜひ、サイン本を入手したく、どなたか、11月発売の新作のサイン本をお譲りいただける方が  おられましたら、宜しくお願いします。
  講演会の概要もここで、すこしでも、お書き下さい。
2007/11/3, みやじま紅葉
いとうくにお様
  皆様
   いかがでしょうか、紅葉の季節は・・・。
  当地では、いまだ、紅葉が訪れず、寒さが身にしみます。
    PR誌「波」11月号にて、新刊の刊行を確認しました。
  11月22日発売、楽しみです。後期の仕事の、まさに「白眉」!  です。
   また、九州の朝日新聞夕刊、4版、10月26日(金)の、10面にて、「魯迅賞に大江氏翻訳本」日本関連で初、とありました。
  追加ですが・・・。
2007/10/27, いとうくにお
田村さん、朝日新聞の昨日の夕刊にも出ていました。大江ファンにとって嬉しいニュースですね。
2007/10/27, 田村省二
  昨日(10/26)の日本経済新聞の中に、中国作家協会が第4回魯迅文学賞の全国優秀文学翻訳賞に、大江さんの「さようなら、私の本よ!」を訳した「別了 我的書」(許金竜氏訳)を選んだという記事が掲載されていました。この賞は、中国文学界で最も権威があるとのことです。大江文学が、中国にも浸透しつつあり喜ばしい限りです。大江さんのコメントを早く聞いてみたいですね。
2007/10/24, 田村省二
  朝日新聞の定義集は、今月は16日に掲載されました。以前、4週目の火曜日と書きましたが、第3火曜日の間違いでした。(朝日新聞社に確認済み)
 タイトルは、『【書くという「生き方の習慣」】自力での乗り越えを導く』で、フラナリー・オコナーの書簡集“The Habit of Being”(翻訳本は『存在することの習慣』(横山貞子訳、筑摩書房))を軸に書かれています。  終わりの文章が今回大江さんが一番伝えたい言葉だと思いますので、そのまま写します。
 オコナーの信仰からの連想ですが、先月の沖縄の大集会で問いかける高校生の映像を見て、日本のカトリックの女性作家が渡嘉敷島の戦跡碑に刻ませた文章を思いました。島の教育委員会の発行している本から引用します。
  《三月二七日、豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、恩納河原ほか数か所に集結したが、翌二八日敵の手に掛るよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家は或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった。この日の前後に三九四人の島民の命が失われた。》(六年生の社会科郷土資料)
  追いつめたのは米軍だけか?母親も幼児も自分で死を選んだのか?愛という言葉はこのような言葉か?
  問いかけは続くでしょう。
2007/10/7, いとうくにお
みやじま紅葉さん、いつも情報ありがとうございます。
文庫になって、また新しい若い読者が増えるといいな。
2007/10/7,  みやじま紅葉
いとうくにお様
  皆様
  朝日文庫から、『「新しい人」の方へ』が発売されました。
   2007年10月30日第1刷発行 定価600円(本体)+税
  文庫への書き下ろし「『子供のための大きい本』を思いながら」が巻末にあります。
   先の長編小説とさらなる新たな構想が述べられています。
2007/9/30,  みやじま紅葉
いとうくにお様
 オフ会レポート拝読しました。ありがとうございます。
 
 田村省二様
  講演会のこと、ありがとうございます。今年も、講演会が多いですね。これは雑誌に掲載される予感がします。

 皆様
  PR誌「波」10月号によりますと、早くも、11月には新潮連載の長編が、発売されます。
 待たれます。
2007/9/27, 田村省二
 10月27日に静岡市市民文化会館中ホールで開催される『はればれメンタルへルスフェア’07 支えあうこころと命』において、大江さんが『「壊すこと」と「恢復する・恢復させること」』というタイトルの講演をされます。
 興味のある方は、以下のアドレスをご覧になってください。
 http://www.city.shizuoka.jp/deps/kokoro/harebare
2007/9/21, みやじま紅葉
田村省二様
  早速、ありがとうございます。
 朝日新聞の記事『定義集』の内容について、ここでの紹介がとぎれたので、何か身辺変化・・・、と思いました。瀬戸内海の小魚、堪能してください。

  掲載は、少しずれたのですね。
  私は、いつも、月ごとの合冊で確認して入手するので、
 月ごとにしか確認できません。カラーとは知りませんでした。

  今度の連載、とにかく、若々しくこんなにもスピード感のある文体や音楽の登場(それも確認してからのこと!)・・・、もう一度読み直しています。
2007/9/20, 田村省二
みやじま紅葉様

 朝日新聞の定義集は、よく見ると毎月第4週の火曜日に掲載されているのが分かります。
 8月は21日、9月は18日で、それぞれのタイトルは、以下のようでした。
 【「大きな人」と共生して来た】「戦後少年」らの言葉の力、
 【しっかり憶(おぼ)えていましょう】自立し闘う力を養う気育

 8月異動で岡山に引越しましたが、朝日新聞等の全国紙は全日版で、定義集も白黒になりました。ちょっとがっかりしています。
2007/8/19, みやじま紅葉
いとうくにお様
 田村省二様
 皆様
 田村様が書かれたように、異例の書き方による連載が終了しました。一安心です。
 @「新刊展望」10月号 「読書日記」
   今度の芥川賞作家諏訪哲史氏による、最大級の絶賛
   「政治青年死す」評が書かれています。一読下さい。
 A朝日新聞での月一の大江氏の連載「定義集」6月、7月
   いつも、田村さんが書かれていたので・・・、図書館で読みました。
  1)6月19日「小説家が大学で学びえたこと」
    子供のための「できれば大きい本」について記述
  2)7月17日「人生で出会うすべての言葉」
    今度の小説の「ひとつの音楽」や二人のお孫さんのこと

   できれば、田村さん、8月、9月、宜しくお願いします
2007/9/17, いとうくにお
田村さん、連載のまとめをありがとうございます。最終回を迎えたということで、今度は単行本化が待ち遠しいですね。
大江さんとは九条の会をともに立ち上げたお仲間である小田実さん、大江さんの盟友サイードの映画を撮った佐藤真監督と、大江さんに近い方たちの訃報が続いていますね。とても寂しいです。いま読んでいる『読む人』に「エドワード・サイードOUT OF PLACE」完成記念上映会の際の大江さんの講演が収録されていますが、大江さんがこの映画を繰り返し見たこと、映画を高く評価していることなどが述べられていますね。佐藤監督の訃報は大江さんも悲しい思いで受け止めたのではないでしょうか。
2007/9/17, 田村省二
 雑誌『新潮』に作家生活50周年記念小説として2007年6月号より短期集中掲載された、「臈(らふ)たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」が、2007年10月号で最終回を迎えました。
 以下に、目次を整理しておきます。
序 章  「なんだ君はこんなところにいるのか」
第一章  「ミヒャエル・コールハース計画」
第二章  芝居興行で御霊(ごりょう)を鎮める
第三章  You can see my tummy.
第四章  「アナベル・リイ映画」無削除版
終 章  月照るなべ/臈たしアナベル・リイ夢路に入り、
      星ひかるなべ/臈たしアナベル・リイが明眸俤(めいぼうもかげ)にたつ

 小田実さんが7月30日に胃がんのため亡くなられたことに続き、映画「エドワード・サイードOUT OF PLACE」を監督された佐藤真さんが9月4日に飛び降り自殺されました。誠に残念です。
2007/9/4, みやじま紅葉
いとうくにお様
 ジョン様
 おそらく、言われておられますように、小説にはないように思われます。
 大江氏は、エッセイなどには、「両性具有」については言及されています。
 大江氏にとっては、いつか、書かなければならなかったテーマですので、ノーベル賞さなかの小説として、読者には、あつい思いの登場人物でした。
2007/9/3, いとうくにお
ジョンさん、はじめまして。僕の知る限りでも、サッチャンは『燃え上がる緑の木』三部作だけの登場人物だったように思います。ただ、引用のような形で間接的に登場するケースもしかしたらあるかも…。まあ、記憶にはないのですが。
他の方のご意見もうかがってみたいですね。
2007/9/3, ジョン
 私は韓国からの留学生で、現在大学院のほうで日本の文学を勉強させております。
 さっそくですが、最近、『燃えあがる緑の木』三部作の語り手である<サッチャン>に興味がありますが、以下の三点について、ご存知の方がいらっしゃればぜひ教えていただきたいんです。

 (1)大江さんの他の作品にも<サッチャン>という名前の登場人物がでるのか
 (2)大江さんの他の作品にも両性具有のキャラクターがあるのか
 (3)他の日本の作家の作品にも両性具有のキャラクターがあるのか

 以上の三点ですが、私が読んで覚えているかぎりは、大江さんの作品では<サッチャン>が見つけられなかったんですが、みなさんにご助言をお願いいたします。
2007/8/12, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 ふるさとへの旅の途中の方もおられると思います。

(1) 8月新刊、講談社文庫で『キルプの軍団』が登場しました。
先の『M/T・・・』に続いてのことで、この時期の最良の小説が手軽に読めるようになり、若い読者には、すこし難解ながら大江ワールドがある意味、別世界のようで、楽しめると思います。
(2) 雑誌「新潮」、来月号で完結となりました。5回完結です。
(3) 雑誌「本の雑誌」9月号、続いて、大江氏のことをとりあげています。ある意味では、珍しい現象です。
(4) 雑誌「すばる」には、『読む人間』の書評が掲載されています。

 何はともあれ、この夏の読書の楽しみです。
2007/7/23, いとうくにお
田村さん、みやじま紅葉さん、いつも情報ありがとうございます。大江さん、精力的に活動されていますね。
2007/7/23,  みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
  夏本番ということでいろいろなことがあって、ご無沙汰していました。
 大江健三郎氏は、作家生活50年ということで、しめくくりの仕事が重なっています。
  いま、一番、一層刺激的な、連載小説、疾走しています。やはり、新たな『万延元年のフットボール』です。最後の仕掛けは何かとても気になります。

@ 雑誌「すばる」8月号
  東大で行われた(5月18日)講演が掲載されています
  タイトルは「知識人となるために」p24〜42、です。
   どうやら、京都での講演は掲載されないようです。
A 「週刊 読書人」2007、7.13
  一面には、「大江健三郎と戦後日本文学」のタイトルで、先の『大江健三郎 作家自身を語る』発売を機に、掲載されています(文芸評論家による)
B 雑誌「本の雑誌」8月号
  この雑誌には、珍しく、「三角窓口」に、大江健三郎賞とその長嶋有さんについて  投稿されています。かなりの、大江ファンの方のようです。p103

 ということで、何かの機会に目を通されることを希望します。
2007/7/17, 田村省二
 本日(7/17)の朝日新聞に『定義集』が掲載されました。先月は、6月19日で毎月日付が前後しますから、うっかりすると見落とします。注意力をはたらかせる必要があります。
 7/13のタカコ様の投稿を読ませていただき、私と同じ行動をする方がいらっしゃるものだと嬉しくなりました。私もDVDをみつつ、「大江健三郎 作家自身を語る」を読みました。
 台風4号のために、7月15日にジュンク堂本店であったミニトーク&サイン会には行けませんでしたが、電話で店の方にお願いし『読む人間 大江健三郎 読書講義』の日付入りサイン本を購入できました。
 『「話して考える」と「書いて考える」(集英社文庫)』が6月30日に出版され、「講演集を文庫版にするに当たっての、しめくくり エラボレーション後記」が新たに加わりました。また、「青春と読書(集英社)」の巻頭エッセイ「どんな人か、というしるし」も魅力的です。
2007/7/13, いとうくにお
タカコさん、新潮の書評のご紹介ありがとうございます。買ったものの積んだままになっているこの本を読むのが、ますます楽しみになってきました。
2007/7/13, タカコ
新潮8月号に野崎歓氏による「大江健三郎 作家自身を語る」の書評が掲載されています。この中で今回の聞き手の尾崎真理子さんに言及しています。

実際、ここで尾崎真理子氏が果たした以上に、聞き手としての役割をみごとに果たすことは不可能だろう。長年にわたる大江文学への親炙にもとづく、作家の言葉への的確な応答に、すがすがしいまでの敬愛があふれている。選び抜かれた引用の数々がそのまま、大江文学の最上のアンソロジーを構成しているのにはつくづく感心させられた。  新潮8月号227ページ

本を読み、5枚組DVDを見ましたが本当に野崎氏のおっしゃる通りだと感じます。15年くらい前に、NHKで立花隆氏が大江さんにインタビューされた番組もすばらしかったけれど、今回のインタビューはひかえめでいながら、しっかりとご自分がある尾崎さんが適任であったと思います。大江さんのおっしゃる「自立した人間」を感じます。大江さんと尾崎さんに感謝。大江ファンにとって最上のプレゼントです。

それにしても今回の「揩スしアナベルリー・・」には一瞬絶句しました。ますます目が離せません。
2007/7/4,  みやじま紅葉
片岡真貴様
 図書館には寄贈しても、それを長く保管することはないようです。誰の作品でも・・・。その理由は・・・、定期的にそれらを廃棄・ただで図書館が市民に提供・処分するからです。
 そのため、良心的な(?)図書館員は断るようです。
 やはり、自分にとって必要なものを最低限保持していかれることをお勧めします。
 M/M様がかかれておられますように、これから大江氏の本を必要とされるかたにお譲りされた方がいいように思いますが、皆様、いかがでしょうか。
 書く云う私も、ある作家のものをふくめて、移動の際にしかるべきところに処分しましたが、やはり、しばらくしていくと跡形もなく消えていました。
 近頃来た、古書目録などをみますと、
 @『世界の若者たち』帯付き・初版
 A各種、サイン本
   いずれも、数万円でした。
 B原稿(10枚程度)・色紙
   これらは50〜100万にもなっています
 最近では、大江健三郎氏は、新刊の際に、書店でのサイン会は限定であるものの謹呈・献呈署名本は全くありませんので・・・、有名な方への署名本が市場にながれているのを目撃されたのか・・・、この10数年は、特定の方への署名はなく、署名とゴム印鑑(手製)のものになっています。
2007/7/4, M/M
片岡様、こんにちは。

遅れてきた読者としては聞き捨てならない話題と思います。
今となっては町の書店で購入できないものが
大江さんの作品にはあるので、
私はもっぱら図書館を利用していますが、
(読んだ後古本屋さんで見つけて買う事も結構ありますが・・・)
やっぱり読み終わると自分の本にしたいと思うし、
疑問に思ったところ、感動したところにラインを引きたい!

もし、古本屋さん行きになる本があるようでしたら、
是非譲っていただきたい!!!!
と思うのは私だけではないと思うのですが・・・
2007/7/4, 片岡真貴
みやじま紅葉様
「孤独な青年の休暇」、単行本で残っています。好きな初期作品群の一つなのですが
・・・。
2007/7/4, 片岡真貴
イオ様
 学校、図書館等への寄贈も検討しましたが、多くの所は寄贈等の本が多いとのことで断られてしまいました。
 似たようなことが使用済みの机椅子、古着等をNPO、NGOを通じて難民キャンプに送ろうとしたときも起きました。
2007/7/3,  みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様
片岡真貴様、イオ様
 近頃、『作家の値段』という文学者の古書を古本の値段から考察した本がでています。そこには、大江健三郎氏のものはありません。
 イオ様が書かれているように、現役の作家ですから。
 すこし、古書的な観点からみますと・・・
@ とはいえ、全集未収録作品は古書的価値が高いようです
『われらの時代』、『孤独な青年の休暇』、『夜よゆるやかに歩め』
とくに、最後の作品は、高額ですね。
 もちろん、サイン本は、高騰しています
A 高校時代の、詩を発表した、学園誌、これもほとんど見なくて私は、松山で入手しています
B 大学時代の、「火山」掲載の文芸誌(これは未入手です)
C また、あの、週刊東京大学新聞掲載の、「奇妙な仕事」
D また、当時の、演劇台本など
これらは大江健三郎氏の貴重な文献です。もちろん古書価値は大変なものです。
2007/7/2, イオ
片岡さん。はじめまして、イオと申します。
たしかにこれは悩ましいお話ですね。
本というのは知らないうちに増殖するもので、
私も引っ越すときには、結構処分を繰り返してきました。
最近は、本は買わずに、図書館で借りる、を徹底??しています。
現実的(経済的?)に他に方法もありませんし。

ちょっと思いましたけど、大江さんの場合、
まだ現役バリバリであるというのもあるのではないでしょうか。
みやじまさんの言うように、「骨董」的な価値?は、まだないという。

蔵書の少ない、高校や中学校の図書室、図書館などがあれば、
そこに寄贈するというのもひとつの手ではないでしょうか。
それでは。
2007/7/2, みやじま紅葉
片岡真貴様
 答えは、大江健三郎氏の本は、古本ではないからです。
 また、全集は、どのような作家であっても、大正、昭和に発行されていても、とっていただけません。
 個人的には、自分で楽しみ、また人生の親戚を解決していくものと考えていますので・・・、お手元に、長く置かれることをおすすめします。
 例えば、昭和10年代の、探偵作家の値段は、高騰しています。ある作家では50万円もしますが、これは読むためのものではなく、書棚におさめる備品になっているのです。もちろん売るときは、5万から10万ぐらいにしかなりません。
 手元において楽しむためのものだけです。
2007/7/2, 片岡真貴
 つい最近蔵書をどうしても処分しなければならず、「Boof off]や神田の古書店に当たったのですが、大江健三郎の本は一冊も引き取ってもらうことができませんでした。理由は流通せず、単に在庫になってしまうからだそうです。大江氏自身も色々な場で「売れない(?)純文学者」と書いたり、発言したりしてはいますが、数百冊で一冊も持って行ってもらえないとは思いませんでした。全集も初版本で全て揃っているというのに。
 自分にとってある意味人生の師とも思っていただけに、かなりショックを受けました。
2007/7/1, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 このところ、PR誌には、大江健三郎氏関連の記事がありますので、目が離せません。
@『波』7月号
「編集長から」p122には、
大江氏は、「新潮」連載中の長編小説について、「第一次稿の完成を待たずに連載開始に踏み切った」とあります。
A「図書」7月号(p37)
鶴見俊輔氏の「内面の小劇場」には、今までに知られていない、大江氏の講演時のことやあるエピソードが語られています。

 いずれも注目すべき記事です。

 真美様
 集英社からの文庫には、大江氏の新刊がでています。「講演集」の文庫化は大江氏にとっては珍しいものです。
2007/6/24, 真美
いとうさん、おはようございます。
 
みやじま紅葉さま
お知らせありがとうございます。
 
新刊も続々と出されているのですね。
ドフトエフスキー論気になります。
精力的に活動される姿はかっこいいですね。
2007/6/23, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 PR誌「青春と読書」7月号には、『読む人間』集英社の発売に先がけて、「どんな人か、というしるし」巻頭エッセイが、4ページにわたり掲載されています。
 講義への道すがらのことでしょうか・・・、一読を是非!
2007/6/18, いとうくにお
みやじま紅葉さん、ご投稿いつもありがとうございます。『新しい人よ眼ざめよ』の内容整理、すばらしいですよね。これは読書会常連のHALさんとスヌーピーさんが提供してくださったものなんです。
2007/6/18, みやじま紅葉
いとうくにお様
 『新しい人よ眼ざめよ』の内容整理、ありがとうございます。
 画期的な内容整理でした。
  本当に、時間軸のながれ、よくわかります。この作品は大江健三郎氏のある意味での、「復活」を意味していました。最高傑作『同時代ゲーム』のあとの、もう一度のしきりなおしであったからです。井上さんには、どじだいゲームと、すこし揶揄されましたが・・・、今でも井上氏は、大江氏の最高の理解者と思います。
  
  それにしても、今度の新作、これは、レーターワークの最高傑作でしょう・・・、『万延元年のフットボール』を思わせます。
2007/6/12, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
  集英社文庫から、『「話して考える」と「書いて考える」』(2004年10月、集英社)が文庫化されて6月28日に刊行されます(580円)。
 
 田村省二様
  長編小説、2回目、疾走する文体、わかわかしい文体です。力があふれる文体とそれにふさわしい内容です。
2007/6/7, いとうくにお
田村さん、いつも情報ありがとうございます。「臈(らふ)たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」は本になってから読もうと思って、いまは我慢しているのですが……。
2007/6/7, 田村省二
 本日(6/7)発売の文芸誌(新潮と群像)に、大江さんの小説(「臈(らふ)たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」の第2回目) と先月行われた長嶋有さんとの対談が掲載されました。
 特に、群像を見て驚きましたが、対談を忠実に書き起こしてあり、「(笑)、(場内笑)、(場内爆笑)」などの状況説明も記載されていて、会場の雰囲気が読者によく伝わるようにしてあります。読み返して、英会話学校の宣伝文句「マン・ツー・マンなので・・・」やパタリロの話など、同じところで笑ってしまいました。参加されなかった方で興味のある方は、是非読まれることをおすすめします。
2007/6/7, みやじま紅葉
いとうくにお様
 真美様
  昨年の講演、2回とも、雑誌「すばる」に掲載されましたので(講演から、2ヵ月後には、掲載)、今度も、8月号には、その内容が公開されるのではないか、と思います。
  原則的には、大江健三郎氏の場合、対談は雑誌(たとえば、「世界」)に掲載されても、自身の単行本に収録されることはないので(今回の『大江健三郎 作家自身を語る』は別です)、雑誌掲載が楽しみです。
2007/6/6, 真美
こんにちは。
いとうさん、皆さんお久しぶりです。

六月二日に講演会があったということを今日知りました。
行けなくてとても残念です。
どなたかその時のお話の内容を教えていただけないでせしょうか?
宜しくおねがいします。
2007/6/1, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
  沼野充義氏による、「大江山脈をすがすがしく見晴らせば」が新潮社の、6月号『波』に掲載されています(2ページ)。
  田村省二さん紹介の本の、紹介です。
 手にとって、文章を味わいましょう。
表紙には、伊丹十三氏の、若い頃の写真と文章があります。
2007/5/30, いとうくにお
田村さん、お知らせありがとうございます。なんとDVDまで出るのですね。
2007/5/30, 田村省二
新潮社の「大江健三郎 作家自身を語る」は、本日(5/30)発行されました。発行日も5月30日になっています。この書籍の最後にある「大江健三郎、106の質問に立ち向かう」はなかなか面白いです。
同時に発売されるDVDの記事が、読売新聞社のHPで御覧になれます。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20070529bk04.htm
2007/5/23,  みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
  ご存知のように、6月5日に、『21世紀ドストエフスキーがやってくる』集英社が発売されます。その「新刊のお知らせ」が、集英社のPR誌「青春と読書」6月号に掲載されていますので、詳しく見ると、
  大江健三郎ほか
 と単独の著書のように(他の著者一名をのぞいて不明)かかれており、
  対談、インタビュー、翻訳読み比べ、エッセイ、評論等、三部構成、
  執筆者44名で贈る、面白いドストエフスキー。
 とあります。

 田村省二様
  詳しい、当日の様子、明解に書かれておられますので、わくわくしました。ありがとうございます。
2007/5/20, いとうくにお
田村さん、2つのイベントの詳しいご報告、ありがとうございます。NHKの映像も見ることができ、うれしいです。
2007/5/19, 田村省二
 仕事に余裕ができたので、午後休暇を取り、東京大学創立130周年記念事業『大江健三郎氏講演会「知識人になるために」−世界の普遍的な教養を目指して−』と『第1回大江健三郎賞公開対談』に参加しました。
 安田講堂で開催された講演会では、知識人として、渡辺一夫先生、武満徹さん、エドワード・W・サイードさんの3名が挙げられ、3名を軸に話を展開されました。知識人の定義として、サイードの「知識人とは何か Representations of the Intellectual」(大橋洋一訳)から「政府や企業に容易にまるめこまれたりしない人間になって、みずからの存在意義を、日頃忘れ去られていたり厄介払いされている人びとや問題を表象=代弁(レプリゼント)することにみいだされなければならないのだ。知識人は、こうしたことを普遍性の原則にのっとっておこなう。ここでいう普遍性の原則とは、以下のことをいう。あらゆる人間は、自由や公正に関して世俗権力や国家から適正なるふるまいを要求できる権利を持つこと。そして意図的であれ、不注意であれ、こうしたふるまいの基準が無視されるならば、そのような侵犯行為には断固抗議し、勇気をもって闘わねばならないということである。」を取り上げられていました。また、聴衆に覚えてもらいたい言葉のかけら(断片)として、知識人になるためには引用を正確にしなければいけないことを強調されていました。
 一方、長嶋有さんとの公開対談は、終始リラックスした雰囲気の中で行われ、2時間近い対談があっという間に終わりました。対談結果は、近日中に群像に掲載されると想像しますが、かなりフランクな部分もあり、3分の2ぐらいはカットされるのではないかと思います。
 大江さん自身、1日に2度スケジュールをこなすことははじめてだとおっしゃっていましたが、かなり大変な一日だったと思います。東大での講演会が17時過ぎに終了し、講談社での対談が18時10分からはじまりましたので、本当の梯子でした。
 個人的に、分かってうれしかったこととして、「掾iらふ)たしアナベル・リイ」が“Beautiful Annabel Lee”であること、木守有が長嶋有さんの名と大江さんの友人の姓を組み合わせたものであること、中原中也の「また来ん春……」に、大江光さんが曲をつけた音楽がCD化されること、集英社から6月に「21世紀 ドストエフスキーがやってくる」、7月に「読む人間」が出版されることです。
 なお、みやじま紅葉さまがご覧になったNHKニュースの映像は、現在http://www3.nhk.or.jp/news/2007/05/19/k20070519000007.htmlでご覧になれます。
2007/5/19, いとうくにお
みやじま紅葉さん、お知らせありがとうございます。
長嶋氏も出ていたということは、映像は東大の講演会ではなく、講談社での対談のほうかな。いずれにしろテレビで紹介されたなんて、うれしいですね。
2007/5/19, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
  昨日の講演会(東京大学)が、今朝、7時16分ごろから1分間、NHKTVで放映されました。大江氏と長嶋氏が、ともに、マイクを持って、語っていました。見られましたか?
 
 「大江健三郎賞に長嶋有さん」と画面スーパーに書かれていました。
2007/5/18, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 本日、本屋さんにいきますと、「大江健三郎賞」と、大きな帯で長嶋有さんの小説が刊行されています。
  また、先日、伊丹十三氏の記念館が四国に建てられたとの報道もありました。

  「新潮」の雑誌掲載作品を、先週の旅行中に、3度も繰り返しよみました。
 日夏の詩が出れば、やはり、あの四国の、地下室を思い浮かべます。
2007/5/16, 弥生
納豆ご飯 さま

久々に掲示板を覗くと、なんと素晴らしいニュース。
大江講演会をお教え頂きありがとうございます。
関西在住の私どもには絶好の機会、しかも土曜日!
早速、申し込みます。
「私らはいまに溶け込んでいる未来を生きている」
このテーマだと、多分ベンヤミンの話になるのでしょう。
とっても楽しみです。
2007/5/13, 虫栗太郎
納豆ご飯 様

 講演の紹介ありがとうございます。でも、仕事で僕は行けません。
残念でなりません。
 また、情報がありましたら、この掲示板で教えてくださいね。
2007/5/13, いとうくにお
田村さん、その「ファンクラブ」に関するくだりは、大江さんの創作ですね。実在のものを上手にフィクションの中に取り込むというのは、大江さんがよくお使いの手法ですよね。
2007/5/12, 田村省二
 新潮6月号から始まった「掾iらふ)たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」に、ファンクラブの記述があります。以下に引用します。
 「サクラさんが東京でのきみの動向を訊ねると、インターネットできみのファンクラブにアクセスしてね、一番新しい文献を取り寄せてくれた。そしてその小さなプレゼントが、当たりだった、とサクラさんはいうんだ。ひとつは昨年暮れに出た文芸誌にきみが初めて書いたという、比較的長い詩ふたつ、『形見の歌』というもの。もうひとつはやはり昨年十一月に出た、文庫版『ロリータ』新訳への、きみの解説。」
 今年の新潮1月号に「詩集『形見の歌』より二篇」が掲載されており、また、昨年11月に発行されたウラジミール・ナボコフのロリータ(若島正訳)に大江さんが「野心的で勤勉な小説家志望の若者に」という解説を書かれています。
 昨年11月以降のファンクラブの情報に上記のものが含まれていたという記憶がないのですが、大江さんの創作でしょうか?(笑)(もし、あったとすれば、申し訳ございません。)
 新潮社から「大江健三郎作家自身を語る」が5月31日に発売されます。また、みやじま紅葉さまが以前触れられた、新潮選書の「核時代の想像力」は、2007年の新たなエピローグが付されて5月25日に発売されます。
2007/5/12, いとうくにお
納豆ご飯さん、お知らせありがとうございます。
2007/5/12, 納豆ご飯
はじめまして、いつも拝見しております。

去る9日の朝日新聞京都版に、大江氏の講演会のチラシが折り込んでありましたので、お知らせします。

龍谷大学法学部創設40周年記念
 大江健三郎氏講演会「わたしらはいまにとけ込んでいる未来を生きている」
 6月2日(土)開場13時半開演14時 龍谷大学深草学舎
詳しくはhttp://www.law.ryukoku.ac.jp/topics/070602.htmlをご覧ください。

では失礼いたします。
2007/5/9, 虫栗太郎
いとうくにお 様

 沖縄戦裁判支援連絡会のこと知りませんでした。明日会費を納入したいと思っています。
「沖縄ノート」は学生時代に読んだきりで、記憶がありません。読み直そうと思うのですが優先順位がありまして・・・
 夏が終わるまでには読もうと思っています。
 東大の講演会いけなくて残念です。「アウト・オブ・プレイス」の上映会の時の講演は素晴らしかった。また、いい会になるといいですね。
2007/5/9, 田村省二
群像6月号の第1回大江健三郎賞・選評を読みました。『夕子ちゃんの近道』について、文学革新のイデオロギーというようなこととは無関係に、この独特の楽しさを押し出したいと思ったのですと評されていることから、是非読んでみたいと思い、市立図書館のネット検索をしたところ、7冊ある『夕子ちゃんの近道』は既に貸し出し中や予約済みになっていました。買わなければ直ぐには読めない状態なので、アマゾンで注文しましたが、届くのが6月に入ってからです。マスコミではあまり騒がれていませんが、大江健三郎賞の社会的影響力はかなりのものだと感心しました。また、ネットによると長嶋有さんは、長嶋肩甲、ブルボン小林と3つの顔を持つ方だと分かり、さらに興味がそそられました。http://www.n-yu.com/
2007/5/6, いとうくにお
虫栗太郎さん、もうご存じかもしれませんが、裁判については「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会」に詳しいことが出ています。
みやじま紅葉さん、お知らせありがとうございます。asahi.comを見てきました。受賞作の「夕子ちゃんの近道」はどんな作品なのでしょうね。
2007/5/6, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様

 第1回大江健三郎賞が決まりました。
 長嶋有さんの作品です。
 詳しくは、本日の朝日新聞の、asahi.comにあります。無事に決まって、一安心です。詳細は、雑誌「群像」に載るそうです。
2007/5/5, 虫栗太郎
沼野 充義 様

 大江氏の講演会行きたいのですが、仕事で無理です。また、同種の催しがある時は、是非この欄に載せてくださいね。
 沼野さんの翻訳、書評を沢山読ませてもらっています。これからも頑張ってくださいね。

皆 様 

 久しぶりにこのHPに訪れました。この間、大江氏の「沖縄ノート」のことをめぐる報道を聞きかじっていますが、詳細が分かりません。朝日新聞で大江氏が「定義集」に書いておられることと、沖縄に支援会ができたというような記事しか知りません。詳しい情報があれば教えてください。
 櫻井よし子氏や曾野綾子氏は、どんな情報源であの様なことを書いているのでしょうか。訴訟を起こした原告の情報だけをもとにしているように見えますが。それ以外現地でその様なことを発言している人が今生きているのでしょうか?
2007/5/4, 沼野充義
 東京大学は5月18日(金)、大江健三郎氏講演会を開催いたします。入場無料、どなたでも聴講できますが、原則として事前申込みが必要です。ご関心をお持ちの方のご来聴を歓迎いたします。


東京大学文学部主催・布施学術基金共催 
大江健三郎氏講演会
「知識人になるために―世界の普遍的な教養を目指して」
日時 2007年5月18日(金) 午後2時〜5時(開場1時20分)
場所 東京大学 安田講堂
(安田講堂は東大正門から正面に見える時計台のある建物です)

詳しくは、以下をごらんください。
http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/report.cgi?mode=2&id=91

◇申し込み方法
@氏名、A住所、B年齢、C職業を明記のうえ、Eメールか、往復葉書で、以下にお申し込みください。
申し込み専用メールアドレス: oekenzaburo@hotmail.co.jp
郵送先 113-0033 東京都文京区本郷7−3−1 東京大学文学部 現代文芸論研究室
締め切り 5月11日(金)

実施担当・問い合わせ先03-5841-7955(東京大学文学部現代文芸論研究室)
2007/5/1, いとうくにお
みやじま紅葉さん、素晴らしい情報をありがとうございます。楽しみですね。
2007/5/1, みやじま紅葉
いとうくにお様
 皆様
 何か、すばらしいことが、雑誌「新潮」6月号でおこっているようです。
  それによれば、大江健三郎氏、作家生活50周年記念小説が、今月号(5月7日発売)から、4回連続で掲載されるとのこと。
  そのタイトルは、・・・(公開されています)、
   老作家が息子と歩いている・・・、
 (『波』5月号より)。
  すばらしい時間を4ヶ月間共有しましょう。
2007/4/23, タカコ
いとうくにお様
早速、対応していただきありがとうございます。新たに大江ワールドに踏み込もうとする人の指針になると思います。
先日、大江健三郎賞の受賞者との公開対談の情報が載っていましたが、同日東大で文学部主催の大江氏の講演会があります。東大のHPのトップに載っています。お疲れにならないかと心配になりますね。出来るだけ書き続けていただきたいと願っていますので。

みやじま様
私は「大江健三郎再発見」で小森氏を知ったのですが、興味深い方ですね。「天皇の玉音放送」を読んだときには右翼に刺されてしまうのでは、と心配になりましたが今までにない日本語の読み手であると思います。村上春樹ファンに罵倒されそうな本もだされていて勇気ある方です。私は美しくなくてもいいからこういう人も自由に発言できる日本であって欲しいと願っています。
2007/4/21, みやじま紅葉
いとうくにお様 
タカコ様
 確かに、近年では、小森陽一氏は、最良の大江健三郎氏の読み手であると思います。連載中も、単行本でも「読み直し」をしました。
 小森氏による大江小説の「読み直し」であったからです。
 私は、『同時代ゲーム』は、個人的には、大江氏最大の傑作である、と考えているので、本当にこのように難しい小説を書いて残していただいたことに感謝しています。
 一読に値する、これまた、小森氏最大の評論集です。
2007/4/20, いとうくにお
タカコさん、ご提案ありがとうございます。とても簡単ですが、『歴史認識と小説』を追加しておきました。
2007/4/20, タカコ
はじめて投稿します。小森陽一さんの「歴史認識と小説ー大江健三郎論」(群像2001年5月号〜2002年1月号掲載のものを2002年6月に講談社から出版)をぜひこのサイトの関連書籍に入れて欲しいと思います。「産まれたばかりの大江小説の新しい読者」が大江小説を読み進めていくと・・、という語り口で展開される文学論は、過激にも感じられますが、すごく興味深いものです。丁度その頃産まれたばかりの大江小説の新しい読者になった私は自分のことが書いてあるように感じて読みふけりました。「取り替え子」「万延元年のフットボール」「同時代ゲーム」「懐かしい年への手紙」について書かれています。大江ファン必読の書ではないかと思います。
2007/4/16, しんしろう
ときおさんへ。
 私はあなたのお父さんの年代と思いますが、若い人が、自分で改憲の問題を調べられたことに希望を見出します。
 徴兵制のことを言っておられますね。誤解を恐れずに言えば、私は日本で徴兵制が敷かれる可能性は少ないと考えています。今のアメリカをみて下さい。アメリカは戦闘状態が常態です。徴兵制のないアメリカで兵士はどこから集められているのかと言えば、それは過度な格差社会の底辺に生きる人たちです。そうした階層の人たちが、大学進学や将来の仕事、医療保険への加入(日本のような公的な医療保険はありません)などを餌に、兵役に誘い込まれているのです。つまり、貧困層にとっては、兵役こそが将来への唯一の手がかりなのであり、格差社会が戦争の継続を可能にしているということです。
 さて日本でも、非正規雇用の人が激増しています。このままではアメリカ並の格差社会になる日も近いのではないでしょうか。そうなった時、仮に九条が変えられてしまっていたら、アメリカと同じ「経済徴兵制」が働くようになっているのかもしれません。
 若い人たちには、改憲の動きと労働法制の改悪(非正規労働者の拡大許容)が表裏一体であることを知ってほしいと思います。
 九条の会がもっと広がるように祈っていますし、私自身も、若い人たちが将来も平和のうちに暮らせるよう、力を尽くしたいと考えています。
2007/4/16, ときお
大江健三郎さんのファンで、おかげでやっと、改憲の怖さを知りました。私は普通の高校生ですが、いま憲法が変わってしまうと、そのうち徴兵されるかもしれない。ぞくりとします。でも、テレビは危険性を伝えないので、自分で調べるまで分かりませんでした。大江さんのような有名な方が、もっと露出して、危険性を具体的に訴えることは出来ないのでしょうか。よろしくお願いいたします、ぼくの周囲の友人も、まったく実態を理解していません!
2007/4/8, いとうくにお
田村さん、みやじま紅葉さん、いつも情報ありがとうございます。『核時代の想像力』の再刊は、時代の要請といっていいかもしれませんね。
2007/4/8, みやじま紅葉
いとうくにお様
 今月号の「波」では、37年ぶりに、
 『核時代の想像力』大江健三郎
 が、ふたたび、新潮選書の一冊として5月刊行されるとのことです。
 
田村省二様、
 いよいよ、第一回が始まるのですね。
 こちらも楽しみです。
2007/4/7, 田村省二
 第1回大江健三郎賞の受賞者と大江健三郎さんとの公開対談が5月18日(金)に行われます。
 講談社HPからの応募分が先着150名となっていますので、ご希望の方は急がれた方がいいと思います。
 場所は講談社本館6階講堂、時間は18:00〜20:00過ぎだそうです。アドレスは、以下のとおりです。
http://www.kodansha.co.jp/boshu.html
2007/4/5, みやじま紅葉
いとうくにお様
 たけ坊様の質問に答える形で書いてみます。
 「自動化」は、大江氏の、初期の論文では、「自動化作用」であり、またこれが「異化」ということに結びついています。

@ 論文とは、『小説の方法』岩波現代選書(1978年)です。
 難解です・・・、十分にここでは要約できませんが、これを読まれると、何となく、理解できそうです。
A この本では、新たに作家活動を展開する上で、やがて重要な小説がかかれることになります。
B『同時代ゲーム』です。私的には、大江氏にとって一番重要な作品です。
 その意味では、その『小説の方法』は、大江氏の理論的な考え方を示した書物です。
ということで、『小説の方法』を読まれることを薦めます。
2007/4/5, イオ
はじめまして。たけ坊さん。J/Bあらためイオと申します。

今日偶然面白い文章を見つけました。
『冠詞は名詞以外の品詞に付いてその品詞を名詞化する機能もありますが、冠詞本来の機能は名詞の前に置かれて、その名詞を生き生きとはっきりしたものにする役割、すなわちその語に名詞としての生気や実在感を与える働きです』(『現代イタリア語入門講座』興松 明)
イタリア語で言えば、「un,una」。英語でいえば「a,the」と言うことでしょうか。
辞書で『冠詞』を引くと、英語のたとえが出てきたので、日本語の文法とはなじみにくい概念なのかもしれません。

『自動化』とは冠詞抜きで世界と関わることだと言ってみても良いかもしれません。

確か伊丹さん(大江さんだったかも)のこんなエッセーを読んだ記憶があります。
『蠅』という字は、まったくもって、「ハエ」そっくりである、というような。
我々は日常、字の意味を受け取って、そのまま読み過ごしていくことが多いものです。
しかしあらためて『蠅』という字を見入るなら、『蠅』という字に、細かなパーツが密集している感じ、全体として黒々とした、それでいて金属質のつや(鈍いものも鋭いものも含めて)がかすかに混じる、ハエの姿そのもの(生き生きとはっきりした!!!)を我々は感じとることができる。

我々の日常はおおむね自動化されているといっていいでしょう。それは物事を手際よくやるために必要なことでもあります。
朝忙しい時、食事をして、歯を磨き、家を出る。それは自動化されているといっていい。
スイッチをひとつ押すだけで、洗濯からすすぎ、脱水、乾燥へと進んでいく『全自動洗濯機』(残念ながら、私は持っていませんが)と、それはあまり変わりのないものです。
自動化とは特別なことではなく、我々の日常そのものといってもいいでしょう。繰り返しますがそれは必要なことでもあります。
しかしそれだけではなにかが決定的に足りない。
芸術の役割は、その不足を充填し、時に逆転すること、そんなふうに考えることもできるでしょう。

「異化」とは、いわば「練り歯磨き」のミントの香りにあらためて呆然とうっとりすること。こんなふうに考えるなら、それもまた特別なことではないかもしれません。
それでは。
2007/4/5, たけ坊
始めまして。内子町出身のたけ坊と申します。よろしくお願いします。
いま先生の著書『私という小説家の作り方』(新潮文庫)を読んでいます。
全体的には、感銘を受ける部分が多いのですが、下記の文節の「自動化」の意味がよくわかりません。どなたか教えていただけないでしょうか。

「また芸術の手法は、ものを自動化の状態から引き出す 異化 の手法であり・・」

の「自動化」の意味についてです。ご教示の程、よろしくお願い申しあげます。
2007/3/21, みやじま紅葉
いとうくにお様
 桜の開花も言われているこの頃です。
  実に久しぶりの、大江健三郎論が刊行されています。
 @『大江健三郎論―「狂気」と「救済」を軸にして』
   クラウプロトック・ウォララック(専修大学出版局)2007年2月20日
   全238頁、著者34歳、タイからの留学生です。
   大江さんにとって、また読者にとっても重要な小説の評論ですが、たくみな日本語です。

田村省二様
 中央公論で語られた、「次の小説」構想とは別のものでしょうか、気になるところです。
2007/3/20, 田村省二
 本日(3/20)、朝日新聞連載中の定義集、「繊細な教養の所産が壊される 子供の自由な心守る本を」が掲載されました。
 今回のお話は、『二百年の子供』を用いていられる読書指導の先生からの手紙を軸に展開されています。
  『二百年の子供』の最終章で、大江さんはヴァレリーの言葉を引用されていて、私も赤鉛筆で線を引いているところが話題となっています。
 今回、大江さんは原文の意味を補いながら訳し直して、「精神の自由と、(社会に積み重ねられた)もっともせんさいな教養が、(子供の心に)産み出してきたものが壊される」とされています。
 最後の二行に「老婦人に話した、子供のための本を、私は考え始めています。」と結んであるところが気になります。二百年の子供の続編、あるいは、新しいお話を書かれるということでしょうか?どなたかご存知ですか。
2007/3/11, みやじま紅葉
いとうくにお様
  すばらしい情報の場になっています。ありがとうございます。
 3月は、なにやかやと忙しく本屋さんから遠ざかっていまして、先ほどあわてて、田村省二さんの書かれていること確認しました。
  まだ、講談社文芸文庫は入手していませんが・・・

 おおさわさん、「危険の感覚」、これは大江健三郎氏の重要なキーワードです。
  まさしくみずみずしい感覚です。久しぶりに思い出しました。
 大江健三郎氏に、その頃あったことを思いだしました。そばには、イーヨーさんもおられました。今頃の季節でした。
2007/3/11, いとうくにお
おおさわさん、こんにちは。「危険の感覚」のご紹介、ありがとうございます。『厳粛な綱渡り』はまだ読んでいないのですが、買って積んであります…。「危険の感覚」だけいま読んでみましたが、若々しい文章ですね。その若い大江さんが望んだとおり、大江さんは「危険の感覚」を持ち続けてこられたように思います。
2007/3/11, おおさわ
 半年振りです。みなさんの情報大変役に立っています。
 私、37,8年ぶりにエッセイ集『厳粛な綱渡り』通して読んでみました。気になっていた「島嶼列島」という単語を探しながら。ありました。「危険の感覚」という短いエッセイの中に。作家としての基本的な態度として危険の感覚を持っていること、と言う内容でした。10代の時読んで、自分にとって生きていく基本的な態度とは、なんて考えたことがあります。このエッセイ全体が21世紀前半の今を表現している。固有名詞を変えれば、現在が書かれているといってもおかしくない。このエッセイがなければ私は『万延元年のフットボール』にたどり着かなかったことを確信しました。そして、今の大江健三郎ときちっと繋がっていることに感動しました。
2007/3/10, いとうくにお
田村さん、いつもご投稿ありがとうございます。「新しい人よ眼ざめよ」に加筆訂正されたというのは興味深いですね。
2007/3/10, 田村省二
 みやじま紅葉さんが言っていられた、「新しい人よ眼ざめよ」(講談社文芸文庫)が発売されています。講談社のウェッブでは2007年3月5日発売と書かれていますが、書籍には2007年2月10日第一刷発行と書かれています。昭和61年6月講談社刊講談社文庫を底本に、著者による加筆訂正を行ったとありますので、大江さんがどこをどのように訂正されたのか、探すのが楽しみです。
 また、中央公論4月号には先月号の続きの「大江健三郎が語る作家としての五〇年 後編-『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』から『さようなら、私の本よ!』まで」が掲載されています。
 さらに、集英社の「すばる」4月号には、「21世紀ドストエフスキーがやってくる」が特集されており大江さんと沼野充義さんの対談「ドストエフスキーの“新しい読み”の可能性-ロシア・東欧文学をめぐって-」が掲載されています。最後の方で沼野さんが「ドフトエフスキーについては、まだまだお話すべきことはあるのですが、それはまた機会を改めてじっくりとお話したいと思います。」と発言されたことに対して、大江さんが「それは本当に楽しみです。ありがとうございました。」と結んでいるところが、つづき予感させます。
2007/3/3, 田村省二
 中央公論3月号に「大江健三郎が語る作家としての五〇年 前編−『奇妙な仕事』から『同時代ゲーム』まで」が掲載されました。聞き手・構成は、読売新聞東京本社文化部記者の尾崎真理子さんです。
 書き出しの部分には、こうあります。「昨春から半年間、多くは東京・成城の自宅書斎にて、また初夏には故郷、愛媛県内子町の母校で五回、延べ一五時間にわたってインタビューに応じた氏は、自らの作品評価と創作の背後にあった同時代の人々とのエピソードを惜しげもなく、実に率直に語った。初めて明かされる意外な真相も少なくない。インタビューのDVD化と単行本の発売を前に、その内容の一部を紹介する。・・・」
 DVDは読売新聞社から、単行本は新潮社から、いずれも5月に販売予定だそうです。楽しみですね。
2007/2/23, いとうくにお
田村さん、みやじま紅葉さん、いつも情報のご提供ありがとうございます。新聞も一面と番組欄しかながめないようなバタバタとした生活が続いていて、こういう情報はありがたいです。
2007/2/23, みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様
 『新しい人よ眼ざめよ』講談社文芸文庫についてのその後の情報です。
@ 2月発売が延期される
A その後、3月9日発売に決定された
B さらに、発売未定
という順序をへて、延期・未定となりました。
残念なことですが、待ちたいと思います。
田村省二様
 新聞記事、毎月、コピーしてファイルしています。
 楽しみな記事です。ありがとうございます。
2007/2/20, 田村省二
 本日(2/20)の朝日新聞朝刊に連載中の『定義集』が掲載されました。今回のタイトルは、「多様なものが共生する視点【人間が機械になることは・・・・・・】」です。
 フランス文学者渡辺一夫さんの「人間が機械になることは避けられないものであろうか?」の紹介から始まり、「戦争に向けての愛国心の鼓吹は、人間機械化のためのエモーションの利用法です。教育の場での人間的な感情の育成は、その正反対です。」で結ばれています。
 憲法を改正し、再び戦争が繰り返されることがないよう、子供の教育に対しては、−子供は、なかなか言い聞かせることは聞かず難しいですが−注意深くいようと思います。 次回の定義集は、3月20日掲載されます。
2007/2/18, みやじま紅葉
いとうくにお様
  確かに、『M/T』は、最近の船越 桂さんの絵とは異なるものです。
  簡潔さが魅力的です。また、解説も、あらたな大江文学の読み方のひとつです。新しい世代の読み方がみうけられます。

田村省二様
  最近の、大江氏の文章には、力強い信念があって、これは多くの若い世代に受け入れられるものです。そのように感じます。
2007/2/18, 田村省二
みやじま紅葉さま
 講談社INPOCKETの情報ありがとうございました。早速、近くの書店で2月号を購入し、読んでみました。
 INPOCKETのもうひとつのあとがき『幸福な歌』で紹介されている、南仏エク=サン=プロヴァンスの「本の祭り(フエート・デユ・リーヴル)」に関する記述は、『M/Tと森のフシギの物語』の「新しい文庫本のために」でも触れられています。
 内容は、まったく違いますが、「新しい文庫本のために」では、祭りのヴォランティアをしていた娘さんとの出会い、文庫版が刊行されることになったいきさつなどが書かれています。
 岩波書店の同時代ライブラリーに掲載されている司修さんの挿画はありませんが、海外で最も読まれている大江作品が日本の書店に並んでいなければならないと思いました。
2007/2/17, いとうくにお
みやじま紅葉さん、文庫の続報、ありがとうございます。アマゾンで『M/Tと森のフシギの物語』の表紙を見ましたが、これまでの大江作品とは一線を画す表紙デザインですね。これはこれでかっこいいなあ。
2007/2/16, みやじま紅葉
いとうくにお様

  先の情報は、書店にて、書店員様による出版社への問い合わせの結果です。
  ところが、先ほど購入の、2月号、講談社「IN POCKET」には、大江健三郎氏による、「もうひとつのあとがき」として
・ 「幸福の歌」大江健三郎 2ページ分、p94−95
 が掲載されており、刊行は確かなようなのですが・・・
  どなたか確認されたかたはおられますか?
2007/2/16, みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様

  心待ちにしていた、講談社文芸文庫の一冊、
 理由は不明ですが(おそらく多忙のため)、出版元の話では
 発売延期で、時期は不明です。

  待ちたいと思います。
2007/2/12, みやじま紅葉
いとうくにお様

 以下、文庫新刊の情報です。講談社文芸文庫にはいる2月9日発売の一冊です。

 @『新しい人よ眼ざめよ』大江健三郎 定価1470円
  これは、講談社文庫、昭和61年、からの文芸文庫入りです。
  徐々に、大江健三郎氏の、重要な作品が、この文芸文庫にはいります。
  先月に続いて、再読の作品集になりました。
2007/2/10, いとうくにお
みやじま紅葉さん、「すばる」の情報、ありがとうございます。早く本になってほしいものです。
2007/2/9, みやじま紅葉
いとうくにお様

  雑誌「すばる」3月号をもって、連続講演、全7回『生きること・本を読むこと』が終了いたしました。すばらしく、話していることが書くことのようでした。
  ある作家が、大江氏は、話すことが一字一句書くことに相当し、全く、その後、原稿にしても、一字一句の修正もない、と言っていました、
そんなことを思い出しました。以下、タイトルとして、
 @9月号(2006):「さようなら、私の本よ!」
 A10月号:「故郷から切り離されて」
 B11月号:「文体を読みとる、文体を作る。」
 C12月号:「ブレイクの受容に始まる」
 D1月号(2007):「本のなかの『懐かしい年』」
 E2月号:「ダンテと『懐かしい年』」
 F3月号:「仕様がない!私は自分の想像力と思い出とを、葬らねばならない!」
となります。
 全7回、すべて、出席された方はいないようです。
2007/1/24, いとうくにお
田村さん、情報ありがとうございます。お知らせいただかなければ、気付かないままでいたと思います。いま記事のほうを読みましたが、unlearn=学び返す、unteach=教え返す、面白い言葉ですね。
2007/1/24, 田村省二
 朝日新聞に連載されている『定義集』が、本日(1/23)の朝刊に掲載されました。タイトルは、『人はいかにまなびほぐすか』【「学び返す」と「教え返す」】でした。大江さんがこなれていない訳し方をしたと言っているもとの言葉は、unlearn と unteach です。学びほぐすための一つの手段として、大江作品を rereading(再読する、読み直すこと)を直ぐに連想してしまいました。次回の定義集は2/20の予定だそうです。
2007/1/10, トム(Tom5k)
>虫栗太郎 さま
発売中止の理由は存じておりませんが、恐らく売り切れたのではないでしょうか(いいかげんな回答で申しわけありません)?
ユーズド商品はあるようです。
 ↓
http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/B000L22V54/ref=dp_olp_3/249-7322944-9487524
2007/1/10, 虫栗太郎
トム 様

 ご返事ありがとうございます。
 良く状況が解らないのですが、群像1月号は発売中止みたいです。
理由は何か御存知ですか?
2007/1/9, みやじま紅葉
いとうくにお様

 1月15日発売の講談社文庫では『M/Tと森のフシギの物語』が刊行されます。
 すでに発行の「同時代ライブラリー」版(岩波書店)とは異なったバージョンになるのでしょうか。

  楽しみな刊行になる、文庫の新刊です。
2007/1/9, いとうくにお
みやじま紅葉さん、HALさん、情報ありがとうございます。テレビにこの掲示板のことが出てきたなんて、すごいなあ。デザインも仕組みも非常に古めかしいので、そこがちょっと恥ずかしい感じもしますけど、皆さんのご投稿の内容とその蓄積は疑うべくもなく価値あるものですから、紹介されるのも当然かもしれませんね。
2007/1/9, HAL
みやじま紅葉さんがご紹介されていた、「大江健三郎ロングインタビュー 大江健三郎 作家自身を語る」の第5回にこの掲示板が登場しました。

「若者たちが大江さんを読み始めている様だが・・・」という質問のバックに映像がでて「大江健三郎ファンクラブ掲示板」のコメントがタイトルで出ていました。
大江さんの回答は、ブログを書いている若者に対して「自分の言葉をエラボレートする様に」とのアドバイスでした。

ちょっと質問、回答、映像がちぐはぐな感じはしましが参加者としては単純に嬉しい気持ちでした。
2007/1/6, トム(Tom5k)
>虫栗太郎 さま
宮崎誉子氏の「三日月」は、まだ単行本にはなっていないようです。
「群像」1月号の新鋭中篇特集に掲載されているようです。
 ↓
http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/3056601/s/
2007/1/6, みやじま紅葉
いとうくにお様

 お知らせしていた、『「おかしな二人組」(三部作)』講談社
 2006年12月25日特装版第1刷発行(セット価格9240円)
@ 86mm厚さ函、横方向に2分割
A 赤帯
B 『取り替え子』『憂い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』
  『長江古義人と小説作者の対話』16頁
C 検印、三冊にあり(朱印)
ということです。新刊情報でした。
2007/1/2, 虫栗太郎
いとうくにお 様
トム 様
そして 皆さん
 あけましておめでとうございます。今、このホームページを開きトムさんの書き込みに出逢い嬉しくなりました。トムさんありがとうございます。
 現代日本文学の課題は、私も思想性や政治性がないということです。情けなさをいつも私は感じています。
 特に、労働の問題に対する蔑視さえ感じる作品が多すぎます。トムさんが紹介してくださった、小説を読もうと思います。
 個人的には、労働運動と不当な支配に非暴力で抵抗する若者の群像を描いた作品を「希求」します。また、自分達もその作り手になろうとするときが来ていると思 います。
 突破口は絶対にあるはずです。
 今年もよろしくお願いします。
 今年も、大江さんの講演会の予定を知っている方は、この欄で教えてくださいね。
2007/1/2, トム(Tom5k)
いとうくにおさま、大江ファンのみなさま、明けましておめでとうございます。
昨年の1月に「誰でもピカソ」に関わってのコメントをさせていただいたトム(Tom5k)です。ひさしぶりにコメントさせていただきます。
平成18年12月27日(水)付け「北海道新聞」(夕刊)の「時評文芸」で、東京大学文学部の“ぬまの みつよし”氏が、大江健三郎氏の特別講演(「群像」)を取り上げておりました。

以下抜粋
【・・・大江氏はこの講演で、いまの日本では「知識人」が存在の意味を失い、「小児化」した若い世代の口語スタイルが幅をきかせ、文化が「窮境」に陥っていると厳しく批判したうえで、それにもかかわらず、そこから「雑種的で、異種混淆的で、国境を横断し、こまかく差異化されてゆく」(サイードの表現による)若い文学が育っているのではないか、と希望を未来につないでいるのだが、はたして現状はどうだろうか・・・】

ぬまの氏は宮崎誉子氏、金原ひとみ氏、富岡多恵子氏の近作をあげ、新旧作家の動向として、新しい文学の可能性を示唆されていました。
わたしは、特に宮崎誉子氏の「三日月」という小説に興味を持ちました。いわゆる「ギャルしゃべり」をちりばめた小説で、17歳の主人公が単純労働に明け暮れながらも前向きに先輩を模範とし、その先輩を超えようとする決意で終わる内容だそうです。

ぬまの氏は
【この軽い口語的文体から、これほど前向きな「労働小説」が出てきたことには驚かざるをえない。確かに何か新しいものが日本文学で動き始めている。】
としています。
もしかしたら、文学というものは「時代や社会状況のすさみかた」と比例しているのかもしれません。

突然の「書き込み」失礼しました。
今年は悪いことの無い(少ない)年でありますように。
では。
2007/1/1, いとうくにお
皆さん、あけましておめでとうございます。今年も当サイトをよろしくお願いします。
みやじま紅葉さん、情報ありがとうございます。G+の情報は、ここに掲載されていますね。
2007/1/1, みやじま紅葉
いとうくにお様
皆様
 追加情報です。1月1日今夜10時10分から、5夜連続で、「大江健三郎ロングインタビュー」大江健三郎 作家自身を語るが、G+映像、で放送されます。今なら、読売オンラインで、映像で見られる。
  どうやら、故郷を見渡せる映像もあるようです。
2007/1/1, みやじま紅葉
みやじま紅葉です。

いとうくにお様
 皆様
  今年も宜しくお願いします。
  年男、大江健三郎氏の、朝日新聞朝刊1月1日(10版)には、その7面全部を使って、「大江健三郎賞」講談社の広告が掲載されています。
   その下には、「文学の言葉でなら、世界と深く話せる。」とあります。

このページは大江健三郎ファンクラブの掲示板の一部です。